別章
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二度目の約束の日がやってくる。
それは秋の始まりにふさわしい、澄んだ空気が肌をかすめる、ひんやりとした夜だった。
家を出る時間まで、あと十分。
柱に刻まれた妹との背比べの線は、あの頃のまま残っていた。それを見た彼が「まるで子供のようだ」と笑い、妹が「子供じゃない」と頬を膨らませた日のことを、ふと思い出す。
あれから私は少し伸びたはずなのに、線はもう増えない。
妹と共に生きて、彼女が死んで、彼が来て、彼が去った。そのすべてが染み込んだこの家の鍵を手に取り、指先でその重みを確かめた後、いつもの棚へと戻した。
「行ってきます」
壁も、窓も、床も、あの時と何一つ変わらないのに、その部屋はもう返事をしない。だが、それでももう構わなかった。
私は静かにドアを閉める。
*****
もし、――もし、イタチに会えたなら。
何を言おうと、何を言うべきかということをずっと考えていた。
何を、どういえば、彼に今の気持ちが伝わるのかと。ずっと考えていた。
約束の刻限を寸分違わず守るように、彼は現れた。
足音はほとんどなかった。それでも彼だとわかったのは、長いあいだ身近にあったその懐かしい気配が、すぐそばで感じられたからだった。
その瞬間、胸の奥がふっとほどけて、私は息を吸うのを忘れた。
――イタチだ。
走り寄りそうになる足を、必死に止めた。
何度も夢で見た光景だった。
泣くつもりなんてなかったのに、目の奥が熱を帯びる。まばたきを一つすれば零れそうで、必死に堪えた。
「イタチ……」
――やっと。やっと会えた。
約束を疑わなかった自分を、何度も笑いそうになりながら、この瞬間をどれだけ待ったか。どれだけ、切望したか。
そのはずだった。
けれど、彼の纏う空気は、私の知るそれとはどこか違っていた。まるで拒絶するかのような特有の空気感と距離感に、息を飲む。
「……イタチ……?」
呼び直した声は、自分でもわかるほど細く震えていた。
彼はすぐには答えなかった。だが、しばらくして口を開いた。
「お前と会うのは、今日で最後だ」
息を飲んだ。
何かの聞き間違いかと思った。けれどその目は静かで、あまりにも静かで、そこに私の入り込む余地はなかった。
風が吹き、梢が鳴り、葉擦れの音がやけに大きく響く。
そのとき、ようやく悟る。
彼は、私と共に生きるためにここに来たのではない。私との関係を、終わらすためにここにいるのだ。
――いつか、こうなる日が来ると、どこかで予想していた。
イタチの横にいるには、私はあまりにもみっともなくて、不釣り合いで、不均衡だった。それは、アカデミーの入学式で彼を見かけた日も、彼に初めて抱かれた日も、彼が私から離れて行った日も、ずっと変わらなかった。
――それが、今日だっただけだ。
それでも、あぁ、やっぱり、という思いと、どうして、と相反する思いで頭がぐちゃぐちゃになる。
それはまるで今まで大事に抱えていたもの全てが崩れ落ちるような、そんな感覚だった。
「イタチ、あのね、私ね、」
伝えたいことがたくさんあったはずなのに。頭が真っ白になった。
わかっていた。わかっていた。なのに。
素直に引き下がろう、と、そんな素直でいい子でいることはできなかった。
「イタチと、一緒に生きたいの」
気づけば、言葉が先に零れていた。
「私を、連れて行って」
これは、最後の願いだった。それが無駄なものだと、どこかで分かっていた。それでも、言わずにはいられなかった。
ぽたり、と顎を伝った涙が手の甲に落ちる。その小さな冷たさだけがやけに鮮明だった。
「イタチが好きだよ。」
声が震える。
「イタチは、私の生きる理由だよ。あなたがいない未来なんて、想像できない。何をしていても、どこにいても、最後に浮かぶのはイタチなの」
息が苦しくなり、言葉が途切れながらも、私は止まれなかった。
「だから……置いていかないで。私のことが嫌いでもいい、呆れていてもいい、それでもいいから、置いていかないで。あなたのいない世界で、一人になんて、考えられない……」
