短編
柱稽古も終盤に差し掛かる頃。
村田は太い丸太三本を見て、唸った。滝行までは精神統一で何とかなったが、太い丸太三本を持つためには今まで以上の腕力が必要になる。今までの稽古でそれなりに力はついたがまだ太い丸太を数センチほど一瞬浮かせられた程度ですぐに尻もちをついてしまう。
一体どうすればいいやら。丸太と格闘すること数時間。今日も太陽が真ん中を過ぎる頃に小屋に戻ると話し声が聞こえてきた。
「祝言はどうする?」
「祝言、ですか?」
小屋に向かう足が止まる。聞き覚えのある声は同期であり、鬼殺隊最強と呼ばれる柱の一人、水柱である冨岡義勇のものだ。
そして冨岡の言葉を返していたのは最近岩柱の稽古にやってきたばかりの後輩、竈門炭治郎だ。
どちらとも村田にとって縁のある隊士ではあり、水柱に関しては仲が良いかどうかは不明だが、少なくとも炭治郎とは良い先輩後輩関係を築けていると自負している。何度か一緒に組んで任務をしたこともあるし。
水柱に関しては本当に一緒に任務に就くということはあってもほとんど単独で動いてしまうし、鬼退治だって村田が刀を抜くよりも早く終わらせてしまう。あの時のやるぞという気合をいれた気持ちが一瞬で萎びていく経験は、やるせなさと虚しさを生んだ。実際、水柱と一緒に任務に出て自信喪失する隊士は多い。まぁ、他の柱と組んでもそれは同じなのだが。水柱に関してはそれに加えて寡黙である。良かれと思って何か動こうとすれば、動くな、やら不要だ、とぶった切ってしまうので、意思疎通がうまくできないのだ。
そんな水柱が暴走した現場を村田は一度見ている。
水柱と師を同じくする兄弟弟子である竈門炭治郎が異人の同性に絡まれていた時に、救世主の如くその異人を張っ倒したまでは良かった。だが、その後に続けた言葉が良くなかった。
嫁、と炭治郎の事を呼んだのだ。
何をとち狂ったのか炭治郎に求婚する水柱という衝撃的な一場面を見届けた村田はその場をすぐに逃げ出せば良かったのだが生き証人としてそのまましばらく二人に付き従った。
さすがによくわかっていなさそうな純朴な後輩をそのまま置いていくのと、この水柱がどんな暴走するのかわからないままに放置するのは危険だと村田の頭の中で警鐘が鳴り響いたのだ。
それが功をなしたのか、二人とも天然だったせいか話は平行線のままで終わり、蝶屋敷まで無事に戻ることができた。後日、蟲柱である胡蝶しのぶに胃薬を渡され、労りの言葉をかけてもらった時には安心感と達成感で涙がドバドバと溢れてきた。
その天然の二人が何故か話をしている。
いや、炭治郎がここにいるのはわかる。だって柱稽古の途中だ。問題は水柱の方だ。何故柱がここにいるのか。
鎹鴉からの話によると柱の稽古は岩柱までのはずだったが水柱が参加の意向を示したため、この岩柱の稽古を合格後に水柱の稽古が最後に行われるという話だった。だから、水柱も自分の稽古場にて準備を進めていなくてはならないはずだ。
たらりといつの間にか額に浮かんでいた汗が頬を伝って落ちる。
「吉日が良いと聞きますね。
お寺とか神社とかでやるんでしょうか」
「それは当然だが、季節などは希望はあるか」
「季節ですか。
できれば暖かい春頃がいいですねぇ」
桜とか、見頃の季節だと嬉しいですと笑う後輩の言葉に心の中でおい待て、自ら首を絞めるようなことを言うんじゃないとツッコミを入れる。
妹の祝言を思い浮かべている家族想いの炭治郎と、自分たちの祝言をあげるつもりである水柱の会話は全くかみ合ってないはずなのに奇跡的に噛み合ってしまっている。
