短編
◇ ◆ ◇
村田と久々に食事に出かけた帰り道、蝶屋敷の娘と一緒に歩く伊之助を見かけた。
珍しい。
炭治郎が傍におらず、蝶屋敷の娘と一緒にいる伊之助はいつもと同じ、いやいつもより少しはしゃいでいるように見えた。蝶屋敷の備品の買い出しだろうか。いくつかの風呂敷を持って歩く伊之助をしょうがないなぁと見つめる蝶屋敷の娘もどこか嬉しそうだ。
「何見てんの?あ、嘴平と神崎さんか」
「……炭治郎はいないみたいだな」
「気になるとこ、そこなのか?」
村田が呆れたような顔をするが、すぐにぱっと表情を変えるとおおいと二人に向けて腕を振った。蝶屋敷の娘、否、神崎がその声に気づいたようでこちらを見ると一礼した後小走りで寄ってきた。
「水柱様と村田さん、お久しぶりです」
「半々羽織とおもらしじゃねぇか!」
「漏らしてないからね!?村田だから!あ、あと……」
「俺は水柱ではない」
「あーっと冨岡のこれは、もう鬼殺隊は解散したから水柱って呼ぶのは止めてくれっていう意味で……」
俺の声に神崎が怪訝な顔をするが村田の説明に合点がいったようで冨岡様、と呼び直した。
「お二人は何か私に御用時で?」
「いや、珍しいなって思って声をかけただけだよ。
炭治郎が一緒じゃないんだなって」
「ああ。それでしたら、本日は禰豆子さんが蝶屋敷に遊びにいらしてて、その付き添いに伊之助さんが来てるんです」
「ねず公はまだ蝶屋敷にいるぞ」
会っていくか?と訊く二人の視線に村田が困ったようにこちらに顔を向ける。
「……いや。息災ならいい」
「元気ですよ。禰豆子ちゃんは」
「……その言い方だとなんか、含みがありそうだな」
「ええ、まぁ……」
少しだけちらりとこちらを遠慮するように神崎は見た後、ふぅっと息を吐いた。
「貴方にはお伝えしておいた方が良いでしょうね。ですが、私が今から話すことは秘密でお願いします」
神崎の雰囲気に村田は一歩後ずさる。俺は聞かない方がいいなら、と言う村田に神崎は貴方も良かったら一緒にいてくださいと言う。
人通りの多い町中でする話でもないので、と四人して町の外へ行きしばらく歩いた先で足を止めた。長閑な田園が広がる畦道で、神崎は一つ深呼吸をしてから話し出した。
「炭治郎さんですが、左腕から少しずつ感覚がなくなっているようです」
「えっそれって大丈夫なのか!?」
「大丈夫じゃないです。本人に訊くと大丈夫だって言われますけど。
カナヲが炭治郎さんの状態を訊いて知り合いに薬を処方してもらっているようなのですが……進行状況をみるに良くありません。原因も不明ですし、何か切っ掛けで悪化するかもわからない状態です」
村田がそっかと案外あっさりと神崎の言葉を受け入れる。仲間が死ぬことは鬼殺時代にはよくあることだ。元気な姿を見せたかと思えば容態が急変して次の日には亡くなっている。そんな経験をたくさんしてきた自分たちに出来ることはと言えば、ただ事実を受け止めることだけだった。
「……何故それを俺に?」
「この話は既に今日禰豆子さんや、炭治郎さんと一緒に住む善逸さん、伊之助さんには伝えております。炭治郎さんの身に何かあった場合はすぐに蝶屋敷に知らせるようにとお伝えするために。
冨岡様も炭治郎さんに近しい人ですので念のため伝えておこうかと……違いましたか?」
確認するかのようにとって付けられたその言葉に静かに違わない、と答える。近しい、と言えば近しい存在だろう。実際、彼からはよく手紙が飛んでくるし、慕われているという自負はある。
炭治郎に近い者すべてに伝えているというならば、話は理解できる。
「ちなみに逆に冨岡様のことは音柱様と風柱様、鱗滝様と炭治郎さんと禰豆子さんによろしくとお願いしてあります」
「あー、確かに冨岡は自分で判断してそうだもんなぁ」
「そんなことはない。文がくれば必ず行く」
「えぇ、まぁ定期健診は忘れずにいまのところ皆さま来て頂いてるので安心しています。
ですが冨岡様も風柱様も要重病人ですし。
できれば貴方がたには生きていて貰いたいんです。他の亡くなった柱の皆さまの分まで」
「それは……」
無理だと答えようとして口を噤む。痣者の話は柱であった義勇と不死川、そして炭治郎と輝利哉のみだけの秘密にしてある。残った者に痣者の宿命を話すのはまだその時ではない。いずれ、義勇と不死川が、そして炭治郎が死した後に輝利哉が責任を持って話すと言っていた。
だから、今神崎の話を否定するわけにはいかない。だが、肯定するのも良くない。口を閉じた義勇に神崎は何か事情を知っているかのように視線を地面に落とした。
「大丈夫です。貴方達は好きなように生きてください。それをどうにかするのは私たちの願いで、やりたい事ですから。
あ、でも無理だけは駄目ですよ。もう以前のような身体ではないんですから。音柱様も、なんだかんだで引退したというのに刀だけは手放しませんでしたし」
神崎はふぅっと息を吐いて、少し困ったように頬を当てた。宇髄は片手を失くした後も一本だけ返し、もう一本は手放さなかった。曰く、日輪刀 はもう自分の腕のようなものだから、残った腕も失くしたらそん時に返すわって隠に笑って言っていた。
義勇と不死川は宇髄のように刀を隠しているのであれば持っていても構わないと言われたが、
断って返した。自分の刀は折れていたし、最後に持っていたのは誰かの刀だ。できればその誰かの元へ返してあげるのが通りだろう。
「俺は刀を持っていない。だから、無理をすることもない」
「刀を持っていないことが無理をしない証拠になるんですか?」
じっと上目で見つめてくるその表情はまるで胡蝶のようだった。信用されていない。
「まぁまぁ。鬼ももういないことだし、冨岡も無理することはないと思うよ。
日常生活で騒ぎが起きるなんてそうそうないことだし」
「……そうですね。鬼のいない、普通の日常生活では無理をしようと思ってもできませんよね」
「そうそう」
間に入ってくれた村田の言葉に今度こそ神崎は納得したように頷いた。相変わらず村田は人の間に入るのが上手い。話も双方の良い落としどころに落としてくれる。
「まぁ、でも心配なのは炭治郎か」
「そうですね……。禰豆子さん達がついてるから大丈夫だとは思いますけど」
「まぁ、確かに」
炭治郎は滅多に弱音を吐かない。だが禰豆子は炭治郎の機微に聡いし、同期である善逸や伊之助には炭治郎も大分気を許しているから悩み事を話すこともある。彼らになら炭治郎を任せても大丈夫だろう。
「冨岡もなんか悩みがあれば俺に言ってくれよ!助けになれることがあれば手を貸すから!」
「ああ。相談事があれば連絡をする」
絶対にだぞ!と肩を叩く村田にしっかりと頷く。義勇と村田の様子に神崎が目を少しだけ見開いたあと、目尻を下げた。
三人の話も終わった所で伊之助がようやく終わったかと、声を上げた。
「なぁ、早く荷物持って帰ろうぜ」
「そうですね。禰豆子さんも待っているでしょうし。
冨岡様と村田さんも、お話に付き合い頂きありがとうございました」
丁寧に頭を下げる神崎に、村田と顔を合わせて気にするなと答える。胡蝶亡き今、蝶屋敷を支えているのは継ぐ子ではなくこの神崎である。医療技術は胡蝶に及ばないとしても、それでも蝶屋敷に残った人員をまとめ上げて変わらず、人々の治療を施し続けている。
彼女達が困っていることがあれば力になりたいという気持ちはある。戦えなくとも彼女達は自分たちに出来ることでずっと鬼殺隊を支え続けていたのだから。
「嘴平」
彼女に寄り添うようにしている伊之助に声を掛ける。顔だけがこちらを向く。
「炭治郎を頼む」
「わかった」
伊之助は少しだけ何か物言いたげな顔をしていたが、すぐに返事をし神崎と連れだって去っていった。その表情を見て村田も何か違和感を覚えたのか、嘴平なんか様子がおかしかったよなと呟いた。
「そういえば、冨岡は炭治郎と仲がいいんだな」
「ああ」
「そこは即答なんだな!」
「毎週文を貰う」
「へぇ、毎週文をくれるんだ。そりゃ仲いいな」
炭治郎との仲を良いと言われて少しだけ頬が緩む。
「まぁ、傍から見てても仲良さそうだもんな」
「そうか?」
「無自覚なのか!
