このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

この本丸には堀川国広は存在しない

 遠征が失敗に終わってからその後、堀川国広は気を取り直して再度同じ刀達で隊を組んで違う場所へと遠征に向かった。その遠征は拍子抜けするようにあっさりと終わった。
 あれ以来不思議なことは何一つとして起きていなかった。鶴丸も乱も前田も皆普通に日常に戻ったし、怖い話をするときの定番のネタとしてその時の話をするくらいにはあの時の恐怖が薄れていった。
 堀川にとってもそれは同じでこの本丸で世話になってから一月が経った頃にはすでにほとんど忘れて、日々遠征と出陣と内番を何もなければ手が足りてないところはないかと本丸を忙しく駆け回っていた。そうしてこの本丸の一員として少し慣れた頃、彼は夕餉の後一人で縁側に座り月を見上げていた。
 夕餉の後の寝るまでの間の時間は自由時間となっている。粟田口の短刀達は万屋で買った双六などを部屋に持ち込んでは誰かが寝るまでそれをやるのが最近の流行りで、お酒が好きな次郎太刀に至っては長谷部などに絡んでは燭台切につまみを要求したりなど夕餉が終わった後も茶の間に居座り続けている。
 その喧騒を聞きながら見上げる夜空は薄い雲に見え隠れしながらも星が見え隠れしている。来た時は夏の暑さが残る秋の初め頃であったが、今はすでに木々が赤く色づき夜になると涼しさよりも若干の寒さが勝る。上に羽織を切れば良かったと少し後悔しているとその背にぽすっと何かが投げられる。
「兼さん」
「そんな薄着じゃあ風邪ひくぜ」
 堀川国広の相棒、実用性と美を兼ね備えた一等品の刀である和泉守兼定が後ろに立っていた。薄暗い夜にも関わらず和泉守の姿ははっきりと見える。いつ見てもかっこいい和泉守は堀川にとって憧れであった。堀川は投げられた彼の羽織をお礼を言って上に羽織る。
「月見か?」
「うん、そう」
 和泉守は堀川の隣に腰を下ろすと堀川と同じように空を見上げた。雲の隙間からふっくらとした十三夜が顔を出している。
「……そろそろお前が来てから一か月だな」
「そうだね。本当なら僕が兼さんのお世話をしたかったんだけど立場が逆転しちゃった」
「本丸に来て早々、世話なんかされちゃあ俺の方が困っちまう。
 ま、お前がいない期間はそれなりに長かったし俺だって一人で色々とやれるようになるさ」
 和泉守の言葉通り、実際この一か月で堀川は助手らしいことはあまりできていなかった。和泉守の髪を梳くのにさえ櫛はどこにあるのか、紐はどれを使えばいいのかあれこれと和泉守に教えてもらったが、堀川がやるまでもなく和泉守が勝手に自分でやってしまう時の方が多かった。
 それを不満げに言えば、来るのが遅いお前が悪いと言われる。確かにそうだけれど。でも、と堀川は微妙な気持ちになる。自分はよその本丸の堀川国広であってこの本丸の国広ではない。けれどその気持ちを無理やり押し込める。
「じゃあ、僕はもういらない?」
 ただちょっと冗談交じりにそう言えば和泉守は目を丸くさせた後、堀川の髪をくしゃりと撫でる。
「ばぁか。お前は俺の相棒で助手だろ。勝手に卒業なんかすんな」
「ふふ、そうだね。僕は兼さんの相棒で助手だからね」
 そしてしばらくの静寂が訪れる。歌仙が春の庭も趣があったけれど秋の庭もお気に入りだと称した通り、秋の庭は夜にも限らず金木犀の花がきらきらと舞って綺麗だった。
「なぁ」
 和泉守は金木犀が落ちて金に染まる池の方を見ながら隣に座る堀川に訊く。
「お前が元居た本丸ってどんな場所なんだ?」
 それに堀川はどう言っていいものか悩む。この本丸の審神者は堀川が元居た本丸について事情を知っているのだろうが、近侍である蜂須賀には特に説明をしていなかったし、他の刀達も何かあるのだろうと思ったのか特に聞いては来なかった。審神者が堀川のいた本丸の話をしなかったその意図を察することはできなかったが、勝手に話して良いものなのか堀川には判断ができなかった。
「うーん……勝手に話していいかわかんないから、審神者さんに今度確認してみる。許可されたら話すから、その後でもいい?」
「別にいいけどよ。
 ……国広がいた元の本丸ってあんまりいい場所じゃなかったのか?」
「そうだね……兼さんがいなかったからね」
 よく考えなくても答えは一つしかなかったが、冗談のようにそう言うと少しだけ和泉守は怒ったような顔をしたが、僕が苦笑いをしているのに気づくと溜息を吐いた。
「まぁ、今となっちゃぁ過去の話だしな。
 あんまり夜更かしすると明日の出陣に響くから早く寝ろよ」
「兼さんもね」
 わぁーってるよと立ち上がり手を振りながら帰っていく和泉守の背を見送る。その背が見えなくなるともう一度堀川は空を見上げた。
「あの日も、こんな夜だったな」
 その呟きは真っ暗な夜の中にすぐに溶けていった。

◇ ◇ ◇

 視界は最悪だった。降り続く雨の冷たさが体温を奪っていくが、対峙する時間遡行軍はそれを気にした様子はない。泥濘に足を取られそうになるが、踏ん張って脇差を振りぬく。正面上段を構える打ち刀の無防備なその腹を掻っ切り、そのまま右隣りから走り寄る短刀と刃を交える。力任せにそれを押し返すと「兼さん!」と後ろの背を任せていた刀の名を呼ぶ。
「おう!」
 言わずとも和泉守はその鋭い刃先を短刀の喉笛目掛けて貫く。かはっと口から血のような黒い液を出し、短刀が倒れる。すぐさま堀川は和泉守の背へと周り、周囲の時間遡行軍へ牽制する。
 打ち刀がまだ2体残っている。しかし、それぐらいであればものの数分で決着がつくと計算する。何と言ってもこちらには強くてかっこいい刀がいるのだから時間遡行軍など目じゃない。そしてそれは実際その通りだった。
 数分後にはすべての敵を切り倒し、和泉守と堀川は二人して周囲の安全が確認できてから刀を鞘へと納めた。
「兼さん、服がびしょぬれだよ。どこかで服を乾かさなきゃ!」
「国広、お前も大分服が汚れてるからな?」
 そう言って和泉守は自分が羽織っていた羽織を傘代わりにすると堀川と一緒にどこか雨をしのげる場所はないかと走る。