素直で優しいが若干思い込みが強い傾向にある炭治郎は先の事件時の水柱の嫁発言も、自分の身を案じての発言であると思っている。水柱は何を考えているのかよくわからないが、話が通じていないことだけはよくわかる。今も顔は見えてないが、どう考えても炭治郎の思いと水柱の思いが通じ合ってるとは思えない。顔を見たとて考えていることは小指の先ほどわからないだろうが。
本当は逃げたい。今すぐ逃げたい。頭を殴って先ほど聞いた話を忘れてしまいたい。だが、このまま見過ごしたことが蟲柱に知られたらどうなるか。あの美麗な笑顔で、あらあら逃げちゃったんですか?相手は鬼でもないのに?とその表情に見合わぬちくちくした言葉使いで良心を突かれるに違いない。
意を決して、二人がいる魔の巣窟もとい、柱稽古のために隊士達に開放されている寝泊まり小屋の扉をスパァンと勢いよく開けた。やけくそ気味で、力が異様に入っていたこともあり、扉は驚くほど大きな音を立てて開いた。その音に自分でも驚いたくらいだ。
「村田さん、お疲れさまです」
「おう、竈門。他のみんなは?」
「少し前まではいたんですけど、昼ご飯を食べ終わったらすぐにみなさん修行場に戻っていきましたよ」
震える声を抑えて、普段している会話を思い出しながら後輩に話しかける。にこにこと答える後輩の表情は平素と代わり映えがないが、話している内容から察するに他の奴らは早々と戦場から脱出したらしい。さすが岩柱までの柱稽古に到達する面子ばかりである。状況の把握能力と決断までが早い。
虎の子を踏んでもこの場に残ろうとする鈍感な奴もいないのも幸いというべきか、孤軍奮闘となることを嘆くべきか。
普段であればこのまま軽い談笑をしながら後輩と会話を続けるところだが、視界の端にちらちらと映る薄い気配の方を向く。そこには村田が想像した通りの平素と一切変わらぬ表情の水柱がそこにいた。
その水柱を視界に収めて、村田ははてどう声をかけたものかと悩んだ。同期と言えど相手の階級は上だし、なれなれしく挨拶するのはよくない。だが、かといってかしこまって挨拶するのもなんか変だ。
「あ、村田さん。今日は義勇さんが薬を届けに来てくれたんですよ」
「そうなのか」
悩む村田に救いの手を差し伸べたのは気が利く後輩である。岩柱の稽古は他の稽古に比べれば怪我をすることは少ない。とはいえ、細々とした怪我を不注意で負うことはある。
柱稽古用にと薬は十分に用意されてあるのだが、想像以上に他の稽古で怪我を負う隊士が多いため悲鳴嶼が稽古の空いた時間に余分の薬を分け行っているのだ。まだ薬はあるが、そろそろ補充が必要な頃合いであったか。
水柱を見て、感謝を伝えたが彼は何も言葉を返さなかった。俺の言葉に何も返事をしないのは変わらないので別に問題はないが、この場には人の感情を匂いで察することができる特技を持つ後輩がいる。
にこにこと水柱の代わりに「ここにちょうど来る予定があったので、そのついでだから気にするな、だそうです」と答えてくれる。いや、感情を察することが出来たとしてもまるで本人から聞いたかのようにすらすらと言葉が出てくるのは何故だろうか。水柱が村田の感謝を気にも留めてないことはやはりというか想像通りではあったが。
水柱の感情の薄い視線がその言葉を肯定するかのように後輩をじっと見つめる。
「あ、すみません。義勇さんには予定あったんですよね。なのに長い間この場に引き留めてしまいました」
「気にするな」
「気にしますよ!この柱稽古で他の柱の方々の屋敷にお邪魔させて頂きましたが、どの方も忙しそうでしたし」
