第120話 それぞれの覚悟
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父上からの連絡を受け、私は急遽仕事を調整し忍術学園を訪ねた。
突然の呼び出し…何事かあったのか。
書かれていなかった用件が気になり足早に職員室に向かうと、声をかけるより先に職員室の障子がスッとあいた。
「利吉くん、急に呼び出してすまないね。」
「土井先生。父上に呼ばれてきたのですが…何かあったのですか。」
「…とりあえず、中で話そう。」
促されるままに入ると、父上はおらず土井先生が一人で仕事をしていたようだった。
「……利吉くん、きみに来てもらった理由なんだが…」
いつにもまして真剣な土井先生の眼差し。
何があったのかと私は正座で身構えた。
「罠か好機か分からないけど…」
「はい」
「きみのくれた地図を使うときがきた。」
「!」
地図。
私が土井先生に渡した…ということは、タソガレドキ城内の見取り図のことだろう。
そして、それはつまり件の巻物を奪いに潜入することを意味するとすぐに察しがついた。
「いつですか。」
「次の新月。」
「では仕事を調整しますので私も一緒に…」
「いや、利吉くんには学園でたまみを守ってもらいたい。」
「!?」
驚きのあまり、真意を探ろうと土井先生を凝視した。
見取り図を完成させるほどに城の構造を熟知した私を学園に残し、土井先生が単身で潜入するというのか…!?
「私がタソガレドキ城に行く間、山田先生と利吉くんには、タソガレドキ忍者がたまみを誘拐しにきたときのために守りをお願いしたいんだ。これを機に『しかけたのは忍術学園だ』って好機とばかりに押し入ってくるかもしれない…」
「間者でもいないかぎり潜入のことが敵に知れることはないのでは…」
「どうも今回は罠のような気がするんだよ。少し気になることがある。」
「気になること…?ですが、ここには先生方もたくさんいますし、たまみさんは忍術学園のなかにいる限り安全なのでは…。それよりも敵地を一番よく知る私が先導する方が円滑に潜入できます。」
「それはそうなんだが……」
「…?」
土井先生は何かを言い淀んでいるようだった。
「何故ですか?私は顔が割れるようなヘマはしていませんよ。」
「いや、そんな心配はしていないよ。そうじゃなくて…あの巻物は何が起きるか分からない。」
「…?」
巻物が…?
何が起きるか分からないとはどういう意味だ。
土井先生は目を伏せ…その瞳は不安に揺れていた。
「たまみをこの世界に連れてきた不思議な巻物だ。本物なら…手を出して何がどうなるか想定できない。」
「…………」
未だに信じがたいことではあるが、もし本当にその不思議な力とやらがあるならば、確かに何が起きるか想像もつかない。
「黄昏甚兵衛の夢に出て、巻物がいまタソガレドキ城にあるというのが本当に真実なら、それには何か意味があるのかもしれない。そこから奪うことで何が起きるか分からない。」
「…それは、下手に手を出してたまみさんが元の世界に還ってしまう可能性は…」
「それも随分考えたけど…おそらく、彼女が戻る条件は最初に明示されていたから…多分それはないと思う。」
「…そう、ですか…」
「しかし、もしそれが世界を越えて人を飛ばす力を持つなら…何かのはずみで手にしているものを違う世界に…それこそたまみが居た世界に飛ばすなんてこともあり得るのかもしれない。」
「…そうですね…。…しかしそれでも、たまみさんがタソガレドキに狙われることがなくなるように、巻物を奪いに行く。…ということですよね?」
「ああ。それで、話は戻るが…」
暫しの沈黙。
…何か、それほどまでに言い淀むことがあるのか。
微動だにせず座して待っていると、やがて土井先生は静かに言った。
「……万が一のとき…」
「…え?」
「万が一のときには……もし、私になにかあれば………」
土井先生は一瞬目を閉じ、また真っ直ぐに私を見た。
「……たまみを、頼む…」
「!」
真剣な眼差し。
私は驚きのあまり土井先生を凝視した。
「…万が一とは、つまり土井先生の身に何かあった場合…ということですか。」
自分の低い声が、静かな部屋に響いた。
「ここに…たまみさんのもとに帰ってこれないようなことがあれば、彼女を頼むと…そういう、ことですか。」
己の声に、目に、怒気をはらんでいるのが分かった。
土井先生は困ったように、しかし真っ直ぐに見つめ返しながら言った。
「もちろん無事に帰るつもりだ。こんなことを頼む必要もないとは思う。でも…でも、万が一。もしものときは……利吉くん、きみになら任せ」
「ふざけないでください!」
私はバンッと畳を叩いた。
「なにを弱気なことを…!!こんなこと言いたくありませんが!たまみさんが必要としてるのはあなたなんです!そんな弱気でどうするのですか!それならむしろあなたがここに残って私が巻物を…」
「落ち着け利吉。」
突然背後から肩に手を乗せられハッと我にかえった。
振り向くと父上が神妙な面持ちで立っている。
「利吉、人が突然光の中から現れるなどありえないことだ。しかし我々はそれを目の当たりにした……何が起きるか分からないからこそ、半助もたまみくんのことを案じて…」
「そんなことは分かっています!」
理屈は十分に理解できる。
しかし…しかし!