 ―事の始まりは時間遡行軍の出没を確認している地域への出陣が決まり、蜂須賀を隊長とした太郎太刀、鯰尾藤四郎、にっかり青江、そして和泉守と堀川の6振はその地へと繋ぐ扉を開けたはずであった。
 しかし、扉を開けて眩しい光に目を瞑り開けた後にいたのは和泉守と堀川の二振だけであった。他の刀はどこにと思いつつも感じる時間遡行軍の邪気にまずはそれらを追うのが先と任務を優先した所であった。

 畑の畦道を走るとちょうど誰も使っていないボロ小屋があったので二人してその小屋の中にはいるとまずは上着を脱いで服を絞った。たくさんの水気を吸い取った衣服は絞るたびに滝のように水がしたたり落ちた。
「マッチが無事だったのは不幸中の幸いだったな。
 兼さん、火を付けるからこの近くに服を干して」
「わかった」
 手早く堀川は小屋の中にあった焚火炉に薪をくべて火を付ける。和泉守は分厚い衣と羽織を適当な棒にかけると火に触れないような位置でそれを干す。堀川も和泉守の後に服を干すが、途中で気が付いたように口をとがらせる。
「こんな干し方じゃ皺ができちゃうよ」
「仕方ねぇだろ。出陣の準備に干し竿なんて含まれちゃあいないんだからよ」
「そうだけど……」
 なおも不満げな堀川はさきほど絞った跡がついた服を見ながらどうにか皺がつかないようにと引っ張ったりどうにかできないかと頭をひねっているようだった。和泉守は堀川の名を呼ぶとその肩を掴み、火の傍で座らせる。先ほどまで雨に打たれていたのだから、その体はとても冷たい。
「火にあたれ。風邪ひくぞ」
「そう……だね。確かに兼さんの言う通り、今は体調の方を気にしなくちゃ」
 今この場には二振しかいないのだ。体調を崩してしまうと迷惑をかける。潔く堀川は和泉守の指示に従い、火の傍で暖を取る事にした。
 雨が降って、無人の小屋で火を囲む。
 まだ空は明るいがまるで最初の遠征の時みたいだと堀川が思い出していると火に当たっているとがたんと小屋の外で何かが当たる音がする。
「なんだぁ、今の音」
 堀川が制止しようとする間もなく、和泉守は扉を開けて外を確認する。当然ながらそこに黒い何かはおらず、あるのはどこかからか飛んできた桶が地面に転がっているだけであった。
「雨に次いで風も出てきやがった。これは嵐になるかもな」
「他のみんなは大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。あいつらだって場数はそれなりに踏んでんだ。飾られてるだけの刀じゃねぇ」
 扉を閉めると和泉守は火の近くに改めて腰を下ろす。その髪からぽたりぽたりと雫が落ちるのに気が付くと生乾きではあったけれど持っていたハンカチで水気を取っては絞りを繰り返す。
「国広、もういいぞ」
「ダメだよ兼さん。髪の毛はちゃんと乾かさないと」
「でも面倒だろ」
「大丈夫!僕、兼さんの髪触るの好きだから」
 にこりと笑顔で言えばそーかよと和泉守はそっぽを向く。その様子に子どもっぽさを感じながら髪を乾かす作業を続ける。堀川の髪は短いこともあってもうすでにいくらか乾いていたし、シャツも薄手であったおかげでこちらも乾いていた。
「そういえばお前の本丸には新選組の奴とかいたのか」
 もぞりと和泉守の頭が動く。
「そうだね。鬼神丸さんがいたよ」
「ああ、あの人か」
「うん。同じ新選組だからって同じ隊によくされてたかな。稽古とかもつけてもらったし」
「へぇ……こっちでも会えるといいんだがな」
「そうだね……。でも主さんの話だと狙って会うのは難しいって言ってたけど」
「そりゃあうちの本丸だってお前、全然来なかったからなぁ」
「兼さんも僕の事会いたいって思ってくれてた?」
 冗談のようにそう訊くと、くるりと和泉守が振り返る。そして堀川の持ってるハンカチを奪うようにしてもぎ取りながら言う。
「当然だろ。相棒なんだからよ」
「兼さん……!!」
 感激して胸がいっぱいになるとはまさにこの事だろう。嬉しいの言葉しか出て来ない。和泉守の背に感情のままに飛びつこうとしたところで、がらりと戸が開いた。
「……どうやら邪魔したようですね」
「い、いえいえいえいえ!!」
 扉を閉めようとする太郎太刀の手を慌てて止めると、和泉守と同じくびしょぬれになっている太郎太刀を火の傍まで連れて行く。
「服は……」
「脱ぐのが大変なのでこのままで大丈夫です」
「だが、そのままじゃ風邪をひくぜ」
「確かに見た目はあれですが、中身はそれほど濡れていないんです。だから構いません」
 そう言って頑なに服を脱ごうとしない太郎太刀にそれ以上は和泉守も堀川も言えなかった。無言で火を見つめあう中で、先ほどのこともあり気まずくなった堀川が太郎太刀に「どうやってここへ?」とたずねる。
「雨が降り出していたので畦道に沿って雨宿りできる場所を探していたのです。明かりがついているから誰かしらいるのだろうとは思ってましたが」
「あんたは一人だったのか?」
「ええ、お二人は一緒に?」
 堀川がこくりと太郎太刀に頷くと少し考えるように口元に手を当ててしばらく押し黙る。
「お二人はよほど強い繋がりがあったからか飛ばされることなく同じ場についたのでしょう。私はその場に一人だけでした。時間遡行軍にも会わなかったのは不幸中の幸いとしか言いようがありませんね」
「大太刀のあんたなら、あったとしても問題なさそうだけどな」
「多勢に無勢ですよ。油断はできぬものです」
 そうかねぇとまだ納得しない和泉守に太郎太刀はそもそも実践できるような刀ではないですからとさらに付け加えるとようやく納得する。
 和泉守も堀川も鬼と呼ばれる人に使われた刀で、自分たち自身自戦い方は彼のを模倣していると自覚していた。汚かろうが泥臭かろうが勝てば良い、刀の時代が終わるにも等しい時期にそう扱われたのだ。
 だが、太郎太刀は神社で奉納されてる時間があまりにも長かった上に、そもそもそれを扱える人が少なかったため、実戦の数が少なかった。経験の差は和泉守も納得いく答えであった。
「雨が上がったら他の人を探しに行きましょう。あまりこの時代に留まりすぎると検非違使が現れる可能性もありますし。
 兼さんもそれでいい?」
「ああ、異論はないぜ」
 和泉守も太郎太刀も頷けば、堀川はさっそく外の天気を見ようと腰を上げたところでその手を太郎太刀に捕まれた。驚いてそちらを見ると太郎太刀も驚いたように堀川を見ている。
「えっと……太郎太刀さんどうしたんですか?」
「いえ、少し悪い気を感じて……」
 そう言って二度三度瞬きしてやはりと呟くと太郎太刀は堀川に改めて座るように言う。それに大人しく従う。ちらりと和泉守を横目で見ると彼も話の流れがよくわからないようで、堀川の代わりに天気を見てくると言って立ち上がって行ってしまう。
「御守りを持っていますか?」
「え?えっと……そういえば」
 太郎太刀に言われて、審神者に貰ったお守りを探そうとしてそれがない事に気づいてさぁっと血の気が引く音がした。最初の遠征が終わった後に審神者に厄除けだと御守りをもらったのだが、どこかで落としてしまったのだろう。
「ないのですか?」
「ないみたいです……」
 太郎太刀の言葉に項垂れて答える。毎日持つようにと言われて大事に肌身離さずにいた御守りだ。最後に見たのはいつだっただろうか。出陣の準備をするときにはちゃんと持っていることを確認したから、時間遡行軍と戦っている時に落としてしまったのかもしれない。後悔と悲しい感情が押し寄せて苦しくなる。
「そうですか……気休め程度ですがおまじないをしておきましょう」
「おまじない?」
「ええ。お守りはまた主からもらえばいいでしょう。あの人もいろいろなお守りを持っていますが、失くすこともその分多いですから」
 そう太郎太刀は言って、堀川よりも一回り大きな手でそ堀川の額に何かを描く。太郎太刀の指には朱や墨などは塗られていないから本当に気休め程度のおまじないなのだろう。指が何かの文字を描くたびに髪の毛が揺れて少しこそばゆくて仕方がなかったがただじっと待つ。
 太郎太刀は真剣なまなざしで何か言葉をぼそぼそと呟いていたがそれが何を言っていたのかわからない。神社に長く納められていたから見様見真似で神事を覚えたと太郎太刀は言っていたので恐らくそういうものなのだろうけれど、堀川はそっち方面に対しては知識を何も持っていなかった。   
 ピッと太郎太刀の指先が堀川の額を指して、その指を下ろすと共に終わりましたという。
 目に見えた変化はなかったけれど、少しだけ身体が軽くなったような感覚がある。
「ありがとうございます」
「いえ。私が勝手に気になってやっただけのことですから」
 素直に感謝の言葉を述べると、太郎太刀は少しだけ口の端を上げた。
「おーい、小雨になってきたきたぞ」
 戸を開けて空を見上げた和泉守が続けて雲の切れ目が見えるから雨がそろそろ上がるかもしれないと告げる。その言葉に太郎太刀も堀川もすぐに出かける準備に取り掛かったのだった。