ほら、冨岡ってさ炭治郎の前だとわりとよく話すだろ?まぁ、あいつの場合誰相手でもよく喋ってるんだけどさ」
「炭治郎の良い所だ」
すかさず言えば、村田が若干間を開けてそうだなと頷いた。声が若干上ずっていたのは何だろうか。辺りに何か珍しい生き物でもいたかと見渡してみたが何もない。
「炭治郎といっしょにいるお前は何というかいつもより表情が柔らかいというか、楽しそうなんだなってのがよくわかる」
「そうか。気づかなかった」
確かに炭治郎と会った後は頬がよく緩んでいる気がする左手を頬に当てて引き上げる。下がった頬を持ち上げようとする仕草に村田が乾いた笑いを漏らした。
「いや、お前はそれくらいがちょうどいいと思うよ」
「そうだろうか」
「うん」
「……」
渋々と左手を頬から離す。腑抜けた顔をしていると宇髄や不死川に笑われないだろうか。ただでさえ、最近は何もしていないというのに。
「俺、少し安心してるんだよ」
そろそろ帰るか、帰る前にちょっと何かつまめる物でも買っていこうと町へ改めて足を向けている途中、村田が言葉を漏らした。
安心しているとは何に?視線で問えば村田はそっくり視線を返した。
「……俺か?」
「そうだよ。鬼舞辻がいなくなって鬼殺隊の仕事もなくなって。
でも俺達に残ったのは何だったんだろうって」
恨みだけを糧に生きてきた。そういう者が鬼殺隊には圧倒的に多い。帰りを待つ者もいるが、それを持たない者だっている。そんな人たちがすんなり日常生活に戻れるかといえば、そうでもない。
「……俺には炭治郎と禰豆子がいる。鱗滝先生も」
「そうだな。冨岡にはちゃんと大切な人がいるんだ。
だから、その人たちの為にも生きないと駄目だぞ」
「ああ」
「お前とご飯行くの楽しかったし、これからも時間があったら一緒に行こうな」
「うん」
「冨岡」
村田が足を止める。それにつられて足を止めた。村田の表情は笑っているのに目だけは真剣だった。
「お前が一緒に居たいと思う奴と過ごしてもいいんだぞ」
一瞬心の中を見透かされたような気がした。音が止まる。何も聞こえなくなる。村田が何かを言っている。あの時、俺は何か答えただろうか。何も答えぬままでいただろうか。
わからない。
気が付けば村田の姿がない。視界の隅に見えていた町もない。いつかと同じ、夢の中だと気づいた。だが夢だと気づいた所でこれから目を覚ます方法がわからない。
「……錆兎」
名を呼べば、いつでも来てくれると言っていた友の名を呼ぶ。しかし、名を呼んでも彼は姿を現さない。仕方なしに何となく続いている道を歩くことにした。
血鬼術で夢を見させてくる鬼が昔いたらしいが、それから目を覚ます方法は自害であった。煉獄の死と共にそういう血鬼術もあるらしいと報告してくれた胡蝶は、けれどと続けた。
夢から目を覚ます方法として自害は最終手段にしたいですね。夢だと思わせて現実で自害してしまう可能性もあります。実際、炭治郎君はそうなりかけ……伊之助君の制止で間に合いました。この情報は、柱にのみ開示することにします。似たような血鬼術をかけられて自害してしまうような子達が出たら困りますからね。
わかりましたか、冨岡さん?
はっと顔を上げて辺りに声の主を探す。確かに先ほど胡蝶の声が聞こえたような気がした。いや、ここは夢の中。だから考えたものが声として聞こえたように思えたのかもしれない。
「お前、痣者か」
気が付けば、誰かが道の真ん中に立っている。和服姿の、髪を一つに結った長身の男だ。痣者かと問う男の額にも炭治郎に似た痣があった。
「そうだ」
「そうか。
……余命二、三年といったところか」
肯定はしない。しなくてもわかることだろう。男も答えを求めているわけではなさそうだった。
「お前は、何かやり残したこととかないのか」
「ない」
即答する。鬼舞辻無惨を倒すこと はすでに叶ったのだ。それだけを目的に生きてきたのだから、その後の人生はただゆっくりと穏やかにすごしたいと考えていた。
二、三年もあればそれも叶う。だから思い残すことなどない。
「本当にか?」
だが、男は再度確認してくる。しつこい。
ない、と再度答えようとたが何故だか声が出てこなかった。
「……俺はどうしてもなりたいものがあった」
男はただ喋り続けた。
「あれは神々に愛されていた。だから痣が出てもあいつだけは25を過ぎても生き続けた。
お前もまた、神様に愛されている」
「……俺は25では死なぬと?」
「今のままでは」
男は静かに義勇を見つめて言った。嘘を言っている目ではない。しかし、神に愛されているとはなんだ。
「俺は、神になど愛されてはいない」
「そうだろうか。身に覚えがないと?」
その言葉を再度考える。神に愛されている証拠。いや、一つあった。
「錆兎」
死んだはずの友人が見えるようになった。神に願ったわけではないが、彼と出会えたことは嬉しかった。
「山神が俺を気に入ったと?」
「違う」
男は首を横に振る。では誰がと問おうとすると道が歪む。道と共に姿を揺らめかせる男は義勇を指さす。いや、違う。義勇の隣に立つ誰かを指さしている。
隣に立つ人物を見ようとして、ぱちりと目を開けた。
目の前に大きな猪の顔がある。
「……嘴平か」
「半々羽織、目ェ覚ましたのか!」
水に濡れた身体を起こす。まだ大穴の中にいるようだった。嘴平の持つ手燭 》の炎はあかあかと燃えている。消えたと思ったのは気のせいだったのか。
「半々羽織、お前いきなり倒れたんだぞ」
「そうなのか」
「そうだよ!まったく人騒がせなやつだぜ!」
「すまない」
素直に謝ると伊之助は仕方のねぇやつだと言いながらも許してくれた。そして、背に背負っているそれを見せてくれる。
「炭治郎!」
「大分弱ってるが、息はしてるぜ」
伊之助に背負われている炭治郎を見て、良かったと胸を撫で下ろす。息をしているのならば生きてはいるのだろう。見つかったのならここにもう用はない。早く出ようと伊之助に声を掛けようとして、上を指さされる。
「……一体、どういうことだ?」
根の間から見えていた空がない。空が埋まっている。夜になったのかと伊之助に訊けばそんなに時間は経ってないはずだと首を横に振った。
「奥でこいつが倒れてるのを見て起こそうとしたら半々羽織がいきなり倒れたんだよ。半々場織は呼吸してたし、ただ眠ってるみたいだったから、こいつの様子を見に行ったんだ。
やつれてはいるけど、こいつも呼吸はしてる。だから仕方ねぇけどお前ら二人担いで外に出ようとしたんだが、気付いたら上が埋まってた」
手燭 であたりを照らしながらひとまず水が浅い所へと向かう伊之助について行く。背中に背負った炭治郎の顔は確かに顔色が悪そうだ。
前に聞いた神崎の話もある。すぐにでも蝶屋敷に連れて行きたいところだが……。
「嘴平、刀は?」
「ボッシューされた」
返したのではなく、没収されたということは伊之助は手元に置いておきたかったのだろう。しかし伊之助の性格を見て、危険視した誰かが刀を返してしまったようだ。その判断は間違っていないように思えるので、仕方がない。
「……縄のある場所まで戻り、上がどうなっているか確認しよう」
「俺もそう思ったんだけどよ」
縄がねぇんだ。
万事休す。伊之助の言葉にそんな言葉が浮かんだ。それとも木乃伊取りが木乃伊になる が良いだろうか。
「神頼みしたい気分だ」
ふと出た言葉に伊之助がぴくりと反応する。たまたま出た言葉だった。実際に神に頼むつもりはない。だが、その声に応えるものがあった。
「外に出たいの?」
小さな子供の声だった。伊之助が即座にその声がする方へ振り返り、誰だと声を上げる。手燭 の炎がゆらりと揺らめいて、その先を照らす。子供はどこにもいなかった。けれど、伊之助は警戒を解かない。
そこに何かいるのだろう。
「外に出たいの?」
再び声が聞こえた。確かに伊之助が見ている先から声が聞こえているような気がする。
「出たいなら、出ていけばいいよ。
でも、その子は置いていって」
