9.紅い花の涙
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第一印象は、≪変な女子≫だった。
人気のなくなった放課後の校舎。最近はこの時間が学校で一番落ち着く。
俺は別棟の屋上へと続く階段を一歩、一歩と上っていた。足音が鉄琴を遠く弾いたように、高い余韻を残しては静かな空間に消えていく。重い扉を押し開けて、拓けた空の広がる場所に出た。風が強い。夕日が残り火のように鮮やかに、西の彼方を赤く染めている。
俺はスポーツバックをそこに放り投げ、柵を乗り越えて縁に立った。ここにくると、風と対話できるような気がしてならなかった。言葉はなくとも、確かになにかが俺に触れてくる。喜怒哀楽なんて読み取れるはずもないのに、絶えず訴えかけるようになにかをぶつけてくる。
視線を下に向けた。眼下に広がる緑のグラウンド。半年ほど前まで、俺は間違いなくあそこが好きだった。俺の世界そのものだと、そう思っていた。けれど今は、それが途方もなく遠い。あの日から無遠慮に、残酷に過ぎていく時間の流れを、ただ見ていることしかできなかった。視界が、一瞬ぐらりと揺れた。気付けば、ほんの一歩だけ、前に踏み出してかけていた。
そうすればあの頃の、フィールドの風だったころの自分に、会いにいけるんじゃないかって。そんな考えが一瞬だけ頭をよぎった、その時だった。
「上着もなしにそんなところにいると、風邪を引いてしまうわ」
静寂を破ったのは、あまりにもこの場にそぐわない声だった。
背中に触れてきたその指摘に、俺は思考を現実に引き戻された。思わず、後ろを振り返る。
「……」
そこには、見慣れない制服を着た女子が立っていた。人が入ってきた気配がなかったので、ただただ意表を突かれた。そいつは静かな足取りで俺の近くまで歩み寄ると、柵に手を添えて空の彼方を見遣る。
「きれいな夕焼けねぇ。景観を邪魔するビルがないから空が広く感じる。あなたもこれを見にきたのかしら?」
ふわりと柔く笑んで、俺を見る。
自分の領分に無断で入り込まれたことに、軽い苛立ちが沸いた。俺は無言で柵を飛び越え、地べたのバックを肩に引っ掛けると、相手を無視して屋上を後にした。
―なんだ、あの女子……。
その正体を知るのは、次の日のことだった。
この日も俺は放課後になると、別館の屋上へ来ていた。何をするわけでもなく、柵を背に地べたに座って、目を閉じ思考を滑らせる。
不意に影が落ちてきた気がして目を開けると、そこには昨日の女子が立っていた。
「あら、こんにちわ。昨日ぶりね」
そう挨拶をしながら頭をかすかに傾けると、流れるようにその髪が揺れた。俺は少し間をおいて、尋ねた。
「誰あんた。転校生か……?」
「違うわ」
彼女は首をふって否定した。
「私たち東京からバレエの合宿でここに来ているの。佐山先生を知ってる? 昔うちの科で教鞭をとっていたらしくて、その伝手で今回場所を貸してくださって指導受けているのよ」
あ、と心の内で声を出した。彼女の言葉に、先週の担任の言葉が脳裏に甦る。東京、バレエ、別棟。今この瞬間思い出すくらいに、俺の中では存在感ゼロだった情報だ。
「それにしても、この校舎本当に人が来ないのね」
彼女は俺の前に座り、屋上をぐるりと見渡した。昨日の印象をかすかに引きずった相手を、改めて目の前にする。まっすぐなセミロングの髪は、金とか蜂蜜を塗りこんだような色をしていた。日の光を徹底的に遮断したような肌の色が、生っぽく屋上の空間で浮いている。
「練習場所を借りて二日目だけど、ここの生徒で会ったのはあなたが始めてよ」
「どこの教室にいるんだよ」
「第二音楽室」
「四階か。あそこは基本教室少ないから使われることほとんどないんだ」
「クラスは向こうの本館でしょう?」
「そうだけど、それが?」
「ここには毎日きているの?」
「――別に」
「それ便利な言葉」
ふふっ、と彼女は可笑しそうに一つだけ笑った。
「だって色んな意味になれるもの」
……なんだこいつ。こちらが反応しずらい返答をしてくる。改めるように、彼女は俺に尋ねてきた。
「あなた、お名前は?」
「……千切豹馬」
「え?……男子?」
「は?」
思わず怪訝な声が出た。彼女は片手をそっと口元に添え、驚いたように目を丸くしている。
「あら、ごめんなさい。あんまり美人だったからてっきり女の子と思って……」
「学ラン着てんだろ」
「最近ってスカートもスラックスも自由に着れる学校多いじゃない? ここもそうなのかと」
まだ少数派だ、それ。正直子供の頃はよく女子に間違えられた。だが声変わりも体付きの変化もとうの昔に終わっているし、いくらなんでも無理がある。
「……で? あんたは?」
彼女は目元を柔らかく細めた。
「はじめまして。本庄 ケイナです」
夕風に揺れる髪を耳にかけながら、彼女は言った。
「私、レッスン後はひとりで残って練習しているの。ここに来るついででもいいから、いつでも見に来て」
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