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永遠
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赤赤赤。
ひたすらに赤い。
あなたとの出会いは、赤い世界の中。
――――――――――――――――――――――――――――――
日差しの強い真夏のある日のことだった。江戸歌舞伎町の一角にたたずむ新撰組の屋敷は、扉という扉を開け放たれ、太陽からの熱と風を屋敷中にまとっていた。
そんな中、部屋で静かにデスクワークをこなす男が一人。彼の手元に置かれた灰皿には、煙草の吸殻がぎっしりと詰まっている。その男は、真選組副長土方十四郎だった。
土方が、机に向かったまま黙々と仕事の書類にサインをしていると、背後の障子越しに声が聞こえた。
「副長いますかー?」
声の主である山崎が障子の隙間から顔を出すと、土方はペンを置いて顔を山崎の方に傾けた。あまりの暑さに反応は鈍い。
「……山崎か、どうした」
「お客さんが来てます」
その言葉に土方は首をひねった。今日は来客があるなんて話は聞いていない。特に外出するような大きな仕事もなかったので、たまりにたまったデスクワークに集中できると思っていたのだ。
「客?誰だ」
「橘さんって言ってましたけど。土方十四郎をだせーって……。
副長の知り合いじゃないんですか?」
「……」
土方は少し考え込んでみたが、橘という名前の知り合いには心当たりが無かった。しかし、自分を指名して来ているのなら、とりあえず相手の要件を確認しなければならないだろう。
「わーった、すぐ行く」
土方は広げていた書類をいったんまとめ、机の隅に並べた。量が多いとはいえ、急ぎの仕事ではないから後に回しても大丈夫だろう、そう思いながら重い腰を上げ客間に向かうことにした。
土方が、額の汗をぬぐいながら客間への廊下を歩いていると、客間の前に数人の隊士が集まり、部屋の中を覗いているのが見えた。土方は立ち止まると軽くため息をつき、背後からその中の一人の首根っこを強引に引いた。
「うわっ……と、副長!」
「おい、何してんだテメーら。仕事しろ仕事」
不意打ちをくらった隊士は一瞬たじろいでいたが、周りの隊士たちは土方の姿を見るやいなや一気に騒ぎ始めた。
「土方さん!あの美人誰なんですか!?」
「どういう関係なんスか!」
「どこで引っ掛けたんですか副長!」
ふすまの向こうの人影に興味津々らしい。
「知るか。さっさと行け」
土方はさして興味もないように、騒ぐ隊士たちを左手で払いよけながら襖を開けた。
するとそこには、一人の若い女性が座っていた。
土方の視点からは横顔しか見えないが、整った顔立ちなのはすぐに分かった。通った鼻筋に長いまつ毛、瞳は大きすぎないがくっきりとしていて印象が強い。少し茶色がかった髪は、こんなに蒸し暑い日だというのにさらりとまっすぐ腰まで流れている。可愛いというよりも上品な美しさがあった。
どおりで隊士たちが騒いていたわけだ、土方はそう思った。
彼女は部屋に入ってきた土方に気付いているのだろうが、まっすぐ姿勢を正して正面を見据えたまま動く気配はない。
そんな彼女を見ても土方はピンとこなかった。全く覚えがない。
土方が、机を挟んで彼女の向かいに腰を降ろすと、彼女は静かに視線を土方の方へと動かした。そして土方に向かって凛とした声で言葉を発した。
「あなた、土方十四郎ですね?」
「あ?ああ……」
いきなり呼び捨てなのが気になったが、土方は特に口を出すこともなく彼女を見ていた。
「橘伊織と申します。私のこと分からないでしょうね。先日、酒屋の裏で助けていただいた者です」
「酒屋……」
その言葉で土方の記憶が蘇った。
一昨日、土方は、最近追っていた過激派の攘夷浪士と町で遭遇した。何とか追い詰めることはできたが、その攘夷浪士は苦し紛れに近くを通りかかった一般人を人質にとってしまったのだ。その人質は若い女性だった。
