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細小波に消える


 とことこと目の前を管狐が歩いていく。その後を追って少し湿った地面を足跡をあまり残さず用に歩いていく。普段から遠征に出陣にと休む間もなく駆り出されて、そんな歩き方に慣れてしまった。
「堀川国広殿、今動けそうな刀達はどのくらいほど残っておりますか?」
「六くらいかな。重傷で動けない子とか、中傷の子は遠征は大丈夫だと思うけど、出陣はやめておいた方がいいかも」
「そうですか」
 ううむと管狐が器用に唸る。政府から審神者を補助する役を担うこの管狐はその仕事だけでなく、刀達にもよく世話を焼いていた。政府と審神者の間を行ったり来たりするだけでなく、食える野草があればそれを口にくわえて運んできたり、共に出陣や遠征の内容を考えてくれていた。
 まぁ、それは審神者が病気がちで審神者の言葉を刀達に伝える役目を負っていたからという事もあるだろう。しかし、管狐が世話焼きだというのはこの本丸にいる刀の共通認識だ。
 実際に遠征や出陣があれば見送る時も出迎える時も必ずこの管狐は門の前にいる。そして大きな声で「ご武運を」「よくぞ帰って参られました」と言うのである。初めてその言葉を自分に向けられた刀達は揃って気恥ずかしく思えたが、出陣や遠征の際にその管狐のように誰かを見送り、迎えることを真似するようになった。
 今日も遠征帰りの者達を出迎えた後、管狐はまだ軽傷であった堀川に申し訳なさそうに声をかけてきた。政府から出陣命令が出たのだ。
 審神者は本丸にいるまだ動ける刀にそれを伝えるよう管狐に頼み、管狐は堀川を選んだのだ。確かにあの遠征の人員から見ても自分が一番適役に違いないと思った堀川はそれを了承し、審神者が使用する部屋へと急いだ。政府の書類は持ち出しが禁止で本丸の限られた場所でしか見ることはできない。
「主さんの容体はいかがですか?」
「少しの時間であれば身体を起こすことはできますが……あまりよろしくはないようです」
「そうですか」
 もうしばらく会ってもいなければ、顔も思い出せない審神者に堀川は良い言葉が思い浮かばずただその言葉しか言えなかった。管狐はそれに気を害した様子もなく、いつ頃良くなるのでしょうかねぇと相槌を打つ。
 鳥居をくぐりお堂へとたどり着く。審神者が住処にしている場所だ。こじんまりとしているそこはいつも静かであった。ただ微かな人の気配だけが感じられる。
「ささっ、堀川国広殿、こちらへ」
 管狐が鼻で戸を開けて案内する。からりと戸を引く音が大きく響く。真っ暗な部屋の中を管狐は迷うことなく進んでいく。その後をきしきしと床板を踏み鳴らしながら歩く。大分古い建物だからどれだけ気を付けていても音がなるのだ。
 管狐はお堂の中でもひと際立派な扉を開けるとその中に入り、巻物を一つ器用に箱から取り出して机の上に転がした。政府からの指示が書いてある巻物だ。それにさらりと目を通して内容を記憶する。政府の指示を何かに書き残すことは禁じられているため、見たその場ですべてを覚える必要があるのだ。
「よろしいですか?」
 管狐が確認するのに頷けば、その巻物がぼうっと炎をまとい、黒い炭をあげるが一瞬でそれも消える。不思議なことに机には燃えた跡はなく、ただ巻物だけがなくなった。
「いつ頃出陣なさいますか?」
「そうですね……今から準備をすると出るのは夜になるので、朝に行こうと思います」
 夜戦を苦手とする刀は少なくない。管狐は堀川の言葉にそうした方が良いでしょうと頷く。また薄暗い部屋の中を管狐が先頭になって歩く。審神者は寝ているのだろうか。お堂の中にある気配は入った当初から変わらず奥の部屋の方にある。ちらりとそちらを見る。
