主は王様【跡部夢】
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カーテンの隙間から朝日が昇り始める。
「ん…んん………」
寝返りと共に目を覚ますと、そこは見慣れない天井。
「ここは……」
寝起きで廻らない思考を必死に覚醒させて思い出す。
「そっか…。」
ポツリと呟いて深呼吸した。
『お初にお目にかかります。本日からこちらで使用人としてお世話になります、名無しさん名無しさんと申します。よろしくお願い致します。』
深々とお辞儀をして今日から私の主になる人物へと告げる。
『…?……お前が新しい使用人か。話はミカエルから聞いている。ま、精々頑張るんだな。』
私をじっと見たあとの颯爽と歩く姿は、まさに王様。
とても中学生とは思えないその姿に少し圧倒されつつも、また私は深々と頭を下げた。
『ありがとうございます。行ってらっしゃいませ、景吾お坊っちゃま。』
昨日の出来事を思い出しながら瞬きを数回。
今日からここが私の仕事場兼住まい
通称 跡部邸
家を飛び出して住む場所と働く場所を探して現在に至る。
「さて、頑張るか!」
体を勢い良く起こし、カーテンを開ける。
まだ陽が昇りきってなく、少し暗い今が、使用人の起床時間。
手早く身支度を済ませ、昨日教えてもらった通り仕事を一つ一つこなしていく。
そろそろ景吾お坊っちゃまが起きる時間。
その時間を見計らってお水をお部屋にお持ちする。
コンコン
「おはようございます、景吾お坊っちゃま。朝のお水をお持ちいたしました。」
「あぁ、中に入れておいてくれ。」
「かしこまりました。」
中から聞こえてくる声を確認してから、静かにドアを開けた。
景吾お坊っちゃまは胸元まで開いた部屋着をお召しになり、少し目のやり場に困る。
というか…ホントに中学生か…!
とツッコミを心の中に仕舞い、水差しとグラスをテーブルに置いた。
「失礼致します。」
一礼してその場を去ろうとした時、景吾お坊っちゃまに呼び止められた。
「名無しさん。お前、どこかで会ったことあるか?」
「………。いえ、その様な事は。何故そうお思いで?」
「昔、その顔に見覚えがある気がしてな。」
「どなたかとお間違えなのでは?この世には同じ顔が3人いるといいますから。」
「フン、まぁいい。礼を言う。下がっていいぞ。」
そう言われて今度こそ部屋を後にした。
ドアを閉めて深呼吸する。
「まさか、覚えてるわけない…よね?」
跡部邸で使用人として働くようになって、気がつくと1ヶ月が経っていた。
大分仕事にも慣れてきた頃、私のスマホに一件の着信が入った。
名前を見なくても想像はつく。
「もしもし。……ええ、元気よ。…………何度も言わせないで。私は帰らない。その為にこうやって手助けしてくれたんでしょ?……………迷惑掛けてるのはわかってる。………とにかく、この話はもう終わり。仕事中だから切るわよ。」
電話の向こうでまだ何やら言っているようだが、私は構わずプツリと電話を切った。
「はぁ…」
溜め息を吐きながらスマホをポケットに仕舞い、仕事に取りかかった。
「名無しさんさん、景吾お坊っちゃまが戻られたので、バスルームにタオル等をお持ちしてください。」
屋敷の掃除をしていると、ミカエルさんが私にそう言った。
「かしこまりました。すぐにご用意を。」
スッと立ち上がり、ミカエルさんに一礼してその場を去った。
「景吾お坊っちゃま用のタオルは確かここで…」
一つ一つものを確認しながら手に取り、無駄に広い脱衣所の隅にそっとタオルを置いた。
そのまま出ていこうとすると、バスルームの中から景吾お坊っちゃまの声が聞こえた。
「そこにいるのは名無しさんだろ。」
「はい。何か御用でしょうか。」
「用ってわけでもねぇ。少しお前と話がしたいと思ってな。」
まさかの言葉に目を丸くする。
「お急ぎでなければ、お話はご入浴後になさっては如何でしょう?逆上せてしまいますよ?」
「ふん…心配すんな。もう上がるところだ。」
ザブ…っと中から勢いのある水音が聞こえたと思ったら、ゆっくりと曇りガラスから映る影が大きく、濃くなっていく。
って、え…まさか…上がってくる気?!
