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短編

 その少年を見た時はっと息を呑んだ。
 夕暮れの市街地から少し離れた畦道に立つ一人の少年。
 赤い夕焼けの中で少年だけが眩しく見える。こちらを振り返った際にかちゃりと特徴的な耳飾りが揺れる音がした。夕焼けと同じ色をしたその瞳孔は縦に細長い。

―鬼だ。

 瞬時に刀を抜き、無防備に立つその少年の頸目掛けて一閃。間違いなく首を斬ったはずだった。抜き身の刃を構えたまま、少年が立っていた場所を見ると彼は不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
 黒髪が夕暮れに照らされてめらめらと燃えているようにも見える。
 夕暮れに照らされて?はっと鬼を見る。
 少年は首筋に浮かぶ直線の赤い跡をすっと撫でると、その傷跡は綺麗さっぱり消え去っている。やはり少年は鬼で間違いなさそうだ。しかし。
「お前、太陽の下を歩けるのか」
「え?はい。まぁ、そうですね」
 夕暮れ時とはいえまだ太陽の日差しが残る中、少年は何ともなさそうに答えた。刀で斬られた首を擦りながら、彼は抜き身の刀を持っている俺の方を見て申し訳なさそうに眉を下げた。
「えっと、貴方は鬼狩り様でしょうか」
「……」
 鬼に何故こちらの情報を教えなければならないのか。黙って少年を見つめる。どこをどう見ても隙だらけで、こちらに向ける悪意や敵意はないように見える。だが、鬼は巧みに人を騙す。こちらを油断させようという魂胆だろうか。
 周囲に気を配ってみるも、罠や血気術の気配はしない。
「あ、すみません。名乗るのであればまずは自分からですよね。
 俺はかま」
 喋り続けるその頸をもう一度刎ねる。すっと刃が頸に間違いなく、通るのを見る。しかし、斬った先から肉が再生しているのか、切り口が見えない。ならばと頸を斬り飛ばす勢いでもう一度。
 ぐっと手に力を込め、斬り返す。少年は何もしない。痛いとも悲鳴も上げずただその場に立っているだけだった。血がびしゃりと地面に飛び散る。何度も切りつけたし、頸も飛ばしたし、腕も足も斬り落としたはずだった。
 しかし何故か少年はその場に立ったままだった。
 幻覚でもなく、斬った感触もあれば、血だって乾くことなく地面に流れ出ている。衣服も至る所切れているし、赤く染まっているから間違いない。普通の鬼であればとっくに死んでいる。
 なのにこいつはまだ生きている。
 困ったような表情で、落胆しているような情けない顔をしながらこちらを見ている。こほりと喉に溜まったらしい血を吐き出す。
「……すみません」
 もう一度少年はこちらを見て謝る。刀はまだ握ったままだが、それでもこの鬼は斬られている間ただの一度も抵抗しなかった。油断はできないけれども、どこか様子の可笑しい鬼にこちらの手は尽くし終えたのだ。
 藤の毒があればこいつに効くのだろうか。
 毒を用意するとして、その場までこの鬼をこの場に留まらせることはできるのか。
 否。留まらせるしかない。時間を稼ぐ。一瞬でそこまで考えて、頭が痛くなった。
 人と話すことは好きだが、自分から長々と話すことはあまり好きではない。しかも鬼とだなんて何を話せばいいのか。もしこの少年が不幸な身の上を話したら可哀想だとかそう思ってしまうのではないか。
 刀を抜いたまま、目の前の少年をじっと見つめていると少年がまたあの、と声を掛けてきた。
「鬼狩り様、なんですよね?」
「そうだ」
 今更隠すようなものでもない。話すのは得意ではなくても今必要なのは時間稼ぎ。ならば嫌でも適当な話をして時間を潰した方がいい。そう思って、答えただけだった。
 しかし、その言葉に少年は少しだけ嬉しそうな顔をする。良かったと安堵の声を漏らす少年に刀をぐっと握る。
 ようやく襲い掛かって来るのか。やはり話で時間稼ぎなど無駄なことかと思った時、予想外の言葉が返ってきた。
「俺と恋っぽいことしてくれませんか?」
 なんで?
