このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

山姥堀

 帰らない、と最初に駄々をこねたのは僕の方だった。だって、新選組の刀の誰も僕の事を覚えていない。堀川国広、その刀が和泉守兼定の相棒で助手であったことを覚えていないのだ。
 僕の物語。僕の縁。その何もかもがない場所でどんな顔をして生きていけばいいのかわからなかった。
 和泉守兼定が顕現して僕の名前を聞いても知らないと首を振ったのを見て、ああやっぱりと一縷の望みもなく消え去ったのに酷く落胆して狼狽えて気が付けば本丸を飛び出していた。
 僕が新選組の刀ではなかったという兆候は大和守と加州と出会った時に既に感じていた。僕が久しぶりだと彼らに挨拶しても彼は首を傾げるだけで、土方の刀を覚えているかと聞いてみたところ和泉守兼定は覚えていたけれど、脇差は覚えていなかった。けれど、もし和泉守が覚えていれば、いや和泉守さえ覚えていてくれればいい。でも、もし彼が覚えていなかったら。
 僕は我が身可愛さに彼の前に出ることはできなかった。代わりに短刀の子に土方歳三の持っていた脇差について覚えているか聞いてもらうことにした。その結果があれだ。
 本丸を飛び出して無我夢中に走って、足がもつれて、地面に倒れ込んだまま泣いた。立ち上がろうとしたが倒れた時にどこか足を怪我したらしく仕方がないので座り込んで泣き続けた。そのまましばらく泣いていると堀川、と呼ぶ声が聞こえた。
「帰ろう」
 その言葉にふるふると頭を横に振った。まだ頭は混乱している。正常な判断ができない。ただ感情のままに帰るのは嫌だと駄々をこねた。先に帰っていて。一人にして欲しい。そう言った気もする。
 彼はその場で困ったように立ち尽くして、堀川が帰らないならと僕の横に座った。
 この本丸で出会った堀川国広が打った最高傑作の刀、山姥切国広は僕とほぼ同時期に顕現した刀だ。山姥切は自身が写しであることを卑下していたが、堀川国広の最高傑作であることを誇っていた。片や堀川国広は真贋も不明で、ただ前の主の元そう呼ばれていただけの刀だ。名前は堀川にとってはどうでも良かった。和泉守の相棒であったことが堀川にとっては重要なことだった。
 けれど、それも無くなってしまった。
 堀川を知らぬ和泉守の前で僕は貴方の助手で相棒です、と厚顔無恥にいけしゃあしゃあと言える勇気などない。かくなる上は本丸に戻ったら主に刀解を申し出るつもりだ。ここまで育ててもらった恩を仇で返すことはしたくなかったが、今後も刀として戦えるかどうか堀川には自信がなかった。
 ただ今は感情のままに泣いていたい。
 陽が暮れるまで泣き続けても山姥切は隣に座ったままだった。涙が枯れる頃にはようやく落ち着いて気持ちもすっきりした。山姥切の方を見ると彼は心配そうにこちらを見ていた。
「気が済んだか」
「うん。泣いてすっきりした。もう大丈夫。兼さん……いや和泉守さんに覚えて貰えてなかったのは悲しかったけど、仕方ないよね。長い間一緒にいたような気がしたけど、そんなことなかったのかも。
 山姥切もこんな遅くまで僕に付き合わなくても良かったのに」
「放っておくのは良くないと思った。主もよく子ども一人で夜に外を出歩くのは良くないと言っていた」
「僕、これでも神様だよ。まぁ、物語も本当ではなかったわけだから、空っぽな神様かな。空っぽって口にするとあんまり強そうには思えないね」
 山姥切が柳眉を歪めて僕を見る。何を言ってるんだというような表情だ。それがおかしくてふふ、と僕は笑う。彼を心配する役目は僕だった。写しだと自分を卑下する山姥切に僕が散々君は最高傑作だよ、真作なんだよと褒め称えていたが、そんな彼も本物の兄弟が来て大分精神が安定するようになった。心配することはあれど、される側になるとは最初は露ほど思ってもいなかったなぁと思う。