「堀川国広殿」
 管狐がまるで注意するように言う。実際はそんなことはなかったのだろう。ただ立ち止まった堀川を心配して名を呼んだだけに過ぎない。だが、堀川は何故か管狐に審神者を詮索するなと注意されたような気がして、気まずそうに目線をすぐに前に戻し、管狐の方へと歩いて行った。

 遠征から帰った他の刀達は手に入れた貴重な資材を手に手入れ部屋へと重傷の刀を押し込んだ。ようやく手入れができるほどの資材が手に入ったのだ。まだ重傷の刀はいくつかあるし、傷を負ってない刀はいなかったが軽傷の刀は他の刀のために本丸内をせわしなく走っていた。
「おー、堀川。こんのすけはなんだって?」
 堀川が本丸の庭に行くと、同じ軽傷の打刀の一人が薪割りをする手を止めてそう訊ねてくる。
「政府からの指示で出陣要請があったって」
 やっぱりなと堀川の言葉にその打刀はため息をつく。わざわざお堂の方に呼ばれたのだから、用事の内容は大体が想像がつく。
「資材をもうちょっと集めたかったんだがなぁ……」
「そうだね。皆誰かしら怪我をしてるもの」
「手入れだけじゃなくて刀装も作りたいよなぁ」
 ちらりと今はもう使われなくなって久しい刀装部屋を見る。あの部屋を開けて中に入ったのはどれくらい前だっただろうか。資材は手入れ用にすべて使ってしまうので刀装に回すための余裕などはない。今回の出陣は時間遡行軍との戦いは必須だから、刀装があればもう少し安全に戦えるだろう。こんな本丸ではあったが、幸いなことに今まで刀が折れたことは過去に一度もなかった。
「そうだね。刀装があればもう少し無茶してもいいかなって思う時はあるよ」
「無茶は厳禁ですよ」
 話を聞いていたらしい太刀が堀川と打刀の間に口を挟む。その手にはこんもりと洗濯物が乗っていた。遠征で汚れた衣服をこれから洗いに行くようだ。
「手伝います」
 堀川はそう言うと太刀の手からその洗濯物を半分手に持つ。早く洗わないと夜になってしまう。ただでさえこの本丸はいつも薄暗く洗濯が乾きにくいのだから早めにやらなくては。太刀は堀川に感謝すると打刀に手が止まってますよと小言を言う。
「わぁってるよ。備蓄用の薪も残り少ないんだろ?」
「えぇ、お風呂と料理に使う用……。冬備えの為にも乾燥した薪は多い方がいいですからね」
 一体いくら薪を用意すればいいのかと顔をげんなりとさせながらも打刀は斧を振り上げてカーンと勢いよく木を割っていく。仕事の邪魔をしないように行きましょうと太刀に言われて堀川は共に洗い場へと向かった。
「そういえば、ようやくあの子が手入れ部屋に入りましたよ」
 太刀と一緒にごしごしと洗濯物を洗っているとそう唐突に言われる。あの子とは太刀が面倒を見ている打刀のことだと気が付き、良かったですと言う。
「えぇ、自分は後でいいと言ってたんですが××がいいから黙って傷を治しとけって部屋に投げるように放り込んだんですよ。ちょっと乱暴すぎやしないかとは思いましたが、あれくらいしないとあの子も手入れ部屋には入らないでしょうから」
「そうでしょうね」
 優しい子だけど困りものだと太刀は微笑む。それから手入れ部屋に入ることになったもう一人の打刀の話をして、また資材を集めないとと太刀と遠征の話をするついでに出陣について伝える。
 出陣の事を伝えれば太刀は渋い顔をした。それというのもこの太刀は中傷を負っており、堀川は今回は本丸で待機してほしいとこの太刀に伝えたからだ。
「だから先ほどの話だったわけですね」
「ええ……はい」
「ならば、私が言う事もわかりますね?無理は禁物ですよ」
