7.雪の喪失、海の声
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同時刻―――
黒の教団本部 聖堂
彼女と彼女の肩に乗る小さな獣、一人と一匹は壁の中央に掲げられた十字架を見上げていた。毎日決まった時刻に祈りを捧げるような熱心な信仰心は持ち合わせていないけれど、この数日は毎日ここへ来る。静寂の横たわるこの空間は、弔うことすら許されず死んでいった者達の魂が、今でも帰る場所を失って彷徨っている。霊感はなくともそんな気がしてならなかった。散っていった弟子達も、天に昇ることも出来ずにここにいるのだろうか。後方で、靴音がなる。誰かが入ってきた。
「ティエドール部隊が、明日日本へ発つそうです」
ゆったりと振り向けば自分達とは真逆の色、白い団服の高い背丈が存在感を匂わせて立っている。「そうか」と女性、クラウド・ナインは返答した。
「今からでも咲耶ちゃんに連絡を取るのは遅くないですよ」
まだ寝るには早いですから、なんて少しだけ茶目っ気を出してくる。クラウドは温度感を変えずに首を横に振った
「その必要はない」
「なぜですか?」
「あいつも十八だ。手塩にかけるほど子供ではなくなっている」
「ははっ、それもそうですね……」
彼女の戦死した弟子達の中で、唯一の生き残り。電話で労いの一つでもかけてやるべきなのだろうが、それをもう必要としないほど彼女も年を重ねている。クラウドはコムイの横をすり抜け、出口へと進もうとした。ふと、頭に過ったことがあり歩みを止める。
「――聞かないのか。あいつのこと」
コムイが不思議そうに彼女に振り返った。首だけ後ろに向け、自分と視線をあわせるクラウド。
「お前は昔から咲耶を気にはかけてくれている。だがあいつの入団前の事については深入りしないな」
コムイは薄っすら柔らかい笑みを造った。
「……根掘り葉掘り、詮索されるのは誰しも気分がいいものではないですよ」
クラウドは一瞬瞳孔を開いたが、すぐに表情を元に戻し聖堂を後にしていった。重い扉が閉まる音と共に、再び静寂が戻ってくる。コムイは首を持ち上げ、聖なる十字架を見上げた。先程の言葉は本心だ。誰しも人に言えないことの一つや二つ胸の内側に潜めて生活しているものだ。秘密のない人間などこの世にいないとコムイは思っている。そういえば、可愛い妹を救い出すためここに入団したばかりの頃、ある話を耳にした。なんとも現実味がなくて、作り話かと気にもとめていなかった。誰かの悪質な夢物語だと。
齢五つの子供が、列島一つを海に沈めた。
闇色の空間の中、僕だけが確かな色彩を持ってそこにいた。毎晩眠りについて、次に瞼を開いた時にはいつもここにいた。夢にしては夢じゃない。そんな朧気な印象。不思議と恐怖はない、ましてや幸福感もそこには存在しない。一寸先は星のない夜が広がって、月すら拝めない。そんな踏みしめる足元には、黒い水が広がっていた。
歩いても歩いてもどこにも辿り着けず、水面を踏みしめるたび波紋が広がる。ここはどこだろうと、ふわふわした頭で考える。そんな視界の端に、光が弾けた。そちらを見れば、人影が見えた。
「咲耶、さん?」
見間違えるわけがない。一緒に過ごした短い時間の中で、何度も目に焼き付けたその姿。口元が動いて、何か言っている。
「――なんて、――なんて言ってるんですか?」
声が、音になっていない。思わず彼女へ手を伸ばした。その瞬間視界が遮断され、意識は水の中へと沈んでいった。
「――ヵー、――ウォーカー」
思わず瞼を震わせ、アレンは目を開ける。広がる清潔な白い天井と柔い布地の触れる背中の感覚から、ベットに横にさせられていたようだった。自分を呼んでいたであろうベッド横の椅子に腰掛ける男性の名前を口に出す。
「バクさん……?」
「大丈夫か? フォーの攻撃で壁に叩きつけられて気絶していたんだよ」
そうだった。感覚のない左腕をおもむろに見てみる。案の定そこにある筈の腕はない。今現在なくしてしまったイノセンスの復活のため、このアジア支部の面々と共に特訓の真っ只中なのだ。全身ところどころ打撲しているようで、痛む上半身をゆっくりと起こす。ぐるりと部屋を見渡してみれば医務室のようだった。強い薬品の匂いがする。アレンは覚醒しない頭に手を添えた。ぼんやりと脳をかき混ぜられた後みたいだった。
「……ここのところ、同じ夢ばかり見るんです」
「夢? どんなものだ」
バクは訝し気に眉を顰めた。
「ある人が出てきて、僕に語りかけてくる……。けど何を言っているのか全くわからないんです」
アレンの夢から覚めきれていないようなまあるい声に、バクは目を見開いた。考え込むように、顎に手を添える。
「何かのお告げ……というには信憑性に欠ける。もしかすると深層心理の願望が夢というものに反映されているのかもな」
「願望?」
「僕は科学者で、非科学的な話は基本信じない。しかし自分の中で最も思う人や物がそういった形で現れるのはよく聞く話だよ」
バクの言葉が頭の中で反響する。最も思う人。想う、人。脳裏で、黒く長い髪が揺れている。夜を溶かした色の眼が自分を映す。その瞬間、胸の奥深いところから熱いものがせり上がってきた。それはじわじわと顔にまで浸食して、あまりのことに言葉がでない。
静かな医務室の中、三人の科学班見習い達が騒ぎながら入ってくる。バクの叱責が始っていたけれど、自分の世界に入りきっていたアレンの耳に届くことはなかった。