視界が徐々に滲む。止めようと思っても、涙が止まらなかった。みっともないことを言っているのはわかっていた。それでも、心の底から、思いを吐露することしかできなくて、私はどうしようもなかった。
イタチは答えなかった。
――答えないことが、答えだった。
やがて彼は、ほんのわずかに眉を寄せ、視線を外したまま、感情を削ぎ落とした声で言った。
「……俺はもう、お前の知る俺ではない。もう、――」
声は、低く、かすかに掠れていた。
何か一音を飲み込もうとし、だが、次に口にした言葉には、決して揺らがない決意が滲んでいた。
「だが、今ここで、全てを終わらせることはできる」
ほとんど温度のない声音だった。
ゆっくりとクナイを手にするその動作に、彼の手による死を意味することは、説明されなくても分かった。
「生きる理由が、俺では駄目か」
あの時の彼を思い出す。なぜ彼は――、
その目に、私はまたすがりそうになる。
「…どうして……」
それ以上言葉は続かなかった。
何があったんだろう、何をしていれば変わったんだろう。何ができればこうならなかったんだろう。
私は、イタチに何をできればよかったんだろう。
何も、変わらなかったのかもしれない。何をしても一緒なのかもしれない。それでも、でも。
「……一つだけ、聞いてもいい?」
イタチは答えない。だが、拒まれなかった。
未来がないのなら、――これは、私の最初で最後の逃避だった。
「……生まれ変わったら、次こそ一緒にいられるかな?」
突拍子もない、自分でも馬鹿な問いだと思った。即答で、ありえないと言われても、不思議じゃなかった。
だが、イタチはすぐには口を開かなかった。
沈黙。
長い、長い沈黙だった。
イタチはゆっくりと目を伏せ、微かに息を吐いた。
その横顔は、月明かりに照らされてもなお影を帯びていて、何を思っているのか、最後まで読み取らせまいとするように固く閉ざされていた。
「……そんな都合のいい話があると思うか」
低く、揺らぎのない声だった。
そして彼は、私を真っ直ぐに見つめた。写輪眼の紋様が、月光を吸い込むように静かに綺麗に見えた。
「来世があるなら、今度は――俺のいない場所で生きろ」
その言葉が突き放すものなのか、救いとすべき言葉なのか、すぐにはわからなかった。拒絶の言葉だと、遅れて理解する。
――もう、いい。
妹が死んだあの時、もう私は空洞だった。
――もう、いい。もう、充分、幸せだった。
「イタチ。……私を殺してくれる?」
その言葉は、自分でも驚くほど穏やかだった。
かつて私を生かした彼が私を殺すのは、全ての責任を取ろうとする彼らしい選択でもあるように思った。
彼は私を殺すことを、ほんの一瞬でも辛いと思ってくれるだろうか。
ほんの少しでも、胸を痛めてくれるだろうか。
まだそんなことを考えてしまう自分の浅ましさに、苦く笑いたくなる。
――イタチに殺されるのであれば、何も後悔はない。
それは、本心だった。
(……ごめんね…)
――あなたを生きる理由にして、ごめんね
――重たかったよね。イタチも、辛かったよね
――あなたの強さに甘えてしまって、ごめんね
彼はもう、何も言わなかった。
金属が擦れる微かな音が夜気の中に溶ける。
その動作を、私は不思議なくらい穏やかに見つめていた。生きることがやっと終われるのだという、安寧にも似た気持ちだけが胸に広がっていた。
彼が一歩、近づく。
その距離の縮まり方が、まるで私の隣に立つためだけに来たみたいで、一瞬、彼の横に並び、笑い、共に過ごした時間を思い出す。
次の瞬間、鋭い衝撃が胸を貫く。肋骨の奥に、熱いものが押し込まれる。指先が彼の衣の端を掴む。
ほんの一瞬、布越しに伝わる体温に彼を感じる。最後に愛しい人の顔をみようと私は最後の力を振り絞って顔を上げた。
彼の胸元へすがると、血の味が口の中に広がる。
「ありがとう……」
――それでも、今までずっと、ありがとう。
ずっと、言おうと思っていた言葉を、最後の最後で言えた。
