第36話 きみの幸せ
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「土井先生、お話があるのですが…」
「!…はい、何でしょう。」
私は思いきって、土井先生がよそよそしくなった理由を聞いてみることにした。
ただ、昼間は生徒がよく来るので話しにくい。
今夜は山田先生が夜の見回り当番であることを確認したうえで、勇気を出して切り出してみた。
「今夜、山田先生が見回りに出たら、そこの壁をこんこんって叩いて貰えますか?そしたらこちらにお伺いしますので…。」
土井先生は驚いた顔をしたあと、少し考えてから「わかりました」と答えてくれた。
夜。
約束通り、壁がこんこんと鳴った。
私は緊張しながら「失礼します」と言って土井先生の待つ部屋に入った。
「あの、夜分にすみません…。」
遠慮がちに謝ると、土井先生は困ったような笑顔で「いえ。」と短く答えた。
私は促されるままに座ると、畳に目線を落とした後、覚悟を決めて土井先生の目を見た。
「土井先生、私…何かお気にさわるようなことをしたでしょうか?」
土井先生は動揺したように見えた。
何かを言いかけて口を閉じ、目をそらす。
私は更に続けた。
「あの……すみません、何かよくないところがあったなら直します…。」
「………そうじゃないんだ…。」
土井先生は大きく息を吐くと、少し目線をさ迷わせてから、私を真っ直ぐに見た。
「この前、金楽寺に出張に行った帰り…」
金楽寺?
聞き覚えのある名前…。
「!」
私はその名を思い出した。
そして、次に出てくる言葉を予想した。
「…きみと、利吉くんを見たんだ。」
土井先生の目は私を見つめているけれど、私にはその感情を読み取ることが出来なかった。
「あれは…!違うんです…!」
「いや、いいんだ。」
説明しようとする私を、土井先生は片手で制した。
「利吉くんなら…たまみさんを…きみを、幸せにできると思う。…私よりも、ずっと。」
「え……?」
土井先生の言っている意味が、よく分からなかった。
「利吉くんのことは、小さい頃から知っているんだ。…彼になら、きみを任せても……。」
土井先生は膝の上で握っていた拳をといて、私の頭にぽんと乗せた。
「…私は、たまみさんに幸せになってもらいたい。…利吉くんなら、大丈夫だよ。」
ぽたっ
膝に落ちた雫で、自分が泣いていることに気がついた。
「…たまみさん?」
土井先生が私の涙を見て動揺する。
「…土井先生は……私が…利吉さんと…一緒になっても、構わないと…そういう、ことですか…?」
否定してほしかった。
そうじゃない、と…
「………」
けれど。
土井先生は、下を向いて答えなかった。
「…土井先生は……それでもいいと…?」
沈黙が続いた。
私はこぼれる涙を手の甲でぬぐった。
沈黙が…彼の答え。
「……わりました……。すみません、私、勘違いして……勝手に、土井先生も私と同じ気持ちだったらいいな…なんて…。」
…私は、自惚れていた。
土井先生が私に向けてくれる目は、もしかしたら私が彼を見る目と同じではないかと思っていた。
でもそれはひょっとして、行き場のない子猫を拾ったのと同じようなものだったのか。
愛情ではなく、ただの愛着のような…拾って懐いた猫を愛でるような…そんな気持ちだったのか。
ショックだった。
想いを寄せる人から、他の人のところへいけばいいと言われたことが。
よそよそしくなったのは、私と距離を置こうとしたからだったのか…。
私は考えがまとまらず、声が漏れないように押し殺して涙をこらえた。
「…たまみさん…」
土井先生が私の涙をぬぐおうと手を伸ばした。
でも私はその手をそっと払いのけた。
「………っ」
言葉にならなくて、私はぎゅっと目を閉じ首を振った。
手の甲で涙を拭いて立ち上がり、土井先生に背を向けた。
…土井先生がよそよそしくなった理由は分かった。
そして、土井先生の気持ちも。
もうこれ以上長居する必要はない。
障子に手をかけて、でもそこで立ち止まる。
「………私は…」