見えぬ先からの視線を感じる。置いていけと差されたものが伊之助の背負っているものだとわかり、駄目だと首を横に振る。伊之助も置いてかねぇとはっきりと返す。
「置いていってよ。
その子は神様への饗 なんだ」
「あえ?」
「御馳走」
何年かぶりにやってきた御馳走。前はたくさん貰えたのに。今は少ししか貰えない。やっぱりあの人がいなくなったからなのかな。
わけのわからぬことを声は話す。
「ごちゃごちゃうっせぇんだよ!さっさと帰せ!」
「さっきから言ってるじゃないか。
帰りたければその子を置いて帰ればいい」
堂々巡りの問答に伊之助が腕を振り上げる。その瞬間伊之助の姿が消える。手燭 と炭治郎が支えられるものを失くして水の中に落ちる。消えた明かりに慌てて、記憶を頼りに炭治郎の傍に寄り、身体を起こす。
冷えている。自分の上着をと思ったが自分の上着も水に濡れてしまっている。できることはただ身体を抱きしめ、擦ることだけ。
「君は出たくないの?」
声はまだ問いかけてくる。
「嘴平をどうした?」
「帰せ帰せって煩いから帰した。
……君も帰りたいんじゃないの?」
帰りたい。けれどそれを言えば先ほどの伊之助と同様に一人で帰されてしまう可能性が高い。
「何故、炭治郎を置いていかないといけない?」
「その子が次の神様になるから」
「神様?」
声は無邪気に言う。
「神様になるってどういうことだ」
「神様は神様だよ。近くの村の人は山神様って呼んでるけど」
「お前が山神様?」
「うん、そう。
かつてこの山にいた神様に捧げられた饗 であり、共に祀られていたもの。今は山神様と呼ばれてるもの。それが私」
相変わらず姿は見えないが、声は四方八方から聞こえてくる。神に捧げられた供物が力を持ち、山神になったということか。
「代わる供物を用意する。だから炭治郎を返してくれないか」
「駄目」
炭治郎の代わりに俺が、と言おうとした口を閉じる。代替案が駄目なら他の案をと考えようとした時、また声が聞こえた。
「その子、あともう何年も生きられない。
神様になれば生きられるよ」
何年も。ずっと。ずっと。
その声に、はたと炭治郎の姿を見下ろす。痣者は25の歳を迎える前に死ぬ。それは決して25までの命が約束されたものではなく、痣を発現させて25を超えて生きた者がいないという意味だ。
「……この子は皆に願われている。
ずっと傍にいて欲しい。長く生きて欲しい。神様になればその願いが叶えられる」
それはきっと、誰かが望んだことなのだろう。禰豆子かもしれないし、鱗滝かもしれない。平和になった世で大切な人にずっと笑って生きていてほしいと願うのは、当然のことだ。
叶う願いは長くその先を生きること。
対価は人としての人生。
義勇だって、炭治郎にはずっと笑っていて欲しい。生きていて欲しい。しかしそれを口に出すことは自分が許さなかった。
鬼になった炭治郎を人のまま死なせることを望んだのは自分だ。きっと炭治郎はそれを望んでいなかったし、その意を汲んでやるのが兄弟子である自分の役目だった。心が悲鳴をあげようと望んでなかろうと、炭治郎の為に。
「……俺は」
炭治郎は神様になることを望むだろうか。鬼ではない。神様だ。
人の願いを叶え、助けることは炭治郎の性格によく合っているように思えた。優しい神様になるだろう。人に寄り添う良い神様になるだろう。
けれど。
「炭治郎は、人のまま死なせてやりたい」
残され置いていかれる側にしてはやりたくなかった。残された時が僅かであったとしても、彼は人であるべきだ。自分と一緒に生きて、そして死んでいく。他の皆と同じように。
「それは本心?」
疑うような声音に義勇は頷き、炭治郎の身体を抱き寄せる。小さく、ぼろぼろのその身体。けれど義勇にとっては一等大切な、愛しいもの。
「神様になぞしてやるものか」
大声で言い切ると、耳元でよく言ったと褒める声が聞こえた。目の前を白い羽織が舞う。手に持つ刀は青色の日輪刀。頭には懐かしい狐の面がしっかりと結んである。
昔よく練習していた動作のまま、錆兎は豪快に力強く日輪刀を振るう。青い水飛沫を残像が見える。
縦に一閃。
錆兎が虚空を斬ると、何者かの悲鳴が上がる。
「錆兎!」
義勇の呼び声に錆兎が振り返った。
「短い間だったが、お前とまた会えて良かった」
「俺も……錆兎に会えて良かった」
錆兎は少しだけ寂しそうに微笑んだあと、狐面を被る。揺らいで薄くなっていく姿をじっと消えるまで見守る。
錆兎が消えた後、視界の先が揺れ始めた。歪む景色の中、義勇は炭治郎の身体をずっと抱きしめ続けた。
◇ ◆ ◇
目を覚ましてみると横に炭治郎がいた。
「あ、義勇さん、おはようございます」
隣に座っている炭治郎におはようと返して、辺りを見渡した。泊まっていた宿の部屋だ。間違いない。
だが、どこか前よりも薄暗く、誰の者かわからない荷物が置いてある。自分が寝ている布団の横にもう一組、布団がある。
「あ、ここは俺が借りてる部屋なんです」
「借りてる?」
「はい。あのいなくなった子の捜索のためにやってきたと言ったら空き部屋をかしてくれるとこの家の持ち主の方が言ってくださって」
目をぱちりと瞬かせる。まるでこの家が宿ではないというような言い方だ。記憶が少し混沌としている。覚えていることを確認するように口に出す。
「俺は禰豆子に頼まれてお前を探しに来た」
「あ、はい。それは聞きました」
「十日経っても、帰って来ないし、手紙もなかった」
「それについては大変申し訳ありません……」
炭治郎は背を縮こませながら手紙を出せなかった理由を語った。
いなくなった子供の捜索のためにこの村にやってきたのはいいが、この村に来て早々に熱を出したこと。その状態にも関わらず無理して子供の捜索をし、子供を無事見つけることは出来たが、体調を崩してしまったこと。そのせいで手紙もかけぬほど寝込んでしまったこと。
「禰豆子に心配をかけた上に、義勇さんにまでご迷惑を……」
「いや、いい」
それよりも体調は大丈夫なのかと訊けば、炭治郎は右手を元気そうにぐるぐると回し体調は戻ったと笑う。だが、その腕を止めさせて額に左手を当てる。まだ若干熱いような気がする。
「……俺の前では無理する必要はない」
「無理しては……いえ、そうですね。まだちょっと熱っぽいみたいです」
元気なフリを続けようとした炭治郎を睨むように見つめるとすぐに白状した。ぽんぽんと自分が寝る布団の隣を叩く。
病人は大人しく寝ろ。
その意図が伝わったのか、いそいそと隣の布団に炭治郎は潜り込んだ。
「すみません……」
「いい、と言っただろう」
迷惑だとは思っていない。言葉で伝えれば、炭治郎は少しだけ嬉しそうに笑った。
炭治郎と入れ替わるように布団から出て、その場に座れば先ほどの立場と逆転した。
「熱に浮かされながら夢を見てたんです」
布団に入ったはいいが、まだ眠気はないようだ。炭治郎は天井を見つめたままぽつりと話始めた。
「育ちゃん……あ、行方不明になった子ですね。その子を探しに山に入るんですけど、足を滑らせて大きな木の下にあった穴に落ちてしまったんです。
そこで子供に会って、神様になって欲しいって言われました。神様になったら、君の好きな人の願いを叶えてあげられるよって」
不思議な夢ですよね、と笑う炭治郎に間を空けてそうだなと返す。
「神様になるなんて畏れ多い話だけど、もし叶うなら……行方不明の子が無事に家に戻れますように、って俺は願いました。
そこから先はよく覚えてないです。神様になれたなら禰豆子や義勇さんの幸せも願えれば良かったのに」
「お前は神様にならなくていい」
「そうですか?……そうですね」
俺も人のままでいいです。
うとうとと目を閉じながら炭治郎はそのまま寝てしまう。やはり体調は万全ではなかったらしい。寝息を立てながら眠る炭治郎の額に手を当てて、その熱さを確かめる。
ここは現実だ。夢ではない。
けれど、義勇の記憶はここ二、三日異なる記憶が存在している。
始まりは同じ。
禰豆子に頼まれて炭治郎を探しに村へ来る。違うのはこの村に来てからの記憶だ。