 たとえ政府の出陣であろうとも傷を負えばすぐに帰ってくることと太刀は堀川に言う。ついていけないのが残念だとこぼしながら最後の洗濯物を洗い終わり、濁った水を流すと太刀は堀川の洗った分の洗濯物を持ち上げると歩いていく。
「手伝いはもう大丈夫ですよ。それより貴方は明日の出陣のために準備をしなさい」
 そう太刀は言って堀川が感謝の言葉を述べるよりも早くすたすたと歩いていく。一人になった堀川は気が重いながらも明日の出陣について伝えるべく本丸にいる他の刀達を探しにいくのだった。
 出陣する六刀に声をかけて、麦飯と簡単な漬物を腹の中に入れるとそれらは一部屋に集まって明日の内容について綿密に話し合う。当然のことだが、資材がないため怪我を負うのはなるべく避けたい。まだいる重傷者のためにも作戦を立てることは重要だった。
「そういえばさ、みんなは聞いたことがある?」
 作戦を一通り確認し終わった後、そう話し出したのは短刀だ。
「なんか演練って場所で他の本丸の刀と戦って稽古できる場所があるんだって。そこにはね、なんと自分と同じ刀と会えるらしいよ!」
「へぇ。自分と戦えるってわけか。そりゃあ弱点探しにはちょうどいいかもしれないな」
「えぇ……わざわざ自分と戦わないといけないの?」
 面白いよねとはしゃぐ短刀に槍と脇差がそれぞれ異なる反応を示す。
「私も聞いたことがあります。でもそこへは確か審神者の許可がないと行けないかったはずですが」
 打刀の一人がそう言うとええそうなの?と短刀が肩を下ろす。
「見たかったなぁ」
「やめとけやめとけ。あそこに行った刀は帰ってこないからな」
 その言葉にみんながそちらを向く。目線の先にはこの本丸の中でも古参に入る打刀だ。堀川よりもずっと前からこの本丸にいる。
 どういうことと問い詰める短刀に打刀はしまったという表情をするが、もう一人の打刀に吐きなさいと逃げようとしたその背中に肘を乗せられる。ぐえっと押しつぶされたその刀は言う!言うからどけ!と手をばたばたとさせたがもう一人の打ち刀はその肘を退けようとしない。退けたら最後、彼が逃げることがわかっていたからだ。
 押しつぶされた打刀は観念したようで顔を畳に押し付けたままぼそぼそと演練に向かった刀のことを話しはじめた。
 演練ができるようになった当初、審神者はまだかろうじて起きて仕事をすることができていたらしい。管狐に演練の申し込みをするように命令すると、うちの本丸からさまざまな刀種を集めて演練へと出かけて行った。少し楽しそうな顔で行った刀はしかし帰ってくることはなく、ただ審神者一人が顔を青くさせて帰ってきた。
 その打刀はそう言い終わるとだから話したくなかったんだと暗くなった空気に耐え切れなくなったようにじたばたする。肘を置いて打刀がそれを退かすともう寝ると言って布団を頭からかぶってしまう。
 暗い空気の中、他の刀達もうしたらいいのかわからず一人、また一人と布団の中へと潜っていく。どちらにしろ明日は出陣で朝が早いのだ。もう寝た方がいい。そう判断した堀川も布団の中へもぐりこんだ。
「ねぇ、堀川さん」
 隣の布団から頭だけをのぞかせて短刀は他の刀に聞こえないように小さな声で堀川を呼ぶ。堀川は一瞬閉じた目を短刀の方へと向けると少しだけそちらに近寄る。
「みんな、どこ行っちゃったんだろうね」
 短刀は先ほどの打刀の言葉に数か月前に消えた他の刀達を思い出したのか不安そうに瞳を揺らした。堀川は布団から手を出すとその短刀の頭を大丈夫だよと微笑んで撫でた。それに短刀はまだ少し不安そうな表情ながらも頷く。
「一緒に寝てもいい?」
 その言葉に堀川はいいよと布団を上げれば、短刀は笑顔を見せて堀川の布団へと入ると二人は小さな体を寄せる。そうしてようやく安心した短刀はすぐにすやすやと寝息をたてて寝始めた。
