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兼堀短編

「えっこわっ……」
 思わず漏れた言葉に青江と鯰尾が興味津々と言った様子で覗き込む。堀川が持っている本はいわゆる恋愛小説だ。
 審神者が自由に使っていいと解放した本丸の部屋の一つに書斎があった。書斎にある本は自由に持って行っても良いとのことだったので鯰尾や堀川、浦島などが適当に見繕った本は脇差の共同部屋に暇つぶし用としていくつか置かれている。
 結果として脇差部屋では皆夜寝る前に思い思いの本を手に取り布団に寝転がりながらそれを読む日々が続いていた。それぞれ本を読むことが嫌ってはいなかったので、読む速度に個人差はあれど、皆で小説を読んでは感想を言っていた。
 浦島や鯰尾は冒険ものが好きであったし、物吉は海外のお話を好んだし、骨喰は短い推理小説物を読み、肥前は文句を言いながらも歴史ものに目を通していた。堀川と青江はその中でも余った本を読んでいたから必然的に恋愛物の小説を読むことが多かったが、人の感情とはそういうものなのかと思って何冊か読み進めていた。
 大体は運命的な出会いではなく、描かれる普通の日常の中でいつも一緒にいる相手が特別になっていくという物語だ。その途中でいくつかの波乱が待ち受けているが、大体は丸く収まる。審神者が置いていったものは大体そういうものが多かったから今回もそういう話かと頁を捲っていたらいつもと違う展開に心の中であれ?と思いつつも読み進めた。
 話の序盤はいつもと同じで、気になる人がいたという主人公の話から始まり紆余曲折はあったものの主人公の恋は実る。だが、問題なのはその本はそこで終わらず続きがあったのだ。
 その続きは主人公が恋した側の男の話だ。その書いてある話には主人公が男に惚れるように裏で画策していたというネタ晴らし的なものだ。男の執着心を赤裸々に書かれた話に堀川は思わず先ほどの感想を漏らしてしまった。
「えーどこが怖いの?」
「そそられるね……その本の話のことだよ」
 鯰尾と青江は堀川の持っているページを軽く読んだらしく、片方は意味がわからないと首を傾げ、もう片方は意味ありげに笑っている。
「鯰尾君はこういうの読んじゃだめだよ」
 ばっと鯰尾が覗いてるのに堀川はその本を急いで閉じると鯰尾はぶーぶーと文句を言っていたが、興味がすぐに失せたのか持っていた本の続きを読み始める。危ない危ない。こんなものを鯰尾に見せたら一期に会わせる顔がない。
「堀川君、それ読み終わったら次貸してもらってもいい?」
「えっ……読むの?」
「読む以外の他に何か使い方あるかな?」
 青江がそうにっこりして言うのに堀川は半目で見つめる。まぁ、でも青江であれば貸しても大丈夫だろう。いいよとため息交じりに返して、さらにページを捲る。
 人が持つ感情がいかに複雑なのか本を読むたびに思い知る。冒険ものであれば主人公と同じようにわくわくしたり、推理小説であれば誰が犯人なのだろうと謎かけを楽しむことができたが、恋愛小説に至っては理解するのが特段難解で仕方がない。
 堀川国広は恋や愛という何度も繰り返される言葉を見てもそれを理解できなかった。

 和泉守は加州と大和守に両脇を固められながら和泉守は深いため息をついた。和泉守が前の主に仕えた時にはすでに存在していた二振りはいわゆる兄弟子のようなもので会えば必ず何か言われるし、賑やかな二組は和泉守を揶揄うことが多かった。それを諫めるのは長曽祢もしくはしっかりものの脇差である堀川だ。しかし、今その二振りはこの部屋にいない。そもそも寝起きをする部屋が違うのだ。
 打刀は数が多く、顕現するのが遅かった長曽祢は別部屋で過ごしているし、脇差は数が少ないためまとめて同じ部屋に括られた。
 陸奥守や歌仙もいる中で、加州と大和守は部屋の隅に和泉守を連れて行くと相棒との仲はどうなのかと聞かれたのだ。
「堀川ってば兼さん兼さんってよく和泉守の面倒見てるよね」