土方は、隙をついて人質を救出し、向かってきた攘夷浪士たちを斬り伏せた。顔までは覚えていないが、きっとその時の人質がこの女性なのだろう。
「お礼をまともにしていませんでしたので」
彼女はそう言いながら、側らに置いていた風呂敷を丁寧に開きはじめる。中身は菓子折りのようだった。
「どうも、ありがとうございました」
「……おいおいおい」
彼女の態度に、土方は思わず突っ込まずにはいられなかった。
言葉だけ見るととても丁寧な態度に思えるが、彼女の態度はとてもお礼にきた態度では無かった。
なんというか高圧的。顔というか目が全然笑っていないし、風呂敷から出した菓子折りは片手で土方の目先に突きつけられている。
土方が菓子折りを受けとらないでいると、彼女は不満そうに呟いた。
「これ、いらないんですか?」
「……あのな、何か俺に言いたいことあるなら言えよ」
土方は煙草に火を着けながらそう言った。じめじめした暑さのせいか、怒って体力を消耗する気にもなれなかった。それかただ呆れていただけかもしれない。
彼女は、土方の言葉を聞いて持っていた菓子折りを一旦机に置いた。心なしか土方を睨んでいるように見える。
その視線に気づいた土方は、煙を吐き出して言った。
「……なんだよ」
「着物が汚れました」
「着物?」
そう聞き返す土方に返事をすることなく、彼女は少し伏し目がちに一昨日の記憶をたどった。土方に助けられた日のことだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
―気付くと、目の前は赤だった。
私を人質に取っていた人達は十人で、その中のひとりに私は後ろから羽交い絞めにされ、喉に刀を突き付けられていた。
真選組の制服を着た黒髪の男は、攘夷浪士たちが他に気を取られた一瞬の隙に、間合いに入り斬り付け、私を自分の後ろに隠した。
この人が真選組副長であることはなんとなく知っていた。噂もよく聞くし、新聞でも見たことがある。
噂通り強いんだこの人。あっという間に倒していっている。彼の背中を見つめながら、ぼんやりそんなことを考えていた。 斬られていく人たちを次々と見ながらも、精神を保っていたのは自分でも凄いと思う。
土方十四郎はみるみる赤色に染まっていく。
―なるほど、鬼の副長、ね。
私は、広い背中のお陰で、返り血がほとんどかかることはなかった。
そう、ほとんどね。
――――――――――――――――――――――――――――――
「だから私の着物が、あなたが斬った人の返り血で汚れちゃったんです」
彼女は、冷静に、しかし強い口調でそう言った。
「……はぁ?」
そして土方は思わず片眉をあげ、いぶかしげな表情をした。
「助けていただいて、お礼を申し上げたのは本当です。だけれどこう訴えたいのも本当です。どうしてくれるんだよ、土方十四郎」
「わざわざそんなことを言いにきたのかあんた。んで呼び捨てかよ」
「いいじゃない、私たち同い年という情報だもの」
「だからって初対面だろうが……あ2回目か」
丁寧でありぶしつけでもあり、彼女の人格が土方はいまいちつかめず困惑した。なんなんだ、この女は。それが彼の正直な感想だった。最初は律儀に礼に来たのだと思った。もちろん礼を目当てに助けたわけではないが、一歩間違えれば殺されていてもおかしくなかったのだから、感謝こそすれ、文句を言われる筋合いではないと思った。
「血で汚れたのよね、血。洗っても落ちないし、そのままにするのもなんだか怖いのだけど」
「あんた、一昨日死んでたかもしれなかったんだぜ?命があるだけでもよしとすりゃあいいじゃねえか。運が良かったから助かったものを……」
「あら、偶然人質にとられたんだから運が悪かったと言うべきじゃないかしら。だいたい往来であんなに派手に指名手配犯追っかけて、周りに被害が及ぶことなんて考えていなかったの」
「ああ?俺たちのやり方があんだよ。素人ごときが口出すんじゃねえ」