 この短刀は本丸の中でも一番遅くこの本丸に来た。その頃はこの本丸にも三十を超える刀達がいて大所帯であった。けれど、この短刀が来た少し後から審神者は元々悪かった体調をさらに崩し、寝込むようになったのだと管狐からそう説明されたのを覚えている。
 その頃だっただろうか。この本丸から少しずつ刀が消え始めたのは。最初は消えた刀をみんな大騒ぎで探した。刀を探しに行った刀が次々と消えてこの本丸にいた半分ほどが消えた頃、管狐はもうやめましょうとそう声を震わせて言った。それになぜと怒鳴る刀がいた。探すのをやめない刀がいた。けれど、今まで順調であった本丸はその頃にはとっくに崩壊していた。もともと資材をあまり持たない本丸であった上に、多くいた刀でなんとか遠征から持ち帰る数少ない資材でやりくりをしていたのだ。
 政府の出陣の命令に重傷で帰ってきた刀を見れば皆、管狐の言葉に納得するしかなかった。僕たちはギリギリの生活をしているのだ。今残っている刀が一つでも欠けてしまえば崩れさってしまうようなそんな砂で作ったものの上に僕たちは立っている。不安がないわけではない。
 短刀の穏やかな寝顔を見て堀川は無理やり不安を押しのけるように目を閉じた。目を閉じてしまえば何も見えない。ただただ主の求めるがままに動き敵を屠るだけの頃の自分がどうも輝かしく思えて仕方がなかった。

 政府の命令通り、時間遡行軍を見かけたという時代とその場所に出陣し彼らを倒して帰る。政府命令の出陣は大体が時間遡行軍を倒すことが目的の事が多く、その強さに怪我を負うことなく帰ってこれることは稀だ。
 故に事前の情報収集はとても重要で彼らがどんな場所で、陣形で待ち伏せているのか、周囲にあるものや天気など事細かく互いに情報交換をして奇襲を仕掛ける。そうしてやや傷を負いながらも重傷にはならず本丸へと戻ってくる。
 太刀と管狐が本丸の大きな門の前に立っている。
「皆さま、おかえりなさいませ。ご無事そうで何よりです!」
「おかえりなさい」
 それに笑顔で皆も答える。怪我が少なく帰って来れたことを考えれば上出来だ。そしてそのまま各自洗濯や掃除、薪割りなどの仕事に本丸の中を走り回る。遠征に行って、資材も集めないといけない。
 そう忙しなく動いていないと、誰もが不安で押しつぶされそうだった。
 消えた刀達。
 足りない資材に重傷の仲間達。
 政府から下る出陣命令。
 やることだけは有難いことになくなることはなかった。遠征の準備に、有象無象に生えてくる雑草を引っこ抜く事や、常に薄暗く湿った本丸では薪もよく乾かさなければ火付きが悪かったし、何もしなくても良い時は重傷を負ってしまった時ぐらいのものだった。
 運悪く時間遡行軍の大太刀の一振りに当たり、打刀に背負われて帰還した堀川は資材不足によりしばらく資材が集まるまでと手入れ部屋の病床者用の部屋へと押し込まれた。無理やり起き上がって手伝おうとしたけれど、太刀に笑顔で寝ていろと凄まれては大人しくするしかなかった。
 ぱたぱたと皆の本丸を走り回る音が聞こえる。堀川は狭い視界を隣の布団へと向ける。同じく少し前に重傷を負った槍がすやすやと布団の中で寝ている。その腹部に巻いてある包帯には血が滲んでいる。彼が起きた時に新しいものに変えるよう伝えないとなと思いつつ、堀川も動かない利き手を見る。大太刀は堀川の利き手を深く切り、その腕を落とすまでには至らなかったが堀川はその剣風で吹き飛ばされて背中と頭を強く打った。ごろごろと地面を転がった際に目を傷つけたらしく左目には頭の傷と一緒にぐるぐると包帯が巻かれていた。
 幸いな事に左手はまだ動くし、背中は痛いし、左足もどこか怪我したのかうまく動かせないが引きずれば歩くことはできる。だが、下手に動いて症状が悪化してはいけないと休むことを強要された堀川はどうもじっとすることが苦手で落ち着かなくて仕方がなかった。
