第21話 源氏物語
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「とりあえず、資料作りのために本を借りてきます。」
私は図書室で源氏物語を借りて、ふと思いつき作法委員にも寄ってから職員室へ戻った。
「土井先生、これに着替えてください。」
「これは…?」
「何事も、やるからには全力で、です!廊下で待ってますね。」
そう言いきって廊下で待っていると、暫くして土井先生が職員室の障子を開けた。
「たまみさん?とりあえず着てみましたが…」
「…!!!」
所在無さげに職員室の中に立つ彼は貴族の格好…光源氏の姿をしていた。
「ま、まさに光の君…!!!」
あまりの素敵さに驚き固まってしまった。
「たまみさん…これは…」
困惑気味の土井先生にハッと我にかえり、私は慌ててもっともらしく説明した。
「ほら、あれですよ!源氏物語を教えるとき、実際に登場人物になりきったほうが皆覚えてくれるかな~なんて思いまして。」
「登場人物にって…こんな格好しなくても」
「まぁまぁ。生徒の記憶に残す為ですから」
正直に言えば、私がただ土井先生の貴族姿を見てみたかっただけだった。
ああ、いつもの忍装束も素敵だけど。
平安貴族風の土井先生もいい…!
予想通りよく似合って…いや予想以上。
光源氏が本当にいたらこんな感じかも…あーこれは周りが放っておかないわ本当に。
などと嵐のごとく高鳴る私の胸のうちを知らず、土井先生は困ったように苦笑しながらも諦めて受け入れてくれたのか、借りてきた源氏物語のページをぱらぱらとめくった。
「『物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや 』…」
土井先生が光源氏の詠んだ歌を口ずさんだ。
「それはどういう意味ですか?」
「『犯した罪もあなたへの想いもすべての気持ちをこめて踊った僕の気持ちを分かってもらえますか?』…という叶わぬ恋の切なく情熱的な歌…ですね。」
静かに説明する落ち着いた声音、
伏し目がちに本を見る知的な表情…
そしてそんな恋文のような言葉。
私は、自分に言われているわけでもないのに見惚れて言葉を失った。
すると文字を追っていた彼の瞳がフッとこちらに向けられてぱちりと目があった。
恥ずかしくて思わず不自然に目をそらしてしまい、赤くなる顔を隠したくて手で顔を多い咳き込んだ。
すると土井先生が少し照れた面持ちで頭をかきながら
「ちょっと一年は組の生徒にはまだ早い話ですね。」
と笑ったので、私もまた「た、たしかに…!」 とどぎまぎしながら返した。
「うーん、話の内容も……自分の父親が妻に迎えた女性…義理の母親に恋をして子どもまでできてしまうとか、一年生の授業で話すにはちょっと…他のくだりをかいつまんで説明するとか工夫がいりますねぇ。」
「そうですねぇ。」
真面目に頷き同意しながら、土井先生が格好よすぎて意識がそれる。
…いやしかし、もし土井先生が義理の息子ならそういう事態もやむなしでは…。
ハッ!
だめだめ、土井先生はちゃんと真面目に授業のことを考えているのに私ってば何を不埒な…!
自戒して私は別の冊子を手に取り、ふと目に留まった和歌を読んでみた。
「『おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るゝ 萩の上露』…」
どういう意味かなと考えていると、土井先生がハッとした表情ですぐに返歌を返してくれた。
「…『ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな』」
土井先生は手に取っていた本を置き、こちらへ向き直った。
「…たまみさん、それは紫の上が自分の最期を悟って詠んだ歌ですね。」
「んー…目についたところを読んでみただけなんですけど……光源氏の返歌を何も見ずに諳じるとはさすが土井先生、博識で…」
驚いて顔を向けると、土井先生が真剣な眼差しで私を見つめていた。
真っ直ぐな視線に射ぬかれて固まると、土井先生が静かに呟いた。
「……たとえ本を読みあげただけだとしても」
土井先生が一歩前に踏み出す。
近すぎる距離に息が止まる。
「あなたの口から最期の言葉なんて聞きたくない……」
土井先生の腕がゆっくりと私に伸ばされた。
「…そんな、縁起でもないこと…言わないでください。」
突如、抱きしめられた。
それはとても強く…痛いくらいの抱擁。
「……!」
苦しくて身じろぎしようとしたが、土井先生はぴくりとも動かなかった。
…どうしたのだろう。
いつもと雰囲気が違う気がした。
たしか、光源氏の愛した紫の上は病に伏して自らの死を前に歌を詠み…光源氏は、自分を一人残して逝くなと返す。
…もしかして、土井先生は、大事な人を失ったことが…?