 ぬかるんだ土を踏めば泥が跳ねたが、あまりそれを気にしている余裕はない。先陣を切って進む先に時間遡行軍がいないかなどを確かめながら歩くのは堀川の役目だ。その後ろを和泉守が歩き、殿は太郎太刀がついた。
 先ほどの雨のおかげで草葉が皆地面に倒れているため、視界は普段より良かったがどこにいるかもわからない時間遡行軍がどこかに隠れているかと思うと常に神経を尖らせていなければならなかった。
 だが、幸運なことに時間遡行軍は現れなかった。蜂須賀や他の者達にも会えていないが、焦りだけが増えていく。このまま時間が過ぎて行けば検非違使が出てくるのは必然だ。あれらと戦うにはたとえ6振揃っていたとしても骨が折れるというのに、たった三振だけで対峙することとは無謀であるとしか言えない。
「いねぇな」
 最初に飛ばされた場所に戻ってみたり、その周辺や雨宿りできる場所を巡ってみたがそのどこにも蜂須賀たちはいない。基本的に6振揃わねば帰還はできない決まりになっているから恐らくどこかにいるのだろうと和泉守も堀川も頭をひねっていたが、そこに太郎太刀が違うのではないかと言う。
「出陣できたのは私達3振りだけだったのではないでしょうか?」
「でもよぉ、俺は他の奴らがちゃんと扉をくぐったのを見たぞ」
「ですが、ちゃんとこの地に降り立ったのをみたわけではないのでしょう?」
 確かに彼らを見たのは扉をくぐるその背だけだ。事実、堀川と和泉守が降り立った場所と太郎太刀が降り立った場所はそこまで離れておらず、だから他の人たちがいるのであればあまり遠くではないはずだと考えたのだが他の刀達がいる気配はなかった。
 何か異常が起きて彼らはこの地に下りられず本丸に強制送還された可能性だってある。そんなこと一度も起きた事はなかったが、太郎太刀の言葉は否定できなかった。
「じゃあ、僕たちはどうやって本丸に帰れば」
「まぁまぁ、焦るなよ国広。もしそうなってれば本丸の方だって騒ぎになってるはずだ」
「ええ、恐らくは原因を解明しどうにかして私達を救助しようと働きかけてくれるはず」
 焦る堀川に対して和泉守と太郎太刀は冷静に判断する。結構な時間が経っているが、未だ本丸からの連絡はない。残りの三振りが本当にいないか確かめつつ、本丸からの連絡を待つことにし、三人は改めて周囲の探索を進めるのであった。
「嫌な気配がしますね」
 足を止めてそう太郎太刀が呟くように言うのに堀川も和泉守も足を止める。嫌な気配とすぐに周囲に時間遡行軍や検非違使がいるのではと周囲を警戒するが、そういうものは見当たらない。なんだと堀川が肩を下ろして警戒を解こうとするが、和泉守も太郎太刀も警戒心を解こうとせずむしろ刀に手をかけていることに驚く。
「いるな」
「ええ」
 二人は知った顔で頷くのに堀川はまた周囲を見回す。何度見ても何もいないし、何の気配もしない。ねぇ、どうしたのと声をかけようとしたところで、和泉守に背の後ろへとわからぬままに誘導される。
「何もんだ、てめぇ」
 そう言って和泉守が刀を向ける方向には何もない。だがよく見ればそのあたりの草だけ地面に押しつぶされていた。
 見えてはいないが、あそこに誰かが立っているのだ。さくり、と音がするとその少し前の草も押しつぶされる。ちらりと堀川が横目で見上げると、和泉守が少しだけ驚いたように目を見開き、その瞳が揺れるのが見えた。
「おめぇは……」
『ようやく通信が繋がりました!お三方とも、速やかに本丸に帰還を』
 どこからともなく聞きなれた管狐の声がする。
「和泉守殿」
「……わぁってるよ」
 太郎太刀の呼び声に答えて和泉守が刀を納めるとその身体が淡く空気に溶けていく。審神者が刀を呼び戻すための儀式を行っているのだ。淡く消えていく和泉守はじっと睨みつけるようにまだ誰かがいる方へとみている。堀川も改めてそちらを見て、その折れた草花の下に青色の何かが見えることに気が付いた。
 あれは、落としてしまったはずの御守りだった。

