短編
みーんみーんと蝉が鳴く中、小さい影が虫取り網を片手に山を歩いていた。
今日、クワガタを捕まえたと自慢した友達にそんなやつ大したことないと言ってしまった子供は陽が落ちた後もクワガタ以上の大物を探していたのだ。
お腹はぐうぐうと音が鳴り、腹が空いていたが嘘つきになりたくなくて必死に木の幹を目で凝らしてみたり、揺らしてみたりしたが良い虫は見当たらない。
泣きべそをかきながらそれでも探し歩いていると、がさり、と草陰が動いた。
―夜中まで起きていると鬼が出るぞ
近所の爺ちゃんが揶揄うようにいつも言っていた言葉を思い出す。鬼なんていないといつも笑っていたのに、何故かこう暗いと本当に鬼がいるんじゃないかと考えてしまう。
この草陰の向こうに息をひそめた鬼がいるのでは。と頭で恐ろしい角の生えた鬼を思い浮かべてそれを追い払うように首をぶんぶんと横に振った。
鬼なんているはずない。あんなもの小さい子供を怖がらせるために作った親の嘘だ。
地面に落ちていたちょうど良さそうな枝を持ち、子供は未だに揺れる草陰の方へと足を一歩踏み出した。
震える手で木の枝を大きく振りかぶり、揺れていた草陰の方に勢いよく振り下ろす。
てやぁ、という少し情けない声と共に振り下ろされた枝の先には、くたりと折れ曲がる雑草しかない。草の間からぴょんっとバッタが跳ねるのを見て、先ほどまでの音はこいつのせいかとほっと胸を撫でおろす。がその肩にひやりと誰かの白い腕が乗った。
今度こそ、子供は悲鳴を上げようとしたがその声は誰にも聞こえることなく暗い山の中に消えてしまった。
◇ ◇ ◇
初夏も近い日のことだった。
鬼舞辻を倒した後、お館様の目論見通り鬼は一人を除いて、いなくなった。鬼殺隊も解散し、炭治郎も刀を握る必要もなくなり、家族の待つ雲取山へと戻り早1年。
善逸と伊之助も曇取山での暮らしに慣れ、炭焼きという竈門家の家業を炭治郎が受け継ぎ、それで日銭を稼ぎながらゆるやかに穏やかな日常が続いていた。鬼殺隊時代知り合った人々との文通は未だ続けられているし、兄弟子からはぽつぽつと二、三通に一度くらいは手紙が返って来るようになり、風柱であった人からは時折ではあるが手土産を頂くこともあった。
恩師である鱗滝や、炎柱の弟である千寿朗は筆まめで、週一でやりとりをしているし、村田も近くを寄れば必ず顔を出してくれる。
カナヲもアオイも蝶屋敷から離れられないがよく手紙を送り合い、定期検診も兼ねて遊びに行くとお互いの近況を話しているだけでも楽しくてあっという間に時間が過ぎていく。
そんな穏やかな日常の中、夏場は炭焼きの需要がないため何か良い内職の仕事はないかと山の麓の町の人たちに相談していた時のことだった。
「ある山で子供がいなくなったそうなのよ」
噂好きなそのおばさんは麓の町でも顔が広くて有名だった。友達の兄夫婦の、そのまた知り合いの、とやけに遠回しな所から仕入れたらしいその話は一月か二月前の話かと思えばつい一週間前の話だった。
クワガタを取りに山に出かけた子供が姿を消したらしい。
一瞬鬼の仕業かと考えて、すぐにそれを消し去る。もう鬼はいないのだ。無惨を討伐後、鬼殺隊で暫く見回りや聞き込みを行ったが鬼の姿は確認できなかった。親方様の推理通り鬼の祖であった無惨を倒したことでそれに連なる鬼達も消えたのだろう。
山で迷子になったのか、それとも人攫いにでもあったのか。どちらにせよ、子供が心配である。
炭治郎でなくとも、子を持つ親はみな同じように心配と不安を顔に映し、その話に聞き入っていた。
「ご両親もさぞかしご心痛でしょうね……。無事に見つかれば良いのでしょうけど」
頬に手を当てて、無事を祈る言葉に周りの人々は顔を暗くさせる。
いなくなった子はまだ7歳になったばかりで、そんな子が山で一晩、二晩くらいであれば奇跡的に見つかることもあろうが子供がいなくなってすでに七日は経っているそうだ。無事に見つかったとしても、子供が生きている確率はかなり低い。
誰も彼もが子供の安否を暗い方へと考える中、「あの!」と炭治郎が声を上げると周囲の視線が集まった。
「俺、その山に行ってみます」
「炭ちゃん、でも貴方、左手が不自由でしょう?」
「大丈夫です!俺の家は山の中にあるので山歩きには慣れてますし!」
しわしわの左手ではなくまだ自由に動く右手でどんっと胸を叩く。右目も見えはしないが、鼻で匂いはわかるし、体力は鬼殺隊であった頃と比べればいくらか落ちたといえどまだまだ元気だ。
心配そうな顔をしていた町の人はけれど炭治郎がそう言うなら、と頷いた。
「でも、禰豆子ちゃんには伝えてから行きなさいよ」
「はい」
「炭ちゃんも禰豆子ちゃんも、いなくなった時は神隠しにあったんだって騒ぎになったからねぇ」
町の人は笑いながら二度目の神隠しに会うなよと炭治郎の背を叩いてくる。姿を消した後、仇を追って苦労したことをこの町の人にはまだ話せていない。
彼らは炭治郎に帰って来るまでの数年のことを聞くと、炭治郎は必ずだんまりを決める。炭治郎は嘘をつくのが苦手だと知っている彼らは深く追求しなかった。とにかくお帰りと優しく出迎えてくれたのだ。
「それはそうと、炭ちゃんにお願いしたい仕事があるんだけどねぇ」
「あ、そうだった!」
家でできる内職の話について町の人が話題を振ってくれるのに本来の目的を思い出し、耳を傾ける。
町の人々にお願いされる仕事は鬼の頸を斬ることに比べればそう大したものではないが、生活を送る上で欠かせない大切な仕事だ。一人の人から内職の話を聞けば、他の人からも声が上がり、あっという間に今年の夏の間にかけてやることがあっさりと決まっていく。
陽が暮れる前に家に帰らないと、とまだ町の人たちが話に盛り上がる中を炭治郎はそっと抜けて家路につく。今年は豆が豊作だとか、そろそろ葉物の収穫だとか炭治郎が帰る頃には明るい話題に話が移っていたが、考えることはいなくなった子供のことだ。
子供が一人、山の中に。しかもその子どもには下に兄弟がいるらしく、突然いなくなった兄弟を想って下の子達は泣いてばかりいるそうな。
家族には人一倍思い入れがある炭治郎である。可哀そうだと肩入れしてしまうのは仕方がない。いずれ、自分も痣の寿命で禰豆子を置いて先に逝く。その後のことを思えば、なおさらのこと放っておけなかった。
たとえ、残念な結果になったとしても、せめて遺品になるようなものが見つかればいい。
姿を消して一週間。望みは薄くとも、だからと言って諦める理由にはならない。駄目であったとしても一人寂しく山に埋もれるよりかは家族の元へ帰らせてあげたい。
自分もいつかはそうであってほしい、と願うように。
家に戻り、いつものように部屋の中で縫物をしている禰豆子とそれをだらしない顔で見つめる善逸にただいまと声をかけると二人ともすぐさまおかえりと返してくれる。
内職のことを二人に伝えると、禰豆子は快く、善逸は渋々とだが了承してくれた。伊之助はどこに行っているかはわからないがきっと夕飯を食べる頃には戻って来るだろう。
禰豆子と二人並んで夕食を作っている時に話を切り出す。
「禰豆子、三日か四日……いや、十日ほど家を留守にしようと思うんだが」
「どうして?」
ぱちりと目を瞬かせて禰豆子が驚いたように炭治郎を見つめた。見開かれた丸い瞳がゆらゆらと揺れている。
ぱちぱちと爆ぜる窯の中の火の様子を見ながら、炭治郎はなるべく禰豆子を心配させないように言葉を選ぶ。いや、禰豆子のことだからきっと自分と同じように神隠しにあった子供とその家族の事を想って胸を痛めることだろう。
正直に、簡潔に隣の山の神隠しにあった子供を探しに行きたいと言えば、眉を下げながらも禰豆子はわかったと頷いた。誤算があったのは禰豆子も私も一緒に行くと言い出したことだ。
「私もお兄ちゃんと一緒に山に探しに行くわ」
「いや、でも十日ほど山を歩くことになるんだぞ?」
「大丈夫よ。私だって家と町の往復をして体力をつけているから歩けるもの」
「でも熊が出るかもしれないし」
「お兄ちゃんだって今は刀を持っていないし、体力だって前より落ちてるでしょう?」
返される言葉はごもっともなことばかりだ。いや、だが刀はなくとも、病弱であった父は斧で自分の背丈以上もある熊の頸を落としていた。なので炭治郎だっていざとなれば右手だけでそれくらいのことはできる……はずだ。
一緒に行くと詰め寄る禰豆子を諫めてくれたのは善逸だった。
炭治郎の強さは善逸も知っているし、十日ほどならここで待っていよう。十日過ぎても帰って来なかったらその時は一緒に探しに行こう。と禰豆子の説得をしながらも炭治郎に対しても十日で必ず帰ってくるようにと釘を刺している。善逸の絶対に無事に帰って来いよという言葉と禰豆子の心配そうな視線を背に荷物を纏める。
夕飯時になると伊之助が戻ってくるなり、どたどたと部屋にやってきて炭治郎がまとめた荷物を見てお前一人でどっか出かけるつもりかと不機嫌そうに言った。
「十日ほど留守にするだけだよ」
「お前のことは半々羽織にも任されてるからな!