「相棒にしてはちょっとねぇ」
 距離が近すぎると加州も大和守もぴったりと声を揃えて言った。前の主で大小揃えの本差と脇差の関係と言えどあんなものだろうか?と本丸には他のそういう成り立ちの刀がいないから比べようもないがどう見てもその距離は近すぎるように加州にも大和守にも見えたらしい。
「ああ?普通だろ、別に」
 和泉守がそう答えると加州も大和守もええ?と非難の声を上げる。
「大体さぁ、和泉守は甘えすぎ。
 前の主で本差脇差として扱われていたかもしれないけど。今の主の元だったらもしかしたら僕と堀川が本差脇差って関係になるかもしれないじゃん」
「それはねぇ」
 安定くんと堀川が和泉守を慕うように大和守をそう呼んで何かと世話をしてくれる様子を浮かべるが、即座に和泉守は否定する。
「あいつは俺の脇差だ」
「堀川は和泉守のじゃないでしょ」
「そうだ。兄弟は物じゃない」
 加州がすぐさま和泉守の言葉に突っ込みを入れると、その話に乗っかるように唐突に山姥切が口を出してきた。
 山姥切は堀川が兄弟兄弟と言って何かと誘った結果、最近は兄弟仲睦まじく過ごしている姿を至る所で見ている。山姥切が兄弟として堀川を大事に思っていることは間違いないらしく、堀川のことを物のように言われるとその綺麗な顔を顰めて和泉守を睨んだ。
 しかし和泉守は睨まれても堀川が自分のであるという言葉は否定しなかった。誰がなんと言おうと堀川が和泉守の相棒であり、その立場は誰にも譲るつもりもない。
「まぁまぁ和泉守も堀川も別に仲良うしちゅうのはみんなわかっとるき。
 ただちぃっと言い方が悪かっただけの話じゃろ」
 ちょっとは落ち着けと陸奥守が和泉守の背を叩くが、口をへの字に曲げて和泉守は黙る。加州も大和守も昔から馴染みなのでとっくの昔に和泉守が自覚する前から堀川に恋していることなど知っている。知らないのは当の本人である堀川だけだ。
「一体何年拗らせるつもりなの」
「堀川の事が好きならさっさと正直に言った方がいいと思うよ」
 大和守が口を尖らせ、加州があけすけと物申すのに山姥切と陸奥守が目を丸くし、歌仙が書きかけの筆を落とす。
「おまんらまだ付き合うちょらんが!?」
「それ、本当なのかい?」
「あんた、兄弟の事が好きなのか!?」
「お前ら、五月蠅いぞ!」
 長谷部が大声で叱るのにも関わらず、三者とも加州と大和守と同じように和泉守を囲う。陸奥守と歌仙は信じられないと言うように和泉守を見るし、山姥切は兄弟に懸想をしているのかと一人だけ違う方向で和泉守を睨みつける目を光らせた。
「相棒というだけであそこまで懐くものなのかい?」
「堀川はさ、それこそ和泉守が生まれた時から一緒だったから相棒というよりかはお母さんって感じだよ」
 歌仙の疑問に答えたのは大和守だ。確かに世話を焼く姿はどちらかといえば人の母親に近いと言えばそうなのかもしれない。実際僕らも堀川の世話になることが多いからねと布団の近くに置かれた着物を大和守は見る。堀川が畳んで置いていった着物だ。同じ時代に仲間として過ごした縁で和泉守ほどではないものの、大和守も加州もそれなりに堀川に見えぬところで手助けしてもらっている。
「兄弟は俺の事もよく手助けしてくれる」
 自慢だか牽制だかわからぬが誇らしげに胸を張る山姥切。確かに堀川は最近兄弟としたう山姥切の世話もよくしているし、和泉守ほどではないが、人付き合いが苦手な山姥切を気遣いよくフォローをしている姿もよく見る。
 和泉守ほどではないが堀川に皆手助けしてもらった覚えはあるのだ。同じ使命と目的を持つ仲間として手助けしあうのは当然であったとしても彼が善意から人の手助けをしていることは明白である。つまるところ堀川国広は気の利く刀なのだ。そこに損得勘定もなければ、特別な好意もない。
 和泉守も当初はそうであった。土方歳三の愛用の実践刀で、揃いの大小。それ以上の関係など望んではいないし、それ以下の関係になる事もないだろうとこの本丸で顕現した時にそう思っていた。
