右京
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「もって、後3ヶ月です」
目の前が真っ暗になった。
何を言われているのか、全くわからなかった。
隣の雅臣兄さんが何か聞いているけれど、それすらも耳に入らない。
自分の体に何が起きているのか、何も、わからなかった。
「よく家族と話し合って、決めてください」
「…な、にを」
やっと捻り出した言葉に、目の前の優しい雰囲気のお医者さんは、こう告げた。
「延命治療をするのか、しないのか、です」
「延命…治療」
「…奈菜…」
かいつまんで話すと、私の体のあちこちに癌細胞が転移していて、もう治療では進行を抑えることしか出来ないという。
しかし私は、その問いだけにはしっかりと答えを持っていた。
「…延命治療は、しません」
「奈菜?」
「私は、これまで精一杯の生きてきたつもりだから、これからもそうでありたい」
「…」
「3ヶ月を、自分の好きなように過ごして生きたい…治療で、ずっと病院生活は…嫌だから」
「……一度ご家族と話し合ってください、それでも意思が変わらなければ来てくださいね」
お医者さんはそう言って、私たちを見送った。
帰り道の車の中は、とても静かだった。私も雅臣兄さんも喋らない。
何を言ったら良いのか、どう伝えれば良いのか、それがまだわからなかったから。
でも、一つお願いしたいことがある。
「雅臣兄さん」
「…なぁに」
「私の、わがまま…聞いてくれる?」
「…どんな、わがまま?」
「……お母さんだけに話すから、他のみんなには黙ってて欲しい」
「!!奈菜、それは…!」
「お願い」
「でも!」
「お願い………これで、最期だから」
「…っ」
雅臣兄さんが辛い顔をしているのが、見なくてもわかる。
でも、この気持ちはもう止められないから。
最期のわがままだけは、どうしても聞いて欲しかった。
雅臣兄さんを巻き込んでしまう事にとても胸が痛んだけれど、私はそれでも、みんなに…何より右京兄さんに知られたくなかった。
「ただいま〜!」
「おかえりなさい」
「おかえり〜!奈菜〜!俺の可愛い妹よ〜!大丈夫だったか〜!」
「椿兄さんってば大袈裟だなぁ、熱中症になったぐらいで」
「あれほど水分補給はまめにしなさいと言ったでしょう」
「ごめんって右京兄さん」
「全く…」
「雅兄、そんなところで突っ立ってどうしたの?」
「あっいや!何でもないよ…」
雅臣兄さん以外のみんなには、熱中症で倒れたと伝えてある。
今の季節は8月で、ちょうど外にいたから信じられやすいと思った。
兄弟と何もなかったかのように話す奈菜を遠目から見て、雅臣は少し胸が痛んだ。
その様子を見ていた要は不審に思ったが、今は追求すまいと心のうちにその不安を仕舞い込んだ。
「ごめんね…」
雅臣の呟いたその言葉は、誰にも届く事なく、虚空に消えた。
「普通に元気なんだよなぁ」
余命宣告というものを去れてから、早1ヶ月。
体には何の異常もなく快適に過ごしていた。後2ヶ月で死ぬのが夢みたいに思えるほどに。
お母さんには、宣告をされた次の日に電話で伝えた。そうしたら仕事中だというのに私の部屋まで飛んできて、抱きしめた。
「私はね、どんな時もあなたを愛しているわ…私の可愛い娘…それはこれからも…ずっと変わらない」
「お母さん…」
母の温もりが、懐かしいひまわりのような匂いが嬉しくて、少しだけ涙が出た。
母にも雅臣兄さん同様、他の兄弟には黙って欲しい旨を伝えると、母さんも渋い顔をした。
「うーちゃんが何ていうかしらね」
「う……」
「つばちゃんや、あーちゃん、なっくんも怒るんじゃない…?というか、多分みんな…」
「だよね…」
安易に想像できるみんなの怒る姿が目に浮かび、苦笑する。
「だったら…」
「でも…良いの、言わない」
「…どうして?」
「余計な心配かけたくないし……それに最期まで笑顔でいて欲しいし、笑顔でいたいから」
「…そう、なぁちゃんが決めたならお母さん、もう何も言わないわ」
「ありがとう」
母さんの温もりに再び包まれながら、私は決意を固めた。
誰にもバレないように最期を迎えるために。
余命宣告をされてちょうど2ヶ月半という時、私は雅臣兄さんと一緒に病院に来ていた。
今までの検査では特に異常もなく順調に過ごしていた。
検査の結果が良すぎて、余命宣告も乗り越えられるのではと思っていた程に。
他のみんなにもバレた様子は全くなく、恒例の夏の旅行も目一杯楽しむことができた。
右京兄さんとコテージで涼みながら本を読んだり、早起きして一緒に朝市にも出かけた。
いつもより大切に感じた家族との、好きな人との時間。
少し、忘れかけていた。自分の体が、今どういう状況なのかを。
「癌細胞が心臓近くに転移し始めました」
「……心臓に、転移したらどうなるんですか」
「……心臓に転移したら、残りわずかだと思ってください」
「そんな…」
雅臣兄さんの声が辛そうで、私は聞いただけで胸が張り裂けそうだ。
でももう、今から治療したって遅い。
精一杯生きると決めたのに、ここまで来てやっと死への恐怖が現実感を増す。
生きていたい、生に縋り付いていたい、どうして私なの、と。
何度も何度も掻き消しても、不安が消えない。
もしかしたらもっと生きていられるかも、なんて。
現実はそんなに甘くはなくて、助かるなんてそんなことはなかった。
癌細胞は着実に私の体を蝕んでいく。
私と彼との距離を引き剥がそうとしてくる。もう、後はない。
家族での夕飯が済んで、リビングに右京兄さんと二人だけ。
二人で食後の紅茶を飲む。
「右京兄さん」
「何ですか?」
「明日お仕事お休みだったよね」
「そうですが…どこか行きたいところでも?」
明日の予定を聞いただけで、私の意思を汲む右京兄さんはさすがだと思う。そこにまた私はときめいて、好きになる。
「うん、今から行きたいところがあるの」
「…今からですか?」
「そう、今から」
もう空はすっかり真っ暗な時間に出かけるという私の発言に、右京兄さんは綺麗なアイスブルーの瞳を見開く。
「なぜ今から…」
「今からじゃないとダメなの」
「……仕方ありませんね、少しだけですよ」
やれやれと言いながらも腰を上げて準備をする右京兄さん。
満更でもなさそうな顔が、眉毛を八の字にして笑うその顔が、どうしようもなく兄の顔で…胸が締め付けられる。
「それで?どこへ行こうと言うんです?」
「昔さ、2人だけで星の見える丘に行ったの覚えてる?」
「あぁ、そんな事もありましたね………まさか、そこへ行くんですか?」
私は右京兄さんの車の助手席に乗り込み、無言で微笑む。