◇ ◇ ◇

 帰ってきて早々、蜂須賀や他の隊の者達と出会って無事だったかと聞かれる。どうやら蜂須賀たちも一応あの地へと飛ばされていたようだった。三振りで行動していたところに時間遡行軍に会敵し、鯰尾が負傷し雨も降り始めた頃にこんのすけの通信が入り、止む無く退陣を選択した。
 蜂須賀は堀川達三振りを見て怪我をしていないことを確認するとほっと安堵の息を吐いた。
「不意の事故だったとはいえ、無事で良かったよ」
「そうですね」
「ええ」
 太郎太刀や堀川が素直に本丸に無事に帰ってこれたことを喜んでいるのに対して一振りだけは難しい顔をして黙っていた。それに蜂須賀はどうしたのかと尋ねるが、和泉守はなんでもねぇの一点張りでその訳を話そうとしない。
「兼さん、どうしたのさ」
 らしくないと堀川が言うが和泉守はその表情のまま部屋へと戻っていってしまう。服が汚れているからそのままじゃ部屋を汚してしまう、とその後を追おうとした堀川の肩を太郎太刀が叩く。
「今はそっとしておいてあげてください」
「でも……」
「あれは強い刀ですから、きっと大丈夫でしょう。
 それよりも」
 太郎太刀は興味深いものを見たと蜂須賀に向けて言った。それに蜂須賀は立ち話もなんだからと空いた部屋ににっかり青江も呼んで四人で座る。
「なにやら浮かない表情じゃないか。幽霊でもみたのかい?」
 にっかり青江が部屋に入って用意された座布団に座るなり、太郎太刀の表情を見てそう言うと太郎太刀は頷き「幽霊ではありませんが、それに似たものを見ました」と告げる。
 それにおやまぁ、と青江が嬉しそうな声をあげるのに対して蜂須賀はどういうことだと太郎太刀に事情を説明するように促す。
「帰還する少し前に私と和泉守殿は何者かの視線をずっと感じていたのです。そしてそれは私たちが帰る直前にその姿を見せました。その姿は――」
 堀川国広でした。
 蜂須賀と青江が堀川の姿を見る。堀川は意味もわからず隣に座る太郎太刀の方を見上げた。
「太郎太刀、演練で他の本丸でたまに同じ姿の刀剣を見ることがあるが、それではないのか?」
「いえ、あれは堀川国広でした。ですがその姿は折れた姿に近しいものでした。いえ、もしかしたらあれはとっくに折れているものかもしれません。ただ敵意はなさそうでした」
 その言葉に蜂須賀は先ほどの和泉守の様子に納得がいったようだった。
「なるほど、長年待ち焦がれていた相棒のそんな姿を見てしまったら和泉守もかなり驚いたことだろうね」
「和泉守は大丈夫そうなのかい?」
「しばらくは混乱しているでしょう。今はそっとしておくのが一番だと思います。
 堀川殿があれを見なかったことだけが幸いでした」
「僕がですか?」
 折れた自分自身を見たところで何も思わなさそうだけど、と考えているとその表情が顔に出ていたのか太郎太刀が首を横に振る。
「あれを己だと思ってはいけません。認識してしまえばあれは貴方の一部となりましょう。あれは私達に恐怖を与えるだけですが、貴方にとっては呪いになりかねません」
 腑に落ちないところもあるが太郎太刀に言われればそうなのだろうと納得するしかない。
「しかし、あの場所にはまだ時間遡行軍がいるだろう?
 再度隊を編成して出陣する必要があると思うのだけれど……鯰尾と和泉守はあの様子では出陣できないだろうし、その上堀川までとなれば代わりの者などいないよ」
 青江の言葉に蜂須賀も頷く。今は三番隊まで遠征を出ているし、本丸は安全が保障されているとはいえ皆が出払っているような事態は避けたい。
「太郎太刀、堀川にまじないをしてもらえるだろうか?」
「ええ、それは構いませんが……。堀川殿は気休め程度だということをしっかり覚えていてくださいね」
 不承不承に太郎太刀は頷く。
 そして太郎太刀が再度堀川におまじないをしている間に蜂須賀は非番であった山姥切と歌仙を呼び、改めて再度出陣の準備をする。
「堀川、初めて一緒に出陣することになったな」
「うん、僕頑張るね」
 笑顔でそう言えば山姥切は布を深く被りああと言ってくれる。歌仙は和泉守の様子を心配していたようだが、それでも蜂須賀と共に出陣の準備を手早く進める。半刻もかからずに準備を整えると再び門の前に皆で集合する。
「堀川、二代目」
 こんのすけが皆さま、扉を開きますお心はよろしいですか?と聞くのに皆で頷くのに合わせて堀川も頷こうとした時、和泉守の声が聞こえ振り向く。表情は少し固く、心配になってそちらに駆け寄る。
「兼さん、大丈夫?」
「ああ……二代目、悪ぃけど変わってくれねぇか」
 その言葉に歌仙が首を横に振る。
「今の君は万全の状態じゃないだろう。そんな調子では他の者に迷惑をかけるのが目に見えてわかる」
 だから今は休みなさい、そう説教の如く歌仙が言うが和泉守は決して部屋に戻ろうとしない。それどころか歌仙を押しのけると隊長である蜂須賀の前に立つと頭を下げて「俺を連れて行ってくれ!」と頼み込む。
 その必死な和泉守の姿にやはりらしくないと堀川は思う。
「ねぇ、兼さん」
 頭を下げる和泉守の腕を堀川は引っ張りながら訊く。
「どうしてそんなに行きたいの?」
「それは……」
 それに和泉守は言葉を詰まらせて、気まずそうに堀川から目線をそらす。言い渋る和泉守の姿にため息を吐いたのは歌仙ではなく蜂須賀であった。
「和泉守、今の君の姿は美しくないよ。
 そんな調子では到底一緒に行く事を許可できない。俺は皆の命を預かっていて、その責任を背負っているのだから」
「じゃあ……せめて国広を置いてってくれ」
 小さい声でそう呟くように言う和泉守に蜂須賀は困ったような顔になる。置いていけるのであれば、そうしたかったという顔である。しかし、今本丸に残っている者達のことを考えればこの人選が一番最適だ。蜂須賀がそれを説明しようと口を開こうとしたのを堀川は手で制す。恐らく今何と言っても和泉守は納得しないだろう。それに気が滅入っている和泉守の相手をするのは相棒である堀川の役目だ。
「兼さん」
「……国広」
 堀川が和泉守に優しく声をかける。兼さんは強くてかっこいい刀でしょ?と言うとちげぇよと返される。やはりらしくない。まるで子供のようだと思う。
「まったくどうしちゃったのさ、兼さん。
 僕がいなくても色々とできるようになったんでしょう?」
 そう言えば、首を横に振る。昨日の夜話していたのとは真逆だ。眉を下げていると和泉守がだってと駄々をこねるように続ける。
「お前はすぐにどこかに行くから」
「何言ってるの。僕は和泉守兼定の相棒で助手だよ?
 どこにも行かないし、兼さんのところにちゃんと戻ってくるよ」
「……だけど、お前そう言って結局戻ってこなかったじゃねぇか」
 清光も、安定もと零す和泉守が言うそれは以前の主のことだと気が付く。清光がいなくなり、安定も、主も死んで、堀川とも離れ、たった一振残された刀だ。それを堀川は当然のことだと思う。和泉守は元の主達の生き様や信念などそれを残すに相応しい一振りだ。自分とは違う。
 しかし、和泉守の考えは違うのだろう。
「ごめんね、兼さん。確かに壊れちゃったら戻ってこれないかも」
「ならっ!」
「でも、それでも行かなきゃ。兼さんも最後まで戦い続けたあの人の姿を覚えてるでしょう?」
 それこそ刀の時代が終わるその時にも堀川と和泉守を愛用してくれた前の主を思い出して、和泉守は無言で頷く。前の主との付き合いは和泉守より、堀川の方が長い。故にその影響が色濃く出ているのも堀川の方だ。堀川は前の主が笑っていたように笑うと「兼さん、行ってくるね」とその肩を叩く。まだ拗ねた顔でありつつも行く事は認めてくれたようで「おう」とぶっきらぼうに言う和泉守に思わず苦笑いをしてしまう。
「和泉守、安心してくれ。堀川はきちんと君の元に返す」
 蜂須賀のその言葉に歌仙も山姥切も頷く。蜂須賀は隊長として、歌仙は和泉守を心配して、山姥切は兄弟の身を案じてそれぞれが大丈夫だと言う。
「国広、無茶すんなよ」
 改めてこんのすけが扉を開け、前の時と同じように蜂須賀から順番にその扉をくぐる。堀川がその扉をくぐる時、和泉守がそう呟くのを聞いて堀川は「もちろん!」と笑顔で答えた。

