さよならを教えて
何度も何度も夢に見る。
告白されたあの日、もしあの時にそれを受け入れていたなら自分の隣で笑いかけてくれただろうか。
冨岡義勇には前世の記憶がある。だからこそ、姉も家族も親友も弟弟子もその家族もみんな大切だった。理不尽にも奪われた大切なものを今度こそ守ろうと胸に誓った。
姉が無事に幸せそうに嫁いだのを見守り、親友が楽しそうに人生を謳歌するのを聞き、弟弟子が今度こそ家族と一緒に過ごせる日々を見るだけで義勇は幸せだった。
それらの幸せに義勇は関わらなくても良いと思った。いつも守られてばかりの人生だった前世は晩年こそ幸せだったけれど、今の世で自分が大切な人たちと密に関わることで彼らの幸せを奪ってしまうのではないかと恐れたのだ。
親友の錆兎に悩んでいることがあるなら腹を割って話せと剣道で叩き潰されてその不安を伝えたら大声で笑われた。軟弱者め、と言われた。
「自分の幸せくらい自分で掴める。お前が関わるだけで不幸になるというなら親友などとっくにやめている。うじうじするな!男ならその憂いを断って見せろ!」
頬を叩かれて目が覚めるような思いがした。それからは少しだけ前向きに、否、義勇としてはかなり前向きに生きてきた。でなければ教師という子供たちを導く職になどついていない。
自分のような哀れな子供を増やさないためにも、子供たちには強い意思で生き抜く力を持ってほしいと願った。スパルタだと言われようが構いはしない。生き残るためには大切な人を守るためにはいつだって力が必要なのだ。
前世の弟弟子は今世では幼馴染になり義勇の周りをついて歩きまわった。記憶はないようだったけれど、弟弟子の人懐っこく優しい性格はそのままで、正義感の強さも家族に対する人一倍強い思いも変わっていなかった。
だからというわけではないけれど、弟弟子が生まれ変わっても義勇を慕ってくれるのが嬉しかった。
前世、姉と親友の仇の元凶の頸が取れるならそれ以外はどうでも良かった。自分の命でさえ。
その考えを変えてくれたのは弟弟子だった。この弟弟子は距離が近すぎる。固くがんじがらめになっている心に無遠慮に近づいて勝手にその鎖を解いていくのだ。誰もが面倒くさいとあきらめる中で弟弟子はただ傍に居続けてくれた。
その距離に困ったこともあるけれど、最終的にその距離をさらに縮めたのは義勇の方だった。
義勇さん、と呼ぶ声が好きだった。
俺を見て笑顔で駆け寄ってきてくれるのが嬉しかった。
ただ傍にいてくれるだけで幸せになれた。
愛しい、という気持ちが義勇の中ですぐにいっぱいになった。義勇は弟弟子を好いていた。
今世で初めて出会った時から愛しいと思う気持ちは変わらなかった。愛しいから、手を出せなかった。前世では早くに弟弟子を失くしてしまった。好いていると言う暇もなく、後悔と苦しみだけが残った。あの時のことを思い出してしまうと、どうしようもなく臆病者になってしまうのだ。
あの子の告白を断腸の思いで断ってから半年が経った頃、愛しい子が腕に怪我を作っていた。
それも毎週毎週増えるのだからさすがにこれはおかしいと思った。一月に一回ある身だしなみチェックで彼を捕まえて二人きりになるチャンスを作る。職権乱用だと同僚に言われても気にしない。
生活指導室に恐る恐る入ってくる姿に可愛いなと思いながら席に着くように言う。
腕の絆創膏が一つ、二つ、三つ。どれもこれも場所的に転んでできるようなものではない。喧嘩をしたのか?あの子は皆に慕われているが、正直者な性格だからそれが合わないものだって多いだろう。不死川とも前世は相性が悪いようだった。だが、今の学校生活は楽しそうでクラスの雰囲気も良好だ。ということは学校の外か?