早くここから出なきゃ…!!
そう思い脱衣所のドアへと急ぎ、ドアノブに手を掛けたのと、景吾お坊っちゃまがバスルームのドアを開けるのがほぼ同時だった。
「逃げるこたねぇだろ?」
後ろから聞こえる声にビクッとなり、反射的に振り返ってしまった。
だが、景吾お坊っちゃまは腰にタオルを巻いて悠々と仁王立ち。
…まぁ、安心したけどどういうつもりよこの人は…!
そんな気持ちを顔に出さないように、あくまで冷静に対応した。
「景吾お坊っちゃまのお着替えの邪魔にならぬよう、私はこれで失礼致します。」
ペコリと頭を下げて再度ドアノブに手を掛けた。
すると、後ろから伸びてくる影が私を覆い、反対側の腕を捕まれた。
そのままクルッと回転させられ、景吾お坊っちゃまと向き合う形になってしまった。
突然のことに声すら出ない。
景吾お坊っちゃまは私の顔をじっと見つめて言った。
「最近、仕事の覚えが早くて助かってると他の使用人からお前の噂を聞くぞ。俺様もお前の仕事振りを見ているが、とても慣れた手つきだ。」
「いえ、そのようなことは…。私には勿体ないお言葉でございます。」
後ろはドア、前は景吾お坊っちゃま。
逃げ場のないこの状況に、何とか耐えようと必死に声と顔を取り繕う。
仄かに香る薔薇の匂いと目の前の景吾お坊っちゃまの姿に少しクラっとしそうになる。
そんな私も景吾お坊っちゃまはお見通しなようで…
「どうした?俺様のこの姿に見惚れてるのか?あぁん?」
勝ち誇ったようにニヤリと口角を上げて言った。
「っ!/////…お、お坊っちゃま、そろそろお着替えをなさらないと風邪をひいてしまいます…。」
何とかこの場を誤魔化そうと必死になる。
使用人が主人にときめくなんて言語道断。
そんな気持ちを見透かしたように、景吾お坊っちゃまはまたフッと笑って私から離れた。
「本当に心配性だな。まぁいい。悪かったな。」
そう言って景吾お坊っちゃまは私に背を向け、用意されたバスローブを身に纏った。
その事にホッとして態勢を立て直して、一礼してその場を去った。
バタン…
「ふぅ~~~~~」
まだ業務は残ってるけど、流石にこのままだと仕事に戻れない。
一度自室に戻って頭をリセットさせる。
顔が真っ赤で心臓もうるさい。
「何なのホント…」
ポツリと呟いて天井を見上げた。
そして…その日は突然やってきた。
毎朝お部屋へお持ちする水を今日も景吾お坊っちゃまに差し入れたあと、お部屋を出ようとしたその時…
「名無しさん。やっとお前のことを思い出したぜ。」
「っ!!!」
心臓が飛び出るかと思う程ドキンと脈打った。
なんで……
それでも何とか誤魔化す。
「お坊っちゃま、先日も申し上げた通り、どなたかとお間違えでは…?」
「イギリスで大企業の日本人ご息女が家出、未だ行方不明。どこかは情報は出ていないが、お前の家しか考えられねぇ。」
「…!」
私に被せるように確信をついてくる景吾お坊っちゃま。
その目を見たら、もう隠し通せないと観念した。
「……ニュースをご覧になったのですか?」
ポツリと静かに言った。
正体がバレたにも関わらず、その声は自分でも驚くほど冷静だった。
「それはあくまでもお前がここにいる理由を知るためだ。だが確信を得たのは別の理由だ。」
「別…ですか?」
意外な答えに少し目を丸くする。
「俺が入浴後にお前に迫ったことがあっただろ?その時の反応が昔と変わらなかったからだ。」
昔………
イギリスで生まれた私は、物心ついた頃から周りと人種が違うことに戸惑い、誰とも話せないでいた。
英語は日常的に使えるし、日本語も問題なく話せる。
だからこそ、周りが何を言っているのか理解が出来て一人孤立した。
そんな時、通っていた学校のテニスコートで一人の少年がテニスをしていた。
いや、テニスをしているというより、明らかに一方的にやられていた。
どこへ打っても返される。