◇ ◇ ◇

 六振が問題なく出陣したのを見て和泉守ははぁと溜息をつく。
 己の情けなさと共に先ほどの堀川の笑顔に不安しかない。堀川が顕現しない間、和泉守は加州や清光たちと共に彼を待ちながら強さを求めた。また彼に会った時に強い姿を見せたかったのもあるが、彼や清光や安定達を和泉守自身が今度は守りたかった。
 清光は前の主ともっと戦いたかったと心半ばで折れてしまった自分を悔い、大和守も彼にもっと扱われたかったと願った。和泉守の願いは彼らとは少し違う。
 確かに自分も主ともっと戦いたかった。堀川の傍で共に戦った記憶は和泉守にとって苦しい事も辛い事もあったが充実していていた。けれど、主も堀川も自分を置いて去って行ってしまった。残されたのは自分だけ。
 長い間、ずっと一人だった。彼らと共に折れてしまえばと考えることもあった。けれど、できなかった。和泉守はあの時代を生き残った刀として後世まで残った。それが自分の役目だと信じて。あの人たちの信念とか想いを一人背負って生きてきた。
 だが、こうして今また彼らと出会えた時、和泉守は今度こそ一人だけ残されるのは御免だと思った。清光も安定もあの時の仲の良い二振りのままで、時々の口喧嘩を少しうるさく感じるもののそれよりも増してほっと安堵する何かがあった。
 そして何より他の本丸から堀川国広がこの本丸へやってきたと聞いて和泉守は遠征から帰ってくるなりすぐに堀川の元へと急いだ。荷物をそれこそ表門の前に置きっぱなしにして、国広とその名を呼びながら中庭へと急いだ。
 出会ったあの時とそう変わらぬ堀川国広が中庭で短刀達と洗濯物を干している背を見て、和泉守は恐る恐るもう一度国広と呼ぶと彼は「兼さん?」と振り返った。
 堀川国広は和泉守兼定の相棒だ。
 それは堀川国広だけではなく和泉守自身もそう信じていた。相棒であり、自分の足りない部分を補い、共に主を支え、戦ってきた唯一無二の半身。
 話をすれば彼も最後の記憶通り、当時の様子と変わらぬ状態であった。他の本丸で顕現しようが、堀川国広はそれそのもので違いなかった。
 彼が本丸の生活を終えて本格的に一員として活動する時、実は彼のために部屋を相部屋にもするでもなくずっと一人部屋にしていたのだとそう告げるタイミングは残念ながら訪れなかった。
 彼が自分の部屋に来て、真剣な眼差しで同じ刀派の部屋にいくことを決めたと伝えられた時、和泉守兼定はいいんじゃねーのと返した。寂しさはあったが、堀川が自分以外の誰かを頼りにすることにほんの少しだけ安堵したのだ。後は大人の余裕というもので、少しだけ堀川がいなくても大丈夫だと見栄が張りたくなったのだ。まぁ、部屋を同じにしなくても朝になれば堀川は和泉守を起こしに来たし、遠征や出陣があれば手伝いに部屋へと押し掛けた。寂しいと思うのは夜一人で布団に入る時ぐらいだ。
 堀川国広は和泉守兼定にとって空気のようなものだった。
 堀川国広がこの本丸にやってきてからというもの乱が時折和泉守を見て少し雰囲気が柔らかくなったと言った。その指摘は実際その通りで、出陣に出ては前に出過ぎだと何度か長曽祢虎徹に叱咤をされていたが、その回数は堀川が来てから確実に減った。それに長曽祢はようやく気を抜くことを覚えたかと和泉守に言った。別にそんなに気を張っていた覚えはなかったが、空気を吸うのが少しうまくなったようなそんな感じはあった。
「兼さん」
 その言葉が耳を打つたびに空気がうまく吸える。人の形を取ってはじめてようやく息をしているようなそんな感じがしたのだ。それなのに。
 あの時和泉守が見たのはいつも小奇麗に和泉守の隣に立つのにふさわしいようにとしているその服装を赤く濡らし、胸から誰の者かわからぬ刀の先を出しながら血をどくどくと流し、利き腕を失くし、見るからにもう命絶える間際の堀川であった。
 それを思い出すだけで手が震える。あの場で取り乱さなかったのは後ろに堀川がすぐにいたから。彼の目線が刺さるのが見えたから。だから、まだ大丈夫だった。けれどもう一度あれに遭遇したとき自分が冷静でいられるかはわからなかった。
 六振りが旅立った扉をじっと見つめてから、それから目を話して空を仰ぎ見る。
「息ってどうやって吸うんだっけなぁ」