 握った刀の手が緩んだが、少年はにこにこと笑ったままでその姿はやはり最初に出会った時と変わらず無防備のままだった。

 完全に陽がくれて、近くの雑木林で二人手頃な石の上に座ると少年は竈門炭治郎だと自分の名を名乗った。曰く、炭焼きを生業に過ごしていたが、鬼に襲われて気が付けば鬼になっていたのだと話した。自分以外の家族はすでに亡く、泣きながらその屍を弔ったのだと。自分が鬼になっていることに気づいたのは家族を弔った後、一日かけて身体を動かしたというのに食事も睡眠もとっていないこと。それに加えて爪が長く、歯が一部鋭くなっていることに気づいたのだという。
「試しに手を木の枝で切ってみたらあっという間に傷が塞がるので、これはもううちの家族を殺したあの男と同じものになってしまったに違いないと。
 何が悲しくてあんな奴の同類なんかにと思ったので自分でも考えられる限りの方法を試してみたんですよ。首を吊ったり、溺死とか、焼いてみたりとか。一瞬苦しいには苦しいんですけど、でも気が付くと俺生きてるんですよねぇ。
 なので、人里に降りて話を聞いていたところ鬼狩り様っていう鬼を殺す人がいるって聞きまして。なのでさくっと殺して貰えないかなって思ったんです」
 まぁ、無理だったんですけど。
 よくもまぁにこにこと少年は己のことを話すものだと感心した。少年の話が本当なのであれば、隙だらけで無防備でいるのも納得できた。それにしても頸を斬っても死なない点にはおかしいのだが。
「お前日光の下にいても平気なのか」
「大丈夫ですよ。
 家族のお墓作ってる時になんかぴりって感じしましたけど、それ以降は特に問題なく」
 日光の下に出ても平然としていられるというのも不思議なのだが。
 規格外の鬼にどうしたことかとため息を吐くと、少年がすみませんと謝る。これで三度目だ。
 じろりと少年を睨めば申し訳なさそうにするのが、こちらの調子を狂わす。間違いなくこれは鬼だというのに、この少年は今まであった鬼のどれとも違っていた。
「それで、ですね。
 どうして俺は死ねないんだろうって思ってたんですけど、俺達の家族を殺した男が言ってたんですよ。
 『忌々しい奴め。大切なものに殺され絶望するがいい』って。他にもなんか言ってた気がしますけど、覚えてるのはそれくらいで。
 だから俺思ったんです。大切な人になら俺は殺されることができるんじゃないかって」
「それで、恋か」
「はい!その通りです!」
 ぎゅっと握りこぶしを作り、少年が力説する。それが駄目でも、鬼狩り様のところにいたらいつかすぽーんって死ぬかもしれないじゃないですかと言う少年の瞳は曇りがない。どうやら本当にそう信じているらしい。
「死にたいのか」
「はい!」
 元気よく即答する姿は鬼でなければ、好ましいと思っていただろう。だが鬼であるという点と彼の後ろ向きな望みも相まって、これはどうしたら良いのかと悩んでしまう。
 いや、彼の望みは叶えるべきなのだろう。鬼殺隊にとってもそれは正しいものだ。
 けれどこうもきらきらした笑顔で死にたいと言われると、これは人のあるべき姿としてどうなのかと思ってしまう。
「お前は生きたくはないのか」
「特には。家族が俺にとっては生き甲斐だったので。……みんながいない世界は寂しいですから」
 人間だったらまだ泥水啜ってでも生きようと思ったかもしれませんが、鬼になってしまいましたからね。なんて軽い調子で笑う。
「あの、それで良いでしょうか」
「何がだ」
「恋っぽいことです」
 先ほどまでの元気の良さはどこにいったのやら。視線を申し訳なさそうに足元にやり、指で服の裾を折って伸ばしたりを繰り返している。
 ただ恋をするのであれば他の奴らに任せるのが一番だ。だから断るのがここは正しい。けれど、こいつは鬼だ。首を斬る条件が恋をした奴にしかこいつを斬れないというのであれば、やるしかない。
 無理だったらその時はその時で他の奴らに任せればいい。これだけ無防備な状態であれば癸の隊士でも頸を斬れるのではないか。
「わかった」
「本当ですか!良かったぁ」
 ほっと安心した表情を見せる少年、いやそろそろ竈門と言うべきか。恋というのはよくわからないが、彼の好きなようにさせてみよう。それでこの鬼が殺せるならその方がいい。
「それで俺はどうすればいい」
「えーっと手を繋いだりとかですかね」
「……」
「あ、いきなり手を繋ぐのはまずかったですかね?」
「いや」
 恋、というのはわからないけれども手を繋ぐことは恋に近しいことなのか?