 立ち上がって、ズボンについた泥を落とす。まだ足はじくじくと少し痛んだし、ズボンもドロドロではあったが、どうせ刀解してもらう身だ。本丸まで歩ければいいし、服だって多少汚れていても問題はないだろう。
 未だ訝しむように僕を見る山姥切の背を押して本丸へ帰る道を歩く。彼の汚れた白い布についた泥も振り払いながら歩く。
「堀川、これからどうする?」
「本丸に戻ったら主さんに刀解を頼むよ。他の誰も僕の事を覚えてないんだもの。だから僕が持ってるこの記憶はもしかしたら間違ってるのかもしれない。歴史修正者側の問題かどうかはわからないけれど、本当に存在しないならきっとない方がいいはずだ」
 僕の前を歩く山姥切が振り返らずに言うのに僕はすらすらと胸の内を正直に打ち明けた。若干早口になってしまったが、言葉にすることで大分頭がすっきりした気がする。だけど、山姥切は間髪入れず「ふざけるな」と返された。
「山姥切、僕は真剣だよ。ふざけてない」
「ふざけるな」
「本気だって」
「ふざけるな」
 山姥切が足を止める。本丸に帰ろうと言ったのは山姥切なのに。山姥切の前に回ってその白い布に隠れた顔を覗き込もうとするのその頭を叩かれた。痛い。
「ふざけるな。お前は堀川国広だろう」
「うん、そう呼ばれてたね。でも違うのかも」
「お前は堀川国広だ」
「確かな証拠は何一つもないよ」
「それでもお前は堀川国広だろう」
 山姥切の言いたいことがわからなくて僕は首を傾げる。元々堀川国広という名前に対してそこまで思い入れはない。自分の記憶では、前の主は使える斬れる刀でかつ、美しければ何でもよいという理由で僕を使っていた。堀川国広という名前で呼んでいたのも名刀であれば箔がつくと思ったからかもしれない。真作だろうと贋作だろうと僕にはどうでもいい、とそう思っているのはその記憶があるからだ。なんだったら捨ててもいいと思っている名前だ。あれとかそれとか名前以外で呼んでもらった方が落ち着くかもしれない。
「名前なんてどうでもいいんだよ。僕は僕だ」
「そうだ。お前はお前だ」
「うん。僕の記憶が確かな歴史とは言えない以上、本物かどうかわからない名前は使わない方がいい。だから僕のことはこれから適当にそれとか、脇差とかって呼んでくれれば…」
「ふざけるな」
 またもや頭を叩かれる。叩かれた頭を手で押さえながら、恐る恐る山姥切の顔を今度こそ仰ぎ見てみれば、冷たい視線が突き刺さった。絶対零度のような冷たい眼差しに深くて長いため息もオプションとして付け加えられる。
 なんでこんなにも冷たい視線を受けなければいけないのか意味が分からない。
「堀川国広、これはお前の名前だ」
「え、いや……」
「お前の名前だ」
「はい」
 有無を言わせない圧に思わず頷く。今の山姥切であれば眼力で人を殺せそうだ。とにかく山姥切国広がそう言ったので僕は今日から再び堀川国広と名乗ろう。名乗らなければこの眼力に殺されてしまう。
「堀川国広と名乗るということはつまりお前は堀川派というわけだ」
「そうかな?」
「堀川派だ。もし堀川派以外の刀になる場合は虚偽扱いで逮捕される」
「逮捕されるの!?えっ一体誰に!?」
「刀派違いの罪は重い。同じ堀川派である俺もちなみに一緒に罪を受けることになる」
「なんで!?虚偽したの僕だけじゃない?刀派じゃなくて名前詐欺だけど!!」
「同じ堀川派だからだ。一蓮托生。ただし兄弟は関係ない」
「兄弟には優しい山姥切……」
「同じ堀川派を名乗るんだ。お前も兄弟だろう」
「そうなる?その流れでそう呼んじゃう?」
「どうなんだ、堀川国広。お前は俺の兄弟か」
「これって辞退できます?名前ごと」
「堀川国広、兄弟になれ」
「疑問形から命令形に代わりましたね!」
「ちなみに拒否権はない」
「ですよねー!」