同意を求めるように炭治郎に見つめられ、村田はううんと唸った。勿論、ここに来るまでの柱たちは皆忙しそうだった。稽古もさることながら、普段通りに仕事に向かう姿も目にしている。忙しなく動いているのは間違いないから、同意するように頷きたかった。
けれど、蒼の双眸が村田の頸に向けられると頷きたくとも頷けなかった。身体が固まったように動けない。唸ることしかできなかった。
「柱は確かに忙しいだろうけど、四六時中ってことはないと思うぞ……」
否定はせず、けれども肯定もせず。結果、中途半端な言葉を返す結果になってしまった。だが、後輩は村田の言葉にも一理あると納得したように頷き、強く突き刺さる反対側からの視線も若干和らいだような気がする。
「体調管理も務めを果たす上では重要なものだ。疎かにしてはいない」
「義勇さんがそうおっしゃるのであれば」
話を切り上げるという選択肢はなくなり、村田は天を仰いだ。この先のことなど、すぐにわかっている。先ほどしていた祝言の話に戻るのだろう。匂いで人の感情がわかるのであれば、今ここにいる俺の感情も察して欲しい。
非常に、とてつもなく俺は困っている。
「あ、そういえば村田さんはお昼ご飯まだでしたね!」
後輩が俺の感情を読み取ったように声を上げた。だが、いやそうじゃない。確かに腹は減ってはいるがそういう問題ではないのだ。
「すぐに準備しますね」
「ああ、ありがとう」
だが、準備をするために後輩が席を外したことはある意味良かったのかもしれない。水柱と二人きりになるのは正直気が重いが、後輩と二人きりにさせるのはまずい。かといって俺と後輩の二人きりとなると、目の前の人の視線が怖い。
二人してしばらく黙って立ち続ける。何か話をして、どうにかこの人を立ち去らせなければ。
「村田」
「お、おう!なんだ?」
「祝言を上げる際にはお館様と柱……その他誰に知らせればいい」
恩師である鱗滝と、炭治郎の同期にも伝えるべきだとは思うが俺から出しても良いのか。祝言を上げた後は、養子としてあいつを引き取り冨岡性を名乗ってもらおうと思うが、禰豆子のことを考えれば俺が竈門家に婿養子として入るべきだろうか。
どう思う。
真顔で口早に言われた言葉を脳内でゆっくりとかみ砕く。理解したくはないが、数分の時間をかけた後に、どう思うにどう返すべきかと頭を抱えそうになった。どう思うも何もない。それは俺に訊くことじゃないだろう。
こいつと渡り合えるほどの実力があれば、間違いなく頭を叩き、叫んでいるところだ。
鬼殺隊のほとんどは自分の命を賭けて、一匹でも多く鬼を屠ることを心に決めている者がほとんどだ。村田だってそうだ。鬼を目の前にして足が手が震えることはあっても逃げることはない。自分が最後の一人になったとしても憎き鬼の頸を一つでも多く墜とせるのであればと、今までの辛い稽古を耐えてきた。
とはいえ、恋や他事にうつつをぬかすなとは言うつもりはない。
俺たちの人生は、鬼を狩ることだけではない。
鬼を殺す日々は神経を酷くすり減らす。奪うことも、奪われることも、疲れるのだ。それに耐え切れず、精神を病んで自死を選んだものもいるのだ。そんな俺達を正気に保てる方法として、心の拠り所として求める人だっているだろう。
とはいえ、そういうことには巻き込まないで欲しい。やるなら勝手にやってくれ。
だがそれもそうはいかない。相手は水柱という上官であり、懸想先はまだ15の後輩である。見捨てれば、お世話になっているこれまた蟲柱という上官に今後ずっと後輩を見捨てた男と指さされることだろう。それは勘弁願いたい。これくらいならまだあの異人の相手をしている方がよっぽどかマシだった。
「祝言よりも、まずは相手の家族に了承を得るべきじゃないか。