「…まったく、本当にわがままに育ちましたね…一体誰に似たのか…」
「誰に似たかは知らないけど、右京兄さんを見て育ったつもりだけどなぁ?」
「私を見て育ったなら、もう少し…」
「いいからいいから!早く行こ?」
いつものお小言が始まりそうになって、右京兄さんを急かす。
右京兄さんは不満げな顔をしたが、ため息を一つ吐いて大人しく運転席に乗り込み、エンジンをかける。
車は夜の都内を走り出す。まるで、逃避行みたいで心が少し躍る。
星の見える丘は家からおよそ1時間半くらい車を走らせると着く。
丘に行くには遊歩道を歩かなくちゃいけないから、駐車場に車を置いて歩き出す。
「ねえ」
「ん?」
「手、繋いでよ」
「……本当に今日はどうしたんですか?」
急な遠出、思春期を迎えてから甘えなくなった私からの提案も、全て訝しまれるには十分な要素だろう。
「いいじゃん、2人しかいないんだし」
「…わがままで甘えん坊なのは、変わらないようですね」
夜空をバックに優しく目を細めて微笑む右京兄さんが、とても綺麗で私は顔を赤らめる。
見られたくなくて顔を背けるけど、繋がれた手も熱を持ち始めて、バレてしまいそうになる。
全部が好き。右京兄さんの、全部が。
「ほら、着きましたよ」
「…いつ来ても綺麗だね…」
「えぇ…満天の星空、というのはまさにこのことですね」
10年ぶりにみる右京兄さんとの星空。
初めて来たのは、夏の旅行に私だけ風邪をひいて行けなくなった時。
右京兄さんが私の看病をしてくれて、治ってからみんなに内緒で連れてってくれた。
私と右京兄さんしか知らない、秘密の場所。
私はあの日から、ずっと右京兄さんが好き。
「きょうにぃ」
「…なんですか?」
昔の呼び方しても、驚かないんだね。
優しいその目は、ずっと兄の顔のまま。
「…私ね、きょうにぃのことが好き」
「…何ですか急に……私も好きですよ」
「違うよ」
「…」
「わかってるでしょ…そういう意味じゃ、ないの」
2人の間には長い沈黙。
それでも繋がれた手は、解けない。
右京兄さんは、私の手を引っ張って抱き締めた。
「きょうにぃ?」
「…私は、ずっといい兄を演じてきたつもりです……」
「…」
「でもどんなに押し殺しても、奈菜が好きという感情は消えなかった」
「私と、同じ気持ちだったの?」
右京兄さんの腕の中で、静かに聞いていた私は堪らなくなって泣きじゃくる。
嬉しい、どうしようもなく胸が飛び出してしまいそうなくらい嬉しくて、涙が止まらない。
「私は自分の気持ちに蓋をしました、けれど… 奈菜も同じ気持ちなら…もう、蓋をする必要もありません」
「きょうにぃ…」
「2人だけで出かけたいと、そう言ってくれた時…内心すごく嬉しかったんです」
「うん…」
「思い出の場所であるここを、奈菜が覚えているとは思っていなくて…聞いてびっくりしました」
私の涙を指で優しく拭いながら、優しく微笑む右京兄さんの顔はもう兄の顔ではなかった。
「当たり前だよ、だってここは…私にとって大事な場所だから」
「…私の事を好きになった場所だから?」
「っ!」
耳元でそう囁かれて、私は顔から煙が出そうなほど赤らめる。
恥ずかしくて右京兄さんの胸に顔を埋めて、抱きつく手に力を込める。
でもそれは逆効果で、頭上からクスクスと笑う声が聞こえた。
「もしかしたら…と思いましたが、当たりでしたね?」
「さっ、さぁね!いつ好きになったかなんて覚えてないからわかんない!」
「おや、覚えていないんですか?私はあんなにはっきり覚えているというのに…」
「え?」
右京兄さんが私を好きなんて微塵も予想していなかった私は、その言葉に興味が湧く。
「…いつからだったの?」
「…昔、私が別の事務所に引き抜かれそうになった事を覚えていますか?」
「あ…刑事裁判ばかりしているところの?」
「そう…あの時奈菜が『私は困っている人に寄り添うことができる右京兄さんのやり方が好き』と言ったんです」
「…言ったような、言ってないような…」
身に覚えのあるような、ないような言葉を反芻する。
すると右京兄さんが私の頬を優しく撫でる。
「一言一句、間違えるわけがありません……私は、その言葉に救われたのですから」
「!……じゃあ、右京兄さんはその時から…」
「そうです、その瞬間から私は…奈菜を妹として見れなくなったんです」
「…っ」
顔に熱が集まっていくのが、嫌でもわかるほどに顔が熱い。
右京兄さんと、目が合わせられない。
でも、そんな私を右京兄さんは逃がさない。
「顔を背けないで、ちゃんと聞いてください」
「…っ」
腰を抱き締められたまま、顎に手を添えられて、真紅に染まる顔が露わになる。
それを見て、右京兄さんは満足げに微笑む。
「愛しています、奈菜」
「…っ、私もきょうにぃをあいして…」
言い切る前に、私と右京兄さんの唇が重なる。
もう言葉は要らないとでも言うように、何度でも唇を重ねて、抱き締め合った。
涙が溢れて止まらないけど、そんな事は気にしない。
今は1秒でも長く、右京兄さんと愛し合っていたい。
薄く目を開くと、右京兄さんと目が合う。
綺麗なアイスブルーの瞳、今はただ私だけを見つめている。
それが嬉しくて、私は右京兄さんの背中に回す手に力を込めた。
今、満天の星空の下で、愛を誓おう。
「きょーにぃ!早く早く!」
「そんなにはしゃがなくても、ショッピングモールは逃げませんよ」
「だって今日は初めてのデートだもん…はしゃぐのは仕方なくない?」
「……本当に奈菜は可愛いですね」
「しっ、しみじみ言うのやめてくれない!?」
「おや、何か不都合でも?」
私が可愛いとか好きとか言われると恥ずかしがるとわかっているのに、わざと右京兄さんは言う。
顔を真っ赤にして怒る私の顔を楽しむとか、悪癖の持ち主である。
そういう意地悪なところも好きなんて、何か負けた気がして、自然と眉間にシワがよる。
「そう拗ねないでくださいよ」
「別に拗ねてませ〜ん」
「だったらどうして眉間にシワがよっているんですか?」
「元からこういう顔なんです〜」
「残念ですねぇ…今日はケーキが美味しいと噂のカフェに行こうと思っていたのですが…」
「行く!」
美味しいケーキと聞いて一瞬で機嫌を直す私に、右京兄さんは声を抑える事なく笑う。
それを見て、私はまた顔が赤くなる。
「もう!笑わないでよ!!」
「くっくっ…本当に貴方といると飽きないですね」
「褒められてる気がしない…!」
「褒めていますよ?…さ、行きましょうかマイレディー?」
「……要兄さんって、右京兄さんに似たんじゃ…」
「え?」
「何でもなーい」
