短編
大好きな人には幸せでいて欲しい。ずっとずっと。来世でも、百年後も、その先も。
そう願ったおかげか、目の前で大切な人達が綺麗な装いで互いを愛おしそうに見詰めあっている。
少しだけ何故か痛む胸に気付かないふりをして潤む涙を拭った。
前世、兄弟子であった冨岡義勇と蟲柱であった胡蝶しのぶ。
二人の結婚式は陽の光が柔らかに降り注ぐ綺麗で厳かな教会の中で、たくさんの人達に見守られながら行われた。
ステンドグラスから入ってくる光は赤や青、黄色と色を変えて式場にいる人々や壁や床を鮮やかに彩っていた。しんと静まり返る教会内には朗々と神父の声が響いている。
大正時代のあの戦いから百年。不思議な縁であの頃の仲間のほとんどが同じ地域、学校という場に揃った。
あの時、命を落としたいくつかの人も今度は何も失うことなく平和に過ごしている。それに記憶のある自分は時々目を潤ませながら過ごし、今日まで生きてきた。
これ以上ない幸せな未来があることに感謝しつつ、俺はその輪の中に入りはしなかった。
前世の記憶がなまじあるせいで、変な事を口にしかねなかったのだ。嘘が苦手な性格は百年経とうと変わらなかったので、少しだけ距離を取ったような姿勢を貫いたおかげで今世では顔を知っている程度の付き合いになってしまった。だが、それ自体に後悔はない。
善逸は相変わらず禰豆子が好きで、伊之助も運動神経がよくて、カナヲは前世より自分の意思でよく話していて、玄弥も兄弟達と仲良く過ごしている。
禰豆子が善逸と仲が良いおかげで今日の結婚式に俺も参加できたのだ。
前世とてもお世話になった二人が幸せそうにしているだけで良かったと思えた。自分の、百年前の感情など今さらお呼びではないのだ。
おめでとうと周りの声に押されて、自分も同じように主役である二人へ祝福の言葉をかける。
どうか、ずっと幸せでいて。
理不尽に誰かの命が奪われることなく、命を燃やし尽くすような生き方をせず、貴方が貴方らしく生きられるように、笑っていられますように。
願わくばこんな時間がずっと続きますように、と祈る。
暖かい日差しの中で、新芽をつける木々が二人を祝うようにそよそよと揺れた。
結婚式が終わり、式に参加していた知り合いに二次会にも誘われたがそれを断る。禰豆子は善逸たちと二次会に参加するようで、気を付けるようにとだけ言い残して駅に向かった。
竈門炭治郎は高校に進学したのを機に祖父母と一緒に住んでおり、現在暮らしている家は実家があるこの場所から県を二つ三つ越えた先である。
炭治郎が祖父母と一緒に暮らしているのは単に高齢の夫婦が二人暮らしなのを心配して、というのと志望校にも近いからというのが表向きの理由だ。
本当の理由、それは前世との知り合いと距離を置くためである。
前世の知り合いが実家に近い高校に集まっていることは知っていた。けれど嘘のつけない炭治郎の性格では前世のことを話さなずにいることは無理なので、どこか違う場所へ行くのが最善だった。
そう思ったきっかけは小学生の時に顔見知りの隊士の一人に出会った嬉しさから、昔の事を口走らせてしまったことだった。
彼らは前世の記憶を覚えていなかったが、何人かは炭治郎の言葉が切っ掛けで頭を抱えながら当時の記憶らしきものを思い出しそうな傾向があった。幸い完全に記憶を取り戻すまでには至らなかったが、苦しそうに痛そうにする姿にダメだと思った。
今を懸命に生きている人たちに前世の記憶を思い出させてはいけない。
あの記憶を辛いとは思ってないけれど、やはり思い出さないで欲しいと思った。
前世を知っているとどうしてもそれを引きずってしまう。炭治郎だってそうだ。13の時は家族とぴったりと離れたくなかった。毎日両親と弟妹が生きてることを見てほっと息を吐いた。
そんな生活を皆にしてほしいとは思わない。
14の誕生日を無事に迎えた後はその決意を胸に、前世で仲間だった人と会っても記憶を思い出させないようにしようと思った。もしかしたら、何人かは覚えてるかもしれないという淡い期待のようなものはあったけれど、みんな記憶がないようで正直少し安心した。
ともあれ、嘘を吐くのがとても苦手な炭治郎は心機一転。嘘がつけないなら会わなければ良い。そうして高齢の祖父母の家に中学卒業後に転がり込んだのだ。
そして自分も前世から距離を置いて、新しい道を進もうと思ったのだ。
青い空の下、賑やかな聞き覚えのある声が楽しそうに笑っている声が聞こえて足を止めて教会の方を振り返った。いつか、100年前に見れたらいいと思っていた景色がそこにある。
さようなら。いつかの大切な仲間達。
未だに引きずる想いに心の中で別れを告げて、眩しいその景色に背を向けて今度こそ駅に向かって歩いた。
前世も何も遺恨のない地で順風満帆な生活が送れたのはたったの半年だった。
気が付けば100年前のように刀を握っていた。前世と潔くおさらばするはずができていない。驚きである。前世を忘れようと決意したあの気持ちも宙ぶらりんだ。
腕時計をタップすれば深夜の2時18分と明々と時刻を照らしてくれる。
高層ビルにはまだ明かりが煌々とついており、街灯も道を照らしているため大正時代のように月明かりや篝火に比べたら大分明るいし、人通りだってまばらだがスーツ姿の男性や女性が何人かいる。
けれどもやはり明かりがない道は暗く、顔などははっきりと視認することができない。
フードをぎゅっと目深まで被る。一応こちらは18歳未満の子供なので警察に見つかったら歩道される可能性がある。事情を離せばすぐに解放されるというが、色々と面倒なのでバレないようにしろと上官からはきつく言われている。
インカムを付けた耳からジチっとノイズ音が聞こえる。
『50メートル先、曲がり角からターゲット来てるぞ!』
「わかりました!」
ぐぐっと低い姿勢から地面を蹴り、走り込む。闇夜に紛れやすいようにと作られた黒のウインドブレーカーは前世と同じ鬼殺隊の隊服と同じ素材で作られたもので軽いように見えて結構頑丈だ。
細い路地から出てきた黒い影に、近くで歩きながらスマホをしていた人が驚くが謝罪を口にすればその声の高さから子供だと思われる可能性があるため口を閉ざすしかなかった。
自分の背を飛び越えるように黒い影が宙を舞う。あれが今夜のターゲット。
がっと右足に重心をかけて、ブレーキをかけると90度に方向回転をしてすぐさまその後を追う。
グゲグゲッと笑いながらこちらを嘲笑うに見るその化け物の背には蝙蝠のような羽がついている。ばさりばさりと飛んでいきそうなソレに向かって、腰につけたベルトから数本ナイフを取り出し、それに向かって投げる。
「グギャァッ」
カエルが潰れたような鳴き声が響き渡る。二本、三本と続けて走りながら投げたナイフはどれも醜い羽に突き刺さるとぼろぼろと急速に翼を溶かしていく。
飛ぶことができないと判断したそれは地へと降り立とうとする。が、その先にいるのは炭治郎が信頼する仲間の前である。
真っ暗な闇夜にも関わらずその燃え上がるような髪の毛は目立っていた。光に吸い寄せられる虫のようにそれはその男の前に着地すると、そのまま身体を真っ二つにされ地面に伏していた。
目にも止まらぬ速さで刀を一瞬で抜き去り敵を切ったのだ。並みの人であれば何がおきたのかわからないだろう。
だが、その技を見る影は一切ない。防犯カメラも、この時間帯は戦いを影ながら補助する者達によって一時的に差し替えられたり止められている。
なるべく人目につかぬように路地裏まで囲い込みを行い、人知れず討伐する。
現代になっても変わらないそのルールは守ることが難しく、とてつもなく面倒くさい。それが故の少数精鋭のチームだ。今はたった5人しか存在しない。
その一人に竈門炭治郎は選ばれたのだ。
事の始まりは学校帰り、いつものように道を歩いていると歩道に横付けされた車から男がおりてきた。
緩いウェーブがかかった髪に吊り上がった赤い瞳、真っ白なスーツに身を包んだその男は炭治郎を見ると「ようやく見つけたぞ」と炭治郎の腕を取った。
100年前の宿敵がいきなり目の前に現れたことに呆気に取られていたが、腕を取られた感触にはっと我に返る。すぐに腕を振り払い、バックステップで距離を取るついでに腰の刀に手をやろうとし、今が大正時代ではないことを思い出す。丸腰だ。
とはいえ、逃げるという選択肢はない。炭治郎はどうやってこの目の前の男を倒そうか、と考えながら周りを見渡した。刀の代わりになりそうなものはないかとぐるりと見渡す。
「素晴らしい身のこなしだ」
ぱちぱちと鬼舞辻が手を打つ。
素直に称賛しているらしい匂いに違和感を覚え、もう一度鬼舞辻を見てその違和感に気付く。太陽の下にそいつはいるのだ。
確かに倒したはずの鬼舞辻が今は太陽の下で堂々と歩いている。ということはこの男は自分と同じように転生したのか。記憶はあるのかどうか。自分に会いに来たから記憶はあるのか。ぐるぐると可能性をいくつも頭の中で考える。
「竈門炭治郎、で合っているか?」
「え?あ、はい」
すまない、と言いながら頭を下げた鬼舞辻は続けて腕を突然取ってしまったことを謝罪した。それに偽りの匂いがしないことを確認してから、炭治郎も少しだけ警戒心を薄めた。
名前を聞く、ということは俺のことを知らない?記憶がないのか。
だが、こいつが何か意図があって炭治郎に近づいていたことは確かだ。
いざという時に頭突きができるようにだけは身構えておく。
「私はWICDの鬼舞辻月彦という。
竈門炭治郎、君を我がチームにスカウトしに来た」
「WICD?」
鬼舞辻は真っ黒な名刺を炭治郎に渡す。WICDという文字の羅列の下に不老不死対処対策課室長という文字と鬼舞辻月彦の名前が書かれている。不老不死、という文字に一瞬鬼という言葉が脳裏にちらつく。
ばっと顔を見上げると鬼舞辻は美麗な笑みを浮かべて、手を差しだした。
「続きはカフェで話をしよう」
立ち話をするには説明が長くなると言われれば頷くしかなかった。
高級な黒塗りの車に乗り込み、見慣れぬ景色を走って十数分。
お洒落なカフェに入るとお店の人がやってきて個室に案内される。鬼舞辻のボディガードらしい人が部屋を確認してから中に入る。
花びらの装飾が施された白い壁に小窓が一つついていたが、その窓は固く閉ざされていた。
壁に飾ってある絵画はどこかの風景画のようでのどかな田園風景が広がっている。その絵画をちらりと見てから部屋の真ん中にあるふわふわのソファへ向かう。
アイボリーの柔らかいソファの前にはガラスのテーブルがあり、その上には紅茶とケーキやマフィンといったお菓子が並んでいる。だがそれに手を付けることはできず、正反対に座った鬼舞辻を睨んだ。
「君は、この世の中には化け物みたいなものがいると思ったことはないかい?」
「あります」
即答する。
だって、100年前に鬼と戦った記憶が炭治郎にはある。
鬼舞辻はやはり記憶があるのだろうか。とはいえ、何故その話を自分に?