2024/8/18
黒の教団本部 聖堂
彼女と彼女の肩に乗る小さな獣、一人と一匹は壁の中央に掲げられた十字架を見上げていた。毎日決まった時刻に祈りを捧げるような熱心な信仰心は持ち合わせていないけれど、この数日は毎日ここへ来る。静寂の横たわるこの空間は、弔うことすら許されず死んでいった者達の魂が、今でも帰る場所を失って彷徨っている。霊感はなくともそんな気がしてならなかった。散っていった弟子達も、天に昇ることも出来ずにここにいるのだろうか。後方で、靴音がなる。誰かが入ってきた。
「ティエドール部隊が、明日日本へ発つそうです」
ゆったりと振り向けば自分達とは真逆の色、白い団服の高い背丈が存在感を匂わせて立っている。「そうか」と女性、クラウド・ナインは返答した。
「今からでも咲耶ちゃんに連絡を取るのは遅くないですよ」
まだ寝るには早いですから、なんて少しだけ茶目っ気を出してくる。クラウドは温度感を変えずに首を横に振った
「その必要はない」
「なぜですか?」
「あいつも十八だ。手塩にかけるほど子供ではなくなっている」
「ははっ、それもそうですね……」
彼女の戦死した弟子達の中で、唯一の生き残り。電話で労いの一つでもかけてやるべきなのだろうが、それをもう必要としないほど彼女も年を重ねている。クラウドはコムイの横をすり抜け、出口へと進もうとした。ふと、頭に過ったことがあり歩みを止める。
「――聞かないのか。あいつのこと」
コムイが不思議そうに彼女に振り返った。首だけ後ろに向け、自分と視線をあわせるクラウド。
「お前は昔から咲耶を気にはかけてくれている。だがあいつの入団前の事については深入りしないな」
コムイは薄っすら柔らかい笑みを造った。
「……根掘り葉掘り、詮索されるのは誰しも気分がいいものではないですよ」
クラウドは一瞬瞳孔を開いたが、すぐに表情を元に戻し聖堂を後にしていった。重い扉が閉まる音と共に、再び静寂が戻ってくる。コムイは首を持ち上げ、聖なる十字架を見上げた。先程の言葉は本心だ。誰しも人に言えないことの一つや二つ胸の内側に潜めて生活しているものだ。秘密のない人間などこの世にいないとコムイは思っている。そういえば、可愛い妹を救い出すためここに入団したばかりの頃、ある話を耳にした。なんとも現実味がなくて、作り話かと気にもとめていなかった。誰かの悪質な夢物語だと。
齢五つの子供が、列島一つを海に沈めた。
闇色の空間の中、僕だけが確かな色彩を持ってそこにいた。毎晩眠りについて、次に瞼を開いた時にはいつもここにいた。夢にしては夢じゃない。そんな朧気な印象。不思議と恐怖はない、ましてや幸福感もそこには存在しない。一寸先は星のない夜が広がって、月すら拝めない。そんな踏みしめる足元には、黒い水が広がっていた。
歩いても歩いてもどこにも辿り着けず、水面を踏みしめるたび波紋が広がる。ここはどこだろうと、ふわふわした頭で考える。そんな視界の端に、光が弾けた。そちらを見れば、人影が見えた。
「咲耶、さん?」
見間違えるわけがない。一緒に過ごした短い時間の中で、何度も目に焼き付けたその姿。口元が動いて、何か言っている。
「――なんて、――なんて言ってるんですか?」
声が、音になっていない。思わず彼女へ手を伸ばした。その瞬間視界が遮断され、意識は水の中へと沈んでいった。
「――ヵー、――ウォーカー」
思わず瞼を震わせ、アレンは目を開ける。広がる清潔な白い天井と柔い布地の触れる背中の感覚から、ベットに横にさせられていたようだった。自分を呼んでいたであろうベッド横の椅子に腰掛ける男性の名前を口に出す。
「バクさん……?」
「大丈夫か? フォーの攻撃で壁に叩きつけられて気絶していたんだよ」
そうだった。感覚のない左腕をおもむろに見てみる。案の定そこにある筈の腕はない。今現在なくしてしまったイノセンスの復活のため、このアジア支部の面々と共に特訓の真っ只中なのだ。全身ところどころ打撲しているようで、痛む上半身をゆっくりと起こす。ぐるりと部屋を見渡してみれば医務室のようだった。強い薬品の匂いがする。アレンは覚醒しない頭に手を添えた。ぼんやりと脳をかき混ぜられた後みたいだった。
「……ここのところ、同じ夢ばかり見るんです」
「夢? どんなものだ」
バクは訝し気に眉を顰めた。
「ある人が出てきて、僕に語りかけてくる……。けど何を言っているのか全くわからないんです」
アレンの夢から覚めきれていないようなまあるい声に、バクは目を見開いた。考え込むように、顎に手を添える。
「何かのお告げ……というには信憑性に欠ける。もしかすると深層心理の願望が夢というものに反映されているのかもな」
「願望?」
「僕は科学者で、非科学的な話は基本信じない。しかし自分の中で最も思う人や物がそういった形で現れるのはよく聞く話だよ」
バクの言葉が頭の中で反響する。最も思う人。想う、人。脳裏で、黒く長い髪が揺れている。夜を溶かした色の眼が自分を映す。その瞬間、胸の奥深いところから熱いものがせり上がってきた。それはじわじわと顔にまで浸食して、あまりのことに言葉がでない。
静かな医務室の中、三人の科学班見習い達が騒ぎながら入ってくる。バクの叱責が始っていたけれど、自分の世界に入りきっていたアレンの耳に届くことはなかった。
2024/8/18
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