恥ずかしげもなく言いのける右京兄さんに、何だか要兄さんの面影を見てボソリと呟く。
右京兄さんに言うと怒りそうだから、秘密にしておこう。
「それでね、あの時は…」
「ふっ… 奈菜らしいですねぇ」
「え〜?何それ」
手を繋いで雑談をしながら、目的のカフェへとショッピングモールを歩く。
そこで、私は体の異変に気付いた。
「…っ!?」
「奈菜?」
「…い、た…っ」
激しい胸の痛みに襲われる。
私は悟った。
あぁ、もう終わりが来たんだと。
右京兄さんの顔が、痛みからくる涙で歪んでいく。
「奈菜!どうしたんです!」
「胸が…い、たい……」
「胸ですね?わかりました」
右京兄さんは、冷静に救急車を呼ぶ。
ここからだと雅臣兄さんが働いてる病院が近い。
ちょうど良かったのかもしれない。
私が通院しているのも、その病院だから話が通ればすぐ診てもらえる。
右京兄さんには…もう隠せないかな。
「奈菜!…っ!右京…」
雅臣兄さんが慌てた様子で病室のドアを開ける。
右京兄さんを見て、雅臣兄さんは驚きを隠せないまま、私たちに近寄ろうとする。
「…どういう事ですか」
「……」
「どういう事だと言っているんだ!!」
右京兄さんの怒号が病室に響き渡る。
私は俯いて、何も言わぬまま。
…ううん、言わないんじゃない、言えない。
怒っているはずの右京兄さんの声色が、辛そうで、悲しそうだったから。
「雅臣兄さんは、知っていたんですか」
「…ごめん、右京……」
「どうしてですか?そんなに…私は頼れない男でしたか…?」
「違う!」
今度は私の声が響き渡る。
右京兄さんが頼れないわけじゃない、そうじゃない。
これは私の…最期のわがままだから。
「私が雅臣兄さんと母さんにお願いしたの…黙っててって」
「どうして…!」
「だって、残りの3ヶ月をお通夜みたいな雰囲気で過ごすの嫌だもん」
「…でも……それでも…」
私が力なく笑ってそう言うと、右京兄さんは更に悲しそうな顔をした。
私の手を力なく握るその手は震えていた。
「私ね、本当に幸せだったの」
「…」
「残り3ヶ月と言われた命で、私は変わらずみんなと…右京兄さんと過ごせた」
「…えぇ…」
「右京兄さんにも想いを伝えられて、その上両想いだって知れた」
「…っ、えぇ…」
「だから…本当に………幸せなの」
「…っ…」
右京兄さんの頬にも、私の頬にも流れる滴は…悲しみの色と幸せの色をして、この世の何よりも美しく輝いていた。
私は、右京兄さんが好き。
小さな時からずっと大好き。
しっかり者で、みんなをまとめているところとか。
料理だって美味しいし、他の家事もお仕事だって完璧。
お母さんみたいにうるさいところもあるけれど、そこも好き。
本当は意地悪で、私を困らせるのが好きなあなた。
そういうのは少し控えて欲しいけど………たまになら、良いよ?
なんて、ね。
ずっと、続けば良いのに。
今日は私が死ぬ日。余命宣告をされて、3ヶ月経った約束の日。
無理を言って、私はみんなのいる家に帰ってきた。
「奈菜」
「…要兄さん?どうしたの?」
「……もう、いくんだろう?」
「何を言って………っ!」
「……わかるよ、これでも僧侶だから…ね」
最初は何を言っているのか、わからなかったけど。
要兄さんは、私に「もう逝くのか」って…そう言ったんだ。
真面目な時だけ、呼び捨てにするところも…変なところだけ鋭いのも、変わんないね。
「うん……もう、いくよ」
「…怒りたい気持ちもいっぱいあるけど…京兄がいっぱい叱っただろうし」
「それはもう、こってりとね」
「だろうね」
「……今までありがとうね、かなにい」
「…!反則…」
気づいた時には要兄さんの腕の中。
お香の匂いと、要兄さんの香水の匂いに包まれる。
安心できるこの匂いが大好きだった。
「…いつでも思い出すよ、奈菜のことを」
「…うん」
「…ごめん、もう少しだけこのままで居させて」
「…うん…」
私は自分の肩に落ちる滴に見ないフリをして、要兄さんの背中に腕を回した。
「…ありがとう、もう大丈夫」
「…うん」
「今日はめでたい日になるんだから、これじゃダメだね」
「…めでたい日?」
「もう京兄は準備終わってるよ、急ごう」
「いやだから何が!?」
急にルンルン気分な要兄さんに着いていけなくて、頭はハテナでいっぱいになる。
要兄さんに連れられるがまま来たのは琉生兄さんの部屋。
「待ってたよなぁちゃん…さ、早く着替えよう?」
「え?え?」
「着替えは私も手伝うわよ!」
「母さんまで?!」
要兄さんたちに琉生兄さんの部屋の中に押し込まれると、そこには綺麗な純白なドレスがあった。
それは、よく見ると星の刺繍が入ったウェデイングドレス。
「なに…これ…」
「今日は、なぁちゃんと右京兄さんの結婚式」
「かなちゃんが言い出したのよ?今日やろうって」
「要兄さんが?」
私は後ろにいる要兄さんを見つめると、要兄さんは優しく微笑んでこう言った。
「何も出来ないままは嫌だからね」
「……本当に、ありがとう…」
涙が溢れてくるけど、琉生兄さんにメイクするから泣いちゃダメって言われて、笑っちゃった。
本当に、ありがとう。
「…出来た」
「まぁ…!まぁまぁまぁ!なぁちゃん、とっても綺麗だわ…!」
「…琉生兄さん、母さん、ありがとう…」
「どういたしまして」
「さぁ、行きましょうか」
「うん」
自分が自分でないみたい。
琉生兄さんにヘアメイクとメイクをやってもらって、純白のドレスに身を包んで、私は今…最愛の人に会いにいく。
かっこいいパンツスーツを着た母に手を引かれながら、リビングのある5階に着くとそこには赤のカーペット。
「これって…」
「みんなで用意したのよ」
「みんなが…」
「感動するのは早いわよ?中の飾り付けもすっごいんだから」
「…うんっ」
溢れそうになる涙をなんとか抑えて、カーペットを歩いていく。
家の中でバージンロードなんて、おかしくて笑えてきちゃうね。
見えてきたリビング。
風船やガードランドで飾り付けされた室内は、とても綺麗であたたかった。
そして…レッドカーペットの先には、愛しいあの人。
「……とても綺麗です、奈菜」
「すごく、かっこいいよ…きょうにい」
私と同じ色、純白のタキシードに身を包んだ右京兄さんは、直視できないくらいかっこよくて…ときめいてしまったけれど、目だけは逸らさないように、見つめていた。
「!きょうにい…それって…」
「覚えていますか?」
「うん、覚えてる…持っていてくれたんだね」
「奈菜も、持っていてくれていたんですね」
「もちろん」
右京兄さんの胸元には、不格好なひまわりのブローチ。