片や、ほんの少し寂れた村で炭治郎について聞くとある村人から炭治郎が熱を出していることを聞き、その家で彼の看病をして丸一日過ごした記憶。
片や、村は町のように発展し、行方不明となった炭治郎を探しに山へ行った記憶。
現状は前述の記憶の続きで間違いなかった。しかし、炭治郎が語る夢の記憶は後述の記憶と似ている。記憶にあるそれは夢だったのだろうか。
眠る炭治郎の顔をじっと見下ろす。
恐らく炭治郎も義勇も余命幾許もない。皆が自分たちが長生きできるようにと願ってはくれているが、それはそう神の御業ともいえるような奇跡が起きなければ決して叶えられない。
そんな奇跡を願った誰かが夢見たものなのかもしれない。
だが俺は誰かが願った優しい夢を否定した。死んでくれと炭治郎に願ってしまった。鬼でもなく、神でもなく、人として、ただの炭治郎として義勇の目の届く範囲でいてくれと願ってしまった。
いつか村田が言った言葉を思い出す。それは間違いなく、義勇を許す言葉だった。酷い奴として生きても良い。
共に生きたい人と生きていく。
他の何者にもならず。何処にも往かせもせず。
目の前で眠る子と共に朽ち果てたい。
それが自分の望みだった。
◇ ◆ ◇
不甲斐なし。
心を占める言葉はそれに尽きた。行方不明になった子供を探しに来たというのに熱を出してみんなに迷惑をかけてしまった。行方不明の子は山で衰弱していた所を炭治郎が保護した。山の裏側にある湧き水がこんこんと溢れている場所のすぐそばに子供は蹲るようにしていたのだ。
どこかで足をくじいたらしく動けないようだったが、彼が動けなくなった場所は悪い場所ではなかった。今の季節が夏で、水もあれば近くに木苺が生っていたのも幸運だった。寒ければ凍えていただろうし、水と食料がなければ飢えていたに違いない。十日も過ぎて生きていたのは幸運としか言いようがない。
子供を連れて山を下り、お礼をと言う家族に大丈夫ですと手を振った時に自分の体調の異変に気付いた。ふらふらと視界が揺れたと思えば立っているのが難しくなり、その場に膝を着く。
そういえば最近少しだけ身体が熱いと感じていた。夏になったからそのせいもあるだろうと思っていたのが間違いだった。そのまま気を失うように寝込み、気が付けば義勇さんが訪ねて来ていた。
寝込む俺の看病をし、心配かけてしまった禰豆子にも連絡をしてくれた。迷惑をかけないようにと空元気を振り絞ってみても義勇さんにはすぐにばれてしまった。そのまま義勇さんに看病されて三日後、ようやく熱が引いて元気になるとすぐに村を出た。
「あの兄弟、元気そうだったな」
「はい。良かったです!」
村を出る時に見送りに来てくれたのは行方不明になった育ちゃんとその兄弟達。俺と義勇さんの姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
かわいい子でしたねと義勇さんに向けて言うが、義勇さんは少し上の空で返事は返ってこなかった。
「……あの兄弟は、あれで全員か?」
「ええ、そうですよ」
「そうか」
「何か気になる点でもありましたか?」
「いや……大丈夫だ」
義勇さんは頭を振ると先ほどまで匂わせていた困惑の色を消しさってしまう。何かあったのかな。でも大丈夫っていうならいいのかな。
熱に浮かされた時に見た夢の話をした頃から義勇さんは何かにずっと悩んでいるような匂いをさせている。そのことについて何度か聞いてはみたけれど答えてはくれなかった。
錆兎だったら、悩みを打ち明けていたのだろうか。
「炭治郎」
「あ、はい」
気が付くと義勇さんとの間に距離が出来ている。慌てて義勇さんの隣へと小走りで追いつく。
「そう急かなくてもいい」
「いえ、義勇さんには色々とお気遣いさせてしまっていますし。それに本当にもう大丈夫ですよ?」
病み上がりだろうと言わんばかりの義勇さんに身体の調子が戻った事を示すように手を振る。今度は嘘偽りないので、義勇さんも何も言わない。
「夏の日差しは強い。少しでも身体に不調を覚えたら……いや」
義勇さんは言葉を途中で切ると手を差し出してきた。条件反射でその手を取る。
「こうすれば、わかりやすいか」
「義勇さん、俺の事を子供扱いしていませんか?」
「していない」
「本当ですか。……あ、なんだか少し笑ってますね?やっぱり子供だと思ってます?」
「いや、そんなことはない」
そんなことはないと言いながらも義勇さんの目尻が下がっている。いつものきりっとした感じではなく柔らかな雰囲気だ。子供扱いではないというが、それに近い扱いをされているのは間違いなさそうだ。でも、義勇さんが嬉しそうだから強くは言えない。
それに、俺自身も手を繋ぐことを嬉しく思っている。
残る人生であと何回こうして手を繋ぐことができるだろうか。
「……炭治郎、手紙を送ることが難しくなったらその時はうちに来い」
「えっ、いや、でもそれは」
義勇さんの言葉に驚く。ついで嬉しいと思う気持ちと迷惑ではという気持ちがせめぎ合い、はいとも、いいえとも言えずに言葉に詰まる。
そもそも毎週手紙を送るようにと言ってきたのは義勇さんの方だった。
鬼殺隊を解散してしまえば今よりも会うことがきっと難しくなる。それが寂しいと義勇さんに言ったら、毎週手紙を送って欲しいと頼まれた。俺も寂しいから、手紙を送ろう。今まであまり送った事がないし、毎週は無理かもしれないがこれからは送るようにする。離れてても、お互いの近況がわかるようにしよう。そうすれば寂しくない。
渡りに船の言葉に一にも二にもなく飛びつき、良い考えですね!毎週送りますと喜んでそれからは必ず手紙を送っていた。
「お前からの手紙がないと寂しい」
「そ、それはすみません」
「遠くに行く用事や何かあれば俺に言え」
「ご迷惑ではありませんか?」
もうすでに何度も口にした言葉に義勇さんは決まって否と答える。俯きそうになる俺の顔に合わせて少し屈むと、目を逸らすなと言われる。
「何も知らぬままである方が困る」
「……義勇さんに好いた人が出来た時に困りますよ」
毎週手紙をやり取りするような相手は、たとえ同性であろうときっとやきもきさせてしまうだろう。ただでさえ義勇さんは美人なのだから。もしかしたら俺よりも後先短いかもしれない義勇さんの時間を俺が取ってしまうのは忍びない。
「困るか?」
「困ると思います」
後先短いのがわかってるからこそ、相手の思うがままに生きて欲しい。生きたい人と共に、その時間を最期まで使って欲しい。自分がその相手になれればと思うが、こればかりは無理だろうと早々諦めてしまった。だが、好い人ができるまでは近くで寄り添いたいと思う。
もし、錆兎がいればその役割はきっと自分ではないだろうな。少しの寂しさを混ぜて駄目ですよ、と義勇さんをたしなめるように言えば、彼はこてりと頭を横に傾けた。
「俺はお前と最期を共にしたいと考えているが」
「はい?」
寝耳に水の発言に時が止まったような気がした。口に緩やかに綺麗な弧を描き、握る手をしっかりと力強く握りしめて艶やかに義勇さんは笑う。
「お前は困るか?」
義勇さんを想うならばと願った言葉が自分にそっくりそのまま返って来てしまった。困るわけない。握られた手をこちらからも握り返す。
「最期までお供しても良いんですか?」
「俺はそう望んでいる」
「なら、是非お供させてください」
命の灯が消えるその日までずっと。
俺の答えを聞いて義勇さんは満足そうに微笑む。握った手は故郷である雲取山に帰った後、禰豆子に言われるまでずっと握り続けていた。
◇ ◆ ◇
やけに寒い日に隻腕の男が村にやってきた。
村から少し離れた場所にある小さな小屋にわざわざやってくるなんて不思議な男だった。男は家の軒先に吊るされた柿を見て、これを一つくれと言ってきた。秋に採れたのを干し柿にしている最中だから食べられないよと伝えたが、それでも男はこれをくれと言ってきた。
わかったと言うと男は柿の代金だと言って重たい袋を一つ寄越した。こんなにも貰えないと言うと男はそれでは代わりに一つ教えて欲しいことがあると言った。
あの山に神はいるか?
