1.暮日と亡霊
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外の世界から時間の焼けこげるにおいがした。
ふとアロンジェを形どっていた腕を脱力させて下ろし、窓の向こう側をみる。
日中の群青がいつの間にか夕暮れに姿を変え、西の方角に半分だけ体を埋めかけた太陽が最後の足掻きと自身の赤の色合いを強めて空をもやしてた。いつの間にこんなに時間がたっていたのだろうと教室の前方、黒板の上にひっそりと存在感を主張する時計を見遣る。
時刻は十八時と、あと少しで長い針が『六』を指示す頃。早朝から始まり昼食時間を省いてはそれこそぶっ続けで行われたレッスン後、一人居残ることを仲間と担任教諭に告げたのはもう一時間半以上前だったと終ぞ気付く。皆ホテルで各自夕食をとっている頃だろうか。
軽く汗をタオルで拭い、練習用のキャミソールレオタードからすばやく制服へと着替えた。ここに来る前、練習しに行くとはいえ自分達の学び舎ではないのだから制服着用は不必要ではないかと一同の間で細やかな不平不満があがったが、自校の生徒として学校外でも清く正しき規律を――という愛国精神にも似た持論を学年主任より唱えられては一生徒の立場である自分達に反論する権限はないと今にいたってる。
高校二年 春。鹿児島。
学年がひとつだけ上がって、まもなくひと月がたとうとしている。人生ではじめて訪れたそこは日本最南端に近しい場所に位置しているだけあって気候があまりに温暖で、到着した直後は仲間共々、関東との温度差に肝を抜かれたものである。
事前に滞在期間中の気温を天気予報アプリで調べて荷造りしてきたが、薄手のカーディガンすらいらなかったとホテルのトランクの中に押し込めて一度も出していない。
自分がいるのは思わぬ縁があって来訪することとなった場所。
――羅古捨実業高等学校。
数十年前、かつて我が校で教鞭をとっていた女性教諭が結婚を期に地元へ戻ることとなり、現在席をおいているのがこの学校とのことだった。
高校を卒業後に海外、もしくは国内にて名を馳せるバレエ団への入団を希望とする自分含め同学年数十名が今冬より始まる全国コンクール出場を目指し、彼女からの直接指導を受けるべく短期間の強化合宿のためにこの学校へやってきた。
それこそ国外の、大陸の血特有の恵まれた体格で板を踏むライバルたちを蹴散らして主演を勝ち取るような。一度は名前を聞いたことのある日本人バレリーナを何人も育てあげた名指導者だと聞いている。
会場には未来のプリマバレリーナを獲得すべく国内外のバレエ団、並びにバレエに特化した有名国立校の関係者が見定めのために集結する。そこで誰かしらの目にとまれば舞踏の人間としてその世界への道すじを開く一歩となるのだ。
使用済みのタオルやらバレエシューズをレッスンバッグに押し込めて、教室を出た。かろうじて電光の明るい廊下をすべるように進む。連なる教室の一つをついでに流し見れば、生徒用の机が後方に詰めよせられ体育祭などでよく使われるであろう横断幕やら細かい備品などが乱雑に置かれていた。日常的な使用感のないその空間に、倉庫か何かとして使われているのだろうかと推測する。
まもなく夜がくる。
その時、見えない圧量に背中を押された気がして、歩みを止めた。
――風?
後ろを振り向く。長い廊下の先から薄い空気が流れ込んでいた。強弱をつけてふくらみ、そしてしぼんでいくように髪を、制服のスカートをいたずらにゆらしてくる。一体何処から、自分のいた教室は間違うことなく施錠して出てきている。バックの外ポケットに部屋の鍵が入っているのを外からその形状に触れて確認した。今からこれを職員室へ返しにいかなければならないのだが。
次にはここまで歩いてきた速度の半分で、顔にあわい向かい風をうけながらその先へ進んでみた。どこも開放されている窓はない。細かく辺りを見渡しながら廊下の反対を進む。その終わりの階段が現れて、上を見上げた。風が強さを増して手招きをしている。恐らくこの先からだ。
一歩また一歩確かに段差をふみしめて登っていった。一階分登りきったそのまた上、ところどころメッキのはがれた濃緑の扉があった。少し開いていて、風はここからきていた。強くなった風で荒れる髪を反対側の手でひとつだけ耳にかけて、元凶の扉をくぐった。
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