別章
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二度目の約束の、数日前。
空も私の心を表したように雲がかかっていて、洗濯物を外に干すか、迷うような天気だったのを覚えている。
この日から、約束の日にかけて、二つの出来事が起こる。
任務の帰り道だった。
里へ続く林道は、夕刻の光を吸い込んで薄く紫がかっていて、枝葉の隙間から落ちる影がまだらに足元を覆っている。隣を歩く女忍――右目の下に小さな黒子のあるその人は、報告書の内容を確認するでもなく、ただ無言のまま同じ速度で歩いていた。
よくわからない任務だった。
他国で任務中の伝令忍から文書を受け取るだけの簡単なのに、根の名を持つ彼女が同行していた。彼女とは今まで一度も組まされたことはなかったし、彼女のように優秀な忍びが出る任務でもなかった。ただ、当時はそのことに気付く余裕もなく、任務が滞らなかったことにだけただ安堵した。
ツーマンセルとは言え、余計な会話は必要ない。イタチが里を抜けてから一緒に任務を組む忍びたちは、私を腫れ物のように扱って黙って遠巻きに見るか、好奇心旺盛に話しかけてくるかのどちらかで、今日は前者だと思い込んでいた。
なのに、里の門が遠く見え始めた頃、不意にその足音が緩まった。
「ねえ」
呼び止められて、足を止める。
振り向くと、彼女はまっすぐこちらを見ていた。
私は彼女の顔を覚えていた。イタチが里を抜けたことを真っ先に私に伝えたのが、彼女だった。
「あなた、まだ、彼を好き?」
問いの意味は曖昧なのに、誰のことを指しているのかは、すぐに分かった。
私がそれには答えずにただ黙っていると、彼女は淡々と続けた。
「そんなわけないか。あの一家惨殺からもう半年、一夜にして何十人も殺した冷酷な彼が、里に戻るとも思えないし。あなたがどうなろうと、気にも留めてないでしょうし?」
淡々とした声だった。ただ事実を確認するみたいだった。
陰でヒソヒソと言う人はたくさんいたけど、直接的に言われたのは初めてで、私は戸惑った。
「……だから、次を探すのも当然よね」
その声色で気づいた。これは、イタチの話ではない。前置きにすぎなかったのだと、遅れて理解する。
「ねぇ」
彼女は一歩、距離を詰めた。
「あなたみたいな、なんの才能も後ろ盾もなくて、有望な未来も、美貌も、何一つ持っていないあなたが――
カカシに手を出すなんて許されると思う?」
その名前が落ちた瞬間、胸の奥がわずかに強張った。
言葉が、ひとつひとつ、淡々と並べられる。だが、反論するほどの自負は、もともと持っておらず、私はただ事実だけを返した。
「私とカカシさんはそんな関係では…」
彼女の唇がわずかに震えた。
次の瞬間――パンっ、と乾いた音が、耳の奥で遅れて鳴った。
けれど、それが自分の頬を打つ音だと理解するまでに、わずかな時間があった。
「惚けんじゃないわよっ!」
視界が揺れる。
何が起きたのか分からず、ただ瞬きをする。
目の前の彼女の顔だけが、やけにはっきりと見えた。
怒りで歪んだその表情が、怖いというより、ひどく必死で、頬に走った衝撃よりも、目の前の彼女の表情のほうが強く焼き付く。
「とぼけてなんか・・・」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど細かった。
痛みが遅れて頬に集まり始める。
「じゃあなんでカカシはあんたの家に行くのよ!」
彼女の表情は、責めるようでもあり、縋るようでもあった。
そう言われて、私は初めて気付いたのだ。カカシさんと私の関係がそんなふうに見えていたこと。それが不自然な関係であること。
なんで、カカシさんはあんなによくしてくれるんだろう。彼の来る目的が、監視の範囲から外れているのかもしれないという可能性に、今気がつく。
――そうか、別にカカシさんを拒んだっていいのか。
そう思った瞬間、胸に冷たいものが走った。
カカシさんとの関係が、彼の気持ちや外的変化によって容易になくなりうるものだと感じたとき、笑いあった夜の灯りが、不意に胸をよぎった。
彼女が想像するような、そんな関係では本当にないのだ。