イタチの息を呑むような、静かな声が聞こえた。それだけで、十分だった。
それは秋の始まりにふさわしい、澄んだ空気が肌をかすめる、ひんやりとした夜だった。
家を出る時間まで、あと十分。
柱に刻まれた妹との背比べの線は、あの頃のまま残っていた。それを見た彼が「まるで子供のようだ」と笑い、妹が「子供じゃない」と頬を膨らませた日のことを、ふと思い出す。
あれから私は少し伸びたはずなのに、線はもう増えない。
妹と共に生きて、彼女が死んで、彼が来て、彼が去った。そのすべてが染み込んだこの家の鍵を手に取り、指先でその重みを確かめた後、いつもの棚へと戻した。
「行ってきます」
壁も、窓も、床も、あの時と何一つ変わらないのに、その部屋はもう返事をしない。だが、それでももう構わなかった。
私は静かにドアを閉める。
*****
もし、――もし、イタチに会えたなら。
何を言おうと、何を言うべきかということをずっと考えていた。
何を、どういえば、彼に今の気持ちが伝わるのかと。ずっと考えていた。
約束の刻限を寸分違わず守るように、彼は現れた。
足音はほとんどなかった。それでも彼だとわかったのは、長いあいだ身近にあったその懐かしい気配が、すぐそばで感じられたからだった。
その瞬間、胸の奥がふっとほどけて、私は息を吸うのを忘れた。
――イタチだ。
走り寄りそうになる足を、必死に止めた。
何度も夢で見た光景だった。
泣くつもりなんてなかったのに、目の奥が熱を帯びる。まばたきを一つすれば零れそうで、必死に堪えた。
「イタチ……」
――やっと。やっと会えた。
約束を疑わなかった自分を、何度も笑いそうになりながら、この瞬間をどれだけ待ったか。どれだけ、切望したか。
そのはずだった。
けれど、彼の纏う空気は、私の知るそれとはどこか違っていた。まるで拒絶するかのような特有の空気感と距離感に、息を飲む。
「……イタチ……?」
呼び直した声は、自分でもわかるほど細く震えていた。
彼はすぐには答えなかった。だが、しばらくして口を開いた。
「お前と会うのは、今日で最後だ」
息を飲んだ。
何かの聞き間違いかと思った。けれどその目は静かで、あまりにも静かで、そこに私の入り込む余地はなかった。
風が吹き、梢が鳴り、葉擦れの音がやけに大きく響く。
そのとき、ようやく悟る。
彼は、私と共に生きるためにここに来たのではない。私との関係を、終わらすためにここにいるのだ。
――いつか、こうなる日が来ると、どこかで予想していた。
イタチの横にいるには、私はあまりにもみっともなくて、不釣り合いで、不均衡だった。それは、アカデミーの入学式で彼を見かけた日も、彼に初めて抱かれた日も、彼が私から離れて行った日も、ずっと変わらなかった。
――それが、今日だっただけだ。
それでも、あぁ、やっぱり、という思いと、どうして、と相反する思いで頭がぐちゃぐちゃになる。
それはまるで今まで大事に抱えていたもの全てが崩れ落ちるような、そんな感覚だった。
「イタチ、あのね、私ね、」
伝えたいことがたくさんあったはずなのに。頭が真っ白になった。
わかっていた。わかっていた。なのに。
素直に引き下がろう、と、そんな素直でいい子でいることはできなかった。
「イタチと、一緒に生きたいの」
気づけば、言葉が先に零れていた。
「私を、連れて行って」
これは、最後の願いだった。それが無駄なものだと、どこかで分かっていた。それでも、言わずにはいられなかった。
ぽたり、と顎を伝った涙が手の甲に落ちる。その小さな冷たさだけがやけに鮮明だった。
「イタチが好きだよ。」
声が震える。
「イタチは、私の生きる理由だよ。あなたがいない未来なんて、想像できない。何をしていても、どこにいても、最後に浮かぶのはイタチなの」
息が苦しくなり、言葉が途切れながらも、私は止まれなかった。
「だから……置いていかないで。私のことが嫌いでもいい、呆れていてもいい、それでもいいから、置いていかないで。あなたのいない世界で、一人になんて、考えられない……」