それに100年前の鬼舞辻と目の前にいる男は姿形、声も同じだが、どこか何かが違う。瞳だ。瞳孔は鋭くなく、血の匂いも一切しないから鬼ではないことはわかる。そう、あの時感じた不愉快な匂いがこいつからは一切しない。
どこか傲慢な自信溢れる匂いはそのままだが、どこかお館様のような匂いに似たものに変質している。
「なら話が早い。
昔、この国には鬼がいた。不老ではあったが、不死ではなかったがために今はもうその鬼はいない。だが、鬼に似たような生き物はこの国以外にも存在した。
長い間この日本は鎖国をして一部の国としか取引していなかったおかげか、外国の化け物が日本にやってくることはなかった。
しかし、だ。
鎖国は終わり、世界中の国への行き来が可能になった今、外国の化け物が日本にやってきては人々を襲っている。
吸血鬼、人狼、魔女、ミイラ、呼び方は各地で違うが、どいつもこいつも不老で人間離れした力を持つ化け物で日の光に弱い。そして、倒すには特別な武器が必要だ。
竈門炭治郎。君のことは調べさせてもらった。
高い身体能力があり、なおかつ剣道でも居合でもなく実践的な剣術技能を持つ、類稀なる存在だと。
どうか私たちの力になって欲しい」
鬼舞辻がまた頭を下げた。
沈黙が部屋の中を支配する。鬼舞辻は炭治郎が話すまでは頭を下げ続けるつもりなのか、その姿勢のまま黙り続けている。
炭治郎ははぁっとため息を吐いた。
少なくとも目の前の男は嘘をついていない。その匂いがしないことが逆に残念だった。平和な世の中だと思っていたのに実はそうでなかったのか。人知れずまだ人を襲う鬼のようなものがいる。
それを聞いて見知らぬフリができるかと言えば、否である。
守りたいものがたくさんある。まだ失われていない幸せがある。数ヵ月前に見たあの幸せそうな景色を守りたい。奪われてなるものか。答えは決まっている。
この男と共に戦うことになるなんてどんな悪夢だろうと思ったけれど、いくら頬を抓ろうが今見ているこれが現実だと痛みが訴えてくる。
「わかった。力になる」
不承不承に頷けば、鬼舞辻が顔を上げた。満面の笑みを浮かべている。それに素直に鳥肌が立つ。
「ありがとう。竈門炭治郎くん。
必要な書類は後日送付しよう。本部や他のメンバーとも顔合わせをしたいから、暇な日を教えてくれ。写真撮影の日取りも決めたい。CM用にもいくつか撮っておきたいな」
「ちょ、ちょっと待ってください。しゃ、しゃしんさつえい?」
写真撮影、CMと明らかに化け物退治とは不必要な単語が出てきて炭治郎は思わず話を止めさせる。
なんだ。化け物を倒すために炭治郎の力が必要じゃなかったのか。あれ?もしかして全部嘘?自分の鼻が何かおかしくなったのか?
焦る炭治郎に鬼舞辻は目をぱちりと瞬かせると「そうか。まだ知らないのか」と言って、鞄から一冊の雑誌を取り出す。
WICDついに日本にも公式チームが!?とでかでかな文字と共に世界各国の美男美女が映っている。
「へ?」
「言っただろう。
世界各国の化け物がいると。つまりそれらを狩る組織もそれぞれの国に存在する。昔は良かった。ここまで情報化社会ではなかったし、闇夜に紛れてこそこそと人を食う化け物が多かった。
しかし、今は多様性がどうのこうのと阿保の一つ覚えのように叫ばれ、大胆に行動する化け物も増えた。
化け物のことを公にすればいらぬ暴動が起きる可能性があるし、それを更に悪用するものだっている。秘密裏に処理するのはかなり難しいんだ。
故に、これをパフォーマンスとして昇華することにした。化け物退治は国を挙げてのエンターテイメントであり、ショーだ」
命を賭けた殺し合いをショーだと言い、見世物にすると言われてぶわりと怒りに目の前が真っ赤に染まりそうになる。やはりこいつはこの世に存在してはいけないものでは。
怒りで震える手をぎゅっと握り締める。
「……とはいえ、他国と同じように我が国もしなければならないという道理はない。そんな面倒臭いことうちはやらん。大体化け物が出たら各放送局に連絡するなど無駄の極み。
そんなことするくらいならさっさと始末した方が面倒ごとがない。
ただ他国の情報を得る為、政府公認の組織として認めてもらうために世界機関には所属する必要がある。WICD本部より広告としてモデルのような仕事は最低限はこなして欲しいそうだ。
そこは理解して欲しい」
鬼舞辻の言葉から吐かれたのは意外なことに至極まっとうな言葉で、WICD上層部の意向というならと受け入れる。
「そういうことなら、まぁ……」
「ありがとう」
感謝の言葉を素直に述べる姿にやはりこの鬼舞辻は記憶がないんだなと納得した。
差し当って先にしておきたかった説明はすべて終わったとテーブルに置いてある菓子を改めて勧められる。冷えた紅茶を温かいものに変えようかと提案する鬼舞辻に大丈夫ですと言って白い陶器のティーカップを手に取る。
お洒落なカフェはケーキもマフィンも美味しくてびっくりした。いつか鬼舞辻ではなく他の友人と一緒にここに来ようと心に決めた炭治郎だった。
WICDの日本チーム名は『鬼狩り』という名前に決まったようだ。
鬼殺隊ではないのか、少し落胆したが殺という言葉が印象が悪いと言われれば確かにそうかもなと思った。
後日祖父母の家に届いた書類を隈なくチェックして、両親にも保護者のサインをもらうと茶封筒に入れてWICDのメンバーの顔合わせの日を待った。
前世鬼殺隊だった人たちがメンバーだったりしないかとかわくわくしながら期待して向かえば50階建てのビルにたどり着き、その高さに思わず足が立ち止まった。
ビルに入っていく人たちは皆スーツを身にまとっているのを見て自分の姿を思わず見下ろしてしまう。
服装とか指定がなかったからいつものTシャツにデニムのズボンという私服で着てしまったが、どう見ても周りから浮いてしまっている。こんな姿でビルに入っても大丈夫なのか。入る前にビルの前に立つ警備員に捕まらないか。
うろうろとビルの前で不審者の如く立ち往生していると、ぽんっと背中を叩かれた。
「おい、そこで何をしている」
「うわぁ!?」
叫んで飛び上がって話しかけた相手を見る。警備員じゃなく、ポロシャツにスキニーズボンを履いた同じ年頃ぐらいの青年にほっと息を吐く。しかし青年は炭治郎を見ると少し驚いたように目を見開いた。
「お前は……まさか炭治郎か?」
「え?なんで俺の名前……」
知っているんだと言おうとした言葉を飲み込む。その声、ばさばさのまつ毛を見たことがある。変な青い入れ墨もなく、髪が赤くなく、その瞳に上弦の文字も参という数字もなかったが、確かに見覚えがあった。
「猗窩座!?」
「やっぱりお前炭治郎か!
ということはWICDのメンバーとしてお前も呼ばれたんだな」
「WICDのメンバーってことは猗窩座も?」
「そうだ。
この俺がまさか『鬼狩り』になるとはな」
自嘲するように猗窩座は笑う。炭治郎もまさかWICDのメンバーにかつて鬼だった人がいるとは思っていなくて驚く。しかも、猗窩座は前世の事を覚えてる。
それが嬉しくて思わず泣いてしまうと猗窩座がぎょっとした顔で慌てだす。前世では命を賭けてやりあった敵ではあるが、同じ記憶を持つ者に出会えたことの嬉しさと安心で涙が止まらなかった。
周りの人がじろじろと見てくるのに慌てて猗窩座が炭治郎を連れてビルの中に入ると、空いているエレベータに飛び乗り手慣れた様子で目的の階を押す。
「いきなり泣くのは止めてくれ。俺がまるで泣かせたみたいだろう」
「いや、ごめん。なんか記憶持ってる人に会えたの初めてで嬉しくて」
「そうなのか」
猗窩座は炭治郎の言葉に驚いたようだった。
「確かに前世で鬼だったやつで記憶を持っているやつはまだ見たことないな。
だが、俺たちのリーダーは記憶を持ってるぞ。
記憶を持ってるやつと持ってないやつとの違いはよくわからないが、少なくとも記憶持ちはいる」
「えっ」
「ほら、目的の階に着いたぞ」
ぽーんという音と共にエレベータの扉が開く。無機質な白い壁と赤い絨毯が引かれた廊下を歩き、カードキーでWICD『鬼狩り』と書かれた鍵を開ける。プシュッと廊下を塞いでいた自動扉が開くとその先に佇む金と炎の髪が見えた。
「れんごく、さん?」
炭治郎の言葉に炎がゆらりと揺れる。振り返ったその顔は確かに見覚えがある。頭突きをしたことも覚えてる。驚いた匂いをほんの少しだけさせているが、その佇まいは100年前に見た時よりも洗練されている。
「竈門くんか」
「わぁっ!槇寿郎さんお久しぶりです!」
柔らかな表情にこの人も記憶を持っているのだと気づく。
走って駆けよれば、久しぶりだなと頭をわしゃりと撫でられた。
100年前は悲しみと後悔と苛立ちの匂いが色濃くその身体に染みついていたけれど、今はそんなことない。恐らく今世では家族仲良く過ごしているのだろうなと思う。
「あれ?でもどうして槇寿郎さんがここに……」
「それは俺が『鬼狩り』のリーダーだからだ」
「槇寿郎さんが!」
確かに鬼殺隊の炎柱を務めていた槇寿郎であれば間違いはないだろう。上官が槇寿郎であることに嬉しくて腕を振って嬉しさを伝えていると、後ろからお腹に手を回された。
「わぁ~新しい子が入ったんだねぇ」
右肩からぬっと顔を覗かせた男は炭治郎を見て目を輝かせた。
白い髪をふわふわと跳ねさせて、虹色に光る光彩の瞳を細めて笑う男はに表面上にこにこと楽しそうに笑っていた。しかし漂ってくる匂いは無臭で、本当にこの男が嬉しいと思っているわけではないことがわかる。
苛ついた顔で猗窩座がその男を引き離そうとするが、男はぺったりと炭治郎に抱きついたまま離れない。
「なんだい猗窩座殿、もしかして君も僕にぎゅーってしてもらいたいのかい?
