この本丸には堀川国広は存在しない
初めての遠征からなかなか帰って来ない大和守たちに最初は加州も一期と同じように不安を覚えた。けれど、この本丸にきたばかりの堀川はともかくとして相棒の大和守や他の面々はそれなりに遠征を何回もこなしていたし、2、3日の備えをして出発したのだ。何か不慮の事故があったとしてもあの面子であればよっぽどのことがない限り大丈夫だろうと不安な気持ちを片隅へと押しやった。
だが、歓迎会を開こうと準備していた料理が駄目になってしまったことでその不安な気持ちが振り返してしまった。万屋で色々と買い物をしたのにと加州は肩でため息をつきながら同じように不安そうな面持ちの面子を見回した。
一期は帰って来ない弟が心配で何度も何度も表門の方を見ては薬研に注意をされており、蜂須賀も少し気になっているようで気が漫ろになっている。その一方でいつも通りに過ごしている刀もいる。宗三はほうれん草のおひたしを優雅に箸で摘まんで口の中へと運んでいく。
「今日のおひたしは美味しいですね」
「新鮮な野菜が手に入ったからね」
歌仙もそう答えながら、食卓に並ぶ料理に手をのばす。そして隣で箸を持ったまま、まだなにも口にしていない和泉守に早く食べろと小言を漏らす。
それにのろのろと和泉守もようやく箸を料理に伸ばすが、いつもと違って何口かだけ口にしてすぐに箸を置く。
「ちょっと表門見てくる」
今日何度その言葉を耳にしただろうか。連れ添うように私もと一期が立ち上がる。それを薬研や歌仙が案じるようにその背を追うが……立ち上がらない。
彼らは理解している。
陽が落ちた後で本丸に帰還することは夜戦など作戦がある時のみで、数日かかる遠征などでは陽が落ちた場合は野営をしてから本丸に戻るようにしている。たとえ夜目が効くとしても昼間と夜間では雲泥の差があるからだ。それを頭では理解していてもどうしても表門の方へと視線がいってしまう。
「もし表門に行くなら、すまないがこれを持って行ってくれぬか」
ただ視線を表門に向けただけなのに、山伏の目にはどうやらそう見えてしまったらしい。一瞬断ろうかと考えたが、気になっているのは確かだったので山伏から握り飯が入った箱を受け取る。
「心配性な二人をちょっと見てくる」
そう言って加州が立ち上がると、皆からよろしく頼むと声が返ってくる。それに手を振って表門へと行く廊下に出る。
予想以上に暗い外に空を思わず仰ぎ見る。今夜は月の光を遮るほど分厚い雲が空にあるらしい。いつもであれば綺麗な星がたくさん見えるのに、まるで不安をそのまました空模様に舌を鳴らして早足で表門へと向かう。
真っ暗な表門に明かりが二つゆらゆらと揺れている。燭台を手にもって真っ黒な門の前に立つ二刀に加州は「ん」とおにぎりの入った箱を差し出した。
「なんだよ」
「山伏から差し入れ。あんまりご飯食べてなかったから」
「それは……ありがとうございます。でも今はちょっと食べれそうにないです」
眉を落として一期が答えるのに対して、和泉守はおにぎりを取るとそれを頬張る。そしてもう一つを手に取ると燭台の明かりに赤々と染まる一期の顔の前へと突き出した。
「食えよ。せっかく加州が持ってきてくれたんだし」
「でも……」
「あいつらが帰ってきた時にお前が体調悪くしてたらダメだろ」
和泉守の言葉に一期がおずおずとおにぎりを受け取りそれを一口、口に入れる。ゆっくりと咀嚼する一期の表情は固いもの、無理やりにでもそのおにぎりを食べようと口にする。
「なんかよ」
一期が食べ終わるのを待っている間、和泉守が話し出す。それに一期も加州も和泉守を見るが、その先をすぐには話し出さない。迷っているというよりかは言葉を探しているように目を宙に彷徨わせる和泉守に加州も一期も口を挟まず、ただ待った。
「あいつらが不安っていうかなんか違うんだよな……居心地が悪い?いや、それでもないな。なんか胸騒ぎというかするんだ」
和泉守曰く、それは堀川たちの身に何かが起きているという確信に近いものがあるのだという。何故そう思うのかは理解ができないが、ただ漠然と嫌な気配を感じると。そしてそれは加州と一期からも感じると。
