第58話 包帯
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医務室を出て利吉さんの忍装束を洗いにいく。
まだ雨が降っているので、軒先で洗って干そうと準備する。
ザブザブと手を動かしながら、私はぼんやりと考えた。
プロの忍ならある程度の傷は珍しくない…。
それはつまり、一年は組の子達も卒業して忍になればそうなるということ…。
あの優しくて可愛らしい子達が、傷を負うかもしれないような仕事をして、時には命を危険に晒すようなことをしていかなくてはならなくなるのだろうか…。
私は忍装束の破れたところを手に取りじっと見つめた。
ポタ…ポタ…
濡れた衣から滴る水音。
屋根を鳴らす雨粒の音。
こんな雨のなか、体も冷えて傷を負って…あの可愛らしい子ども達がそんなことを普通だと笑うときがくるのだろうか。
……わかっていた、つもりだった。
私は忍の何たるかを知らずにここに来たけれど、私なりに見聞きしてその大変さは理解していたつもりだった。
そして、毎日頑張っているあの子達の目指す世界が、そういう危険と隣り合わせの世界であると知ったときに、私はあることを密かに考えていた。
けれど、改めてこうしてその現実を目の前に突きつけられると、胸が張り裂けそうになった。
今はのびのびと笑顔いっぱいのあの子達が、いつか大きな怪我をしてしまうかもしれない。
あの子達の命が、いつか奪われてしまうようなことがあるのかもしれない。
考えたらこわくてたまらなかった。
利吉さんはとても優秀な忍だと聞いている。
それでも怪我をすることがあるのだから、一年は組ののんびりした子達が怪我をすることはもっと多いのかもしれない。
私は雨のかからない軒先に洗った忍装束を干した。
…土井先生は、どう思っているのだろう。
私よりも忍の世界に詳しくてあの子達をよく知っているあの優しい彼が、どういう気持ちであの子達に忍になる術を教えているのか。
…ずっと、気になっていた。
「…今夜、聞いてみよう。」
私はたらいを片付けて医務室に向かった。
「失礼します。」
医務室に戻ると、保健委員の子達はいなくなっていて利吉さんが一人座っていた。
「あれ、みんなはどうしたんですか?」
「昨日外に干した洗濯物を取り込み忘れていたそうで、慌てて取りに行きましたよ。」
「そ、そうですか…。」
たくさんあったのかな…気の毒に…。
「利吉さんの忍装束も乾くには時間がかかりそうです。…いつ学園を出るんですか?」
「明日の朝に発ちますので、その忍装束は少し預かっていて貰えますか?」
「わかりました。破れたところも縫っておきますね。」
「ありがとうございます。」
ふと利吉さんの袖から先程の包帯が見えた。
利吉さんはいつもこうやって涼しい顔をしているけれど、どこに所属するでもなく誰の助けも仕事仲間もないなかで一人忍務をこなしている。
辛くはないのだろうか。
「…利吉さんは…」
「はい?」
「どうして忍者になろうと思ったのですか?」
利吉さんは何故そんなことを聞くのかと不思議そうな顔をしたが、私が真剣な表情をしていたので真面目に答えてくれた。
「きっかけはやはり父ですね。両親とも忍で、小さい頃からその背中を見て育ったので自分も同じようになりたいと…父を越える忍になりたいと思うようになったってところですかね。」
「授業で拝見しただけですけど、山田先生は忍術も火縄銃もすごいですもんね。ずっとその背中を見てたらそう思うようになるかもしれないですねぇ…。」
利吉さんは山田先生を褒められて少し嬉しそうな恥ずかしそうな笑顔を見せた。
よく家に帰る帰らないで喧嘩をしているけれど、仲のいい親子関係が羨ましくなる。
「一人で忍務をしていて、恐くはないんですか?」
「恐怖を感じることがないわけではありませんが、どちらかというと仕事がないことの方がこわいというか落ち着かないですね…。」
利吉さんが頭をかいて苦笑した。
そういえば、利吉さんも山田先生に負けず劣らず仕事中毒と噂されていたような。
「もしどこかに属する忍になれば意にそぐわない命令にも従わなければなりません。色々な人間関係や敵対関係もあるでしょうし、私にはフリーで自由に忍務をこなす方が性に合っています。」
「そうですか…利吉さんは強いですね。」
「そんなことはないと思いますが…。急にどうしたんですか?」
「一年は組の子達も卒業してプロの忍になったらどうなるのかなって…心配になったんです。」
「ああ…」
利吉さんはなるほどといった顔をした。
「全員が忍になるわけではないでしょうし、まだずっと先の話でしょう。卒業する頃にはもっとしっかりしてくるんじゃないですか。」
「それはそうですが…」
「というよりも」
利吉さんがずいっと私に近づいた。
「今の私より5年後の生徒の心配ですか…?」
私の頬に手を当てて、不満げにじっと見つめられた。