行き場のない苛立ちのような感情に拳を握った。
弱気ともとれる姿勢のうらに土井先生の真剣な覚悟が見えた。
しかし同時に、土井先生を失って涙するたまみさんの姿が脳裏を掠め胸をしめつけられた。
そんなことには…たまみさんを悲しませるようなことには決してさせたくない…!
我々は忍だ。
命の儚さは知っている…文字通り、命を『奪われる』というあの感覚…つい先刻まで生きていたのに、たった一瞬で…。
土井先生も忍だ。
もしその身に何かあれば…あるわけなどないが…、可能性の一つとしては、私が彼女を支えるつもりではあった。
今回のことに限らず、そういう気概は忍の覚悟としてずっと持っていた。
だが…しかし、これから敵地に向かうにあたって、今この局面で…兄のように慕っている土井先生から、そんな言葉を聞きたくはなかった。
矛盾する気持ちを抑えられず歯を噛みしめると、父上は土井先生を見据えて静かに言った。
「半助。潜入において敵地に詳しい者が貴重なことは言わずとも知っているな。」
「…はい。」
「ここの守備は私に任せろ…いい案がある。」
父上は自信ありげに不敵に笑った。
「だから利吉を連れていけ。そして…必ず揃って無事に帰ると約束しなさい。」
「…山田先生……」
土井先生は暫く無言で目を伏せたあと、正座のままスッと頭を下げた。
父上は小さく「うむ。」と頷くと廊下の方に目を向けた。
「さて、これでようやく揃ったかな。」
「揃う…?」
どういうことかと目線を向けると、土井先生が障子をスッとあけて廊下の向こうに手招きした。
「石川、こっちだ。」
石川…?
誰のことだ?
「土井、ちょっと待て。食堂に寄ったらこれを渡されてな…。」
「おいおい、そんなにたくさんの団子、どうしたんだ。」
「嬢ちゃんが月見団子を作ったと言ってな。運ぶのを手伝わされてんだよ。」
「ああ…もうそんな時期か。」
土井先生が親しげに話すその先には見覚えのない男が立っていた。
派手で風変わりな出で立ち…とても忍には見えないが、しかし動きは洗練されたもののそれだった。
「あ、利吉くん。紹介するよ、私の古い友人の石川五十ヱ門だ。今回の作戦には彼も同行して手伝ってくれる。」
石川五十ヱ門…?
その名に聞き覚えはあった。
確か天下の大泥棒とうたわれている男ではないか。
「石川、こちらは山田利吉くん。山田先生のご子息で今回一緒に潜入することになった。」
土井先生の言葉にあわせてスッと軽く頭を下げると、石川という男は私をじろじろと眺めた。
「…小僧、足を引っ張るなよ。」
「な…!?」
上から目線の物言いにカチンときた。
何なんだこの男は…何様だ!?