家と家との繋がりを結ぶものだから、当人だけじゃなくてさ」
とにかく、話を先延ばしにできないかと思いついた家族という言葉に水柱は目を見張り、確かにと呟いた。後輩の妹は鬼であるから、彼女が人間に戻った後に了承を得ろ、という意を汲んでくれたと信じたい。
「禰豆子にはまだ冨岡性になるかどうかは聞いていなかった。
同居はするつもりではあったが、部屋などについても相談はしていなかった。彼らの故郷に住むのもいいが、炭焼きの仕事はどうするのかなどは詳しくは聞いてなかった。感謝する。後でそれも相談しておこう」
駄目だ。伝わってねぇ。
もうすでにこの水柱の中では二人が夫婦?になるのは確定事項のようだ。何故だ。そこが一番の謎なのだが。いっそのことそれを聞いてみるのもありか。
「冨岡はさぁ、竈門のことがどうして好きなんだ」
考えすぎて疲れた脳はもう言葉を優しいものに選ぶことすらできなかった。
けれど、飾り気もなければ、遠回しでもないその言葉は真っ直ぐに水柱に届いたらしい。
「朝目が覚めた時。……いや俺が苦しかったり、嬉しかったり、そんな出来事があったその時に隣に居てくれるのが炭治郎であれば嬉しい、そう思ったからだ」
どんな時でも隣に立つ人物があいつだといい。
ふわりと微笑む水柱の表情に、あ、こいつこういう顔もできるんだ、と素直にそう思った。最近は無表情ばかりを見ていたから、こんな風に笑う姿を見たのは初めてだった。泣いた顔を見たことは遠い昔にあるけれども、嬉しそうにする姿は見たことがなく、それがあの後輩だからこそ引き出せたのだと思うと、一瞬認めてやるかぁと考えを改めそうになった。
いや、狼狽えるな。こいつらがたとえ両想いであろうと、祝言はちょっと……いや、想い合ってるなら別にいいんじゃないか?
村田はそこでふと思い返す。後輩の言動と水柱のこの言動。後輩は確かに純朴ではあるし、異人の求婚騒動には大層困っていた。しかし、水柱の求婚には勘違いはしていただろうが手を取っていた。
いや、あれは本当に勘違いだろうか。村田がそう思っていただけで、あれは水柱の求婚を望んで後輩が手を取ったのでは?今日のだって妹ではなく自分のことを考えて答えてたとか?
ぐるぐると頭の中が混乱する。いや。まさか。そんな。
どうすればいいんだ。俺は。
片や蟲柱の純朴な少年を悪い男の手籠めにさせちゃ駄目ですよと囁く声が聞こえ。
片や水柱の俺たちは互いに好き合っているから問題ないと静かに訴える声が聞こえ。
遠くからは村田の名前を呼ぶ後輩の声が聞こえる。いや、後輩の声は幻聴じゃない。現実だ。
「村田さん、お昼ご飯の用意ができましたよ」
いつの間にかおにぎりと焼き魚を手に後輩が座っている。こんがりと香ばしい匂いに釣られて後輩の前に座ると、どうぞとお茶を差し出される。村田の隣に座った水柱にもにこにことお茶を差し出す後輩に村田は「お前さぁ」と先ほどまで考えていたことを口に出す前にお茶を一口飲む。
程よく燻された香ばしいお茶の匂いと味にぐるぐると悩んでいた頭が一瞬で落ち着く。
こてりと首を傾げ、村田の言葉を待つ後輩に俺は「やっぱいいや」と残りのお茶と共に先ほどまで考えていた言葉を飲み干す。
この二人が想いあっているのを知ってしまえば、蟲柱のそれには従えないし、このように邪魔をすることも良くない。かといって後輩が水柱のことをそうと見ていないという答えが返ってきたのなら、この後はどうなるだろうか。少なくとも面倒臭いことになることはわかる。
だから、村田は選んだのだ。
知らぬが仏。
素知らぬ顔で、頬張ったおにぎりはいつもと変わらず美味かった。