それは私が恋心を自覚してから迎えた最初の右京兄さんの誕生日に渡した、手作りのひまわりのブローチ。
私の髪に飾られているのは、イエローマリーゴールドの花飾り。
20歳の誕生日に、右京兄さんがくれた髪飾り。
花言葉は…「変わらぬ愛」。
「さぁ、いきましょう」
「うん」
兄弟たちと母さんの拍手に迎えられて、階段をゆっくりと降りていく。
「なぁちゃん、きょーたんおめでと〜!!」
「おめでとう、姉さん、右京兄さん…永遠の幸せを願っているよ」
「奈菜とても綺麗よ、おめでとう」
「右京、奈菜…幸せにね」
「姉貴!京兄!おっ、おっ…!おめでとぉぉぉ!」
「うわっ!バカ侑介泣き叫ぶなよ!鼻水とか飛ぶだろ!」
「おめでとう…うん、とっても綺麗だよなぁちゃん」
「京兄、奈菜、おめでとう……綺麗だぞ」
「奈菜ちょ〜綺麗だね〜!さすが俺の妹!」
「二人とも、幸せにね」
「おめでとう、幸せにな」
「京兄、なぁちゃんおめでとう、すっごく綺麗だよ」
「私の見立ては間違ってなかったわね!二人とも綺麗よ!」
「みんな…ありがとう」
「ありがとうございます」
みんなに祝福されて、嬉しいけど照れ臭くなる。
右京兄さんと目があって、同じことを思っていたのか顔が赤い。
それが何だかおかしくて二人で笑った。
「さぁ、新郎新婦?こちらへどうぞ」
「え?まさか神父役って二人なの?」
「そうだよ…さぁ、二人とも早く」
「宗教もクソもありませんね…」
十字架のネックレスを片手に聖書を持つ祈織と、いつも通り袈裟を着た要兄さんが二人で並んでいる。
それがおかしくて、また笑った。
「新郎右京…貴方はここにいる新婦奈菜を、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
祈織の言葉にはっきりと、そう言ってくれる右京兄さんに私は涙が出そうになるのを必死に抑えた。
「新婦奈菜…貴方はここにいる新郎右京を、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
要兄さんの言葉に私も誓う。
少し涙声だったかな、大丈夫かな?
気持ちが溢れてもう止まらないから、ちょっとぐらい大目に見てね?
「はい、きょーたん!なぁちゃん!」
「弥、ありがとうございます」
「これって…!」
弥が持ってきたのは、ダイヤの指輪。
メインのダイヤの両脇に、右京兄さんの瞳の色であるアイスブルーのダイヤがあしらわれたものと、私の瞳の色のピンクダイヤがあしらわれたものがある。
右京兄さんは、アイスブルーダイヤがあしらわれた指輪を私の左手の薬指にはめた。
「綺麗……」
「さぁ、今度は貴方の番ですよ」
「うん…!」
私は弥の手の中にあるピンクダイヤのあしらわれた指輪を、右京兄さんの左手薬指にはめる。
私の指には右京兄さんの瞳の色、右京兄さんの指には私の瞳の色。
お互いが、お互いの色を手にしている。それだけで心がこんなにも踊る。
指輪のした手を私たちはそっと絡め合う。
「はいどうぞ」
「…まさかこれまで用意されているとは…」
「私の好きな言葉は用意周到、ですかね」
「…全く、ほんとその通りですこと」
右京兄さんから渡された一枚の紙、それは婚姻届。
私は自分の名前を書いて印鑑を押した。
「「では、誓いのキスを」」
「貴方を… 奈菜だけを、永遠に愛しています」
「…私もきょうにいだけを、永遠に愛しています」
今日この時間に、私は右京兄さんの妻となる。
二人の唇が重なった瞬間に、私の頬から滴が伝った。
「この料理、誰が作ったの?」
「俺と梓と棗!それからひか兄と作ったよー!」
「ひか兄が!?」
「何よぉ、私が料理するのそんなに意外なわけ?」
「うん」
「良い返事すな!」
式も無事終わって、私服に着替えてみんなが準備してくれたご飯を食べる。
今日は、いつもはいない光兄さんや棗兄さん、普段仕事で忙しい風斗もいて嬉しい。
「でもまさかお前と京兄がなぁ…要兄から聞いた時は驚いたぞ」
「なんだ、知らなかったの?あんなにバレバレだったのに」
「えっ!?」
「奈菜はともかく、京兄は誰にもバレてないつもりだったろうけど……よく見たらバレバレで、なかなか面白かったよ」
「なっ!?」
要兄さんの言葉に私が、風斗の言葉に右京兄さんが驚いて顔を真っ赤にする。
そんな他愛もない話をしたり、みんなでゲームをしているうちに、夜になった。
「もうこんな時間?」
「時間経つのはぇーな」
「右京、奈菜、疲れてない?」
「私は大丈夫ですが…奈菜?」
「少し疲れたのかな……眠たいや」
急に結婚式をやることになって急いで準備して、式を挙げて、みんなでご飯を食べたり遊んだりして…いつもよりはしゃいだからかな。
「…私に寄りかかって寝て良いですよ」
「うん…じゃあ、そうするね」
リビングのソファで右京兄さんの肩に頭を預けて、目を閉じる。
心地よい睡魔に襲われて、だんだんと意識が薄れていく。
「… 奈菜、愛しています」
「私も……愛してるよ…きょうにぃ…」
唇におやすみのキスをされて、私は意識を手放した。
「京兄」
「何ですか?」
「俺も一緒に行っても良い?」
「…その方が喜びますよ、きっと…寂しがり屋ですからね」
出かける準備をしていたところに、要が声をかけてきた。
どこに行くか、要にはバレていたようですね。
「今日は誕生日だもんね…あっちでいっぱい食べてんじゃないの?」
「食いしん坊ですからね……そうだと思って、クッキー焼いてきたんですよ」
「あぁ、あのジャム入りの?大好きだったよね」
「そうそう、覚えてますか?侑介と取り合いして転けたの」
「ぶっ!はははっ!そんなこともあったなぁ!」
思い出話に花を咲かせながら、目的地へと車を走らせる。
目的地に着くと、車から降りて要に他の荷物を任せて、私は特製のジャムクッキーを持って歩く。
少し歩くと見えてくる朝比奈家之墓と書かれた石碑。
墓誌には、愛おしい彼女の名前がある。
お線香をあげて、手を合わせて祈る。
「誕生日おめでとうございます、あちらで美味しいものいっぱい食べてそうなので悩みましたが…作ってきましたよ」
「また次に来る時には、違う焼き菓子を持ってきますね」
「…貴方のところに行くまでに、もっと腕を磨いておきますから…楽しみにしてくださいね」
そう告げて、要と一緒にその場を後にする。
その時、風が吹いた。
『ありがと、きょうにぃ』
そう聞こえた気がして後ろを振り返ると、ジャムクッキーを包んだ包みが開いていた。
包みは結んでいなかったから、風で煽られて開いたのだろうが、私はそうは思わなかった。
