この本丸には堀川国広は存在しない
蜂須賀には浦島という可愛い弟がいた。明るく、誰とでもすぐに打ち解けてしまえる優しくて自慢の弟だと事あるごとに本丸にいる刀達に自慢していた。
「兄弟とはそんなにも良いものだろうか」
「ああ、良いものだよ」
贋作の顔が一瞬ちらついたがそれを無視して蜂須賀は山姥切の答えに自信を持って頷いた。山姥切の手には主から貰い受けた刀剣の名が記された巻物の一つがある。名のある名刀もあれば贋作もあり、真贋もわからぬ素性の怪しい刀もある。
その巻物の一つに記された名に山姥切は目を落としていた。歌仙の弟分たる刀がこの本丸に顕現し、数日後に「国広はいねぇのか?」と言った事から始まった。
歌仙の弟分―和泉守兼定―は蜂須賀に本丸を案内された後、数日歌仙と共に過ごした。周りに溶け込むのが早く、旧知の中である大和守と加州に出会ってしばらく談笑した後にその名前が出てきたのだ。それを廊下で偶然聞いていた山姥切は茶の間で優雅にお茶をしていた蜂須賀と歌仙にそのことを聞いた。
山伏以外に国広はいるのか、と。
「やはり同じ刀派というのは気になるものだね。まぁ、兄弟とも言える存在だから当たり前か」
そう笑みを浮かべながら歌仙が言ったのに対して、蜂須賀の日ごろの弟自慢を思い出した山姥切が冒頭の言葉をつぶやいたのだ。
「そうか。確かに蜂須賀のような刀であればどんな刀であろうとも誇りに思うだろうな。
しかし、写しである俺を兄弟だと思って喜ぶ奴はいるだろうか」
「山伏は写しとか気にせず君のことを受け入れてくれてるじゃないか」
「兄弟は知らぬ仲ではないからな。ただ、それだけだ」
見知らぬ者から見れば写しである自分とは兄弟だと思いたくはないだろうと山姥切は鬱屈した面持ちでその名を見つめた。蜂須賀はそんなことはないと言おうと思うが、口を開いたところであの贋作の顔を思い出す。あれを兄弟だと思いたくない自分が山姥切の言葉を否定するのは矛盾していると自覚してしまえば言おうとした言葉は口の中で溶けて消えてしまった。
そんな二人を傍目にぬるくなった茶を歌仙は優雅な所作で口に含む。
「でも、それは彼も思っていることかもしれないよ」
「どういうことだ?」
ことりと歌仙は湯呑を置くと山姥切が目を落としているその名を口にする。
「和泉守の話によれば……堀川国広は本当に堀川派の刀かどうかはわからないらしい」
同じ主の元に本差、脇差と共に相棒のように連れ添った二刀だ。だが主が亡くなった後に生家に届けられた和泉守と違って、堀川国広は行方知れずのまま。しかもその存在は手紙でその名があったことでしか証明ができない。本物か、偽物か……諸説では偽物という声が多いが行方がわからないために確かめようもない。
「だが、和泉守の話では気の利く良い子だという話だよ。世話焼きで、よく自分の補佐をしてくれていたと」
そう話す歌仙は和泉守のことを信頼しているようで、その和泉守が言う堀川国広のことも信用しているようだった。
話を聞いた山姥切はというとバツの悪そうな顔をしている。写しである引け目はあっても国広の最高傑作のひとつと言われている自分だ。山姥切自身も自分を打った刀工の腕は間違いなく本物だと自負している。
山姥切はまた巻物に目を落とした。堀川派に分類されるとはいえ、真贋のわからぬ刀。行方も知れぬ刀。それが自分を兄弟と呼ぶことはあるだろうか?と考える。
見知らぬ刀だ。山伏のように大声で笑って兄弟と呼ぶかもしれない。冷めた表情でこちらを見るかもしれない。同じ堀川派であるのに他人のように思うかもしれない。
「不安かい?」
「……」
歌仙の言葉に何も言い返せず黙る山姥切に歌仙がうっすらと笑みを浮かべる。こんな不安に思うのであれば聞かなければ良かったと後悔する山姥切は開いた巻物を元に戻すと蜂須賀に押し返す。
そして立ち上がり無言で茶の間を去ろうとした。
「おお、兄弟ここにおったのだな」
「二人だけで菓子食ってんのかよ」
