5.星屑の愛歌
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冷えた手の温度を取り戻したくて、ケイナは温い缶を握りしめる。再び目線を空に引き上げた。
地元からは決して見られない光景が広がっている。たとえどんなに遠い国でも、空は無条件につながっているのに、どうしてこんなにも見えるものが違うのだろう。
透ける夜の天空に、光る大小の結晶が敷き詰められていた。満点の星空を、もっとおくれと、目が欲している。
スマホで写真を撮るべきなのだろうかとも思ったが、すぐ頭からふりはらった。今流れているこの時間が、電子の絵に反映できるわけがない。液晶の小さな箱の中に収めるのはあまりに窮屈で、それ以上にもったいないとさえ思った。
例えば写真を一枚撮ったとして、それをあらためて見ても実際に見た景色とはまったく別物で、まがい物だ。この瞬間にしかない、かれとわたしだけの光の時間だ。
千切から星座は詳しいのかと尋ねられ、そこまではと答えた。
ただ小学生の頃、理科の学習でプラネタリウムに学年全員で行った時に、春の大三角についての神話をそこではじめて聞いたのは印象深く、今でもよく覚えている。
――一番明るいオレンジ色の星わかる? そう、あれがうしかい座のアルクトゥールス。そこから南にのびたところにある白い星が豊穣の女神のスピカ。最後は……少し上にある弱い二等星の、デネボラ。
指で空をなぞりながら星座の道をたどった。千切の目線が動く自分の指を追っている。
ふと彼の顔を一瞥した。燃えるような紅の下、流れるような横顔の造形は、花を連想してやまない。
彼の第一印象は少し浮世離れして、しなやかな空気をまとった少年だった。出会った直後は表情が固く、声もイメージよりずっと低かったけれど、どこかつやつやしていた。言動も男子高生といった感じで多少荒々しい。それでも彼の美しさはぶれることなくそこにあった。
中学まで共学だったから、同世代の男子と交流がなかったわけではないけれど、今までの人生でこんなおとこのこには出会ったことがなかった。
自分の視線に気付いたのか、千切がこちらを見てきたので、ケイナは鷹揚に微笑んだ。
「お星さまになにをお願いするの?」
一拍の沈黙のち、千切の大きな眼が殊更見開かれた。
「いやぁ……、考えたことなかったな」
そんな非科学的なまじないを信じているのか、というような視線を向けてくる。
「小さなことでもいいわ。なにか叶ってほしいことはある?」
「そういうあんたはバレエのことだろ」
「ふふっ、ご名答」
千切の焦点が再び夜空に向けられた。それは、透明な顔をして。彼の口が微かに動いた。
「俺だけの才能を返してほしい、かな……」
「…………そう」
返した一言が掠れていなかったか、独りよがりに気になった。
彼の目に、世界はどんな色に見えているのだろう。
「本庄、いつ東京に帰るんだっけ」
彼からの唐突な質問に、さっと思考を切り替えた。
「来週末には、もう」
「そっか」と千切が短く言った。
「あんたと出会ったのはついこないだなのに、もう長く時間がたった気がする」
確かに、ここに来て長いようであっという間だ。出発前は「数週間は長すぎる」と仲間が駄々をこねていたのに。
「…………あの日、ここで何を見ていたの?」
千切の眼の中が、大きく波打つように揺れたのを感じた。彼に対して明け透けになにかを問いただすのは、はじめてかもしれない。
「あなたをはじめて見た時、飛び降りるんじゃないかって思った。けどね、後から思いおこして、それとは少し空気感が違っていたというか――あの時の千切くん、なにか一点を見ていたような気がする……」
はじめて出会ったあの日、その時は状況からくる緊張感でそれどころではなかったが、彼の視線は拘束されたように眼下のなにかを見つめていた。
躊躇するような沈黙が彼から垂れ流れて、ケイナはすぐに付け足した。
「言いたくないなら、忘れて」
千切の瞼が、心の裏側を隠すように伏せられた。