しょうがねぇから俺様も一緒に行ってやるぜ」
「いや、伊之助はこの家で禰豆子と善逸のことを見ててあげて欲しい」
ついてきてくれようとする言葉は嬉しかったけれど、やはり気になるのは禰豆子のこと。善逸が傍にいるとはいえ、自分の留守に悪い奴がやってこないとは限らない。
一瞬、脳裏に過ぎるのは寒い冬の日。すべてを失ったあの夜。
初夏だというのにあの時の事を思い出すと寒気がする。
ぶるりと身体を振るわせ、腕を擦る。
伊之助は炭治郎のことをじっと見つめる。頼むよ、と言葉を重ねれば伊之助は盛大に息を吐いた後、しかたがねぇなと呟くように言った。
「あいつらも俺の子分だからな。
まったく世話が焼けるぜ」
「すまない。本当に助かるよ、ありがとう」
心からの感謝を伝える。伊之助が、善逸が、いてくれて良かった。禰豆子と炭治郎の二人だけだったら、きっとこの家の静かさに慣れるまで時間がかかっていただろう。
でも伊之助と善逸がいる。騒がしくて賑やかな彼らとの生活は比べることはできないけれど、暖かくて穏やかだった。二人がいるから、安心して炭治郎も子供を探しに行ける。
「けど、半々羽織にはちゃんと言っておけよ」
「義勇さんに?」
「そうだ」
兄弟子である義勇には毎週のように手紙を送っている。十日も家を留守にするとなると手紙も遅れないかもしれない。伝えろ、と圧をかける伊之助にわかったよと返してから机の引き出しから手紙を取り出す。
一筆。些細な近況と、付け加えるように子供を捜索に行くから十日ほど留守にすることを付け足す。鬼殺隊の時ですらこんなにマメに近況を伝えることすらなかった。
任務だと鴉に突かれ、東奔西走。任務が忙しくて筆を取る暇がない時や重症で筆を取りたくても取れない時など。それでも文通はそれなりにしていたとは思うけれども、毎週ということはなかった。
きっと、あの言葉がなければ今も毎週手紙を出すなんてことはしなかっただろう。
「お兄ちゃん、伊之助さん。
ご飯にしましょう」
禰豆子が襖の奥から声を掛ける。まだ墨が乾いていない手紙を机の上に置いたまま、伊之助と共に部屋を出る。夕飯は大事だ。禰豆子と善逸が待っているし、伊之助は待ちきれないというように駆けるようにして部屋を出ていく。
いつかは勝手に一人でご飯を食べていた伊之助が今はちゃんと全員が揃うまで待っているのだ。あまりにも遅いと文句を言いながら、探しに来る。
ご飯は家族揃って食べるものよ、と禰豆子が伊之助に教えたことが切っ掛けだろう。
四人で暖かな食卓を囲み、話しながらご飯を食べる。ご飯を食べながらお喋りをするのは行儀が悪いことだろうけれども、誰もそれを咎めることはしない。ここにいるのは家族だけ。だから少しくらい行儀が悪くても許される。
賑やかな食事を終えると、部屋に戻り支度の続きを進める。机の上の手紙も墨が乾いたことを確認してから、外にいた鎹烏に文を届けてもらうように頼む。鬼殺隊がなくなった後も天王寺松衛門は炭治郎についてきてくれた。時々どこかへ行きはするものの、炭治郎が何か頼みたいときには近くにいるのだ。
「この文を冨岡義勇さんに。頼むよ」
「任セロォ」
ふんっといつものように尊大な態度で鴉は器用に手紙を咥えると、夜の空を飛んでいく。その姿が見えなくなるまで見送ると、最後の荷物確認をする。
十日後にはまたこの家に戻って来るのだから。
◇ ◇ ◇
しんと静かな家にはいつもあったはずの賑やかさは、ない。
ここに訪れる時はいつも穏やかで眩しいほどの笑顔で名前を呼び、出迎えてくれるこの家の主がいない。代わりに、彼の妹が憔悴しきった顔で出迎えてくれる。
「義勇さん……」
「禰豆子、大丈夫か」
「私は、大丈夫です」
目の下に隈を作りながらも気丈にそう答えるが、無理をしているのは傍目にもわかる。近くに伊之助や善逸がいないのも、不安の一助を買っているのだろう。落ち着きなく、忙しく視線をあちらこちらに彷徨わせる姿は、痛々しい。当然だ。最愛の兄がいないのだから。
十五日前に送られた手紙を手に、まだその送り主が戻ってきていないことを知ると冨岡義勇はいてもたってもいられず家を飛び出した。既に知り合いの柱や恩師にも彼のことを伝えている。恐らく自分と同じように炭治郎から恩師は手紙を受け取っているだろうが、この状況を案じて炭治郎達の家に来るかもしれない。その時に入れ違いにならぬようにと、手紙を送った。
「我妻と嘴平は?」
「善逸さんは、町へ聞き込みに。伊之助さんは、お兄ちゃんが探しに行ったっていう山に……」
当初の予定であった十日で帰るという約束は果たされず、もしかしたら子供が見つかってそのご家族に引き留められてるのかも、と約束を破られたその日はみんなでそう思った。あの優しい人柄だ。引き留められれば、一日くらいどこかの家に厄介になることもあるだろう。
約束を破られて二日目。何か他の事件があって、戻れないのかもしれない。気にはなったけれど、そういうこともあるだろう。
三日目。炭治郎と一緒にいる天王寺松衛門が一匹、庭で兄の姿を探すように首を振っていた。手紙も持っていない。少しずつ、不安が積もっていく。
四日目。痺れを切らした伊之助がとうとう炭治郎を探しに行くと言って家を出ていった。善逸は止めたけれど、禰豆子はお願いと言って伊之助を見送った。
五日目。伊之助も帰って来ない。今度は善逸が町に聞き込みに行くと言って、麓の町へと向かった。収穫はなし。町の人にもまだ炭治郎は戻ってきてないのかと逆に聞き返されたそうだ。
「今日は善逸さん、もう少し先の町まで聞き込みに行って来るって言っていて……」
「そうか。禰豆子はここで善逸を待て。
俺は炭治郎を探しに行く」
「待って。私も連れてって」
禰豆子は義勇の裾を掴んだが、その手を離させると駄目だと告げる。禰豆子の瞳が不安に大きく揺れる。それを見て可哀想にとは思ったが、今は禰豆子を守ってやれるほどの余裕が自分にはなかった。
隻腕となり、刀もない。こんな状態で熊に襲われても、自分の身は守れたとしても同行者も守れるとは思えなかった。
「必ず、炭治郎を連れて返す」
禰豆子の肩を掴み、そう安心させるように言う。炭治郎は俺が守ると決めた男だ。禰豆子の元へ、返すと誓った。その願いは一度、果たされないかと思われたが、彼らの絆が、軌跡が義勇の願いを叶えてくれた。
それをもう一度、果たすだけだ。今度は絆も軌跡もないけれど、それでも義勇の誓いは今なお有効だ。
義勇の声に少しだけ安堵したのか、禰豆子は少しだけしっかりとした視線で義勇を見つめ返し、「お兄ちゃんを、よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。そんな禰豆子にもう一度案ずるなと声を掛けてから、空を舞う自分の鎹烏を呼ぶ。
蝶屋敷にいる胡蝶の継子を呼ぼう。鬼から人に戻って、大分安定しているとはいえ、いつも以上に精神が不安定だ。何かあっては困る。
次いで庭にいる炭治郎の鎹烏に声を掛け、付いてくるように言うと翼を広げて当然だというように一鳴きした。
最後に禰豆子に何かあれば恩師である鱗滝を頼れと伝え、急ぎ山を下る。夏場の熱い日差しが木々に遮られるおかげで山の中は少しだけ涼しかったが、蒸された湿気が身体に張り付いて気持ち悪い。
子供は生きていないだろう。
探しに行った炭治郎には残念なことだろうが、いくらなんでも子供がいなくなってから時間が経ちすぎている。山で人攫いにあっていたのであれば、生きている可能性はあるだろうが、可能性は限りなく低いだろう。
大型の熊に食われたか、どこかで足を滑らせて頭を打って死んだか。脳裏に浮かぶのはそんな子供の死因ばかり。けれど炭治郎であればそれはあり得ないと否定する。曲がりなりにも鬼殺隊で柱にも近しい実力を持っていた男だ。後遺症を負えど、そういった危機から身を守る術は鱗滝から叩き込まれたはずだ。
けれど、あの炭治郎が何か事情があるとはいえ、妹に何も伝えずにいるのもおかしい。あの子の一番はいつだって禰豆子だった。禰豆子を不安にさせるような、心配をかけさせるようなことを炭治郎はしないはずだ。
禰豆子に案ずるなとは言ったものの、心の中に暗雲が漂うかのような嫌なものがずっとあった。あの手紙が届いてからずっと、どこか気が立ち、落ち着くことがない。
何かに背を押されるかのように義勇は山を駆け下り、炭治郎が向かった先へと急いだ。
子供が一人いなくなったというその山の麓の村は、けれど道を歩く限りその噂も影もないくらい騒がしかった。町と町の間にあるこの村は宿場として商いが盛んのようだった。
村、というほど人がいないわけではなく、整地された道を歩いていると通りに面した店から掛けられる言葉を無視して、ひたすら歩く。炭治郎の影を探すように歩く。あの明るく賑やかな声が聞こえてこないか、耳を澄ませる。
山へ探しに行くか。
一刻。粘り強く村の中を歩いてみたが、探し人の影も声もしないことを確認すると足を今度は山へと向けた。山へ向かう道は村の人しか使わないらしい、田んぼの間の小さな畦道を通って行くようだ。
道の端で小さな干し柿を売っていた老婆に山までの行き方を教えて貰うと、その礼にと柿を一袋買う。ついでに最近山で子供が行方不明になったそうだが、と聞くと老婆は少し驚いた様子で義勇を見つめ返してきた。
「あの子は、帰ってきたよ」
「……そうか」
「神様が、きっと願いを聞き入れてくれたんだねぇ。
かえしてくれ、ってあの子の親はずっとずっと山の神様にお祈りをしていたから」
ありがたい、ありがたいと老婆は山に向かって手を合わせる。けれど、その姿にどこか違和感を覚える。
「その子どもを探しに、他の所からやってきた者を知っているか」
「ああ、何人か来ていたねぇ」
「竈門炭治郎、という男を見ていないか」
「かまど……。さぁ……覚えてないねぇ……。
いろんな人が来て、山に入って行ったのは覚えているけれど……どんな人だったとかは……ああ、でも一昨日来た、猪の被り物をした子は覚えているよ」
「……猪」
「知り合いかい?