…そういえば、家族の話を、土井先生から聞いたことがない…。
「……………。」
私は傍に居ると返したかった。
土井先生を残していなくなったりしないと。
けれど、自分がいつこの世界から消えてもとの世界に戻るとも分からない私には何と言葉にしてよいかわからず…。
私はただ、土井先生の胸に頬を寄せてそっと抱きしめ返した。
土井先生もまた何も言わず、ただ私をその腕のなかに閉じ込めていた。
そしてどれくらい経っただろう。
暫くして、私は呟いた。
「私…ほんとは、源氏物語ってあまり好きじゃないんです。」
「…何故ですか?」
「私はやきもち焼きだから、光源氏のように色んな女性のところに行かれると気が気じゃありません。…でも…」
私は土井先生の目を見つめ返した。
「きっと…苦しいと分かっていても惹かれるくらい素敵だったんでしょうね…」
「………」
「土井先生がもし平安貴族だったら、ほんとに光源氏のようになれたかもですね。」
半ば本気で笑ってそう言うと、土井先生はゆっくり首をふった。
「私はそんな器用な人間じゃないですよ。…愛する人は、一人だけです。」
真剣なその目に、私は息をするのも忘れて魅入ってしまった。
土井先生が私の髪にそっと触れる。
「…それに、いつもやきもちをやいているのは私の方です。」
「え?」
土井先生の言葉は小さすぎて、私は聞き取れなかった。
すると土井先生はフッと笑って
「…いえ。…さぁ、授業の準備をしましょうか。」
そうして私達は、源氏物語の概要をまとめたプリントを作って翌日の授業に備えた。
私は図書室で源氏物語を借りて、ふと思いつき作法委員にも寄ってから職員室へ戻った。
「土井先生、これに着替えてください。」
「これは…?」
「何事も、やるからには全力で、です!廊下で待ってますね。」
そう言いきって廊下で待っていると、暫くして土井先生が職員室の障子を開けた。
「たまみさん?とりあえず着てみましたが…」
「…!!!」
所在無さげに職員室の中に立つ彼は貴族の格好…光源氏の姿をしていた。
「ま、まさに光の君…!!!」
あまりの素敵さに驚き固まってしまった。
「たまみさん…これは…」
困惑気味の土井先生にハッと我にかえり、私は慌ててもっともらしく説明した。
「ほら、あれですよ!源氏物語を教えるとき、実際に登場人物になりきったほうが皆覚えてくれるかな~なんて思いまして。」
「登場人物にって…こんな格好しなくても」
「まぁまぁ。生徒の記憶に残す為ですから」
正直に言えば、私がただ土井先生の貴族姿を見てみたかっただけだった。
ああ、いつもの忍装束も素敵だけど。
平安貴族風の土井先生もいい…!