村田は太い丸太三本を見て、唸った。滝行までは精神統一で何とかなったが、太い丸太三本を持つためには今まで以上の腕力が必要になる。今までの稽古でそれなりに力はついたがまだ太い丸太を数センチほど一瞬浮かせられた程度ですぐに尻もちをついてしまう。
一体どうすればいいやら。丸太と格闘すること数時間。今日も太陽が真ん中を過ぎる頃に小屋に戻ると話し声が聞こえてきた。
「祝言はどうする?」
「祝言、ですか?」
小屋に向かう足が止まる。聞き覚えのある声は同期であり、鬼殺隊最強と呼ばれる柱の一人、水柱である冨岡義勇のものだ。
そして冨岡の言葉を返していたのは最近岩柱の稽古にやってきたばかりの後輩、竈門炭治郎だ。
どちらとも村田にとって縁のある隊士ではあり、水柱に関しては仲が良いかどうかは不明だが、少なくとも炭治郎とは良い先輩後輩関係を築けていると自負している。何度か一緒に組んで任務をしたこともあるし。
水柱に関しては本当に一緒に任務に就くということはあってもほとんど単独で動いてしまうし、鬼退治だって村田が刀を抜くよりも早く終わらせてしまう。あの時のやるぞという気合をいれた気持ちが一瞬で萎びていく経験は、やるせなさと虚しさを生んだ。実際、水柱と一緒に任務に出て自信喪失する隊士は多い。まぁ、他の柱と組んでもそれは同じなのだが。水柱に関してはそれに加えて寡黙である。良かれと思って何か動こうとすれば、動くな、やら不要だ、とぶった切ってしまうので、意思疎通がうまくできないのだ。
そんな水柱が暴走した現場を村田は一度見ている。
水柱と師を同じくする兄弟弟子である竈門炭治郎が異人の同性に絡まれていた時に、救世主の如くその異人を張っ倒したまでは良かった。だが、その後に続けた言葉が良くなかった。
嫁、と炭治郎の事を呼んだのだ。
何をとち狂ったのか炭治郎に求婚する水柱という衝撃的な一場面を見届けた村田はその場をすぐに逃げ出せば良かったのだが生き証人としてそのまましばらく二人に付き従った。
さすがによくわかっていなさそうな純朴な後輩をそのまま置いていくのと、この水柱がどんな暴走するのかわからないままに放置するのは危険だと村田の頭の中で警鐘が鳴り響いたのだ。
それが功をなしたのか、二人とも天然だったせいか話は平行線のままで終わり、蝶屋敷まで無事に戻ることができた。後日、蟲柱である胡蝶しのぶに胃薬を渡され、労りの言葉をかけてもらった時には安心感と達成感で涙がドバドバと溢れてきた。
その天然の二人が何故か話をしている。
いや、炭治郎がここにいるのはわかる。だって柱稽古の途中だ。問題は水柱の方だ。何故柱がここにいるのか。
鎹鴉からの話によると柱の稽古は岩柱までのはずだったが水柱が参加の意向を示したため、この岩柱の稽古を合格後に水柱の稽古が最後に行われるという話だった。だから、水柱も自分の稽古場にて準備を進めていなくてはならないはずだ。
たらりといつの間にか額に浮かんでいた汗が頬を伝って落ちる。
「吉日が良いと聞きますね。
お寺とか神社とかでやるんでしょうか」
「それは当然だが、季節などは希望はあるか」
「季節ですか。
できれば暖かい春頃がいいですねぇ」
桜とか、見頃の季節だと嬉しいですと笑う後輩の言葉に心の中でおい待て、自ら首を絞めるようなことを言うんじゃないとツッコミを入れる。
妹の祝言を思い浮かべている家族想いの炭治郎と、自分たちの祝言をあげるつもりである水柱の会話は全くかみ合ってないはずなのに奇跡的に噛み合ってしまっている。