あの子は山に入っては毎日どこで見つけてるのか、団栗や松かさの他に木苺や桑の実を見つけてくるんだよ」
老婆は松かさを貰ったのかそれを見せてくれる。大きな松かさは確かにあの子供が好きそうな立派なものだった。
良い火種になるからねと一つ松かさを掌に載せてくれる老婆は、他の客がやってきたのを見るとそちらへ今度は話しかける。どうやら知り合いのようだ。
途切れた会話にちょうど良いと松かさを袖に入れると老婆が教えてくれた畦道を歩く。田んぼ仕事をする人々を眺めながら、歩くとすぐに山の入口へとたどり着いた。小さな傘を被った地蔵が山の入り口に鎮座している。地蔵の前に置かれたおにぎりと花のお供えは村の誰かがやっているのだろう。
蝉がみんみんと泣き喚く声、がさごそと草むらを揺らすのは鳥か、狸か、はたまた蛇か。一見普通の山にしか見えない。いや、普通ではない山などもうないだろう。
どこか緊張していたらしい身体の筋を解すように一度深呼吸をしてから、山へと一歩足を踏み出した。葉っぱと、少し湿った土を踏みしめ、かろうじて人が整備したらしい山道を歩く。
昔はこの山にも神様を祭るお社があったらしい。
老婆の話を思い出しながら歩く。
彼女がまだ小さい、子供の頃は山の方で祭りを行っていたそうだ。ちょうど夏が来る少し前、梅雨が明けた頃に豊穣を願って行う祭り。お囃子や歌に合わせて綺麗な巫女が神楽を踊る姿をよく覚えていると。
だが、その祭りは彼女が大人になる前になくなった。土砂崩れが起きてお社が壊れてしまった後、中にあった御神体だけはどうにかして救助して、別の場所へ移動させてしまったらしい。
だから、今はもう誰も山を登らない。たまに山に入って茸や山菜を採る人たちがいるから山道だけは整備されているらしいが。
ただ、子供たちには良い遊び場のようで夏になると虫を取りに朝から遊びに行く子供たちが多い。
老婆から聞けた話はこんな所か。
子供は無事に家に戻ってきたらしい。しかし、炭治郎は戻ってきていない。村のどこにも、その姿はなかった。彼らの住む家から真っ直ぐ、この村へやってきたが、それでも道中で彼らしき姿を見たことなかった。
「カァアア!」
上空を舞う鴉が義勇を見つけたと言わんばかりに鳴いた。その声に足を止めると、鴉は器用に木々を避けて、義勇の近くへと降り立つ。炭治郎の鴉だった。
「弟子ノ姿ハナカッタ!」
「そうか」
念のため、近隣の町に炭治郎がいないか探してもらっていたのだ。器用に舌打ちを打つ鴉はどこか元気がない。炭治郎のことをこの鴉も慕っていたのだろう。
「俺はこの山の中を探す。
子どもは無事だったそうだ。あと嘴平はこの山にいるらしい。お前は一度禰豆子の元に戻って知らせてくれ」
「カァア!」
鴉は一鳴きするとまた空に飛び去って行く。炭治郎を見つけた、という知らせはまだできないが、それでも知らせを送ることは大事だ。便りがないのは良い便り、なんて言葉があるらしいが、今の禰豆子にそれは通用しない。
こまめに状況を連絡をするべきだろう。子供が無事だったと知れば、炭治郎も無事であると思ってくれる可能性が高い。いや、そうであってくれないと困る。
「……炭治郎」
蝉の煩い鳴き声がする中、暑さに額を汗で濡らしながら木々の隙間を探す。あの木々の影から、草の茂みからひょっこりと顔を出すのではないか。いつもの明るい笑顔で少しだけ気まずそうに眉を下げて、義勇さんと名前を呼んでくれることを望んで。
けれど、そんな都合の良い話はなく、夕暮れになっても炭治郎の姿を見つけることはできなかった。
夜目は長年の仕事で慣れていたが、誰かに出会った時に不審者と間違われては困ると思い一度麓の村に宿を取るべく戻った。麓の村は夜にも関わらず明るかった。まだ行商が声をかけているのが道を歩いていてもよく聞こえるほどだった。
威勢の良い行商の声の中に一つ混じる、聞き覚えのある声。そちらに歩いていけば、やはり見知った顔が天ぷらうどんを勢いよく口にかきこんでいた。トレードマークの猪の被り物を横の椅子に置いて。
「嘴平」
「うぉっ!?半々羽織じゃねぇかっ!!」
皿を持ったまま立ち上がる嘴平に行儀が悪いと言って、元の座っていた席に座らせる。猪の被り物を置いたのとは反対の席に座ると、かけうどんを一つ注文する。
「禰豆子がお前を気にしていた。報告することがなくても、禰豆子に何か知らせを送るべきだった」
「はぁ?んなもん俺が紋次郎を連れて家に帰れば問題ねぇーだろ」
「だが、見つかってないのだろう」
嘴平の隣に炭治郎がいない。つまり、まだ見つけていない。だが、義勇の問いに嘴平ははんっと鼻で笑うと、食べかけのうどんの残りを一口で食べてその器を机にたたきつけるようにして置いた。
「紋次郎は山にいるぜ」
核心を抱いているかのように嘴平は言う。ぎらぎらと大きな青色の瞳を黒に染まった山へと向ける。
そういえばこいつは他の奴よりも感が優れているという話だったか。いつか炭治郎が同期の友人たちの凄さを説明してくれていた話を思い出す。すごいんですよ!と目を輝かせて仲間のことを語る炭治郎は、どこか誇らしそうで楽しそうだった。
「山の中、全体がなんかぞわぞわするぜ」
嘴平のその言葉に懐かしい思い出からすぐに現実に戻る。
「山のそこかしこからあいつの気配がするんだ。
一番強くその気配がする場所に行くとこれがあった」
嘴平が机の上に置いたのは団栗や松かさ。木苺と桑の実もある。その机に広げられたものを見つめる。嘴平が言いたいことはわからなかったので、頸を傾げて見せるとお前察し悪いな!と怒られた。
「炭治郎のヤツ、きっと俺を喜ばせようとしてこれを置いてったんだぜ」
「……だから、山にいる、か」
「そうだ!」
荒唐無稽な話だ。ただ、運よく行く先々で団栗や松かさが落ちていただけなのではないかと考えてしまう。けれど嘴平は炭治郎が山にいると信じているそうだ。
ぜってぇに探し出してやる!と鼻息荒く言った嘴平は店主にお代わりだ!とまた天ぷらうどんを頼んでいた。うどん屋の店主は嘴平の注文に驚きつつもすぐに天ぷらうどんを準備を始めた。
にこにこと気前の良さそうな男だった。男は嘴平にうどんのお代わりを出し、義勇の前にも一つかけうどんを出すと、お客さんと話しかけてきた。
「あんたらも山神様に願掛けにきたのかい?」
「山神?」
「ほら、行方不明になった子供が見つかったって話があるだろう」
店長も十日も行方不明だった子供はもう死んでいるものだと思ったらしい。けれど子供の親が熱心に山神様に祈っていたら、子供は帰ってきた。その子供が帰って来てからこんな話が村のそこかしこで囁かれるようになった。
曰く。山神様に心から祈ればその願いは叶う。
不治の病も、恋愛成就も、何もかも。
「眉唾物だけれどねぇ。まぁ祈るだけなら、そうするだろ?」
男はその話を信じていないようだった。けれど、最近が店のうどんがよく売れる。これなら町で店を持つこともできるかもしれないと上機嫌に語って、山神様のおかげかもしれねぇなぁと小さな声でそう呟いてその話は終わった。
「嘴平」
「あ?なんだよ」
「お前は一度、禰豆子の元に帰れ」
「はぁっ!?なんでだよ!俺様じゃねぇと子分は探せねぇだろ」
「俺にも探せる」
胡乱な視線を送る嘴平にもう一度、俺なら炭治郎を見つけられる、と返す。次いで、嘴平はもう二日も探しているのだろう?と訊けばうどんを喉に詰まらせたような音をならし、うどんを食べる手を止めた。
「炭治郎を探すことを止めろとは言っていない。
だが、禰豆子がお前も、善逸も傍にいなくて不安になっている」
「ねず公が」
嘴平も禰豆子が不安がっていると聞けば眉を寄せて、うんうんと唸り出した。唸って数分、ため息と共に仕方がねぇな、と吐き出す。
「紋逸だけじゃあねず公の不安がるのも仕方がねぇ。一度顔を見せに戻ってやるか」
「そうしてくれ」
俺では禰豆子の不安は取り除けないから、と言うと嘴平はきょとんとした顔になる。
「何言ってんだお前。
ねず公はお前のことを俺様達と同じくらい信用してるはずだぜ」
「……そんなことは」
禰豆子に一度刀を向けた事がある。それに、一度炭治郎を禰豆子の目の前で殺そうとしたことがある。どちらも禰豆子に対して強い恐怖心を抱かせるものだっただろう。いくら屈託ない笑みを自分に向けてくれるとはいえ、嘴平や我妻のような信頼を自分はまだ持ち合わせてはいない。
頑なに否定する義勇に嘴平は怪訝そうな顔をしながら、だがそれ以上何も言わなかった。
禰豆子が俺を信用しているというならそれは間違いなく炭治郎あってのこと。あの子であれば俺を兄弟子だと言って悪くないように妹に伝えている可能性が高い。
「じゃあ、俺は一度帰るけどよ。
またすぐに戻って来るからな!」
紋次郎を探し出すのは俺様だ!と高らかに笑って、走っていく。もしかして今から禰豆子の元に向かおうとしているのだろうか。はた迷惑な奴だと思いつつ、机の上に置かれた椀を見る。
「お客さん、お連れさんの代金も支払って貰えるんですよね」
眉を寄せた店主に、俺は黙って袂に入れていた財布を取り出す。まだ一口も食べていないかけうどんは、月明かりに照らされて沈黙を守っていた。
翌朝、朝早くから山に登る。今日は老婆の話していたお社があった場所を目指して歩く。
すでに何年も前の話だから、舗装された道はない。だが、目を凝らして良く見れば蔦に絡まった石造りの灯篭らしきものが倒れており、めぼしい場所はすぐに分かった。苔むした朱色の鳥居をくぐると少しだけ開けた場所に出た。
草が伸び、枝があちこちと散らばる荒れ果てた場所には小さな川があり、その川の上を大木が橋のように倒れていた。その大木の下に土くれと草木に混じって瓦屋根の残骸が見えた。
ここがお社だろうか。近くを見ても他には目ぼしいものは見当たらなかった。
山神様、というのはこのお社にあった神様のことだろうか。
願えば、祈れば叶うというのであればそう信心深くなくとも叶えて貰えるのだろうか。
眉間に皺を寄せて、息を吐く。まぁ祈るくらいならば別に構わないだろう。願掛けのようなものだ。
お社のあった場所に向かって手を合わせ、目を瞑る。
炭治郎が早く見つかりますように。
みんみんと五月蠅く泣き喚く蝉の声を聞きながら、心の中でそう呟く。
しかし、呟き終わったその瞬間に蝉の鳴き声が一斉に止まった。周りの空気が変わった。
ここには一人しかいないはずだった。それなのに。目を開けた時にひらりと翻る白い羽織が見えた。宍色の髪の毛。頬にある傷。自分の羽織と同じ柄の着物。
「義勇」
「さび、と……?」
狼狽えるように名前を呼ぶ俺に目の前の男は、息を吸い込む。
「未熟者!!!!」
大きな声で罵られた。その声の大きさに鼓膜がやられたのかと思い、飛び上がりそうになるのを抑える。鬼?いや、鬼はすでにいなくなったはず……。
混乱する頭で刀を引き抜こうとし、刀を持っていないことすら忘れていることに気づく。瞬時に構えを取る義勇に錆兎らしき男は睨むような視線をふっと和らげる。仕方がないな、というように眉を下げて、もう一度義勇と呼ぶ。
「久しぶりだな」
それでも、警戒は解かない。錆兎は死んだ。錆兎はいない。こんな夢、鬼でなければ一体何だというのだ。周囲を警戒しながら、錆兎を睨む。
「お前は誰だ」
「驚かせ過ぎたみたいだな」
「お前は誰だと聞いている!」
「見てわからないのか、義勇」
見てわからないか。だと?どこからどう見ても錆兎そのものにしか見えないから困っているのだ。唯一あり得そうな鬼という可能性も自分たちが摘み取ったはずだ。残っているのであれば、それはそれで困るのだが。
目の前の錆兎はもう一度「未熟者!」と義勇に呼びかけた。
「男ならば、自分を信じたものを信じろ。
お前に殴られたところで、俺は既に死んでいるものだからな。死ぬことに二度も三度もないだろう。
実は俺もどうしてお前の前にいるのかさっぱりわからん」
肩の力が抜けそうになる返答に、けれどやはり警戒だけは緩めない。悪意のある罠としか思えないからだ。
硬直状態が続く中、頭上でカァアとカラスの鳴く声が聞こえた。
頭上を見上げると炭治郎の鴉がちょうど真上を旋回していた。
「竈門禰豆子ヨリ冨岡義勇二言伝ェ!