「お前はよぉ、動いてないとダメな性質みたいだな」
 どうやら槍が起きたようだ。彼は布団から起き上がらず、視線だけをこちらに向ける。いや痛くてそもそも起き上がれないのかもしれない。堀川は槍の方へと体を向けると困ったように笑う。
「ええ、どうやらそうみたいです」
「まぁ、そういう奴は少なくはねぇし、気持ちはわからなくもないけどよ。
 じっとしておかないと折れちまうぜ」
「折れる」
 槍の言葉を繰り返し口にする。それは今にも崩れてしまいそうな心のことか、それとも刀そのものの事を言ってるのかはたまた両方なのか、堀川はどうでも良いことを考えて頭を振る。考えるまでもなくどれも正しい答えだ。そうですね、と堀川は返して槍と同じように布団に潜った。
 睡魔はやってこないが、それでも体を横にするというだけでいくらか楽になる。
「お前はさ、この本丸に来た事を覚えてるか?」
「この本丸にですか?」
 唐突に槍にそう聞かれて、思い返してみる。何もない戦場でぽつんと立っていた堀川を管狐が見つけてこちらですと案内され、やってきたのがこの本丸だったような気がする。そのことを槍に伝えれば俺も同じだと返される。
「実は俺はよぉ、この本丸じゃないとこで暮らしてた記憶が少しあるんだよ」
 これは初めて他刀に話すんだがと槍はその記憶について話し出す。別の本丸では刀鍛冶がいて彼らが刀を打つのだという。そしてその刀を依り代に付喪神が顕現するのだと。他にも戦場でひょっこりと付喪神に会うこともあるのだと。
「俺は不思議なことに違う本丸で暮らしてた記憶があるからよ。この本丸の惨状を見るとひでぇなって思うわけだよ。元の本丸に戻りてぇって思うこともある」
 黙って槍の言葉に耳を傾ける。
「でもな、そう簡単に切り捨てられないほど長く俺はこの本丸に居過ぎた。この本丸はひでぇがお前らを置いて去ってはいけねぇ」
 槍がこちらを見る。視線が合った。情に厚い彼の真剣な眼差しに気圧される。折れるなよとそう言われたような気がした。堀川はこくりと頷いた。
 やがて遠征組が帰ってきたと短刀がぱたぱたと襖を開けて言った。今日は行った場所が大成功で、いつもよりも多く資材が取れたから二人とも手入れ部屋に今から入ってとその背を押される。
 堀川も槍も手入れ部屋に入って数時間後に二人そろってその部屋から出るとまた忙しなく働きだした。不安には相変わらず押しつぶされそうだったが、まだこの本丸には仲間がいるのだからと自分に叱咤して。

 そうしてギリギリのところで生活を続けていたところ、主の病気が治りましたと管狐が大喜びで本丸にやってきた。皆それには喜んだ。主の病状を少なからず心配している刀は多かったのだ。皆で良かった良かったとその日はこれでこの本丸もどこか良くなるかもしれないと期待を誰もが抱いていたのだろう。
 しかしそれは次の日にやってきた管狐の気まずそうな言葉によって壊された。
 政府からの出陣だ。しかも今まで無事な刀達で組むようにと言われていたそれは審神者が直に刀を選ぶようになった。審神者が選ぶ刀は中傷、重傷のもあってそれをどうにか他の刀と変えられないかと再三お願いしたが、その望みは聞き入れられなかった。お堂にいる審神者の部屋まで直にお願いに行った短刀はその部屋に入ることもできず締め切られた部屋の前で食事もとらず一日立ち続けたが、審神者に会う事はできなかった。
 皆諦めて出陣して行った。ついていけなくなったとこの本丸から自ら離れていく刀もあった。気が付けば、九振りの刀しか本丸には残っていなかった。人が少なくなってからは遠征に行けず、皆軽傷どころではない怪我を負っていた。