ふふ、後でしてあげるから安心しなよ」
「しなくていい。あと炭治郎から離れろ」
「えぇ、嫌だよ。
ようやくかわいい女の子がやってきたんだから親睦を深めたいじゃないか。
ねぇ、炭治郎ちゃん」
にこりと笑う男に猗窩座はため息を吐く。
「お前の目は節穴か。炭治郎は男……」
「いや、すまない。
言うのが忘れていたが、俺は今世では女だ。そうは見えないかもしれないが」
炭治郎がそう言った瞬間に抱き着いていた男が吹っ飛んでいた。槇寿郎がいつの間にか木刀を手にしている。目にも止まらぬ抜刀だ。
吹き飛ばされた男もちゃんと受け身を取っていたのか、壁にぶつかったようなすごい音がした割にはその場でぴょんと跳ねて服が汚れちゃったとにこにこ笑っている。
「槇寿郎殿、いきなり攻撃するなんて危ないじゃないか」
「同意なく婦女子に抱き着くのはいかん」
「やだなぁ。今度から一緒に戦うんだから親愛のハグですよ、ハグ」
「お前は一度黙れ」
「猗窩座殿もそんなに怒ることなくてもいいじゃないか。
あ、炭治郎ちゃん。俺の名前は童磨ね。よろしく」
炭治郎に近づこうとする童磨を槇寿郎がその間に立って防ぐと、童磨は手を振って自分の名を名乗った。軽薄な人だなぁと手を振り返すと猗窩座がこそりとあいつは元上弦の弐だと教えてくれる。鬼だった記憶はないらしい、とも。
槇寿郎がくどくどと童磨に小言を告げていると後ろの方で扉が開く音がした。
そちらを振り向くと、今度もまた懐かしい人がいた。
「あ~新メンバーって竈門のことだったのか!良かったよ。
こんな面子でやっていけるのかって本当に心配だったからさぁ」
「村田さん!」
「はぁ~、全くお前も運がないやつだな」
「後藤さんも!」
手を取り合って村田と再会を喜び、後藤ともお久しぶりですと挨拶する。二人とも前世ではよくお世話になっていたので会えて嬉しかった。記憶もあるようで本当に良かったぁと鼻水を出してずびずびと泣けば、ハンカチを手渡された。
「わかるよ。
ほとんどのヤツ覚えてないんだもん。冨岡もさぁ、顔を見合わせてもお前は誰だって表情でさぁ、精神的にくるっていうか」
うんうんと頷く村田の横で「そうかぁ?」後藤は呑気に首を傾げた。
「俺はちょっとほっとしたけどな。
柱やっぱ怖いし」
ちらりと槇寿郎を見てから村田と炭治郎の二人に向き直り後藤は安心するなぁと呟いた。
「お二人ともWICDのメンバーなんですか?」
「いんや。俺は裏方。戦えないし」
「俺は一応戦えるからメンバーだけど……やっていけるか不安だよ」
「それは俺も同じです。
呼吸だけは小さい頃からやってますけど、筋肉がなかなかつかなくて」
袖を捲って上腕二頭筋を見せながら腕に力を込めてみるが、ぺしょりとそこはなだらかなままだった。その会話に猗窩座が近づいてくる。
「男と女とではそもそも筋肉の付き方が違う。女性は足の方の筋肉が付きやすい」
「あ、そうなんですか?」
「ああ。とはいえ、バランスよく身体は鍛えた方がいい。
成長期であればなおさら、急ぐ必要はない」
「良かったです!」
「いや、でも竈門は前世と比べるとちょっと背が低いか?」
「そこらへんも男女の違いってやつですかねぇ」
「かもしんないな」
しみじみと話しているが、後藤も村田もあまり炭治郎が女であることは気にしていないようだ。それがまた嬉しい。
「メンバーは全員揃ってるようだな」
扉がまた開くと、今度は鬼舞辻が入ってくる。その後ろに産屋敷耀哉が続く。懐かしいその人に思わず膝をつきそうになるが、それを槇寿郎が首根っこを掴む。
「自己紹介は終わってるようだな。
紹介する。うちのスポンサーの産屋敷だ。政界、芸能界とあらゆるところに顔が利く便利なやつだと思えばいい」
「鬼舞辻くんの言う通り、私はスポンサーとして君たちを支援するよ。
と言っても君たちにも協力してもらうことにはなるけれど、ひとまず集合写真やチーム紹介用の動画をこれから撮っていくことになるだろうからよろしくね」
耀哉はにこにこと鬼舞辻と話している姿を見ていると不思議だ。二人とも軽口をたたき合いながら親しそうにしている。
「あの二人は今世では親族の幼馴染として過ごしている。記憶はない」
こそりと槇寿郎が炭治郎に耳打ちする。
お館様も記憶がないのか。少し寂しさを覚えるが、彼の優しさは前世と変わらないようで、何か困ることがあれば気軽に言って欲しいと微笑まれたのに全力でこくこくと頷いた。
「それでは、早速ブリーフィングを始めよう。
地図をこちらに」
鬼舞辻の言葉に後藤が壁のモニターに地図を表示させる。日本全国の地図にいくつか赤い丸が付けられている。
「この赤い点の場所は鬼がいると思われる場所だ。
隠密部隊に情報を集めさせて、鬼がいる可能性が高いものだけ表示している」
「思ったより多いな」
「日本ではまだWICDが設立しておらず、海外の部隊が常駐して狩っている。
日本政府としてもそんな危険な奴らを日本に渡航させたことがバレれば批難されるのがわかってるから秘密裏に狩ってもらってるんだが、それに関して注文が多くてな」
「その話は後にしよう。鬼舞辻」
「そうだな。
とにかく『鬼狩り』に選ばれた君たちにはこの鬼の対処に向かって欲しい。新人には煉獄がついてやれ」
「御意」
「猗窩座は一人でもやれるな?童磨は村田と一緒に」
次々と鬼舞辻が指示を出していく。的確でわかりやすい指示には口を挟む余地すらない。
村田は童磨と組むと知らされて少し嫌そうな顔をしたが、童磨は気にせずよろしくと絡みに行く。前世は鬼であった相手と組むことに忌避しているのが自分だけではないということにほっと安堵する。
同時に自分と組む相手がまだ煉獄で良かったと思った。
シャツと短いフリルのキュロットの上に昔の隊服と同じ素材で作られた黒のウインドブレーカーを羽織る。せめて長ズボンにしてほしいとお願いしたが、これが正式な隊服なのでと断られた。
生足で戦えと?と思わずスンとした表情になったのは仕方がないと思う。
「準備はできた?」
「できました!」
WICDでの戦いも数か月経てば戦い方にも慣れた。今では煉獄ではなく、村田と組んで仕事を組むことが多い。
村田の言葉に元気よく答えて、真夜中の市外へと駆けだしていく。
今日の任務は元鬼殺隊のメンバーが住んでいる地域だ。まさかこんな深夜に知り合いが徘徊してるとは思えないが、用心に越したことはない。村田だっていつも以上に緊張している。
目的地点に近づくと二人そろって近くにあった自販機を掴み、それを足場に住宅街の屋根へと着地する。
トトンと着地する時にたてた小さな音は軽い。3軒先の2階建ての家屋の屋根裏に飛び乗った村田はそこから鬼が見えるか確かめている。炭治郎も村田と同じように近くを探す。
日本と違って外国の鬼もどきは異形の形をとることが多いらしい。そのおかげでわかりやすく、見つけやすいのがありがたい。前世では人に紛れているような奴らもいて、そういうのは匂いでしか炭治郎には判別できなかった。
『目標、北北東の方角。距離380m。見えるか?』
後藤の言葉に腰の日輪刀を手に、その方角を見つめる。確かにそちらに毛むくじゃらの蠢く黒い影が見える。
『人狼かぁ。力がめちゃくちゃ強いんだっけ』
村田の声もインカムを通して聞こえてくる。気をつけろよ、と言葉が聞こえた時には村田はすでに走り出している。真正面に人狼の方へ向かう村田に対して炭治郎は挟み込むようにやや迂回して向かう。
郊外から少し離れた町は深夜の明かりは少なく、月明かりが一番の光源だった。
水の呼吸を使い、屋根を自由自在に飛び跳ね、村田は走る人狼と追われる人の間に降り立つと刀を振り抜いて狼男ごと隣の路地に向かって跳ぶ。
『毛がふっさふさで斬りにくいっ!』
「頸はどうですか?」
『少し刃が入ったくらい!すまんが俺じゃ無理!』
「了解です!」
インカムに村田の叫びにそう答えて、刀を抜き人狼を村田と挟む形で反対側の路地に降り立つ。
村田は当初の狙い通り人狼を裏路地へと追い込んでくれている。 前世から呼吸を使えると言えど、平和な現世では無用のものだ。身体が覚えている技を無理やり繰り出しているのだから、その精度は前世に比べたら格段に劣る。だから村田が頸を斬れなくても仕方ない。むしろ呼吸を使えるだけでも大分すごい。
日の呼吸は水の呼吸よりも攻撃に特化しているから炭治郎は頸を斬れるだけだ。
ゴォオと日の呼吸の独特の音をさせながら、人狼に近づく。炭治郎よりも二回りもでかく、腕も丸太のように太い。
「すまないが、頸を斬らせてもらう」
何人か人を食った腐臭が人狼からはする。こちらの声が聞こえないのか、それともわからないのか、低い唸り声をあげて爛々と炭治郎を睨んでいる。
人狼は道を塞いでいるのが、小さな少女だということに油断しきっているようだ。大振りに右手を振り上げ、少女の立つその小さな路地に向かって鋭い爪を叩きつける。
しかし、爪が地面を叩きつける音も、少女の赤い血が飛び散ることもない。人狼が瞬きの内に少女の瞳が顔前に会った。月明かりよりも眩しい赫灼が人狼を見つめている。
「……来世は、どうか」
化け物にならないでください。
少女の言葉が人狼に聞こえたかどうかはわからない。一瞬炎のような軌跡が見えたかと思うと人狼の頸は切れていた。離れていく頭から、少女を殺そうと振るった腕がすでに切り離されていたことにも気づく。
人狼は異国の地で死ぬことを嘆くように小さく遠吠えを上げると、その身体を塵に変える。地面に落ちるよりも早く、それは存在を消すようになくなる。
刀を納め、炭治郎は村田の姿を探す。いつもならお疲れ、と声を真っ先にかけてくれる人がいない。何か問題が発生したのかと、周囲を見回した時に表通りからこちらを覗き見ている男がいたことに気付いた。
コンビニの袋をぶら下げた男は、何故ここにいるのか。深夜遅くに。
「おい、お前」
『逃げろ!』
男の声に被さってインカムから焦った声が聞こえる。いつの間にか立ち止まっていたらしい身体を無理やりに動かして、表通りから背を向けて裏路地の奥の方へと走っていく。
その後を追いかけてくる足音が聞こえる。
『そのまままっすぐ300m先に左にある細い路地に入れ!そのまま少し先に協力者の家があるから一旦そこに避難しろ』
インカムの指示にマイクを二回叩いて了解と知らせる。指示通りの道を走り、青い彼岸花のシールが貼られた扉を開ける。協力者らしい古い木造建築の家屋はなんだか懐かしい気配がしてほっと安堵の息を吐く。
だが、直後にどんどんと背の扉を叩く音に驚く。
いや、呼吸を使って全速力で逃げてきたのだけれども。たらりと額を伝う汗にどうしようかと思っていると、老婆が奥からやってきた。しぃっと口に手を当てると、炭治郎を扉から見れぬ場所にいるように移動させて、扉を開けた。
「どうなさいましたか?」
「すまない。先ほどこちらに子供がやってこなかったか?」
「いえ……。この家には私一人しか住んでおりませんし、こんな夜更けに子供ですか?」
老婆の言葉に男は一度家の中を見回した後、頭を下げた。
「勘違いだったかもしれない」
「いいですよ。こんな夜遅くまでご苦労様です」