 怒涛の会話だ。ツッコミどころしかない会話だが、こんなにも山姥切と喋ったのは初めてかもしれない。普段は僕から話しかけないとああ、とかわかったとか一言で終わるくらいだったのに。今日は何度も何度も剛速球で球を投げられ続けている。
「兄弟」
「はい、なんでしょう」
「お前の記憶が他と違っても、この本丸に顕現してからできた記憶は俺が持っている。それは堀川国広の物語足りえないか。この本丸に顕現した堀川派を名乗る堀川国広では不満か」
「不満……ではないですけど、刀の付喪神としてはどうかなと思います。空っぽですし」
 付喪神は人々の想いや長年の歴史が積み重なって生まれるものだ。想いも物語も何もない僕が付喪神足りえるのか。
「空っぽじゃない。想いなら俺がある」
「はい?」
 首を傾げる。土方歳三の脇差であるという記憶は堀川の中にそれが歴史としてあるが、物語として浸透していたかどうかは不明なところだ。故に人の想いもそこまでないだろう。ないはずなのに、山姥切はあるという。その顔はやけに自信満々だ。今まで僕が相手してきていた山姥切は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
「土方歳三であった堀川国広の物語を俺は信じる。俺は兄弟の存在を信じている。俺がそう信じているからお前は堀川国広でいろ。俺の兄弟でいろ。勝手に刀解するな」
 山姥切の言葉を一つ一つかみ砕いていく。
 僕を堀川国広としての付喪神足りえる物語を山姥切は信じるという。他の誰も覚えてないし、知らないと言うのに。彼は堀川国広の存在を信じるという。
「は、ははは……付喪神は人の想いからなるんだよ?」
「その付喪神足る俺が堀川国広の付喪神はいると言ってるんだ。想いのその先も想いだろう」
「そう、だね。うん。そうだ」
 想いのその先は想いだ。願いともいう。長年人々に大事にされてきた山姥切と付喪神がそう言うのであれば、付喪神として怪しい僕がそれを否定するのは間違っているような気がした。元より和泉守と結びつくようにしてあった存在だ。他の付喪神があると言うのとそう変わらないように思えた。
 つまるところ、僕は僕でしかない。
「僕は堀川国広。この本丸の脇差で、本当に堀川派であるかはわからないけど……山姥切の兄弟であることは確かなことだよ」
「そうだ。ちなみにお節介で人の世話を焼くことが趣味だって付け加えた方がいい。怪我をしているのに掃除や洗濯にと出かける度に兄弟を探す方の身にもなってほしい。その場でじっとしてくれることを覚えて欲しい。泣き出す時も本丸を抜け出すな。自分の部屋にしてくれ」
「僕を励ましたいのか貶したいのかどっちかにしてくれる?」
「どっちもしたい。俺は怒ってる」
「あ、はい。それは申し訳なく思ってます」
「お前が謝る事に対しても少し怒ってる」
「どうすればいいのかなあ!僕は!」
「怒られてればいい」
「怒らないっていう選択肢は?」
「ない」
「ないかぁ」
「感情が色々とごちゃごちゃとしてるんだ。吐き出させてくれ。今までの分もすべて」
「うん?吐き出されるほど僕今まで何かやらかしてた?」
「ああ」
「うっそぉ」
 今まで良かれと思っていたこともいくつか山姥切を怒らせる原因になっていたらしい。思い返せば何度か内緒で山姥切が被っている白い布をこっそり洗った覚えがある。その度にこちらを妙に見てきていたがそれかもしれない。いや、食わず嫌いの山姥切のお皿にいつも横に避ける野菜を少し多めによそったのも悪かったかもしれない。あれ?思い返してみると意外とあるかもしれない。
「ごめんなさい」
「許さない」
 素直に謝ったが一刀両断される。いや、先ほど謝れることにも怒っているというからこれも良くなかったのかもしれない。山伏の兄弟はカカカと常に笑っていることが多く、謝る時もおおらかだ。あのような真似をすればいいのかと腕を組む。カカカとあのように笑うためには一体まずどうしたらいいのか。肺活量を鍛えるべきか?
