別章
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
カカシさんのことをよく知っていたわけじゃない。ただ、イタチと同じ暗部に所属し、任務で名を挙げている忍だということを一方的に聞いていただけだった。
イタチが一度だけ「優秀な人だ」と言ったことがある。
あまり人を評価しない彼がそう言うのは珍しくて、その声音だけがなぜか印象に残っていた。
遠目に見る彼は片目しか見えず、いつも一人で本を読んでいた。
年齢も違う。階級も違う。見えているものも、きっと違う。
何を考えているのか分からない人だと思うより先に、私とは交わらない人だと思っていた。
――林道で顔を合わせる、あの日までは。
「あ、あの…、また?」
そう口にしてしまったのも、無理はなかったのだと思う。あの夜、林道から戻ったあと、あれからカカシさんはほとんど毎日のように、私の部屋を訪ねてくるようになった。
ほんの少しでも困っていることを含ませれば遠慮してくれるかもしれないと、淡い期待を滲ませて言ったつもりだったが、目の前のはたけカカシさんはどこ吹く風といった様子で、当然のように玄関の扉に手をかける。
「迷惑だった?」
「いえ、……迷惑とかじゃ、…」
だけど、面と向かって聞かれると、なんだかカカシさんに申し訳ない気がしてハイとは言えなかった。カカシさんはふと、「そんなんだから付け込まれるんだよ」と言った。それが嫌味な言い方ではなくて、例の女忍たちに揶揄されたことを心配してる事が伝わって、私はただ口を結む。
土間に落ちた外気が、足元を冷やす。
その冷たさに紛れるようにして、彼はするりと中へ入ってきた。
「……すみません、散らかってて」
言ってから、なぜ謝っているのだろうと思う。
カカシさんは遊びに来てるわけでもあるまいし、部屋の汚さなんて気にしていないだろうに。
それでも、部屋を整えられていないことを恥ずかしいと思う感覚がまだ残っていることに、どこかほっとする。
湯を沸かしていると、こちらを伺うような背中越しに気配を感じた。
見張られている、というほど露骨ではない。ただ、完全に気を抜いているわけでもない。
その距離感を、当然だと思った。
あの林道の夜から、夜が怖くなった。
一人の夜。湯呑みを洗い終え、火を落とし、灯りを消して、横になる。静まり返った部屋。天井を見つめていると、決まってあの夜の林道が、まぶたの裏に浮かぶ。
私は、あそこまで行った。
行ったのだ。
それなのに、私は、背を向けた。
三ヶ月、待ち続けた。あの筆跡を胸に抱いて、何度も読み返して、必ず行くと決めて、そこまで辿り着いた。
それなのに、背を向けた。
あれが最善だったのだと、何度も言い聞かせる。あの場にはカカシさんがいた。あの状況でイタチと会うわけにはいかなかった。私の選択でイタチの生存の可能性を一分でも削るわけにはいかなかった。
そうだ。間違いではなかった。
間違いでは、なかった。
けれど。
――私は、彼を選ばなかった。
その事実だけが、胸に刺さった棘のように残る。
何もせずにただ帰ったわけじゃない。カカシさんの隙をついて、念のためにと用意していた文をあの場に、残した。「三ヶ月後の今日、ここで待っています」。けれど、それが彼の手に届いたのかどうか、確かめる術はなかった。
ただ、読んでくれたのだと信じるしかなかった。
「晩ご飯、食べた?」
不意にかけられた声に、わずかに肩が揺れる。
林道の闇が、ふっと遠のく。
「……えっと」
食べたかどうか、すぐには思い出せなかった。
あの林道の夜を迎えるまで、何一つ変わらない生活を送れた。周囲に何を言われても、平気だった。三ヶ月後に会えると分かっていたから。
でも今は違う。