言い返してやろうとしたとき、廊下からまた一人職員室に入ってきた。
「失礼します、お茶もお持ちしました。」
たまみさんがお盆にお茶や湯飲みを乗せて持ってきてくれた。
彼女はすぐ部屋の空気がいつもと違うことに気づいて一瞬たじろいだが、私と目が合うと「あ…」と歩み寄ってきた。
「…?たまみさん、どうかしましたか?」
すると、彼女は申し訳なさそうに私の目を見つめて言った。
「あの、利吉さん…聞きました………色々と調べてくださって…すみません、ありがとうございます…」
彼女は目を伏せゆっくりと頭を下げた。
色々調べる……彼女の様子から、おそらく私が見取り図を作るために危ない橋を渡ったことを聞いたのだろう。
黙っていてほしいと土井先生に伝えていたはずなのだが…。
「たまみさん、私が勝手にやったことなので気にしないでください。」
「でも…すみません、私なにも知らずに…」
「いいんです、あなたを困らせたくなくて内緒にしたのは私なんですから。」
「利吉さん……」
不安げに揺れる彼女の瞳を覗きこみ、私は彼女の手をそっと握った。
「安心してください。このときのために、私も色々と準備してきていますので。」
安心させようと優しく微笑みかけると、彼女もまた微かに微笑んでくれた。
バシッ
すかさず土井先生が私の手を払いのけ、ずいっとたまみさんの前に割り込んだ。
その目が「どさくさにまぎれて触るな」と威嚇している。
『さっき、私にたまみさんを託すとかいってたじゃないですか。』と矢羽根をとばしてみた。
たまみさんに分からないよう言葉にはせず。
すると、土井先生はムッとした顔で矢羽根を返してきた。
『だから、万が一のとき、だ!私のいるうちは指一本触れるな!』
「少しぐらいいいでしょう、心が狭いですね。」
「狭くてけっこう!」
睨み合う私と土井先生。
すると、石川五十ヱ門が「へぇ」と口端を上げて笑った。
「土井、うかうかしてるとこっちはこっちで盗られちまいそうだな。」
「うるさいっ!」
土井先生はワッと怒りかけたが、ハッと我にかえり咳払いして座り直した。
「…話を戻そう。」
「はい。」
真剣な眼差しに私も姿勢を正して座した。
すると、全員にお茶をいれ終えたたまみさんがスッと畳に指をついて頭を下げた。
「山田先生、利吉さん、石川さん…この度は私事のためにすみません……。」
その眼差しからは、申し訳なさとともに覚悟がうかがえた。
いつもの柔らかい雰囲気と違い屹然とした空気。
うっすらと浮かぶ目の下のくま。
…きっと、彼女も随分悩んだうえでのことなのだろう。
「たまみくん、何を今さら気にしなさんな。縁あって同じ釜の飯を食べた仲間…ましてや半助の嫁になるなら私にとって家族も同然だ。」
父上はニヤリと笑って彼女と土井先生を見た。
「…ありがとうございます…。」
父上の言葉を、彼女は否定することもなく申し訳なさそうに微笑んだ。
土井先生も何も言わず同じような表情をしている。
…そう、か……そうなのか………。
私は目を閉じて深く息を吐いた。
いつかは、と…分かっていたはずだ。
それなのにこれほど心揺れる己にむしろ驚いた。
………それでも。
私は私のなすべきことをするまでだ。
「さあ、それで、どういう作戦でいきましょうか。」
私は仕事のときのように至極冷静に、話を促し打ち合わせを進めていった。
突然の呼び出し…何事かあったのか。
書かれていなかった用件が気になり足早に職員室に向かうと、声をかけるより先に職員室の障子がスッとあいた。
「利吉くん、急に呼び出してすまないね。」
「土井先生。父上に呼ばれてきたのですが…何かあったのですか。」
「…とりあえず、中で話そう。」
促されるままに入ると、父上はおらず土井先生が一人で仕事をしていたようだった。
「……利吉くん、きみに来てもらった理由なんだが…」
いつにもまして真剣な土井先生の眼差し。
何があったのかと私は正座で身構えた。
「罠か好機か分からないけど…」
「はい」
「きみのくれた地図を使うときがきた。」
「!」
地図。
私が土井先生に渡した…ということは、タソガレドキ城内の見取り図のことだろう。
そして、それはつまり件の巻物を奪いに潜入することを意味するとすぐに察しがついた。
「いつですか。」
「次の新月。」
「では仕事を調整しますので私も一緒に…」
「いや、利吉くんには学園でたまみを守ってもらいたい。」
「!?」
驚きのあまり、真意を探ろうと土井先生を凝視した。
見取り図を完成させるほどに城の構造を熟知した私を学園に残し、土井先生が単身で潜入するというのか…!?
「私がタソガレドキ城に行く間、山田先生と利吉くんには、タソガレドキ忍者がたまみを誘拐しにきたときのために守りをお願いしたいんだ。これを機に『しかけたのは忍術学園だ』って好機とばかりに押し入ってくるかもしれない…」
「間者でもいないかぎり潜入のことが敵に知れることはないのでは…」
「どうも今回は罠のような気がするんだよ。少し気になることがある。」
「気になること…?ですが、ここには先生方もたくさんいますし、たまみさんは忍術学園のなかにいる限り安全なのでは…。それよりも敵地を一番よく知る私が先導する方が円滑に潜入できます。」
「それはそうなんだが……」
「…?」
土井先生は何かを言い淀んでいるようだった。
「何故ですか?私は顔が割れるようなヘマはしていませんよ。」
「いや、そんな心配はしていないよ。そうじゃなくて…あの巻物は何が起きるか分からない。」
「…?」
巻物が…?