炭治郎ハ未ダ帰ラズ!善逸ハ今日モ付近ノ町ヘ聞キ取リヘ向カウ!」
進展なしの情報を鴉は義勇に伝え終わった後、近くの木の枝にとまると首を傾げた。何ヲヤッテイルと訊かれて、目の前にいる者が見えないのかと聞けば何も見えないと答えられた。
「鴉か」
錆兎は木の枝に留まる鴉を見て、目を細めた。先生のじゃないな、とぽつりと呟く。選抜で死んだ錆兎は自分の日輪刀を持っていないし、鎹烏も与えられなかった。
「お前の鴉か」
「俺のではない」
「では、炭治郎の鴉か」
錆兎の口から、炭治郎の名前が出てきたことに警戒を強める。錆兎は炭治郎に会ったことがないはず。ますます警戒を強めた義勇を見て錆兎は少し呆れた表情をした後、頭を掻く。
「お前の、その警戒心は当然のことだと思うが……一先ず安心しろ。
俺はお前の敵ではない」
「その証拠はあるのか」
「ない。だが、お前を謀る証拠も俺にはないはずだ」
「……」
確かに。義勇を謀るためとはいえ、錆兎を出すのはあまりにもわかりやすい罠だ。これが錆兎だというなら人の仕業ではない。鬼ではない、他の何かの仕業……そこまで考えて頭を振る。
「お前は結局誰なんだ」
「お前の同輩の錆兎で間違いはない。……だが、俺も何故こうなっているのかはわからない。
俺は死後、狭霧山を漂う霊体だった。それが気が付けば見知らぬ山にいる」
「お前にもわからないのか」
「わかっていたら苦労はしない」
それならそうと最初の問いに答えてくれればよいものを。睨みつけるようにじっと見つめると、錆兎は済んだ話は横に置いて、これからのことを決めようと話の主導権を握ってきた。
「炭治郎の鴉はいるのに、炭治郎はいないのか」
「行方不明だ」
「行方不明?」
ちらりと鴉を見ている錆兎に義勇はこくりと頷き、近くの岩場に二人揃って腰かけると今までの話をすべて錆兎に話した。正体不明の男ではあるが、確かに義勇の記憶にある錆兎そのものであるし、彼から悪意などは感じられなかった。無視をすることも一瞬考えたが、曲がりなりにも親友であった者の姿を前に無視することはできなかった。
ぽつりぽつりと省略しながら情報を出す義勇に錆兎は時々事の詳細を求め、事のすべてを錆兎が理解する頃には太陽はすっかり真上を通り過ぎていた。
「帰ってきた子供、消えた炭治郎、そして山神様、か……」
「ちょうどお前が現れた場所が社があったと思われる場所だ」
「そうなのか?」
錆兎とともに社があった場所を見る。そこにはただの大木と土くれしかない。入口こそ、苔むしてはいるものの朱色の鳥居が見えたくらいだが、ここには本当に何も残ってはいなかった。
「とても神様がいるとは思えないな」
「……錆兎」
不敬だ。と咎めるように名を呼んだが、義勇も心の中では錆兎と同じことを思っていた。うどん屋の店主の話では社の中にあった御神体はもう違う場所へ移されたらしいし、ここには神様も何もいないように思える。
「しかし、静かすぎるし、何もいなさすぎる。
動物がいないのも不思議じゃないか?」
錆兎の言葉に、そういえばあれだけ煩かった蝉の声が消えたのも不思議だった。この錆兎が原因なのではないかと思っていたのだが、本人はわからんと首を横に振った。
「だが、今のところ一番可能性が高いのは山神様だろうな」
「俺もそう思う」
「だが、歩いていたところでその山神様に会えるとも思えんな。
それにしても、鬼が片付いたら今度は神とは妙な厄介事によく見舞われるな?」
「俺ではない」
厄介事に首を突っ込んでいるのは炭治郎の方だ。そして、俺はただ炭治郎を連れ戻しに来ただけだ。鬼とか、神とか、そんなものは一切関係ない。
片眉を上げて、錆兎が意外そうな表情をするが気にせずに鴉の方を見上げた。炭治郎の鴉はまだいた。錆兎が見えていないらしいこの鴉には俺の言葉は大きな独り言に聞こえただろう。
「俺は今日も炭治郎を探す。何か分かり次第連絡をする。
禰豆子にもそう伝えてくれ」
鴉は義勇を見て、少しだけ戸惑うようにばさりと翼を広げては畳みを繰り返し、「無理スンナヨ」とそう言ってから空へと飛びあがった。
「お前のせいだ」
鴉に様子がおかしいと思われた原因である錆兎をじろりと見つめる。が、錆兎はあまり気にしていないように肩を竦めてみせた。偽物にしろ、幽霊にしろ、はた迷惑である。
「……お前は俺にしか見えないのか」
「かもしれんな。俺にはわからないが」
「村には行かない」
「ああ。俺は村には行かない。村でもこうして一人で話をしていたら不審な奴だと思われて、炭治郎の話も訊ねられなくなる。そうなれば本末転倒だろう
お前が俺の名を呼んだ時に俺はお前の近くへ行こう」
「俺の場所がわかるのか?」
「不思議とお前の周りだけ妙に明るく見える。声も他のよりもよく聞こえるようだ。
だから行こうと思えば行ける」
「そうか」
錆兎の言葉に一つ頷いてから、そういえば確認がまだだったなと近寄る。無言で立つ錆兎の肩に手を置こうとして、その手がすり抜けるのを見る。
「……日の下にも出るか?」
「いや、いい」
皮肉そうに笑ってる錆兎の頭上の木が風に揺れて日光が辺りを照らす。ほんの少しの光ですら、鬼は嫌うはず。ならばこれは鬼ではない。
「鬼ではないことはわかったか?」
「わかったが、正体が判明したわけではない」
「確かにな」
鬼ではない、だからといって味方と考えるのは早計だ。かといって錆兎に触れることができない以上、たとえ刀を今持っていたとしてもどうしようもなかっただろう。
一先ず、意思疎通ができるだけでも良しと考えるべきか。
「お前が村に行ってる間、俺はこの山で炭治郎を探しておこう」
「……」
お前が見つけたところで、炭治郎はお前に気づくのだろうか。
そもそも錆兎は炭治郎を何故知っているのか。
思い浮かびはしたものの、声には出さなかった。聞く必要がない。
無言で踵を返し、山を下る義勇の背に錆兎が「また後でな」と声を掛けてくる。その声が昔と本当に変わらなくて、その懐かしさに眉間に力を入れる。また後で、と言って本当にこいつは現れるのだろうか。いつかみたいに消えるのではないか。いや、消えればいい。
そうすればこの郷愁に似た感情を捨てることができる。
幽霊でも会いたいと願ったのはずっとずっと昔の事だ。今更そんな願いを、叶えてもらったところで……。
「願い?」
そこで気づいて後ろを振り返る。山のお社はもう見えない。いつの間にか消えていた蝉の煩さも戻っている。
山神様に心から祈ればその願いは叶う。
祈ったのは確かに炭治郎が見つかることだった。けれど、目の前に現れたのは錆兎。
ずっと昔に願ったことを今更山神が叶えてくれた?
「そんな、馬鹿な」
信じられない、という言葉が口から勝手に漏れ出る。けれど、この山神が自分の願いを叶えたのだという核心に近いものがあった。では心から自分は炭治郎に帰って来てほしいと願っていなかったからそれが叶わなかった?
否。それだけはあり得ない。
炭治郎も義勇にとっては大事な人に変わりはない。姉と錆兎と変わらぬくらいとても、とても大切な弟弟子だ。では願いが叶わないのは他に何か要因がある?