けれど、違うと断じるほど、きっぱりとも言えない。
あの夜から続いている時間を、そして、それをどこかで失いたくないと思い続けていた自分を、どう説明すればいいのか分からない。
「私はね……!」
彼女の声が震える。
怒鳴っているのに、壊れそうな音だった。
「カカシがあんたに寄り付くようになる前からずっと、カカシのことが好きなのよ!あんたなんて何一つカカシのことを知らないくせに!」
彼女の必死の表情を目にして――私は知る。それがただ単純に、カカシのことを想うあまりの言動であることを。
それは怒りであり、告白だった。彼女から受け取ったその必死の言葉に対する思いを言葉にできないまま、私はただ、立ち尽くしていた。
「現実見なよ」
言い切ったあと、私が反論の一つもしないのをみて、彼女は一度息を吸った。
その目から、さっきまでの熱が少しだけ引いていく。
「イタチと付き合って、あれだけ周りに笑われて。結局、見向きもされずに捨てられたじゃない」
違う、という言葉と、そうなのかも、という思いが同時によぎった。
――捨てられた。
その言葉は、ずっと自分の中で触れないようにしていたものだった。置いていかれた、と言ったほうが感覚的には正しかったかもしれない。
彼女が、イタチとカカシさんを重ねて、「だから付き合うな」という話に持っていくためだけの、イタチは引き合いにすぎないと、そう理屈ではわかっているのに、それでもその言葉は胸をえぐるように刺さった。
「惨めよね。結局、彼はあなたが消えても、痛くも痒くもないのよ」
だけど、それまで揺らいでいた思いが一瞬で固くなる。
「ま、それはあなたも同じ か。イタチがいなくなったら、次はカカシ。手ごろに慰めてくれる人なら、誰でもいいってわけでしょ?」
その言葉が落ちた瞬間、時間がわずかに止まった気がした。
――彼が消えても、痛くも痒くもないんでしょ?だって、カカシさんが慰めてくれるんだもの
彼女が直接そう言ったわけではないのに、鼓膜の奥で、その一節だけが鈍く反響し、喉がひくりと痙攣した。
声帯が凍りついたように動かない。
――違う。
違う、違う、違う。
彼女の言っていることは、全部、違う。
私が好きなのは、イタチだ。半年前のあの日から、それは変わっていない――変わっていないはずだ。なのに、あの夜の湯気と、一緒に食べた弁当の味、肩が触れた距離とその温度が脳裏にちらつく。
あの人が来る時間を、いつの間にか待っていた。
足音が聞こえない夜に、ほんの少しだけ、落胆したこともある。
――それを何と呼ぶのか、私は知っている。
――もし、あの人が現れなかったら。
私は、今もちゃんと立っていられただろうか。
その時間が、ほんの少しだけ、救いだったことを私は知っている。
手のひらに爪を立てる。イタチの顔がよぎる、同時にカカシさんの顔が――それを無理矢理掻き消す。
その感情は、私には許されない。
私は一度、あの人に生かされた。
あの夜、死ぬつもりだった私を、あの人は繋ぎ止めた。
――その命で、別の人に恋をするなんて、裏切りだ。
「……勝手に決めないで」
声は、思ったよりも低く出た。
彼女が眉をひそめる。
「私が思いまで、勝手に“ないこと”にしないで」
私はまだ、あの人を待っている。あの夜、隣に座り続けてくれた人を。「生きる理由が、俺では駄目か」と、生きるに留めた声を。
「イタチはそんな人じゃないから………!」
だけど彼女の言うことが全くの見当違いと言うこともできなかった。呟くようにこぼれたその言葉は、私への侮蔑を退けるものではなく。
ぐらぐらの私と、それを指摘する彼女に、せめて彼だけは守ろうとした、かろうじての抵抗だった。
その言葉に彼女が笑う。
彼女が懐に手を入れた時、カラスがカァ、と鳴いた。
カカシさんに「好きだ」と告げられたのは、その2日後だった。
その時にはもう、私の中でわずかに曖昧だったものが固まっていた。
揺らいだことは否定しない。
だけど、それはただそれだけだ。
私の命は、あの人にもらったものだ。だから私は、他の誰かを選ばない。
――私は、イタチが好きだ。