「り、利吉さんのことも勿論心配ですよ!ただ、一年は組の生徒のことも気になってしまって…す、すみません。」
焦ってそう言うと、利吉さんは「あなたらしいですね。」と苦笑した。
「私は…強くなどありませんよ。」
「え?」
利吉さんがぽつりと呟いた。
そして、真っ直ぐに私を見て寂しげに微笑んだ。
「私だって、心休まる場所が欲しいと思うことはあります…。」
「…利吉さん……」
目がそらせなかった。
その瞳の奥に映る孤独と私に対する切望に、何と言葉を返すべきか。
けれども私は自分の心にある言葉しか紡ぐことができず、利吉さんに向き直って座った。
「利吉さん、私はあなたの気持ちに応えることはできませんが、それでも元気でいてほしいと…利吉さんに幸せであってほしいと思うんです。怪我なんてしてほしくありません…。お仕事柄仕方のないことだとしても…心配です。」
白い包帯に目を落とす。
平然としているけれど、痛くないはずがない。
「私は…心休める場所にはなれませんが、でもいつでも利吉さんのためにご飯は作りますし、ここが…この忍術学園が、利吉さんにとって羽を休める場所であったらいいなと…そう思います。」
「たまみさん…」
利吉さんはじっと私を見つめていた。
本当は、こんなことは言うべきではなかったのかもしれない。
相手の気持ちに応えられないのなら、優しい言葉などかけずに相手の心が私から離れやすくしてあげる方が優しいのだと…そう、私は思っていた。
でも…
一人孤独に忍務にあけくれ傷を負う利吉さんを突き放すような言葉が、どうしてもでなかった。
心配していると本心を伝えたところで、それは私の自己満足にすぎないのかもしれない。
そんな言葉は望まれていないかもしれない。
それでも。
無事でいてほしいと、少しでも心穏やかであってほしいと。
少なくとも、そう願う人間が、利吉さんを大事に思う人間がいることを知っていてほしかった。
暫くの沈黙の後、利吉さんがゆっくり口を開いた。
「あなたは本当に真っ直ぐで…優しいですね…。」
利吉さんは包帯を巻いた腕をそっと撫でた。
「たまみさんが笑顔で出迎えてくれるだけで…心配してくれていると…その言葉だけで、十分です。」
その瞳が寂しげに揺らいだ。
「…たとえ、あなたの心が私のものにならなくても。ここは、私にとってひとつの帰るべき場所ですから。」
「利吉さん…。」
雨の降り注ぐ音が部屋に静かに響いた。
利吉さんは壁に背中をもたれて、静かに私を見ていた。
その視線を感じながら、私は白く巻かれた包帯を見つめていた。
まだ雨が降っているので、軒先で洗って干そうと準備する。
ザブザブと手を動かしながら、私はぼんやりと考えた。
プロの忍ならある程度の傷は珍しくない…。
それはつまり、一年は組の子達も卒業して忍になればそうなるということ…。
あの優しくて可愛らしい子達が、傷を負うかもしれないような仕事をして、時には命を危険に晒すようなことをしていかなくてはならなくなるのだろうか…。
私は忍装束の破れたところを手に取りじっと見つめた。
ポタ…ポタ…
濡れた衣から滴る水音。
屋根を鳴らす雨粒の音。
こんな雨のなか、体も冷えて傷を負って…あの可愛らしい子ども達がそんなことを普通だと笑うときがくるのだろうか。
……わかっていた、つもりだった。
私は忍の何たるかを知らずにここに来たけれど、私なりに見聞きしてその大変さは理解していたつもりだった。
そして、毎日頑張っているあの子達の目指す世界が、そういう危険と隣り合わせの世界であると知ったときに、私はあることを密かに考えていた。
けれど、改めてこうしてその現実を目の前に突きつけられると、胸が張り裂けそうになった。
今はのびのびと笑顔いっぱいのあの子達が、いつか大きな怪我をしてしまうかもしれない。
あの子達の命が、いつか奪われてしまうようなことがあるのかもしれない。
考えたらこわくてたまらなかった。
利吉さんはとても優秀な忍だと聞いている。
それでも怪我をすることがあるのだから、一年は組ののんびりした子達が怪我をすることはもっと多いのかもしれない。
私は雨のかからない軒先に洗った忍装束を干した。
…土井先生は、どう思っているのだろう。
私よりも忍の世界に詳しくてあの子達をよく知っているあの優しい彼が、どういう気持ちであの子達に忍になる術を教えているのか。
…ずっと、気になっていた。
「…今夜、聞いてみよう。」
私はたらいを片付けて医務室に向かった。
「失礼します。」
医務室に戻ると、保健委員の子達はいなくなっていて利吉さんが一人座っていた。
「あれ、みんなはどうしたんですか?」
「昨日外に干した洗濯物を取り込み忘れていたそうで、慌てて取りに行きましたよ。」
「そ、そうですか…。」
たくさんあったのかな…気の毒に…。
「利吉さんの忍装束も乾くには時間がかかりそうです。…いつ学園を出るんですか?」