「その素人が納めた税金で食べてるんでしょう。一般人を見下すものじゃないわ」
ああ言えばこう言う。不毛な言い争いがしばらく続いた。
結局何がしたいのか、どこが着地点なのか、土方には分からなかった。彼女は何をしにここへ来たのだろうか。
そして当の彼女は、黙ったまま真っ直ぐ土方を見つめている。数分ごとに汗を拭う土方とは裏腹に涼しい顔をしていた。
ああ暑い。蒸し暑い。蝉の声が気温を2度ほど上昇させている。
客間は風の通りが悪いのだ。さすがに客間にはエアコンがあったはずだが、めったに起動しないせいか数日前に壊れてしまっていた。
土方は、暑さとこの状況に急に疲れが増した気がして、早くこの場を離れたいと思った。それに、まだデスクワークの仕事が大量に残っている。急ぎではないとはいえ、あの量は少しの時間で裁けるものではない。
「とにかく、もういいだろ」
土方は立ち上がりながら、投げやりな言葉を彼女に向けた。
「待ちなさいよ。まだ話は終わってな……」
「あ?クリーニング代か?弁償すればいいのか?言えよ、いくらだ?分かったからとっとと帰れっつうんだよ。どうせ安物だろうが」
そう吐き捨てる土方を、彼女は座ったまま見上げて一瞬固まっていた。女相手に言葉がきつかったかと、少しだけ土方は後ろめたくなった。
そして彼女はしばらく俯いてから何か言った。
「……ばかにすんな」
「あ?」
土方は彼女の声がよく聞こえず、近づいて聞き直そうとすると、彼女は急に顔をあげて土方をキッと睨んだ。
「ばかにすんじゃないわよ!もういい!」
そして彼女は立ち上がり、荒々しく襖を開け、颯爽と部屋を出て行った。ちょうどお茶を運んできた山崎とぶつかりそうになりながら、廊下を足早に歩いていく。その手には持ってきた菓子折りがしっかりと握られていた。
山崎が不思議そうに客間に入ってくる。
「土方さん?あの人もうお帰りなんですか?せっかくお茶淹れたのに……」
急に取り残された土方はこうつぶやくしかなかった。
「訳分かんねェ……」
これが全てのはじまり。
ひたすらに赤い。
あなたとの出会いは、赤い世界の中。
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日差しの強い真夏のある日のことだった。江戸歌舞伎町の一角にたたずむ新撰組の屋敷は、扉という扉を開け放たれ、太陽からの熱と風を屋敷中にまとっていた。
そんな中、部屋で静かにデスクワークをこなす男が一人。彼の手元に置かれた灰皿には、煙草の吸殻がぎっしりと詰まっている。その男は、真選組副長土方十四郎だった。
土方が、机に向かったまま黙々と仕事の書類にサインをしていると、背後の障子越しに声が聞こえた。
「副長いますかー?」
声の主である山崎が障子の隙間から顔を出すと、土方はペンを置いて顔を山崎の方に傾けた。あまりの暑さに反応は鈍い。
「……山崎か、どうした」
「お客さんが来てます」
その言葉に土方は首をひねった。今日は来客があるなんて話は聞いていない。特に外出するような大きな仕事もなかったので、たまりにたまったデスクワークに集中できると思っていたのだ。
「客?誰だ」
「橘さんって言ってましたけど。土方十四郎をだせーって……。
副長の知り合いじゃないんですか?」
「……」
土方は少し考え込んでみたが、橘という名前の知り合いには心当たりが無かった。しかし、自分を指名して来ているのなら、とりあえず相手の要件を確認しなければならないだろう。
「わーった、すぐ行く」
土方は広げていた書類をいったんまとめ、机の隅に並べた。量が多いとはいえ、急ぎの仕事ではないから後に回しても大丈夫だろう、そう思いながら重い腰を上げ客間に向かうことにした。
土方が、額の汗をぬぐいながら客間への廊下を歩いていると、客間の前に数人の隊士が集まり、部屋の中を覗いているのが見えた。土方は立ち止まると軽くため息をつき、背後からその中の一人の首根っこを強引に引いた。
「うわっ……と、副長!」