「…………グラウンド」
「なぜ……」
「――ちょっと前まで、あそこは俺の居場所だった」
手の中の缶が、冷えかけている。まだ夏の遠い冷えた空気がみずみずしくて、いつまでも吸い込んでいたいと思うのに。喉元を温度をなくした彼の声に撃ち抜かれて、困惑の声の先がぎこちなく途切れた。
「それは、――」
「流れた!」
弾かれたような千切の声に、思わず頭上を見る。
ひとつ。またひとつ。テンポをつけてもうひとつ。あっちで、こっちでも。
二人の頭上を、流星達が競うように泳いでいく。
天上の海の中、奔流に光が飛び込んでいくのを、二人は声もなく見入ってしまった。
だれも知らない星の住処に、放り込まれたよう。
そこで覚めたようにはっとした。
「願いごとは?」
おもわずケイナが尋ねる。はじめて見た流星群の迫力に見とれてしまって、すっかり頭から抜けていたのは彼も同じだったようで。
「あ」と表情と声に出た千切に、どちらともなく笑いがでた。
ケイナが立ち上がって、少しでも夜空に近づきたいとでもいうように、前に出る。
亜麻色の、ミディアムストレートの髪が、ふわりとなびいた。
「千切くん、あなたこんなきれいなところで育ったのね……!」
草木を潤す朝露の恩恵、日中高く太陽から降り注ぐ光のあたたかさ。月と星と、自然の虫たちが紡ぐ夜の音楽。
朝も、昼も、夜も、あなたを育てたこの土地は、こんなにもきれい。
「――あんたに出会ってなかったら、空が広いとか、流れ星を見ようとか、考えたこともなかった」
彼から、星たちの歌声のように、やさしい音がした。
思わず後ろを振り返ると、いつの間にか千切も立ち上がっていた。彼の紅の眼が収めるように自分を見つめていたので、目の焦点が意図せず結びあってしまう。
冷えたやわい風が、二人の間をすりぬけた。彼の短くて、燃えるような色の髪が風に遊ばれている。美の象徴のような千切の瞳孔の中に、髪をなびかせた自分の姿が映っている。
目と目が約束されたように、逸らせない。
彼が、薄く息を吐いた気配がした。
「本庄。俺、話してないことが」「そこで何をしている!!」
突然、星明かりでない強い光と怒声が屋上に飛び込んできた。
警備員らしき制服を着た男性が、懐中電灯を自分達に向けている。
あからさまに「やべっ!」と声に出した千切が、咄嗟にケイナの手を掴む。そして、空気が割れるような速度で駆けだした。警備員が止める隙すら与えず横をすり抜け、一瞬で扉をくぐる。
背後で「待て!!」と追ってくる気配がした。
それすら臆することもなく、千切は彼女の手を引いて深夜の校舎内を駆け抜けた。
真っ赤な髪がなびく後ろ姿を、ケイナはただ見つめるほかなくて。稲妻の波動に体をもっていかれるような錯覚に陥る。
千切の視線の先に科学準備室の扉が見えて、鍵の開いているそこに慌てて飛び込んだ。
すぐさま扉を閉め、二人とも息を潜める。懐中電灯のライトが上部の窓から見えて、共に体を縮こませた。心臓が忙しく鳴る。しばらくして光と足音が遠のいていく気配を感じて、二人は深く息を吐いた。
「わりぃ、足痛めなかったか」
「……ふっ」
緊急事態ともあって、昔ほどではないが結構な速度で走りぬけてしまった。念のためと気遣った相手から笑い声が聞こえた気がしたのは、気のせいでもなんでもなかった。
「ふふっ、……うふふ」
「何笑ってんの」
「だってっ、わたし……、こんなどきどきするようなことしたの、はじめてよ、……」
話しながらも笑いがとまらないケイナに、思わず千切は口をぽかんと開けてしまったが。
「…………ふはっ」
次の瞬間にはそれが伝染してしまったらしい。
「はははっ、……おれもだっつの、」
小さく、それでもやっぱり大きく、声をだして笑いあった。
二人の見ていないその瞬間に、また一つ星が流れたことは、だれもしらない。
2025/04/13.
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