あれがあの日になければ、私の言葉は、あのとき胸の奥で閉じたものをもう少しだけ、カカシさんの前でこぼしてしまっていたかもしれない。
20260308 加筆修正
空も私の心を表したように雲がかかっていて、洗濯物を外に干すか、迷うような天気だったのを覚えている。
この日から、約束の日にかけて、二つの出来事が起こる。
任務の帰り道だった。
里へ続く林道は、夕刻の光を吸い込んで薄く紫がかっていて、枝葉の隙間から落ちる影がまだらに足元を覆っている。隣を歩く女忍――右目の下に小さな黒子のあるその人は、報告書の内容を確認するでもなく、ただ無言のまま同じ速度で歩いていた。
よくわからない任務だった。
他国で任務中の伝令忍から文書を受け取るだけの簡単なのに、根の名を持つ彼女が同行していた。彼女とは今まで一度も組まされたことはなかったし、彼女のように優秀な忍びが出る任務でもなかった。ただ、当時はそのことに気付く余裕もなく、任務が滞らなかったことにだけただ安堵した。
ツーマンセルとは言え、余計な会話は必要ない。イタチが里を抜けてから一緒に任務を組む忍びたちは、私を腫れ物のように扱って黙って遠巻きに見るか、好奇心旺盛に話しかけてくるかのどちらかで、今日は前者だと思い込んでいた。
なのに、里の門が遠く見え始めた頃、不意にその足音が緩まった。
「ねえ」
呼び止められて、足を止める。
振り向くと、彼女はまっすぐこちらを見ていた。
私は彼女の顔を覚えていた。イタチが里を抜けたことを真っ先に私に伝えたのが、彼女だった。
「あなた、まだ、彼を好き?」
問いの意味は曖昧なのに、誰のことを指しているのかは、すぐに分かった。
私がそれには答えずにただ黙っていると、彼女は淡々と続けた。
「そんなわけないか。あの一家惨殺からもう半年、一夜にして何十人も殺した冷酷な彼が、里に戻るとも思えないし。あなたがどうなろうと、気にも留めてないでしょうし?」
淡々とした声だった。ただ事実を確認するみたいだった。
陰でヒソヒソと言う人はたくさんいたけど、直接的に言われたのは初めてで、私は戸惑った。
「……だから、次を探すのも当然よね」
その声色で気づいた。これは、イタチの話ではない。前置きにすぎなかったのだと、遅れて理解する。
「ねぇ」
彼女は一歩、距離を詰めた。
「あなたみたいな、なんの才能も後ろ盾もなくて、有望な未来も、美貌も、何一つ持っていないあなたが――
カカシに手を出すなんて許されると思う?」
その名前が落ちた瞬間、胸の奥がわずかに強張った。
言葉が、ひとつひとつ、淡々と並べられる。だが、反論するほどの自負は、もともと持っておらず、私はただ事実だけを返した。
「私とカカシさんはそんな関係では…」
彼女の唇がわずかに震えた。
次の瞬間――パンっ、と乾いた音が、耳の奥で遅れて鳴った。
けれど、それが自分の頬を打つ音だと理解するまでに、わずかな時間があった。
「惚けんじゃないわよっ!」
視界が揺れる。
何が起きたのか分からず、ただ瞬きをする。
目の前の彼女の顔だけが、やけにはっきりと見えた。
怒りで歪んだその表情が、怖いというより、ひどく必死で、頬に走った衝撃よりも、目の前の彼女の表情のほうが強く焼き付く。
「とぼけてなんか・・・」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど細かった。
痛みが遅れて頬に集まり始める。
「じゃあなんでカカシはあんたの家に行くのよ!」
彼女の表情は、責めるようでもあり、縋るようでもあった。
そう言われて、私は初めて気付いたのだ。カカシさんと私の関係がそんなふうに見えていたこと。それが不自然な関係であること。
なんで、カカシさんはあんなによくしてくれるんだろう。彼の来る目的が、監視の範囲から外れているのかもしれないという可能性に、今気がつく。
――そうか、別にカカシさんを拒んだっていいのか。
そう思った瞬間、胸に冷たいものが走った。
カカシさんとの関係が、彼の気持ちや外的変化によって容易になくなりうるものだと感じたとき、笑いあった夜の灯りが、不意に胸をよぎった。
彼女が想像するような、そんな関係では本当にないのだ。
