この本丸には堀川国広は存在しない
その日、大和守は夜にふと目が覚めた。隣で寝る加州はすやすやと気持ちよさそうに寝ている。試しに頬をつついてみたが、よほど熟睡しているのか起きなかった。しつこく残る夏の暑さに加州はよく眠れていないとぶつぶつ文句を言っていたけれど、夏の暑さが引いた秋も深まる頃になってようやく安眠を得られたらしい。
大和守は布団をもう一度かぶってみた。目を瞑って、羊を数える。そうすると眠くなるのだと短刀の誰かが言っていた。だが三十匹ほど数えたところで辞める。飽きた。大和守はずるずると布団から這い出るとすやすやと眠る相方を起こさないように戸を開けた。
空には綺麗な月が出ている。
もう中秋の名月は過ぎていたけれど、綺麗な月である。縁側に座りそれを眺めていると「月見か?」と声を掛けられる。
「長曽祢さん」
「綺麗な月だなぁ」
大和守が少し横にずれると長曽祢が隣に座る。さっきまでお風呂に入っていたのか少し髪が湿っている。もしここに堀川や加州がいればそれを指摘しただろう。でも、大和守は言わなかった。
「稽古してたの?」
「昼間は内番で畑仕事をしてたからな。一日に一回くらいは刀に触らないとどうも落ち着かん」
「あはは、それわかる」
非番で何もしなくてもいい時でも何故か刀を取って稽古場まで来てしまうのには自分でも記憶がある。もう今日は何もしなくてもいいやと思っていてもだ。刀の本質なのか、病でも刀を握ろうとした元の主の影響かはよくわからないけれど、大和守にとって刀に触れるのは至極当然のことだった。
「和泉守は最近どう?」
「国広が来たおかげか落ち着いてるよ。やっぱあそこは二人一組ってことなんだろうな」
「だろうねぇ」
「おいおい、他人事のように言うがお前も加州がいなかったら調子が狂うんじゃないか?」
「ないよ、それは」
長曽祢の言葉にすぐに否定する。確かに大和守も加州も長く元の主に仕えたが、和泉守と堀川のように相棒という関係ではない。どちらかといえば好敵手に近いのではないかと思う。
「確かに加州がいなかったら寂しいなって思うよ?
でもさ、それと調子が狂うは話が違うじゃん。僕たち刀なんだもの。ただでさえ持ち手を選ぶ刀なのに調子が狂ったらそれはもう使えないよ」
そう笑って言うと長曽祢は少し困ったような顔をする。大和守も加州も癖のある剣でそれはどこが感情的に動いているようで実際の所はかなり冷静だ。冷静に努めようとしている堀川とは真逆の性質を持っている。
「お前たちはなんというか難儀なやつだな」
「僕もそう思うよ」
もっと感情的になれれば、楽なのかもしれない。
「あーあ、幽霊でも切れるようになれればなぁ」
「なんだ、唐突に」
「長曽祢さん知らないの?」
出るんだよ、と小声で言えば長曽祢はほぉっと目を細めた。
最近この本丸では幽霊が出ると専らの噂だ。そのせいか短刀達は夜は絶対に閨から出ようとしないし、太郎太刀にお守りをせがむ者もいるという話だ。
大和守自身あの遠征の一件がなければそんな噂信じなかっただろう。けれど大和守はあの遠征で体験してしまった。自身が付喪神であるならば悪霊と呼ばれる何かも恐らくいるのだろう。しかしそれは刀で切れることができるものなのか。
にっかり青江なら切れるかもしれない。そういう曰く付きの刀だから。
前の主の元でもそういう与太話は聞いたことがあるけれど、それらに刀は効かないと話していたのを聞いた事がある。
ならば、あれらはそういうものなのだ。
「なら、気を付けないといけないな。斬っても斬れないんじゃあ何もできやしない」
「時間遡行軍や検非違使は切れるのにね」
理不尽だと文句を言うように言う。幽霊も病も断ち切ることはできない。不貞腐れる大和守にそれだけ斬れれば問題ないだろうと長曽祢はその頭をぽんぽんと叩いた。