ただ、伝えておきたかった。
「でも、私は…土井先生を……」
好きだといいかけて、言葉を止めた。
言えば、優しい土井先生を困らせてしまうのではないか。
ここ数日、態度が違って見えたのは土井先生が私の気持ちを慮ってどう言うべきか悩んでいたからかもしれない。
私は唇を結び、土井先生に背を向けたまま小さく言った。
「…いえ、夜分に失礼しました。…おやすみなさ」
言い終わる直前。
突然、後ろから抱き締められた。
「!?」
力強い腕が、私の肩をきつく抱き寄せる。
「……ダメだ」
土井先生の低く切羽詰まった声が耳元に響く。
「…やっぱり、無理だ…!」
土井先生が私を苦しいほどに抱き締めた。
「どい…せんせ…?!」
「きみを…他の男に渡すなんて…やっぱり耐えられない!」
土井先生の腕に更に力が入った。
私の目から、また涙がこぼれ落ちる。
「きみの幸せを考えれば、私といるべきではないのかもしれないのに…!私は…私は、自分の気持ちよりきみの幸せを優先すべきなのに…!」
「!」
私はゆっくり振り返り土井先生を見上げた。
土井先生の瞳は切なそうに揺れていた。
彼の手のひらが躊躇いがちにそっと私の頬に触れる。
その親指が、私の涙を優しく拭った。
「…きみを……」
彼の指が私の頬をそっと撫でた。
「きみを……私のものにしていいのだろうか…。」
真っ直ぐな瞳が私を覗き込む。
私は、土井先生の目を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「…たまみさん…」
「土井先生…」
自然とひかれあうように土井先生の顔がゆっくり近づいてきて…私は目を閉じて…。
そして唇が触れる直前
カタッ
びくっとして、土井先生と私の肩が揺れた。
振り向いて障子を見たけれど、障子はぴったりと閉まっていて何もなかった。
「今のは…?」
「…山田先生だ。」
「えっ!」
しまった。
もう見回りから戻られて…聞かれていた!?
「一旦障子に手をかけて、我々の気配に気づいてすぐ去っていかれたよ。」
土井先生が苦笑して頭をかいた。
「矢羽音で、もう一周見回りしてくる、って。」
私は真っ赤になって俯いた。
また山田先生に変なところを…!
こんなことなら土井先生に私の部屋へ来てもらえばよかった…!
いやでも「夜に私の部屋に来てください」とお願いするのも何だか破廉恥な…!
いやいや自分が押しかける方がもっと…?
え、まさか私が夜這いに来たとか勘違いされてないよね…?
私は焦って、どうしようと土井先生を見上げた。
土井先生は頬をかいて困ったように恥ずかしそうに笑っていた。
その目は、いつもの優しい土井先生のもので…。
そうして気づけば私も一緒に笑っていた。
「!…はい、何でしょう。」
私は思いきって、土井先生がよそよそしくなった理由を聞いてみることにした。
ただ、昼間は生徒がよく来るので話しにくい。
今夜は山田先生が夜の見回り当番であることを確認したうえで、勇気を出して切り出してみた。
「今夜、山田先生が見回りに出たら、そこの壁をこんこんって叩いて貰えますか?そしたらこちらにお伺いしますので…。」
土井先生は驚いた顔をしたあと、少し考えてから「わかりました」と答えてくれた。
夜。
約束通り、壁がこんこんと鳴った。
私は緊張しながら「失礼します」と言って土井先生の待つ部屋に入った。
「あの、夜分にすみません…。」
遠慮がちに謝ると、土井先生は困ったような笑顔で「いえ。」と短く答えた。
私は促されるままに座ると、畳に目線を落とした後、覚悟を決めて土井先生の目を見た。
「土井先生、私…何かお気にさわるようなことをしたでしょうか?」
土井先生は動揺したように見えた。
何かを言いかけて口を閉じ、目をそらす。
私は更に続けた。
「あの……すみません、何かよくないところがあったなら直します…。」
「………そうじゃないんだ…。」
土井先生は大きく息を吐くと、少し目線をさ迷わせてから、私を真っ直ぐに見た。
「この前、金楽寺に出張に行った帰り…」
金楽寺?