 手入れ部屋は資材もないためずっと締め切られたままだし、庭に生える雑草も伸びきったままであったし、出陣ばかりでロクに掃除もできていない部屋はホコリだらけだった。
 本丸に残った九振りは身を寄せ合って過ごしていた。
 戯れにある日打刀がもってきたおまじないの本をみんなで遊んだその次の日、その打刀が時間遡行軍の太刀にその胸を貫かれたのを見た。だがその刀の姿は貫かれたまま最後の力でその腕を切り下ろすとそのままとさりと地面に落ちる。初めて見る仲間の死に、短刀が悲鳴を上げる。
 皆、彼の死に言葉を失った。
 みんなぼろぼろだった。こんな調子では戦えないと彼の折れた刀とその破片を拾って本丸に帰ると管狐がいつものように出迎えた。そして彼の刀をそっと埋葬すると管狐が感情を消したような声で言う。
「審神者様から、まだ作戦は終わっていないため準備を整え次第出陣せよ、と」
 恐らく管狐も言うのが辛かったのだろう。感情は消してはいたが声が小さく震えていた。怒りだろうか悲しみだろうか。表情が変わらないのでわからない。ここで管狐に当たっても仕方はないことは分かっていた。明日また出陣すると伝えるとぺこりと管狐は頭を下げた。
 本丸に残っていた三振りに打刀が折れたことを伝えると彼らも大分ショックを受けたようでその日、眠るまで誰も一言も発さなかった。
 その夜、堀川はどうしても眠れなくて一人薄汚れた縁側で座っていた。太刀と打刀が戦ってた時もう少しうまく立ち回れていればと考えることはそればかりだ。中傷がなんだ。痛みを無視してもっとあの場で踏み込んでいれば良かった。そうすれば咄嗟に太刀の身体に体当たりなどすることができたのではないか。彼が折れることはなかったのではないか。しかし現実はどうしても変えられない。
 震える手を止める方法がわからずただただそれが止まるまで俯いた。
 そんな時にずずっひたり、ずずっひたりと廊下を歩く音が聞こえてはっと顔を音が聞こえた方へと向ける。あれは折れた打刀の足音だった。彼は右足を怪我していたが、手入れ部屋にも入れなかったためにいつも少し右足を引きずっていたのだ。
 堀川は立ち上がった。ちょうど薄い雲の隙間から月の光が漏れて廊下の一か所を照らしていた。その廊下には一つの影が伸びている。
「国広」
 そう名前を呼ばれたような気がした。昔の相棒の和泉守は自分をそう呼んでたのだと言ったら、彼はその名で堀川のことを呼ぶようになったのだ。堀川はその打刀の名を呼ぼうとした。けれど、名前が出て来ない。何故と焦る。名前どころか、その姿も顔も思い出せない。
 けれど、それでも堀川は彼を追いかけて廊下を走った。しかしどこを走っても彼はいない。つまずいて、床に顔面を打つが、気にせず彼の姿を探した。どこにもいない。名前も声も何も思い出せず堀川はただたた押し寄せる悲しさに手を握りしめて、うずくまった。
 次の朝、誰がいなくなったのかもわからず皆は昨日の世の空気の重たさが嘘のように出陣した。その時の戦いは不思議なことに誰も怪我を負う事はなかった。戦ってる最中に後ろに背を引っ張られその鼻先を敵の刀が過ぎたりと、不思議なことに紙一重で怪我を負うことなく出陣を負えることができたのだ。
 堀川は本丸に帰るたびに刀が足りないと感じたが、それでもそんな不思議なことがずっと続いていた。相も変わらずギリギリな生活を送っていた。堀川はそれでも折れるなよといつぞやか誰かに言われた言葉を思い出しながら必死に政府の指示通り、出陣を繰り返していた。
 そしていつものように四振りで本丸に戻ると、もはやお化け屋敷のようにさびれた本丸の戸に管狐と誰かが立っていた。それは深く白い布を被った刀で山姥切長義だと名乗ると、堀川にこの本丸は解体されることになったとその書状を見せた。