山伏と和泉守が道を塞ぐようにしてやってきたのだ。そして茶の間を出ようとする山姥切の腕を引っ張られるがままにまた座ってしまった。
「和泉守殿から拙僧たちの兄弟刀がいると聞いてな。
兄弟にもその話をしようと思って探していたのだ」
一片の曇りもない笑顔でそういわれてしまえば「そうか」と山姥切も答えるしかなかった。
「奇遇だね。俺達もちょうどその話をしていたんだよ」
「なんと、そうであったか!」
歌仙が人数分の追加の湯呑みを出している間に、蜂須賀が山姥切に押し付けられた巻物を山伏に見せて、先ほど歌仙が話していた内容を山伏にもう一度説明する。
「なるほど、しかしこの巻物に堀川派と分類されているのであれば、拙僧はそれを受け入れるのみ。少しでも繋がりがあるのであれば兄弟には違いあるまいて」
そう山伏が言ったのに蜂須賀が少しほっとした顔になるのを見る。そして歌仙がお茶の入った湯呑を皆の前に置き、菓子の入った籠をちゃぶ台の中央に置くと和泉守に視線を向ける。
「それで、堀川国広ってどんな子なんだい?」
「あー……っと世話焼きってのは前に説明したよな」
早速籠に手を伸ばそうとした和泉守であったが、歌仙にそう聞かれ伸ばした手を引っ込めると腕を組んだ。歌仙がさらに話を続けろと促すと和泉守はどう説明するべきか悩んだ様子をしながら話し出す。
「国広は俺の相棒みたいなもんでどこに行くにも一緒についてきて、色々と身の回りの世話もしてくれた。俺の髪を結んだりとか、服を用意してくれたりとか、頼んでもねぇのに勝手にあれこれやるんだよ。言っておくけど、世話されてたのは俺だけじゃないからな?あいつは大体の困ってそうな奴がいたらほいほい助けちまうようなお人好しなんだよ。
真面目でお節介でお人好し、でもな。アイツは脇差としての仕事もしっかりこなしてたよ。時には非情になることだって必要だし、そういう仕事もアイツはやってのけてた。芯の強いやつなんだ」
相棒だと言う和泉守は堀川国広の事をかなり信用しているようで半ば自慢するように話す。それを山伏は面白そうに聞いて「実際に会うのが楽しみであるな、兄弟」と肩を叩いてくる。
だが、その言葉に和泉守の眉が下がった。
「どうだろうなぁ、あいつ。真面目だから、遠慮するかもしんねぇ」
「遠慮?なぜ?」
「あいつが俺の相棒なのは間違いねーけどよ。堀川派かどうかわかんねぇって話が出てるんだろ?なら、あいつきっと違ったら堀川派の奴らに申し訳ないとかなんとか言うと思うんだよな」
そう和泉守は肩を竦める。相棒であることは自信を持って言えるが、堀川派に関しては何とも言えないという。なるほどなぁ、と山伏はうんうんと頷いている。
なんとも言えない空気が茶の間に広がるが、その空気を無視するかのように和泉守が籠のお菓子に手を伸ばして、口にする度目を輝かせる。
「これ美味いな!」
「和泉守」
歌仙が呆れたように名前を呼ぶが、和泉守は気にせず籠の菓子を食べ続ける。顕現したばかりで子どものようなその刀に皆は微笑むようにそれを見て湯呑の茶を飲み切ると解散の流れになる。
山姥切は茶の間を後にするとそのまま稽古場へと向かった。もやもやとした何かがずっと頭に残っており、それを払うために体を動かしたかったのだ。
「兄弟」
そしてその背を山伏が追ってきていた。その声に振り返ればいつもの笑顔で「稽古場へ行くのか?」と聞かれる。
「ああ」
「ならば拙僧も共に行こう」
二人並んで稽古場へと向かう廊下を歩く。
庭を駆ける短刀たちの賑やかな声が遠く聞こえる。粟田口派の刀も互いを兄弟として認識しており、その仲の良さは山姥切もよく見ているため知っている。だが、自分が彼らと同じように堀川派である兄弟に接することができるかと聞かれると否と答える。
あのように大声で笑いあったりなどできないだろうと考え、ふと隣を歩く山伏を見上げる。兄弟刀である彼とは少なからず共にいる事が多い。山姥切自身、孤独が好きだというわけではないがそれでも人と少し距離感をどうしても取ってしまう癖があるが山伏に対してはそれがなかった。