「はぁ?なにそれ?どういうこと?」
「俺だって知らねぇよ。お前なんか心当たりないのか?」
そう和泉守に返されて、記憶を掘り返してみる。一期と何か最近やったことはあるだろうか。しばらく黙っていると一期がふと何かを思い出したらしく「あの時のことでしょうか?」と言う。
「前に加州さんと主の使いで万屋へ行った帰り道に鶴丸さんを見たでしょう?」
「ああ。そう言えばいたね。僧がなんたらかんたらって言ってがらくたの鈴を見せてきたけど、俺たちがその場所に行っても何もなかったよね」
「ええ。ですが、あの時森の方からじっとこちらを睨む狼みたいなものがいたんです」
その狼みたいなものは森の影にいて、こちらの様子を伺うようにじっと睨んでいたと一期は言う。その視線に嫌なものを感じつつも万屋で買った荷物を持っていたし、一期はその視線を無視して本丸に戻ったのだと言う。
後日気になって一人でもう一度その場に行ったが、そこには何もなかった。だがどうしてもそれが今気になると一期は言う。
「……遠征に行ったみんなは大丈夫でしょうか」
「さぁな。安定も長谷部もついてる。それなりに練度のある刀達が一緒なんだ。大丈夫だとは思いたいが……」
そこで和泉守は口を閉ざす。大丈夫だとは思いたい。けれど拭いきれない何かを和泉守が感じているのは確かだった。そうでなければ表門までわざわざ来ていない。
加州はもう一度表門を見上げる。真っ暗な中でもわかるその門は今しっかりと閉じられている。これは勝手に開けてはいけないものだと認識しているからこそ、遠征組の元へ行くことなくただその身を案じるだけですんでいる。なければとっくの昔に遠征組の元へとこの2人は行っていたことだろう。
加州とてそれは例外ではない。門がもし開いていたら、主の許可があったのなら彼らと同じく門の外へと駆け出していただろう。しかし彼らを引き留めるべく門の扉は固く閉ざされていた。
「……嫌な夜」
半身とも言える相棒の強さは理解していても、不安がどうしても拭えない。こんなことは初めてであった。それに生暖かい空気が肌にじとりと纏わりつくのも嫌だった。
「戻ろう」
自分と同じように門を見上げる二人に向かって言う。それに二人は何も返さず、加州が苛立ち気味にもう一度同じ言葉を言えば、のろのろと二人とも本丸へと足を向けた。
世話のかかる二人だ、とため息をつき加州も本丸へと足を向けた時、視界が真っ暗になる。
明かりが消えたのだ。
敵襲かと腰の刀に手を伸ばして空を掴む。そういえば、食事の際に刀を置いてきてそのままにしていたのだ。舌打ちをし、近くにいる一期に声をかける。
「一期!どこ?」
しかし、声は帰ってこない。静寂だけが続いた。暗がりに目を細めればヒトガタがゆらゆらと揺れているのが見えた。その腕を掴む。
ぬるり、と生暖かい何かが手についた。
違う。これは何だ?
加州が手に取ったそれが一期ではないと気付いた時、それは目前にあった。真っ暗な中でそれだけが輪郭を持ち、まるで覗き込むように加州の方を見て―――
「おい清光、平気か?」
ぽんと肩を叩かれる。目の端にゆらゆらと揺れる淡い灯が映る。
いつの間にか息を止めていたらしい。苦しさに胸に急いで酸素を送る。
「風もねぇのに灯が消えるなんて不思議なことがあるもんだ」
そう和泉守は言いながら加州と同じく呆然と突っ立っている一期の背を叩く。それに顔を白くした一期が振り返る。
その様子にあれを一期も見たのだと悟る。
加州と一期はお互いの顔を見合わせて頷く。一人蚊帳の外である和泉守は二人を怪しむ目で見ながらんも何も言わず、ただ一期の持っていた燭台に自分が持っていた燭台の火を移した。
「戻るか」
和泉守の言葉に頷き、三人は身を寄せ合うようにして今度こそ本丸へと戻るのだった。
本丸へと戻る間、加州は何かを掴んだ手を見た。手は濡れておらず、汚れてもいなかった。けれど、あの何かが近づいた時。
「 」
加州の耳元で何かつぶやいたのが聞こえた。けれど、それはよく聞き取れず今思い出そうとしても一音も思い出せなかった。ただその音を聞いた時、どこか聞きなれた声がしたような気がして……いや、そんなことはないと思い直す。