 ううむと悩む僕に山姥切は長く長く息を吐いて手を差し出してきた。
「とりあえず、まずは帰るか」
 その差し出された手をまじまじと見つめる。一呼吸してから僕はその手を取る。
「うん。連れて帰って」

❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖

 こんな出来事があってからというものの、山姥切は僕に対して容赦なく言うようになってきた。本当に本丸で出会った当初の山姥切が懐かしいと思うくらいに。
 僕に容赦なく言うようになった山姥切を見て周りの刀達も驚いたようだった。なんといってもあの写しだどうのと自分を卑下する言葉ばかりを言っていた山姥切が僕にだけはやや無茶なような言いがかりに近いことを言ってくるのだ。
 僕はそれを甘えでもあり僕のためだと知っているからツッコミを入れる。ただただ感情の赴くままに喋る山姥切の言葉は若干、いや予想の少し斜め上のそれどうなってんの理論に発展するからだ。常識が若干ではなく通じていない。
 カカカとそれを楽しそうに見守るのは山伏だ。とても安心感があるがツッコミには役不足だ。脇差として僕より少し後に顕現した同じ脇差のにっかり青江に助けを求めようとしたこともあるが、視線を即座にそらされた。脇差として友情を育んでいたと思ったのは僕だけだったのだろうか。
「今日もやってるよ、あの国広兄弟」
「本当だ、仲良しだね」
「だな」
 昔馴染みの新選組は記憶のままにただ僕を除いて呑気にお喋りをしていた。あの中に入る勇気はまだないので遠くから見守るだけだが、高確率でそうしていると山姥切がやってくる。
「なんであんたは今日非番のはずなのに畑当番を手伝っているんだ。他人の仕事を奪いたいのか。というかジャージはどうした?なんで着てないんだ」
「遠征帰りにそのまま畑寄ったからジャージ着替えてないだけだよ。ほら、鶴丸さんはまだこの本丸に来たばかりで慣れてないでしょう?手伝いしようかなって」
「ああ、そうだな手伝いしてくれるって言うから俺が頼んだんだ」
「内番で服を汚すからジャージに着替えるんだろう。その服のままでやってどうする。鶴丸の手伝いをしていると言ってるわりにはあんたがほとんどしてるじゃないか。明日は出陣があるから午後からゆっくり休めと言われたのをもう忘れたのか?これを言うのももう何度目か覚えているか。覚えてないだろうから言うが、67回目だ。物覚えが悪いのか」
「兄弟、数えてるんだ……え?それって出鱈目な数字言ってるだけじゃない?」
「出鱈目じゃない。ちなみに兄弟が怪我している時に洗濯や掃除を優先してる時に探しに行った回数は49回だ。前にも言ったが怪我をしてる時は落ち着いていてくれ。部屋にいろ。布団で寝ててくれ。なんなら気絶しててくれてもいい」
「何かしてないと落ち着かなくて。ていうか気絶ってなに?」
「それを探す身になる俺のことも考えてくれ。行動する前に優先的に」
「気になる事があると忘れちゃうんだよねぇ。というかさっきの気絶ってなに?」
「物覚えが悪いのか」
「おい、君達に俺のことを忘れてないか」
 山姥切と堀川の会話に挟まるように鶴丸が口を出しているが、ちらりと一瞬鶴丸を見た後にそんな事も知ったことではないというように山姥切は話を続ける。
 本丸に帰ってきてからというもの、居場所がない僕のためになのかわからないが山姥切は積極的に話しかけてくれる。嬉しい事だ。まだ山伏のようにカカカと笑うことはできないが、最近は朝と夕に肺活量を鍛えているから来年か再来年くらいには笑えるようになるだろう。多分。

 堀川国広の記憶が新選組にないことはすでに審神者には相談済だ。自分の記憶が正しいかどうかも怪しい、それを審神者に伝えると少し悩んだ上で堀川は主戦力だからと部隊から外すことも刀解する気もないと審神者は答えた。