素直で優しいが若干思い込みが強い傾向にある炭治郎は先の事件時の水柱の嫁発言も、自分の身を案じての発言であると思っている。水柱は何を考えているのかよくわからないが、話が通じていないことだけはよくわかる。今も顔は見えてないが、どう考えても炭治郎の思いと水柱の思いが通じ合ってるとは思えない。顔を見たとて考えていることは小指の先ほどわからないだろうが。
本当は逃げたい。今すぐ逃げたい。頭を殴って先ほど聞いた話を忘れてしまいたい。だが、このまま見過ごしたことが蟲柱に知られたらどうなるか。あの美麗な笑顔で、あらあら逃げちゃったんですか?相手は鬼でもないのに?とその表情に見合わぬちくちくした言葉使いで良心を突かれるに違いない。
意を決して、二人がいる魔の巣窟もとい、柱稽古のために隊士達に開放されている寝泊まり小屋の扉をスパァンと勢いよく開けた。やけくそ気味で、力が異様に入っていたこともあり、扉は驚くほど大きな音を立てて開いた。その音に自分でも驚いたくらいだ。
「村田さん、お疲れさまです」
「おう、竈門。他のみんなは?」
「少し前まではいたんですけど、昼ご飯を食べ終わったらすぐにみなさん修行場に戻っていきましたよ」
震える声を抑えて、普段している会話を思い出しながら後輩に話しかける。にこにこと答える後輩の表情は平素と代わり映えがないが、話している内容から察するに他の奴らは早々と戦場から脱出したらしい。さすが岩柱までの柱稽古に到達する面子ばかりである。状況の把握能力と決断までが早い。
虎の子を踏んでもこの場に残ろうとする鈍感な奴もいないのも幸いというべきか、孤軍奮闘となることを嘆くべきか。
普段であればこのまま軽い談笑をしながら後輩と会話を続けるところだが、視界の端にちらちらと映る薄い気配の方を向く。そこには村田が想像した通りの平素と一切変わらぬ表情の水柱がそこにいた。
その水柱を視界に収めて、村田ははてどう声をかけたものかと悩んだ。同期と言えど相手の階級は上だし、なれなれしく挨拶するのはよくない。だが、かといってかしこまって挨拶するのもなんか変だ。
「あ、村田さん。今日は義勇さんが薬を届けに来てくれたんですよ」
「そうなのか」
悩む村田に救いの手を差し伸べたのは気が利く後輩である。岩柱の稽古は他の稽古に比べれば怪我をすることは少ない。とはいえ、細々とした怪我を不注意で負うことはある。
柱稽古用にと薬は十分に用意されてあるのだが、想像以上に他の稽古で怪我を負う隊士が多いため悲鳴嶼が稽古の空いた時間に余分の薬を分け行っているのだ。まだ薬はあるが、そろそろ補充が必要な頃合いであったか。
水柱を見て、感謝を伝えたが彼は何も言葉を返さなかった。俺の言葉に何も返事をしないのは変わらないので別に問題はないが、この場には人の感情を匂いで察することができる特技を持つ後輩がいる。
にこにこと水柱の代わりに「ここにちょうど来る予定があったので、そのついでだから気にするな、だそうです」と答えてくれる。いや、感情を察することが出来たとしてもまるで本人から聞いたかのようにすらすらと言葉が出てくるのは何故だろうか。水柱が村田の感謝を気にも留めてないことはやはりというか想像通りではあったが。
水柱の感情の薄い視線がその言葉を肯定するかのように後輩をじっと見つめる。
「あ、すみません。義勇さんには予定あったんですよね。なのに長い間この場に引き留めてしまいました」
「気にするな」
「気にしますよ!この柱稽古で他の柱の方々の屋敷にお邪魔させて頂きましたが、どの方も忙しそうでしたし」