けれど、違うと断じるほど、きっぱりとも言えない。
あの夜から続いている時間を、そして、それをどこかで失いたくないと思い続けていた自分を、どう説明すればいいのか分からない。
「私はね……!」
彼女の声が震える。
怒鳴っているのに、壊れそうな音だった。
「カカシがあんたに寄り付くようになる前からずっと、カカシのことが好きなのよ!あんたなんて何一つカカシのことを知らないくせに!」
彼女の必死の表情を目にして――私は知る。それがただ単純に、カカシのことを想うあまりの言動であることを。
それは怒りであり、告白だった。彼女から受け取ったその必死の言葉に対する思いを言葉にできないまま、私はただ、立ち尽くしていた。
「現実見なよ」
言い切ったあと、私が反論の一つもしないのをみて、彼女は一度息を吸った。
その目から、さっきまでの熱が少しだけ引いていく。
「イタチと付き合って、あれだけ周りに笑われて。結局、見向きもされずに捨てられたじゃない」
違う、という言葉と、そうなのかも、という思いが同時によぎった。
――捨てられた。
その言葉は、ずっと自分の中で触れないようにしていたものだった。置いていかれた、と言ったほうが感覚的には正しかったかもしれない。
彼女が、イタチとカカシさんを重ねて、「だから付き合うな」という話に持っていくためだけの、イタチは引き合いにすぎないと、そう理屈ではわかっているのに、それでもその言葉は胸をえぐるように刺さった。
「惨めよね。結局、彼はあなたが消えても、痛くも痒くもないのよ」
だけど、それまで揺らいでいた思いが一瞬で固くなる。
「ま、それは
その言葉が落ちた瞬間、時間がわずかに止まった気がした。
――彼が消えても、痛くも痒くもないんでしょ?だって、カカシさんが慰めてくれるんだもの
彼女が直接そう言ったわけではないのに、鼓膜の奥で、その一節だけが鈍く反響し、喉がひくりと痙攣した。
声帯が凍りついたように動かない。
――違う。
違う、違う、違う。
彼女の言っていることは、全部、違う。
私が好きなのは、イタチだ。半年前のあの日から、それは変わっていない――変わっていないはずだ。なのに、あの夜の湯気と、一緒に食べた弁当の味、肩が触れた距離とその温度が脳裏にちらつく。
あの人が来る時間を、いつの間にか待っていた。
足音が聞こえない夜に、ほんの少しだけ、落胆したこともある。
――それを何と呼ぶのか、私は知っている。
――もし、あの人が現れなかったら。
私は、今もちゃんと立っていられただろうか。
その時間が、ほんの少しだけ、救いだったことを私は知っている。
手のひらに爪を立てる。イタチの顔がよぎる、同時にカカシさんの顔が――それを無理矢理掻き消す。
その感情は、私には許されない。
私は一度、あの人に生かされた。
あの夜、死ぬつもりだった私を、あの人は繋ぎ止めた。
――その命で、別の人に恋をするなんて、裏切りだ。
「……勝手に決めないで」
声は、思ったよりも低く出た。
彼女が眉をひそめる。
「私が思いまで、勝手に“ないこと”にしないで」
私はまだ、あの人を待っている。あの夜、隣に座り続けてくれた人を。「生きる理由が、俺では駄目か」と、生きるに留めた声を。
「イタチはそんな人じゃないから………!」
だけど彼女の言うことが全くの見当違いと言うこともできなかった。呟くようにこぼれたその言葉は、私への侮蔑を退けるものではなく。
ぐらぐらの私と、それを指摘する彼女に、せめて彼だけは守ろうとした、かろうじての抵抗だった。
その言葉に彼女が笑う。
彼女が懐に手を入れた時、カラスがカァ、と鳴いた。
カカシさんに「好きだ」と告げられたのは、その2日後だった。
その時にはもう、私の中でわずかに曖昧だったものが固まっていた。
揺らいだことは否定しない。
だけど、それはただそれだけだ。
私の命は、あの人にもらったものだ。だから私は、他の誰かを選ばない。
――私は、イタチが好きだ。
あれがあの日になければ、私の言葉は、あのとき胸の奥で閉じたものをもう少しだけ、カカシさんの前でこぼしてしまっていたかもしれない。
20260308 加筆修正