共にいて違和感のない相手、それが山姥切から山伏に対する評価であった。
「なぁ、兄弟よ」
「なんだ?」
「拙僧は兄弟とこの本丸で再び相まみえたことに感謝をしている」
藪から棒に何を言うかと思えば、山姥切は稽古場に行く足を止める。
「堀川国広という刀の存在を知ったとしても、この本丸にその刀があるわけでもなし、願えば会えるというものでもなし。ただ、そのような刀があったということだけしかわからぬのだから」
堀川国広は行方知れずだという歌仙の言葉が蘇る。あやふやな存在であるそれは山伏の言う通り、山姥切の中で明確な形は持たずただそこにあるというだけである。
「兄弟と拙僧は堀川派であり、それは何をどうしようと変わらぬ事実である。だが」
そこで山伏は口を閉ざした。山伏の視線は遠く楽しそうな声が聞こえる方へと向けられている。その山伏の表情に先ほどの蜂須賀の嬉しそうな顔、和泉守の信頼している顔を思い出す。山姥切は山伏が今何を思っているのか分かった気がした。
「……堀川国広が来たら、3人で話をしよう」
気がつけば、そんな言葉が口から出ていた。山伏が目尻が下げながら頷く。
「うむ。良い考えである」
「お茶菓子も今度万屋で見てくるか」
「万屋にはさまざまな甘味がある故、迷ってしまいそうであるな」
「別にいつ来るかはわからないんだ。ゆっくり探せばいい」
稽古場へと再び歩きながらそんな話を山姥切と山伏は続ける。不思議と胸にあったもやはなくなっており、以降堀川国広という言葉を聞いても不安を覚えることはなくなった。
ただそんな山姥切の想いに対してこの本丸に堀川国広が顕現することはなかった。
政府より任される仕事が増え、刀不足から鍛刀を十二十と繰り返し、部隊を二つ三つと増やしていった。だが、その中には堀川国広の姿はない。
いつ現れるかもわからぬ兄弟のためにと万屋で買った菓子も賞味期限が切れる前に食べたり皆に渡したりなどして何とか消費していた。ただその準備だけは欠かさずにしていたため、いつの間にか習慣の一つとなっていた。
そしてある日、山姥切と山伏は揃って万屋での買い物を審神者に依頼された。少し前に同じように審神者に頼まれ一期と加州が買い出しに出かけていたはずと少しの違和感を覚えながらも山姥切と山伏は万屋に出かけ、依頼されたものと習慣になってしまった菓子を買うと本丸へと戻った。買ったものを包んだ袋を審神者に渡すと追加で客間に行くよう指示される。
その命令をした審神者が意味ありげな風に笑うので山伏と山姥切は顔を見合せたが、言われるがままに客間の前に来てようやく合点がいった。
襖の空いた隙間から自分達の衣装とよく似たものを纏う少年が蜂須賀と話をしている。声は溌溂としており、和泉守から聞いた通り礼儀正しそうな雰囲気で蜂須賀の言葉に受け答えしているその姿に山伏も山姥切も顔を見合わせて頷いた。
あれがあの巻物にあったもう一振りの兄弟。
襖を山伏が勢いよく引いて中に入るとその兄弟がこちらを振り向く。
「堀川国広か」
という山姥切の言葉に自信なさげに頷く彼は、かつて歌仙が言っていたように真贋がわからぬと伝えて距離を置こうとする。だが、その堀川の不安を打ち消すかのように山伏はカッカッと笑う。
「なに、堀川国広という名前があるならお主が兄弟であることには変わらぬだろうて。なぁ?」
「そうだな」
山姥切がそう同意すると驚いたように堀川の目が丸くなってこちらを見た。
信じられない、といわんばかりの表情だ。
だがその表情を無視して山姥切と山伏は自己紹介をし、そのまま明日共に馬屋番をする約束まで取り付けた。まだ戸惑う堀川を客間に残し、他の用事があるからと蜂須賀が席を外す。
そしてようやく兄弟三人だけとなった客間で山姥切は持っていた包みを堀川に見せた。
「えっと、これは一体……」
「菓子だ」
「兄弟は今日この本丸に来たばかりなのだろう?
