8.夜市
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夜の墨が空に広がったと同時に、大通りのいたるところに提灯の灯りがぽつりぽつりと姿を現した。まだらだった人通りが香りを変えて建物の中から、そして近隣の街から一気に人が吐き出されてくる。道沿いの露店は食べ物やら子供向けの玩具が並んでいた。どこからか漢方のようにきつい香りが漂ってくる。
昼間のとはまた違う華やかな。人の心を躍らせる喧噪がそこにあった。
露店主達の客寄せの熱量に、商いを生業とした土地柄を身をもって思い知る。
大通りに繰り出した途端、ティエドールは動物を形どった飴細工が並ぶ露店に興味を持ったようだった。小遣い片手に群がる子供達にまじりあざやかな手さばきで黄金色のそれらをスケッチしていく。近くにマリが付いていた。時に師は物珍しいものを見ると芸術への追及心が暴走するタイミングがあり、それを止めるのはいつだって弟子達の役目である。
咲耶も行きかう人々の波にのり、ゆったり歩きながら軒下りの店先を見ていた。若い女性達の群がる装飾品店の前を通れば店主であろう老女に華美な花の簪を進められたり、なんとも香ばしい煙が立ち上る串焼き店の名前もわからない動物肉が珍しかったり。
にぎやか、楽しそう、みんな。戦争中とはおもえない。
ふと道沿いの建物の壁側。人の波から逃れられる安全圏のそこに神田はいた、それは苦い顔をして。彼に向かって小さな女の子が頬を染め花を差し出していた。言葉もなく、躊躇しながら彼がそれを受け取れば、女の子は蔓延の笑みを浮かべて走り去っていく。
「色男」
いつの間にやら近くにいたらしい声の主を神田は睨みをきかせて見遣る。
「嫌味にしか聞こえねぇ」
常人であれば怯んで動けなくなるであろう彼の眼光に、彼女は特別顔色を変えず神田の手中にある小さな花に焦点を当てる。
持ったままというのも落ち着かなくて、だからといって捨てるのもなんとなしに気が引ける。目の前の女と花を交互に見ると新たな選択肢とばかりに神田は乱暴な仕草でそれを咲耶に押し付けた。彼女は受け取った花の茎を親指と人差し指で挟んで転がし、自然な仕草で彼の頭の触れない位置にかざしてみる。
「うぜぇ」
「似合うと思うけど」
「喧嘩売ってんのか……」
「神田なら問題ない。髪整えて化粧すれば」
「ッ!」
「怒らない、怒らない」
咲耶はひらりと手を翻し、神田の横に並んで壁に背を預ける。不服そうに舌を打ち、腕を組んで彼も壁に背をゆだねた。特に何かを話すことはなく、通りの人々の笑顔をしばし眺めて先に沈黙を破ったのは神田だった。
「モヤシを知ってたんだな。お前」
「もや……?」
「今アジア支部でくたばりかけてる奴だ」
「アレンのこと?」
渾名にしては悪意が潜んでいるような。
「コムイの話であいつの名前が出た時、やけに反応してたろ」
「神田達と合流する前に、偶然会ったの……。彼、ラビも一緒だった」
「馬鹿ウサギか」
「もしかして嫌ってる?」
神田が他人に不名誉な愛称をつける特技があったとは知らなかった。咲耶は目線を自分の足元へずらした。
「別れ際に、また会えるかって聞かれてその時は深く考えてなかったから、おざなりに返しちゃった……」
形式的でぞんざいな約束が、望み薄な願いとなってしまうなんて。咲耶の様子に神田は鼻を鳴らした。
「今まで何人も教団の連中が死んでいくのを見てきただろ。なにあいつに入れ込んでんだ……」
「神田はあの子をどんな人だと思ってる?」
「あ?」
おもわず彼女を見遣れば、ちょうど目があってしまった。
「仲良いんじゃないの?」
「冗談でもよせ」
嫌悪感をあらわにした彼の顔に、思わぬ地雷原が潜んでいたことを知る。
「何事にも甘っちょろいクソ野郎だ。早死にしたところで驚かねぇよ」
「過激な主観を押し付けられても」
「テメェが聞いてきたんだろ」
彼の抗議を聞き流し、咲耶は今一度大通りへと目線を戻した。
「……左目をね。贈り物っていったの」
神田は眉をひそめた。
「知ってるよね。左目にお父さんの呪いを受けてるんだって。それを悲観するどころか、贈り物っていってた。心の傷になってもおかしくないのにそう転換できるアレンのこと、――強いなって、思ったよ」
神田の脳裏にマテールの記憶が甦る。白い夜叉。他者のために身を焦がし、救いがあらんと手をのばすその姿。一心に求める人のため生きる自分にとって、わかりたくもない偽善でしかない。
「……藤島、お前に共感能力とかあったんだな」
「え?」
「今までそんな感じしなかったぜ。――初対面の時は特に」
神田は背中をうねらせ壁から離れた。すでにスケッチの紙が足りないと嘆いているティエドールの元へ苛立きを隠さず向かう。咲耶はその背中をぽかんとした思考で見送るほかなかった。
「お母さん!」
目の前を、少女が走っていった。五、六歳くらいだろうか。彼女の向かう先に、母親らしき女性が手を広げて待っている。少女は脇目もふらずにそこへ飛び込んだ。視界が暗転する。