 手を繋ぐだけで恋に落ちるのであれば、世の中はもっとそういう人たちで溢れていると思う。
 だが、きゃあきゃあと若い女性の同僚が何かしらと騒いでいる姿を見ていると手を繋ぐという行為だけでも一種の恋に当たるのではないかと思い直す。手を繋ぐだけで鬼の頸を取れるのであれば容易いもの。
 手を竈門の方へと差し出せばおずおずと自分のより小さな、あかぎれだらけの手がそっとのせられる。その手をぎゅっと握ってみる。一秒、二秒と心の中で数を数えて、それが三十を超えた頃に訊ねてみた。
「どうだ?」
「恋……って感じしませんね」
 どちらかといえば罪人が逃げないように捕まえられてるって感じです!
 はきはきと正直に答える竈門に俺も同じだと頷いた。恋とは程遠いし、欠片もそれらしい感情が湧き起こらない。
 無理なのでは。
「あ、諦めるのは早いです!
 試しにこの状態で俺の頸斬ってみませんか?!」
 そう乞われて仕方なく刀を振るってみたものもやはり鬼を殺すことはできない。
 おかしいなぁと竈門が頸を傾げる中、その胸に見慣れた細い刀が突き刺さる。
「冨岡さんでも殺せない鬼がいたんですねぇ」
 月明かりに蝶の髪飾りが反射する。にこりと笑みを浮かべた同僚は刀を突きさされた鬼を見て、可哀想に今楽にしてあげますからねと優しい声で話しかける。
「あ、ありがとうございます!よろしくお願いします!」
「はい?」
 想像していた反応とは真逆のものが返って来てさすがの同僚も動揺したようだ。同僚の刀は特別製でその刀を突きさした相手に毒が回るよう細工してあるはず。だというのに竈門は刀が刺されたままぴんぴんとしている。
「なかなか、死なないですね」
 気まずそうに竈門が言うのに、同僚は更に笑みを深くする。
「おかしいですね。他の毒を試しても?」
「はい!よろしくお願いします!」
 同僚が刀を引き抜き、では遠慮なくと心臓、頸、目とぐさぐさと刀を身体に突き刺していく。けれど竈門に毒は効かないようだ。同僚は困った顔をしてどうしましょうと俺の背を突く。
「なんでこの子、無防備にされるがままになってるんですか?」
「死にたいそうだ」
「家族を殺した奴と同類にはなりたくないので一思いに殺してください!」
 俺と竈門の顔を見比べた後、同僚が深く、深く息を吐く。疲れたと言わんばかりの表情をしてあのですねと呟くように言う。
「死にたいなら勝手に死ねばいいじゃないですか。
 日光に当たれば塵になるんじゃないですか?」
「鬼って日光に当たれば死ぬんですか?」
「胡蝶、こいつ夕暮れだったが陽の下にいても塵にならなかった」
「冨岡さん、それは手紙に書いておいてください」
「頸を斬り飛ばしてもしななかった」
「それも、書いておいてください」
 毒薬を持てるだけ持って来い、って文面だけでは伝わりませんよと胡蝶はこめかみを揉んだ後、竈門に向き合った。衣服がボロボロでそこかしこが血で汚れていることから俺の言う事が真実だと判断したのだろう。どうしたものでしょうと愚痴を零す。
「これ、殺せる人います?」
「知らん」
「あ、ちなみに溺死、焼死、絞殺は試し済です!」
「申告ありがとうございます」
 竈門の正直すぎる言葉と抵抗しない様子にさすがの胡蝶もこれは厄介だと思い始めたらしい。
「ちなみに君、人を食べたことは?」
「?ないです」
「食事は?」
