19.みんなが帰ってきたら
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甘いピアノの旋律が頬を撫でた気がして、瞼が勝手にもちあがった。思考が覚醒するまでに少しだけ時間がかかって、目の前がクリアになっていく。
清潔な白亜。崩れた形跡が一切ない南国のような街並みがそこに。伯爵によって引きずり込まれた当初の、方舟の中の景色だった。
「わたし、下に落ちたんじゃ――」
上体だけ起こして辺りを見渡し、ひとりごちた。両の手のひらに焦点をうつし、自身を包み込むように抱きしめた。団服としての役目はすでに終えている。肌を覆うには心許ない布切れの感触に、ぬくい命の実感をまざまざと知る。
街が再生した。自分も生きている。つまりは方舟も消滅していない。ということは皆も。色々なことが頭をかけぬけて、処理が追いつかない。
まずは上へ行く扉を探してみよう。かたっぱしから開けていけば、きっといつかは。
「…………藤島?」
低くまるで英雄のようなヘルデンテノール。自身の姓を呼ぶのは、知っているだけでただ一人。
「神田……」
地面に座り込んだまま、その高い等身を見上げた。団服は吹き飛んだのか、剥き出しになった上半身に細かい傷がいくつもあり、高く結い上げた髪は広い背に晒され、壮絶な戦いの残痕がそこにあった。
「……無事だったの」
「うるせぇよ。お前はなんでここにいるんだ」
「最上階から落ちて、気付いたら……」
「他の連中は」
「分からない。方舟の崩壊がはじまって、すぐ離れ離れになってっ、それから、――」
状況説明がうまくいかない様子から、扉を進んだ先で想像を絶する地獄と対峙したのだろう。
神田はおもむろに辺りを見遣った。
「立て藤島。行くぞ」
「どこに」
「上に決まってんだろ」
そういって先刻まで敵と激闘を繰り広げていたとは到底信じられないような勇ましい足取りで、神田は歩きだす。不思議な引力で、咲耶も立ち上がろうとした。
「待って、かん……――!」
彼女の声が途切れた気がして、神田がおもむろに後ろを振り向いた。
「…………」
「…………」
「……なにしてやがる」
「私が聞きたい……」
躓いたのか、地面に倒れこんでいる咲耶の姿が。起き上がろうとして、腕に力を込めるが、足が脱力したように機能しない。落ちた時に損傷した形跡はない、戦闘での反動か。
頭上から舌打ちが聞こえたかと思えば、体が浮いて視界が一瞬ぐらりと変わった。
「え……」
数ミリの誤差も許さない。すべてが神様によって厳しく計算されたような顔のパーツを、ついぞこんなに至近距離で見たのははじめてで。
自分が横抱きにされているのに気付くのが、少し遅れてしまった。
「――神田」
「お前のせいで時間食うのはごめんだ」