ふふふと笑う老婆に男は扉を閉じようとし、じっと炭治郎が隠れている方を睨んだ。その視線に肩を強張らせて、ばたんと扉が閉まる音が聞こえるまで息を潜めた。
老婆がもう大丈夫ですよ、と聞くと安心してその場にへたり込む。
「こ、こ、怖かった~!」
『な、言っただろ……。現世でも柱は怖いって』
「怖いっていうか、なんていうか」
獲物になったみたいだ、という言葉はさすがに失礼だと思って飲み込んだ。
『炭治郎、大丈夫だったか!?』
「村田さん、人が来てたなら教えてくださいよぉ」
『悪い!俺も直前まで気づかなくて、逃げるのに必死だった!』
村田も大分焦っていたのか、はぁはぁとインカムから聞こえてくる呼吸が荒い。とにかく無事で良かった。任務は達成した。良かった良かったと二人でインカム越しに慰め合って、その日はその場で解散となった。
いくら夜に仕事をしようと朝が来たら村田は大学院生で、炭治郎は高校生としてそれぞれ学校に行かなくてはならない。どれだけ成果をあげようと義務教育は免除されない。ただ通帳に労働力に見合った少々桁の多い金額は振り込まれるが。
祖父母の住む家に帰り、短い睡眠を取って目覚めた後は普通の女子高校生に戻るのだ。何喰わぬ顔をして祖父母と会話をしながら朝食を取り、家を出た炭治郎は今日も他の人と変わらない日常を送ろうとしていた。
家を出て三歩歩いた先にまさか深夜に出会った姿のまま、前世の兄弟子が立っていたことに思わず叫び声をあげてしまったのは仕方のないことではないだろうか。
結婚式のモデルをやってみない?と言われて思わずは?と返してしまった。たとえそれを言ったのが大好きな姉だったとしても、冨岡義勇はその言葉の意味がわからなかった。
冨岡義勇は自らの容姿に頓着がない。姉は美人だと言うのは疑わないが、その姉と血の繋がった自分も美人であるという事には気づかなかったのだ。学生時代に何度か同級生に告白されたことはあるが、容姿に惚れたのではなく罰ゲームか何かで告白しに来たのだろうと思っていた。
故に自分の容姿が優れているとは一度も思わずに生きてきた義勇がモデルをやってみない?と姉に言われたとしても何で自分がとしか思わなかった。けれど、義勇は姉が大好きだ。親友が好きだ。大好きな人たちに頼まれたなら何とかしてやりたい。
は?と返した後にわかったと即座に了承した。判断の速さは昔通っていた道場の恩師にも見張る所があると褒められたことがある。
こうして義勇は姉のために結婚式を挙げる新郎のモデルを引き受け、当時学生で美人だった教え子に新婦のモデルをやってもらい、義勇の持てる知り合いというコネを使い人を集めた。
その甲斐があって本番に近い結婚式ができ、良い写真が取れたと姉は大層喜んだ。
しかし、誤算が一つあった。
義勇は口下手である。本来ならするべき説明を省いてしまうという致命的な欠点だ。そしてそれは今回協力を仰いだ参加者が本物の結婚式だと思い込んでしまったことだった。
写真撮影も終わり、お疲れさまと慰労を兼ねた二次会で、にこにこと純粋な笑顔でおめでとうございますと教え子に祝われるのに首を傾げながらああと答える。無事に撮影が終わったことにおめでとう、という意味だろうか。
だが、今度から冨岡しのぶになるんですねなんて言われた新婦は化粧でも隠し切れない青筋を立てた。
「冨岡さん、皆さんに説明したんですよね?」
「胡蝶」
「せ・つ・め・い・し・た・ん・で・す・よ・ね?」
はっきりと言葉を区切って言われて、義勇はぎゅっと口を結んだ。
説明したつもりだったと答えれば、つもりじゃ駄目なんですよと突かれた。
その場で今日は撮影のためであって、別に本当に結婚式を挙げたわけじゃないと言えば、本当の結婚式を挙げたと思っていた参加者の半数からはえぇっ!?と驚きの声が上がった。
すまないと身を縮こませて謝る義勇の耳にこそりと遠くの話し声が聞こえる。
「炭治郎、多分本物の結婚式だと思ってたよなぁ」
「どうしよう?言っておいた方がいいかな?
ご祝儀袋渡しておいてくれって受け取ってあるんだけど」
「後で返しておこう」
その言葉にばっと顔を上げる。炭治郎という名前に義勇がその声が聞こえた方を見れば、前世、弟弟子の妹とその夫が二人してこそこそと話している。その周りには見知った顔が集まっている。てちてちとその集まりに向かって歩いていくと、彼らは義勇に気付いたようで頭を下げた。
新任として向かった高校にいくつか知った名前があることは知っていたが、不幸なことに義勇の体育の授業を受け持つクラスには彼らはいなかったから、現世では話すのは初対面だ。いや、我妻だけは委員会で話すこともあるか。
「炭治郎は」
「あ、炭治郎は私の姉です」
兄ではなく姉?それに疑問を持ちながらも、その炭治郎はどこにいるのかと訊けばもうすでに帰ってしまったと返された。
「姉と知り合いですか?」
「……」
知り合いと言われると、前世では知り合いだった。現世ではまだ知り合ってはいない。出会ってないから記憶を持っているのか持っていないのかさえ、聞けていない。
前世の知り合いが多く集まるこの中で唯一炭治郎だけがこの場にいない違和感だけを感じながらも、それ以上のことは聞けず義勇は黙った。この集まりの中で前世の記憶を持つのは義勇だけだったからだ。
そのまま炭治郎の事を訊く機会を逃してずるずると日常に戻ると、ある日風紀委員の仕事で残っていた我妻に冨岡先生と呼ばれた。スマホを見せられる。没収しようと伸ばした手を我妻が避ける。
「冨岡先生、これ見てよ」
そう言われて仕方なく、スマホを覗き込む。
WICD日本公式チーム発足と書かれた記事が映っている。
「絶対に先生が見たら驚くと思うんだよね」
そう言って我妻はその記事をスクロールしていく。
メンバー紹介に見慣れた金と赤の髪が映る。
煉獄槇寿郎。同僚の父だ。童磨。こいつは知らない。猗窩座。こいつは名前は知ってるが見た目がなんか違う。村田。お前、なんでこんなところに。
そして最後の一人。
赫灼の少女が画面越しにこちらを見ていた。
「竈門炭治郎」
炭治郎は確かに今世では女性に生まれていたらしい。妹の禰豆子に似て可愛らしい顔だが赤みがかった黒髪も赫灼の瞳は前世と変わらない。
チーム『鬼狩り』。
街中を舞台に5VS5でチーム戦を行うエクストリームスポーツは海外では人気のスポーツらしく、剣や弓を手にさながら陣取り合戦のようだ。
何故そんなところに所属しているのか。
我妻のスマホを奪い、さらにスクロールすれば懐かしいお館様の姿と宿敵の姿の写真が仲睦まじく並んでいる。その衝撃たるや、口を開けて固まってしまった。
「……先生ってさ、記憶持ってる?」
「ああ」
「そうなんだ。俺はつい最近思い出したんだけど。
先生は?」
「3年くらい前だな」
「そうなんだ。なんかこう……チーム鬼狩りってなんでこの名前?って感じだよねぇ」
我妻はスマホを俺の手から抜き取るとすいすいとスクロールする。そしてタップするとずいっと俺の前にスマホを再度見せる。
そこには炭治郎が童磨と呼ばれる男に肩を抱かれてピースをしているサインだ。近いその距離に誰かの腕が童磨の肩を掴んで引きはがそうとしているのが見える。仲睦まじいと一般的には見えるそれに対して義勇の中に浮かび上がる感情がただ一つ。不愉快である。
「この童磨って人、しのぶさんを食った人で、カナヲと伊之助が戦った上弦の弐っていう人なんだけど」
「我妻。WICDはどこにあるんだ」
「不機嫌なのはわかるけど、そういう情報開示されてないからできないんだよぉお」
俺だって炭治郎がこいつらとつるんでるの嫌なんですけど!?って叫ぶ我妻を無視して義勇は自分のスマホを取り出して知り合いという知り合いに連絡していく。
WICDを知っているか。簡潔なメッセージに大体は知らないと返事が返ってくる。だが、中には我妻のように今度公式チームできるんだよねとか、海外のおすすめのチームを進めてくる奴もいた。
そんな中に一つ、意外なところから返信がきた。
『夜に化け物退治してるらしいよ』
「化け物退治?」
そんなスマホのメッセージを我妻も盗み見ていたようで零れる声に義勇は22時以降は出歩くなよと教師らしく説教する。こくこくと頷く我妻を確認してから、化け物退治という言葉を考える。
思いつくのは前世の鬼退治のことだ。とはいえ、鬼は倒し、今はその鬼もいない。厳密には一人と一匹存在しているが、彼らは人を襲うことはない。となると化け物とは一体。
考えたところで仕方がない。我妻にさっさと家に帰れと言って、その日から時々義勇は深夜に町を徘徊するようになった。
大正時代よりも明るく平和な現世では深夜も静かで平和だった。いるとしても不良などで現世でも身体を鍛えている義勇には子供のようにしか思えない。飲酒、喫煙している不良などは問答無用で竹刀で叩き説法していればいつの間にか、深夜に悪いことをすると鬼教師が竹刀を持ってくるとかいう変な噂話ができていた。心外である。
とはいえ、そんな噂が出来ても肝心な化け物退治をしている所には会えず、かといって記憶を持っているのかわからない炭治郎がいる祖父母の家をいきなり訪れるわけにも行かず、八方ふさがりだった。
その日も月が綺麗な日で竹刀片手に深夜の町を徘徊していた。ただ少し違っていたのは、屋根を走る二つの足音が聞こえることだった。それに加えて前世ではよく聞きなれた水の呼吸が微かに聞こえた。
その特徴ある音を追って走る。表路地から狭い裏路地へ入れば、ちょうど刀を持った誰かが巨大な毛むくじゃらの何かの頸を斬っていた。その瞬間、一人が姿を消す。
首を斬った誰かはこちらにまだ気づいていないようで、とんっとその場に地面に降り立ちながら、斬ったそれが塵に消えるのを見届けてから刀を鞘にしまった。そしてこちらに気付いた。
月明かりに照らされずともわかる赫灼に、咄嗟に手が伸びていた。
「おい、お前」
しかし目の前の少女はすぐに踵を返して深い闇の方へと走っていく。だが、瞳がこちらを見て、驚いた顔をしたのが義勇には見えていた。記憶がある。記憶があるのに逃げた。
「くそっ」
すぐさま追いかける。そちらが呼吸を使うのであればこちらだって使う。呼吸を使えるのが自分だけだと思うなよと舌打ちをしながら背を追いかけて、路地を曲がった姿を見失う。
だが隠れるような場所はこの場に少なく、近くの家の戸を叩けば、少し時間をかけて老婆が出てきた。
「どうなさいましたか?」
「すまない。先ほどこちらに子供がやってこなかったか?」
「いえ……。この家には私一人しか住んでおりませんし、こんな夜更けに子供ですか?」
老婆の言葉に嘘はないように見える。暗い家の中をゆっくりと見回す。確かに目に見える範囲にはいないようだ。
「勘違いだったかもしれない」
「いいですよ。こんな夜遅くまでご苦労様です」
老婆がそう言って、扉を閉めようとしたそのドアノブ反射して映る月明かりに一瞬姿が映る。
じっと隠れているつもりだろうが見つけたぞというように睨んだ後、義勇はその家を後にした。そしてそのままスマホで我妻に電話をし、叩き起こした後炭治郎が住んでいる祖父母の家の場所を聞き出すと深夜にも関わらず車を走らせた。