「三ヶ月後」と書き残したあの紙が、彼の手に渡った保証はどこにもない。
次の約束が、本当に成立しているのかも分からない。
この生活に終わりがあるのかどうかさえ、分からない。そう思うと、積極的に生きる理由もないことに気づく。
食事は、空腹が限界まで進んで、立ち上がるのも億劫になる頃になってようやく口に運ぶだけで、何を食べたのか、味がどうだったのかまでは、ほとんど記憶に残っていなかった。
曖昧に視線を落としたまま黙っていると、彼は小さく頷いた。
「じゃあ買ってきたから、一緒に食べよう」
最初の頃は、半分も入らなかった。
箸が止まると、それ以上は飲み込めなくなる。けれど、向かいの彼は変わらぬ調子で任務の話を続けた。
――死にたいほど、彼に会いたい。
けれど、目の前の人の対応をしなければいけない時だけ、その思いはふと立ち消える。
私の小さな揺らぎひとつで、余計に疑いが向くかもしれない、そうと思うと、死にたいなどと悠長なことを考えている暇はなかった。目の前の人の言葉を取りこぼさないように、ただ必死で耳を傾ける。
そんな夜が何度か続いた。
ある夜、差し出された包みはいつもより小さかった。
「今日は甘いもん」
そう言って、彼は紙袋を卓に置いた。
「親父の墓参り行ってきたんだよね。命日だから。これ好きだったからさ」
さらりと告げられた言葉に、思わず顔を上げる。
――命日。
その言葉の重さに比べて、彼の声はあまりにも軽かった。いつもの調子で、冗談みたいに笑っている。
「供えたやつは置いてきたけど、これは余分。俺、あんまり好きじゃなくて。食べてくれない?」
差し出された包みを見つめる。
――そうか。
この人にも、もう会えない人がいるのだ。胸の奥で何かがわずかに揺れた。初めて、彼の人影が形を持ち始める。
知らないままでいたかったのかもしれないと思った。
その日、彼は珍しくその包みを食べずに机の上に置いて帰った。追いかけて返そうかと思ったけれど、足が動かなかった。包みを開くと、きな粉の匂いがふわりと立ち上る。
――失った人の命日にも、あんなふうに笑うのだ。
その夜初めて、私を見るカカシさんの視線がただの監視役よりも温かいことに気づく。
「お父様ってどんな人だったんでしょうか」
お弁当を口にして、ポツリと呟く。零れた問いに、カカシさんは一瞬だけ目を見開いた。それでもすぐに、柔らかく笑う。
「息子の俺からしたら、立派な人じゃなかったよ。」
寂しそうに笑う顔は、それだけで何かあったんだろうなと思わせた。
「迷って、間違えて、責められて。でも、」
カカシさんは言葉を重ねる。
「それでも、自分で決めたことから逃げなかった」
それから、ごく自然に。
「俺は、それで十分だと思ってる」。
ある日、いつものように受け取ったお弁当から、温もりがじんわりと掌に滲んだ。蓋を開けると、白い湯気がふわりと立ち上り、醤油の匂いが広がる。
(あれ……)
ちゃんと、匂いがした。ちゃんと味がした。その日のつくねには豆腐が混ぜられていて、口の中でふわりと広がって、優しく溶けていった。
「なんだ、今日はちゃんと食べられるじゃない」
安心したように笑うその声に、初めて、自分がほとんど残していないことに気づいた。
その後、お客さんのためにお茶を淹れられるようになった。
カカシさんの話が、私を気遣って面白おかしく話してくれていることに気づいた。少しずつ、普通の会話みたいに、こちらから問い返すこともできるようになった。
「よ!」
「カカシさん」
「これ、手土産がわりの茄子」
「……茄子…?」
「味噌汁にすると美味しいじゃない」
「つまり作れってことですね?」
さらにしばらく経って、自分でご飯が作れるようになった。カカシさんが持ってくるものが、すぐに食べられるものから、食材やデザートに変わった。