聞き覚えのある名前…。
「!」
私はその名を思い出した。
そして、次に出てくる言葉を予想した。
「…きみと、利吉くんを見たんだ。」
土井先生の目は私を見つめているけれど、私にはその感情を読み取ることが出来なかった。
「あれは…!違うんです…!」
「いや、いいんだ。」
説明しようとする私を、土井先生は片手で制した。
「利吉くんなら…たまみさんを…きみを、幸せにできると思う。…私よりも、ずっと。」
「え……?」
土井先生の言っている意味が、よく分からなかった。
「利吉くんのことは、小さい頃から知っているんだ。…彼になら、きみを任せても……。」
土井先生は膝の上で握っていた拳をといて、私の頭にぽんと乗せた。
「…私は、たまみさんに幸せになってもらいたい。…利吉くんなら、大丈夫だよ。」
ぽたっ
膝に落ちた雫で、自分が泣いていることに気がついた。
「…たまみさん?」
土井先生が私の涙を見て動揺する。
「…土井先生は……私が…利吉さんと…一緒になっても、構わないと…そういう、ことですか…?」
否定してほしかった。
そうじゃない、と…
「………」
けれど。
土井先生は、下を向いて答えなかった。
「…土井先生は……それでもいいと…?」
沈黙が続いた。
私はこぼれる涙を手の甲でぬぐった。
沈黙が…彼の答え。
「……わりました……。すみません、私、勘違いして……勝手に、土井先生も私と同じ気持ちだったらいいな…なんて…。」
…私は、自惚れていた。
土井先生が私に向けてくれる目は、もしかしたら私が彼を見る目と同じではないかと思っていた。
でもそれはひょっとして、行き場のない子猫を拾ったのと同じようなものだったのか。
愛情ではなく、ただの愛着のような…拾って懐いた猫を愛でるような…そんな気持ちだったのか。
ショックだった。
想いを寄せる人から、他の人のところへいけばいいと言われたことが。
よそよそしくなったのは、私と距離を置こうとしたからだったのか…。
私は考えがまとまらず、声が漏れないように押し殺して涙をこらえた。
「…たまみさん…」
土井先生が私の涙をぬぐおうと手を伸ばした。
でも私はその手をそっと払いのけた。
「………っ」
言葉にならなくて、私はぎゅっと目を閉じ首を振った。
手の甲で涙を拭いて立ち上がり、土井先生に背を向けた。
…土井先生がよそよそしくなった理由は分かった。
そして、土井先生の気持ちも。
もうこれ以上長居する必要はない。
障子に手をかけて、でもそこで立ち止まる。
「………私は…」
ただ、伝えておきたかった。
「でも、私は…土井先生を……」
好きだといいかけて、言葉を止めた。
言えば、優しい土井先生を困らせてしまうのではないか。
ここ数日、態度が違って見えたのは土井先生が私の気持ちを慮ってどう言うべきか悩んでいたからかもしれない。
私は唇を結び、土井先生に背を向けたまま小さく言った。
「…いえ、夜分に失礼しました。…おやすみなさ」
言い終わる直前。
突然、後ろから抱き締められた。
「!?」
力強い腕が、私の肩をきつく抱き寄せる。
「……ダメだ」
土井先生の低く切羽詰まった声が耳元に響く。
「…やっぱり、無理だ…!」
土井先生が私を苦しいほどに抱き締めた。
「どい…せんせ…?!」
「きみを…他の男に渡すなんて…やっぱり耐えられない!」
土井先生の腕に更に力が入った。
私の目から、また涙がこぼれ落ちる。
「きみの幸せを考えれば、私といるべきではないのかもしれないのに…!私は…私は、自分の気持ちよりきみの幸せを優先すべきなのに…!」
「!」
私はゆっくり振り返り土井先生を見上げた。
土井先生の瞳は切なそうに揺れていた。
彼の手のひらが躊躇いがちにそっと私の頬に触れる。
その親指が、私の涙を優しく拭った。
「…きみを……」
彼の指が私の頬をそっと撫でた。
「きみを……私のものにしていいのだろうか…。」
真っ直ぐな瞳が私を覗き込む。
私は、土井先生の目を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「…たまみさん…」
「土井先生…」
自然とひかれあうように土井先生の顔がゆっくり近づいてきて…私は目を閉じて…。
そして唇が触れる直前
カタッ
びくっとして、土井先生と私の肩が揺れた。
振り向いて障子を見たけれど、障子はぴったりと閉まっていて何もなかった。
「今のは…?」
「…山田先生だ。」
「えっ!」
しまった。
もう見回りから戻られて…聞かれていた!?
「一旦障子に手をかけて、我々の気配に気づいてすぐ去っていかれたよ。」
土井先生が苦笑して頭をかいた。
「矢羽音で、もう一周見回りしてくる、って。」
私は真っ赤になって俯いた。
また山田先生に変なところを…!
こんなことなら土井先生に私の部屋へ来てもらえばよかった…!
いやでも「夜に私の部屋に来てください」とお願いするのも何だか破廉恥な…!
いやいや自分が押しかける方がもっと…?
え、まさか私が夜這いに来たとか勘違いされてないよね…?
私は焦って、どうしようと土井先生を見上げた。
土井先生は頬をかいて困ったように恥ずかしそうに笑っていた。
その目は、いつもの優しい土井先生のもので…。
そうして気づけば私も一緒に笑っていた。