1.始まりの朝
名前変換
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どこまでも続く廊下にコツコツと固い靴音を鳴らしながら歩み、ある一室の前で立ち止まった。ノックの二回、中にいるであろう人物の名を呼ぶ。
「コムイさん」
中からの反応は、静寂だけ。
「コムイさん。咲耶です。入ってもいいですか?」
またしても期待した返答がなく、中の様子がなんとなく想像できて。「……入ります」と一言断って扉を開けた。
「――コムイさん」
乱雑に書類の散らばったそこは悲惨なもので。部屋に置かれた重厚な机に突っ伏する白いベレー帽の様子が予想の範疇だった。盛大に寝息をたて、背中が呼吸するたびに大きな膨らみをもたらしては縮む。肩を揺らし、すでに何度目かの彼の名を呼んだ。
「コムイさん。起きてください。じゃないと……」
そこで先ほどのリーバーの言葉を思い出した。信憑性――があるかよく分からないが彼がいうのだから間違いはないとして。言われたそれを実行すべく黒い髪から覗く耳元に口元を寄せる。
「早く起きないと妹さんが結婚しちゃいますよー」
「リナリー!! 一体どこの馬の骨とぉぉぉぉ!!?」
発作でも起きたかのように飛び起きた彼に、若干引きつつも落ち着くまで待つ。
「ん? あれ? 咲耶ちゃん?」
「お久しぶりです。リーバー班長から司令室に行くよう言われたので」
正気を取り戻した様子の彼は、咲耶にソファへ座るように促した。
「いやーごめんね。如何せん寝不足なものでね」
寝不足云々の前に、先ほどの意味不明な雄叫びは一体何だったのだろうか。疑問はありつつも次の瞬間には、室長としての真剣な眼差しを取り戻したコムイが口を開く。
「先日連絡した通り、咲耶ちゃん。君には他の部隊に戦力増強要因として参戦してもらう」
今回咲耶が本部に呼び出された理由はこれだった。
「あの、未だに行方知れずで捜索難航している部隊って……」
「神出鬼没の独裁主義男」
「……クロス元帥」
「察しがよくて助かるよ」
言ってて呆れてきた。久々に名前を口にした赤毛の男性を思い浮かべてみる。昔から自分の師を口説いては強めに受け流されていた。金の亡者で各国に情婦を作っては寝床やら生活資金やら提供してもらって、好き勝手に生きていたような。他の元帥とは一味も二味も上回って癖が強い。正直得意ではない、あの人は。
「今現在、クロス元帥の確実な居場所はわかっていなくてね。行く先々の手掛かりを頼りに彼の弟子を含んだ部隊で構成して捜索してもらっている」
思った以上に事は進んでいないと見つつ、彼の言葉に耳を傾ける。
「そしてここからが本題」
コムイの物言いに、咲耶は背筋を伸ばした。
「ティエドール部隊と合流してほしい」
予想にもしていなかった名前を聞いた気がする。
「クロス部隊なのでは、」
「当初はその予定だったんだけどね。ティエドール元帥、彼とも今のところ連絡が取れない状況なんだ。彼の弟子たち曰く"見つけたところで簡単に戻る可能性はほぼない"ってさ」
部隊編成の人数配分と、パワーバランスを比較した結果だとコムイが付け足す。
確かに。誰よりも世界を重んじ、人を重んじ、任務遂行を重んじる芸術気質のあの元帥なら、この戦火が増す状況下で自分だけ安全な場所に身を置くようなことは決してない。
「部隊の居場所は随時連絡するよ。元帥に会うのは久々なんじゃない?」
「はい。しばらくぶりかと。ティエドール元帥の弟子だとマリとデイシャに、それからーー」
脳裏に、黒く長い髪が風に揺れた気がして、言葉が出てこなかった。何かを察したように、コムイが微笑む。
「彼も元気だよ」
「仏頂面は」
「変わらず健在」
「懐かしいなぁ」
昨日の事のように思い出す。鋭い眼光を、鈍色刀の冷たさも。また会うことになるなんて思わなくて。自分達の進む道の先に、光がありますようにと只々願った。
****
薄い雲の群れが、空を疾っていく。身支度を整えて出た教団の屋上。空に手が届きそうだと錯覚してしまいそうで、咲耶は目を閉じた。
「咲耶ちゃん」
そう呼ばれて、瞼を開く。振り返ればコムイが、見送りにきていた。
「みんなをよろしくね」
会った時に思ったが、顔色が芳しくない。きっと何日もまともに寝れていない日が続いているのだろう。自分たちとはまた別の戦場で戦っている人がいる。彼のように。
「……行ってきます」
風が吹いた。まるで星の息吹みたいな風。木々の葉が音をたてて、まるで歌うようなそれは彼女の髪を巻き込んで揺らす。
「行ってらっしゃい」
コムイが返す。風が威力を増したようで、思わず彼は目を瞑る。
「……気を付けて」
自分達は見送ることしかできないけれど、言の葉が届きますように。願わくは彼等に、そして最愛の妹に。音が、止まった。ふわりと瞼を開く。彼女がいたはずのそこには、――もう何もなかった。
何かの気配がしたような気がして、長い黒髪の男は頭上を振り返った。
「神田、どうした?」
前方を歩く大柄で、盲目の兄弟子が自分を呼ぶ。気のせい、と思っていいのだろうか。季節風ではない風が吹いた気がした。なんの変哲もない蒼空、雲も少なくて快晴、と少ない感想の天候なだけのはずなのに。敵の殺気とは明らかに違う。昔に感じたことのある、色のない空気。
「…………いや」
踵を翻し、彼らは歩みを進めるのであった。
.