いや、やはりもう一度村に戻り、山神について調べるのが先か。
止めてしまっていた足を動かし、村へと急ぐようにして山を下った。
今日、クワガタを捕まえたと自慢した友達にそんなやつ大したことないと言ってしまった子供は陽が落ちた後もクワガタ以上の大物を探していたのだ。
お腹はぐうぐうと音が鳴り、腹が空いていたが嘘つきになりたくなくて必死に木の幹を目で凝らしてみたり、揺らしてみたりしたが良い虫は見当たらない。
泣きべそをかきながらそれでも探し歩いていると、がさり、と草陰が動いた。
―夜中まで起きていると鬼が出るぞ
近所の爺ちゃんが揶揄うようにいつも言っていた言葉を思い出す。鬼なんていないといつも笑っていたのに、何故かこう暗いと本当に鬼がいるんじゃないかと考えてしまう。
この草陰の向こうに息をひそめた鬼がいるのでは。と頭で恐ろしい角の生えた鬼を思い浮かべてそれを追い払うように首をぶんぶんと横に振った。
鬼なんているはずない。あんなもの小さい子供を怖がらせるために作った親の嘘だ。
地面に落ちていたちょうど良さそうな枝を持ち、子供は未だに揺れる草陰の方へと足を一歩踏み出した。
震える手で木の枝を大きく振りかぶり、揺れていた草陰の方に勢いよく振り下ろす。
てやぁ、という少し情けない声と共に振り下ろされた枝の先には、くたりと折れ曲がる雑草しかない。草の間からぴょんっとバッタが跳ねるのを見て、先ほどまでの音はこいつのせいかとほっと胸を撫でおろす。がその肩にひやりと誰かの白い腕が乗った。
今度こそ、子供は悲鳴を上げようとしたがその声は誰にも聞こえることなく暗い山の中に消えてしまった。
◇ ◇ ◇
初夏も近い日のことだった。
鬼舞辻を倒した後、お館様の目論見通り鬼は一人を除いて、いなくなった。鬼殺隊も解散し、炭治郎も刀を握る必要もなくなり、家族の待つ雲取山へと戻り早1年。
善逸と伊之助も曇取山での暮らしに慣れ、炭焼きという竈門家の家業を炭治郎が受け継ぎ、それで日銭を稼ぎながらゆるやかに穏やかな日常が続いていた。鬼殺隊時代知り合った人々との文通は未だ続けられているし、兄弟子からはぽつぽつと二、三通に一度くらいは手紙が返って来るようになり、風柱であった人からは時折ではあるが手土産を頂くこともあった。
恩師である鱗滝や、炎柱の弟である千寿朗は筆まめで、週一でやりとりをしているし、村田も近くを寄れば必ず顔を出してくれる。
カナヲもアオイも蝶屋敷から離れられないがよく手紙を送り合い、定期検診も兼ねて遊びに行くとお互いの近況を話しているだけでも楽しくてあっという間に時間が過ぎていく。
そんな穏やかな日常の中、夏場は炭焼きの需要がないため何か良い内職の仕事はないかと山の麓の町の人たちに相談していた時のことだった。
「ある山で子供がいなくなったそうなのよ」
噂好きなそのおばさんは麓の町でも顔が広くて有名だった。友達の兄夫婦の、そのまた知り合いの、とやけに遠回しな所から仕入れたらしいその話は一月か二月前の話かと思えばつい一週間前の話だった。
クワガタを取りに山に出かけた子供が姿を消したらしい。
一瞬鬼の仕業かと考えて、すぐにそれを消し去る。もう鬼はいないのだ。無惨を討伐後、鬼殺隊で暫く見回りや聞き込みを行ったが鬼の姿は確認できなかった。親方様の推理通り鬼の祖であった無惨を倒したことでそれに連なる鬼達も消えたのだろう。
山で迷子になったのか、それとも人攫いにでもあったのか。どちらにせよ、子供が心配である。
炭治郎でなくとも、子を持つ親はみな同じように心配と不安を顔に映し、その話に聞き入っていた。
「ご両親もさぞかしご心痛でしょうね……。無事に見つかれば良いのでしょうけど」
頬に手を当てて、無事を祈る言葉に周りの人々は顔を暗くさせる。
いなくなった子はまだ7歳になったばかりで、そんな子が山で一晩、二晩くらいであれば奇跡的に見つかることもあろうが子供がいなくなってすでに七日は経っているそうだ。無事に見つかったとしても、子供が生きている確率はかなり低い。
誰も彼もが子供の安否を暗い方へと考える中、「あの!」と炭治郎が声を上げると周囲の視線が集まった。
「俺、その山に行ってみます」
「炭ちゃん、でも貴方、左手が不自由でしょう?」
「大丈夫です!俺の家は山の中にあるので山歩きには慣れてますし!」
しわしわの左手ではなくまだ自由に動く右手でどんっと胸を叩く。右目も見えはしないが、鼻で匂いはわかるし、体力は鬼殺隊であった頃と比べればいくらか落ちたといえどまだまだ元気だ。
心配そうな顔をしていた町の人はけれど炭治郎がそう言うなら、と頷いた。
「でも、禰豆子ちゃんには伝えてから行きなさいよ」
「はい」
「炭ちゃんも禰豆子ちゃんも、いなくなった時は神隠しにあったんだって騒ぎになったからねぇ」
町の人は笑いながら二度目の神隠しに会うなよと炭治郎の背を叩いてくる。姿を消した後、仇を追って苦労したことをこの町の人にはまだ話せていない。
彼らは炭治郎に帰って来るまでの数年のことを聞くと、炭治郎は必ずだんまりを決める。炭治郎は嘘をつくのが苦手だと知っている彼らは深く追求しなかった。とにかくお帰りと優しく出迎えてくれたのだ。
「それはそうと、炭ちゃんにお願いしたい仕事があるんだけどねぇ」
「あ、そうだった!」
家でできる内職の話について町の人が話題を振ってくれるのに本来の目的を思い出し、耳を傾ける。
町の人々にお願いされる仕事は鬼の頸を斬ることに比べればそう大したものではないが、生活を送る上で欠かせない大切な仕事だ。一人の人から内職の話を聞けば、他の人からも声が上がり、あっという間に今年の夏の間にかけてやることがあっさりと決まっていく。
陽が暮れる前に家に帰らないと、とまだ町の人たちが話に盛り上がる中を炭治郎はそっと抜けて家路につく。今年は豆が豊作だとか、そろそろ葉物の収穫だとか炭治郎が帰る頃には明るい話題に話が移っていたが、考えることはいなくなった子供のことだ。
子供が一人、山の中に。しかもその子どもには下に兄弟がいるらしく、突然いなくなった兄弟を想って下の子達は泣いてばかりいるそうな。
家族には人一倍思い入れがある炭治郎である。可哀そうだと肩入れしてしまうのは仕方がない。いずれ、自分も痣の寿命で禰豆子を置いて先に逝く。その後のことを思えば、なおさらのこと放っておけなかった。
たとえ、残念な結果になったとしても、せめて遺品になるようなものが見つかればいい。
姿を消して一週間。望みは薄くとも、だからと言って諦める理由にはならない。駄目であったとしても一人寂しく山に埋もれるよりかは家族の元へ帰らせてあげたい。
自分もいつかはそうであってほしい、と願うように。
家に戻り、いつものように部屋の中で縫物をしている禰豆子とそれをだらしない顔で見つめる善逸にただいまと声をかけると二人ともすぐさまおかえりと返してくれる。
内職のことを二人に伝えると、禰豆子は快く、善逸は渋々とだが了承してくれた。伊之助はどこに行っているかはわからないがきっと夕飯を食べる頃には戻って来るだろう。
禰豆子と二人並んで夕食を作っている時に話を切り出す。
「禰豆子、三日か四日……いや、十日ほど家を留守にしようと思うんだが」
「どうして?」
ぱちりと目を瞬かせて禰豆子が驚いたように炭治郎を見つめた。見開かれた丸い瞳がゆらゆらと揺れている。
ぱちぱちと爆ぜる窯の中の火の様子を見ながら、炭治郎はなるべく禰豆子を心配させないように言葉を選ぶ。いや、禰豆子のことだからきっと自分と同じように神隠しにあった子供とその家族の事を想って胸を痛めることだろう。
正直に、簡潔に隣の山の神隠しにあった子供を探しに行きたいと言えば、眉を下げながらも禰豆子はわかったと頷いた。誤算があったのは禰豆子も私も一緒に行くと言い出したことだ。
「私もお兄ちゃんと一緒に山に探しに行くわ」
「いや、でも十日ほど山を歩くことになるんだぞ?」
「大丈夫よ。私だって家と町の往復をして体力をつけているから歩けるもの」
「でも熊が出るかもしれないし」
「お兄ちゃんだって今は刀を持っていないし、体力だって前より落ちてるでしょう?」
返される言葉はごもっともなことばかりだ。いや、だが刀はなくとも、病弱であった父は斧で自分の背丈以上もある熊の頸を落としていた。なので炭治郎だっていざとなれば右手だけでそれくらいのことはできる……はずだ。
一緒に行くと詰め寄る禰豆子を諫めてくれたのは善逸だった。
炭治郎の強さは善逸も知っているし、十日ほどならここで待っていよう。十日過ぎても帰って来なかったらその時は一緒に探しに行こう。と禰豆子の説得をしながらも炭治郎に対しても十日で必ず帰ってくるようにと釘を刺している。善逸の絶対に無事に帰って来いよという言葉と禰豆子の心配そうな視線を背に荷物を纏める。
夕飯時になると伊之助が戻ってくるなり、どたどたと部屋にやってきて炭治郎がまとめた荷物を見てお前一人でどっか出かけるつもりかと不機嫌そうに言った。
「十日ほど留守にするだけだよ」
「お前のことは半々羽織にも任されてるからな!