 それに泣き崩れたのはどの刀だったか。あるいはほっと安堵の息をついたのか、堀川は時が止まったようにそれを見ていた。自分達が一生懸命にそれでもなんとか繋いでやってきたそれは唐突に終わったことを理解して堀川はわかりましたと頷いた。
 どちらにしろ、四振りだけでは満足に政府からの依頼を達成することができないことは分かっていた。管狐に審神者のことを聞くと、審神者はすでに本丸の通達を承諾し、すでにこの本丸から出て言ったという。
 山姥切長義は四振りの刀に荷物をまとめるように伝える。練度だけは高いので他の手が足りてない本丸を助けてやって欲しいと頭を下げられれば断る理由もない。元より、戦いは終わってないのだ。四振りは本丸の薄汚れた部屋から、少ない荷物をかき集めるとすぐに門に集まった。
 山姥切長義は本丸の様子に嫌悪感を抱いていたようだが、蔓の張った手入れ部屋を一瞥すると何かを察したかのように「今までお疲れさま」と労うように声をかけてきた。
 山姥切長義がまずは政府に来てもらうと、説明しながら門を出た。それに倣うように門を出ようとして、その足を止めた。振り返ると管狐はその門を超えず、遠征や出陣の時のように見送るような位置でちょこんと雑草の中に座っていた。
「行ってらっしゃいませ、皆さま」
「こんのすけは来ないの?」
「はい、私は審神者のための補助役ですから」
 審神者がいなければ自分の役目も終わりだと管狐はそう答える。これからどうなるの?と堀川が聞くよりも早く、管狐は「これからも皆皆様のご武運を心よりお祈り申しております」と頭を下げた。その姿は雑草に埋もれているが管狐は気にしない。
「行ってきます」
 四振りはそれぞれいつものように管狐にそう挨拶して門の外へと一歩踏み出した。堀川も門の外に出る。山姥切長義がこっちだと案内する方へとみんなで歩いていく。
 少し歩いたところで、もう一度堀川は後ろを振り返った。
 雑草に囲まれているせいか管狐の姿は見えなかった。

 その後、政府により用意された手入れ部屋で皆怪我を治すと受け入れ先の本丸が決まるまで四振りは一つの部屋で久々にゆっくりと過ごした。三振りはすぐに受け入れ先が決まったが、堀川はすぐには決まらなかった。
 時々様子を伺いに訪れる山姥切長義とちょっとした話をする時以外は、ただひたすら部屋の隅っこに座って丸くなっていた。他の三振りは覚えていなかったようだが、堀川は名前も何もかも忘れてしまっていたが、消えてしまった五振りのことを覚えていた。いなくなった。彼らの事を覚えているのは堀川だけだ。消えてしまった彼らのことを考えるとどうも寂しくて仕方がなかった。置いていかないで欲しい。あの寂れた本丸が堀川にとっては唯一の居場所だった。
 これから訪れる本丸がどこであろうと、堀川の居場所はあの本丸でしかない気がした。何故なら彼らはきっとあそこにいる。堀川は確信していた。
 数週間後、山姥切長義がようやく受け入れ先の本丸が見つかったと堀川に伝えてきた。ほっと安堵する山姥切長義に合わせて堀川もほっと安心したと笑顔を作った。

 受け入れ先の本丸は居心地がとても良かった。前みたいに資材が少なすぎて手入れ部屋に入れないという事はなく、いつも綺麗な布団と整えられた庭に人数分の木刀が揃っている稽古場まであった。なるほど。確かにいつか誰かに言われたようにこれが本丸の正しい姿だと言われればあの本丸は酷い惨状であったとしか言いようがない。
 この本丸の刀達は皆優しく、堀川を受け入れてくれた。昔、実は兄弟がたくさんいるんだよねと言っていた誰かの言葉に内心羨ましく思っていたがここには自分を兄弟と呼んでくれる刀がいて、さらに相棒の和泉守兼定や、同じ新選組の刀である加州と大和守と長曽祢もいた。