考えると可能性にキリがない。一体、何でそんな怪我をするんだ。
「あのぅ、冨岡先生?」
見上げてくる弟弟子が可愛くて一瞬詰まる。いや、可愛いけれども今はそういうことを考える時じゃない。とりあえずまずは何故怪我をしたのか聞かなければ。
「……最近怪我が多いな」
いくつか頭の中で考えた言葉の中で口から出てきたのはそれだった。本当であればもう少し前後に言葉があったような気もするが、忘れてしまった。
「そう大した怪我じゃないですよ」
「怪我の大小が問題じゃない。するな」
「それは……難しいですね」
しゅんっと困った顔をする弟弟子に自分でも無茶を言っていることに気づく。だが、自分の身体は大事にしてほしい。守ろうと思っていた相手に守られて、命を賭けていた子に命を助けられて、心が散り散りになりそうだった。あの時を覚えているだから、強く願ってしまう。
目頭が熱くなりそうになるのを堪える。
「何故自分の身体を傷つけるようなことをするんだ」
「えっと、なんででしょうね?」
あの子は理由がわからないように言うが、俺は知っている。お前は優しいから。他人が傷つくくらいならば自分が傷つく方を選んでしまう。きっとこの傷も誰か他の人のためなのだろう。
でも止めてほしい。他人の傷を受け入れるな。それはお前が受け入れるべき痛みなんかじゃない。
「何か困ってることがあるなら相談に乗る」
お前は優しいから。困っているなら、傷を負うなら分けてくれ。口下手な俺の言葉では考えていることの半分も伝わらない。わかりましたと元気に言うのはわかっていない証拠だ。
とりあえず学校にいる間はずっと目を光らせておけばいい。
話は終わりだと反省文を書く用紙を渡すとさらさらとそれに記入する姿を見守る。愛しい人はどこまでもいつまでも生まれ変わってもずっと変わらないままだ。彼の告白を断った癖に自分は変わらぬ恋情を胸に抱き続けている。焦げ付いた心はもうどうしたって戻せはしない。
反省文を受け取り、ピアスを渡す。二人だけの時間が終わってしまうのが惜しい。もっと近くに居たい。傍にいたい。
「炭治郎」
「はい?」
好きだ。と声に出せればいいのに。臆病な自分は声に出せないまま、ただただ見つめることしかできなかった。君はまだ自分のことを好きでいてくれるだろうか。愛しいと思ってくれるのだろうか。そんな都合の良い事を考えて口を噤む。
「何でもない」
妄想を振り払うように言うと、あの子は笑った。そうだ。この子は笑顔が良く似合う。この子の笑顔が見られるなら、その隣にいるのは自分でなくともいい。
「じゃあ、冨岡先生。さようなら」
「ああ、さようなら」
押し殺した恋心に手を振りながら、やはりどうしても恋しくなる想いに頭を抱えた。好きすぎる。どうしたらいいんだ。
悶々と頭を抱える体育教師の姿は扉の施錠にやってきた美術教師が見つけるまで続いた。
恋に苦しむことそれから数か月。夏はとっくに過ぎて冬になってしまった。
あの子の腕の絆創膏は今も変わらず場所を変えて貼られているのにもやもやとしたものを胸に抱えていると生徒達から最近機嫌悪そうじゃない?と噂までされた。眉間に皺が寄りすぎていたようで同僚にもそれを揶揄われた。心外である。こちらは真剣に悩んでいるというのに。
「お前案外と視野が広いようで狭いよな」
「……?」
狭いとはどういう意味だ。隣に座る美術教師を見れば、想像したままのにやにや顔がそこにあった。教師だというのに派手な服装とアクセサリ、態度や素行も生徒の見本になるとは思えないものでなんでこいつが教師なのだろうと何度首をひねったことか。いくら自由な校風とはいえ、教師が自由すぎるのはいかがなものかと何度か学年主任に進言したことはあるが涙を流して南無と言うだけで解決したことはない。
それでもしっかりとした場ではTPOを守り、報告連絡相談は欠かさないマメな男ではあるので一定の信頼はしている。机の上もきらきらとした目立つ置物があるが、綺麗に作業スペースは開けられている。自分の参考書が雑多に積み上げられている机とは大違いだ。前の席の数学の教師からは雪崩が起きるから片付けろと今日も朝からにらまれてしまったばかりだ。
「おーい、もしもーしこっちの声聞こえてるか?」
「……うるさい」
耳元で大声を出すなと睨むと「おお怖っ!」と大げさに手を広げて離れる。怖いとも微塵に思ってない癖に何を言ってるんだ。無視して机の上の本を適当な箱に詰めていく。仕分けもせずにただ手当たり次第に詰め込むのにそういうとこだよと言われる。