しょうがねぇから俺様も一緒に行ってやるぜ」
「いや、伊之助はこの家で禰豆子と善逸のことを見ててあげて欲しい」
ついてきてくれようとする言葉は嬉しかったけれど、やはり気になるのは禰豆子のこと。善逸が傍にいるとはいえ、自分の留守に悪い奴がやってこないとは限らない。
一瞬、脳裏に過ぎるのは寒い冬の日。すべてを失ったあの夜。
初夏だというのにあの時の事を思い出すと寒気がする。
ぶるりと身体を振るわせ、腕を擦る。
伊之助は炭治郎のことをじっと見つめる。頼むよ、と言葉を重ねれば伊之助は盛大に息を吐いた後、しかたがねぇなと呟くように言った。
「あいつらも俺の子分だからな。
まったく世話が焼けるぜ」
「すまない。本当に助かるよ、ありがとう」
心からの感謝を伝える。伊之助が、善逸が、いてくれて良かった。禰豆子と炭治郎の二人だけだったら、きっとこの家の静かさに慣れるまで時間がかかっていただろう。
でも伊之助と善逸がいる。騒がしくて賑やかな彼らとの生活は比べることはできないけれど、暖かくて穏やかだった。二人がいるから、安心して炭治郎も子供を探しに行ける。
「けど、半々羽織にはちゃんと言っておけよ」
「義勇さんに?」
「そうだ」
兄弟子である義勇には毎週のように手紙を送っている。十日も家を留守にするとなると手紙も遅れないかもしれない。伝えろ、と圧をかける伊之助にわかったよと返してから机の引き出しから手紙を取り出す。
一筆。些細な近況と、付け加えるように子供を捜索に行くから十日ほど留守にすることを付け足す。鬼殺隊の時ですらこんなにマメに近況を伝えることすらなかった。
任務だと鴉に突かれ、東奔西走。任務が忙しくて筆を取る暇がない時や重症で筆を取りたくても取れない時など。それでも文通はそれなりにしていたとは思うけれども、毎週ということはなかった。
きっと、あの言葉がなければ今も毎週手紙を出すなんてことはしなかっただろう。
「お兄ちゃん、伊之助さん。
ご飯にしましょう」
禰豆子が襖の奥から声を掛ける。まだ墨が乾いていない手紙を机の上に置いたまま、伊之助と共に部屋を出る。夕飯は大事だ。禰豆子と善逸が待っているし、伊之助は待ちきれないというように駆けるようにして部屋を出ていく。
いつかは勝手に一人でご飯を食べていた伊之助が今はちゃんと全員が揃うまで待っているのだ。あまりにも遅いと文句を言いながら、探しに来る。
ご飯は家族揃って食べるものよ、と禰豆子が伊之助に教えたことが切っ掛けだろう。
四人で暖かな食卓を囲み、話しながらご飯を食べる。ご飯を食べながらお喋りをするのは行儀が悪いことだろうけれども、誰もそれを咎めることはしない。ここにいるのは家族だけ。だから少しくらい行儀が悪くても許される。
賑やかな食事を終えると、部屋に戻り支度の続きを進める。机の上の手紙も墨が乾いたことを確認してから、外にいた鎹烏に文を届けてもらうように頼む。鬼殺隊がなくなった後も天王寺松衛門は炭治郎についてきてくれた。時々どこかへ行きはするものの、炭治郎が何か頼みたいときには近くにいるのだ。
「この文を冨岡義勇さんに。頼むよ」
「任セロォ」
ふんっといつものように尊大な態度で鴉は器用に手紙を咥えると、夜の空を飛んでいく。その姿が見えなくなるまで見送ると、最後の荷物確認をする。
十日後にはまたこの家に戻って来るのだから。
◇ ◇ ◇
しんと静かな家にはいつもあったはずの賑やかさは、ない。
ここに訪れる時はいつも穏やかで眩しいほどの笑顔で名前を呼び、出迎えてくれるこの家の主がいない。代わりに、彼の妹が憔悴しきった顔で出迎えてくれる。
「義勇さん……」
「禰豆子、大丈夫か」
「私は、大丈夫です」
目の下に隈を作りながらも気丈にそう答えるが、無理をしているのは傍目にもわかる。近くに伊之助や善逸がいないのも、不安の一助を買っているのだろう。落ち着きなく、忙しく視線をあちらこちらに彷徨わせる姿は、痛々しい。当然だ。最愛の兄がいないのだから。
十五日前に送られた手紙を手に、まだその送り主が戻ってきていないことを知ると冨岡義勇はいてもたってもいられず家を飛び出した。既に知り合いの柱や恩師にも彼のことを伝えている。恐らく自分と同じように炭治郎から恩師は手紙を受け取っているだろうが、この状況を案じて炭治郎達の家に来るかもしれない。その時に入れ違いにならぬようにと、手紙を送った。
「我妻と嘴平は?」
「善逸さんは、町へ聞き込みに。伊之助さんは、お兄ちゃんが探しに行ったっていう山に……」
当初の予定であった十日で帰るという約束は果たされず、もしかしたら子供が見つかってそのご家族に引き留められてるのかも、と約束を破られたその日はみんなでそう思った。あの優しい人柄だ。引き留められれば、一日くらいどこかの家に厄介になることもあるだろう。
約束を破られて二日目。何か他の事件があって、戻れないのかもしれない。気にはなったけれど、そういうこともあるだろう。
三日目。炭治郎と一緒にいる天王寺松衛門が一匹、庭で兄の姿を探すように首を振っていた。手紙も持っていない。少しずつ、不安が積もっていく。
四日目。痺れを切らした伊之助がとうとう炭治郎を探しに行くと言って家を出ていった。善逸は止めたけれど、禰豆子はお願いと言って伊之助を見送った。
五日目。伊之助も帰って来ない。今度は善逸が町に聞き込みに行くと言って、麓の町へと向かった。収穫はなし。町の人にもまだ炭治郎は戻ってきてないのかと逆に聞き返されたそうだ。
「今日は善逸さん、もう少し先の町まで聞き込みに行って来るって言っていて……」
「そうか。禰豆子はここで善逸を待て。
俺は炭治郎を探しに行く」
「待って。私も連れてって」
禰豆子は義勇の裾を掴んだが、その手を離させると駄目だと告げる。禰豆子の瞳が不安に大きく揺れる。それを見て可哀想にとは思ったが、今は禰豆子を守ってやれるほどの余裕が自分にはなかった。
隻腕となり、刀もない。こんな状態で熊に襲われても、自分の身は守れたとしても同行者も守れるとは思えなかった。
「必ず、炭治郎を連れて返す」
禰豆子の肩を掴み、そう安心させるように言う。炭治郎は俺が守ると決めた男だ。禰豆子の元へ、返すと誓った。その願いは一度、果たされないかと思われたが、彼らの絆が、軌跡が義勇の願いを叶えてくれた。
それをもう一度、果たすだけだ。今度は絆も軌跡もないけれど、それでも義勇の誓いは今なお有効だ。
義勇の声に少しだけ安堵したのか、禰豆子は少しだけしっかりとした視線で義勇を見つめ返し、「お兄ちゃんを、よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。そんな禰豆子にもう一度案ずるなと声を掛けてから、空を舞う自分の鎹烏を呼ぶ。
蝶屋敷にいる胡蝶の継子を呼ぼう。鬼から人に戻って、大分安定しているとはいえ、いつも以上に精神が不安定だ。何かあっては困る。
次いで庭にいる炭治郎の鎹烏に声を掛け、付いてくるように言うと翼を広げて当然だというように一鳴きした。
最後に禰豆子に何かあれば恩師である鱗滝を頼れと伝え、急ぎ山を下る。夏場の熱い日差しが木々に遮られるおかげで山の中は少しだけ涼しかったが、蒸された湿気が身体に張り付いて気持ち悪い。
子供は生きていないだろう。
探しに行った炭治郎には残念なことだろうが、いくらなんでも子供がいなくなってから時間が経ちすぎている。山で人攫いにあっていたのであれば、生きている可能性はあるだろうが、可能性は限りなく低いだろう。
大型の熊に食われたか、どこかで足を滑らせて頭を打って死んだか。脳裏に浮かぶのはそんな子供の死因ばかり。けれど炭治郎であればそれはあり得ないと否定する。曲がりなりにも鬼殺隊で柱にも近しい実力を持っていた男だ。後遺症を負えど、そういった危機から身を守る術は鱗滝から叩き込まれたはずだ。
けれど、あの炭治郎が何か事情があるとはいえ、妹に何も伝えずにいるのもおかしい。あの子の一番はいつだって禰豆子だった。禰豆子を不安にさせるような、心配をかけさせるようなことを炭治郎はしないはずだ。
禰豆子に案ずるなとは言ったものの、心の中に暗雲が漂うかのような嫌なものがずっとあった。あの手紙が届いてからずっと、どこか気が立ち、落ち着くことがない。
何かに背を押されるかのように義勇は山を駆け下り、炭治郎が向かった先へと急いだ。
子供が一人いなくなったというその山の麓の村は、けれど道を歩く限りその噂も影もないくらい騒がしかった。町と町の間にあるこの村は宿場として商いが盛んのようだった。
村、というほど人がいないわけではなく、整地された道を歩いていると通りに面した店から掛けられる言葉を無視して、ひたすら歩く。炭治郎の影を探すように歩く。あの明るく賑やかな声が聞こえてこないか、耳を澄ませる。
山へ探しに行くか。
一刻。粘り強く村の中を歩いてみたが、探し人の影も声もしないことを確認すると足を今度は山へと向けた。山へ向かう道は村の人しか使わないらしい、田んぼの間の小さな畦道を通って行くようだ。
道の端で小さな干し柿を売っていた老婆に山までの行き方を教えて貰うと、その礼にと柿を一袋買う。ついでに最近山で子供が行方不明になったそうだが、と聞くと老婆は少し驚いた様子で義勇を見つめ返してきた。
「あの子は、帰ってきたよ」
「……そうか」
「神様が、きっと願いを聞き入れてくれたんだねぇ。
かえしてくれ、ってあの子の親はずっとずっと山の神様にお祈りをしていたから」
ありがたい、ありがたいと老婆は山に向かって手を合わせる。けれど、その姿にどこか違和感を覚える。
「その子どもを探しに、他の所からやってきた者を知っているか」
「ああ、何人か来ていたねぇ」
「竈門炭治郎、という男を見ていないか」
「かまど……。さぁ……覚えてないねぇ……。
いろんな人が来て、山に入って行ったのは覚えているけれど……どんな人だったとかは……ああ、でも一昨日来た、猪の被り物をした子は覚えているよ」
「……猪」
「知り合いかい?