やけに神妙な顔をしているからどんなことを訊いてくるのかと思えばそんなこと。いないと首を横に振った。あの山には昔祀られている神様がいたけれど、土砂崩れで二体とも祀られている社が壊れてしまった。だけど幸いなことにその二体のご神体は無事で遠くの神社に奉納されることになった。
それを伝えると男はそうかとあっさりと頷いた。訊きたいことは本当にそれだったらしい。
「あの山にいた神様のことが知りたいのかい?」
「いや、大丈夫だ。
その話は長くなるだろう?」
もっと訊きたいのなら神様の話をするがと言おうとしたが、男は首を横に振った。あまり長くなると家に帰るのが遅くなる。今日から、家に新しい住人が増えるから出迎えてやりたいのだと。
「嫁を貰ったのかい?」
「嫁ではないが……これからの人生をすべて貰うつもりだ」
訳ありなのかわからないが、それでも嬉しそうに言う男は幸せそうだった。男の顔を見ていると、自分も好きな人と一緒になった時のことを思い出す。二人でこれから共に生きることを誓った日。どんなに辛い日があっても、苦しい時があってもずっと一緒にいようと契った日。命が尽きるまでこの人と寄り添おうと決めた。あの時の自分もこんな顔をしていたのかもしれない。
「お相手を大事にしなさいな」
「はい」
言われずともと言いたげな男の背を見送る。空風が吹く中を男が歩いていく。
その男の横を子供たちが駆け抜けていく。無邪気にからからと笑いながら、一人、二人、三人。その中に見慣れぬ子供がいる。その子は男とすれ違いざま「お兄ちゃんのこと、よろしくね」と大手を振り、先を走る子の中に混ざっていった。男が少し驚いてその子を見ている。が、そうかと納得したように微笑んだ。
そして男は今度こそ真っすぐと去っていった。
村田と久々に食事に出かけた帰り道、蝶屋敷の娘と一緒に歩く伊之助を見かけた。
珍しい。
炭治郎が傍におらず、蝶屋敷の娘と一緒にいる伊之助はいつもと同じ、いやいつもより少しはしゃいでいるように見えた。蝶屋敷の備品の買い出しだろうか。いくつかの風呂敷を持って歩く伊之助をしょうがないなぁと見つめる蝶屋敷の娘もどこか嬉しそうだ。
「何見てんの?あ、嘴平と神崎さんか」
「……炭治郎はいないみたいだな」
「気になるとこ、そこなのか?」
村田が呆れたような顔をするが、すぐにぱっと表情を変えるとおおいと二人に向けて腕を振った。蝶屋敷の娘、否、神崎がその声に気づいたようでこちらを見ると一礼した後小走りで寄ってきた。
「水柱様と村田さん、お久しぶりです」
「半々羽織とおもらしじゃねぇか!」
「漏らしてないからね!?村田だから!あ、あと……」
「俺は水柱ではない」
「あーっと冨岡のこれは、もう鬼殺隊は解散したから水柱って呼ぶのは止めてくれっていう意味で……」
俺の声に神崎が怪訝な顔をするが村田の説明に合点がいったようで冨岡様、と呼び直した。
「お二人は何か私に御用時で?」
「いや、珍しいなって思って声をかけただけだよ。
炭治郎が一緒じゃないんだなって」
「ああ。それでしたら、本日は禰豆子さんが蝶屋敷に遊びにいらしてて、その付き添いに伊之助さんが来てるんです」
「ねず公はまだ蝶屋敷にいるぞ」
会っていくか?と訊く二人の視線に村田が困ったようにこちらに顔を向ける。
「……いや。息災ならいい」
「元気ですよ。禰豆子ちゃんは」
「……その言い方だとなんか、含みがありそうだな」
「ええ、まぁ……」
少しだけちらりとこちらを遠慮するように神崎は見た後、ふぅっと息を吐いた。
「貴方にはお伝えしておいた方が良いでしょうね。ですが、私が今から話すことは秘密でお願いします」
神崎の雰囲気に村田は一歩後ずさる。俺は聞かない方がいいなら、と言う村田に神崎は貴方も良かったら一緒にいてくださいと言う。
人通りの多い町中でする話でもないので、と四人して町の外へ行きしばらく歩いた先で足を止めた。長閑な田園が広がる畦道で、神崎は一つ深呼吸をしてから話し出した。
「炭治郎さんですが、左腕から少しずつ感覚がなくなっているようです」
「えっそれって大丈夫なのか!?」
「大丈夫じゃないです。本人に訊くと大丈夫だって言われますけど。
カナヲが炭治郎さんの状態を訊いて知り合いに薬を処方してもらっているようなのですが……進行状況をみるに良くありません。原因も不明ですし、何か切っ掛けで悪化するかもわからない状態です」
村田がそっかと案外あっさりと神崎の言葉を受け入れる。仲間が死ぬことは鬼殺時代にはよくあることだ。元気な姿を見せたかと思えば容態が急変して次の日には亡くなっている。そんな経験をたくさんしてきた自分たちに出来ることはと言えば、ただ事実を受け止めることだけだった。
「……何故それを俺に?」
「この話は既に今日禰豆子さんや、炭治郎さんと一緒に住む善逸さん、伊之助さんには伝えております。炭治郎さんの身に何かあった場合はすぐに蝶屋敷に知らせるようにとお伝えするために。
冨岡様も炭治郎さんに近しい人ですので念のため伝えておこうかと……違いましたか?」
確認するかのようにとって付けられたその言葉に静かに違わない、と答える。近しい、と言えば近しい存在だろう。実際、彼からはよく手紙が飛んでくるし、慕われているという自負はある。
炭治郎に近い者すべてに伝えているというならば、話は理解できる。
「ちなみに逆に冨岡様のことは音柱様と風柱様、鱗滝様と炭治郎さんと禰豆子さんによろしくとお願いしてあります」
「あー、確かに冨岡は自分で判断してそうだもんなぁ」
「そんなことはない。文がくれば必ず行く」
「えぇ、まぁ定期健診は忘れずにいまのところ皆さま来て頂いてるので安心しています。
ですが冨岡様も風柱様も要重病人ですし。
できれば貴方がたには生きていて貰いたいんです。他の亡くなった柱の皆さまの分まで」
「それは……」
無理だと答えようとして口を噤む。痣者の話は柱であった義勇と不死川、そして炭治郎と輝利哉のみだけの秘密にしてある。残った者に痣者の宿命を話すのはまだその時ではない。いずれ、義勇と不死川が、そして炭治郎が死した後に輝利哉が責任を持って話すと言っていた。
だから、今神崎の話を否定するわけにはいかない。だが、肯定するのも良くない。口を閉じた義勇に神崎は何か事情を知っているかのように視線を地面に落とした。
「大丈夫です。貴方達は好きなように生きてください。それをどうにかするのは私たちの願いで、やりたい事ですから。
あ、でも無理だけは駄目ですよ。もう以前のような身体ではないんですから。音柱様も、なんだかんだで引退したというのに刀だけは手放しませんでしたし」
神崎はふぅっと息を吐いて、少し困ったように頬を当てた。宇髄は片手を失くした後も一本だけ返し、もう一本は手放さなかった。曰く、
義勇と不死川は宇髄のように刀を隠しているのであれば持っていても構わないと言われたが、
断って返した。自分の刀は折れていたし、最後に持っていたのは誰かの刀だ。できればその誰かの元へ返してあげるのが通りだろう。
「俺は刀を持っていない。だから、無理をすることもない」
「刀を持っていないことが無理をしない証拠になるんですか?」
じっと上目で見つめてくるその表情はまるで胡蝶のようだった。信用されていない。
「まぁまぁ。鬼ももういないことだし、冨岡も無理することはないと思うよ。
日常生活で騒ぎが起きるなんてそうそうないことだし」
「……そうですね。鬼のいない、普通の日常生活では無理をしようと思ってもできませんよね」
「そうそう」
間に入ってくれた村田の言葉に今度こそ神崎は納得したように頷いた。相変わらず村田は人の間に入るのが上手い。話も双方の良い落としどころに落としてくれる。
「まぁ、でも心配なのは炭治郎か」
「そうですね……。禰豆子さん達がついてるから大丈夫だとは思いますけど」
「まぁ、確かに」
炭治郎は滅多に弱音を吐かない。だが禰豆子は炭治郎の機微に聡いし、同期である善逸や伊之助には炭治郎も大分気を許しているから悩み事を話すこともある。彼らになら炭治郎を任せても大丈夫だろう。
「冨岡もなんか悩みがあれば俺に言ってくれよ!助けになれることがあれば手を貸すから!」
「ああ。相談事があれば連絡をする」
絶対にだぞ!と肩を叩く村田にしっかりと頷く。義勇と村田の様子に神崎が目を少しだけ見開いたあと、目尻を下げた。
三人の話も終わった所で伊之助がようやく終わったかと、声を上げた。
「なぁ、早く荷物持って帰ろうぜ」
「そうですね。禰豆子さんも待っているでしょうし。
冨岡様と村田さんも、お話に付き合い頂きありがとうございました」
丁寧に頭を下げる神崎に、村田と顔を合わせて気にするなと答える。胡蝶亡き今、蝶屋敷を支えているのは継ぐ子ではなくこの神崎である。医療技術は胡蝶に及ばないとしても、それでも蝶屋敷に残った人員をまとめ上げて変わらず、人々の治療を施し続けている。
彼女達が困っていることがあれば力になりたいという気持ちはある。戦えなくとも彼女達は自分たちに出来ることでずっと鬼殺隊を支え続けていたのだから。
「嘴平」
彼女に寄り添うようにしている伊之助に声を掛ける。顔だけがこちらを向く。
「炭治郎を頼む」
「わかった」
伊之助は少しだけ何か物言いたげな顔をしていたが、すぐに返事をし神崎と連れだって去っていった。その表情を見て村田も何か違和感を覚えたのか、嘴平なんか様子がおかしかったよなと呟いた。
「そういえば、冨岡は炭治郎と仲がいいんだな」
「ああ」
「そこは即答なんだな!」
「毎週文を貰う」
「へぇ、毎週文をくれるんだ。そりゃ仲いいな」
炭治郎との仲を良いと言われて少しだけ頬が緩む。
「まぁ、傍から見てても仲良さそうだもんな」
「そうか?」
「無自覚なのか!