炭治郎の家の前でひたすら待つ。今度は逃がさない。何をしているのか。企んでいるのか。聞きたいことはたくさんある。
呑気に欠伸をしながら家から出てきた少女はこちらの気配に微塵も気付く様子もなかった。
「炭治郎」
数時間ぶりだな?と言えば炭治郎は幽霊でも見たような形相で悲鳴を上げた。
なおこの後義勇さんは村田さんの代わりにメンバー入りする。
そう願ったおかげか、目の前で大切な人達が綺麗な装いで互いを愛おしそうに見詰めあっている。
少しだけ何故か痛む胸に気付かないふりをして潤む涙を拭った。
前世、兄弟子であった冨岡義勇と蟲柱であった胡蝶しのぶ。
二人の結婚式は陽の光が柔らかに降り注ぐ綺麗で厳かな教会の中で、たくさんの人達に見守られながら行われた。
ステンドグラスから入ってくる光は赤や青、黄色と色を変えて式場にいる人々や壁や床を鮮やかに彩っていた。しんと静まり返る教会内には朗々と神父の声が響いている。
大正時代のあの戦いから百年。不思議な縁であの頃の仲間のほとんどが同じ地域、学校という場に揃った。
あの時、命を落としたいくつかの人も今度は何も失うことなく平和に過ごしている。それに記憶のある自分は時々目を潤ませながら過ごし、今日まで生きてきた。
これ以上ない幸せな未来があることに感謝しつつ、俺はその輪の中に入りはしなかった。
前世の記憶がなまじあるせいで、変な事を口にしかねなかったのだ。嘘が苦手な性格は百年経とうと変わらなかったので、少しだけ距離を取ったような姿勢を貫いたおかげで今世では顔を知っている程度の付き合いになってしまった。だが、それ自体に後悔はない。
善逸は相変わらず禰豆子が好きで、伊之助も運動神経がよくて、カナヲは前世より自分の意思でよく話していて、玄弥も兄弟達と仲良く過ごしている。
禰豆子が善逸と仲が良いおかげで今日の結婚式に俺も参加できたのだ。
前世とてもお世話になった二人が幸せそうにしているだけで良かったと思えた。自分の、百年前の感情など今さらお呼びではないのだ。
おめでとうと周りの声に押されて、自分も同じように主役である二人へ祝福の言葉をかける。
どうか、ずっと幸せでいて。
理不尽に誰かの命が奪われることなく、命を燃やし尽くすような生き方をせず、貴方が貴方らしく生きられるように、笑っていられますように。
願わくばこんな時間がずっと続きますように、と祈る。
暖かい日差しの中で、新芽をつける木々が二人を祝うようにそよそよと揺れた。
結婚式が終わり、式に参加していた知り合いに二次会にも誘われたがそれを断る。禰豆子は善逸たちと二次会に参加するようで、気を付けるようにとだけ言い残して駅に向かった。
竈門炭治郎は高校に進学したのを機に祖父母と一緒に住んでおり、現在暮らしている家は実家があるこの場所から県を二つ三つ越えた先である。
炭治郎が祖父母と一緒に暮らしているのは単に高齢の夫婦が二人暮らしなのを心配して、というのと志望校にも近いからというのが表向きの理由だ。
本当の理由、それは前世との知り合いと距離を置くためである。
前世の知り合いが実家に近い高校に集まっていることは知っていた。けれど嘘のつけない炭治郎の性格では前世のことを話さなずにいることは無理なので、どこか違う場所へ行くのが最善だった。
そう思ったきっかけは小学生の時に顔見知りの隊士の一人に出会った嬉しさから、昔の事を口走らせてしまったことだった。
彼らは前世の記憶を覚えていなかったが、何人かは炭治郎の言葉が切っ掛けで頭を抱えながら当時の記憶らしきものを思い出しそうな傾向があった。幸い完全に記憶を取り戻すまでには至らなかったが、苦しそうに痛そうにする姿にダメだと思った。
今を懸命に生きている人たちに前世の記憶を思い出させてはいけない。
あの記憶を辛いとは思ってないけれど、やはり思い出さないで欲しいと思った。
前世を知っているとどうしてもそれを引きずってしまう。炭治郎だってそうだ。13の時は家族とぴったりと離れたくなかった。毎日両親と弟妹が生きてることを見てほっと息を吐いた。
そんな生活を皆にしてほしいとは思わない。
14の誕生日を無事に迎えた後はその決意を胸に、前世で仲間だった人と会っても記憶を思い出させないようにしようと思った。もしかしたら、何人かは覚えてるかもしれないという淡い期待のようなものはあったけれど、みんな記憶がないようで正直少し安心した。
ともあれ、嘘を吐くのがとても苦手な炭治郎は心機一転。嘘がつけないなら会わなければ良い。そうして高齢の祖父母の家に中学卒業後に転がり込んだのだ。
そして自分も前世から距離を置いて、新しい道を進もうと思ったのだ。
青い空の下、賑やかな聞き覚えのある声が楽しそうに笑っている声が聞こえて足を止めて教会の方を振り返った。いつか、100年前に見れたらいいと思っていた景色がそこにある。
さようなら。いつかの大切な仲間達。
未だに引きずる想いに心の中で別れを告げて、眩しいその景色に背を向けて今度こそ駅に向かって歩いた。
前世も何も遺恨のない地で順風満帆な生活が送れたのはたったの半年だった。
気が付けば100年前のように刀を握っていた。前世と潔くおさらばするはずができていない。驚きである。前世を忘れようと決意したあの気持ちも宙ぶらりんだ。
腕時計をタップすれば深夜の2時18分と明々と時刻を照らしてくれる。
高層ビルにはまだ明かりが煌々とついており、街灯も道を照らしているため大正時代のように月明かりや篝火に比べたら大分明るいし、人通りだってまばらだがスーツ姿の男性や女性が何人かいる。
けれどもやはり明かりがない道は暗く、顔などははっきりと視認することができない。
フードをぎゅっと目深まで被る。一応こちらは18歳未満の子供なので警察に見つかったら歩道される可能性がある。事情を離せばすぐに解放されるというが、色々と面倒なのでバレないようにしろと上官からはきつく言われている。
インカムを付けた耳からジチっとノイズ音が聞こえる。
『50メートル先、曲がり角からターゲット来てるぞ!』
「わかりました!」
ぐぐっと低い姿勢から地面を蹴り、走り込む。闇夜に紛れやすいようにと作られた黒のウインドブレーカーは前世と同じ鬼殺隊の隊服と同じ素材で作られたもので軽いように見えて結構頑丈だ。
細い路地から出てきた黒い影に、近くで歩きながらスマホをしていた人が驚くが謝罪を口にすればその声の高さから子供だと思われる可能性があるため口を閉ざすしかなかった。
自分の背を飛び越えるように黒い影が宙を舞う。あれが今夜のターゲット。
がっと右足に重心をかけて、ブレーキをかけると90度に方向回転をしてすぐさまその後を追う。
グゲグゲッと笑いながらこちらを嘲笑うに見るその化け物の背には蝙蝠のような羽がついている。ばさりばさりと飛んでいきそうなソレに向かって、腰につけたベルトから数本ナイフを取り出し、それに向かって投げる。
「グギャァッ」
カエルが潰れたような鳴き声が響き渡る。二本、三本と続けて走りながら投げたナイフはどれも醜い羽に突き刺さるとぼろぼろと急速に翼を溶かしていく。
飛ぶことができないと判断したそれは地へと降り立とうとする。が、その先にいるのは炭治郎が信頼する仲間の前である。
真っ暗な闇夜にも関わらずその燃え上がるような髪の毛は目立っていた。光に吸い寄せられる虫のようにそれはその男の前に着地すると、そのまま身体を真っ二つにされ地面に伏していた。
目にも止まらぬ速さで刀を一瞬で抜き去り敵を切ったのだ。並みの人であれば何がおきたのかわからないだろう。
だが、その技を見る影は一切ない。防犯カメラも、この時間帯は戦いを影ながら補助する者達によって一時的に差し替えられたり止められている。
なるべく人目につかぬように路地裏まで囲い込みを行い、人知れず討伐する。
現代になっても変わらないそのルールは守ることが難しく、とてつもなく面倒くさい。それが故の少数精鋭のチームだ。今はたった5人しか存在しない。
その一人に竈門炭治郎は選ばれたのだ。
事の始まりは学校帰り、いつものように道を歩いていると歩道に横付けされた車から男がおりてきた。
緩いウェーブがかかった髪に吊り上がった赤い瞳、真っ白なスーツに身を包んだその男は炭治郎を見ると「ようやく見つけたぞ」と炭治郎の腕を取った。
100年前の宿敵がいきなり目の前に現れたことに呆気に取られていたが、腕を取られた感触にはっと我に返る。すぐに腕を振り払い、バックステップで距離を取るついでに腰の刀に手をやろうとし、今が大正時代ではないことを思い出す。丸腰だ。
とはいえ、逃げるという選択肢はない。炭治郎はどうやってこの目の前の男を倒そうか、と考えながら周りを見渡した。刀の代わりになりそうなものはないかとぐるりと見渡す。
「素晴らしい身のこなしだ」
ぱちぱちと鬼舞辻が手を打つ。
素直に称賛しているらしい匂いに違和感を覚え、もう一度鬼舞辻を見てその違和感に気付く。太陽の下にそいつはいるのだ。
確かに倒したはずの鬼舞辻が今は太陽の下で堂々と歩いている。ということはこの男は自分と同じように転生したのか。記憶はあるのかどうか。自分に会いに来たから記憶はあるのか。ぐるぐると可能性をいくつも頭の中で考える。
「竈門炭治郎、で合っているか?」
「え?あ、はい」
すまない、と言いながら頭を下げた鬼舞辻は続けて腕を突然取ってしまったことを謝罪した。それに偽りの匂いがしないことを確認してから、炭治郎も少しだけ警戒心を薄めた。
名前を聞く、ということは俺のことを知らない?記憶がないのか。
だが、こいつが何か意図があって炭治郎に近づいていたことは確かだ。
いざという時に頭突きができるようにだけは身構えておく。
「私はWICDの鬼舞辻月彦という。
竈門炭治郎、君を我がチームにスカウトしに来た」
「WICD?」
鬼舞辻は真っ黒な名刺を炭治郎に渡す。WICDという文字の羅列の下に不老不死対処対策課室長という文字と鬼舞辻月彦の名前が書かれている。不老不死、という文字に一瞬鬼という言葉が脳裏にちらつく。
ばっと顔を見上げると鬼舞辻は美麗な笑みを浮かべて、手を差しだした。
「続きはカフェで話をしよう」
立ち話をするには説明が長くなると言われれば頷くしかなかった。
高級な黒塗りの車に乗り込み、見慣れぬ景色を走って十数分。
お洒落なカフェに入るとお店の人がやってきて個室に案内される。鬼舞辻のボディガードらしい人が部屋を確認してから中に入る。
花びらの装飾が施された白い壁に小窓が一つついていたが、その窓は固く閉ざされていた。
壁に飾ってある絵画はどこかの風景画のようでのどかな田園風景が広がっている。その絵画をちらりと見てから部屋の真ん中にあるふわふわのソファへ向かう。
アイボリーの柔らかいソファの前にはガラスのテーブルがあり、その上には紅茶とケーキやマフィンといったお菓子が並んでいる。だがそれに手を付けることはできず、正反対に座った鬼舞辻を睨んだ。
「君は、この世の中には化け物みたいなものがいると思ったことはないかい?」
「あります」
即答する。
だって、100年前に鬼と戦った記憶が炭治郎にはある。
鬼舞辻はやはり記憶があるのだろうか。とはいえ、何故その話を自分に?
