第16話 おかえりなさい
お名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「たまみさん、ちょっと出張に行ってきます。2~3日あけますが、何かあれば山田先生に言ってください。」
近所におつかいに行くかのような土井先生の言葉を、私は何度も鮮明に思い出した。
私は土井先生が出張の間、彼の代わりに授業で算数を教えていた。
1年生の内容は私でも分かるものだったので、土井先生が戻ってきたときに授業が遅れていることのないよう頑張って教えた。
みんなは、私が授業をするのが珍しく最初こそきちんと聞いてくれていたけれど、途中からはいつも通りの展開となり苦労した。
3日目。
土井先生はまだ帰ってこなかった。
私は物音がすれば土井先生ではないかと振り返り、気づけば夜になっていた。
「山田先生、土井先生はまだ帰らないのでしょうか。」
「予定が変わって遅くなることもある。…そんな顔をしなくても、ちゃんと帰ってくるからもう寝なさい。」
「…わかりました。」
それ以上の質問はしてくれるなと、そんな空気を感じて言葉を飲み込んだ。
山田先生の背中からはなんの感情も読み取れない。
私が忍びの世界に詳しくないだけで、もしかしたら、戻りが遅くなることは本当によくあるのかもしれない。
けれど…けれど、もしかしたら。
土井先生の身に何かがあったのかもしれない。
私は、心配でしょうがなかった。
自室で明日の授業の準備をして気を紛らわせてみる。
それでもどうしても土井先生のことが気になってしまい、私は筆を置いてため息をついた。
「土井先生…」
何度となく呟いたその名前。
私は頭を振った。
いや、だめだ。
…考えて解決策が出せるならとことん考えるべきだけれど、いまはそうじゃない。
今、土井先生のために私ができることは。
土井先生の留守を預かる身として、こうして授業を頑張ることだ…!
そうやって自分を励まし筆をとる。
しかし、心はどうしても理屈通りには動いてくれなくて。
土井先生が傍にいないことの不安。
彼の身になにかあったのではないかという心配。
それは私の心をどうしようもなく揺さぶり……私は無理矢理布団に入って目を閉じた。
4日目。
一年は組の良い子達からも心配だという声が出始めた。
私は、『みんなの自慢の先生なんだから、ちゃんと無事に帰ってきます。そのときに怒られないよう、きっちり宿題をしておくように。』と努めて明るく皆を元気づけるようふるまった。
6日目。
一年は組の子達は何も言わなくなった。
その無言の視線が逆に辛かったが、私は気づかないふりをして授業を進めた。
午後、土井先生の座るべき机に私が座り、山田先生と書類整理をしていると突然、利吉さんがやってきた。
「父上、土井先生が出張からまだ戻らないと聞きましたが。」
「あぁ、その件でお前を呼んだんだ。」
「どこへ出張に行かれたのですか?」
山田先生が出張先を告げると、利吉さんの表情がくもった。
「そこは、ちょうど近くで激しい戦があった場所です。何らかの形で巻き込まれた可能性も…。」
激しい戦?
巻き込まれたって、まさか大怪我をしたとか…!?
私が動揺して固まると、山田先生が私の肩に手を置いた。
「落ち着きなさい、半助ならきっと大丈夫だ。」
「…………」
土井先生の強さは知っている。
でも、土井先生は優しすぎるから、誰かをかばって怪我をするとかあるかもしれないし…!