茶でも飲みながら、色々と話さぬか」
そう山伏が言えば包みをおずおずと堀川は受け取り、その中身を見る。万屋で美味しいと山姥切も山伏も押す色鮮やかな花を模した練り切りである。三つ入れられた練り切りに堀川はすぐにお茶を用意すると言って部屋を出ようとしたところを山姥切が止め、山伏と共に厨へ行こうと提案する。
それに堀川も笑顔を潔く見せ、三人は茶と菓子をつつきながら色々な話をしたのであった。
そうして仲を少しずつ深めていた山姥切は今日、堀川が遠征に出ることを審神者に伝えられる。
堀川と所属する部隊は違うが山姥切も今日は遠征の予定である。帰ってくるのは明日の昼頃だ。
「なぜそれを俺に?」
「一応、君が彼を気にかけているようだから」
「それは……同じ刀派だからな」
「真贋がわからぬのに?」
「……だとしても兄弟であることに変わりはない」
少しのいら立ちを覚えながらも山姥切は審神者に向かって言う。受け入れたのだ。山伏と同じように彼が堀川国広だというのであれば兄弟であると。それはまだ蜂須賀と浦島のようなお互いを誇りに思うようなものではないし、歌仙や和泉守のように互いを信頼しているようなものではない。まだ芽吹いたばかりの絆である。
望んだのは山伏と山姥切だ。
心から信用する彼らの語るそれに焦がれ真贋など関係なくつながりがあるならば兄弟になりたいと願った。
山姥切の鋭い視線に審神者は頷くとその手に小さな袋を乗せる。訝しみながらその袋の口を開くと金子が少し入っている。
「遠征先でなにか良いものがあればそれで買ってくるといい。あぁ、別にそれは君だけ特別ということではない。他の者達にはすでに渡してあるからね。
例えば……菓子とか」
含みを持つ審神者の言葉に山姥切は無言でその袋を手にその場を立ち去る。後ろを振りかえらずとも審神者が笑みを浮かべているのは分かっていた。
「兄弟とはそんなにも良いものだろうか」
「ああ、良いものだよ」
贋作の顔が一瞬ちらついたがそれを無視して蜂須賀は山姥切の答えに自信を持って頷いた。山姥切の手には主から貰い受けた刀剣の名が記された巻物の一つがある。名のある名刀もあれば贋作もあり、真贋もわからぬ素性の怪しい刀もある。
その巻物の一つに記された名に山姥切は目を落としていた。歌仙の弟分たる刀がこの本丸に顕現し、数日後に「国広はいねぇのか?」と言った事から始まった。
歌仙の弟分―和泉守兼定―は蜂須賀に本丸を案内された後、数日歌仙と共に過ごした。周りに溶け込むのが早く、旧知の中である大和守と加州に出会ってしばらく談笑した後にその名前が出てきたのだ。それを廊下で偶然聞いていた山姥切は茶の間で優雅にお茶をしていた蜂須賀と歌仙にそのことを聞いた。
山伏以外に国広はいるのか、と。
「やはり同じ刀派というのは気になるものだね。まぁ、兄弟とも言える存在だから当たり前か」
そう笑みを浮かべながら歌仙が言ったのに対して、蜂須賀の日ごろの弟自慢を思い出した山姥切が冒頭の言葉をつぶやいたのだ。
「そうか。確かに蜂須賀のような刀であればどんな刀であろうとも誇りに思うだろうな。
しかし、写しである俺を兄弟だと思って喜ぶ奴はいるだろうか」
「山伏は写しとか気にせず君のことを受け入れてくれてるじゃないか」
「兄弟は知らぬ仲ではないからな。ただ、それだけだ」
見知らぬ者から見れば写しである自分とは兄弟だと思いたくはないだろうと山姥切は鬱屈した面持ちでその名を見つめた。蜂須賀はそんなことはないと言おうと思うが、口を開いたところであの贋作の顔を思い出す。あれを兄弟だと思いたくない自分が山姥切の言葉を否定するのは矛盾していると自覚してしまえば言おうとした言葉は口の中で溶けて消えてしまった。
そんな二人を傍目にぬるくなった茶を歌仙は優雅な所作で口に含む。
「でも、それは彼も思っていることかもしれないよ」