(――…………お…………を…………さい…………――)
届いたはずの幻聴に、耳を塞いだ。
*****
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昼間のとはまた違う華やかな。人の心を躍らせる喧噪がそこにあった。
露店主達の客寄せの熱量に、商いを生業とした土地柄を身をもって思い知る。
大通りに繰り出した途端、ティエドールは動物を形どった飴細工が並ぶ露店に興味を持ったようだった。小遣い片手に群がる子供達にまじりあざやかな手さばきで黄金色のそれらをスケッチしていく。近くにマリが付いていた。時に師は物珍しいものを見ると芸術への追及心が暴走するタイミングがあり、それを止めるのはいつだって弟子達の役目である。
咲耶も行きかう人々の波にのり、ゆったり歩きながら軒下りの店先を見ていた。若い女性達の群がる装飾品店の前を通れば店主であろう老女に華美な花の簪を進められたり、なんとも香ばしい煙が立ち上る串焼き店の名前もわからない動物肉が珍しかったり。
にぎやか、楽しそう、みんな。戦争中とはおもえない。
ふと道沿いの建物の壁側。人の波から逃れられる安全圏のそこに神田はいた、それは苦い顔をして。彼に向かって小さな女の子が頬を染め花を差し出していた。言葉もなく、躊躇しながら彼がそれを受け取れば、女の子は蔓延の笑みを浮かべて走り去っていく。
「色男」
いつの間にやら近くにいたらしい声の主を神田は睨みをきかせて見遣る。
「嫌味にしか聞こえねぇ」
常人であれば怯んで動けなくなるであろう彼の眼光に、彼女は特別顔色を変えず神田の手中にある小さな花に焦点を当てる。
持ったままというのも落ち着かなくて、だからといって捨てるのもなんとなしに気が引ける。目の前の女と花を交互に見ると新たな選択肢とばかりに神田は乱暴な仕草でそれを咲耶に押し付けた。彼女は受け取った花の茎を親指と人差し指で挟んで転がし、自然な仕草で彼の頭の触れない位置にかざしてみる。
「うぜぇ」
「似合うと思うけど」
「喧嘩売ってんのか……」
「神田なら問題ない。髪整えて化粧すれば」
「ッ!」
「怒らない、怒らない」
咲耶はひらりと手を翻し、神田の横に並んで壁に背を預ける。不服そうに舌を打ち、腕を組んで彼も壁に背をゆだねた。特に何かを話すことはなく、通りの人々の笑顔をしばし眺めて先に沈黙を破ったのは神田だった。
「モヤシを知ってたんだな。お前」
「もや……?」
「今アジア支部でくたばりかけてる奴だ」
「アレンのこと?」
渾名にしては悪意が潜んでいるような。
「コムイの話であいつの名前が出た時、やけに反応してたろ」
「神田達と合流する前に、偶然会ったの……。彼、ラビも一緒だった」
「馬鹿ウサギか」
「もしかして嫌ってる?」
神田が他人に不名誉な愛称をつける特技があったとは知らなかった。咲耶は目線を自分の足元へずらした。
「別れ際に、また会えるかって聞かれてその時は深く考えてなかったから、おざなりに返しちゃった……」
形式的でぞんざいな約束が、望み薄な願いとなってしまうなんて。咲耶の様子に神田は鼻を鳴らした。
「今まで何人も教団の連中が死んでいくのを見てきただろ。なにあいつに入れ込んでんだ……」
「神田はあの子をどんな人だと思ってる?」
「あ?」
おもわず彼女を見遣れば、ちょうど目があってしまった。
「仲良いんじゃないの?」
「冗談でもよせ」
嫌悪感をあらわにした彼の顔に、思わぬ地雷原が潜んでいたことを知る。
「何事にも甘っちょろいクソ野郎だ。早死にしたところで驚かねぇよ」
「過激な主観を押し付けられても」
「テメェが聞いてきたんだろ」
彼の抗議を聞き流し、咲耶は今一度大通りへと目線を戻した。
「……左目をね。贈り物っていったの」
神田は眉をひそめた。
「知ってるよね。左目にお父さんの呪いを受けてるんだって。それを悲観するどころか、贈り物っていってた。心の傷になってもおかしくないのにそう転換できるアレンのこと、――強いなって、思ったよ」
神田の脳裏にマテールの記憶が甦る。白い夜叉。他者のために身を焦がし、救いがあらんと手をのばすその姿。一心に求める人のため生きる自分にとって、わかりたくもない偽善でしかない。
「……藤島、お前に共感能力とかあったんだな」
「え?」
「今までそんな感じしなかったぜ。――初対面の時は特に」
神田は背中をうねらせ壁から離れた。すでにスケッチの紙が足りないと嘆いているティエドールの元へ苛立きを隠さず向かう。咲耶はその背中をぽかんとした思考で見送るほかなかった。
「お母さん!」
目の前を、少女が走っていった。五、六歳くらいだろうか。彼女の向かう先に、母親らしき女性が手を広げて待っている。少女は脇目もふらずにそこへ飛び込んだ。視界が暗転する。
(――…………お…………を…………さい…………――)
届いたはずの幻聴に、耳を塞いだ。
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