「一か月何も口にしてないですが餓死はできなさそうです。睡眠も不要みたいです」
「なるほど。なるほど。そうなんですね」
 うんうんと頷く胡蝶の顔には困惑だけが浮かんでいる。
 どうすればいいのか。いっそのこと他の鬼に食わせればいいのか。でも他の鬼がこれと同じになっても困る。手足を千切って別々の場所にそれぞれ埋めればいいのか。色々と胡蝶と話しながら試してみるも結果はすべて失敗だ。
 足を切って埋めても竈門の身体からは斬った傍から新しい足が生えているし、縄でどこかの石に括りつけたところで竈門が死ぬわけでもない。胡蝶が持ってきた毒薬を飲んで貰って試しているがどれもこれも効果がない。
 そうこうしている間に朝がやってきて、その朝日が竈門を照らしても塵にならないことを見ると胡蝶が盛大にため息を吐いた。
「やっぱり、竈門くん殺せないんじゃないでしょうか」
 胡蝶は素直に毒を飲み続ける竈門に絆されたのか、いつの間にか竈門くんと苗字で呼んでいた。胡蝶のため息に竈門がそれでは困ります!と声を上げる。
「俺は一刻も早く家族の元へ行きたいんです!」
「とは言ってもですね……」
 恋っぽいことをすれば殺せるようになるかもという話はすでに説明済みだ。非科学的だと胡蝶は言いながらも試すのであればご勝手にどうぞと流している。それを試す気は胡蝶にはないようだ。
「とりあえず、この件はお館様に報告しましょう。
 鬼となった人はどんな事情があれ、すべて殺す決まりです」
「致し方無い」
「とはいえ、竈門くんも可哀想ですからね。
 鬼になったとはいえ、人を食べてもなければ危害を加えることも一度もなし……というより進んで頸を差し出したり、人助けをしているようですから。個人的にはあまり苦しまないようにしてあげたいです」
 鬼殺隊の使命とはいえ、無意味に鬼を痛めつける趣味はない。それがまだ罪を犯していない鬼となるとなるべく安らかで痛みのない方法で殺してあげたいと思う。
「お二人とも優しいですね」
 そんなことを話す俺達を見て竈門は嬉しそうにそう言う。その言葉が皮肉ではなく本心で言ってるからこそ性質が悪いと胡蝶が苦笑いを浮かべる。
 本当に優しい人なら、そもそも何の罪を犯していないこの子を殺そうだなんて言わないでしょうに。
 ぼそりと呟いた声は竈門には届かず、俺にだけ届く。苦笑いを浮かべる胡蝶の冷ややかな目が俺を刺す。優しくない俺達は竈門を殺す。その覚悟は揺らいでませんよね?と問いかける視線に静かに頷く。
 今、無害であるうちにこの子を家族の元へ送ってやるのが一番いい。
「では、しばらくは冨岡さんの屋敷で竈門くんを預かってください。
 うちには他の子もたくさんいますので。
 ほら、恋っぽいことするには冨岡さんでは役不足かもしれませんが、そもそも確証もありませんから。
 ひとまず毎日話し合いでもして、毎朝頸を斬ってもらうというのはいかがでしょうか」
「それは名案ですね!」
 ちょっと待てと制止するよりも竈門から喜ぶ声が聞こえた。確かに竈門を放っておくことはできないが、何故俺の家に。今回ばかりは嫌だという気持ちがすぐに胡蝶に伝わったようで、人差し指を振りながら彼女は愉快そうに説明する。
「いいですか、冨岡さん。
 他の柱に竈門君を預けるとしましょう。竈門くんの早く死んで家族へ行きたいという願いを他の人は叶えてくれるでしょうか?