「長曽祢さんは怖いものないの?」
「俺か……怖いものはたくさんあるぞ」
「ないって言うと思ってた。本当にあるの?」
「ああ、もちろんあるぞ。国広が本気で怒った時とかな」
「確かに」
「ねぇ、何の話ぃ?」
長曽祢と大和守がくすくすと笑っていると、後ろからその間に割って入ってくる影があった。加州だ。眠たい目を擦りながら近づく加州に大和守がさらに横にずれると、加州は長曽祢と大和守の真ん中に座り込む。
「こんな夜更けになに話してんの。おかげで目が覚めちゃったよ」
寝起きで少し不機嫌そうな加州の頬を大和守がつつくとやめてよとその手を追い払われる。
「寝癖ついてる」
「えっまじ?」
「まじまじ」
慌てて髪の毛を直す加州に寝癖のついてる場所を詳しく教えていると長曽祢が真っ暗な廊下の方へ手を挙げた。その先からやってきたのは堀川と和泉守だ。大きな口を開けてあくびをする和泉守の手を引いて堀川が縁側にやってくる。
「こんな夜更けにどうしたんですか?」
「ちょっと話をな」
長曽祢がそう言うと和泉守が長曽祢の隣に座り込む。堀川が慌てて兼さん寝るなら部屋にもどって布団をかぶらないと、と言うが和泉守はそこを動こうとしない。長曽祢の隣に座るなりそのまま目を閉じてうとうと舟をこぎ出す始末だ。
「もう、兼さん運ぶほどの腕力は僕にはないんだからね!」
「いい。後で俺が部屋までおぶっていこう」
「長曽祢さん……すみません、僕がもっと力があったら良かったんですけど」
「なに、お前は脇差としてちゃんと本差の世話を焼いてるさ。まぁ少し甘やかしすぎた感じは否めないがな」
そう言って長曽祢が堀川も座るように言うと空を見上げた。
ざぁっと風が吹くなか、雲の切れ目から月が顔を出す。
「静かな、良い夜だ」
長曽祢が言うのに大和守も加州も堀川も頷く。
その夜は寝てしまった和泉守を除く四振りで遅くまで語りあい、昔の話に花を咲かせるのであった。
大和守は布団をもう一度かぶってみた。目を瞑って、羊を数える。そうすると眠くなるのだと短刀の誰かが言っていた。だが三十匹ほど数えたところで辞める。飽きた。大和守はずるずると布団から這い出るとすやすやと眠る相方を起こさないように戸を開けた。
空には綺麗な月が出ている。
もう中秋の名月は過ぎていたけれど、綺麗な月である。縁側に座りそれを眺めていると「月見か?」と声を掛けられる。
「長曽祢さん」
「綺麗な月だなぁ」
大和守が少し横にずれると長曽祢が隣に座る。さっきまでお風呂に入っていたのか少し髪が湿っている。もしここに堀川や加州がいればそれを指摘しただろう。でも、大和守は言わなかった。
「稽古してたの?」
「昼間は内番で畑仕事をしてたからな。一日に一回くらいは刀に触らないとどうも落ち着かん」
「あはは、それわかる」
非番で何もしなくてもいい時でも何故か刀を取って稽古場まで来てしまうのには自分でも記憶がある。もう今日は何もしなくてもいいやと思っていてもだ。刀の本質なのか、病でも刀を握ろうとした元の主の影響かはよくわからないけれど、大和守にとって刀に触れるのは至極当然のことだった。
「和泉守は最近どう?」
「国広が来たおかげか落ち着いてるよ。やっぱあそこは二人一組ってことなんだろうな」
「だろうねぇ」
「おいおい、他人事のように言うがお前も加州がいなかったら調子が狂うんじゃないか?」
「ないよ、それは」
長曽祢の言葉にすぐに否定する。確かに大和守も加州も長く元の主に仕えたが、和泉守と堀川のように相棒という関係ではない。どちらかといえば好敵手に近いのではないかと思う。
「確かに加州がいなかったら寂しいなって思うよ?
