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ラプラスの水槽

「歌仙さん、これで最後ですか?」
 万屋の外でメモ帳を見ながら歌仙は堀川の問いに頷いた。暑い夏の買い出しは畑仕事や蒸し暑い厩舎で馬の世話をすることと比べれば比較的マシではあるが、カンカン照りの外を少なくない距離歩かねばならぬと考えるとどうしてもため息を吐きたくなる。
 じわじわと射殺さんとばかりに照り付ける夏の日差しに冷えた万屋が恋しくなる。が、もうすでに買うものはすべて買ってある。大きな重たい荷物などは直接本丸へ運んでもらうようにしてもらったから、手に持つ荷物はたかが知れている。
「帰ろうか」
「はい」
 両手に持った包みを手に歌仙と堀川は共に本丸へ向かって歩き出した。
 こう暑くては本丸に帰るより先に干からびてしまう。買ったみるくあいすきゃんでーをはしたない行為だと自覚はしているが歌仙と堀川は手に一本ずつ持ち、食べながら歩いていた。買った時は四角い棒あいすで会ったが、夏の日差しによって歩いて間もなく形が崩れてくる。どろりと白くて甘い液が落ちる前に舌で掬い取って、せめて口の中だけでも冷えを取る。
 日陰の道をなるべく選びながら帰路を急ぐ。朝や夜は涼しく心地よい風も、日中ではただの熱風だ。吹かないで欲しいと願ってしまう。
「あ」
「どうかしたかい?」
「いえ、あのそこに何かがいたような気がして」
 草むらを堀川が指さすとそこからがさりと音がなった。しかし、草むらには動きがない。音がするなら、普通は草葉が揺れるものだろう。歌仙は睨むようにしてそちらを見た。草葉からは相変わらずがさりがさりと音がする。
「堀川、行くよ」
 草むらに近付こうとする堀川の手を掴み、歌仙は先に急いだ。どうもあの草むらから嫌な気配がする。ぽとりとあいすきゃんでーが溶けて地に落ちるのも構わず、歌仙は先へ急いだ。
「歌仙さん、ちょ、ちょっと待ってください」
 堀川から焦った声が上がるが気にしていられない。
 少し先の地面が煌いたように一瞬見得たのを見て逃げ水の言葉が浮かぶ。あるはずのない水溜まりがあるように見えてしまうこと。さきほどの草むらの音もそういうものだろうか。
 十数分後にようやく歌仙は立ち止まった。暑い中、半ば走るようにして歩いたのだ。前髪から汗がぽたぽたと落ちていくのを見て、近くの木陰に入り二人して乱れた息を整えた。汗を吸って湿ったインナーの感触に不快感を覚え、服の裏に溜まった湿気を外へ逃がすようにぱたぱたと振った。
「どうしたんですか?」
 突然腕を引っ張って急ぐ歌仙に堀川が無邪気にその理由を訊いてくる。歌仙はどう答えたものかと悩んだ。
 目の端にはまだゆらゆらと地を泳ぐ水がある。
「歌仙さん?」
 怪しむ声に歌仙は首を横に振った。堀川にあれを教えるのは良くない、なぜだかそんな気がしたのだ。代わりに歌仙は本丸に用事を残してきていたのを忘れていたと嘘を吐けば、疑うこともせず堀川は納得した。
「それなら早く帰らないとですね」
 歌仙が誘導するがままに堀川は後ろを振り返らずに歩き始めた。今度は歌仙が逆に堀川を追う立場になった。息を整えて余裕ができたのか、堀川は地面に映る逃げ水に気づいた堀川が指さした。
「あれ、水溜まりですか?」
「あれは逃げ水だよ」
 目の錯覚だから、あそこに水はないと説明する。逃げ水は決して近づきはしなかったが、遠くへ行く事もなかった。歌仙は後ろを振り向いた。後ろの道にもつかず離れずの場所で地面は光っていた。
 へぇ、と堀川の物珍しそうな声が聞こえた。次いで聞こえたぱしゃりとい水音に驚いて歌仙は堀川がいた方を見る。先を歩いていたはずの堀川の姿がない。地面には堀川が持っていた荷物が散乱していた。
「堀川?」
 目を離したのは一瞬だ。元より悪戯をするような子ではないし、荷物を地面に放りだしていくような子ではない。もう一度歌仙は名前を呼んだが、返ってくる声はなかった。地面に放り出された荷物を手に取ると、ざらりと泥が手についた。

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