その度に彼はコートの向こう側にいる少年から罵声を浴びせられていた。
でも、彼はめげることなく相手に立ち向かう。
あれだけ酷いこと言われてるのに、どうしてあんな目が出来るんだろう。
私はそれからその彼のことが気になり、時々こっそり影から見るようになっていた。
同じ日本人で、毎日バカにされてテニスでこてんぱんにやられているのに、彼は絶対に諦めなかった。
雨の日も一人で壁打ちをしているのを見掛けて、流石に風邪を引くだろうと持っていたタオルを鞄から出して声をかけた。
『風邪を引いてしまっては大変よ!これ使って!』
私の声に動きを止め、チラッと振り返った。
『誰だお前。』
『名無しさん名無しさん。あなた、跡部景吾くんでしょ?さ、早くタオルで体を拭いて!』
彼はしばらく私を見ていたけど、フッと笑って私からタオルを受け取った。
それからというもの、同じ日本人同士仲良くなり、彼のテニスも凄く上達して、小学校を卒業する頃には誰にも負けないくらい強くなっていた。
『名無しさん、俺はここを卒業したら日本に帰る。』
『景吾くん、日本に行っちゃうの?』
『あぁ。氷帝学園で俺様がトップに君臨してやる。』
『氷帝学園…樺地くんが行った所ね。…そっか……。お友達がいるなら、景吾くん、寂しくないね!』
寂しさを隠して笑顔を作ったつもりでも、景吾くんにはわかるようで、私に近付いて頭を優しく撫でてくれた。
『そんな顔すんな。気が強いくせに泣き虫とは、とんだお姫様だな。』
『っ!/////な、泣いてない…!』
目が合わせられなくてキョロキョロとする私を、景吾くんは面白おかしそうに笑った。
目の前の彼は、とうに私より格段に背が高くなり、幼い表情がどこにもない。
私も昔から大人びた顔つきだと言われていたから、化粧をすれば実際の年齢より上に見える。
だからこそ、バレないと思ったのに…
「よく覚えてたわね、そんなこと。」
口調を昔のように戻してまた静かに言う。
「何故イギリスにいるはずのお前がこんなところで働いている?」
少し鋭い表情になって私に問う。
「大まかに言えば親子喧嘩。将来はお父様の跡を継ぐことに関しては文句はないの。ただ…」
そこまで言って彼から目を逸らして下を向いた。
この先のことをどう伝えたらいいのか思い悩む。
でも彼は私の次の言葉が出るまで黙って待っていてくれた。
変に問い詰めないその優しさは前と変わらない。
だから私は思いきってその続きを話し始めた。
「一人っ子の私が家を継ぐには苦労も多いってことで、今のうちにサポートをしてくれる人が必要だって連れてきた男性がいたの。」
少し怪訝そうな表情になった目の前の彼は、それでも黙って聞いてくれた。
「その男性、実はお父様が私には内緒で未来の婿養子として用意した人だったの。それを知って大喧嘩。自分の相手は自分で決める!って言って家を飛び出したの。」
自分のことなのに、不思議と他人事のように淡々と話せるのは、自分の運命には逆らえないと悟ったからだろう。
その諦めのような声音を聞いた彼は、納得いったようにフンっと笑った。
「なるほどな。イギリスでは顔も知られてるから、日本に来るしかなかったってことか。」
「私の味方をしてくれた使用人たちが何人かいて、その人たちの手助けもあって、こうしてここで身分を隠して働いてたってわけ。」
静かに語り終わると、カーテンの隙間から覗かせる空を見上げた。
もう、ここにはいられない…
そう思って深呼吸したあと、彼に向き直った。
「身分を隠していたのは申し訳ございませんでした。これ以上ここに置いていただくわけには参りませんので、私はお暇させていただきます。」
使用人の口調で真っ直ぐ彼を見据えて言った。
すると…
「悪いがこの件、しばらく俺に預からせてもらえねぇか?」
目の前の彼は意外なことに、そんなことを提案した。
何か考えでもあるのだろうか?