あの子は山に入っては毎日どこで見つけてるのか、団栗や松かさの他に木苺や桑の実を見つけてくるんだよ」
老婆は松かさを貰ったのかそれを見せてくれる。大きな松かさは確かにあの子供が好きそうな立派なものだった。
良い火種になるからねと一つ松かさを掌に載せてくれる老婆は、他の客がやってきたのを見るとそちらへ今度は話しかける。どうやら知り合いのようだ。
途切れた会話にちょうど良いと松かさを袖に入れると老婆が教えてくれた畦道を歩く。田んぼ仕事をする人々を眺めながら、歩くとすぐに山の入口へとたどり着いた。小さな傘を被った地蔵が山の入り口に鎮座している。地蔵の前に置かれたおにぎりと花のお供えは村の誰かがやっているのだろう。
蝉がみんみんと泣き喚く声、がさごそと草むらを揺らすのは鳥か、狸か、はたまた蛇か。一見普通の山にしか見えない。いや、普通ではない山などもうないだろう。
どこか緊張していたらしい身体の筋を解すように一度深呼吸をしてから、山へと一歩足を踏み出した。葉っぱと、少し湿った土を踏みしめ、かろうじて人が整備したらしい山道を歩く。
昔はこの山にも神様を祭るお社があったらしい。
老婆の話を思い出しながら歩く。
彼女がまだ小さい、子供の頃は山の方で祭りを行っていたそうだ。ちょうど夏が来る少し前、梅雨が明けた頃に豊穣を願って行う祭り。お囃子や歌に合わせて綺麗な巫女が神楽を踊る姿をよく覚えていると。
だが、その祭りは彼女が大人になる前になくなった。土砂崩れが起きてお社が壊れてしまった後、中にあった御神体だけはどうにかして救助して、別の場所へ移動させてしまったらしい。
だから、今はもう誰も山を登らない。たまに山に入って茸や山菜を採る人たちがいるから山道だけは整備されているらしいが。
ただ、子供たちには良い遊び場のようで夏になると虫を取りに朝から遊びに行く子供たちが多い。
老婆から聞けた話はこんな所か。
子供は無事に家に戻ってきたらしい。しかし、炭治郎は戻ってきていない。村のどこにも、その姿はなかった。彼らの住む家から真っ直ぐ、この村へやってきたが、それでも道中で彼らしき姿を見たことなかった。
「カァアア!」
上空を舞う鴉が義勇を見つけたと言わんばかりに鳴いた。その声に足を止めると、鴉は器用に木々を避けて、義勇の近くへと降り立つ。炭治郎の鴉だった。
「弟子ノ姿ハナカッタ!」
「そうか」
念のため、近隣の町に炭治郎がいないか探してもらっていたのだ。器用に舌打ちを打つ鴉はどこか元気がない。炭治郎のことをこの鴉も慕っていたのだろう。
「俺はこの山の中を探す。
子どもは無事だったそうだ。あと嘴平はこの山にいるらしい。お前は一度禰豆子の元に戻って知らせてくれ」
「カァア!」
鴉は一鳴きするとまた空に飛び去って行く。炭治郎を見つけた、という知らせはまだできないが、それでも知らせを送ることは大事だ。便りがないのは良い便り、なんて言葉があるらしいが、今の禰豆子にそれは通用しない。
こまめに状況を連絡をするべきだろう。子供が無事だったと知れば、炭治郎も無事であると思ってくれる可能性が高い。いや、そうであってくれないと困る。
「……炭治郎」
蝉の煩い鳴き声がする中、暑さに額を汗で濡らしながら木々の隙間を探す。あの木々の影から、草の茂みからひょっこりと顔を出すのではないか。いつもの明るい笑顔で少しだけ気まずそうに眉を下げて、義勇さんと名前を呼んでくれることを望んで。
けれど、そんな都合の良い話はなく、夕暮れになっても炭治郎の姿を見つけることはできなかった。
夜目は長年の仕事で慣れていたが、誰かに出会った時に不審者と間違われては困ると思い一度麓の村に宿を取るべく戻った。麓の村は夜にも関わらず明るかった。まだ行商が声をかけているのが道を歩いていてもよく聞こえるほどだった。
威勢の良い行商の声の中に一つ混じる、聞き覚えのある声。そちらに歩いていけば、やはり見知った顔が天ぷらうどんを勢いよく口にかきこんでいた。トレードマークの猪の被り物を横の椅子に置いて。
「嘴平」
「うぉっ!?半々羽織じゃねぇかっ!!」
皿を持ったまま立ち上がる嘴平に行儀が悪いと言って、元の座っていた席に座らせる。猪の被り物を置いたのとは反対の席に座ると、かけうどんを一つ注文する。
「禰豆子がお前を気にしていた。報告することがなくても、禰豆子に何か知らせを送るべきだった」
「はぁ?んなもん俺が紋次郎を連れて家に帰れば問題ねぇーだろ」
「だが、見つかってないのだろう」
嘴平の隣に炭治郎がいない。つまり、まだ見つけていない。だが、義勇の問いに嘴平ははんっと鼻で笑うと、食べかけのうどんの残りを一口で食べてその器を机にたたきつけるようにして置いた。
「紋次郎は山にいるぜ」
核心を抱いているかのように嘴平は言う。ぎらぎらと大きな青色の瞳を黒に染まった山へと向ける。
そういえばこいつは他の奴よりも感が優れているという話だったか。いつか炭治郎が同期の友人たちの凄さを説明してくれていた話を思い出す。すごいんですよ!と目を輝かせて仲間のことを語る炭治郎は、どこか誇らしそうで楽しそうだった。
「山の中、全体がなんかぞわぞわするぜ」
嘴平のその言葉に懐かしい思い出からすぐに現実に戻る。
「山のそこかしこからあいつの気配がするんだ。
一番強くその気配がする場所に行くとこれがあった」
嘴平が机の上に置いたのは団栗や松かさ。木苺と桑の実もある。その机に広げられたものを見つめる。嘴平が言いたいことはわからなかったので、頸を傾げて見せるとお前察し悪いな!と怒られた。
「炭治郎のヤツ、きっと俺を喜ばせようとしてこれを置いてったんだぜ」
「……だから、山にいる、か」
「そうだ!」
荒唐無稽な話だ。ただ、運よく行く先々で団栗や松かさが落ちていただけなのではないかと考えてしまう。けれど嘴平は炭治郎が山にいると信じているそうだ。
ぜってぇに探し出してやる!と鼻息荒く言った嘴平は店主にお代わりだ!とまた天ぷらうどんを頼んでいた。うどん屋の店主は嘴平の注文に驚きつつもすぐに天ぷらうどんを準備を始めた。
にこにこと気前の良さそうな男だった。男は嘴平にうどんのお代わりを出し、義勇の前にも一つかけうどんを出すと、お客さんと話しかけてきた。
「あんたらも山神様に願掛けにきたのかい?」
「山神?」
「ほら、行方不明になった子供が見つかったって話があるだろう」
店長も十日も行方不明だった子供はもう死んでいるものだと思ったらしい。けれど子供の親が熱心に山神様に祈っていたら、子供は帰ってきた。その子供が帰って来てからこんな話が村のそこかしこで囁かれるようになった。
曰く。山神様に心から祈ればその願いは叶う。
不治の病も、恋愛成就も、何もかも。
「眉唾物だけれどねぇ。まぁ祈るだけなら、そうするだろ?」
男はその話を信じていないようだった。けれど、最近が店のうどんがよく売れる。これなら町で店を持つこともできるかもしれないと上機嫌に語って、山神様のおかげかもしれねぇなぁと小さな声でそう呟いてその話は終わった。
「嘴平」
「あ?なんだよ」
「お前は一度、禰豆子の元に帰れ」
「はぁっ!?なんでだよ!俺様じゃねぇと子分は探せねぇだろ」
「俺にも探せる」
胡乱な視線を送る嘴平にもう一度、俺なら炭治郎を見つけられる、と返す。次いで、嘴平はもう二日も探しているのだろう?と訊けばうどんを喉に詰まらせたような音をならし、うどんを食べる手を止めた。
「炭治郎を探すことを止めろとは言っていない。
だが、禰豆子がお前も、善逸も傍にいなくて不安になっている」
「ねず公が」
嘴平も禰豆子が不安がっていると聞けば眉を寄せて、うんうんと唸り出した。唸って数分、ため息と共に仕方がねぇな、と吐き出す。
「紋逸だけじゃあねず公の不安がるのも仕方がねぇ。一度顔を見せに戻ってやるか」
「そうしてくれ」
俺では禰豆子の不安は取り除けないから、と言うと嘴平はきょとんとした顔になる。
「何言ってんだお前。
ねず公はお前のことを俺様達と同じくらい信用してるはずだぜ」
「……そんなことは」
禰豆子に一度刀を向けた事がある。それに、一度炭治郎を禰豆子の目の前で殺そうとしたことがある。どちらも禰豆子に対して強い恐怖心を抱かせるものだっただろう。いくら屈託ない笑みを自分に向けてくれるとはいえ、嘴平や我妻のような信頼を自分はまだ持ち合わせてはいない。
頑なに否定する義勇に嘴平は怪訝そうな顔をしながら、だがそれ以上何も言わなかった。
禰豆子が俺を信用しているというならそれは間違いなく炭治郎あってのこと。あの子であれば俺を兄弟子だと言って悪くないように妹に伝えている可能性が高い。
「じゃあ、俺は一度帰るけどよ。
またすぐに戻って来るからな!」
紋次郎を探し出すのは俺様だ!と高らかに笑って、走っていく。もしかして今から禰豆子の元に向かおうとしているのだろうか。はた迷惑な奴だと思いつつ、机の上に置かれた椀を見る。
「お客さん、お連れさんの代金も支払って貰えるんですよね」
眉を寄せた店主に、俺は黙って袂に入れていた財布を取り出す。まだ一口も食べていないかけうどんは、月明かりに照らされて沈黙を守っていた。
翌朝、朝早くから山に登る。今日は老婆の話していたお社があった場所を目指して歩く。
すでに何年も前の話だから、舗装された道はない。だが、目を凝らして良く見れば蔦に絡まった石造りの灯篭らしきものが倒れており、めぼしい場所はすぐに分かった。苔むした朱色の鳥居をくぐると少しだけ開けた場所に出た。
草が伸び、枝があちこちと散らばる荒れ果てた場所には小さな川があり、その川の上を大木が橋のように倒れていた。その大木の下に土くれと草木に混じって瓦屋根の残骸が見えた。
ここがお社だろうか。近くを見ても他には目ぼしいものは見当たらなかった。
山神様、というのはこのお社にあった神様のことだろうか。
願えば、祈れば叶うというのであればそう信心深くなくとも叶えて貰えるのだろうか。
眉間に皺を寄せて、息を吐く。まぁ祈るくらいならば別に構わないだろう。願掛けのようなものだ。
お社のあった場所に向かって手を合わせ、目を瞑る。
炭治郎が早く見つかりますように。
みんみんと五月蠅く泣き喚く蝉の声を聞きながら、心の中でそう呟く。
しかし、呟き終わったその瞬間に蝉の鳴き声が一斉に止まった。周りの空気が変わった。
ここには一人しかいないはずだった。それなのに。目を開けた時にひらりと翻る白い羽織が見えた。宍色の髪の毛。頬にある傷。自分の羽織と同じ柄の着物。
「義勇」
「さび、と……?」
狼狽えるように名前を呼ぶ俺に目の前の男は、息を吸い込む。
「未熟者!!!!」
大きな声で罵られた。その声の大きさに鼓膜がやられたのかと思い、飛び上がりそうになるのを抑える。鬼?いや、鬼はすでにいなくなったはず……。
混乱する頭で刀を引き抜こうとし、刀を持っていないことすら忘れていることに気づく。瞬時に構えを取る義勇に錆兎らしき男は睨むような視線をふっと和らげる。仕方がないな、というように眉を下げて、もう一度義勇と呼ぶ。
「久しぶりだな」
それでも、警戒は解かない。錆兎は死んだ。錆兎はいない。こんな夢、鬼でなければ一体何だというのだ。周囲を警戒しながら、錆兎を睨む。
「お前は誰だ」
「驚かせ過ぎたみたいだな」
「お前は誰だと聞いている!」
「見てわからないのか、義勇」
見てわからないか。だと?どこからどう見ても錆兎そのものにしか見えないから困っているのだ。唯一あり得そうな鬼という可能性も自分たちが摘み取ったはずだ。残っているのであれば、それはそれで困るのだが。
目の前の錆兎はもう一度「未熟者!」と義勇に呼びかけた。
「男ならば、自分を信じたものを信じろ。
お前に殴られたところで、俺は既に死んでいるものだからな。死ぬことに二度も三度もないだろう。
実は俺もどうしてお前の前にいるのかさっぱりわからん」
肩の力が抜けそうになる返答に、けれどやはり警戒だけは緩めない。悪意のある罠としか思えないからだ。
硬直状態が続く中、頭上でカァアとカラスの鳴く声が聞こえた。
頭上を見上げると炭治郎の鴉がちょうど真上を旋回していた。
「竈門禰豆子ヨリ冨岡義勇二言伝ェ!
