この本丸には堀川国広は存在しない
堀川国広はこの本丸にはまだ顕現していない刀であった。
だがこの本丸には三十数本ほどの刀がすでに顕現しており、一本足りないところで仕事に支障が出るかと問われれば否と審神者は答えるだろう。しかし、人手はないよりもあった方がいい。
審神者はそういう事だと簡単に先ほどのことを説明し、この本丸に最初に顕現した刀剣男子であり近衛である蜂須賀虎徹に彼を紹介した。
「彼の本丸は諸事情により解散することになってな。政府が引受先として私達の本丸を指定し、それを私も了承した。
蜂須賀、今日からこの本丸で共に働くことになった同志だ。世話の方をよろしく頼む」
「脇差の堀川国広です。よろしくお願いします!」
いかにも真面目そうな細身の少年がぺこりと礼儀正しく頭を下げる。
ここ数日何かに悩んでいた審神者を少しきにしていたとはいえ、唐突に今日ふらふらと外に出かけたかと思えばこれである。
蜂須賀は審神者に呆れた表情をしながらも、堀川に利き手を差し出した。
「俺は蜂須賀虎徹だ。この本丸では近衛を任されている。何かあれば遠慮なく聞いてほしい」
「……え」
一瞬堀川の顔が驚きの表情に変わる。しかし、蜂須賀に出された手をすぐさま握ると「ありがとうございます!」と笑顔で返した。
しかし堀川の微妙な困惑に蜂須賀だけでなく審神者も首を傾げる。
「どうした?」
「いえ、えっと……そのこんなことをいきなり言うのは失礼だとは思うのですが……蜂須賀虎徹さんは贋作が嫌いだと聞いておりまして……。
僕自身の出自は真贋があやふやなのでその……機嫌を損ねるのではないかと」
「ああ、なるほど。彼が嫌うのは別に贋作すべてというわけではない。ただ一人に対して嫌がらせをしているだけだ」
「主!」
「おや、いらぬことを言いすぎたようだな。
まぁそれはともかくだな。
堀川、蜂須賀に紹介したように君は今日から私たちの同志となる。
この本丸には君の本丸と同じ銘の刀剣もいればそうでない者もいるだろう。しかし、険悪の仲のような刀剣男子はほぼいない。あったとしてもそれは一種のコミュニケーションの形だと思えばいい」
「こ、こみにけーしょん?」
「触れ合うための方法だな。素直になれないからのこう……行動でなんたらという」
「な、なるほど……こみにけーしょんですね!わかりました!」
「堀川、主の言う事はまぁ大体正しいが、少しおおざっぱなところがある。あまり過信しないように。
主、ところで堀川の部屋はどうしますか?」
審神者の言葉に蜂須賀は釘を刺すように言い、それに堀川はまた驚いたような顔をするが先ほどおおざっぱと言われた審神者は気にした様子もなくそうだなと返す。
「いきなり相部屋にするのも悪いだろう。客間をしばらくは使ってもらおう。
その後に親しくなった部屋に移動すればいい。和泉守や同じ堀川派とは近いうちに顔合わせをしておくといいだろうな」
「兼さんいるんですか!?」
「あぁ、いるぞ。今は遠征中だから会えるのは三日後くらいになるだろうが」
「わかりました!」
やはり相棒の刀の存在は嬉しいらしく堀川が笑顔に変わる。蜂須賀と審神者は微笑ましくその様子を眺める。
そしてこの本丸での約束事を簡単に堀川に伝えると蜂須賀に本丸の案内を頼んで審神者は自室へと戻っていく。
その背を見送ってから、さてと蜂須賀は堀川に向き合う。まだ緊張を少ししているのか気を張り詰めている様子が伺える。故に蜂須賀は弟刀である浦島に接するように彼に笑いかける。
「堀川、まずは客間を案内しよう。
荷物を持ったままでは本丸を案内できないからね」
「はい、わかりました!ありがとうございます」
それに少しだけ緊張を和らげる彼に蜂須賀は少し彼の扱いがわかったような気がしながら、彼をまずは客間へと案内した。
客間に案内して彼の荷物を置いた後、蜂須賀はさてと考えた。
本丸の一体どこから案内するべきか。