◇ ◇ ◇

 二度目の出陣はあっけなくいつも通りのように六振りを目的地へと導いた。そこから蜂須賀が地図を頼りに時間遡行軍の敵陣がある方へと歩みを進めていく。その手腕は慣れたもので、的確に偵察と有利な陣形を選びつつ、大した負傷もなく進むことができた。
「すまないね。あの子は君のことを本当に頼りにしているようだから」
 そう歌仙が話しかけてきたのは三度目の偵察の時の事だった。
 青江と山姥切、堀川と歌仙、それぞれ偵察と隠密が得意な脇差とそれを補うように打刀が組んだのだ。時間遡行軍がいないか周囲の状況を的確に持ち帰るべく、泥に膝を付けるのも厭わず堀川がしゃがんで様子を伺っている時に歌仙がその横にやってきてそう言ったのだ。
「いえ、あの歌仙さん、着物が……」
 堀川は歌仙の言葉に謝罪はいらないのとそれよりも衣服が汚れる事を嫌う歌仙が泥をそれにつけてまで来たことに驚いてそれを指摘するが、歌仙は気にしていないと首を横に振る。
「戦場で別に泥を付けるのを嫌だと我儘を言うつもりはさらさらないよ。
 それよりこんな機会でないとゆっくり話す時間もなさそうだったから」
 その言葉に周囲の安全を確認してから歌仙に改めて向き合う。
「君がこの本丸に来てから、あの子はようやく本当のあの子らしくなったというか、昔は少し無茶ややんちゃをするような子だったんだ」
「兼さんは、昔からそうですよ」
 歌仙の語る和泉守には堀川も覚えがある。出会ったばかりの頃、和泉守はそれこそ最初から強くてかっこよかったが、それでも無理をしたり血気盛んで何度もそれを叱るのは相棒である堀川の仕事だった。うまくできれば褒めたし、悲しいことがあれば彼の傍でずっと話を聞き、ダメな事をしたらそれを叱り、諭す。それが和泉守に出会った最初の堀川国広の仕事であった。それが今やお節介焼きのレッテルを貼られるまでになってしまった。だがどうもそうやって誰かのためにあくせく働くのは自分に合っていたようだと後々自覚したためお節介焼きという言葉は甘んじて受け入れることにした。
 歌仙が言う和泉守はいわゆる顕現仕立てにそのような状態であったのだろうと堀川が思っていると歌仙は首を横に振って違うと答えた。
「あの子は利口な子だから、ちゃんと人から言われれば1、2回で大抵のことを覚えるよ。ただ物臭なだけできちんとやらないことが多かったけれどね。
 あの子は出陣や稽古でやたらと怪我をする子だった。あの図体だ目立たないはずはないけどね、敵に狙われてるのにも関わらず、一歩を踏み込んでしまう。その一歩をどうにか僕や他の仲間たちは必至で止めようとしたが、彼はそんな僕たちの僕たちの手をあっさりと振りほどいて敵陣の真ん中に切り込んでいく。計画も何もあったもんじゃない。出陣する度に手入れ部屋を使うんだ。それだけは何度注意しようとも直らなかった。まったく困った子だ」
 そう歌仙は呆れたような物言いをしながらも、目はとても優しく遠くを見ていた。歌仙は和泉守をとても大切に思っているのだと話を聞くだけでわかる。それに少しだけ嬉しくなる。和泉守兼定の周りにはちゃんと彼を思ってくれている人がいるのだと知れて、良かったと思った。
「けれど、君がこの本丸に来てからというものあの子は無茶をするのをやめた。ちゃんと自分の力量を見極めるようになった。一歩踏み出すのをためらうようになった。
 いい事だよ。僕たちは刀だけれど、壊れてしまえば跡形もなくなる。あの子はどこか生き急いでいるように見えた。誰かを追うようにずっと見えていた。
 君の影をずっと、追いかけていたんだろうね。何年も、何十年も」
 それこそ、別れてからの間ずっと。
 歌仙が堀川の方を見る。まっすぐと瞳をそらすことができないように鋭い目でこちらを見た。
「だから、君も簡単に命を捨ててはいけない」
「……はい」
「別に君に限った話じゃない。だが、君やその周りの子達は殊更強くそういう気が多いからね。
 どれだけ口を酸っぱくして言おうとしても聞きやしない。まぁ、性分なんだとはおもうけれど」
 歌仙はそこで一息を吐く。思いのほか、長く話し過ぎたと言って立ち上がる。
 確かに長く話していたような気がする。だがほんの数分程度だ。堀川も歌仙と同じように立ち上がると蜂須賀に偵察の結果を報告すべく歩き出す。
「つまるところ、僕は君たちが大事で思いもよらないことで失いたくないってことだ」
 その道すがら、歌仙は最後にそう言った。背を向いて言っていたので、どんな表情を歌仙がしていたのかはわからない。けれど、堀川にとってはそれは間違いなく歌仙兼定の本心で、面と向かいあって言う勇気はないけれど、伝えないといけないと思って口にした言葉なのだということを察した。