何が起きるか分からないとはどういう意味だ。
土井先生は目を伏せ…その瞳は不安に揺れていた。
「たまみをこの世界に連れてきた不思議な巻物だ。本物なら…手を出して何がどうなるか想定できない。」
「…………」
未だに信じがたいことではあるが、もし本当にその不思議な力とやらがあるならば、確かに何が起きるか想像もつかない。
「黄昏甚兵衛の夢に出て、巻物がいまタソガレドキ城にあるというのが本当に真実なら、それには何か意味があるのかもしれない。そこから奪うことで何が起きるか分からない。」
「…それは、下手に手を出してたまみさんが元の世界に還ってしまう可能性は…」
「それも随分考えたけど…おそらく、彼女が戻る条件は最初に明示されていたから…多分それはないと思う。」
「…そう、ですか…」
「しかし、もしそれが世界を越えて人を飛ばす力を持つなら…何かのはずみで手にしているものを違う世界に…それこそたまみが居た世界に飛ばすなんてこともあり得るのかもしれない。」
「…そうですね…。…しかしそれでも、たまみさんがタソガレドキに狙われることがなくなるように、巻物を奪いに行く。…ということですよね?」
「ああ。それで、話は戻るが…」
暫しの沈黙。
…何か、それほどまでに言い淀むことがあるのか。
微動だにせず座して待っていると、やがて土井先生は静かに言った。
「……万が一のとき…」
「…え?」
「万が一のときには……もし、私になにかあれば………」
土井先生は一瞬目を閉じ、また真っ直ぐに私を見た。
「……たまみを、頼む…」
「!」
真剣な眼差し。
私は驚きのあまり土井先生を凝視した。
「…万が一とは、つまり土井先生の身に何かあった場合…ということですか。」
自分の低い声が、静かな部屋に響いた。
「ここに…たまみさんのもとに帰ってこれないようなことがあれば、彼女を頼むと…そういう、ことですか。」
己の声に、目に、怒気をはらんでいるのが分かった。
土井先生は困ったように、しかし真っ直ぐに見つめ返しながら言った。
「もちろん無事に帰るつもりだ。こんなことを頼む必要もないとは思う。でも…でも、万が一。もしものときは……利吉くん、きみになら任せ」
「ふざけないでください!」
私はバンッと畳を叩いた。
「なにを弱気なことを…!!こんなこと言いたくありませんが!たまみさんが必要としてるのはあなたなんです!そんな弱気でどうするのですか!それならむしろあなたがここに残って私が巻物を…」
「落ち着け利吉。」
突然背後から肩に手を乗せられハッと我にかえった。
振り向くと父上が神妙な面持ちで立っている。
「利吉、人が突然光の中から現れるなどありえないことだ。しかし我々はそれを目の当たりにした……何が起きるか分からないからこそ、半助もたまみくんのことを案じて…」
「そんなことは分かっています!」
理屈は十分に理解できる。
しかし…しかし!
行き場のない苛立ちのような感情に拳を握った。
弱気ともとれる姿勢のうらに土井先生の真剣な覚悟が見えた。
しかし同時に、土井先生を失って涙するたまみさんの姿が脳裏を掠め胸をしめつけられた。
そんなことには…たまみさんを悲しませるようなことには決してさせたくない…!
我々は忍だ。
命の儚さは知っている…文字通り、命を『奪われる』というあの感覚…つい先刻まで生きていたのに、たった一瞬で…。
土井先生も忍だ。
もしその身に何かあれば…あるわけなどないが…、可能性の一つとしては、私が彼女を支えるつもりではあった。
今回のことに限らず、そういう気概は忍の覚悟としてずっと持っていた。
だが…しかし、これから敵地に向かうにあたって、今この局面で…兄のように慕っている土井先生から、そんな言葉を聞きたくはなかった。
矛盾する気持ちを抑えられず歯を噛みしめると、父上は土井先生を見据えて静かに言った。
「半助。潜入において敵地に詳しい者が貴重なことは言わずとも知っているな。」
「…はい。」
「ここの守備は私に任せろ…いい案がある。」
父上は自信ありげに不敵に笑った。
「だから利吉を連れていけ。そして…必ず揃って無事に帰ると約束しなさい。」
「…山田先生……」
土井先生は暫く無言で目を伏せたあと、正座のままスッと頭を下げた。
父上は小さく「うむ。」と頷くと廊下の方に目を向けた。
「さて、これでようやく揃ったかな。」
「揃う…?」
どういうことかと目線を向けると、土井先生が障子をスッとあけて廊下の向こうに手招きした。
「石川、こっちだ。」
石川…?
誰のことだ?