 だが前の主では常にと言っていいほど一緒にいた堀川はあちらこちらに目移りするように他の刀を手助けする。本差である自分を別に蔑ろにしているわけではないが、どうも気分が良くない。にこりと屈託ない笑顔を誰にでも見せて、自分ではない者の隣をさも当然のように歩いている姿を見てじりじりと胸を焦がす痛みには以前にも覚えがあったが、理解はしていなかった。
 それを恋だと自覚したのはある日の堀川と審神者の話を聞いたからであった。
「堀川だって和泉守から告白されたらいいって返事するんじゃない?丸く収まる場所に早くさっさと収まりなよ」
「収まるんなら俺だってそうしてる」
 加州と大和守が何時になく弱気な和泉守の発言に顔を見合わせた。
「じゃあ、堀川とはずっとこのままでいいと思ってるの?」
「よくはねぇ……とは思ってる」
「こじゃんとしぃ、和泉守」
 陸奥守が煮え切らぬ和泉守の背をばしんと叩く。いてぇよと陸奥守を見ようとする和泉守にずいっと山姥切が身を乗り出す。
「兄弟はあんたにはやれない」
「はぁ?」
「兄弟は兼さん……和泉守のことをよく話してくれていたが、実物がこれではな」
「おおっとここでまさかの娘はお前にはやらん発言が!」
「大和守、そう煽るんじゃないよ。山姥切も和泉守も落ち着いて座りなさい」
 立ち上がってにらみ合う和泉守と山姥切を大和守が囃し立て、歌仙が和泉守を加州が山姥切をなだめて座らせる。
 部屋の奥で黙々と今日の日記を書いている長谷部がこちらを無言で睨んでいる視線を背で受けながら、歌仙はもうそろそろ寝るよと言うと皆文句を言いつつも布団に身を潜らせた。
 明かりを消すと唯一、長谷部が使用している机の蝋燭だけが煌々と部屋の奥を照らす。
 布団に入ってしまえば寝つきの良い大和守がいる布団からはすぐに寝息が聞こえ、次いで陸奥守、歌仙の穏やかな寝息が聞こえてくる。山姥切は静かであったがもう寝たのだろう。
 カリカリカリ、主から与えられた万年筆を器用に扱って文字をひたすら書く音が聞こえる。
「ねぇ、和泉守」
 まだ寝ていなかったらしい加州がごろりと和泉守の方に向いて、小声で話しかけてくる。
「堀川に振られるのが怖いの?」
「違う」
 和泉守の返事に加州は一瞬眉を寄せるが、すぐに間違いに気が付く。
「そっか。特別じゃないって言われるのが嫌なんだ」
 正解なので何も言わずに黙ると加州は納得顔で頷くとそうだねぇと言う。
 相棒で唯一無二の存在だと失われた後もそう思い込んで生きてきたのだ。恋心も合わさってしまえば、求めるのはただの特別では嫌なのだ。違うと否定されれば和泉守もさすがに立ち直れそうにない。折れそうだ。心が。
「難儀だよねぇ」
 加州のため息交じりの呟きに和泉守は目を閉じる。刀は折れたら使いものにはならない。だから折れてはいけないのだと和泉守は今日もただ何も夢を見ないようにと祈りながら眠りにつく。


 主がよく仕事で使う部屋の南側の縁側は和泉守のお気に入りのサボりスポットであった。ここは滅多に人に見つからない上に今の季節になると梅の花が綺麗に見える。今日も畑仕事をサボって和泉守が休んでいると遠くから人の声が二つ聞こえてきた。主と堀川だ。
 今日の主の近侍は堀川が務めていた。くすくすと何か楽しそうに談笑しながら主と堀川は廊下を歩いているようだった。
 耳を澄ますと梅の季節が過ぎたら桜の季節になるなぁとどうやら季節の話をしていたようだった。桜が満開になったら本丸で宴会を開こうかという主の提案に堀川はいいですねと声が弾んでいた。
「桜の季節と言えば出会いと別れ……って言ってね。俺がいた時代では別れの季節に気になった人に告白する人が多かったんだ」
「告白ですか?」
 主が話す内容に一瞬ドキっと胸が大きく音を立てたような気がした。呼吸をするのも忘れて二人の会話に集中する。
「主さんは誰かに告白したんですか?」
「俺かい?まさか!