 その言葉にとても優しい人だと思う。自分が顕現された本丸に歌仙兼定がいたなら、同じ言葉を言ってくれただろうかと考える。いや、やめておこう。もうあの本丸に帰ることはないのだから。
 歌仙と共に蜂須賀がいる場所へと戻ると堀川とは反対側を偵察に向かっていた青江と山姥切はもう戻ってきていた。やはり青江たちが向かっていた方角に敵がいたようだ。
 蜂須賀はすぐさま青江の情報を頼りに襲撃の計画を立て始める。一回目の出陣が嘘のように順調に進んでいた。雨が降っていたはずの地面は敵の本陣に近づくにつれて固くなっていった。
 おまじないをすでに太郎太刀にしてもらったことなど忘れて、堀川は青江と共に奇襲を敵本陣に奇襲を仕掛けるべく、近くの茂みに隠れた。隠密行動は慣れている。
 遠くで弓矢の一陣が放たれたのを皮切りに、仲間の雄々しい声と共に続けざまに刀同士をぶつけ合う剣戟を耳に青江と堀川は目を合わせて頷き、敵の側面から躍り出てそのままその腕を、首を狙って切りつける。完全に山姥切をターゲットに刀を振り上げていた時間遡行軍の一人は側面からの攻撃に防ぎようがなくそのまま切り伏せられる。青江が切りつけた敵もそれに咄嗟に対応しようとして歌仙にその隙をつかれ、心臓を一突きされる。太郎太刀が薙ぎ払うように刀を振れば、それに敵の短刀達はなすすべもなく吹き飛ばされ、蜂須賀は残った太刀の敵を二度三度、打ち合った末にその刀を打ち落とし、そのまま横に一閃。
 圧倒的な勝利を収めた。
 敵がもう立ち上がらないのを確認してから残党がいないかを改めて見回り、そうしてやっと刀を納めた。勝ったのだ。堀川は息を吐いて皆の方を振り返った。
 お疲れさまです。そう声をかけようとして、その肩に冷たい手が置かれる。え、と振りかえろうとした時、左手を誰かに捕まれる。
「兄弟」
 山姥切だった。咄嗟に声をかけられたものの、山姥切はそれ以上何も言わない。いや、なぜ声をかけたのかも山姥切には理解していないようだった。
「怪我、はないか」
 しばらく見合った後、そう山姥切に問われる。ゆるゆると首を横に振る。怪我は多少はしているがどれも軽傷だ。手入れ部屋に入る必要もないくらいの。そうか、と山姥切は手を離す。
 手を離されてから、後ろを振り返る。何もいない。
 ただ、青江が驚いたようにこちらを見ていた。何かを見たかのようなそんな表情である。蜂須賀も太郎太刀もてきぱきと帰陣の準備をしている。確かにいつも用が終わればすぐに帰陣の準備をしていたがそれにもまして蜂須賀も太郎太刀も急いでいるように見えた。
「……堀川君、いまの見えた?」
「青江」
 山姥切が叱責するように言うのに、大丈夫だよと答えて、青江を見る。
「いたの?」
「くっきりと見えたよ。あれは確かに和泉守が気の毒になるのもわかるよ」
「そんなにも酷かった?」
「夢にも見そうな姿だったよ。まず夜に短刀達が見たなら悲鳴をあげてひっくり返ってしまうんじゃないかな」
 その姿を想像して顔を顰める。青江はふふふと笑っていいものが見えたよと堀川を気遣うように軽い調子で言う。実際、その言葉には少し救われたのでありがたい。
「山姥切さんも見た?」
「……見てない」
 目線をそらされてそう言われると嘘が下手だなぁと思うしかない。けれど、彼がそう言うならそういう事にしておこうと、そっかと笑った。
 ようやく帰陣の準備が整うと六振揃って光に包まれる。その目の端に七振り目の足が見えた。白いズタボロのズボン。それはところどころ赤く染まってる。切り傷がそこかしこについている。あれはあの足は。
 光が消えて、暗闇になる。
 帰陣する時はいつもそうだ。一瞬だけ真っ暗になる。ただ、今日はそのくらい時間がやけに長く感じる。ひたりと足音が聞こえた。後ろを振り返る。足がまだついてきている。一歩一歩こちらへと近づいてきている。真っ暗闇なのにその足だけは良く見える。そう言えば、あのズボン、どこかおかしい。まるでつぎはぎされたようにも見える。最初はひざ下だけしか見えなかったのに膝上までそれがくっきり見えるようになる。
「国広」
 目を瞬かせる。気が付くと本丸の中庭に立っていた。和泉守兼定が目の前に立っている。
「兼さん」
 声を出すと喉が渇いたようにからからであった。ごほっと咳を一つする。心配そうに和泉守は堀川の右手を見る。その右手から血が流れている。どこかで何か引っ掛けかだろうかと考えて右手を持ち上げると、思いのほかその傷口は深かったようで、だらだらと袖口を赤く染めていた。けれど、そこまで痛くない、大丈夫だと言おうとしたした堀川の怪我のしていない左手を和泉守は素早く掴んだ。
「だから、お前は目を離せねぇんだよ」
 そう言って訳知り顔で手入れ部屋へと向かって歩き出すのに堀川は気まずそうにその後をついていくしかなかった。