本丸に戻った後、加州は一期と二人で太郎太刀の元へ行き、遠征組が無事に戻って来れるように祈祷をしてもらったのは言うまでもない。
だが、歓迎会を開こうと準備していた料理が駄目になってしまったことでその不安な気持ちが振り返してしまった。万屋で色々と買い物をしたのにと加州は肩でため息をつきながら同じように不安そうな面持ちの面子を見回した。
一期は帰って来ない弟が心配で何度も何度も表門の方を見ては薬研に注意をされており、蜂須賀も少し気になっているようで気が漫ろになっている。その一方でいつも通りに過ごしている刀もいる。宗三はほうれん草のおひたしを優雅に箸で摘まんで口の中へと運んでいく。
「今日のおひたしは美味しいですね」
「新鮮な野菜が手に入ったからね」
歌仙もそう答えながら、食卓に並ぶ料理に手をのばす。そして隣で箸を持ったまま、まだなにも口にしていない和泉守に早く食べろと小言を漏らす。
それにのろのろと和泉守もようやく箸を料理に伸ばすが、いつもと違って何口かだけ口にしてすぐに箸を置く。
「ちょっと表門見てくる」
今日何度その言葉を耳にしただろうか。連れ添うように私もと一期が立ち上がる。それを薬研や歌仙が案じるようにその背を追うが……立ち上がらない。
彼らは理解している。
陽が落ちた後で本丸に帰還することは夜戦など作戦がある時のみで、数日かかる遠征などでは陽が落ちた場合は野営をしてから本丸に戻るようにしている。たとえ夜目が効くとしても昼間と夜間では雲泥の差があるからだ。それを頭では理解していてもどうしても表門の方へと視線がいってしまう。
「もし表門に行くなら、すまないがこれを持って行ってくれぬか」
ただ視線を表門に向けただけなのに、山伏の目にはどうやらそう見えてしまったらしい。一瞬断ろうかと考えたが、気になっているのは確かだったので山伏から握り飯が入った箱を受け取る。
「心配性な二人をちょっと見てくる」
そう言って加州が立ち上がると、皆からよろしく頼むと声が返ってくる。それに手を振って表門へと行く廊下に出る。
予想以上に暗い外に空を思わず仰ぎ見る。今夜は月の光を遮るほど分厚い雲が空にあるらしい。いつもであれば綺麗な星がたくさん見えるのに、まるで不安をそのまました空模様に舌を鳴らして早足で表門へと向かう。
真っ暗な表門に明かりが二つゆらゆらと揺れている。燭台を手にもって真っ黒な門の前に立つ二刀に加州は「ん」とおにぎりの入った箱を差し出した。
「なんだよ」
「山伏から差し入れ。あんまりご飯食べてなかったから」
「それは……ありがとうございます。でも今はちょっと食べれそうにないです」
眉を落として一期が答えるのに対して、和泉守はおにぎりを取るとそれを頬張る。そしてもう一つを手に取ると燭台の明かりに赤々と染まる一期の顔の前へと突き出した。
「食えよ。せっかく加州が持ってきてくれたんだし」
「でも……」
「あいつらが帰ってきた時にお前が体調悪くしてたらダメだろ」
和泉守の言葉に一期がおずおずとおにぎりを受け取りそれを一口、口に入れる。ゆっくりと咀嚼する一期の表情は固いもの、無理やりにでもそのおにぎりを食べようと口にする。
「なんかよ」
一期が食べ終わるのを待っている間、和泉守が話し出す。それに一期も加州も和泉守を見るが、その先をすぐには話し出さない。迷っているというよりかは言葉を探しているように目を宙に彷徨わせる和泉守に加州も一期も口を挟まず、ただ待った。
「あいつらが不安っていうかなんか違うんだよな……居心地が悪い?いや、それでもないな。なんか胸騒ぎというかするんだ」
和泉守曰く、それは堀川たちの身に何かが起きているという確信に近いものがあるのだという。何故そう思うのかは理解ができないが、ただ漠然と嫌な気配を感じると。そしてそれは加州と一期からも感じると。
「はぁ?なにそれ?どういうこと?」
「俺だって知らねぇよ。お前なんか心当たりないのか?」