「…本当に、食いしん坊ですね」
目の前が真っ暗になった。
何を言われているのか、全くわからなかった。
隣の雅臣兄さんが何か聞いているけれど、それすらも耳に入らない。
自分の体に何が起きているのか、何も、わからなかった。
「よく家族と話し合って、決めてください」
「…な、にを」
やっと捻り出した言葉に、目の前の優しい雰囲気のお医者さんは、こう告げた。
「延命治療をするのか、しないのか、です」
「延命…治療」
「…奈菜…」
かいつまんで話すと、私の体のあちこちに癌細胞が転移していて、もう治療では進行を抑えることしか出来ないという。
しかし私は、その問いだけにはしっかりと答えを持っていた。
「…延命治療は、しません」
「奈菜?」
「私は、これまで精一杯の生きてきたつもりだから、これからもそうでありたい」
「…」
「3ヶ月を、自分の好きなように過ごして生きたい…治療で、ずっと病院生活は…嫌だから」
「……一度ご家族と話し合ってください、それでも意思が変わらなければ来てくださいね」
お医者さんはそう言って、私たちを見送った。
帰り道の車の中は、とても静かだった。私も雅臣兄さんも喋らない。
何を言ったら良いのか、どう伝えれば良いのか、それがまだわからなかったから。
でも、一つお願いしたいことがある。
「雅臣兄さん」
「…なぁに」
「私の、わがまま…聞いてくれる?」
「…どんな、わがまま?」
「……お母さんだけに話すから、他のみんなには黙ってて欲しい」
「!!奈菜、それは…!」
「お願い」
「でも!」
「お願い………これで、最期だから」
「…っ」
雅臣兄さんが辛い顔をしているのが、見なくてもわかる。
でも、この気持ちはもう止められないから。
最期のわがままだけは、どうしても聞いて欲しかった。
雅臣兄さんを巻き込んでしまう事にとても胸が痛んだけれど、私はそれでも、みんなに…何より右京兄さんに知られたくなかった。
「ただいま〜!」
「おかえりなさい」
「おかえり〜!奈菜〜!俺の可愛い妹よ〜!大丈夫だったか〜!」
「椿兄さんってば大袈裟だなぁ、熱中症になったぐらいで」
「あれほど水分補給はまめにしなさいと言ったでしょう」
「ごめんって右京兄さん」
「全く…」
「雅兄、そんなところで突っ立ってどうしたの?」
「あっいや!何でもないよ…」
雅臣兄さん以外のみんなには、熱中症で倒れたと伝えてある。
今の季節は8月で、ちょうど外にいたから信じられやすいと思った。
兄弟と何もなかったかのように話す奈菜を遠目から見て、雅臣は少し胸が痛んだ。
その様子を見ていた要は不審に思ったが、今は追求すまいと心のうちにその不安を仕舞い込んだ。
「ごめんね…」
雅臣の呟いたその言葉は、誰にも届く事なく、虚空に消えた。
「普通に元気なんだよなぁ」
余命宣告というものを去れてから、早1ヶ月。
体には何の異常もなく快適に過ごしていた。後2ヶ月で死ぬのが夢みたいに思えるほどに。
お母さんには、宣告をされた次の日に電話で伝えた。そうしたら仕事中だというのに私の部屋まで飛んできて、抱きしめた。
「私はね、どんな時もあなたを愛しているわ…私の可愛い娘…それはこれからも…ずっと変わらない」
「お母さん…」
母の温もりが、懐かしいひまわりのような匂いが嬉しくて、少しだけ涙が出た。
母にも雅臣兄さん同様、他の兄弟には黙って欲しい旨を伝えると、母さんも渋い顔をした。
「うーちゃんが何ていうかしらね」
「う……」
「つばちゃんや、あーちゃん、なっくんも怒るんじゃない…?というか、多分みんな…」
「だよね…」
安易に想像できるみんなの怒る姿が目に浮かび、苦笑する。
「だったら…」
「でも…良いの、言わない」
「…どうして?」
「余計な心配かけたくないし……それに最期まで笑顔でいて欲しいし、笑顔でいたいから」
「…そう、なぁちゃんが決めたならお母さん、もう何も言わないわ」
「ありがとう」
母さんの温もりに再び包まれながら、私は決意を固めた。
誰にもバレないように最期を迎えるために。
余命宣告をされてちょうど2ヶ月半という時、私は雅臣兄さんと一緒に病院に来ていた。
今までの検査では特に異常もなく順調に過ごしていた。
検査の結果が良すぎて、余命宣告も乗り越えられるのではと思っていた程に。
他のみんなにもバレた様子は全くなく、恒例の夏の旅行も目一杯楽しむことができた。
右京兄さんとコテージで涼みながら本を読んだり、早起きして一緒に朝市にも出かけた。
いつもより大切に感じた家族との、好きな人との時間。
少し、忘れかけていた。自分の体が、今どういう状況なのかを。
「癌細胞が心臓近くに転移し始めました」
「……心臓に、転移したらどうなるんですか」
「……心臓に転移したら、残りわずかだと思ってください」
「そんな…」
雅臣兄さんの声が辛そうで、私は聞いただけで胸が張り裂けそうだ。
でももう、今から治療したって遅い。
精一杯生きると決めたのに、ここまで来てやっと死への恐怖が現実感を増す。
生きていたい、生に縋り付いていたい、どうして私なの、と。
何度も何度も掻き消しても、不安が消えない。
もしかしたらもっと生きていられるかも、なんて。
現実はそんなに甘くはなくて、助かるなんてそんなことはなかった。
癌細胞は着実に私の体を蝕んでいく。
私と彼との距離を引き剥がそうとしてくる。もう、後はない。
家族での夕飯が済んで、リビングに右京兄さんと二人だけ。
二人で食後の紅茶を飲む。
「右京兄さん」
「何ですか?」
「明日お仕事お休みだったよね」
「そうですが…どこか行きたいところでも?」
明日の予定を聞いただけで、私の意思を汲む右京兄さんはさすがだと思う。そこにまた私はときめいて、好きになる。
「うん、今から行きたいところがあるの」
「…今からですか?」
「そう、今から」
もう空はすっかり真っ暗な時間に出かけるという私の発言に、右京兄さんは綺麗なアイスブルーの瞳を見開く。
「なぜ今から…」
「今からじゃないとダメなの」
「……仕方ありませんね、少しだけですよ」
やれやれと言いながらも腰を上げて準備をする右京兄さん。
満更でもなさそうな顔が、眉毛を八の字にして笑うその顔が、どうしようもなく兄の顔で…胸が締め付けられる。
「それで?どこへ行こうと言うんです?」
「昔さ、2人だけで星の見える丘に行ったの覚えてる?」
「あぁ、そんな事もありましたね………まさか、そこへ行くんですか?」
私は右京兄さんの車の助手席に乗り込み、無言で微笑む。
「…まったく、本当にわがままに育ちましたね…一体誰に似たのか…」