「どういうことだ?」
ことりと歌仙は湯呑を置くと山姥切が目を落としているその名を口にする。
「和泉守の話によれば……堀川国広は本当に堀川派の刀かどうかはわからないらしい」
同じ主の元に本差、脇差と共に相棒のように連れ添った二刀だ。だが主が亡くなった後に生家に届けられた和泉守と違って、堀川国広は行方知れずのまま。しかもその存在は手紙でその名があったことでしか証明ができない。本物か、偽物か……諸説では偽物という声が多いが行方がわからないために確かめようもない。
「だが、和泉守の話では気の利く良い子だという話だよ。世話焼きで、よく自分の補佐をしてくれていたと」
そう話す歌仙は和泉守のことを信頼しているようで、その和泉守が言う堀川国広のことも信用しているようだった。
話を聞いた山姥切はというとバツの悪そうな顔をしている。写しである引け目はあっても国広の最高傑作のひとつと言われている自分だ。山姥切自身も自分を打った刀工の腕は間違いなく本物だと自負している。
山姥切はまた巻物に目を落とした。堀川派に分類されるとはいえ、真贋のわからぬ刀。行方も知れぬ刀。それが自分を兄弟と呼ぶことはあるだろうか?と考える。
見知らぬ刀だ。山伏のように大声で笑って兄弟と呼ぶかもしれない。冷めた表情でこちらを見るかもしれない。同じ堀川派であるのに他人のように思うかもしれない。
「不安かい?」
「……」
歌仙の言葉に何も言い返せず黙る山姥切に歌仙がうっすらと笑みを浮かべる。こんな不安に思うのであれば聞かなければ良かったと後悔する山姥切は開いた巻物を元に戻すと蜂須賀に押し返す。
そして立ち上がり無言で茶の間を去ろうとした。
「おお、兄弟ここにおったのだな」
「二人だけで菓子食ってんのかよ」
山伏と和泉守が道を塞ぐようにしてやってきたのだ。そして茶の間を出ようとする山姥切の腕を引っ張られるがままにまた座ってしまった。
「和泉守殿から拙僧たちの兄弟刀がいると聞いてな。
兄弟にもその話をしようと思って探していたのだ」
一片の曇りもない笑顔でそういわれてしまえば「そうか」と山姥切も答えるしかなかった。
「奇遇だね。俺達もちょうどその話をしていたんだよ」
「なんと、そうであったか!」
歌仙が人数分の追加の湯呑みを出している間に、蜂須賀が山姥切に押し付けられた巻物を山伏に見せて、先ほど歌仙が話していた内容を山伏にもう一度説明する。
「なるほど、しかしこの巻物に堀川派と分類されているのであれば、拙僧はそれを受け入れるのみ。少しでも繋がりがあるのであれば兄弟には違いあるまいて」
そう山伏が言ったのに蜂須賀が少しほっとした顔になるのを見る。そして歌仙がお茶の入った湯呑を皆の前に置き、菓子の入った籠をちゃぶ台の中央に置くと和泉守に視線を向ける。
「それで、堀川国広ってどんな子なんだい?」
「あー……っと世話焼きってのは前に説明したよな」
早速籠に手を伸ばそうとした和泉守であったが、歌仙にそう聞かれ伸ばした手を引っ込めると腕を組んだ。歌仙がさらに話を続けろと促すと和泉守はどう説明するべきか悩んだ様子をしながら話し出す。
「国広は俺の相棒みたいなもんでどこに行くにも一緒についてきて、色々と身の回りの世話もしてくれた。俺の髪を結んだりとか、服を用意してくれたりとか、頼んでもねぇのに勝手にあれこれやるんだよ。言っておくけど、世話されてたのは俺だけじゃないからな?あいつは大体の困ってそうな奴がいたらほいほい助けちまうようなお人好しなんだよ。
真面目でお節介でお人好し、でもな。アイツは脇差としての仕事もしっかりこなしてたよ。時には非情になることだって必要だし、そういう仕事もアイツはやってのけてた。芯の強いやつなんだ」
相棒だと言う和泉守は堀川国広の事をかなり信用しているようで半ば自慢するように話す。それを山伏は面白そうに聞いて「実際に会うのが楽しみであるな、兄弟」と肩を叩いてくる。