「コムイさん」
中からの反応は、静寂だけ。
「コムイさん。咲耶です。入ってもいいですか?」
またしても期待した返答がなく、中の様子がなんとなく想像できて。「……入ります」と一言断って扉を開けた。
「――コムイさん」
乱雑に書類の散らばったそこは悲惨なもので。部屋に置かれた重厚な机に突っ伏する白いベレー帽の様子が予想の範疇だった。盛大に寝息をたて、背中が呼吸するたびに大きな膨らみをもたらしては縮む。肩を揺らし、すでに何度目かの彼の名を呼んだ。
「コムイさん。起きてください。じゃないと……」
そこで先ほどのリーバーの言葉を思い出した。信憑性――があるかよく分からないが彼がいうのだから間違いはないとして。言われたそれを実行すべく黒い髪から覗く耳元に口元を寄せる。
「早く起きないと妹さんが結婚しちゃいますよー」
「リナリー!! 一体どこの馬の骨とぉぉぉぉ!!?」
発作でも起きたかのように飛び起きた彼に、若干引きつつも落ち着くまで待つ。
「ん? あれ? 咲耶ちゃん?」
「お久しぶりです。リーバー班長から司令室に行くよう言われたので」
正気を取り戻した様子の彼は、咲耶にソファへ座るように促した。
「いやーごめんね。如何せん寝不足なものでね」
寝不足云々の前に、先ほどの意味不明な雄叫びは一体何だったのだろうか。疑問はありつつも次の瞬間には、室長としての真剣な眼差しを取り戻したコムイが口を開く。
「先日連絡した通り、咲耶ちゃん。君には他の部隊に戦力増強要因として参戦してもらう」
今回咲耶が本部に呼び出された理由はこれだった。
「あの、未だに行方知れずで捜索難航している部隊って……」
「神出鬼没の独裁主義男」
「……クロス元帥」
「察しがよくて助かるよ」
言ってて呆れてきた。久々に名前を口にした赤毛の男性を思い浮かべてみる。昔から自分の師を口説いては強めに受け流されていた。金の亡者で各国に情婦を作っては寝床やら生活資金やら提供してもらって、好き勝手に生きていたような。他の元帥とは一味も二味も上回って癖が強い。正直得意ではない、あの人は。
「今現在、クロス元帥の確実な居場所はわかっていなくてね。行く先々の手掛かりを頼りに彼の弟子を含んだ部隊で構成して捜索してもらっている」
思った以上に事は進んでいないと見つつ、彼の言葉に耳を傾ける。
「そしてここからが本題」
コムイの物言いに、咲耶は背筋を伸ばした。
「ティエドール部隊と合流してほしい」
予想にもしていなかった名前を聞いた気がする。
「クロス部隊なのでは、」
「当初はその予定だったんだけどね。ティエドール元帥、彼とも今のところ連絡が取れない状況なんだ。彼の弟子たち曰く"見つけたところで簡単に戻る可能性はほぼない"ってさ」
部隊編成の人数配分と、パワーバランスを比較した結果だとコムイが付け足す。
確かに。誰よりも世界を重んじ、人を重んじ、任務遂行を重んじる芸術気質のあの元帥なら、この戦火が増す状況下で自分だけ安全な場所に身を置くようなことは決してない。
「部隊の居場所は随時連絡するよ。元帥に会うのは久々なんじゃない?」
「はい。しばらくぶりかと。ティエドール元帥の弟子だとマリとデイシャに、それからーー」
脳裏に、黒く長い髪が風に揺れた気がして、言葉が出てこなかった。何かを察したように、コムイが微笑む。
「彼も元気だよ」
「仏頂面は」
「変わらず健在」
「懐かしいなぁ」
昨日の事のように思い出す。鋭い眼光を、鈍色刀の冷たさも。また会うことになるなんて思わなくて。自分達の進む道の先に、光がありますようにと只々願った。
****
薄い雲の群れが、空を疾っていく。身支度を整えて出た教団の屋上。空に手が届きそうだと錯覚してしまいそうで、咲耶は目を閉じた。
「咲耶ちゃん」
そう呼ばれて、瞼を開く。振り返ればコムイが、見送りにきていた。
「みんなをよろしくね」
会った時に思ったが、顔色が芳しくない。きっと何日もまともに寝れていない日が続いているのだろう。自分たちとはまた別の戦場で戦っている人がいる。彼のように。
「……行ってきます」
風が吹いた。まるで星の息吹みたいな風。木々の葉が音をたてて、まるで歌うようなそれは彼女の髪を巻き込んで揺らす。
「行ってらっしゃい」
コムイが返す。風が威力を増したようで、思わず彼は目を瞑る。
「……気を付けて」
自分達は見送ることしかできないけれど、言の葉が届きますように。願わくは彼等に、そして最愛の妹に。音が、止まった。ふわりと瞼を開く。彼女がいたはずのそこには、――もう何もなかった。
何かの気配がしたような気がして、長い黒髪の男は頭上を振り返った。
「神田、どうした?」
前方を歩く大柄で、盲目の兄弟子が自分を呼ぶ。気のせい、と思っていいのだろうか。季節風ではない風が吹いた気がした。なんの変哲もない蒼空、雲も少なくて快晴、と少ない感想の天候なだけのはずなのに。敵の殺気とは明らかに違う。昔に感じたことのある、色のない空気。
「…………いや」
踵を翻し、彼らは歩みを進めるのであった。
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