10.紅い花の涙【後編】
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「ここは……」
今にも崩れ落ちそうな空き家を、本庄が不思議そうに見つめる。この日は彼女を連れてここにやってきた。自由奔放に生きている、黒いあいつに会うために。
「こっち」
彼女に手招きをして、敷地に入った。いつも通り静かで人気のない空間。長く生い茂った雑草の茂みから音がした。しゃがみこんでしばらく待てば、夜色の毛並みをつやめかせ、しなるようにそいつが草むらから現れた。
「まぁ、かわいい……! この子は?」
「野良猫だと思う。ここに住みついてるっぽい」
「お友達?」
本庄が俺の隣にしゃがみこむ。俺はさっきコンビニで買ったかりんとう饅頭を取り出し、ビニールをはずして猫の前においた。いつも通りそいつはうまそうにそれを頬張りだす。ほんと、現金なやつ。
「こいつは俺のこと餌くれる人としか思ってないだろうけど」
「撫でていいかしら」
「ひっかかれるからやめといたほうがいいぞ。こいつちっとも懐かねーの」
「人慣れしていないの?」
「多分相手を選んでる」
金色の目と黒い毛並みが相も変わらず綺麗で、そっと饅頭を食べる様子を本庄と一緒に眺めていた。
ついさっき、学校を出て立ち寄ったコンビニで起きたちょっとした出来事が、頭の中をかき混ぜてくる。本庄がうちの学校の学年も知らないような男子たちに、声をかけられそうになっていた。さりげなく俺が間に入って未遂に終わったが、その時感じた怒りの熱量の既視感に、言葉をなくしかけた。あれは俺がずっとサッカーだけにむけていた、本能的な男の闘争心のようなものだった。怪我をしてから忘れていたそれが、まさかサッカーとは別の対象で復活するなんて、思いもしなかった。
「……最近俺に絡むのは家族とこいつと――あんたくらい」
無意識に口からそれがおちて、自分でも少し驚いた。本庄は黙って猫を見つめている。
「…………今回の合宿」
透明な一雫が、水面になげだされて王冠をつくるように、彼女は云った。
「今まで得意だと思っていたところを色々と指摘されちゃって、他の子たちと一緒に落ち込んだりしていたんだけれど」
猫が一度俺たちを見て、にゃあとひとつだけ鳴く。
「こうしてあなたに会えたから全身の筋肉痛も、いつもよりきついレッスンも、これっぽっちも無駄じゃなかった」
俺は思わず、彼女をそっと見た。どこまでも果てのない、温い色をした顔だった。まるで俺を肯定しているように、大丈夫だって、言っているようで。俺はこいつに、俺のことをなにも伝えていないのに。
俺に出会えたからって、あんたの痛みがなくなるわけじゃないだろ。なのにどうしてそれを、そんなしあわせそうな顔で語るんだ。
俺の価値はなくなった。もう一度走れるかもわからない、ピッチに戻れるのかすら。俺の走りにたくさんの人が歓喜したけれど、それをなくした俺でも、まだ誰かの喜びになれるのかなって。
――ここって、流れ星が見られるの?
さっきの放課後に、俺の教室までやってきたこいつが、落とすように言ったそれを思い出した。
「…………流れ星、見てみるか。一緒に」
「え……?」
本庄が俺を見る。
「そのかわり、少しわるいことしてもらう」
「わるいこと?」
「明後日の夜、十一時半過ぎに学校の裏門に集合な」
「そんな遅い時間に……」
「流星が見られる瞬間は限られてんだよ」
「そろそろ帰るか」と言って俺は立ち上がる。猫にまた来るからなとひとこと一方的に告げて、本庄と一緒に帰路についた。彼女と会話しながら歩く中、ふと思いおこす。家族と、あの猫と、そして本庄。今の俺を取り巻く存在たち。
そういえば、猫の住むあの空き家で、たまに会う≪あいつ≫もいたな。二年に上がって教室の階も変わったし、最近は話していない。
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