「誰に似たかは知らないけど、右京兄さんを見て育ったつもりだけどなぁ?」
「私を見て育ったなら、もう少し…」
「いいからいいから!早く行こ?」
いつものお小言が始まりそうになって、右京兄さんを急かす。
右京兄さんは不満げな顔をしたが、ため息を一つ吐いて大人しく運転席に乗り込み、エンジンをかける。
車は夜の都内を走り出す。まるで、逃避行みたいで心が少し躍る。
星の見える丘は家からおよそ1時間半くらい車を走らせると着く。
丘に行くには遊歩道を歩かなくちゃいけないから、駐車場に車を置いて歩き出す。
「ねえ」
「ん?」
「手、繋いでよ」
「……本当に今日はどうしたんですか?」
急な遠出、思春期を迎えてから甘えなくなった私からの提案も、全て訝しまれるには十分な要素だろう。
「いいじゃん、2人しかいないんだし」
「…わがままで甘えん坊なのは、変わらないようですね」
夜空をバックに優しく目を細めて微笑む右京兄さんが、とても綺麗で私は顔を赤らめる。
見られたくなくて顔を背けるけど、繋がれた手も熱を持ち始めて、バレてしまいそうになる。
全部が好き。右京兄さんの、全部が。
「ほら、着きましたよ」
「…いつ来ても綺麗だね…」
「えぇ…満天の星空、というのはまさにこのことですね」
10年ぶりにみる右京兄さんとの星空。
初めて来たのは、夏の旅行に私だけ風邪をひいて行けなくなった時。
右京兄さんが私の看病をしてくれて、治ってからみんなに内緒で連れてってくれた。
私と右京兄さんしか知らない、秘密の場所。
私はあの日から、ずっと右京兄さんが好き。
「きょうにぃ」
「…なんですか?」
昔の呼び方しても、驚かないんだね。
優しいその目は、ずっと兄の顔のまま。
「…私ね、きょうにぃのことが好き」
「…何ですか急に……私も好きですよ」
「違うよ」
「…」
「わかってるでしょ…そういう意味じゃ、ないの」
2人の間には長い沈黙。
それでも繋がれた手は、解けない。
右京兄さんは、私の手を引っ張って抱き締めた。
「きょうにぃ?」
「…私は、ずっといい兄を演じてきたつもりです……」
「…」
「でもどんなに押し殺しても、奈菜が好きという感情は消えなかった」
「私と、同じ気持ちだったの?」
右京兄さんの腕の中で、静かに聞いていた私は堪らなくなって泣きじゃくる。
嬉しい、どうしようもなく胸が飛び出してしまいそうなくらい嬉しくて、涙が止まらない。
「私は自分の気持ちに蓋をしました、けれど… 奈菜も同じ気持ちなら…もう、蓋をする必要もありません」
「きょうにぃ…」
「2人だけで出かけたいと、そう言ってくれた時…内心すごく嬉しかったんです」
「うん…」
「思い出の場所であるここを、奈菜が覚えているとは思っていなくて…聞いてびっくりしました」
私の涙を指で優しく拭いながら、優しく微笑む右京兄さんの顔はもう兄の顔ではなかった。
「当たり前だよ、だってここは…私にとって大事な場所だから」
「…私の事を好きになった場所だから?」
「っ!」
耳元でそう囁かれて、私は顔から煙が出そうなほど赤らめる。
恥ずかしくて右京兄さんの胸に顔を埋めて、抱きつく手に力を込める。
でもそれは逆効果で、頭上からクスクスと笑う声が聞こえた。
「もしかしたら…と思いましたが、当たりでしたね?」
「さっ、さぁね!いつ好きになったかなんて覚えてないからわかんない!」
「おや、覚えていないんですか?私はあんなにはっきり覚えているというのに…」
「え?」
右京兄さんが私を好きなんて微塵も予想していなかった私は、その言葉に興味が湧く。
「…いつからだったの?」
「…昔、私が別の事務所に引き抜かれそうになった事を覚えていますか?」
「あ…刑事裁判ばかりしているところの?」
「そう…あの時奈菜が『私は困っている人に寄り添うことができる右京兄さんのやり方が好き』と言ったんです」
「…言ったような、言ってないような…」
身に覚えのあるような、ないような言葉を反芻する。
すると右京兄さんが私の頬を優しく撫でる。
「一言一句、間違えるわけがありません……私は、その言葉に救われたのですから」
「!……じゃあ、右京兄さんはその時から…」
「そうです、その瞬間から私は…奈菜を妹として見れなくなったんです」
「…っ」
顔に熱が集まっていくのが、嫌でもわかるほどに顔が熱い。
右京兄さんと、目が合わせられない。
でも、そんな私を右京兄さんは逃がさない。
「顔を背けないで、ちゃんと聞いてください」
「…っ」
腰を抱き締められたまま、顎に手を添えられて、真紅に染まる顔が露わになる。
それを見て、右京兄さんは満足げに微笑む。
「愛しています、奈菜」
「…っ、私もきょうにぃをあいして…」
言い切る前に、私と右京兄さんの唇が重なる。
もう言葉は要らないとでも言うように、何度でも唇を重ねて、抱き締め合った。
涙が溢れて止まらないけど、そんな事は気にしない。
今は1秒でも長く、右京兄さんと愛し合っていたい。
薄く目を開くと、右京兄さんと目が合う。
綺麗なアイスブルーの瞳、今はただ私だけを見つめている。
それが嬉しくて、私は右京兄さんの背中に回す手に力を込めた。
今、満天の星空の下で、愛を誓おう。
「きょーにぃ!早く早く!」
「そんなにはしゃがなくても、ショッピングモールは逃げませんよ」
「だって今日は初めてのデートだもん…はしゃぐのは仕方なくない?」
「……本当に奈菜は可愛いですね」
「しっ、しみじみ言うのやめてくれない!?」
「おや、何か不都合でも?」
私が可愛いとか好きとか言われると恥ずかしがるとわかっているのに、わざと右京兄さんは言う。
顔を真っ赤にして怒る私の顔を楽しむとか、悪癖の持ち主である。
そういう意地悪なところも好きなんて、何か負けた気がして、自然と眉間にシワがよる。
「そう拗ねないでくださいよ」
「別に拗ねてませ〜ん」
「だったらどうして眉間にシワがよっているんですか?」
「元からこういう顔なんです〜」
「残念ですねぇ…今日はケーキが美味しいと噂のカフェに行こうと思っていたのですが…」
「行く!」
美味しいケーキと聞いて一瞬で機嫌を直す私に、右京兄さんは声を抑える事なく笑う。
それを見て、私はまた顔が赤くなる。
「もう!笑わないでよ!!」
「くっくっ…本当に貴方といると飽きないですね」
「褒められてる気がしない…!」
「褒めていますよ?…さ、行きましょうかマイレディー?」
「……要兄さんって、右京兄さんに似たんじゃ…」
「え?」
「何でもなーい」
恥ずかしげもなく言いのける右京兄さんに、何だか要兄さんの面影を見てボソリと呟く。
右京兄さんに言うと怒りそうだから、秘密にしておこう。