「おい、何してんだテメーら。仕事しろ仕事」
不意打ちをくらった隊士は一瞬たじろいでいたが、周りの隊士たちは土方の姿を見るやいなや一気に騒ぎ始めた。
「土方さん!あの美人誰なんですか!?」
「どういう関係なんスか!」
「どこで引っ掛けたんですか副長!」
ふすまの向こうの人影に興味津々らしい。
「知るか。さっさと行け」
土方はさして興味もないように、騒ぐ隊士たちを左手で払いよけながら襖を開けた。
するとそこには、一人の若い女性が座っていた。
土方の視点からは横顔しか見えないが、整った顔立ちなのはすぐに分かった。通った鼻筋に長いまつ毛、瞳は大きすぎないがくっきりとしていて印象が強い。少し茶色がかった髪は、こんなに蒸し暑い日だというのにさらりとまっすぐ腰まで流れている。可愛いというよりも上品な美しさがあった。
どおりで隊士たちが騒いていたわけだ、土方はそう思った。
彼女は部屋に入ってきた土方に気付いているのだろうが、まっすぐ姿勢を正して正面を見据えたまま動く気配はない。
そんな彼女を見ても土方はピンとこなかった。全く覚えがない。
土方が、机を挟んで彼女の向かいに腰を降ろすと、彼女は静かに視線を土方の方へと動かした。そして土方に向かって凛とした声で言葉を発した。
「あなた、土方十四郎ですね?」
「あ?ああ……」
いきなり呼び捨てなのが気になったが、土方は特に口を出すこともなく彼女を見ていた。
「橘伊織と申します。私のこと分からないでしょうね。先日、酒屋の裏で助けていただいた者です」
「酒屋……」
その言葉で土方の記憶が蘇った。
一昨日、土方は、最近追っていた過激派の攘夷浪士と町で遭遇した。何とか追い詰めることはできたが、その攘夷浪士は苦し紛れに近くを通りかかった一般人を人質にとってしまったのだ。その人質は若い女性だった。
土方は、隙をついて人質を救出し、向かってきた攘夷浪士たちを斬り伏せた。顔までは覚えていないが、きっとその時の人質がこの女性なのだろう。
「お礼をまともにしていませんでしたので」
彼女はそう言いながら、側らに置いていた風呂敷を丁寧に開きはじめる。中身は菓子折りのようだった。
「どうも、ありがとうございました」
「……おいおいおい」
彼女の態度に、土方は思わず突っ込まずにはいられなかった。
言葉だけ見るととても丁寧な態度に思えるが、彼女の態度はとてもお礼にきた態度では無かった。
なんというか高圧的。顔というか目が全然笑っていないし、風呂敷から出した菓子折りは片手で土方の目先に突きつけられている。
土方が菓子折りを受けとらないでいると、彼女は不満そうに呟いた。
「これ、いらないんですか?」
「……あのな、何か俺に言いたいことあるなら言えよ」
土方は煙草に火を着けながらそう言った。じめじめした暑さのせいか、怒って体力を消耗する気にもなれなかった。それかただ呆れていただけかもしれない。
彼女は、土方の言葉を聞いて持っていた菓子折りを一旦机に置いた。心なしか土方を睨んでいるように見える。
その視線に気づいた土方は、煙を吐き出して言った。
「……なんだよ」
「着物が汚れました」
「着物?」
そう聞き返す土方に返事をすることなく、彼女は少し伏し目がちに一昨日の記憶をたどった。土方に助けられた日のことだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
―気付くと、目の前は赤だった。
私を人質に取っていた人達は十人で、その中のひとりに私は後ろから羽交い絞めにされ、喉に刀を突き付けられていた。
真選組の制服を着た黒髪の男は、攘夷浪士たちが他に気を取られた一瞬の隙に、間合いに入り斬り付け、私を自分の後ろに隠した。
この人が真選組副長であることはなんとなく知っていた。噂もよく聞くし、新聞でも見たことがある。
噂通り強いんだこの人。あっという間に倒していっている。彼の背中を見つめながら、ぼんやりそんなことを考えていた。 斬られていく人たちを次々と見ながらも、精神を保っていたのは自分でも凄いと思う。