◇ ◇ ◇

 手入れ部屋に押し入れられて、一刻ほど立って外に出る。右手の怪我はすっかり見えなくなったがなんだかじくじくと見えない傷跡が痛むような気がして、一度堀川はその手を撫でた。
「なんだ、まだ治ってないのか?」
 どうやら手入れ部屋の前で待っていたらしい和泉守が右手をまだ気にしている堀川の方を見上げた。まさか和泉守が部屋の外で待っているとは思わず堀川は驚いて、それから右手を見せる。
「ううん、ちゃんと治ったよ。ほら見て、怪我なんてどこにもないでしょ」
「んー?」
 和泉守は疑うようにその腕を見る。確かに何もないようだと触ってまで確かめる。それに信用がないのかそれともすごく心配しているからなのか判断ができず、困った顔で和泉守が確認し終わるのを待つ。
「よし、確かにもう怪我してねぇな」
「兼さん、大げさだよ。あんな怪我なんて命にかかわることなんてないのに」
「でも、そのまま放っておいていい怪我でもなかっただろ」
 そう言われると黙るしかない。もう一つの手入れ部屋はすでに空で、鯰尾の声が遠くから聞こえる。彼も無事に怪我が治ったらしいことに安心する。
「兼さんずっと待っててくれたの?」
「やることがなかったからな」
 和泉守は一度背伸びをすると起き上がる。空は少し薄暗くなってきており、そろそろ遠征に向かった隊が帰ってくる頃だろう。厨から湯気が立つのが見える。
「国広、戻るか」
 それにどこへとは聞かなかった。
「そうだね、兼さん」
 堀川は頷くと和泉守の隣に並び立ち、ゆっくりと歩き出す。
 和泉守の歩幅は堀川より大きい。顕現した当初は彼の歩幅に合わせてやや駆け足気味に隣を歩いていたが、いつからか和泉守の方が堀川の歩幅に合わせて歩くようになった。変わらぬ和泉守の気遣いに嬉しさを覚え、微かに笑うと和泉守がなんだよと仏頂面で言う。
「ううん。別に。
 そういえば今日歌仙さんがね、兼さんのことすごく心配してたよ」
「二代目が?」
「うん、そう。兼さんは賢いけど無茶する事が多いって」
「無茶なんかした覚えなんかねぇけどなぁ」
「兼さんだけじゃなくてあの時代に生きてたみんな無茶するからって言ってたよ。
 前の主に似ようとするからかなぁ」
「あぁ、そう言われりゃあ何かとあの沖田君達は無茶しやがるな」
 自分の事は棚にあげて加州と大和守の事を和泉守は話し出す。過去の出陣で注意が足りてないとか、危なっかしいとか、果てには日常でいろんなことに口を挟んでくると愚痴を漏らす。
 そうして話していると本当に以前の様子そのままであった。昔から加州や大和守は和泉守をあれこれと面白がって教えるがその中には嘘の事柄もあり、その嘘を信じて言う和泉守に堀川が真実を伝えれば怒って加州と大和守の後を追った。長曽祢や他の皆はその様子を遠くから見守るのがいつもの光景であった。
「懐かしいよなぁ」
 和泉守は愚痴をこぼし切った後にそう呟く。彼にとってはもう何年も前の話なんだろう。
「懐かしいね」
 和泉守に頷いて同意すると和泉守は嬉しそうにだよなぁと返した。まるで昔の続きをしているみたいだと考えて足を止める。
「国広?」
 和泉守が二、三歩進んでから立ち止まる。夕暮れが和泉守を赤く染める。怪訝そうにこちらを見る和泉守のその先の廊下の暗闇。そこから何かがこちらを強く睨んでくるような視線を感じる。
「国広」
 もう一度和泉守が名を呼んだ。
 じわりと治ったはずの右手が痛むような気がしてもう一度右手を見る。何もない。どこも怪我をしていない。
「……なんか忘れ物をしたような気がして」
 その言葉に和泉守が心配そうな表情を和らげる。再びその隣に立って歩き出す。廊下の方は視線の中に入れないように自然に歩くふりをする。
「国広が忘れ物ねぇ……俺や他に構ってばっかりだったからじゃねぇの?」
「だって兼さんの手伝いをするのは僕にとって重要なことだから。体を動かしてた方がそれに気が楽なんだよね」
「へぇへぇ、働き者の言う事は違うねぇ。
 でも自身を疎かにしてちゃあ本末転倒だぜ」
「そうだね。気を付けるよ」
 暗い廊下の前を通り過ぎてようやくほっと安堵の息を吐く。
「なぁ、国広」
「なに?兼さん」
「今度は俺を置いて行くなよ」
 今度、の意味が指すところがわからない。首を傾げると和泉守はわしゃわしゃとその堀川の髪を撫でる。ねぇ、どういうことと和泉守に詰め寄るが、それに和泉守は答えず今日の夕飯はなんだろうなぁと話をあからさまにずらした。
 こういう時の和泉守に何を言っても無駄だということは過去の経験から知っている。しょうがないなぁと堀川はため息をついて共に厨の方へと向かって歩いて行った。
6/12ページ
スキ