手入れ部屋や稽古場、内番で使用する馬屋や畑の他にも蜂須賀おすすめの景観の美しい庭も見せたいとなると案内する場所は多く、その先々にいるだろう者達とも顔を見合わせることになる。
であれば……。
「まずは厨房へ行こうか」
「厨房、ですか?」
堀川は首を傾げる。意外だったのだろうが、蜂須賀は紹介したい人がいるからと言って厨房への道を案内する。今は昼を過ぎたあたりで多くの刀剣はそれぞれの時間を過ごしているはずだが、恐らく数振りはそこに残っているだろう。
中庭からする短刀たちの笑い声を聞きながら堀川と蜂須賀は隣同士で廊下を歩く。
「そういえば、堀川は元の本丸ではどのように過ごしてたんだい?」
「えっと……修練と仕事ばかりしてました。
うちの本丸は人が少なかったので、いろいろとやらないといけないことが多くて」
「なるほどね……。俺もここの本丸に来たばかりの時は忙しかったよ。
ひたすら主と一緒に修練して、力をつけて、遠征にも行って……あの頃は本当に目まぐるしく忙しかった」
堀川の言葉に蜂須賀は頷くと昔を懐かしむように目を細めた。
初めて顕現したときはこの本丸も物資不足でどうにかして、資材を調達しようとあちこち駆け回ったのを覚えている。その頃は本当に手入れ部屋に入ることはしょっちゅうで、どうしたら敵に少ない人数で勝てるか夜通し主と作戦会議をしていたほどだ。
「でも、おかげで料理の腕は上がったんですよ!」
「そうか。なら、なおさら彼らに先に紹介しておかないとな」
厨房に着くと昼食の片付けをしていた二人がこちらを確認するように見て、驚いた顔をする。歌仙兼定と一期一振だ。
「一体どこから主は新しい刀剣を拾ってきたんだい?」
「歌仙、一期、彼は政府の依頼で他の本丸からうちの本丸へ来ることになったんだ。
名は……」
「堀川国広です。よろしくお願いします!」
蜂須賀の言葉を引き継ぐように堀川が答え、歌仙と一期に対して一礼する。その礼儀正しさに二人とも笑みを浮かべてよろしくと返す。
「しかし、君があの和泉守の相棒とはね……。
これから苦労をかけるかもしれないがよろしく頼むよ」
「いいえ、むしろ僕の方がお手を煩わせてしまうと思います。
まだ来たばかりではありますが、早く皆さんの力になれるように頑張ります」
「そんなにも気を張らなくても大丈夫ですよ。この本丸には私の弟分の脇差もいるので仲良くして頂けると助かります。
あと少々やんちゃな短刀もおりますのでご迷惑をかけるかと思いますが……」
にこにこと微笑みながらやりとりしている姿には何も問題はなく、やはりこの二人との顔合わせは問題なかったと安心する。
歌仙はこの本丸でもそこそこ古くから顕現している刀であるし、一期は多くの弟を持つゆえに面倒見が良く頼りになる。
あまりここにいては二人の邪魔になるだろうとそこそこの話をしたところで話を切り上げると堀川さ次は稽古場へ行って見たいと希望を出してきた。断る理由もないので蜂須賀は了承し、希望通り稽古場へと向かった。
「歌仙さんと一期さんには初めてお会いしましたが、お二人とも素敵な方ですね」
「ふふ、そうだろう。歌仙は和歌を作るのも上手だからね。機会があれば見せてもらうといい」
「はい!」
「おや、蜂須賀じゃないですか」
稽古場へと向かう廊下で話しかけてきたのは宗三左文字と小夜左文字であった。小夜は今日は内番は割り当てられなかったはずだったが、確か宗三には手合わせの予定があったはずだ。蜂須賀の視線に気が付いたのか、宗三は「休憩ですよ」と答える
「暑苦しい人たちとずっと打ち合っているのも疲れますからね。小夜と少し休憩を兼ねてどこかで涼もうかと思ってたんです」
「なら、構わないが……。鶴丸とへし切は?」
「稽古場にいるよ。それで……」
「あ、あの、堀川国広といいます!今日からこの本丸でお世話になります!」
ちらりと宗三が視線を送ると堀川は慌てて挨拶をする。宗三はそれにふぅんと堀川の一度見るとほどほどによろしくと言って小夜と一緒にその場をすぐに去っていく。