それに100年前の鬼舞辻と目の前にいる男は姿形、声も同じだが、どこか何かが違う。瞳だ。瞳孔は鋭くなく、血の匂いも一切しないから鬼ではないことはわかる。そう、あの時感じた不愉快な匂いがこいつからは一切しない。
どこか傲慢な自信溢れる匂いはそのままだが、どこかお館様のような匂いに似たものに変質している。
「なら話が早い。
昔、この国には鬼がいた。不老ではあったが、不死ではなかったがために今はもうその鬼はいない。だが、鬼に似たような生き物はこの国以外にも存在した。
長い間この日本は鎖国をして一部の国としか取引していなかったおかげか、外国の化け物が日本にやってくることはなかった。
しかし、だ。
鎖国は終わり、世界中の国への行き来が可能になった今、外国の化け物が日本にやってきては人々を襲っている。
吸血鬼、人狼、魔女、ミイラ、呼び方は各地で違うが、どいつもこいつも不老で人間離れした力を持つ化け物で日の光に弱い。そして、倒すには特別な武器が必要だ。
竈門炭治郎。君のことは調べさせてもらった。
高い身体能力があり、なおかつ剣道でも居合でもなく実践的な剣術技能を持つ、類稀なる存在だと。
どうか私たちの力になって欲しい」
鬼舞辻がまた頭を下げた。
沈黙が部屋の中を支配する。鬼舞辻は炭治郎が話すまでは頭を下げ続けるつもりなのか、その姿勢のまま黙り続けている。
炭治郎ははぁっとため息を吐いた。
少なくとも目の前の男は嘘をついていない。その匂いがしないことが逆に残念だった。平和な世の中だと思っていたのに実はそうでなかったのか。人知れずまだ人を襲う鬼のようなものがいる。
それを聞いて見知らぬフリができるかと言えば、否である。
守りたいものがたくさんある。まだ失われていない幸せがある。数ヵ月前に見たあの幸せそうな景色を守りたい。奪われてなるものか。答えは決まっている。
この男と共に戦うことになるなんてどんな悪夢だろうと思ったけれど、いくら頬を抓ろうが今見ているこれが現実だと痛みが訴えてくる。
「わかった。力になる」
不承不承に頷けば、鬼舞辻が顔を上げた。満面の笑みを浮かべている。それに素直に鳥肌が立つ。
「ありがとう。竈門炭治郎くん。
必要な書類は後日送付しよう。本部や他のメンバーとも顔合わせをしたいから、暇な日を教えてくれ。写真撮影の日取りも決めたい。CM用にもいくつか撮っておきたいな」
「ちょ、ちょっと待ってください。しゃ、しゃしんさつえい?」
写真撮影、CMと明らかに化け物退治とは不必要な単語が出てきて炭治郎は思わず話を止めさせる。
なんだ。化け物を倒すために炭治郎の力が必要じゃなかったのか。あれ?もしかして全部嘘?自分の鼻が何かおかしくなったのか?
焦る炭治郎に鬼舞辻は目をぱちりと瞬かせると「そうか。まだ知らないのか」と言って、鞄から一冊の雑誌を取り出す。
WICDついに日本にも公式チームが!?とでかでかな文字と共に世界各国の美男美女が映っている。
「へ?」
「言っただろう。
世界各国の化け物がいると。つまりそれらを狩る組織もそれぞれの国に存在する。昔は良かった。ここまで情報化社会ではなかったし、闇夜に紛れてこそこそと人を食う化け物が多かった。
しかし、今は多様性がどうのこうのと阿保の一つ覚えのように叫ばれ、大胆に行動する化け物も増えた。
化け物のことを公にすればいらぬ暴動が起きる可能性があるし、それを更に悪用するものだっている。秘密裏に処理するのはかなり難しいんだ。
故に、これをパフォーマンスとして昇華することにした。化け物退治は国を挙げてのエンターテイメントであり、ショーだ」
命を賭けた殺し合いをショーだと言い、見世物にすると言われてぶわりと怒りに目の前が真っ赤に染まりそうになる。やはりこいつはこの世に存在してはいけないものでは。
怒りで震える手をぎゅっと握り締める。
「……とはいえ、他国と同じように我が国もしなければならないという道理はない。そんな面倒臭いことうちはやらん。大体化け物が出たら各放送局に連絡するなど無駄の極み。
そんなことするくらいならさっさと始末した方が面倒ごとがない。
ただ他国の情報を得る為、政府公認の組織として認めてもらうために世界機関には所属する必要がある。WICD本部より広告としてモデルのような仕事は最低限はこなして欲しいそうだ。
そこは理解して欲しい」
鬼舞辻の言葉から吐かれたのは意外なことに至極まっとうな言葉で、WICD上層部の意向というならと受け入れる。
「そういうことなら、まぁ……」
「ありがとう」
感謝の言葉を素直に述べる姿にやはりこの鬼舞辻は記憶がないんだなと納得した。
差し当って先にしておきたかった説明はすべて終わったとテーブルに置いてある菓子を改めて勧められる。冷えた紅茶を温かいものに変えようかと提案する鬼舞辻に大丈夫ですと言って白い陶器のティーカップを手に取る。
お洒落なカフェはケーキもマフィンも美味しくてびっくりした。いつか鬼舞辻ではなく他の友人と一緒にここに来ようと心に決めた炭治郎だった。
WICDの日本チーム名は『鬼狩り』という名前に決まったようだ。
鬼殺隊ではないのか、少し落胆したが殺という言葉が印象が悪いと言われれば確かにそうかもなと思った。
後日祖父母の家に届いた書類を隈なくチェックして、両親にも保護者のサインをもらうと茶封筒に入れてWICDのメンバーの顔合わせの日を待った。
前世鬼殺隊だった人たちがメンバーだったりしないかとかわくわくしながら期待して向かえば50階建てのビルにたどり着き、その高さに思わず足が立ち止まった。
ビルに入っていく人たちは皆スーツを身にまとっているのを見て自分の姿を思わず見下ろしてしまう。
服装とか指定がなかったからいつものTシャツにデニムのズボンという私服で着てしまったが、どう見ても周りから浮いてしまっている。こんな姿でビルに入っても大丈夫なのか。入る前にビルの前に立つ警備員に捕まらないか。
うろうろとビルの前で不審者の如く立ち往生していると、ぽんっと背中を叩かれた。
「おい、そこで何をしている」
「うわぁ!?」
叫んで飛び上がって話しかけた相手を見る。警備員じゃなく、ポロシャツにスキニーズボンを履いた同じ年頃ぐらいの青年にほっと息を吐く。しかし青年は炭治郎を見ると少し驚いたように目を見開いた。
「お前は……まさか炭治郎か?」
「え?なんで俺の名前……」
知っているんだと言おうとした言葉を飲み込む。その声、ばさばさのまつ毛を見たことがある。変な青い入れ墨もなく、髪が赤くなく、その瞳に上弦の文字も参という数字もなかったが、確かに見覚えがあった。
「猗窩座!?」
「やっぱりお前炭治郎か!
ということはWICDのメンバーとしてお前も呼ばれたんだな」
「WICDのメンバーってことは猗窩座も?」
「そうだ。
この俺がまさか『鬼狩り』になるとはな」
自嘲するように猗窩座は笑う。炭治郎もまさかWICDのメンバーにかつて鬼だった人がいるとは思っていなくて驚く。しかも、猗窩座は前世の事を覚えてる。
それが嬉しくて思わず泣いてしまうと猗窩座がぎょっとした顔で慌てだす。前世では命を賭けてやりあった敵ではあるが、同じ記憶を持つ者に出会えたことの嬉しさと安心で涙が止まらなかった。
周りの人がじろじろと見てくるのに慌てて猗窩座が炭治郎を連れてビルの中に入ると、空いているエレベータに飛び乗り手慣れた様子で目的の階を押す。
「いきなり泣くのは止めてくれ。俺がまるで泣かせたみたいだろう」
「いや、ごめん。なんか記憶持ってる人に会えたの初めてで嬉しくて」
「そうなのか」
猗窩座は炭治郎の言葉に驚いたようだった。
「確かに前世で鬼だったやつで記憶を持っているやつはまだ見たことないな。
だが、俺たちのリーダーは記憶を持ってるぞ。
記憶を持ってるやつと持ってないやつとの違いはよくわからないが、少なくとも記憶持ちはいる」
「えっ」
「ほら、目的の階に着いたぞ」
ぽーんという音と共にエレベータの扉が開く。無機質な白い壁と赤い絨毯が引かれた廊下を歩き、カードキーでWICD『鬼狩り』と書かれた鍵を開ける。プシュッと廊下を塞いでいた自動扉が開くとその先に佇む金と炎の髪が見えた。
「れんごく、さん?」
炭治郎の言葉に炎がゆらりと揺れる。振り返ったその顔は確かに見覚えがある。頭突きをしたことも覚えてる。驚いた匂いをほんの少しだけさせているが、その佇まいは100年前に見た時よりも洗練されている。
「竈門くんか」
「わぁっ!槇寿郎さんお久しぶりです!」
柔らかな表情にこの人も記憶を持っているのだと気づく。
走って駆けよれば、久しぶりだなと頭をわしゃりと撫でられた。
100年前は悲しみと後悔と苛立ちの匂いが色濃くその身体に染みついていたけれど、今はそんなことない。恐らく今世では家族仲良く過ごしているのだろうなと思う。
「あれ?でもどうして槇寿郎さんがここに……」
「それは俺が『鬼狩り』のリーダーだからだ」
「槇寿郎さんが!」
確かに鬼殺隊の炎柱を務めていた槇寿郎であれば間違いはないだろう。上官が槇寿郎であることに嬉しくて腕を振って嬉しさを伝えていると、後ろからお腹に手を回された。
「わぁ~新しい子が入ったんだねぇ」
右肩からぬっと顔を覗かせた男は炭治郎を見て目を輝かせた。
白い髪をふわふわと跳ねさせて、虹色に光る光彩の瞳を細めて笑う男はに表面上にこにこと楽しそうに笑っていた。しかし漂ってくる匂いは無臭で、本当にこの男が嬉しいと思っているわけではないことがわかる。
苛ついた顔で猗窩座がその男を引き離そうとするが、男はぺったりと炭治郎に抱きついたまま離れない。
「なんだい猗窩座殿、もしかして君も僕にぎゅーってしてもらいたいのかい?