土方十四郎はみるみる赤色に染まっていく。
―なるほど、鬼の副長、ね。
私は、広い背中のお陰で、返り血がほとんどかかることはなかった。
そう、ほとんどね。
――――――――――――――――――――――――――――――
「だから私の着物が、あなたが斬った人の返り血で汚れちゃったんです」
彼女は、冷静に、しかし強い口調でそう言った。
「……はぁ?」
そして土方は思わず片眉をあげ、いぶかしげな表情をした。
「助けていただいて、お礼を申し上げたのは本当です。だけれどこう訴えたいのも本当です。どうしてくれるんだよ、土方十四郎」
「わざわざそんなことを言いにきたのかあんた。んで呼び捨てかよ」
「いいじゃない、私たち同い年という情報だもの」
「だからって初対面だろうが……あ2回目か」
丁寧でありぶしつけでもあり、彼女の人格が土方はいまいちつかめず困惑した。なんなんだ、この女は。それが彼の正直な感想だった。最初は律儀に礼に来たのだと思った。もちろん礼を目当てに助けたわけではないが、一歩間違えれば殺されていてもおかしくなかったのだから、感謝こそすれ、文句を言われる筋合いではないと思った。
「血で汚れたのよね、血。洗っても落ちないし、そのままにするのもなんだか怖いのだけど」
「あんた、一昨日死んでたかもしれなかったんだぜ?命があるだけでもよしとすりゃあいいじゃねえか。運が良かったから助かったものを……」
「あら、偶然人質にとられたんだから運が悪かったと言うべきじゃないかしら。だいたい往来であんなに派手に指名手配犯追っかけて、周りに被害が及ぶことなんて考えていなかったの」
「ああ?俺たちのやり方があんだよ。素人ごときが口出すんじゃねえ」
「その素人が納めた税金で食べてるんでしょう。一般人を見下すものじゃないわ」
ああ言えばこう言う。不毛な言い争いがしばらく続いた。
結局何がしたいのか、どこが着地点なのか、土方には分からなかった。彼女は何をしにここへ来たのだろうか。
そして当の彼女は、黙ったまま真っ直ぐ土方を見つめている。数分ごとに汗を拭う土方とは裏腹に涼しい顔をしていた。
ああ暑い。蒸し暑い。蝉の声が気温を2度ほど上昇させている。
客間は風の通りが悪いのだ。さすがに客間にはエアコンがあったはずだが、めったに起動しないせいか数日前に壊れてしまっていた。
土方は、暑さとこの状況に急に疲れが増した気がして、早くこの場を離れたいと思った。それに、まだデスクワークの仕事が大量に残っている。急ぎではないとはいえ、あの量は少しの時間で裁けるものではない。
「とにかく、もういいだろ」
土方は立ち上がりながら、投げやりな言葉を彼女に向けた。
「待ちなさいよ。まだ話は終わってな……」
「あ?クリーニング代か?弁償すればいいのか?言えよ、いくらだ?分かったからとっとと帰れっつうんだよ。どうせ安物だろうが」
そう吐き捨てる土方を、彼女は座ったまま見上げて一瞬固まっていた。女相手に言葉がきつかったかと、少しだけ土方は後ろめたくなった。
そして彼女はしばらく俯いてから何か言った。
「……ばかにすんな」
「あ?」
土方は彼女の声がよく聞こえず、近づいて聞き直そうとすると、彼女は急に顔をあげて土方をキッと睨んだ。
「ばかにすんじゃないわよ!もういい!」
そして彼女は立ち上がり、荒々しく襖を開け、颯爽と部屋を出て行った。ちょうどお茶を運んできた山崎とぶつかりそうになりながら、廊下を足早に歩いていく。その手には持ってきた菓子折りがしっかりと握られていた。
山崎が不思議そうに客間に入ってくる。
「土方さん?あの人もうお帰りなんですか?せっかくお茶淹れたのに……」
急に取り残された土方はこうつぶやくしかなかった。
「訳分かんねェ……」
これが全てのはじまり。
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