だが、その言葉に和泉守の眉が下がった。
「どうだろうなぁ、あいつ。真面目だから、遠慮するかもしんねぇ」
「遠慮?なぜ?」
「あいつが俺の相棒なのは間違いねーけどよ。堀川派かどうかわかんねぇって話が出てるんだろ?なら、あいつきっと違ったら堀川派の奴らに申し訳ないとかなんとか言うと思うんだよな」
そう和泉守は肩を竦める。相棒であることは自信を持って言えるが、堀川派に関しては何とも言えないという。なるほどなぁ、と山伏はうんうんと頷いている。
なんとも言えない空気が茶の間に広がるが、その空気を無視するかのように和泉守が籠のお菓子に手を伸ばして、口にする度目を輝かせる。
「これ美味いな!」
「和泉守」
歌仙が呆れたように名前を呼ぶが、和泉守は気にせず籠の菓子を食べ続ける。顕現したばかりで子どものようなその刀に皆は微笑むようにそれを見て湯呑の茶を飲み切ると解散の流れになる。
山姥切は茶の間を後にするとそのまま稽古場へと向かった。もやもやとした何かがずっと頭に残っており、それを払うために体を動かしたかったのだ。
「兄弟」
そしてその背を山伏が追ってきていた。その声に振り返ればいつもの笑顔で「稽古場へ行くのか?」と聞かれる。
「ああ」
「ならば拙僧も共に行こう」
二人並んで稽古場へと向かう廊下を歩く。
庭を駆ける短刀たちの賑やかな声が遠く聞こえる。粟田口派の刀も互いを兄弟として認識しており、その仲の良さは山姥切もよく見ているため知っている。だが、自分が彼らと同じように堀川派である兄弟に接することができるかと聞かれると否と答える。
あのように大声で笑いあったりなどできないだろうと考え、ふと隣を歩く山伏を見上げる。兄弟刀である彼とは少なからず共にいる事が多い。山姥切自身、孤独が好きだというわけではないがそれでも人と少し距離感をどうしても取ってしまう癖があるが山伏に対してはそれがなかった。
共にいて違和感のない相手、それが山姥切から山伏に対する評価であった。
「なぁ、兄弟よ」
「なんだ?」
「拙僧は兄弟とこの本丸で再び相まみえたことに感謝をしている」
藪から棒に何を言うかと思えば、山姥切は稽古場に行く足を止める。
「堀川国広という刀の存在を知ったとしても、この本丸にその刀があるわけでもなし、願えば会えるというものでもなし。ただ、そのような刀があったということだけしかわからぬのだから」
堀川国広は行方知れずだという歌仙の言葉が蘇る。あやふやな存在であるそれは山伏の言う通り、山姥切の中で明確な形は持たずただそこにあるというだけである。
「兄弟と拙僧は堀川派であり、それは何をどうしようと変わらぬ事実である。だが」
そこで山伏は口を閉ざした。山伏の視線は遠く楽しそうな声が聞こえる方へと向けられている。その山伏の表情に先ほどの蜂須賀の嬉しそうな顔、和泉守の信頼している顔を思い出す。山姥切は山伏が今何を思っているのか分かった気がした。
「……堀川国広が来たら、3人で話をしよう」
気がつけば、そんな言葉が口から出ていた。山伏が目尻が下げながら頷く。
「うむ。良い考えである」
「お茶菓子も今度万屋で見てくるか」
「万屋にはさまざまな甘味がある故、迷ってしまいそうであるな」
「別にいつ来るかはわからないんだ。ゆっくり探せばいい」
稽古場へと再び歩きながらそんな話を山姥切と山伏は続ける。不思議と胸にあったもやはなくなっており、以降堀川国広という言葉を聞いても不安を覚えることはなくなった。
ただそんな山姥切の想いに対してこの本丸に堀川国広が顕現することはなかった。
政府より任される仕事が増え、刀不足から鍛刀を十二十と繰り返し、部隊を二つ三つと増やしていった。だが、その中には堀川国広の姿はない。