少しずつ、張りつめていた糸が、気づかぬうちに緩み始めていた、その頃だった。あの出来事が起こったのは。
イタチが一度だけ「優秀な人だ」と言ったことがある。
あまり人を評価しない彼がそう言うのは珍しくて、その声音だけがなぜか印象に残っていた。
遠目に見る彼は片目しか見えず、いつも一人で本を読んでいた。
年齢も違う。階級も違う。見えているものも、きっと違う。
何を考えているのか分からない人だと思うより先に、私とは交わらない人だと思っていた。
――林道で顔を合わせる、あの日までは。
「あ、あの…、また?」
そう口にしてしまったのも、無理はなかったのだと思う。あの夜、林道から戻ったあと、あれからカカシさんはほとんど毎日のように、私の部屋を訪ねてくるようになった。
ほんの少しでも困っていることを含ませれば遠慮してくれるかもしれないと、淡い期待を滲ませて言ったつもりだったが、目の前のはたけカカシさんはどこ吹く風といった様子で、当然のように玄関の扉に手をかける。
「迷惑だった?」
「いえ、……迷惑とかじゃ、…」
だけど、面と向かって聞かれると、なんだかカカシさんに申し訳ない気がしてハイとは言えなかった。カカシさんはふと、「そんなんだから付け込まれるんだよ」と言った。それが嫌味な言い方ではなくて、例の女忍たちに揶揄されたことを心配してる事が伝わって、私はただ口を結む。
土間に落ちた外気が、足元を冷やす。
その冷たさに紛れるようにして、彼はするりと中へ入ってきた。
「……すみません、散らかってて」
言ってから、なぜ謝っているのだろうと思う。
カカシさんは遊びに来てるわけでもあるまいし、部屋の汚さなんて気にしていないだろうに。
それでも、部屋を整えられていないことを恥ずかしいと思う感覚がまだ残っていることに、どこかほっとする。
湯を沸かしていると、こちらを伺うような背中越しに気配を感じた。
見張られている、というほど露骨ではない。ただ、完全に気を抜いているわけでもない。
その距離感を、当然だと思った。
あの林道の夜から、夜が怖くなった。
一人の夜。湯呑みを洗い終え、火を落とし、灯りを消して、横になる。静まり返った部屋。天井を見つめていると、決まってあの夜の林道が、まぶたの裏に浮かぶ。
私は、あそこまで行った。
行ったのだ。
それなのに、私は、背を向けた。
三ヶ月、待ち続けた。あの筆跡を胸に抱いて、何度も読み返して、必ず行くと決めて、そこまで辿り着いた。
それなのに、背を向けた。
あれが最善だったのだと、何度も言い聞かせる。あの場にはカカシさんがいた。あの状況でイタチと会うわけにはいかなかった。私の選択でイタチの生存の可能性を一分でも削るわけにはいかなかった。
そうだ。間違いではなかった。
間違いでは、なかった。
けれど。
――私は、彼を選ばなかった。
その事実だけが、胸に刺さった棘のように残る。
何もせずにただ帰ったわけじゃない。カカシさんの隙をついて、念のためにと用意していた文をあの場に、残した。「三ヶ月後の今日、ここで待っています」。けれど、それが彼の手に届いたのかどうか、確かめる術はなかった。
ただ、読んでくれたのだと信じるしかなかった。
「晩ご飯、食べた?」
不意にかけられた声に、わずかに肩が揺れる。
林道の闇が、ふっと遠のく。
「……えっと」
食べたかどうか、すぐには思い出せなかった。
あの林道の夜を迎えるまで、何一つ変わらない生活を送れた。周囲に何を言われても、平気だった。三ヶ月後に会えると分かっていたから。
でも今は違う。
「三ヶ月後」と書き残したあの紙が、彼の手に渡った保証はどこにもない。
次の約束が、本当に成立しているのかも分からない。