視界が徐々に滲む。止めようと思っても、涙が止まらなかった。みっともないことを言っているのはわかっていた。それでも、心の底から、思いを吐露することしかできなくて、私はどうしようもなかった。
イタチは答えなかった。
――答えないことが、答えだった。
やがて彼は、ほんのわずかに眉を寄せ、視線を外したまま、感情を削ぎ落とした声で言った。
「……俺はもう、お前の知る俺ではない。もう、――」
声は、低く、かすかに掠れていた。
何か一音を飲み込もうとし、だが、次に口にした言葉には、決して揺らがない決意が滲んでいた。
「だが、今ここで、全てを終わらせることはできる」
ほとんど温度のない声音だった。
ゆっくりとクナイを手にするその動作に、彼の手による死を意味することは、説明されなくても分かった。
「生きる理由が、俺では駄目か」
あの時の彼を思い出す。なぜ彼は――、
その目に、私はまたすがりそうになる。
「…どうして……」
それ以上言葉は続かなかった。
何があったんだろう、何をしていれば変わったんだろう。何ができればこうならなかったんだろう。
私は、イタチに何をできればよかったんだろう。
何も、変わらなかったのかもしれない。何をしても一緒なのかもしれない。それでも、でも。
「……一つだけ、聞いてもいい?」
イタチは答えない。だが、拒まれなかった。
未来がないのなら、――これは、私の最初で最後の逃避だった。
「……生まれ変わったら、次こそ一緒にいられるかな?」
突拍子もない、自分でも馬鹿な問いだと思った。即答で、ありえないと言われても、不思議じゃなかった。
だが、イタチはすぐには口を開かなかった。
沈黙。
長い、長い沈黙だった。
イタチはゆっくりと目を伏せ、微かに息を吐いた。
その横顔は、月明かりに照らされてもなお影を帯びていて、何を思っているのか、最後まで読み取らせまいとするように固く閉ざされていた。
「……そんな都合のいい話があると思うか」
低く、揺らぎのない声だった。
そして彼は、私を真っ直ぐに見つめた。写輪眼の紋様が、月光を吸い込むように静かに綺麗に見えた。
「来世があるなら、今度は――俺のいない場所で生きろ」
その言葉が突き放すものなのか、救いとすべき言葉なのか、すぐにはわからなかった。拒絶の言葉だと、遅れて理解する。
――もう、いい。
妹が死んだあの時、もう私は空洞だった。
――もう、いい。もう、充分、幸せだった。
「イタチ。……私を殺してくれる?」
その言葉は、自分でも驚くほど穏やかだった。
かつて私を生かした彼が私を殺すのは、全ての責任を取ろうとする彼らしい選択でもあるように思った。
彼は私を殺すことを、ほんの一瞬でも辛いと思ってくれるだろうか。
ほんの少しでも、胸を痛めてくれるだろうか。
まだそんなことを考えてしまう自分の浅ましさに、苦く笑いたくなる。
――イタチに殺されるのであれば、何も後悔はない。
それは、本心だった。
(……ごめんね…)
――あなたを生きる理由にして、ごめんね
――重たかったよね。イタチも、辛かったよね
――あなたの強さに甘えてしまって、ごめんね
彼はもう、何も言わなかった。
金属が擦れる微かな音が夜気の中に溶ける。
その動作を、私は不思議なくらい穏やかに見つめていた。生きることがやっと終われるのだという、安寧にも似た気持ちだけが胸に広がっていた。
彼が一歩、近づく。
その距離の縮まり方が、まるで私の隣に立つためだけに来たみたいで、一瞬、彼の横に並び、笑い、共に過ごした時間を思い出す。
次の瞬間、鋭い衝撃が胸を貫く。肋骨の奥に、熱いものが押し込まれる。指先が彼の衣の端を掴む。
ほんの一瞬、布越しに伝わる体温に彼を感じる。最後に愛しい人の顔をみようと私は最後の力を振り絞って顔を上げた。
彼の胸元へすがると、血の味が口の中に広がる。
「ありがとう……」
――それでも、今までずっと、ありがとう。
ずっと、言おうと思っていた言葉を、最後の最後で言えた。
イタチの息を呑むような、静かな声が聞こえた。それだけで、十分だった。