8.たとえ、ヒーローになれなくても
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学校を伝いそこから走りぬいた先。目的の場所にたどり着いて、ケイナはやっと足を止めた。蔦が絡まり、静まりかえった木造の建物。 あの日、千切が連れてきてくれた、あの黒猫の住まう空き家だった。
相も変わらず人の気配がないのは元より、夜ということもあって不気味な空気が鎮座していた。なぜここへ来たのか自分でもよくわからなかった。ただ、自身の直感が連れてきたといってもいい。ケイナは荒れた敷地へ踏み入る。
視界がおぼつかない闇の奥から、不意に静寂をかいくぐって、かわいらしい鳴き声が届いた。
「猫ちゃん」 と呼ぶと、夜露に濡れて生い茂る草むらを掻き分けて、真っ黒なあの子が姿を現した。ケイナがその場に蹲り指先で猫の顎の下をそっと撫でると、目を細め小さく喉を鳴らした。
その時だった。草むらの向こう。ざぁ、と夜風が草木を揺らした隙間に、微かな人の気配を感じて心臓が跳ねた。 ケイナはゆっくり立ち上がる。幽霊でも出そうなほどおどろおどろしくで静まり返ったその奥へ、引き寄せられるように進んだ。古い家の壁をそっと伝いながら、鬱蒼とした影を払って裏手へと回り込む。
かつて庭だったであろうその場所は、ぽっかりと開けた広い空間になっていた。 そしてその端のほう――探していた、気配の正体がそこにあった。
雲の切れ間からこぼれ落ちた、淡い月明かりに、少しずつ目が慣れてくる。
冷たい地面に体操座りをして蹲り、膝の間に深く顔を伏せていた。
ホテルの前で別れたときの、学ラン姿の彼だ。ケイナは 呼吸を忘れて、ゆっくりと近づいていく。
自分の気配に気付いたのだろう。彼の肩が微かに跳ねて、ゆっくりと重そうに顔を持ち上げた。 向けられた瞳の中には、光の一片すら宿っていない。虚ろで、あまりにも脆い眼差しが、暗闇の中からじっと彼女を見上げている。 驚くこともなく、むしろ感情をどこかに落としてきたよう、彼は何も言わなかった。 ケイナは地面へ膝を突き、目線を真っ直ぐに彼と合わせて、そっと笑んだ。
「少しだけ、わるいことをしてくれる?」
私と、一緒に。
彼の光をなくした目が、震えるように揺れた。水の中から地上に手を伸ばすように、千切の手がケイナの腕を掴む。
まるで、助けを求めているかのようだった。
2026/7/8.
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