そう和泉守に返されて、記憶を掘り返してみる。一期と何か最近やったことはあるだろうか。しばらく黙っていると一期がふと何かを思い出したらしく「あの時のことでしょうか?」と言う。
「前に加州さんと主の使いで万屋へ行った帰り道に鶴丸さんを見たでしょう?」
「ああ。そう言えばいたね。僧がなんたらかんたらって言ってがらくたの鈴を見せてきたけど、俺たちがその場所に行っても何もなかったよね」
「ええ。ですが、あの時森の方からじっとこちらを睨む狼みたいなものがいたんです」
その狼みたいなものは森の影にいて、こちらの様子を伺うようにじっと睨んでいたと一期は言う。その視線に嫌なものを感じつつも万屋で買った荷物を持っていたし、一期はその視線を無視して本丸に戻ったのだと言う。
後日気になって一人でもう一度その場に行ったが、そこには何もなかった。だがどうしてもそれが今気になると一期は言う。
「……遠征に行ったみんなは大丈夫でしょうか」
「さぁな。安定も長谷部もついてる。それなりに練度のある刀達が一緒なんだ。大丈夫だとは思いたいが……」
そこで和泉守は口を閉ざす。大丈夫だとは思いたい。けれど拭いきれない何かを和泉守が感じているのは確かだった。そうでなければ表門までわざわざ来ていない。
加州はもう一度表門を見上げる。真っ暗な中でもわかるその門は今しっかりと閉じられている。これは勝手に開けてはいけないものだと認識しているからこそ、遠征組の元へ行くことなくただその身を案じるだけですんでいる。なければとっくの昔に遠征組の元へとこの2人は行っていたことだろう。
加州とてそれは例外ではない。門がもし開いていたら、主の許可があったのなら彼らと同じく門の外へと駆け出していただろう。しかし彼らを引き留めるべく門の扉は固く閉ざされていた。
「……嫌な夜」
半身とも言える相棒の強さは理解していても、不安がどうしても拭えない。こんなことは初めてであった。それに生暖かい空気が肌にじとりと纏わりつくのも嫌だった。
「戻ろう」
自分と同じように門を見上げる二人に向かって言う。それに二人は何も返さず、加州が苛立ち気味にもう一度同じ言葉を言えば、のろのろと二人とも本丸へと足を向けた。
世話のかかる二人だ、とため息をつき加州も本丸へと足を向けた時、視界が真っ暗になる。
明かりが消えたのだ。
敵襲かと腰の刀に手を伸ばして空を掴む。そういえば、食事の際に刀を置いてきてそのままにしていたのだ。舌打ちをし、近くにいる一期に声をかける。
「一期!どこ?」
しかし、声は帰ってこない。静寂だけが続いた。暗がりに目を細めればヒトガタがゆらゆらと揺れているのが見えた。その腕を掴む。
ぬるり、と生暖かい何かが手についた。
違う。これは何だ?
加州が手に取ったそれが一期ではないと気付いた時、それは目前にあった。真っ暗な中でそれだけが輪郭を持ち、まるで覗き込むように加州の方を見て―――
「おい清光、平気か?」
ぽんと肩を叩かれる。目の端にゆらゆらと揺れる淡い灯が映る。
いつの間にか息を止めていたらしい。苦しさに胸に急いで酸素を送る。
「風もねぇのに灯が消えるなんて不思議なことがあるもんだ」
そう和泉守は言いながら加州と同じく呆然と突っ立っている一期の背を叩く。それに顔を白くした一期が振り返る。
その様子にあれを一期も見たのだと悟る。
加州と一期はお互いの顔を見合わせて頷く。一人蚊帳の外である和泉守は二人を怪しむ目で見ながらんも何も言わず、ただ一期の持っていた燭台に自分が持っていた燭台の火を移した。
「戻るか」
和泉守の言葉に頷き、三人は身を寄せ合うようにして今度こそ本丸へと戻るのだった。
本丸へと戻る間、加州は何かを掴んだ手を見た。手は濡れておらず、汚れてもいなかった。けれど、あの何かが近づいた時。
「 」
加州の耳元で何かつぶやいたのが聞こえた。けれど、それはよく聞き取れず今思い出そうとしても一音も思い出せなかった。ただその音を聞いた時、どこか聞きなれた声がしたような気がして……いや、そんなことはないと思い直す。
本丸に戻った後、加州は一期と二人で太郎太刀の元へ行き、遠征組が無事に戻って来れるように祈祷をしてもらったのは言うまでもない。