いつ現れるかもわからぬ兄弟のためにと万屋で買った菓子も賞味期限が切れる前に食べたり皆に渡したりなどして何とか消費していた。ただその準備だけは欠かさずにしていたため、いつの間にか習慣の一つとなっていた。
そしてある日、山姥切と山伏は揃って万屋での買い物を審神者に依頼された。少し前に同じように審神者に頼まれ一期と加州が買い出しに出かけていたはずと少しの違和感を覚えながらも山姥切と山伏は万屋に出かけ、依頼されたものと習慣になってしまった菓子を買うと本丸へと戻った。買ったものを包んだ袋を審神者に渡すと追加で客間に行くよう指示される。
その命令をした審神者が意味ありげな風に笑うので山伏と山姥切は顔を見合せたが、言われるがままに客間の前に来てようやく合点がいった。
襖の空いた隙間から自分達の衣装とよく似たものを纏う少年が蜂須賀と話をしている。声は溌溂としており、和泉守から聞いた通り礼儀正しそうな雰囲気で蜂須賀の言葉に受け答えしているその姿に山伏も山姥切も顔を見合わせて頷いた。
あれがあの巻物にあったもう一振りの兄弟。
襖を山伏が勢いよく引いて中に入るとその兄弟がこちらを振り向く。
「堀川国広か」
という山姥切の言葉に自信なさげに頷く彼は、かつて歌仙が言っていたように真贋がわからぬと伝えて距離を置こうとする。だが、その堀川の不安を打ち消すかのように山伏はカッカッと笑う。
「なに、堀川国広という名前があるならお主が兄弟であることには変わらぬだろうて。なぁ?」
「そうだな」
山姥切がそう同意すると驚いたように堀川の目が丸くなってこちらを見た。
信じられない、といわんばかりの表情だ。
だがその表情を無視して山姥切と山伏は自己紹介をし、そのまま明日共に馬屋番をする約束まで取り付けた。まだ戸惑う堀川を客間に残し、他の用事があるからと蜂須賀が席を外す。
そしてようやく兄弟三人だけとなった客間で山姥切は持っていた包みを堀川に見せた。
「えっと、これは一体……」
「菓子だ」
「兄弟は今日この本丸に来たばかりなのだろう?
茶でも飲みながら、色々と話さぬか」
そう山伏が言えば包みをおずおずと堀川は受け取り、その中身を見る。万屋で美味しいと山姥切も山伏も押す色鮮やかな花を模した練り切りである。三つ入れられた練り切りに堀川はすぐにお茶を用意すると言って部屋を出ようとしたところを山姥切が止め、山伏と共に厨へ行こうと提案する。
それに堀川も笑顔を潔く見せ、三人は茶と菓子をつつきながら色々な話をしたのであった。
そうして仲を少しずつ深めていた山姥切は今日、堀川が遠征に出ることを審神者に伝えられる。
堀川と所属する部隊は違うが山姥切も今日は遠征の予定である。帰ってくるのは明日の昼頃だ。
「なぜそれを俺に?」
「一応、君が彼を気にかけているようだから」
「それは……同じ刀派だからな」
「真贋がわからぬのに?」
「……だとしても兄弟であることに変わりはない」
少しのいら立ちを覚えながらも山姥切は審神者に向かって言う。受け入れたのだ。山伏と同じように彼が堀川国広だというのであれば兄弟であると。それはまだ蜂須賀と浦島のようなお互いを誇りに思うようなものではないし、歌仙や和泉守のように互いを信頼しているようなものではない。まだ芽吹いたばかりの絆である。
望んだのは山伏と山姥切だ。
心から信用する彼らの語るそれに焦がれ真贋など関係なくつながりがあるならば兄弟になりたいと願った。
山姥切の鋭い視線に審神者は頷くとその手に小さな袋を乗せる。訝しみながらその袋の口を開くと金子が少し入っている。
「遠征先でなにか良いものがあればそれで買ってくるといい。あぁ、別にそれは君だけ特別ということではない。他の者達にはすでに渡してあるからね。
例えば……菓子とか」
含みを持つ審神者の言葉に山姥切は無言でその袋を手にその場を立ち去る。後ろを振りかえらずとも審神者が笑みを浮かべているのは分かっていた。