「それでね、あの時は…」
「ふっ… 奈菜らしいですねぇ」
「え〜?何それ」
手を繋いで雑談をしながら、目的のカフェへとショッピングモールを歩く。
そこで、私は体の異変に気付いた。
「…っ!?」
「奈菜?」
「…い、た…っ」
激しい胸の痛みに襲われる。
私は悟った。
あぁ、もう終わりが来たんだと。
右京兄さんの顔が、痛みからくる涙で歪んでいく。
「奈菜!どうしたんです!」
「胸が…い、たい……」
「胸ですね?わかりました」
右京兄さんは、冷静に救急車を呼ぶ。
ここからだと雅臣兄さんが働いてる病院が近い。
ちょうど良かったのかもしれない。
私が通院しているのも、その病院だから話が通ればすぐ診てもらえる。
右京兄さんには…もう隠せないかな。
「奈菜!…っ!右京…」
雅臣兄さんが慌てた様子で病室のドアを開ける。
右京兄さんを見て、雅臣兄さんは驚きを隠せないまま、私たちに近寄ろうとする。
「…どういう事ですか」
「……」
「どういう事だと言っているんだ!!」
右京兄さんの怒号が病室に響き渡る。
私は俯いて、何も言わぬまま。
…ううん、言わないんじゃない、言えない。
怒っているはずの右京兄さんの声色が、辛そうで、悲しそうだったから。
「雅臣兄さんは、知っていたんですか」
「…ごめん、右京……」
「どうしてですか?そんなに…私は頼れない男でしたか…?」
「違う!」
今度は私の声が響き渡る。
右京兄さんが頼れないわけじゃない、そうじゃない。
これは私の…最期のわがままだから。
「私が雅臣兄さんと母さんにお願いしたの…黙っててって」
「どうして…!」
「だって、残りの3ヶ月をお通夜みたいな雰囲気で過ごすの嫌だもん」
「…でも……それでも…」
私が力なく笑ってそう言うと、右京兄さんは更に悲しそうな顔をした。
私の手を力なく握るその手は震えていた。
「私ね、本当に幸せだったの」
「…」
「残り3ヶ月と言われた命で、私は変わらずみんなと…右京兄さんと過ごせた」
「…えぇ…」
「右京兄さんにも想いを伝えられて、その上両想いだって知れた」
「…っ、えぇ…」
「だから…本当に………幸せなの」
「…っ…」
右京兄さんの頬にも、私の頬にも流れる滴は…悲しみの色と幸せの色をして、この世の何よりも美しく輝いていた。
私は、右京兄さんが好き。
小さな時からずっと大好き。
しっかり者で、みんなをまとめているところとか。
料理だって美味しいし、他の家事もお仕事だって完璧。
お母さんみたいにうるさいところもあるけれど、そこも好き。
本当は意地悪で、私を困らせるのが好きなあなた。
そういうのは少し控えて欲しいけど………たまになら、良いよ?
なんて、ね。
ずっと、続けば良いのに。
今日は私が死ぬ日。余命宣告をされて、3ヶ月経った約束の日。
無理を言って、私はみんなのいる家に帰ってきた。
「奈菜」
「…要兄さん?どうしたの?」
「……もう、いくんだろう?」
「何を言って………っ!」
「……わかるよ、これでも僧侶だから…ね」
最初は何を言っているのか、わからなかったけど。
要兄さんは、私に「もう逝くのか」って…そう言ったんだ。
真面目な時だけ、呼び捨てにするところも…変なところだけ鋭いのも、変わんないね。
「うん……もう、いくよ」
「…怒りたい気持ちもいっぱいあるけど…京兄がいっぱい叱っただろうし」
「それはもう、こってりとね」
「だろうね」
「……今までありがとうね、かなにい」
「…!反則…」
気づいた時には要兄さんの腕の中。
お香の匂いと、要兄さんの香水の匂いに包まれる。
安心できるこの匂いが大好きだった。
「…いつでも思い出すよ、奈菜のことを」
「…うん」
「…ごめん、もう少しだけこのままで居させて」
「…うん…」
私は自分の肩に落ちる滴に見ないフリをして、要兄さんの背中に腕を回した。
「…ありがとう、もう大丈夫」
「…うん」
「今日はめでたい日になるんだから、これじゃダメだね」
「…めでたい日?」
「もう京兄は準備終わってるよ、急ごう」
「いやだから何が!?」
急にルンルン気分な要兄さんに着いていけなくて、頭はハテナでいっぱいになる。
要兄さんに連れられるがまま来たのは琉生兄さんの部屋。
「待ってたよなぁちゃん…さ、早く着替えよう?」
「え?え?」
「着替えは私も手伝うわよ!」
「母さんまで?!」
要兄さんたちに琉生兄さんの部屋の中に押し込まれると、そこには綺麗な純白なドレスがあった。
それは、よく見ると星の刺繍が入ったウェデイングドレス。
「なに…これ…」
「今日は、なぁちゃんと右京兄さんの結婚式」
「かなちゃんが言い出したのよ?今日やろうって」
「要兄さんが?」
私は後ろにいる要兄さんを見つめると、要兄さんは優しく微笑んでこう言った。
「何も出来ないままは嫌だからね」
「……本当に、ありがとう…」
涙が溢れてくるけど、琉生兄さんにメイクするから泣いちゃダメって言われて、笑っちゃった。
本当に、ありがとう。
「…出来た」
「まぁ…!まぁまぁまぁ!なぁちゃん、とっても綺麗だわ…!」
「…琉生兄さん、母さん、ありがとう…」
「どういたしまして」
「さぁ、行きましょうか」
「うん」
自分が自分でないみたい。
琉生兄さんにヘアメイクとメイクをやってもらって、純白のドレスに身を包んで、私は今…最愛の人に会いにいく。
かっこいいパンツスーツを着た母に手を引かれながら、リビングのある5階に着くとそこには赤のカーペット。
「これって…」
「みんなで用意したのよ」
「みんなが…」
「感動するのは早いわよ?中の飾り付けもすっごいんだから」
「…うんっ」
溢れそうになる涙をなんとか抑えて、カーペットを歩いていく。
家の中でバージンロードなんて、おかしくて笑えてきちゃうね。
見えてきたリビング。
風船やガードランドで飾り付けされた室内は、とても綺麗であたたかった。
そして…レッドカーペットの先には、愛しいあの人。
「……とても綺麗です、奈菜」
「すごく、かっこいいよ…きょうにい」
私と同じ色、純白のタキシードに身を包んだ右京兄さんは、直視できないくらいかっこよくて…ときめいてしまったけれど、目だけは逸らさないように、見つめていた。
「!きょうにい…それって…」
「覚えていますか?」
「うん、覚えてる…持っていてくれたんだね」
「奈菜も、持っていてくれていたんですね」
「もちろん」
右京兄さんの胸元には、不格好なひまわりのブローチ。
それは私が恋心を自覚してから迎えた最初の右京兄さんの誕生日に渡した、手作りのひまわりのブローチ。