想像するだけで、ぽろぽろと涙がこぼれた。
声を押し殺して固く目を閉じ両手で顔を覆うと、利吉さんが私の前に片膝をついて静かに言った。
「たまみさん、土井先生は優秀な忍者です。何か帰れない事情ができたのでしょう。…私が様子をみてきますから……どうか、泣かないでください。」
優しく落ち着いたその言葉に、私は頷いて涙をぬぐった。
山田先生が利吉さんの目を真っ直ぐに見つめる。
「利吉、…頼んだぞ。」
「はい、もちろんです。」
利吉さんはスッと立ち上がりすぐに出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は自分の無力さを痛感した。
こんなに心配なのに、何もできない…。
探しに行くことも、探すための協力をすることもできない。
ただ待つことしかできない自分が、やるせなかった。
その夜。
私は眠れずに月を見ていた。
最初にこの世界に来た夜、不安で泣いていた私を土井先生が大丈夫だと慰めてくれたあの日を思い出す。
頬を撫でる冷たい風も気にならず、私は一人座っていた。
「風邪をひくぞ。」
肩にかけられた半纏にびっくりして振り返った。
「ど…!」
違う。
土井先生ではなかった。
あの夜と同じ半纏の温かさに、私は土井先生が帰ってきたのかと思ったが、そこに立っていたのは山田先生だった。
「山田先生…!」
「そんな顔をするな。」
山田先生は隣に座った。
「利吉が探しに行ったから、何らかの情報はすぐに分かるだろう。」
「はい…」
「たまみくん。」
山田先生はこちらに向き直り私を真っ直ぐに見据えた。
「忍びとして生きる限り、死は常に隣り合わせであると覚悟しておかなくてはならない。」
「………」
「もし、半助と共に在ろうとするのなら…そう思ってくれるなら、そのことはしっかり肝に命じておいてほしい。」
泣くまいと思っていたが、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「だがな、」
山田先生は優しい口調になった。
「あいつは、半助は、大事な人間を残してそう簡単に死ぬような奴ではない。忍びとしての腕前も私が十分認めるほどだ。…たまみくんも、半助を、信じてやってくれ。」
山田先生は力強く言った。
「帰ってきたときに笑顔で出迎えてくれる存在が、どれほど嬉しいか…。だからたまみくんには元気で半助を待っていてもらいたい。」
「…はい。」
「よし。…では、もう布団に入って明日に備えなさい。休めるときに休んでおくのも大事な仕事のひとつだ。」
「わかりました…。」
私は涙をふいて立ち上がった。
「すみません…ありがとうございます。」
「留守の間たまみくんを頼むと、半助からも言われているからな。風邪をひかせてはわしが怒られる。」
肩をすくめる山田先生の表情は見えなかったけれど、その声音はとても優しかった。
私は、山田先生の言葉を何度も反芻しながら、眠りにつこうと目を閉じた。
近所におつかいに行くかのような土井先生の言葉を、私は何度も鮮明に思い出した。
私は土井先生が出張の間、彼の代わりに授業で算数を教えていた。
1年生の内容は私でも分かるものだったので、土井先生が戻ってきたときに授業が遅れていることのないよう頑張って教えた。
みんなは、私が授業をするのが珍しく最初こそきちんと聞いてくれていたけれど、途中からはいつも通りの展開となり苦労した。
3日目。
土井先生はまだ帰ってこなかった。
私は物音がすれば土井先生ではないかと振り返り、気づけば夜になっていた。
「山田先生、土井先生はまだ帰らないのでしょうか。」
「予定が変わって遅くなることもある。…そんな顔をしなくても、ちゃんと帰ってくるからもう寝なさい。」
「…わかりました。」
それ以上の質問はしてくれるなと、そんな空気を感じて言葉を飲み込んだ。
山田先生の背中からはなんの感情も読み取れない。
私が忍びの世界に詳しくないだけで、もしかしたら、戻りが遅くなることは本当によくあるのかもしれない。
けれど…けれど、もしかしたら。
土井先生の身に何かがあったのかもしれない。
私は、心配でしょうがなかった。
自室で明日の授業の準備をして気を紛らわせてみる。
それでもどうしても土井先生のことが気になってしまい、私は筆を置いてため息をついた。
「土井先生…」
何度となく呟いたその名前。
私は頭を振った。
いや、だめだ。
…考えて解決策が出せるならとことん考えるべきだけれど、いまはそうじゃない。
今、土井先生のために私ができることは。
土井先生の留守を預かる身として、こうして授業を頑張ることだ…!