ほら、冨岡ってさ炭治郎の前だとわりとよく話すだろ?まぁ、あいつの場合誰相手でもよく喋ってるんだけどさ」
「炭治郎の良い所だ」
すかさず言えば、村田が若干間を開けてそうだなと頷いた。声が若干上ずっていたのは何だろうか。辺りに何か珍しい生き物でもいたかと見渡してみたが何もない。
「炭治郎といっしょにいるお前は何というかいつもより表情が柔らかいというか、楽しそうなんだなってのがよくわかる」
「そうか。気づかなかった」
確かに炭治郎と会った後は頬がよく緩んでいる気がする左手を頬に当てて引き上げる。下がった頬を持ち上げようとする仕草に村田が乾いた笑いを漏らした。
「いや、お前はそれくらいがちょうどいいと思うよ」
「そうだろうか」
「うん」
「……」
渋々と左手を頬から離す。腑抜けた顔をしていると宇髄や不死川に笑われないだろうか。ただでさえ、最近は何もしていないというのに。
「俺、少し安心してるんだよ」
そろそろ帰るか、帰る前にちょっと何かつまめる物でも買っていこうと町へ改めて足を向けている途中、村田が言葉を漏らした。
安心しているとは何に?視線で問えば村田はそっくり視線を返した。
「……俺か?」
「そうだよ。鬼舞辻がいなくなって鬼殺隊の仕事もなくなって。
でも俺達に残ったのは何だったんだろうって」
恨みだけを糧に生きてきた。そういう者が鬼殺隊には圧倒的に多い。帰りを待つ者もいるが、それを持たない者だっている。そんな人たちがすんなり日常生活に戻れるかといえば、そうでもない。
「……俺には炭治郎と禰豆子がいる。鱗滝先生も」
「そうだな。冨岡にはちゃんと大切な人がいるんだ。
だから、その人たちの為にも生きないと駄目だぞ」
「ああ」
「お前とご飯行くの楽しかったし、これからも時間があったら一緒に行こうな」
「うん」
「冨岡」
村田が足を止める。それにつられて足を止めた。村田の表情は笑っているのに目だけは真剣だった。
「お前が一緒に居たいと思う奴と過ごしてもいいんだぞ」
一瞬心の中を見透かされたような気がした。音が止まる。何も聞こえなくなる。村田が何かを言っている。あの時、俺は何か答えただろうか。何も答えぬままでいただろうか。
わからない。
気が付けば村田の姿がない。視界の隅に見えていた町もない。いつかと同じ、夢の中だと気づいた。だが夢だと気づいた所でこれから目を覚ます方法がわからない。
「……錆兎」
名を呼べば、いつでも来てくれると言っていた友の名を呼ぶ。しかし、名を呼んでも彼は姿を現さない。仕方なしに何となく続いている道を歩くことにした。
血鬼術で夢を見させてくる鬼が昔いたらしいが、それから目を覚ます方法は自害であった。煉獄の死と共にそういう血鬼術もあるらしいと報告してくれた胡蝶は、けれどと続けた。
夢から目を覚ます方法として自害は最終手段にしたいですね。夢だと思わせて現実で自害してしまう可能性もあります。実際、炭治郎君はそうなりかけ……伊之助君の制止で間に合いました。この情報は、柱にのみ開示することにします。似たような血鬼術をかけられて自害してしまうような子達が出たら困りますからね。
わかりましたか、冨岡さん?
はっと顔を上げて辺りに声の主を探す。確かに先ほど胡蝶の声が聞こえたような気がした。いや、ここは夢の中。だから考えたものが声として聞こえたように思えたのかもしれない。
「お前、痣者か」
気が付けば、誰かが道の真ん中に立っている。和服姿の、髪を一つに結った長身の男だ。痣者かと問う男の額にも炭治郎に似た痣があった。
「そうだ」
「そうか。
……余命二、三年といったところか」
肯定はしない。しなくてもわかることだろう。男も答えを求めているわけではなさそうだった。
「お前は、何かやり残したこととかないのか」
「ない」
即答する。
二、三年もあればそれも叶う。だから思い残すことなどない。
「本当にか?」
だが、男は再度確認してくる。しつこい。
ない、と再度答えようとたが何故だか声が出てこなかった。
「……俺はどうしてもなりたいものがあった」
男はただ喋り続けた。
「あれは神々に愛されていた。だから痣が出てもあいつだけは25を過ぎても生き続けた。
お前もまた、神様に愛されている」
「……俺は25では死なぬと?」
「今のままでは」
男は静かに義勇を見つめて言った。嘘を言っている目ではない。しかし、神に愛されているとはなんだ。
「俺は、神になど愛されてはいない」
「そうだろうか。身に覚えがないと?」
その言葉を再度考える。神に愛されている証拠。いや、一つあった。
「錆兎」
死んだはずの友人が見えるようになった。神に願ったわけではないが、彼と出会えたことは嬉しかった。
「山神が俺を気に入ったと?」
「違う」
男は首を横に振る。では誰がと問おうとすると道が歪む。道と共に姿を揺らめかせる男は義勇を指さす。いや、違う。義勇の隣に立つ誰かを指さしている。
隣に立つ人物を見ようとして、ぱちりと目を開けた。
目の前に大きな猪の顔がある。
「……嘴平か」
「半々羽織、目ェ覚ましたのか!」
水に濡れた身体を起こす。まだ大穴の中にいるようだった。嘴平の持つ
「半々羽織、お前いきなり倒れたんだぞ」
「そうなのか」
「そうだよ!まったく人騒がせなやつだぜ!」
「すまない」
素直に謝ると伊之助は仕方のねぇやつだと言いながらも許してくれた。そして、背に背負っているそれを見せてくれる。
「炭治郎!」
「大分弱ってるが、息はしてるぜ」
伊之助に背負われている炭治郎を見て、良かったと胸を撫で下ろす。息をしているのならば生きてはいるのだろう。見つかったのならここにもう用はない。早く出ようと伊之助に声を掛けようとして、上を指さされる。
「……一体、どういうことだ?」
根の間から見えていた空がない。空が埋まっている。夜になったのかと伊之助に訊けばそんなに時間は経ってないはずだと首を横に振った。
「奥でこいつが倒れてるのを見て起こそうとしたら半々羽織がいきなり倒れたんだよ。半々場織は呼吸してたし、ただ眠ってるみたいだったから、こいつの様子を見に行ったんだ。
やつれてはいるけど、こいつも呼吸はしてる。だから仕方ねぇけどお前ら二人担いで外に出ようとしたんだが、気付いたら上が埋まってた」
前に聞いた神崎の話もある。すぐにでも蝶屋敷に連れて行きたいところだが……。
「嘴平、刀は?」
「ボッシューされた」
返したのではなく、没収されたということは伊之助は手元に置いておきたかったのだろう。しかし伊之助の性格を見て、危険視した誰かが刀を返してしまったようだ。その判断は間違っていないように思えるので、仕方がない。
「……縄のある場所まで戻り、上がどうなっているか確認しよう」
「俺もそう思ったんだけどよ」
縄がねぇんだ。
万事休す。伊之助の言葉にそんな言葉が浮かんだ。それとも
「神頼みしたい気分だ」
ふと出た言葉に伊之助がぴくりと反応する。たまたま出た言葉だった。実際に神に頼むつもりはない。だが、その声に応えるものがあった。
「外に出たいの?」
小さな子供の声だった。伊之助が即座にその声がする方へ振り返り、誰だと声を上げる。
そこに何かいるのだろう。
「外に出たいの?」
再び声が聞こえた。確かに伊之助が見ている先から声が聞こえているような気がする。
「出たいなら、出ていけばいいよ。
でも、その子は置いていって」
見えぬ先からの視線を感じる。置いていけと差されたものが伊之助の背負っているものだとわかり、駄目だと首を横に振る。伊之助も置いてかねぇとはっきりと返す。
「置いていってよ。
その子は神様への
「あえ?」
「御馳走」
何年かぶりにやってきた御馳走。前はたくさん貰えたのに。今は少ししか貰えない。やっぱりあの人がいなくなったからなのかな。
わけのわからぬことを声は話す。
「ごちゃごちゃうっせぇんだよ!さっさと帰せ!」
「さっきから言ってるじゃないか。
帰りたければその子を置いて帰ればいい」
堂々巡りの問答に伊之助が腕を振り上げる。その瞬間伊之助の姿が消える。
冷えている。自分の上着をと思ったが自分の上着も水に濡れてしまっている。できることはただ身体を抱きしめ、擦ることだけ。
「君は出たくないの?」
声はまだ問いかけてくる。
「嘴平をどうした?」
「帰せ帰せって煩いから帰した。
……君も帰りたいんじゃないの?」