「記憶の欠落というのは大体どの刀にも存在する。君は和泉守や新選組の所有していた刀に対して記憶はあるが、他の刀にとっては前の主の記憶が強くそれ以外が薄く欠けてしまっているという事もあるだろう。
 それに演練で見かける他の堀川国広は和泉守とほとんど一緒にいるしね」
 君の記憶違いはあり得ないと審神者は言いきった。その言葉に僕はほっと安堵の笑みを浮かべ、それから隣にいる山姥切を見た。
 山姥切は当然だというように堀川の横に座っている。自信にあふれているその姿に審神者もどちらかといえばこちらの方が気になっているようだった。その気持ちはとてもよくわかる。
「とはいえ、記憶の違いというのは気になるところだろう。しばらくは彼らとは別部隊でいた方がいいかな。まぁ、君の練度と彼らの練度は違うから一緒にさせようと思ってもできないけれど」
「あ、いえ、大丈夫です。内番でもうまくやれると思います。安易な発言をしても新選組のファンですって言って誤魔化せばいいと思いますし」
「若干話の偏りがありすぎるような気がするけど」
「新選組でも土方さん推しで通します」
「何も知らない立場からしたらやばいファンがいたものだなと思いそうな気がするが……」
「主、この本丸にいる刀剣男子は大体一癖も二癖もあるような奴らばかりだと俺は思っているが」
「うん、そうだね山姥切。それに関しては否定はしないよ。
 私としては君がそういう発言をしてくるのに驚きなんだが」
「そうか」
 暗に何があったのか聞こうとする審神者に山姥切はたった一言だけを返す。審神者が苦笑いをして僕を見た。審神者の言いたい事を僕は汲んで山姥切に訊ねた。というより僕もその理由を知りたい。何故こうなってしまったんだろう。
「ねぇ、兄弟。兄弟はどうしてそんなに話すようになったの。
 前は写しだからとかって割と卑屈になってたよね」
「卑屈ではない。俺は写しだ。だが堀川国広の最高傑作だ」
 真顔で即答される。前だと写しが話したところで……とかうじうじしていたり、かと思えば最高傑作なのだぞと主張をされた記憶があるのだけれど。僕が見る山姥切は何かキッパリとすでに自身の謂れに折り合いをつけているように見える。
「うん、そうだね。それはわかってる。というか僕が刀解をお願いしに行くって言ってからおかしかったよね」
「刀解」
 審神者がその言葉に反応する。堀川は気まずそうに一度笑って審神者を見る。和泉守から認知されない苦しみから選びかけた道だったが、山姥切に説得され……たというよりむしろ脅迫されたに近い。ふざけるなと言われ、綺麗だが凄みのある顔と勢いに呑まされてしまった。抵抗は必至にしていたはずなのだが。押しと圧が強すぎた。完敗である。
「堀川が刀解を主に願い出ると言い、さらにはその名前を捨てると言い出した。何も言わずにいれば、堀川はそれを実行していただろう。こいつは口が上手い。なんだかんだ言って主を上手く丸め込んで刀解される可能性があると思った」
「いやいやいや、私は刀解なんてしないよ?」
「政府からそういう通達があったとか、そういう嘘を吐かれたら?それか苦しいと堀川が主の良心に付け込んで泣き落としにかかっても刀解しないと?」
「ああ……いや……うん……」
 審神者はううんと悩んだ。心優しい審神者は政府のどうのこうのでは刀解はしないかもしれないが、泣き落としは利くのではと少し思っていた。案の定、審神者は長く長く考えた上ではぁと溜息を吐いた。山姥切の言う事に一理あると認めたのだ。
 僕はそれよりも山姥切が予想よりも僕の考えを見抜いていることに恐ろしさを感じるのだけれど。若干引いた目線で山姥切を見る。動じない。
「俺は写しだ。だが堀川国広の最高傑作の刀だ。堀川はずっと俺にそれを言い続けてくれていた。写しであろうと、最高傑作であろうと山姥切国広が俺の名であり、存在なのだと。