「明日の朝に発ちますので、その忍装束は少し預かっていて貰えますか?」
「わかりました。破れたところも縫っておきますね。」
「ありがとうございます。」
ふと利吉さんの袖から先程の包帯が見えた。
利吉さんはいつもこうやって涼しい顔をしているけれど、どこに所属するでもなく誰の助けも仕事仲間もないなかで一人忍務をこなしている。
辛くはないのだろうか。
「…利吉さんは…」
「はい?」
「どうして忍者になろうと思ったのですか?」
利吉さんは何故そんなことを聞くのかと不思議そうな顔をしたが、私が真剣な表情をしていたので真面目に答えてくれた。
「きっかけはやはり父ですね。両親とも忍で、小さい頃からその背中を見て育ったので自分も同じようになりたいと…父を越える忍になりたいと思うようになったってところですかね。」
「授業で拝見しただけですけど、山田先生は忍術も火縄銃もすごいですもんね。ずっとその背中を見てたらそう思うようになるかもしれないですねぇ…。」
利吉さんは山田先生を褒められて少し嬉しそうな恥ずかしそうな笑顔を見せた。
よく家に帰る帰らないで喧嘩をしているけれど、仲のいい親子関係が羨ましくなる。
「一人で忍務をしていて、恐くはないんですか?」
「恐怖を感じることがないわけではありませんが、どちらかというと仕事がないことの方がこわいというか落ち着かないですね…。」
利吉さんが頭をかいて苦笑した。
そういえば、利吉さんも山田先生に負けず劣らず仕事中毒と噂されていたような。
「もしどこかに属する忍になれば意にそぐわない命令にも従わなければなりません。色々な人間関係や敵対関係もあるでしょうし、私にはフリーで自由に忍務をこなす方が性に合っています。」
「そうですか…利吉さんは強いですね。」
「そんなことはないと思いますが…。急にどうしたんですか?」
「一年は組の子達も卒業してプロの忍になったらどうなるのかなって…心配になったんです。」
「ああ…」
利吉さんはなるほどといった顔をした。
「全員が忍になるわけではないでしょうし、まだずっと先の話でしょう。卒業する頃にはもっとしっかりしてくるんじゃないですか。」
「それはそうですが…」
「というよりも」
利吉さんがずいっと私に近づいた。
「今の私より5年後の生徒の心配ですか…?」
私の頬に手を当てて、不満げにじっと見つめられた。
「り、利吉さんのことも勿論心配ですよ!ただ、一年は組の生徒のことも気になってしまって…す、すみません。」
焦ってそう言うと、利吉さんは「あなたらしいですね。」と苦笑した。
「私は…強くなどありませんよ。」
「え?」
利吉さんがぽつりと呟いた。
そして、真っ直ぐに私を見て寂しげに微笑んだ。
「私だって、心休まる場所が欲しいと思うことはあります…。」
「…利吉さん……」
目がそらせなかった。
その瞳の奥に映る孤独と私に対する切望に、何と言葉を返すべきか。
けれども私は自分の心にある言葉しか紡ぐことができず、利吉さんに向き直って座った。
「利吉さん、私はあなたの気持ちに応えることはできませんが、それでも元気でいてほしいと…利吉さんに幸せであってほしいと思うんです。怪我なんてしてほしくありません…。お仕事柄仕方のないことだとしても…心配です。」
白い包帯に目を落とす。
平然としているけれど、痛くないはずがない。
「私は…心休める場所にはなれませんが、でもいつでも利吉さんのためにご飯は作りますし、ここが…この忍術学園が、利吉さんにとって羽を休める場所であったらいいなと…そう思います。」
「たまみさん…」
利吉さんはじっと私を見つめていた。
本当は、こんなことは言うべきではなかったのかもしれない。
相手の気持ちに応えられないのなら、優しい言葉などかけずに相手の心が私から離れやすくしてあげる方が優しいのだと…そう、私は思っていた。
でも…
一人孤独に忍務にあけくれ傷を負う利吉さんを突き放すような言葉が、どうしてもでなかった。
心配していると本心を伝えたところで、それは私の自己満足にすぎないのかもしれない。
そんな言葉は望まれていないかもしれない。
それでも。
無事でいてほしいと、少しでも心穏やかであってほしいと。
少なくとも、そう願う人間が、利吉さんを大事に思う人間がいることを知っていてほしかった。
暫くの沈黙の後、利吉さんがゆっくり口を開いた。
「あなたは本当に真っ直ぐで…優しいですね…。」
利吉さんは包帯を巻いた腕をそっと撫でた。
「たまみさんが笑顔で出迎えてくれるだけで…心配してくれていると…その言葉だけで、十分です。」
その瞳が寂しげに揺らいだ。
「…たとえ、あなたの心が私のものにならなくても。ここは、私にとってひとつの帰るべき場所ですから。」
「利吉さん…。」
雨の降り注ぐ音が部屋に静かに響いた。
利吉さんは壁に背中をもたれて、静かに私を見ていた。
その視線を感じながら、私は白く巻かれた包帯を見つめていた。