帰りたい。けれどそれを言えば先ほどの伊之助と同様に一人で帰されてしまう可能性が高い。
「何故、炭治郎を置いていかないといけない?」
「その子が次の神様になるから」
「神様?」
声は無邪気に言う。
「神様になるってどういうことだ」
「神様は神様だよ。近くの村の人は山神様って呼んでるけど」
「お前が山神様?」
「うん、そう。
かつてこの山にいた神様に捧げられた
相変わらず姿は見えないが、声は四方八方から聞こえてくる。神に捧げられた供物が力を持ち、山神になったということか。
「代わる供物を用意する。だから炭治郎を返してくれないか」
「駄目」
炭治郎の代わりに俺が、と言おうとした口を閉じる。代替案が駄目なら他の案をと考えようとした時、また声が聞こえた。
「その子、あともう何年も生きられない。
神様になれば生きられるよ」
何年も。ずっと。ずっと。
その声に、はたと炭治郎の姿を見下ろす。痣者は25の歳を迎える前に死ぬ。それは決して25までの命が約束されたものではなく、痣を発現させて25を超えて生きた者がいないという意味だ。
「……この子は皆に願われている。
ずっと傍にいて欲しい。長く生きて欲しい。神様になればその願いが叶えられる」
それはきっと、誰かが望んだことなのだろう。禰豆子かもしれないし、鱗滝かもしれない。平和になった世で大切な人にずっと笑って生きていてほしいと願うのは、当然のことだ。
叶う願いは長くその先を生きること。
対価は人としての人生。
義勇だって、炭治郎にはずっと笑っていて欲しい。生きていて欲しい。しかしそれを口に出すことは自分が許さなかった。
鬼になった炭治郎を人のまま死なせることを望んだのは自分だ。きっと炭治郎はそれを望んでいなかったし、その意を汲んでやるのが兄弟子である自分の役目だった。心が悲鳴をあげようと望んでなかろうと、炭治郎の為に。
「……俺は」
炭治郎は神様になることを望むだろうか。鬼ではない。神様だ。
人の願いを叶え、助けることは炭治郎の性格によく合っているように思えた。優しい神様になるだろう。人に寄り添う良い神様になるだろう。
けれど。
「炭治郎は、人のまま死なせてやりたい」
残され置いていかれる側にしてはやりたくなかった。残された時が僅かであったとしても、彼は人であるべきだ。自分と一緒に生きて、そして死んでいく。他の皆と同じように。
「それは本心?」
疑うような声音に義勇は頷き、炭治郎の身体を抱き寄せる。小さく、ぼろぼろのその身体。けれど義勇にとっては一等大切な、愛しいもの。
「神様になぞしてやるものか」
大声で言い切ると、耳元でよく言ったと褒める声が聞こえた。目の前を白い羽織が舞う。手に持つ刀は青色の日輪刀。頭には懐かしい狐の面がしっかりと結んである。
昔よく練習していた動作のまま、錆兎は豪快に力強く日輪刀を振るう。青い水飛沫を残像が見える。
縦に一閃。
錆兎が虚空を斬ると、何者かの悲鳴が上がる。
「錆兎!」
義勇の呼び声に錆兎が振り返った。
「短い間だったが、お前とまた会えて良かった」
「俺も……錆兎に会えて良かった」
錆兎は少しだけ寂しそうに微笑んだあと、狐面を被る。揺らいで薄くなっていく姿をじっと消えるまで見守る。
錆兎が消えた後、視界の先が揺れ始めた。歪む景色の中、義勇は炭治郎の身体をずっと抱きしめ続けた。
◇ ◆ ◇
目を覚ましてみると横に炭治郎がいた。
「あ、義勇さん、おはようございます」
隣に座っている炭治郎におはようと返して、辺りを見渡した。泊まっていた宿の部屋だ。間違いない。
だが、どこか前よりも薄暗く、誰の者かわからない荷物が置いてある。自分が寝ている布団の横にもう一組、布団がある。
「あ、ここは俺が借りてる部屋なんです」
「借りてる?」
「はい。あのいなくなった子の捜索のためにやってきたと言ったら空き部屋をかしてくれるとこの家の持ち主の方が言ってくださって」
目をぱちりと瞬かせる。まるでこの家が宿ではないというような言い方だ。記憶が少し混沌としている。覚えていることを確認するように口に出す。
「俺は禰豆子に頼まれてお前を探しに来た」
「あ、はい。それは聞きました」
「十日経っても、帰って来ないし、手紙もなかった」
「それについては大変申し訳ありません……」
炭治郎は背を縮こませながら手紙を出せなかった理由を語った。
いなくなった子供の捜索のためにこの村にやってきたのはいいが、この村に来て早々に熱を出したこと。その状態にも関わらず無理して子供の捜索をし、子供を無事見つけることは出来たが、体調を崩してしまったこと。そのせいで手紙もかけぬほど寝込んでしまったこと。
「禰豆子に心配をかけた上に、義勇さんにまでご迷惑を……」
「いや、いい」
それよりも体調は大丈夫なのかと訊けば、炭治郎は右手を元気そうにぐるぐると回し体調は戻ったと笑う。だが、その腕を止めさせて額に左手を当てる。まだ若干熱いような気がする。
「……俺の前では無理する必要はない」
「無理しては……いえ、そうですね。まだちょっと熱っぽいみたいです」
元気なフリを続けようとした炭治郎を睨むように見つめるとすぐに白状した。ぽんぽんと自分が寝る布団の隣を叩く。
病人は大人しく寝ろ。
その意図が伝わったのか、いそいそと隣の布団に炭治郎は潜り込んだ。
「すみません……」
「いい、と言っただろう」
迷惑だとは思っていない。言葉で伝えれば、炭治郎は少しだけ嬉しそうに笑った。
炭治郎と入れ替わるように布団から出て、その場に座れば先ほどの立場と逆転した。
「熱に浮かされながら夢を見てたんです」
布団に入ったはいいが、まだ眠気はないようだ。炭治郎は天井を見つめたままぽつりと話始めた。
「育ちゃん……あ、行方不明になった子ですね。その子を探しに山に入るんですけど、足を滑らせて大きな木の下にあった穴に落ちてしまったんです。
そこで子供に会って、神様になって欲しいって言われました。神様になったら、君の好きな人の願いを叶えてあげられるよって」
不思議な夢ですよね、と笑う炭治郎に間を空けてそうだなと返す。
「神様になるなんて畏れ多い話だけど、もし叶うなら……行方不明の子が無事に家に戻れますように、って俺は願いました。
そこから先はよく覚えてないです。神様になれたなら禰豆子や義勇さんの幸せも願えれば良かったのに」
「お前は神様にならなくていい」
「そうですか?……そうですね」
俺も人のままでいいです。
うとうとと目を閉じながら炭治郎はそのまま寝てしまう。やはり体調は万全ではなかったらしい。寝息を立てながら眠る炭治郎の額に手を当てて、その熱さを確かめる。
ここは現実だ。夢ではない。
けれど、義勇の記憶はここ二、三日異なる記憶が存在している。
始まりは同じ。
禰豆子に頼まれて炭治郎を探しに村へ来る。違うのはこの村に来てからの記憶だ。
片や、ほんの少し寂れた村で炭治郎について聞くとある村人から炭治郎が熱を出していることを聞き、その家で彼の看病をして丸一日過ごした記憶。
片や、村は町のように発展し、行方不明となった炭治郎を探しに山へ行った記憶。
現状は前述の記憶の続きで間違いなかった。しかし、炭治郎が語る夢の記憶は後述の記憶と似ている。記憶にあるそれは夢だったのだろうか。
眠る炭治郎の顔をじっと見下ろす。
恐らく炭治郎も義勇も余命幾許もない。皆が自分たちが長生きできるようにと願ってはくれているが、それはそう神の御業ともいえるような奇跡が起きなければ決して叶えられない。
そんな奇跡を願った誰かが夢見たものなのかもしれない。
だが俺は誰かが願った優しい夢を否定した。死んでくれと炭治郎に願ってしまった。鬼でもなく、神でもなく、人として、ただの炭治郎として義勇の目の届く範囲でいてくれと願ってしまった。
いつか村田が言った言葉を思い出す。それは間違いなく、義勇を許す言葉だった。酷い奴として生きても良い。
共に生きたい人と生きていく。
他の何者にもならず。何処にも往かせもせず。
目の前で眠る子と共に朽ち果てたい。
それが自分の望みだった。
◇ ◆ ◇
不甲斐なし。
心を占める言葉はそれに尽きた。行方不明になった子供を探しに来たというのに熱を出してみんなに迷惑をかけてしまった。行方不明の子は山で衰弱していた所を炭治郎が保護した。山の裏側にある湧き水がこんこんと溢れている場所のすぐそばに子供は蹲るようにしていたのだ。