同意を求めるように炭治郎に見つめられ、村田はううんと唸った。勿論、ここに来るまでの柱たちは皆忙しそうだった。稽古もさることながら、普段通りに仕事に向かう姿も目にしている。忙しなく動いているのは間違いないから、同意するように頷きたかった。
けれど、蒼の双眸が村田の頸に向けられると頷きたくとも頷けなかった。身体が固まったように動けない。唸ることしかできなかった。
「柱は確かに忙しいだろうけど、四六時中ってことはないと思うぞ……」
否定はせず、けれども肯定もせず。結果、中途半端な言葉を返す結果になってしまった。だが、後輩は村田の言葉にも一理あると納得したように頷き、強く突き刺さる反対側からの視線も若干和らいだような気がする。
「体調管理も務めを果たす上では重要なものだ。疎かにしてはいない」
「義勇さんがそうおっしゃるのであれば」
話を切り上げるという選択肢はなくなり、村田は天を仰いだ。この先のことなど、すぐにわかっている。先ほどしていた祝言の話に戻るのだろう。匂いで人の感情がわかるのであれば、今ここにいる俺の感情も察して欲しい。
非常に、とてつもなく俺は困っている。
「あ、そういえば村田さんはお昼ご飯まだでしたね!」
後輩が俺の感情を読み取ったように声を上げた。だが、いやそうじゃない。確かに腹は減ってはいるがそういう問題ではないのだ。
「すぐに準備しますね」
「ああ、ありがとう」
だが、準備をするために後輩が席を外したことはある意味良かったのかもしれない。水柱と二人きりになるのは正直気が重いが、後輩と二人きりにさせるのはまずい。かといって俺と後輩の二人きりとなると、目の前の人の視線が怖い。
二人してしばらく黙って立ち続ける。何か話をして、どうにかこの人を立ち去らせなければ。
「村田」
「お、おう!なんだ?」
「祝言を上げる際にはお館様と柱……その他誰に知らせればいい」
恩師である鱗滝と、炭治郎の同期にも伝えるべきだとは思うが俺から出しても良いのか。祝言を上げた後は、養子としてあいつを引き取り冨岡性を名乗ってもらおうと思うが、禰豆子のことを考えれば俺が竈門家に婿養子として入るべきだろうか。
どう思う。
真顔で口早に言われた言葉を脳内でゆっくりとかみ砕く。理解したくはないが、数分の時間をかけた後に、どう思うにどう返すべきかと頭を抱えそうになった。どう思うも何もない。それは俺に訊くことじゃないだろう。
こいつと渡り合えるほどの実力があれば、間違いなく頭を叩き、叫んでいるところだ。
鬼殺隊のほとんどは自分の命を賭けて、一匹でも多く鬼を屠ることを心に決めている者がほとんどだ。村田だってそうだ。鬼を目の前にして足が手が震えることはあっても逃げることはない。自分が最後の一人になったとしても憎き鬼の頸を一つでも多く墜とせるのであればと、今までの辛い稽古を耐えてきた。
とはいえ、恋や他事にうつつをぬかすなとは言うつもりはない。
俺たちの人生は、鬼を狩ることだけではない。
鬼を殺す日々は神経を酷くすり減らす。奪うことも、奪われることも、疲れるのだ。それに耐え切れず、精神を病んで自死を選んだものもいるのだ。そんな俺達を正気に保てる方法として、心の拠り所として求める人だっているだろう。
とはいえ、そういうことには巻き込まないで欲しい。やるなら勝手にやってくれ。
だがそれもそうはいかない。相手は水柱という上官であり、懸想先はまだ15の後輩である。見捨てれば、お世話になっているこれまた蟲柱という上官に今後ずっと後輩を見捨てた男と指さされることだろう。それは勘弁願いたい。これくらいならまだあの異人の相手をしている方がよっぽどかマシだった。
「祝言よりも、まずは相手の家族に了承を得るべきじゃないか。