 それなのにこいつは名前さえ本当かどうか知らない脇差だと言い出したんだ。俺を山姥切と呼ぶこの刀が、空っぽなんだと言う。お前に名前を呼ばれて嬉しかった俺の想いは、同じ堀川派として誇っていた気持ちは、一体どうすればいい。怒れて仕方がなかった」
「うん」
「前の俺は写しだと、こんな俺に話しかけられても嫌かもしれない、そう思って自分の気持ちを正直に口に出してこなかった。けど、言わないと伝わらない。それこそ一回じゃ伝わらなくて、何度も何度もその言葉を積み重ねていかなければ伝わらないことだってあると知った。
 だから、俺は堀川にちゃんと伝えようとした」
「なるほど」
 審神者は山姥切の言葉をゆっくりと噛みしめるように頷いた。そしてにこりと笑って僕の方を見る。
「色々と理由はわかったけれど、元凶は結局堀川ということだね」
「そうだ」
「えぇ……そうなります?」
「そうなるね。うん、けど山姥切がばしばし意見言うようになったことは良い事だと思う。私にとっても君はかけがえない私の刀の一振りで山姥切国広だ。堀川国広もね」
 審神者はそう締めくくると、これで話は終わりにしようと切り上げた。この後には遠征も出陣も組まれている。そろそろ準備をしなくては。
 山姥切が先に立ち上がり、審神者の部屋から出ていく。僕もその後を追おうとして、審神者に名前を呼ばれた。
「ここにいる付喪神たちは実在しようとなかろうと私が喚んだんだ。私が知る歴史の積み重ねを引っ張り寄せて、それに私の想いを乗せて君たちは在る。
 君は歴史を正しく守るために呼ばれたと、そのために存在しているのだろうと思うのだろう。それはある意味正しいが、私は君がここに存在している理由はそれだけではないと思っている」
「それだけでは、ない?」
 審神者の言葉が理解できなくて僕は首を傾げる。彼らが僕を呼んだのは歴史修正者と戦う為の駒として、手段として自分達が必要なのだと思っていたがそれだけではなかったのだろうか。
「道具として必要なのであれば、人形なり用意させてそれに持たせればいい。けれど、君は人の形をしてここに存在する。人と同じように息を吸い、言葉を話し、感情を持つ。君は個であり唯一のものである。
 いつか戦いが終わった後、私が君の想いを全て持っていこう。君がここで紡いだ想いを、関わった想いをすべて、私が覚えていよう。君が付喪神足る由縁の一つになろう。
 だから残してくれ。築き上げてくれ。君だけの物語をここで」
「……はい。ありがとうございます」
 僕は一礼をして今度こそ審神者の部屋から出る。やはり、この審神者は優しすぎる。僕たちが必要とされていた時代ではあっさりと殺されてしまうような、優しさに満ちた人に少し頼りなさを感じてしまうけれど、でも頼りないからと言って突き放すことはできない。前の主は、理想を描くその人の願いを叶えるために刀を振るった。僕もそうなればいいだけの話だ。
 審神者の部屋を出て、少し歩いた先で山姥切が待っている。彼がこうして待っているのは彼が正直に話すようになる前でも度々あった。彼なりに気を使っていたのだろう。それこそ、今では本当に心隠さずにすべてを言うが、その時からずっと彼は僕のことを兄弟と認めて寄り添ってくれようとしていたのだろう。
 山姥切の近くへと歩み寄る。綺麗な碧の瞳が僕をまっすぐに映した。
「兄弟は、いつから僕を堀川派として兄弟として受け入れてくれていたの?」
 疑問に思っていたことを正直に聞いてみる。仲はそれなりに悪くなかったと自負しているが、そもそも兄弟という距離感はわからず、加えて山姥切はあまり自分から話すような人ではなかったから、主に僕がずっと話しかけるようなそんな関係だ。正直いつ、山姥切から兄弟と認定されたのかわからない。
「最初から」
「嘘」
 即座に言い返せば山姥切が舌打ちをした。案外、山姥切は素行が悪い。