どこかで足をくじいたらしく動けないようだったが、彼が動けなくなった場所は悪い場所ではなかった。今の季節が夏で、水もあれば近くに木苺が生っていたのも幸運だった。寒ければ凍えていただろうし、水と食料がなければ飢えていたに違いない。十日も過ぎて生きていたのは幸運としか言いようがない。
子供を連れて山を下り、お礼をと言う家族に大丈夫ですと手を振った時に自分の体調の異変に気付いた。ふらふらと視界が揺れたと思えば立っているのが難しくなり、その場に膝を着く。
そういえば最近少しだけ身体が熱いと感じていた。夏になったからそのせいもあるだろうと思っていたのが間違いだった。そのまま気を失うように寝込み、気が付けば義勇さんが訪ねて来ていた。
寝込む俺の看病をし、心配かけてしまった禰豆子にも連絡をしてくれた。迷惑をかけないようにと空元気を振り絞ってみても義勇さんにはすぐにばれてしまった。そのまま義勇さんに看病されて三日後、ようやく熱が引いて元気になるとすぐに村を出た。
「あの兄弟、元気そうだったな」
「はい。良かったです!」
村を出る時に見送りに来てくれたのは行方不明になった育ちゃんとその兄弟達。俺と義勇さんの姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
かわいい子でしたねと義勇さんに向けて言うが、義勇さんは少し上の空で返事は返ってこなかった。
「……あの兄弟は、あれで全員か?」
「ええ、そうですよ」
「そうか」
「何か気になる点でもありましたか?」
「いや……大丈夫だ」
義勇さんは頭を振ると先ほどまで匂わせていた困惑の色を消しさってしまう。何かあったのかな。でも大丈夫っていうならいいのかな。
熱に浮かされた時に見た夢の話をした頃から義勇さんは何かにずっと悩んでいるような匂いをさせている。そのことについて何度か聞いてはみたけれど答えてはくれなかった。
錆兎だったら、悩みを打ち明けていたのだろうか。
「炭治郎」
「あ、はい」
気が付くと義勇さんとの間に距離が出来ている。慌てて義勇さんの隣へと小走りで追いつく。
「そう急かなくてもいい」
「いえ、義勇さんには色々とお気遣いさせてしまっていますし。それに本当にもう大丈夫ですよ?」
病み上がりだろうと言わんばかりの義勇さんに身体の調子が戻った事を示すように手を振る。今度は嘘偽りないので、義勇さんも何も言わない。
「夏の日差しは強い。少しでも身体に不調を覚えたら……いや」
義勇さんは言葉を途中で切ると手を差し出してきた。条件反射でその手を取る。
「こうすれば、わかりやすいか」
「義勇さん、俺の事を子供扱いしていませんか?」
「していない」
「本当ですか。……あ、なんだか少し笑ってますね?やっぱり子供だと思ってます?」
「いや、そんなことはない」
そんなことはないと言いながらも義勇さんの目尻が下がっている。いつものきりっとした感じではなく柔らかな雰囲気だ。子供扱いではないというが、それに近い扱いをされているのは間違いなさそうだ。でも、義勇さんが嬉しそうだから強くは言えない。
それに、俺自身も手を繋ぐことを嬉しく思っている。
残る人生であと何回こうして手を繋ぐことができるだろうか。
「……炭治郎、手紙を送ることが難しくなったらその時はうちに来い」
「えっ、いや、でもそれは」
義勇さんの言葉に驚く。ついで嬉しいと思う気持ちと迷惑ではという気持ちがせめぎ合い、はいとも、いいえとも言えずに言葉に詰まる。
そもそも毎週手紙を送るようにと言ってきたのは義勇さんの方だった。
鬼殺隊を解散してしまえば今よりも会うことがきっと難しくなる。それが寂しいと義勇さんに言ったら、毎週手紙を送って欲しいと頼まれた。俺も寂しいから、手紙を送ろう。今まであまり送った事がないし、毎週は無理かもしれないがこれからは送るようにする。離れてても、お互いの近況がわかるようにしよう。そうすれば寂しくない。
渡りに船の言葉に一にも二にもなく飛びつき、良い考えですね!毎週送りますと喜んでそれからは必ず手紙を送っていた。
「お前からの手紙がないと寂しい」
「そ、それはすみません」
「遠くに行く用事や何かあれば俺に言え」
「ご迷惑ではありませんか?」
もうすでに何度も口にした言葉に義勇さんは決まって否と答える。俯きそうになる俺の顔に合わせて少し屈むと、目を逸らすなと言われる。
「何も知らぬままである方が困る」
「……義勇さんに好いた人が出来た時に困りますよ」
毎週手紙をやり取りするような相手は、たとえ同性であろうときっとやきもきさせてしまうだろう。ただでさえ義勇さんは美人なのだから。もしかしたら俺よりも後先短いかもしれない義勇さんの時間を俺が取ってしまうのは忍びない。
「困るか?」
「困ると思います」
後先短いのがわかってるからこそ、相手の思うがままに生きて欲しい。生きたい人と共に、その時間を最期まで使って欲しい。自分がその相手になれればと思うが、こればかりは無理だろうと早々諦めてしまった。だが、好い人ができるまでは近くで寄り添いたいと思う。
もし、錆兎がいればその役割はきっと自分ではないだろうな。少しの寂しさを混ぜて駄目ですよ、と義勇さんをたしなめるように言えば、彼はこてりと頭を横に傾けた。
「俺はお前と最期を共にしたいと考えているが」
「はい?」
寝耳に水の発言に時が止まったような気がした。口に緩やかに綺麗な弧を描き、握る手をしっかりと力強く握りしめて艶やかに義勇さんは笑う。
「お前は困るか?」
義勇さんを想うならばと願った言葉が自分にそっくりそのまま返って来てしまった。困るわけない。握られた手をこちらからも握り返す。
「最期までお供しても良いんですか?」
「俺はそう望んでいる」
「なら、是非お供させてください」
命の灯が消えるその日までずっと。
俺の答えを聞いて義勇さんは満足そうに微笑む。握った手は故郷である雲取山に帰った後、禰豆子に言われるまでずっと握り続けていた。
◇ ◆ ◇
やけに寒い日に隻腕の男が村にやってきた。
村から少し離れた場所にある小さな小屋にわざわざやってくるなんて不思議な男だった。男は家の軒先に吊るされた柿を見て、これを一つくれと言ってきた。秋に採れたのを干し柿にしている最中だから食べられないよと伝えたが、それでも男はこれをくれと言ってきた。
わかったと言うと男は柿の代金だと言って重たい袋を一つ寄越した。こんなにも貰えないと言うと男はそれでは代わりに一つ教えて欲しいことがあると言った。
あの山に神はいるか?
やけに神妙な顔をしているからどんなことを訊いてくるのかと思えばそんなこと。いないと首を横に振った。あの山には昔祀られている神様がいたけれど、土砂崩れで二体とも祀られている社が壊れてしまった。だけど幸いなことにその二体のご神体は無事で遠くの神社に奉納されることになった。
それを伝えると男はそうかとあっさりと頷いた。訊きたいことは本当にそれだったらしい。
「あの山にいた神様のことが知りたいのかい?」
「いや、大丈夫だ。
その話は長くなるだろう?」
もっと訊きたいのなら神様の話をするがと言おうとしたが、男は首を横に振った。あまり長くなると家に帰るのが遅くなる。今日から、家に新しい住人が増えるから出迎えてやりたいのだと。
「嫁を貰ったのかい?」
「嫁ではないが……これからの人生をすべて貰うつもりだ」
訳ありなのかわからないが、それでも嬉しそうに言う男は幸せそうだった。男の顔を見ていると、自分も好きな人と一緒になった時のことを思い出す。二人でこれから共に生きることを誓った日。どんなに辛い日があっても、苦しい時があってもずっと一緒にいようと契った日。命が尽きるまでこの人と寄り添おうと決めた。あの時の自分もこんな顔をしていたのかもしれない。
「お相手を大事にしなさいな」
「はい」
言われずともと言いたげな男の背を見送る。空風が吹く中を男が歩いていく。
その男の横を子供たちが駆け抜けていく。無邪気にからからと笑いながら、一人、二人、三人。その中に見慣れぬ子供がいる。その子は男とすれ違いざま「お兄ちゃんのこと、よろしくね」と大手を振り、先を走る子の中に混ざっていった。男が少し驚いてその子を見ている。が、そうかと納得したように微笑んだ。
そして男は今度こそ真っすぐと去っていった。
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