家と家との繋がりを結ぶものだから、当人だけじゃなくてさ」
とにかく、話を先延ばしにできないかと思いついた家族という言葉に水柱は目を見張り、確かにと呟いた。後輩の妹は鬼であるから、彼女が人間に戻った後に了承を得ろ、という意を汲んでくれたと信じたい。
「禰豆子にはまだ冨岡性になるかどうかは聞いていなかった。
同居はするつもりではあったが、部屋などについても相談はしていなかった。彼らの故郷に住むのもいいが、炭焼きの仕事はどうするのかなどは詳しくは聞いてなかった。感謝する。後でそれも相談しておこう」
駄目だ。伝わってねぇ。
もうすでにこの水柱の中では二人が夫婦?になるのは確定事項のようだ。何故だ。そこが一番の謎なのだが。いっそのことそれを聞いてみるのもありか。
「冨岡はさぁ、竈門のことがどうして好きなんだ」
考えすぎて疲れた脳はもう言葉を優しいものに選ぶことすらできなかった。
けれど、飾り気もなければ、遠回しでもないその言葉は真っ直ぐに水柱に届いたらしい。
「朝目が覚めた時。……いや俺が苦しかったり、嬉しかったり、そんな出来事があったその時に隣に居てくれるのが炭治郎であれば嬉しい、そう思ったからだ」
どんな時でも隣に立つ人物があいつだといい。
ふわりと微笑む水柱の表情に、あ、こいつこういう顔もできるんだ、と素直にそう思った。最近は無表情ばかりを見ていたから、こんな風に笑う姿を見たのは初めてだった。泣いた顔を見たことは遠い昔にあるけれども、嬉しそうにする姿は見たことがなく、それがあの後輩だからこそ引き出せたのだと思うと、一瞬認めてやるかぁと考えを改めそうになった。
いや、狼狽えるな。こいつらがたとえ両想いであろうと、祝言はちょっと……いや、想い合ってるなら別にいいんじゃないか?
村田はそこでふと思い返す。後輩の言動と水柱のこの言動。後輩は確かに純朴ではあるし、異人の求婚騒動には大層困っていた。しかし、水柱の求婚には勘違いはしていただろうが手を取っていた。
いや、あれは本当に勘違いだろうか。村田がそう思っていただけで、あれは水柱の求婚を望んで後輩が手を取ったのでは?今日のだって妹ではなく自分のことを考えて答えてたとか?
ぐるぐると頭の中が混乱する。いや。まさか。そんな。
どうすればいいんだ。俺は。
片や蟲柱の純朴な少年を悪い男の手籠めにさせちゃ駄目ですよと囁く声が聞こえ。
片や水柱の俺たちは互いに好き合っているから問題ないと静かに訴える声が聞こえ。
遠くからは村田の名前を呼ぶ後輩の声が聞こえる。いや、後輩の声は幻聴じゃない。現実だ。
「村田さん、お昼ご飯の用意ができましたよ」
いつの間にかおにぎりと焼き魚を手に後輩が座っている。こんがりと香ばしい匂いに釣られて後輩の前に座ると、どうぞとお茶を差し出される。村田の隣に座った水柱にもにこにことお茶を差し出す後輩に村田は「お前さぁ」と先ほどまで考えていたことを口に出す前にお茶を一口飲む。
程よく燻された香ばしいお茶の匂いと味にぐるぐると悩んでいた頭が一瞬で落ち着く。
こてりと首を傾げ、村田の言葉を待つ後輩に俺は「やっぱいいや」と残りのお茶と共に先ほどまで考えていた言葉を飲み干す。
この二人が想いあっているのを知ってしまえば、蟲柱のそれには従えないし、このように邪魔をすることも良くない。かといって後輩が水柱のことをそうと見ていないという答えが返ってきたのなら、この後はどうなるだろうか。少なくとも面倒臭いことになることはわかる。
だから、村田は選んだのだ。
知らぬが仏。
素知らぬ顔で、頬張ったおにぎりはいつもと変わらず美味かった。