炭治郎ハ未ダ帰ラズ!善逸ハ今日モ付近ノ町ヘ聞キ取リヘ向カウ!」
進展なしの情報を鴉は義勇に伝え終わった後、近くの木の枝にとまると首を傾げた。何ヲヤッテイルと訊かれて、目の前にいる者が見えないのかと聞けば何も見えないと答えられた。
「鴉か」
錆兎は木の枝に留まる鴉を見て、目を細めた。先生のじゃないな、とぽつりと呟く。選抜で死んだ錆兎は自分の日輪刀を持っていないし、鎹烏も与えられなかった。
「お前の鴉か」
「俺のではない」
「では、炭治郎の鴉か」
錆兎の口から、炭治郎の名前が出てきたことに警戒を強める。錆兎は炭治郎に会ったことがないはず。ますます警戒を強めた義勇を見て錆兎は少し呆れた表情をした後、頭を掻く。
「お前の、その警戒心は当然のことだと思うが……一先ず安心しろ。
俺はお前の敵ではない」
「その証拠はあるのか」
「ない。だが、お前を謀る証拠も俺にはないはずだ」
「……」
確かに。義勇を謀るためとはいえ、錆兎を出すのはあまりにもわかりやすい罠だ。これが錆兎だというなら人の仕業ではない。鬼ではない、他の何かの仕業……そこまで考えて頭を振る。
「お前は結局誰なんだ」
「お前の同輩の錆兎で間違いはない。……だが、俺も何故こうなっているのかはわからない。
俺は死後、狭霧山を漂う霊体だった。それが気が付けば見知らぬ山にいる」
「お前にもわからないのか」
「わかっていたら苦労はしない」
それならそうと最初の問いに答えてくれればよいものを。睨みつけるようにじっと見つめると、錆兎は済んだ話は横に置いて、これからのことを決めようと話の主導権を握ってきた。
「炭治郎の鴉はいるのに、炭治郎はいないのか」
「行方不明だ」
「行方不明?」
ちらりと鴉を見ている錆兎に義勇はこくりと頷き、近くの岩場に二人揃って腰かけると今までの話をすべて錆兎に話した。正体不明の男ではあるが、確かに義勇の記憶にある錆兎そのものであるし、彼から悪意などは感じられなかった。無視をすることも一瞬考えたが、曲がりなりにも親友であった者の姿を前に無視することはできなかった。
ぽつりぽつりと省略しながら情報を出す義勇に錆兎は時々事の詳細を求め、事のすべてを錆兎が理解する頃には太陽はすっかり真上を通り過ぎていた。
「帰ってきた子供、消えた炭治郎、そして山神様、か……」
「ちょうどお前が現れた場所が社があったと思われる場所だ」
「そうなのか?」
錆兎とともに社があった場所を見る。そこにはただの大木と土くれしかない。入口こそ、苔むしてはいるものの朱色の鳥居が見えたくらいだが、ここには本当に何も残ってはいなかった。
「とても神様がいるとは思えないな」
「……錆兎」
不敬だ。と咎めるように名を呼んだが、義勇も心の中では錆兎と同じことを思っていた。うどん屋の店主の話では社の中にあった御神体はもう違う場所へ移されたらしいし、ここには神様も何もいないように思える。
「しかし、静かすぎるし、何もいなさすぎる。
動物がいないのも不思議じゃないか?」
錆兎の言葉に、そういえばあれだけ煩かった蝉の声が消えたのも不思議だった。この錆兎が原因なのではないかと思っていたのだが、本人はわからんと首を横に振った。
「だが、今のところ一番可能性が高いのは山神様だろうな」
「俺もそう思う」
「だが、歩いていたところでその山神様に会えるとも思えんな。
それにしても、鬼が片付いたら今度は神とは妙な厄介事によく見舞われるな?」
「俺ではない」
厄介事に首を突っ込んでいるのは炭治郎の方だ。そして、俺はただ炭治郎を連れ戻しに来ただけだ。鬼とか、神とか、そんなものは一切関係ない。
片眉を上げて、錆兎が意外そうな表情をするが気にせずに鴉の方を見上げた。炭治郎の鴉はまだいた。錆兎が見えていないらしいこの鴉には俺の言葉は大きな独り言に聞こえただろう。
「俺は今日も炭治郎を探す。何か分かり次第連絡をする。
禰豆子にもそう伝えてくれ」
鴉は義勇を見て、少しだけ戸惑うようにばさりと翼を広げては畳みを繰り返し、「無理スンナヨ」とそう言ってから空へと飛びあがった。
「お前のせいだ」
鴉に様子がおかしいと思われた原因である錆兎をじろりと見つめる。が、錆兎はあまり気にしていないように肩を竦めてみせた。偽物にしろ、幽霊にしろ、はた迷惑である。
「……お前は俺にしか見えないのか」
「かもしれんな。俺にはわからないが」
「村には行かない」
「ああ。俺は村には行かない。村でもこうして一人で話をしていたら不審な奴だと思われて、炭治郎の話も訊ねられなくなる。そうなれば本末転倒だろう
お前が俺の名を呼んだ時に俺はお前の近くへ行こう」
「俺の場所がわかるのか?」
「不思議とお前の周りだけ妙に明るく見える。声も他のよりもよく聞こえるようだ。
だから行こうと思えば行ける」
「そうか」
錆兎の言葉に一つ頷いてから、そういえば確認がまだだったなと近寄る。無言で立つ錆兎の肩に手を置こうとして、その手がすり抜けるのを見る。
「……日の下にも出るか?」
「いや、いい」
皮肉そうに笑ってる錆兎の頭上の木が風に揺れて日光が辺りを照らす。ほんの少しの光ですら、鬼は嫌うはず。ならばこれは鬼ではない。
「鬼ではないことはわかったか?」
「わかったが、正体が判明したわけではない」
「確かにな」
鬼ではない、だからといって味方と考えるのは早計だ。かといって錆兎に触れることができない以上、たとえ刀を今持っていたとしてもどうしようもなかっただろう。
一先ず、意思疎通ができるだけでも良しと考えるべきか。
「お前が村に行ってる間、俺はこの山で炭治郎を探しておこう」
「……」
お前が見つけたところで、炭治郎はお前に気づくのだろうか。
そもそも錆兎は炭治郎を何故知っているのか。
思い浮かびはしたものの、声には出さなかった。聞く必要がない。
無言で踵を返し、山を下る義勇の背に錆兎が「また後でな」と声を掛けてくる。その声が昔と本当に変わらなくて、その懐かしさに眉間に力を入れる。また後で、と言って本当にこいつは現れるのだろうか。いつかみたいに消えるのではないか。いや、消えればいい。
そうすればこの郷愁に似た感情を捨てることができる。
幽霊でも会いたいと願ったのはずっとずっと昔の事だ。今更そんな願いを、叶えてもらったところで……。
「願い?」
そこで気づいて後ろを振り返る。山のお社はもう見えない。いつの間にか消えていた蝉の煩さも戻っている。
山神様に心から祈ればその願いは叶う。
祈ったのは確かに炭治郎が見つかることだった。けれど、目の前に現れたのは錆兎。
ずっと昔に願ったことを今更山神が叶えてくれた?
「そんな、馬鹿な」
信じられない、という言葉が口から勝手に漏れ出る。けれど、この山神が自分の願いを叶えたのだという核心に近いものがあった。では心から自分は炭治郎に帰って来てほしいと願っていなかったからそれが叶わなかった?
否。それだけはあり得ない。
炭治郎も義勇にとっては大事な人に変わりはない。姉と錆兎と変わらぬくらいとても、とても大切な弟弟子だ。では願いが叶わないのは他に何か要因がある?
いや、やはりもう一度村に戻り、山神について調べるのが先か。
止めてしまっていた足を動かし、村へと急ぐようにして山を下った。
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