ふふ、後でしてあげるから安心しなよ」
「しなくていい。あと炭治郎から離れろ」
「えぇ、嫌だよ。
ようやくかわいい女の子がやってきたんだから親睦を深めたいじゃないか。
ねぇ、炭治郎ちゃん」
にこりと笑う男に猗窩座はため息を吐く。
「お前の目は節穴か。炭治郎は男……」
「いや、すまない。
言うのが忘れていたが、俺は今世では女だ。そうは見えないかもしれないが」
炭治郎がそう言った瞬間に抱き着いていた男が吹っ飛んでいた。槇寿郎がいつの間にか木刀を手にしている。目にも止まらぬ抜刀だ。
吹き飛ばされた男もちゃんと受け身を取っていたのか、壁にぶつかったようなすごい音がした割にはその場でぴょんと跳ねて服が汚れちゃったとにこにこ笑っている。
「槇寿郎殿、いきなり攻撃するなんて危ないじゃないか」
「同意なく婦女子に抱き着くのはいかん」
「やだなぁ。今度から一緒に戦うんだから親愛のハグですよ、ハグ」
「お前は一度黙れ」
「猗窩座殿もそんなに怒ることなくてもいいじゃないか。
あ、炭治郎ちゃん。俺の名前は童磨ね。よろしく」
炭治郎に近づこうとする童磨を槇寿郎がその間に立って防ぐと、童磨は手を振って自分の名を名乗った。軽薄な人だなぁと手を振り返すと猗窩座がこそりとあいつは元上弦の弐だと教えてくれる。鬼だった記憶はないらしい、とも。
槇寿郎がくどくどと童磨に小言を告げていると後ろの方で扉が開く音がした。
そちらを振り向くと、今度もまた懐かしい人がいた。
「あ~新メンバーって竈門のことだったのか!良かったよ。
こんな面子でやっていけるのかって本当に心配だったからさぁ」
「村田さん!」
「はぁ~、全くお前も運がないやつだな」
「後藤さんも!」
手を取り合って村田と再会を喜び、後藤ともお久しぶりですと挨拶する。二人とも前世ではよくお世話になっていたので会えて嬉しかった。記憶もあるようで本当に良かったぁと鼻水を出してずびずびと泣けば、ハンカチを手渡された。
「わかるよ。
ほとんどのヤツ覚えてないんだもん。冨岡もさぁ、顔を見合わせてもお前は誰だって表情でさぁ、精神的にくるっていうか」
うんうんと頷く村田の横で「そうかぁ?」後藤は呑気に首を傾げた。
「俺はちょっとほっとしたけどな。
柱やっぱ怖いし」
ちらりと槇寿郎を見てから村田と炭治郎の二人に向き直り後藤は安心するなぁと呟いた。
「お二人ともWICDのメンバーなんですか?」
「いんや。俺は裏方。戦えないし」
「俺は一応戦えるからメンバーだけど……やっていけるか不安だよ」
「それは俺も同じです。
呼吸だけは小さい頃からやってますけど、筋肉がなかなかつかなくて」
袖を捲って上腕二頭筋を見せながら腕に力を込めてみるが、ぺしょりとそこはなだらかなままだった。その会話に猗窩座が近づいてくる。
「男と女とではそもそも筋肉の付き方が違う。女性は足の方の筋肉が付きやすい」
「あ、そうなんですか?」
「ああ。とはいえ、バランスよく身体は鍛えた方がいい。
成長期であればなおさら、急ぐ必要はない」
「良かったです!」
「いや、でも竈門は前世と比べるとちょっと背が低いか?」
「そこらへんも男女の違いってやつですかねぇ」
「かもしんないな」
しみじみと話しているが、後藤も村田もあまり炭治郎が女であることは気にしていないようだ。それがまた嬉しい。
「メンバーは全員揃ってるようだな」
扉がまた開くと、今度は鬼舞辻が入ってくる。その後ろに産屋敷耀哉が続く。懐かしいその人に思わず膝をつきそうになるが、それを槇寿郎が首根っこを掴む。
「自己紹介は終わってるようだな。
紹介する。うちのスポンサーの産屋敷だ。政界、芸能界とあらゆるところに顔が利く便利なやつだと思えばいい」
「鬼舞辻くんの言う通り、私はスポンサーとして君たちを支援するよ。
と言っても君たちにも協力してもらうことにはなるけれど、ひとまず集合写真やチーム紹介用の動画をこれから撮っていくことになるだろうからよろしくね」
耀哉はにこにこと鬼舞辻と話している姿を見ていると不思議だ。二人とも軽口をたたき合いながら親しそうにしている。
「あの二人は今世では親族の幼馴染として過ごしている。記憶はない」
こそりと槇寿郎が炭治郎に耳打ちする。
お館様も記憶がないのか。少し寂しさを覚えるが、彼の優しさは前世と変わらないようで、何か困ることがあれば気軽に言って欲しいと微笑まれたのに全力でこくこくと頷いた。
「それでは、早速ブリーフィングを始めよう。
地図をこちらに」
鬼舞辻の言葉に後藤が壁のモニターに地図を表示させる。日本全国の地図にいくつか赤い丸が付けられている。
「この赤い点の場所は鬼がいると思われる場所だ。
隠密部隊に情報を集めさせて、鬼がいる可能性が高いものだけ表示している」
「思ったより多いな」
「日本ではまだWICDが設立しておらず、海外の部隊が常駐して狩っている。
日本政府としてもそんな危険な奴らを日本に渡航させたことがバレれば批難されるのがわかってるから秘密裏に狩ってもらってるんだが、それに関して注文が多くてな」
「その話は後にしよう。鬼舞辻」
「そうだな。
とにかく『鬼狩り』に選ばれた君たちにはこの鬼の対処に向かって欲しい。新人には煉獄がついてやれ」
「御意」
「猗窩座は一人でもやれるな?童磨は村田と一緒に」
次々と鬼舞辻が指示を出していく。的確でわかりやすい指示には口を挟む余地すらない。
村田は童磨と組むと知らされて少し嫌そうな顔をしたが、童磨は気にせずよろしくと絡みに行く。前世は鬼であった相手と組むことに忌避しているのが自分だけではないということにほっと安堵する。
同時に自分と組む相手がまだ煉獄で良かったと思った。
シャツと短いフリルのキュロットの上に昔の隊服と同じ素材で作られた黒のウインドブレーカーを羽織る。せめて長ズボンにしてほしいとお願いしたが、これが正式な隊服なのでと断られた。
生足で戦えと?と思わずスンとした表情になったのは仕方がないと思う。
「準備はできた?」
「できました!」
WICDでの戦いも数か月経てば戦い方にも慣れた。今では煉獄ではなく、村田と組んで仕事を組むことが多い。
村田の言葉に元気よく答えて、真夜中の市外へと駆けだしていく。
今日の任務は元鬼殺隊のメンバーが住んでいる地域だ。まさかこんな深夜に知り合いが徘徊してるとは思えないが、用心に越したことはない。村田だっていつも以上に緊張している。
目的地点に近づくと二人そろって近くにあった自販機を掴み、それを足場に住宅街の屋根へと着地する。
トトンと着地する時にたてた小さな音は軽い。3軒先の2階建ての家屋の屋根裏に飛び乗った村田はそこから鬼が見えるか確かめている。炭治郎も村田と同じように近くを探す。
日本と違って外国の鬼もどきは異形の形をとることが多いらしい。そのおかげでわかりやすく、見つけやすいのがありがたい。前世では人に紛れているような奴らもいて、そういうのは匂いでしか炭治郎には判別できなかった。
『目標、北北東の方角。距離380m。見えるか?』
後藤の言葉に腰の日輪刀を手に、その方角を見つめる。確かにそちらに毛むくじゃらの蠢く黒い影が見える。
『人狼かぁ。力がめちゃくちゃ強いんだっけ』
村田の声もインカムを通して聞こえてくる。気をつけろよ、と言葉が聞こえた時には村田はすでに走り出している。真正面に人狼の方へ向かう村田に対して炭治郎は挟み込むようにやや迂回して向かう。
郊外から少し離れた町は深夜の明かりは少なく、月明かりが一番の光源だった。
水の呼吸を使い、屋根を自由自在に飛び跳ね、村田は走る人狼と追われる人の間に降り立つと刀を振り抜いて狼男ごと隣の路地に向かって跳ぶ。
『毛がふっさふさで斬りにくいっ!』
「頸はどうですか?」
『少し刃が入ったくらい!すまんが俺じゃ無理!』
「了解です!」
インカムに村田の叫びにそう答えて、刀を抜き人狼を村田と挟む形で反対側の路地に降り立つ。
村田は当初の狙い通り人狼を裏路地へと追い込んでくれている。 前世から呼吸を使えると言えど、平和な現世では無用のものだ。身体が覚えている技を無理やり繰り出しているのだから、その精度は前世に比べたら格段に劣る。だから村田が頸を斬れなくても仕方ない。むしろ呼吸を使えるだけでも大分すごい。
日の呼吸は水の呼吸よりも攻撃に特化しているから炭治郎は頸を斬れるだけだ。
ゴォオと日の呼吸の独特の音をさせながら、人狼に近づく。炭治郎よりも二回りもでかく、腕も丸太のように太い。
「すまないが、頸を斬らせてもらう」
何人か人を食った腐臭が人狼からはする。こちらの声が聞こえないのか、それともわからないのか、低い唸り声をあげて爛々と炭治郎を睨んでいる。
人狼は道を塞いでいるのが、小さな少女だということに油断しきっているようだ。大振りに右手を振り上げ、少女の立つその小さな路地に向かって鋭い爪を叩きつける。
しかし、爪が地面を叩きつける音も、少女の赤い血が飛び散ることもない。人狼が瞬きの内に少女の瞳が顔前に会った。月明かりよりも眩しい赫灼が人狼を見つめている。
「……来世は、どうか」
化け物にならないでください。
少女の言葉が人狼に聞こえたかどうかはわからない。一瞬炎のような軌跡が見えたかと思うと人狼の頸は切れていた。離れていく頭から、少女を殺そうと振るった腕がすでに切り離されていたことにも気づく。
人狼は異国の地で死ぬことを嘆くように小さく遠吠えを上げると、その身体を塵に変える。地面に落ちるよりも早く、それは存在を消すようになくなる。
刀を納め、炭治郎は村田の姿を探す。いつもならお疲れ、と声を真っ先にかけてくれる人がいない。何か問題が発生したのかと、周囲を見回した時に表通りからこちらを覗き見ている男がいたことに気付いた。
コンビニの袋をぶら下げた男は、何故ここにいるのか。深夜遅くに。
「おい、お前」
『逃げろ!』
男の声に被さってインカムから焦った声が聞こえる。いつの間にか立ち止まっていたらしい身体を無理やりに動かして、表通りから背を向けて裏路地の奥の方へと走っていく。
その後を追いかけてくる足音が聞こえる。
『そのまままっすぐ300m先に左にある細い路地に入れ!そのまま少し先に協力者の家があるから一旦そこに避難しろ』
インカムの指示にマイクを二回叩いて了解と知らせる。指示通りの道を走り、青い彼岸花のシールが貼られた扉を開ける。協力者らしい古い木造建築の家屋はなんだか懐かしい気配がしてほっと安堵の息を吐く。
だが、直後にどんどんと背の扉を叩く音に驚く。
いや、呼吸を使って全速力で逃げてきたのだけれども。たらりと額を伝う汗にどうしようかと思っていると、老婆が奥からやってきた。しぃっと口に手を当てると、炭治郎を扉から見れぬ場所にいるように移動させて、扉を開けた。
「どうなさいましたか?」
「すまない。先ほどこちらに子供がやってこなかったか?」
「いえ……。この家には私一人しか住んでおりませんし、こんな夜更けに子供ですか?」
老婆の言葉に男は一度家の中を見回した後、頭を下げた。
「勘違いだったかもしれない」
「いいですよ。こんな夜遅くまでご苦労様です」
ふふふと笑う老婆に男は扉を閉じようとし、じっと炭治郎が隠れている方を睨んだ。その視線に肩を強張らせて、ばたんと扉が閉まる音が聞こえるまで息を潜めた。
老婆がもう大丈夫ですよ、と聞くと安心してその場にへたり込む。