「優先順位がどうでもいいやつに関しては本当におざなりなんだよな」
「端的に言え」
「悩み事があんだろ。眉間に皺を寄せて生徒達をビビらすくらいならさっさと周りに相談しろ。相談される側のような顔じゃねぇぞ」
「俺の顔は悪くない」
「そういう意味じゃねぇ。というか不機嫌さがにじみ出てるんだよ。もっといつもの何考えてんのかよくわかんない地味顔してろよ」
「宇髄!相談から話がズレているぞ!」
俺と宇髄の間に歴史教師がぬっと生えた。大きく見開かれた目がこちらを見る。その眼差しにすべてを心の内のすべてを見透かされるような気がして目を逸らした。
「ま、お前の悩み事なんて大体竈門のことだろ」
「何故わかる」
「いや、まぁ、だってあいつ優等生だし。夏休み明けで熱で休んで以降か?腕に怪我をしだしたのは」
わかっていたのかと驚いて宇髄を見上げると、いやどれだけ周り見えてないんだと言われた。どうやらあの子を心配しているのは自分だけではなかったらしい。歴史教師もうむと頷く。
「以前、授業終わりに聞いたが怪我の理由については教えてくれなかったな!」
「まぁあれくらいの怪我なんて、高校生で派手にやんちゃしてりゃあ一つや二つはできるだろうけどよ。定期的かつ意図的に怪我してるような感じなんだよな」
宇髄の見解に俺も同意だと頷く。怪我は時間が経てば治る。しかしあの子の怪我は治る前に一つ増える。常に三つ場所を変えて腕につけられたそれは意図があってわざとそうしているとしか思えなかった。
「怪しい輩と付き合っているという可能性はないか?」
「ないだろ。竈門だぜ?犯罪関係なら、警察にいますぐ出頭してやり直そうとか相手を説得しだすだろ。というかそういうのと付き合ってるならもっと派手な怪我してくるだろ。じゃなけりゃ薬とか」
「冨岡、殺気がもれているぞ!」
「……炭治郎はそんな危ないことしない」
「んなことわかってるよ。そういう裏的なやばいやつとは付き合ってねぇと俺も思ってる。
けどよ、ありゃ自分でつけたにしちゃおかしな場所も多い。冨岡、お前だってそう思ったからこの前呼び出したんだろ」
「困ってることがあれば相談しろと伝えた」
「けど、その顔見る限り相談には来てないと」
宇髄の言葉に心が不安に押しつぶされる。だが、あの子は大丈夫。強い子だ。前世の記憶からよく知っている。そう思っていてもどこかで何か思い違いをしてないかと警告を鳴らす自分もいた。
「だからよぉ、一人で悩むのは良くないぜ、先生」
口を噤み、俯く俺の頭を宇髄が叩く。そちらを見上げようとすると煉獄がずいっと俺の目の前に顔を寄せた。大きく見開かれた目と合う。
「うむ!竈門少年は冨岡にとって大事な生徒の一人だからな!
気を遣うのも致し方あるまい!しかし、相談がないということは竈門少年自身の力で何とかしたい事があるのかもしれない。あまり踏み込みすぎるのも良くはない。
ここは頼られる先生としてどしっと構えているのがいいだろう!」
あまりの大声に言ってることのほとんどが耳からすり抜けてしまったが、聞き取れた単語から推測する。
頼られる男になれということか。
考えてみれば生徒からの相談を請け負うことが俺はあまりない。部活動や体育の授業に関する相談であれば生徒から質問されることはあれど、個人的な相談はあまりされたことがない。学生の時は親友が傍にいたから、相談は大体親友の方に回された。理想は親友のような男だろうか。
「煉獄、個人的な相談するとしたらまずどの先生に話すと思う?」
「それはもちろん悲鳴嶼先生だな!
竈門少年の件は悲鳴嶼先生もご存じだろうか?」
「知ってるはずだぞ。竈門も相談するならまずは悲鳴嶼先生にするだろう。担任だしな。
竈門の事は気になるっちゃ気になるが、教師と生徒だしな。一人の生徒だけに特別に関わろうとするのは良くない」
「うむ!確かにな!」
だけど、とずいっと宇髄が身を乗り出した。煉獄と宇髄に両サイドを挟まれると何とも嫌な気分になる。親友にそれとなく頼りになる男になるためにはどうしたらいいかとメッセージを送ろうとして立ち上がるが、その肩を掴まれる。
「お前は教師と生徒以外のカードを持ってるだろ」
それを使え。と宇髄と煉獄の手によってまた席に座らされる。二人の声が両耳から交互に聞こえるのにとりあえず手で耳を抑えるとその手を掴まれた。何故このような罰のような拷問を受けないといけないのだろう。
授業の道具を忘れたと職員室に戻ってきた先生が助けに入るまでこの状態は続き、後に助けに入った先生にはこう言われた。
この世の終わりのような顔をしていましたよ、と。