「あの……さっきの方は?」
「ああ、宗三左文字と小夜左文字だ。二人ともあまり他の人となれ合うのが苦手というか……なんというか。
まぁ、悪い人たちではないし、仕事ではちゃんとしてくれるから大丈夫だ」
「なるほど、そうなんですね」
「……堀川、稽古場はこの先にあるから行こう」
あっさりと堀川は頷くのに蜂須賀は少しだけ大丈夫かと心配になりながらも稽古場へと案内した。
稽古場では宗三の言葉の通り、鶴丸とへし切がおり、その他にも燭台切などちょうどその場に居合わせた者にも挨拶をする。他の場所へ案内する時もその場にいた者達に逐一挨拶をしていく。
大体の刀剣男子の反応は歌仙や一期と同じような感じではあったが、宗三のようにそっけなく挨拶を返しただけの者もいる。その時は蜂須賀がフォローして名前を堀川に教えるなどして大体の本丸にいるメンバーとの顔合わせは済んだ。
最後の畑の案内も済み、堀川と一緒に客間に戻ってくると空はすでに赤みがかっていた。
「蜂須賀さん、案内ありがとうございました」
「これも近衛の仕事だからね。それじゃあ、早速明日からだけど……」
「すまない、少しいいだろうか」
客間でお茶を出して蜂須賀と堀川が話をしているところへ割り込んできたのは山伏国広だ。そういえば、今日は山姥切国広と彼は主に頼まれて万屋に買い出しに行っていたのだ。
障子の戸を引いて現れた二人を見て堀川がはっと目を大きくするのがわかる。
「万屋から帰ってきたら主殿がこちらへ行くようにと言ったので来たのだが……なるほど、兄弟が来ていたのだな」
「堀川国広か」
「あ、あの……その、一応僕が堀川国広です!あ、でもその本当に国広かと言われるとちょっとわからないんですけど……」
慌てて立ち上がると堀川は今日何度も説明した挨拶を繰り返す。
「なに、堀川国広という名前があるならお主が兄弟であることには変わらぬだろうて。なぁ?」
「そうだな」
山姥切は言葉はそっけなかったが、それでもその表情はしっかりと堀川の方に向かっていた。彼なりに堀川を気遣っているようだ。すぐに山伏も山姥切も自らの名を名乗ると堀川は二人の分のお茶を慌てて用意する。
そうして四人で机を囲むと、山伏がカッカッカと笑って「それで何の話をしていたのだ?」と言う。
「ああ、明日からの堀川の予定についてなんだけど……」
「はい!掃除洗濯料理、仕事でも修練でもなんでもやります!」
やる気満々の様子の堀川に山姥切があまり張り切りすぎるなよと心配するように言い、山伏が元気であるなぁと笑う。蜂須賀も二人の言葉に同意するように頷くと堀川に明日からの予定を伝える。
「しばらくはこの本丸に慣れる事に集中してほしいから仕事とかは頼まないよ。
内番についてはやり方を他の人と一緒についてやってくれればい」
「えっでも……」
「山姥切、山伏、二人は明日何か内番を頼まれてなかったか?」
「馬屋の番を頼まれている」
「では、兄弟そろって一緒に馬の世話をしようではないか。兄弟が今までどうやって過ごしていたか拙僧も聞きたいことがたくさんあるのである」
「そうだな。……堀川さえ良ければ」
「えっと……あの……それじゃあよろしくお願いします」
堀川は目をさ迷わせつつも二人からの期待の眼差しに押され、頭を下げた。兄弟と言ってもまだよそよそしさはあるが、大体の兄弟の初めての出会いとはこんなものである。
山姥切がちらりと山伏に目配せをして、山伏が頷いている。二人ならばそう時間をかけずとも堀川と仲良くやってくれるだろうという蜂須賀は考えは後日まさしくそのとおりになった。
刀派が同じである二人は何かと気にかけ、三日後には和泉守が来たこともあって堀川国広はこの本丸に少しずつ馴染んでいったのであった。
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