 じぃっと見つめていると山姥切が小さい声で呟いた。何を言ったかわからない。
「今、何て言ったの?」
「細かい奴だな」
「細かくて結構!僕は脇差だからね。情報収集、隠密、偵察、サポート特化型だもの」
「世話焼き特化型じゃないのか」
「それは性格。というか教えてよ。どうして兄弟は僕を兄弟って認めようって思ったの」
「認めるも、何も。あんたが堀川国広と名乗った時から、俺はあんたは兄弟なんだなって思っていた。ただ、写しと兄弟は嫌だろうなと思って距離は取っていたが」
 本当に兄弟だと最初から思っていたのかと目を丸くさせる。いや、この言い方だと堀川派として認めていたという事だろうか。
「さっき主にも話した通り、あんたは何かと俺に構っただろう。俺が負傷した時も、畑番を共にやった時も。
 ……俺は最初、この本丸に来た時俺なんかが役に立てるのかと思っていた。怪我もしょっちゅうするし、それに使う資源だって貴重なのに使って、俺も主の役に立とうとそれなりに頑張ってはいたんだ。でも、空回りばかりをし続けて……やっぱり写しには荷が重すぎる役目だと腐っていた時にお前がいつものように俺の名を呼んだんだ」
 そう言われて思い出す。最初の頃、やけに山姥切が怪我を負って手入れ部屋に何度も何度も入っていたことに。そして疲労のためにしばらく山姥切は部隊から外れることになった。
 山姥切が外れたことを期に第一部隊は新たなメンバーで編成され、それに僕は選ばれた。連日出陣がある中空いた時間で、僕は度々山姥切の元へと訪れていた。疲労が溜まっているのはずなのに何故か部屋で休もうとせずにどこか薄暗い場所で蹲る彼を見つけ、部屋へと連れ戻したことが何度かある。彼を探し出したその度に放っておいてくれという彼の手を問答無用で引っ張りだしていた。
「写しだろうが関係ない。山姥切国広はお前だろうって言って無理やり俺の手を引っ張って引きずり出していたな。あんたがあまりにも勢いよく引っ張るから転んだり、吹っ飛ばされたこともあった」
「そ、そんなこともあったかなー」
 記憶にある。とても鮮明に記憶にある。それも二回、三回ではなく何度もやった記憶がある。恨みがましく山姥切がこちらを見てきたが笑って誤魔化した。カカカとはさすがにまだ笑えないので普通の今まで通りの笑い方である。
「……あんたが、写しとか最高傑作の刀とか関係なく俺を山姥切国広として見てるんだなって思ったらなんか急に自分が写しとか最高傑作の刀だとか拘っているのが馬鹿らしくなった。俺はあんたが言う通り山姥切国広で、それ以外の何物でもなく、ただの刀なんだなと。
 俺があんたが堀川国広の偽物とか本物とかどうでもいいのと同じように、そうなんだと思ったら何というか気が抜けた。でもってあんたはすごい刀だと思った。これが俺の兄弟なんだと思うと誇らしく思えた。
 それなのに。あの時の誇らしく思えた感情を返して欲しい」
「ごめんって」
 山姥切の中の僕への期待度はかなり高かったようだ。今は大分暴落してしまっているけれど。
「じゃあ、今僕と兄弟でいる山姥切の感情はどんな感じ?」
「悲しい」
「悲しい」
 真顔で言われてしまったので思わず僕も同じ言葉を繰り返してしまった。最悪と言われなかっただけマシだと思うべきだろうか。
「じゃあ、とりあえずまた誇らしい兄弟だって思われるためにまた頑張ろうかな」
「具体的には?」
「今日の夕飯、一品だけ兄弟が好きなおかずにしてあげる」
「なるほど、好きだ」
 まったくもって現金な兄弟である。思わず笑ってしまうとつられて山姥切も笑い出す。
 ああ、いいなぁ。こういうの。新選組時代ではなかった新しい気持ちだ。審神者が言っていた通り、僕の終わりに僕の想いをすべて持って行ってくれるなら今のこの時を持って行って欲しいと思う。
1/1ページ
    スキ