 甘露寺さんみたいな優しい方であれば叶えようとしてくれるかもしれませんが、同情する可能性もあります。煉獄さんはそこを汲んでくれるかもしれませんが……竈門くんを預かるには他のご家族がいますし。
 時透くんはあんな調子ですので竈門くんを任せるのは不安です。消去法ですよ。正直冨岡さんでも不安は残りますが、他の人に比べるとほんの少しだけましってだけですので」
「……」
 それでも納得いかないと黙っていれば、竈門がすみませんと謝った。四度目だ。
「俺、自分勝手なお願いをしてました。
 そのお二人は親身になって俺の願いを叶えようとしてくれていたのに。俺は自分のことばかりで、すみませんでした。あの、先ほどの話はやはりなかったことにしてください」
「ですが、それでは君はどうするんですか?」
「死にはしないですけど、岩に身体を括りつけて海にでも沈んでいようかと。
 そうすれば少なくとも人に危害とか与えないでしょうし」
 息はできなくて苦しいかもしれませんが、まぁそれくらい長男なので我慢できますと笑う竈門に俺も胡蝶も気まずそうに顔を見合わせた。
「わかった。竈門は俺の屋敷で預かる」
「助かります。さすがに竈門君を生きたまま海に沈めるのは夢見が悪くなりそうなので」
「そんな!無理にお気遣いしていただかなくても大丈夫です!」
「いえ、気にします」
 鬼畜、外道と罵られる覚悟はしているがそれとこれとは全く意味が違う。
 胡蝶は得意な口八丁手八丁で今の竈門がもし鬼に食われることがあれば、奴らが今よりも凶悪な存在になってしまうかもしれない。通常の鬼は頸を斬るか、日光に当てなければしなないこと、海の中では鬼が来る可能性もあることを言葉巧みに説明し、鬼を倒せる組織、鬼殺隊にいればいいと説得する。それにいつか必ず君の願いを叶えて見せますと熱く演技する胡蝶を竈門は信じ、涙ながらによろしくお願いしますとその手に縋った。
「では、お願いしますね。冨岡さん」
 先ほどまでの熱弁はどこへやら。胡蝶は竈門の説得が済むとお館様への報告は私がしときますのでとさっさと一人で帰ってしまった。置いていかれた俺は隣に立つ、何故かやる気に満ち溢れた竈門を見る。
「……まずは着替えを用意する」
 どうして。何故。と胸の内に渦巻く不快感をひと先ず腹の奥底へと沈め、ボロボロで血で固まる衣服をまずどうにかしなければと考える。
 朝日が昇り、暗がりでは気づけなかったが辺りは凄惨な殺人事件場のように血があたりに飛び交っている。
 竈門の身体に傷はないとはいえ、衣服の血の汚れから本人が怪我したのではと思うほどの惨状だ。このままの姿で道端を歩かせるわけにはいかない。
「はい!わかりました!」
 威勢の良い返事に耳を塞ぎたくなる。しかし、彼はその声の大きさに気づく事無く、無邪気ににこにこと笑っている。手を強く握りしめるそれを見て、目を逸らす。
 ただ一つ、深い深いため息を吐く。厄介な事に巻き込まれてしまった。

◇ ◇ ◇

 鬼の少年を屋敷に連れ帰った話は瞬く間に鬼殺隊のすべての隊士に伝わることとなった。お館様は順繰りに柱を寄越し、本当に殺せないのか試して欲しいと伝えた。できるだけ、苦しまないであげて欲しいお館様の慈悲の言葉は一部の柱には適用されなかったが、それでも竈門は死ななかった。
 従順に頸を差し出す態度にある柱はこの鬼は他のと少し違うのではと反応を示し、死なないのであればどこか日光の当たる場所にでもずっと置いておけと。毒を喰わせて鬼にも食えないようにすればいいんじゃないかとかそんなことを言う奴もいたが、それは名案ですねと竈門が言うから鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして黙った。