私の髪に飾られているのは、イエローマリーゴールドの花飾り。
20歳の誕生日に、右京兄さんがくれた髪飾り。
花言葉は…「変わらぬ愛」。
「さぁ、いきましょう」
「うん」
兄弟たちと母さんの拍手に迎えられて、階段をゆっくりと降りていく。
「なぁちゃん、きょーたんおめでと〜!!」
「おめでとう、姉さん、右京兄さん…永遠の幸せを願っているよ」
「奈菜とても綺麗よ、おめでとう」
「右京、奈菜…幸せにね」
「姉貴!京兄!おっ、おっ…!おめでとぉぉぉ!」
「うわっ!バカ侑介泣き叫ぶなよ!鼻水とか飛ぶだろ!」
「おめでとう…うん、とっても綺麗だよなぁちゃん」
「京兄、奈菜、おめでとう……綺麗だぞ」
「奈菜ちょ〜綺麗だね〜!さすが俺の妹!」
「二人とも、幸せにね」
「おめでとう、幸せにな」
「京兄、なぁちゃんおめでとう、すっごく綺麗だよ」
「私の見立ては間違ってなかったわね!二人とも綺麗よ!」
「みんな…ありがとう」
「ありがとうございます」
みんなに祝福されて、嬉しいけど照れ臭くなる。
右京兄さんと目があって、同じことを思っていたのか顔が赤い。
それが何だかおかしくて二人で笑った。
「さぁ、新郎新婦?こちらへどうぞ」
「え?まさか神父役って二人なの?」
「そうだよ…さぁ、二人とも早く」
「宗教もクソもありませんね…」
十字架のネックレスを片手に聖書を持つ祈織と、いつも通り袈裟を着た要兄さんが二人で並んでいる。
それがおかしくて、また笑った。
「新郎右京…貴方はここにいる新婦奈菜を、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
祈織の言葉にはっきりと、そう言ってくれる右京兄さんに私は涙が出そうになるのを必死に抑えた。
「新婦奈菜…貴方はここにいる新郎右京を、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
要兄さんの言葉に私も誓う。
少し涙声だったかな、大丈夫かな?
気持ちが溢れてもう止まらないから、ちょっとぐらい大目に見てね?
「はい、きょーたん!なぁちゃん!」
「弥、ありがとうございます」
「これって…!」
弥が持ってきたのは、ダイヤの指輪。
メインのダイヤの両脇に、右京兄さんの瞳の色であるアイスブルーのダイヤがあしらわれたものと、私の瞳の色のピンクダイヤがあしらわれたものがある。
右京兄さんは、アイスブルーダイヤがあしらわれた指輪を私の左手の薬指にはめた。
「綺麗……」
「さぁ、今度は貴方の番ですよ」
「うん…!」
私は弥の手の中にあるピンクダイヤのあしらわれた指輪を、右京兄さんの左手薬指にはめる。
私の指には右京兄さんの瞳の色、右京兄さんの指には私の瞳の色。
お互いが、お互いの色を手にしている。それだけで心がこんなにも踊る。
指輪のした手を私たちはそっと絡め合う。
「はいどうぞ」
「…まさかこれまで用意されているとは…」
「私の好きな言葉は用意周到、ですかね」
「…全く、ほんとその通りですこと」
右京兄さんから渡された一枚の紙、それは婚姻届。
私は自分の名前を書いて印鑑を押した。
「「では、誓いのキスを」」
「貴方を… 奈菜だけを、永遠に愛しています」
「…私もきょうにいだけを、永遠に愛しています」
今日この時間に、私は右京兄さんの妻となる。
二人の唇が重なった瞬間に、私の頬から滴が伝った。
「この料理、誰が作ったの?」
「俺と梓と棗!それからひか兄と作ったよー!」
「ひか兄が!?」
「何よぉ、私が料理するのそんなに意外なわけ?」
「うん」
「良い返事すな!」
式も無事終わって、私服に着替えてみんなが準備してくれたご飯を食べる。
今日は、いつもはいない光兄さんや棗兄さん、普段仕事で忙しい風斗もいて嬉しい。
「でもまさかお前と京兄がなぁ…要兄から聞いた時は驚いたぞ」
「なんだ、知らなかったの?あんなにバレバレだったのに」
「えっ!?」
「奈菜はともかく、京兄は誰にもバレてないつもりだったろうけど……よく見たらバレバレで、なかなか面白かったよ」
「なっ!?」
要兄さんの言葉に私が、風斗の言葉に右京兄さんが驚いて顔を真っ赤にする。
そんな他愛もない話をしたり、みんなでゲームをしているうちに、夜になった。
「もうこんな時間?」
「時間経つのはぇーな」
「右京、奈菜、疲れてない?」
「私は大丈夫ですが…奈菜?」
「少し疲れたのかな……眠たいや」
急に結婚式をやることになって急いで準備して、式を挙げて、みんなでご飯を食べたり遊んだりして…いつもよりはしゃいだからかな。
「…私に寄りかかって寝て良いですよ」
「うん…じゃあ、そうするね」
リビングのソファで右京兄さんの肩に頭を預けて、目を閉じる。
心地よい睡魔に襲われて、だんだんと意識が薄れていく。
「… 奈菜、愛しています」
「私も……愛してるよ…きょうにぃ…」
唇におやすみのキスをされて、私は意識を手放した。
「京兄」
「何ですか?」
「俺も一緒に行っても良い?」
「…その方が喜びますよ、きっと…寂しがり屋ですからね」
出かける準備をしていたところに、要が声をかけてきた。
どこに行くか、要にはバレていたようですね。
「今日は誕生日だもんね…あっちでいっぱい食べてんじゃないの?」
「食いしん坊ですからね……そうだと思って、クッキー焼いてきたんですよ」
「あぁ、あのジャム入りの?大好きだったよね」
「そうそう、覚えてますか?侑介と取り合いして転けたの」
「ぶっ!はははっ!そんなこともあったなぁ!」
思い出話に花を咲かせながら、目的地へと車を走らせる。
目的地に着くと、車から降りて要に他の荷物を任せて、私は特製のジャムクッキーを持って歩く。
少し歩くと見えてくる朝比奈家之墓と書かれた石碑。
墓誌には、愛おしい彼女の名前がある。
お線香をあげて、手を合わせて祈る。
「誕生日おめでとうございます、あちらで美味しいものいっぱい食べてそうなので悩みましたが…作ってきましたよ」
「また次に来る時には、違う焼き菓子を持ってきますね」
「…貴方のところに行くまでに、もっと腕を磨いておきますから…楽しみにしてくださいね」
そう告げて、要と一緒にその場を後にする。
その時、風が吹いた。
『ありがと、きょうにぃ』
そう聞こえた気がして後ろを振り返ると、ジャムクッキーを包んだ包みが開いていた。
包みは結んでいなかったから、風で煽られて開いたのだろうが、私はそうは思わなかった。
「…本当に、食いしん坊ですね」
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