予想通りよく似合って…いや予想以上。
光源氏が本当にいたらこんな感じかも…あーこれは周りが放っておかないわ本当に。
などと嵐のごとく高鳴る私の胸のうちを知らず、土井先生は困ったように苦笑しながらも諦めて受け入れてくれたのか、借りてきた源氏物語のページをぱらぱらとめくった。
「『物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや 』…」
土井先生が光源氏の詠んだ歌を口ずさんだ。
「それはどういう意味ですか?」
「『犯した罪もあなたへの想いもすべての気持ちをこめて踊った僕の気持ちを分かってもらえますか?』…という叶わぬ恋の切なく情熱的な歌…ですね。」
静かに説明する落ち着いた声音、
伏し目がちに本を見る知的な表情…
そしてそんな恋文のような言葉。
私は、自分に言われているわけでもないのに見惚れて言葉を失った。
すると文字を追っていた彼の瞳がフッとこちらに向けられてぱちりと目があった。
恥ずかしくて思わず不自然に目をそらしてしまい、赤くなる顔を隠したくて手で顔を多い咳き込んだ。
すると土井先生が少し照れた面持ちで頭をかきながら
「ちょっと一年は組の生徒にはまだ早い話ですね。」
と笑ったので、私もまた「た、たしかに…!」 とどぎまぎしながら返した。
「うーん、話の内容も……自分の父親が妻に迎えた女性…義理の母親に恋をして子どもまでできてしまうとか、一年生の授業で話すにはちょっと…他のくだりをかいつまんで説明するとか工夫がいりますねぇ。」
「そうですねぇ。」
真面目に頷き同意しながら、土井先生が格好よすぎて意識がそれる。
…いやしかし、もし土井先生が義理の息子ならそういう事態もやむなしでは…。
ハッ!
だめだめ、土井先生はちゃんと真面目に授業のことを考えているのに私ってば何を不埒な…!
自戒して私は別の冊子を手に取り、ふと目に留まった和歌を読んでみた。
「『おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るゝ 萩の上露』…」
どういう意味かなと考えていると、土井先生がハッとした表情ですぐに返歌を返してくれた。
「…『ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな』」
土井先生は手に取っていた本を置き、こちらへ向き直った。
「…たまみさん、それは紫の上が自分の最期を悟って詠んだ歌ですね。」
「んー…目についたところを読んでみただけなんですけど……光源氏の返歌を何も見ずに諳じるとはさすが土井先生、博識で…」
驚いて顔を向けると、土井先生が真剣な眼差しで私を見つめていた。
真っ直ぐな視線に射ぬかれて固まると、土井先生が静かに呟いた。
「……たとえ本を読みあげただけだとしても」
土井先生が一歩前に踏み出す。
近すぎる距離に息が止まる。
「あなたの口から最期の言葉なんて聞きたくない……」
土井先生の腕がゆっくりと私に伸ばされた。
「…そんな、縁起でもないこと…言わないでください。」
突如、抱きしめられた。
それはとても強く…痛いくらいの抱擁。
「……!」
苦しくて身じろぎしようとしたが、土井先生はぴくりとも動かなかった。
…どうしたのだろう。
いつもと雰囲気が違う気がした。
たしか、光源氏の愛した紫の上は病に伏して自らの死を前に歌を詠み…光源氏は、自分を一人残して逝くなと返す。
…もしかして、土井先生は、大事な人を失ったことが…?
…そういえば、家族の話を、土井先生から聞いたことがない…。
「……………。」
私は傍に居ると返したかった。
土井先生を残していなくなったりしないと。
けれど、自分がいつこの世界から消えてもとの世界に戻るとも分からない私には何と言葉にしてよいかわからず…。
私はただ、土井先生の胸に頬を寄せてそっと抱きしめ返した。
土井先生もまた何も言わず、ただ私をその腕のなかに閉じ込めていた。
そしてどれくらい経っただろう。
暫くして、私は呟いた。
「私…ほんとは、源氏物語ってあまり好きじゃないんです。」
「…何故ですか?」
「私はやきもち焼きだから、光源氏のように色んな女性のところに行かれると気が気じゃありません。…でも…」
私は土井先生の目を見つめ返した。
「きっと…苦しいと分かっていても惹かれるくらい素敵だったんでしょうね…」
「………」
「土井先生がもし平安貴族だったら、ほんとに光源氏のようになれたかもですね。」
半ば本気で笑ってそう言うと、土井先生はゆっくり首をふった。
「私はそんな器用な人間じゃないですよ。…愛する人は、一人だけです。」
真剣なその目に、私は息をするのも忘れて魅入ってしまった。
土井先生が私の髪にそっと触れる。
「…それに、いつもやきもちをやいているのは私の方です。」
「え?」
土井先生の言葉は小さすぎて、私は聞き取れなかった。
すると土井先生はフッと笑って
「…いえ。…さぁ、授業の準備をしましょうか。」
そうして私達は、源氏物語の概要をまとめたプリントを作って翌日の授業に備えた。