「こ、こ、怖かった~!」
『な、言っただろ……。現世でも柱は怖いって』
「怖いっていうか、なんていうか」
獲物になったみたいだ、という言葉はさすがに失礼だと思って飲み込んだ。
『炭治郎、大丈夫だったか!?』
「村田さん、人が来てたなら教えてくださいよぉ」
『悪い!俺も直前まで気づかなくて、逃げるのに必死だった!』
村田も大分焦っていたのか、はぁはぁとインカムから聞こえてくる呼吸が荒い。とにかく無事で良かった。任務は達成した。良かった良かったと二人でインカム越しに慰め合って、その日はその場で解散となった。
いくら夜に仕事をしようと朝が来たら村田は大学院生で、炭治郎は高校生としてそれぞれ学校に行かなくてはならない。どれだけ成果をあげようと義務教育は免除されない。ただ通帳に労働力に見合った少々桁の多い金額は振り込まれるが。
祖父母の住む家に帰り、短い睡眠を取って目覚めた後は普通の女子高校生に戻るのだ。何喰わぬ顔をして祖父母と会話をしながら朝食を取り、家を出た炭治郎は今日も他の人と変わらない日常を送ろうとしていた。
家を出て三歩歩いた先にまさか深夜に出会った姿のまま、前世の兄弟子が立っていたことに思わず叫び声をあげてしまったのは仕方のないことではないだろうか。
結婚式のモデルをやってみない?と言われて思わずは?と返してしまった。たとえそれを言ったのが大好きな姉だったとしても、冨岡義勇はその言葉の意味がわからなかった。
冨岡義勇は自らの容姿に頓着がない。姉は美人だと言うのは疑わないが、その姉と血の繋がった自分も美人であるという事には気づかなかったのだ。学生時代に何度か同級生に告白されたことはあるが、容姿に惚れたのではなく罰ゲームか何かで告白しに来たのだろうと思っていた。
故に自分の容姿が優れているとは一度も思わずに生きてきた義勇がモデルをやってみない?と姉に言われたとしても何で自分がとしか思わなかった。けれど、義勇は姉が大好きだ。親友が好きだ。大好きな人たちに頼まれたなら何とかしてやりたい。
は?と返した後にわかったと即座に了承した。判断の速さは昔通っていた道場の恩師にも見張る所があると褒められたことがある。
こうして義勇は姉のために結婚式を挙げる新郎のモデルを引き受け、当時学生で美人だった教え子に新婦のモデルをやってもらい、義勇の持てる知り合いというコネを使い人を集めた。
その甲斐があって本番に近い結婚式ができ、良い写真が取れたと姉は大層喜んだ。
しかし、誤算が一つあった。
義勇は口下手である。本来ならするべき説明を省いてしまうという致命的な欠点だ。そしてそれは今回協力を仰いだ参加者が本物の結婚式だと思い込んでしまったことだった。
写真撮影も終わり、お疲れさまと慰労を兼ねた二次会で、にこにこと純粋な笑顔でおめでとうございますと教え子に祝われるのに首を傾げながらああと答える。無事に撮影が終わったことにおめでとう、という意味だろうか。
だが、今度から冨岡しのぶになるんですねなんて言われた新婦は化粧でも隠し切れない青筋を立てた。
「冨岡さん、皆さんに説明したんですよね?」
「胡蝶」
「せ・つ・め・い・し・た・ん・で・す・よ・ね?」
はっきりと言葉を区切って言われて、義勇はぎゅっと口を結んだ。
説明したつもりだったと答えれば、つもりじゃ駄目なんですよと突かれた。
その場で今日は撮影のためであって、別に本当に結婚式を挙げたわけじゃないと言えば、本当の結婚式を挙げたと思っていた参加者の半数からはえぇっ!?と驚きの声が上がった。
すまないと身を縮こませて謝る義勇の耳にこそりと遠くの話し声が聞こえる。
「炭治郎、多分本物の結婚式だと思ってたよなぁ」
「どうしよう?言っておいた方がいいかな?
ご祝儀袋渡しておいてくれって受け取ってあるんだけど」
「後で返しておこう」
その言葉にばっと顔を上げる。炭治郎という名前に義勇がその声が聞こえた方を見れば、前世、弟弟子の妹とその夫が二人してこそこそと話している。その周りには見知った顔が集まっている。てちてちとその集まりに向かって歩いていくと、彼らは義勇に気付いたようで頭を下げた。
新任として向かった高校にいくつか知った名前があることは知っていたが、不幸なことに義勇の体育の授業を受け持つクラスには彼らはいなかったから、現世では話すのは初対面だ。いや、我妻だけは委員会で話すこともあるか。
「炭治郎は」
「あ、炭治郎は私の姉です」
兄ではなく姉?それに疑問を持ちながらも、その炭治郎はどこにいるのかと訊けばもうすでに帰ってしまったと返された。
「姉と知り合いですか?」
「……」
知り合いと言われると、前世では知り合いだった。現世ではまだ知り合ってはいない。出会ってないから記憶を持っているのか持っていないのかさえ、聞けていない。
前世の知り合いが多く集まるこの中で唯一炭治郎だけがこの場にいない違和感だけを感じながらも、それ以上のことは聞けず義勇は黙った。この集まりの中で前世の記憶を持つのは義勇だけだったからだ。
そのまま炭治郎の事を訊く機会を逃してずるずると日常に戻ると、ある日風紀委員の仕事で残っていた我妻に冨岡先生と呼ばれた。スマホを見せられる。没収しようと伸ばした手を我妻が避ける。
「冨岡先生、これ見てよ」
そう言われて仕方なく、スマホを覗き込む。
WICD日本公式チーム発足と書かれた記事が映っている。
「絶対に先生が見たら驚くと思うんだよね」
そう言って我妻はその記事をスクロールしていく。
メンバー紹介に見慣れた金と赤の髪が映る。
煉獄槇寿郎。同僚の父だ。童磨。こいつは知らない。猗窩座。こいつは名前は知ってるが見た目がなんか違う。村田。お前、なんでこんなところに。
そして最後の一人。
赫灼の少女が画面越しにこちらを見ていた。
「竈門炭治郎」
炭治郎は確かに今世では女性に生まれていたらしい。妹の禰豆子に似て可愛らしい顔だが赤みがかった黒髪も赫灼の瞳は前世と変わらない。
チーム『鬼狩り』。
街中を舞台に5VS5でチーム戦を行うエクストリームスポーツは海外では人気のスポーツらしく、剣や弓を手にさながら陣取り合戦のようだ。
何故そんなところに所属しているのか。
我妻のスマホを奪い、さらにスクロールすれば懐かしいお館様の姿と宿敵の姿の写真が仲睦まじく並んでいる。その衝撃たるや、口を開けて固まってしまった。
「……先生ってさ、記憶持ってる?」
「ああ」
「そうなんだ。俺はつい最近思い出したんだけど。
先生は?」
「3年くらい前だな」
「そうなんだ。なんかこう……チーム鬼狩りってなんでこの名前?って感じだよねぇ」
我妻はスマホを俺の手から抜き取るとすいすいとスクロールする。そしてタップするとずいっと俺の前にスマホを再度見せる。
そこには炭治郎が童磨と呼ばれる男に肩を抱かれてピースをしているサインだ。近いその距離に誰かの腕が童磨の肩を掴んで引きはがそうとしているのが見える。仲睦まじいと一般的には見えるそれに対して義勇の中に浮かび上がる感情がただ一つ。不愉快である。
「この童磨って人、しのぶさんを食った人で、カナヲと伊之助が戦った上弦の弐っていう人なんだけど」
「我妻。WICDはどこにあるんだ」
「不機嫌なのはわかるけど、そういう情報開示されてないからできないんだよぉお」
俺だって炭治郎がこいつらとつるんでるの嫌なんですけど!?って叫ぶ我妻を無視して義勇は自分のスマホを取り出して知り合いという知り合いに連絡していく。
WICDを知っているか。簡潔なメッセージに大体は知らないと返事が返ってくる。だが、中には我妻のように今度公式チームできるんだよねとか、海外のおすすめのチームを進めてくる奴もいた。
そんな中に一つ、意外なところから返信がきた。
『夜に化け物退治してるらしいよ』
「化け物退治?」
そんなスマホのメッセージを我妻も盗み見ていたようで零れる声に義勇は22時以降は出歩くなよと教師らしく説教する。こくこくと頷く我妻を確認してから、化け物退治という言葉を考える。
思いつくのは前世の鬼退治のことだ。とはいえ、鬼は倒し、今はその鬼もいない。厳密には一人と一匹存在しているが、彼らは人を襲うことはない。となると化け物とは一体。
考えたところで仕方がない。我妻にさっさと家に帰れと言って、その日から時々義勇は深夜に町を徘徊するようになった。
大正時代よりも明るく平和な現世では深夜も静かで平和だった。いるとしても不良などで現世でも身体を鍛えている義勇には子供のようにしか思えない。飲酒、喫煙している不良などは問答無用で竹刀で叩き説法していればいつの間にか、深夜に悪いことをすると鬼教師が竹刀を持ってくるとかいう変な噂話ができていた。心外である。
とはいえ、そんな噂が出来ても肝心な化け物退治をしている所には会えず、かといって記憶を持っているのかわからない炭治郎がいる祖父母の家をいきなり訪れるわけにも行かず、八方ふさがりだった。
その日も月が綺麗な日で竹刀片手に深夜の町を徘徊していた。ただ少し違っていたのは、屋根を走る二つの足音が聞こえることだった。それに加えて前世ではよく聞きなれた水の呼吸が微かに聞こえた。
その特徴ある音を追って走る。表路地から狭い裏路地へ入れば、ちょうど刀を持った誰かが巨大な毛むくじゃらの何かの頸を斬っていた。その瞬間、一人が姿を消す。
首を斬った誰かはこちらにまだ気づいていないようで、とんっとその場に地面に降り立ちながら、斬ったそれが塵に消えるのを見届けてから刀を鞘にしまった。そしてこちらに気付いた。
月明かりに照らされずともわかる赫灼に、咄嗟に手が伸びていた。
「おい、お前」
しかし目の前の少女はすぐに踵を返して深い闇の方へと走っていく。だが、瞳がこちらを見て、驚いた顔をしたのが義勇には見えていた。記憶がある。記憶があるのに逃げた。
「くそっ」
すぐさま追いかける。そちらが呼吸を使うのであればこちらだって使う。呼吸を使えるのが自分だけだと思うなよと舌打ちをしながら背を追いかけて、路地を曲がった姿を見失う。
だが隠れるような場所はこの場に少なく、近くの家の戸を叩けば、少し時間をかけて老婆が出てきた。
「どうなさいましたか?」
「すまない。先ほどこちらに子供がやってこなかったか?」
「いえ……。この家には私一人しか住んでおりませんし、こんな夜更けに子供ですか?」
老婆の言葉に嘘はないように見える。暗い家の中をゆっくりと見回す。確かに目に見える範囲にはいないようだ。
「勘違いだったかもしれない」
「いいですよ。こんな夜遅くまでご苦労様です」
老婆がそう言って、扉を閉めようとしたそのドアノブ反射して映る月明かりに一瞬姿が映る。
じっと隠れているつもりだろうが見つけたぞというように睨んだ後、義勇はその家を後にした。そしてそのままスマホで我妻に電話をし、叩き起こした後炭治郎が住んでいる祖父母の家の場所を聞き出すと深夜にも関わらず車を走らせた。
炭治郎の家の前でひたすら待つ。今度は逃がさない。何をしているのか。企んでいるのか。聞きたいことはたくさんある。
呑気に欠伸をしながら家から出てきた少女はこちらの気配に微塵も気付く様子もなかった。
「炭治郎」
数時間ぶりだな?と言えば炭治郎は幽霊でも見たような形相で悲鳴を上げた。
なおこの後義勇さんは村田さんの代わりにメンバー入りする。