 しかも次の日にはそれを実践していた。ぱくぱくと藤を食べ、味も何もしないですねぇと言う姿には絶句し、どうすればいいと胡蝶に手紙を書き、何故そんな勝手な事をするのかと怒られた。
 柱たちが揃いも揃ってこいつを殺すのは無理だと匙を投げ、とにかくこいつを鬼に食わせることだけは阻止せねばという方針に決まった。
 竈門の預かりは最初にこれを拾ったものが責任を持て、ということでずっと千年竹林にある屋敷の一番よく陽の当たる部屋が竈門の部屋となっている。
「今日はいい天気ですねぇ」
 勝手に人の衣服を洗い、物干し竿に少ない衣服を干す姿は鬼とは思えないくらいに普通の少年だ。そんなことをしなくてもいいと文句を言った所で変な所で頑固な少年はお世話になっているのだからと洗濯や掃除、食事といった家のことをしようとする。
 曰く、身体を動かしてないと気が済まないのだそうだ。
 勝手に外に出歩かれるのは困るので、仕方なく家の中にいるのであれば好きにしろと言えばその言葉通りに好き勝手をしている。
 屋敷に出入りしている手伝いの者ともいつの間にか打ち明けて、作ったお惣菜をお互いに送り合っている仲になっている。勝手に親睦を深めるなとは言わないが、それはそれでどうなのだろう。
 夜間の見回りを終え、家に帰ってひと眠りした後に竈門が用意した遅めの食事を取る。もはや何も言う気もせず、言った覚えのない好物の鮭大根が出てきたことにすら無関心になってひたすら箸を進めた。食事が不味かったら、文句も言えただろうに。何故かご飯は食べられないという竈門の作る料理は美味い。
「おかわりいりますか?」
 空になった湯飲みに煎茶を注ぐ竈門にいいと一言答える。必要ないの意味だと正しくその言葉を受け取った竈門はわかりましたと言って急須を手に厨へと戻っていく。
 二人で過ごす日常は数か月で慣れた。頑固ではあるものの、気配りはできる竈門は一緒に暮らす相手としては楽だった。こちらに要求してくることもそこまで多くないし、俺が疲れていると知れば一人にしておいてくれる。
 鬼であることさえ除けば彼はお人好しが過ぎる少年であった。人里から離れた山奥で暮らしていて、恐らくとても良い親御に育てられたのだろう。田舎で付き合う人もそう多くないせいで悪人らしい悪人に出会うこともなかったせいで珍しいまでにまっすぐに育ってきたのだ。
「……今日も試すか?」
「はい!よろしくお願いします!」
 日課のようになってしまった彼の頸を斬り落とす作業。庭で立つ少年の頸に向かって刀を振り抜く。びしゃりと血が地面につくのを見ながら、竈門を見返す。頸がついたままだ。
「駄目でしたね」
 残念そうに言う少年にそうだなと頷く。
 恋っぽいことしませんか。と言われてわかったとそれに答えた後にしたことといえば話し合うことと、たまに手を繋ぐくらいである。それ以上のことはしたことがない。
「手を繋ぐだけじゃ駄目なんですかね……」
 田舎暮らしの世間を知らぬ少年のいう恋という言葉に対する認識の質は高くない。男女の付き合いだってそういうのは破廉恥だと人目を忍んで行われるのだ。齢何歳か知らないが見た目通りであればまだ13、14くらいの少年がそれを知るはずもないだろう。
 それに田舎であれば一回の見合いでその次には結婚なんてざらである。
 一切進展がないことを憂いているのは別に竈門だけではない。仕方ない。
 きゃあきゃあと楽しそうにはしゃぎ、表情をくるくると変える可愛らしい同僚の女子に恋とは何たるかを聞いてみようと考える。他の同僚は恐らく当てにならないだろうし、彼女であればまだ真剣にこちらを考えてくれるだろう。
「他の者に話を聞いてみる」
「いいんですか?」
「構わない」
 鬼を殺すことためならば手段は厭わない。他にもっと適切な人がいれば、と思わなくもないが。恋なんてそう簡単に落ちるものでもないだろう。