「土井、ちょっと待て。食堂に寄ったらこれを渡されてな…。」
「おいおい、そんなにたくさんの団子、どうしたんだ。」
「嬢ちゃんが月見団子を作ったと言ってな。運ぶのを手伝わされてんだよ。」
「ああ…もうそんな時期か。」
土井先生が親しげに話すその先には見覚えのない男が立っていた。
派手で風変わりな出で立ち…とても忍には見えないが、しかし動きは洗練されたもののそれだった。
「あ、利吉くん。紹介するよ、私の古い友人の石川五十ヱ門だ。今回の作戦には彼も同行して手伝ってくれる。」
石川五十ヱ門…?
その名に聞き覚えはあった。
確か天下の大泥棒とうたわれている男ではないか。
「石川、こちらは山田利吉くん。山田先生のご子息で今回一緒に潜入することになった。」
土井先生の言葉にあわせてスッと軽く頭を下げると、石川という男は私をじろじろと眺めた。
「…小僧、足を引っ張るなよ。」
「な…!?」
上から目線の物言いにカチンときた。
何なんだこの男は…何様だ!?
言い返してやろうとしたとき、廊下からまた一人職員室に入ってきた。
「失礼します、お茶もお持ちしました。」
たまみさんがお盆にお茶や湯飲みを乗せて持ってきてくれた。
彼女はすぐ部屋の空気がいつもと違うことに気づいて一瞬たじろいだが、私と目が合うと「あ…」と歩み寄ってきた。
「…?たまみさん、どうかしましたか?」
すると、彼女は申し訳なさそうに私の目を見つめて言った。
「あの、利吉さん…聞きました………色々と調べてくださって…すみません、ありがとうございます…」
彼女は目を伏せゆっくりと頭を下げた。
色々調べる……彼女の様子から、おそらく私が見取り図を作るために危ない橋を渡ったことを聞いたのだろう。
黙っていてほしいと土井先生に伝えていたはずなのだが…。
「たまみさん、私が勝手にやったことなので気にしないでください。」
「でも…すみません、私なにも知らずに…」
「いいんです、あなたを困らせたくなくて内緒にしたのは私なんですから。」
「利吉さん……」
不安げに揺れる彼女の瞳を覗きこみ、私は彼女の手をそっと握った。
「安心してください。このときのために、私も色々と準備してきていますので。」
安心させようと優しく微笑みかけると、彼女もまた微かに微笑んでくれた。
バシッ
すかさず土井先生が私の手を払いのけ、ずいっとたまみさんの前に割り込んだ。
その目が「どさくさにまぎれて触るな」と威嚇している。
『さっき、私にたまみさんを託すとかいってたじゃないですか。』と矢羽根をとばしてみた。
たまみさんに分からないよう言葉にはせず。
すると、土井先生はムッとした顔で矢羽根を返してきた。
『だから、万が一のとき、だ!私のいるうちは指一本触れるな!』
「少しぐらいいいでしょう、心が狭いですね。」
「狭くてけっこう!」
睨み合う私と土井先生。
すると、石川五十ヱ門が「へぇ」と口端を上げて笑った。
「土井、うかうかしてるとこっちはこっちで盗られちまいそうだな。」
「うるさいっ!」
土井先生はワッと怒りかけたが、ハッと我にかえり咳払いして座り直した。
「…話を戻そう。」
「はい。」
真剣な眼差しに私も姿勢を正して座した。
すると、全員にお茶をいれ終えたたまみさんがスッと畳に指をついて頭を下げた。
「山田先生、利吉さん、石川さん…この度は私事のためにすみません……。」
その眼差しからは、申し訳なさとともに覚悟がうかがえた。
いつもの柔らかい雰囲気と違い屹然とした空気。
うっすらと浮かぶ目の下のくま。
…きっと、彼女も随分悩んだうえでのことなのだろう。
「たまみくん、何を今さら気にしなさんな。縁あって同じ釜の飯を食べた仲間…ましてや半助の嫁になるなら私にとって家族も同然だ。」
父上はニヤリと笑って彼女と土井先生を見た。
「…ありがとうございます…。」
父上の言葉を、彼女は否定することもなく申し訳なさそうに微笑んだ。
土井先生も何も言わず同じような表情をしている。
…そう、か……そうなのか………。
私は目を閉じて深く息を吐いた。
いつかは、と…分かっていたはずだ。
それなのにこれほど心揺れる己にむしろ驚いた。
………それでも。
私は私のなすべきことをするまでだ。
「さあ、それで、どういう作戦でいきましょうか。」
私は仕事のときのように至極冷静に、話を促し打ち合わせを進めていった。