でもさ、それと調子が狂うは話が違うじゃん。僕たち刀なんだもの。ただでさえ持ち手を選ぶ刀なのに調子が狂ったらそれはもう使えないよ」
そう笑って言うと長曽祢は少し困ったような顔をする。大和守も加州も癖のある剣でそれはどこが感情的に動いているようで実際の所はかなり冷静だ。冷静に努めようとしている堀川とは真逆の性質を持っている。
「お前たちはなんというか難儀なやつだな」
「僕もそう思うよ」
もっと感情的になれれば、楽なのかもしれない。
「あーあ、幽霊でも切れるようになれればなぁ」
「なんだ、唐突に」
「長曽祢さん知らないの?」
出るんだよ、と小声で言えば長曽祢はほぉっと目を細めた。
最近この本丸では幽霊が出ると専らの噂だ。そのせいか短刀達は夜は絶対に閨から出ようとしないし、太郎太刀にお守りをせがむ者もいるという話だ。
大和守自身あの遠征の一件がなければそんな噂信じなかっただろう。けれど大和守はあの遠征で体験してしまった。自身が付喪神であるならば悪霊と呼ばれる何かも恐らくいるのだろう。しかしそれは刀で切れることができるものなのか。
にっかり青江なら切れるかもしれない。そういう曰く付きの刀だから。
前の主の元でもそういう与太話は聞いたことがあるけれど、それらに刀は効かないと話していたのを聞いた事がある。
ならば、あれらはそういうものなのだ。
「なら、気を付けないといけないな。斬っても斬れないんじゃあ何もできやしない」
「時間遡行軍や検非違使は切れるのにね」
理不尽だと文句を言うように言う。幽霊も病も断ち切ることはできない。不貞腐れる大和守にそれだけ斬れれば問題ないだろうと長曽祢はその頭をぽんぽんと叩いた。
「長曽祢さんは怖いものないの?」
「俺か……怖いものはたくさんあるぞ」
「ないって言うと思ってた。本当にあるの?」
「ああ、もちろんあるぞ。国広が本気で怒った時とかな」
「確かに」
「ねぇ、何の話ぃ?」
長曽祢と大和守がくすくすと笑っていると、後ろからその間に割って入ってくる影があった。加州だ。眠たい目を擦りながら近づく加州に大和守がさらに横にずれると、加州は長曽祢と大和守の真ん中に座り込む。
「こんな夜更けになに話してんの。おかげで目が覚めちゃったよ」
寝起きで少し不機嫌そうな加州の頬を大和守がつつくとやめてよとその手を追い払われる。
「寝癖ついてる」
「えっまじ?」
「まじまじ」
慌てて髪の毛を直す加州に寝癖のついてる場所を詳しく教えていると長曽祢が真っ暗な廊下の方へ手を挙げた。その先からやってきたのは堀川と和泉守だ。大きな口を開けてあくびをする和泉守の手を引いて堀川が縁側にやってくる。
「こんな夜更けにどうしたんですか?」
「ちょっと話をな」
長曽祢がそう言うと和泉守が長曽祢の隣に座り込む。堀川が慌てて兼さん寝るなら部屋にもどって布団をかぶらないと、と言うが和泉守はそこを動こうとしない。長曽祢の隣に座るなりそのまま目を閉じてうとうと舟をこぎ出す始末だ。
「もう、兼さん運ぶほどの腕力は僕にはないんだからね!」
「いい。後で俺が部屋までおぶっていこう」
「長曽祢さん……すみません、僕がもっと力があったら良かったんですけど」
「なに、お前は脇差としてちゃんと本差の世話を焼いてるさ。まぁ少し甘やかしすぎた感じは否めないがな」
そう言って長曽祢が堀川も座るように言うと空を見上げた。
ざぁっと風が吹くなか、雲の切れ目から月が顔を出す。
「静かな、良い夜だ」
長曽祢が言うのに大和守も加州も堀川も頷く。
その夜は寝てしまった和泉守を除く四振りで遅くまで語りあい、昔の話に花を咲かせるのであった。