この生活に終わりがあるのかどうかさえ、分からない。そう思うと、積極的に生きる理由もないことに気づく。
食事は、空腹が限界まで進んで、立ち上がるのも億劫になる頃になってようやく口に運ぶだけで、何を食べたのか、味がどうだったのかまでは、ほとんど記憶に残っていなかった。
曖昧に視線を落としたまま黙っていると、彼は小さく頷いた。
「じゃあ買ってきたから、一緒に食べよう」
最初の頃は、半分も入らなかった。
箸が止まると、それ以上は飲み込めなくなる。けれど、向かいの彼は変わらぬ調子で任務の話を続けた。
――死にたいほど、彼に会いたい。
けれど、目の前の人の対応をしなければいけない時だけ、その思いはふと立ち消える。
私の小さな揺らぎひとつで、余計に疑いが向くかもしれない、そうと思うと、死にたいなどと悠長なことを考えている暇はなかった。目の前の人の言葉を取りこぼさないように、ただ必死で耳を傾ける。
そんな夜が何度か続いた。
ある夜、差し出された包みはいつもより小さかった。
「今日は甘いもん」
そう言って、彼は紙袋を卓に置いた。
「親父の墓参り行ってきたんだよね。命日だから。これ好きだったからさ」
さらりと告げられた言葉に、思わず顔を上げる。
――命日。
その言葉の重さに比べて、彼の声はあまりにも軽かった。いつもの調子で、冗談みたいに笑っている。
「供えたやつは置いてきたけど、これは余分。俺、あんまり好きじゃなくて。食べてくれない?」
差し出された包みを見つめる。
――そうか。
この人にも、もう会えない人がいるのだ。胸の奥で何かがわずかに揺れた。初めて、彼の人影が形を持ち始める。
知らないままでいたかったのかもしれないと思った。
その日、彼は珍しくその包みを食べずに机の上に置いて帰った。追いかけて返そうかと思ったけれど、足が動かなかった。包みを開くと、きな粉の匂いがふわりと立ち上る。
――失った人の命日にも、あんなふうに笑うのだ。
その夜初めて、私を見るカカシさんの視線がただの監視役よりも温かいことに気づく。
「お父様ってどんな人だったんでしょうか」
お弁当を口にして、ポツリと呟く。零れた問いに、カカシさんは一瞬だけ目を見開いた。それでもすぐに、柔らかく笑う。
「息子の俺からしたら、立派な人じゃなかったよ。」
寂しそうに笑う顔は、それだけで何かあったんだろうなと思わせた。
「迷って、間違えて、責められて。でも、」
カカシさんは言葉を重ねる。
「それでも、自分で決めたことから逃げなかった」
それから、ごく自然に。
「俺は、それで十分だと思ってる」。
ある日、いつものように受け取ったお弁当から、温もりがじんわりと掌に滲んだ。蓋を開けると、白い湯気がふわりと立ち上り、醤油の匂いが広がる。
(あれ……)
ちゃんと、匂いがした。ちゃんと味がした。その日のつくねには豆腐が混ぜられていて、口の中でふわりと広がって、優しく溶けていった。
「なんだ、今日はちゃんと食べられるじゃない」
安心したように笑うその声に、初めて、自分がほとんど残していないことに気づいた。
その後、お客さんのためにお茶を淹れられるようになった。
カカシさんの話が、私を気遣って面白おかしく話してくれていることに気づいた。少しずつ、普通の会話みたいに、こちらから問い返すこともできるようになった。
「よ!」
「カカシさん」
「これ、手土産がわりの茄子」
「……茄子…?」
「味噌汁にすると美味しいじゃない」
「つまり作れってことですね?」
さらにしばらく経って、自分でご飯が作れるようになった。カカシさんが持ってくるものが、すぐに食べられるものから、食材やデザートに変わった。
少しずつ、張りつめていた糸が、気づかぬうちに緩み始めていた、その頃だった。あの出来事が起こったのは。