そうやって自分を励まし筆をとる。
しかし、心はどうしても理屈通りには動いてくれなくて。
土井先生が傍にいないことの不安。
彼の身になにかあったのではないかという心配。
それは私の心をどうしようもなく揺さぶり……私は無理矢理布団に入って目を閉じた。
4日目。
一年は組の良い子達からも心配だという声が出始めた。
私は、『みんなの自慢の先生なんだから、ちゃんと無事に帰ってきます。そのときに怒られないよう、きっちり宿題をしておくように。』と努めて明るく皆を元気づけるようふるまった。
6日目。
一年は組の子達は何も言わなくなった。
その無言の視線が逆に辛かったが、私は気づかないふりをして授業を進めた。
午後、土井先生の座るべき机に私が座り、山田先生と書類整理をしていると突然、利吉さんがやってきた。
「父上、土井先生が出張からまだ戻らないと聞きましたが。」
「あぁ、その件でお前を呼んだんだ。」
「どこへ出張に行かれたのですか?」
山田先生が出張先を告げると、利吉さんの表情がくもった。
「そこは、ちょうど近くで激しい戦があった場所です。何らかの形で巻き込まれた可能性も…。」
激しい戦?
巻き込まれたって、まさか大怪我をしたとか…!?
私が動揺して固まると、山田先生が私の肩に手を置いた。
「落ち着きなさい、半助ならきっと大丈夫だ。」
「…………」
土井先生の強さは知っている。
でも、土井先生は優しすぎるから、誰かをかばって怪我をするとかあるかもしれないし…!
想像するだけで、ぽろぽろと涙がこぼれた。
声を押し殺して固く目を閉じ両手で顔を覆うと、利吉さんが私の前に片膝をついて静かに言った。
「たまみさん、土井先生は優秀な忍者です。何か帰れない事情ができたのでしょう。…私が様子をみてきますから……どうか、泣かないでください。」
優しく落ち着いたその言葉に、私は頷いて涙をぬぐった。
山田先生が利吉さんの目を真っ直ぐに見つめる。
「利吉、…頼んだぞ。」
「はい、もちろんです。」
利吉さんはスッと立ち上がりすぐに出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は自分の無力さを痛感した。
こんなに心配なのに、何もできない…。
探しに行くことも、探すための協力をすることもできない。
ただ待つことしかできない自分が、やるせなかった。
その夜。
私は眠れずに月を見ていた。
最初にこの世界に来た夜、不安で泣いていた私を土井先生が大丈夫だと慰めてくれたあの日を思い出す。
頬を撫でる冷たい風も気にならず、私は一人座っていた。
「風邪をひくぞ。」
肩にかけられた半纏にびっくりして振り返った。
「ど…!」
違う。
土井先生ではなかった。
あの夜と同じ半纏の温かさに、私は土井先生が帰ってきたのかと思ったが、そこに立っていたのは山田先生だった。
「山田先生…!」
「そんな顔をするな。」
山田先生は隣に座った。
「利吉が探しに行ったから、何らかの情報はすぐに分かるだろう。」
「はい…」
「たまみくん。」
山田先生はこちらに向き直り私を真っ直ぐに見据えた。
「忍びとして生きる限り、死は常に隣り合わせであると覚悟しておかなくてはならない。」
「………」
「もし、半助と共に在ろうとするのなら…そう思ってくれるなら、そのことはしっかり肝に命じておいてほしい。」
泣くまいと思っていたが、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「だがな、」
山田先生は優しい口調になった。
「あいつは、半助は、大事な人間を残してそう簡単に死ぬような奴ではない。忍びとしての腕前も私が十分認めるほどだ。…たまみくんも、半助を、信じてやってくれ。」
山田先生は力強く言った。
「帰ってきたときに笑顔で出迎えてくれる存在が、どれほど嬉しいか…。だからたまみくんには元気で半助を待っていてもらいたい。」
「…はい。」
「よし。…では、もう布団に入って明日に備えなさい。休めるときに休んでおくのも大事な仕事のひとつだ。」
「わかりました…。」
私は涙をふいて立ち上がった。
「すみません…ありがとうございます。」
「留守の間たまみくんを頼むと、半助からも言われているからな。風邪をひかせてはわしが怒られる。」
肩をすくめる山田先生の表情は見えなかったけれど、その声音はとても優しかった。
私は、山田先生の言葉を何度も反芻しながら、眠りにつこうと目を閉じた。