 俺は軍事学校卒でね、周りなんて男だらけさ。思い出にといくつか使わぬ制服のボタンを後輩が欲しいと言われて渡してあげたことはあるけけれど」
「主さんは慕われてるんですね」
「共に厳しい授業を潜り抜けた戦友だからね。俺も先輩が卒業する時はあの人の背を必ず超えてやろうと胸に誓ったものさ。
 そういう堀川君は誰かいい人はいないのかい?」
「いい人?」
「君たちは刀ではあるけれど、人と同じように心を持つだろう?
 ならば添い遂げたいとか、そういう相手はいたりしないのかい」
 しんとする空気の中でばくばくと心臓の音だけが聞こえる。何故こんなにも緊張するのか。落ち着け落ち着けと高鳴る胸を押さえてひたすら待つ。
「わからないです」
 堀川の声が大きく響く。いや、声はそんなにも大きくはなかった。ぽつりとつぶやくように言ったのだろう。だが和泉守にはその声がとても大きく思えた。
「わからない?」
「僕たちは主の為に生きて、その信念に共感するからこそ命を懸けます。主さんのために敵を討ちます。貴方が願う未来のために過去のために敵を倒します。
 この感情を言葉にするなら『好き』に分類されるのでしょうし、僕は主さんを慕っているのだと思います。でも添い遂げる……恋仲になりたいと思うのとは少し違うと思います。
 兼さ……和泉守兼定とは相棒で、とても大切な存在ではありますが……」
 そこで言葉が切られる。和泉守は願った。それ以上は言わなくてもいい。言わないでくれ。
 相棒で大切な存在だと言われたのに、それと違うと否定されるのが怖いという事実に和泉守はようやく堀川国広への恋に気付いたのだ。自覚して早々にその恋心が無惨に散ることを恐れ、まるで心臓が凍ったかのような冷たさを覚えながら言葉が続かないことを必死に願う。
「そうか。まぁ、気持ちというのは時が流れるうちに変化するものだからね」
 数秒経ってようやく主が和泉守を気遣うように話す。
「変化、ですか」
「時が経てば植物が育ち、人が成長するように気持ちも変化するんだよ。
 君もこの本丸に来たばかりの頃は人の姿に慣れず、負傷してばかりだったろう?
 それが今や偵察、戦闘、内番、お手の物となったわけだ」
「確かに、言われてみればそうですね」
「だろう?
 季節は巡るが、毎年少しずつその景色は変わっていく。そうやって心も移り変わり、成長していくんだ。今はまだ、わからないかもしれないけれど少しずつわかっていけばいいと思う。
 信念も良いけれど、愛する人を持つという事も力になるものだからね」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
 くすくすと笑って、戸がぱたりと閉じる音がするのと同時に和泉守は止めていた息を一度吐くと大きく吸う。
 気持ちは変わる。季節が移り変わるように変化して、成長するのだと主は言っていた。
 ならばと和泉守は梅の花を見ながら一人考える。
 堀川国広の気持ちが変化するのを待とう、と思った。このまま告白しても玉砕は間違いないどころか妙にぎくしゃくして間を取られてしまっては困る。移り変わるとは言ったが和泉守の恋心は決して変わることはないし、むしろ日々成長していくだけだ。これが消えることは絶対にない。
 和泉守がそう気合を入れたところで遠くから大和守の声が聞こえてきた。畑仕事をサボったのがバレたのだ。このままでは堀川の名も呼びかねないと思った和泉守はそろりと音を立てないように立ち上がると畑のある方へとゆっくり歩いていくのだった。
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