 血みどろの地面と衣服を片付け、刀を拭い終わった後に二人して縁側で腰をかける。今日も駄目だったと縁側で休みながら八つ時を過ごすのも今となっては習慣となってしまっている。
 この屋敷に食料を運んできてくれる人から最近菓子を貰うらしく、今日のはどこぞの蒸し饅頭だとお盆に乗った白い饅頭を緑茶と一緒に出される。
「ちなみに鬼狩り様としては恋っぽいことってなんだと思いますか?」
「……」
 接吻とかじゃないのか、と言いかけた言葉を飲み込む。それを言えば試しにやってみませんかと言う竈門の姿が簡単に思い浮かんだ。それはそう簡単にするものではない。
 昨今の流行りでは一目惚れ、駆け落ち、純愛を謳いながらも大体は悲恋や不倫などの話が多い。あれを今時の女子は好んで読んでいるのか。姉もあれを好きだったのだろうかと遠く空を見ながら思いふける。
「鬼狩り様」
 袖を引っ張られたことで体よく聞こえなかったフリをしようとしたことは無駄になる。困り顔で俺の服の袖を遠慮がちに引っ張った張本人を見て、さてどうしたものかと考える。
 少しぐらい踏み込んでも許されるのだろうか。
「その鬼狩り様というのは止めろ」
「鬼狩り様って呼ぶのをですか?」
「そうだ。
 俺には冨岡義勇、という名がある」
 すでに一緒に暮らして二か月は立っているのだ。こちらの名前を竈門も知っているはず。なのにずっと彼は鬼狩り様、鬼狩り様と名前ではなくそう呼ぶのだ。確かに鬼狩りではあるがそれは自分の名ではない。
 内心、そう呼ばれるのに複雑な心境ではあったが甘んじてそれを受け入れていた。ただ、恋に対して思い浮かぶ安直なものがなかったのでそれにした。
「冨岡様?」
「様は不要」
 過度に敬われるのは好きではないと言えば、冨岡さんと言い直した。こくりと頷くと竈門は嬉しそうに何度も冨岡さん、冨岡さんと名前を口に馴染ませるように呼ぶ。
「なるほど。名前で呼ぶと今よりもぐぐっと親密になった気がしますね!
 頸斬りますか?」
「斬らない」
 今ならいけそうな気がしますとはしゃぐ子供の頭を叩く。今日の分は仕舞いだと言えばはーいと間延びした軽い返事をした後、竈門は夕飯の下拵えをしてきますねと縁側から立ち上がる。
 厨の方からかちゃかちゃと聞こえる物音に耳を澄ませながら目を閉じる。
 鬼との生活にここまで慣れるつもりはなかった。自分は無理でも同僚の誰かが頸をあっさり斬ってくれるのではないだろうかと願っていた。けれど予想は外れ、結果毎日彼の頸を斬り続けている。
 彼の頸を斬り終わる日課が終わった後、ほっと息を吐く。

 彼の頸が繋がっていることに安堵していることを彼には知られてはいけない。

 恋っぽいことしてみませんか、という言葉には本当に恋をしましょうという意味はない。手っ取り早く竈門が相手を大切だと認識するために恋をさせてくれと言うのだ。竈門が相手を大切だと認識するなら、その思いが一方通行でいい。むしろ、通じ合ってしまえば、相手がその情の故に殺すのを厭う可能性がある。
 それを考えると鬼狩りは竈門にとってとても体の良い相手なのだろう。彼らは鬼を憎んでいるし、殺す技術も持っている。鬼である自分を好きになることもない。どちらにとっても良い関係だと。
 そこに一つの誤算があることを彼はまだ知らない。
 鬼殺隊だって人である。たとえ憎き鬼であろうと、それが善良で罪のない鬼であるならば好きになることはある。
 最初は一目惚れだった。夕焼けに立つ少年が綺麗に見えた。鬼だと知って瞬時に気持ちを切り替え、殺さねばならないと決意した。その固い決意はこの二か月の生活でぐずぐずに煮崩れてしまった。