 思いがけない嬉しい再会に堀川は喜んだ。
 けれど、初めての遠征の夜。固く閉じた扉の向こうから「国広」と呼ぶ声が聞こえた。和泉守のではない。消えてしまった誰かの声だ。鈴を投げた際に捕まれたその腕の感触にどこか覚えがあった。彼だ。彼がいる。
 堀川は嬉しくなった。消えてしまった彼らは本丸を離れても堀川と共にいてくれたのだ。
 けれどその喜びも一瞬だった。彼らの名前を呼ぶ声は日に日に増えて言った。和泉守や兄弟刀と話している時にでさえ、それを邪魔するように。自分達を忘れないでくれと言うように。
 彼が消えた日に似た夜は決まって寝付けなかった。和泉守と同室を決めなくて良かったと堀川は内心安堵した。相棒である彼は堀川の機微に敏い。今はうまく隠しきれているがいつまでそれも持つだろうか。
 もうすでに日中から彼らの声が聞こえるようになって堀川はとうとう耐えられなくなった。もう行こう。彼らの元へ。
 宗三左文字から近くの神社で秋祭りがあると言われて、堀川はあの神社かと思い出す。どこか前の本丸に雰囲気が似ている神社が少し気になっていたのだ。あそこへ行ってしまったら最後、この本丸には戻ってこれないような気がして。
 この本丸で過ごしたのは一か月半くらいであったが、いろんな人に仲良くしてもらっていた。もし自分がこの本丸で顕現していたのであれば、さぞ幸せだっだろうと何度思った事か。けれど何度願おうと自分はあの本丸の刀であったのだと消えた五振りの声がそれを思い出す。
 だから、悔いが残らぬようにと昼間はいつものように新選組の刀達と過ごし、夜は憧れであった兄弟と過ごした。できるならば彼らの兄弟になりたかった。もっと相棒の傍にいたかったし、世話を焼きたかった。けれど、限界であった。

 折れるなよ。
 折れずに今まで僕は頑張ってきたましたよね。
 無理は禁物ですよ?
 ええわかってます。
 寂しいよ。
 僕もずっと寂しかった。
 帰ってくる場所はここだよ。
 そうだね。今そこに行くよ。
 国広。
 今となりに。

 明かりの消えた神社の中、ゆらゆらゆれる影が五つあった。暗がりで良く見えない。けれど、堀川はそれらを見てにこりと笑った。

「ただいま、みんな」

◇ ◇ ◇

 昔と同じように六振りで歩く。道をすれ違う人にぶつかるがするりと通り抜ける。誰も僕らを認識していない。僕らはそのまま本丸のある方へと向かう。ここは僕らが過ごした本丸とは違うがとても居心地がいい。
 時々忙しそうにしてる誰かを手伝う。一瞬誰かがこちらを見ていたような気がして手を振ると驚いたような顔をして微笑んだような気がした。
 もしかして見えてる?そう思ったのもつかの間、僕の身体を通り抜けて小さい子がその人の方へと向かっていく。なんだ、小さい子の方を見ていたのか。
 僕たちは六振り揃ってちょっとした本丸の手伝いをしながら過ごした。
 けれど一年に一日だけ、秋祭りの日には神社に行って過ごす。僕はそこで誰かと会おうと約束したような気がしたのだ。ぶらぶらと手持無沙汰にいつか買ったのかわからない狐のお面を頭につけて、お気に入りの赤と青の風車を手に歩く。
 ぱしゃりとその服にはねた水がかかる。どうやら小さな子が水風船が浮かべられた桶に手を突っ込んだようだ。水風船を取る前に濡らしてしまった紙紐を手に諦めたようにため息をついている青年がいるのを見かけて、僕は何故かその彼をどうしても手助けしたくなった。店主に金を渡すとその紙紐とその青年に渡す。
 「残念だったね」
 そう狐面の下に笑顔を浮かべて。
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