 正直で、何事にも真面目に取り組む姿は鬼であったとしても好ましい。胡蝶や他の同僚も気に掛けるくらいなのだ。今時あれだけ真っ正直に生きてる天然記念物は初めてだと笑う同僚もいた。もし人間であれば剣士としてうちの継子として面倒見たかったという奴もいた。
 人間であれば。同じ鬼殺隊として今頃共に任務に行くこともあったのだろうか。
 人間であれば。それでも変わらぬ優しさで鬼と向かい合っていたかもしれない。
 人間であれば。もっと多くの人たちに囲まれて笑って過ごしていただろう。
 人間であれば。人間であれば。人間であれば。
 殺してくれなんて、あの子も言わなかっただろう。
 頸に刃を振るう直前、いつもあの子は両手をぎゅっと握り締めている。本当は怖いのだろう。苦しいだろう。痛いだろう。なのに彼は仕方がないと笑う。鬼にはなりたくない。早く家族の元にいきたい。そんな彼の小さな願いを自分は叶えることができない。
 頸を斬り落とした後、彼の頸が元通りになっていることに安堵している自分がいる。今日も彼は生きている。まだこの生活は終わらない。
 同時に酷く自分を嫌悪する。鬼を殺せない自分が。彼の願いを叶えられない未熟な自分が酷く汚いものに思える。
 それだけではない。
 彼が生きたいと願わないことに憤っている自分がいる。何故、生に執着しない。謝るのはどうしてだ。お前は何も悪くないだろう。
 彼を怒る資格は自分にはない。
 自分はすでに恋に落ちているのだから、こうして何気ない日常を過ごすだけでも幸せなのだ。彼が苦しむ裏で俺は幸せになっている。この時がずっとずっと続けばいいと願ってしまう。
 目を合わせて微笑むのも、手を取り合って繋ぐのも、それだけで十分なくらい幸せなのだ。
 けれど竈門がもし俺に恋をしてくれたならその時は彼の頸をこの刃が斬り落とすのだ。両想いの成就は、彼の死によって果たされる。
 これが呪いだというなら、なんて酷い呪いなのか。この呪いが解ければ彼は幸福に、そして自分はそれとは正反対の地獄へとそれぞれ落ちるのだ。これでは誰が呪われているのかわからない。
 目を開けて、ふかふかの白い蒸し饅頭を手に取る。ぱくりとそれを一口食べる。
 甘味の少ないただふわふわの生地を中にはずしりとした重いこし餡の塊が詰め込まれている。ただただ甘いそれは甘味好きであれば喜んだだろうが、自分には少し甘すぎる。
 緑茶で甘いそれを喉奥へと押し流す。程よく苦みの効いた緑茶は確かにこの蒸し饅頭には良い塩梅である。これもきっと竈門が気を利かせて少し苦めに用意してくれたのだろう。
 その気配りが少しだけ憎らしい。
 ふつふつと腹の底に溜まる怒りは何かの切っ掛けさえあれば爆発する。それほどまでのものになっている。
 もし。万が一。その切っ掛けになるようなことが起きたのなら。
 頭にぎる考えを振り払うかのように饅頭を口いっぱいに頬張る。甘すぎる。緑茶を飲み込み、息を吐く。
「あらら、冨岡さん。お口の周り、餡子がついてますよ」
 都合が悪いタイミングでいつもこいつは現れる。良いと言っているのに指を伸ばして頬についた餡子を取る。幼い子供の世話をするように仕方がないですねぇと微笑む竈門は優しさに満ち溢れている。彼の指先が触れた頬が熱を持つ。
「お茶、もう一杯入りますか?」
「……頼む」
 さっさと俺に恋をしてくれ。俺が狂ってしまう前に。
 口に出さない願いは伝わらず、すぐに入れてきますとお盆を持って去っていく竈門を見送る。その姿が見えなくなったのを確認してから近くに置いてあった手拭いを取ると井戸の水を汲み、冷たい水で浸した手拭いで顔を拭く。
 頬の熱を冷めたけれど、じりりと焦げ付いた腹の底の熱までは取れず。
 明日もまた今日と同じ日が続けば良いと願う事だけは止められなかった。
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