そう問おうとしたけど…
「俺が預かっている間はこれまで通り、偽名で働いていればいい。無論、このことに関しては今は誰にも言うつもりはねぇ。」
「え、でも…」
「主からの命令だ。いいな。」
「……かしこまりました。ありがとうございます。」
被せてそう言われてしまっては異論は出せず、彼の言うことに頷くしかなかった。
それから一週間ほど経った頃…
夜、そろそろベッドに入ろうかと思う時間に、突然それはやってきた。
コンコン
「名無しさん、俺だ。」
ドアのノック音と共に聞こえた声。
「景吾お坊っちゃま…?」
それは紛れもなく私の遣える主の声。
こんな時間になんだろう?
そう思いドアを開けた。
「夜分遅くすまねぇ。お前にどうしても伝えておきたいことがあってな。」
「とんでもございません。どうぞ中へお入りください。」
正体を知られてもあくまで主と使用人。
誰が聞いてるかわからないから、丁寧な口調で返した。
部屋の中へ入るや否や、景吾お坊っちゃまはベッドに腰掛け、私もその横にそっと腰掛けた。
そして、私にタブレット端末を見せた。
「たった今、イギリスから届いたメールだ。」
「え…?」
端末を受け取り、メール文を見た。
差出人は……
「お父様…?!」
何故景吾お坊っちゃまがお父様にメールを…?
そう思いながらも本文を恐る恐る読んだ。
『娘が大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。娘を立派な跡取りにと先走り、娘には随分我慢を強いてきたこと、お恥ずかしながらたった今知ったばかりです。跡部様のご指摘を真摯に受け止め、またご提案を喜んでお受けしようと考えております。不束な娘ではございますが、どうか今後ともよろしくお願い致します。』
最後まで読んでも状況が理解できないでいると、景吾お坊っちゃまはその姿を見てニヤリと笑った。
「お前にもわかるように説明してやる。俺にこの件を預からせてほしいと言ったその日、すぐにお前の父君に連絡を取った。家を継ぐための手解きなら、将来この跡部家を継ぐ俺様がしてやると。そしてその暁には、俺様がお前をもらい受けると。」
「えっ?!」
あまりの突拍子もない出来事にただ目を丸くするだけ。
もらい受けるって…それって…!
「名無しさん。これからお前は俺様の元で跡継ぎの為の勉強と花嫁修行だ。」
そこまでハッキリ言い切られ、何も言えなくなってしまう。
でも…
「そんな勝手に…!私の意思は……っ!」
「名無しさんの意思は聞かなくてもわかるぜ?…それとも、その反応は俺様の勘違いだったのか?」
すっと景吾お坊っちゃまの顔が近くなり、今にも唇が触れそうな距離まで迫られた。
「そんな…こと…///////」
彼の体を押し返そうと胸辺りに手を置くと、そのままその手を捕まれて…
バサッ
ベッドに押し倒されてしまった。
「素直になれよ、名無しさん…。」
耳元でそう囁かれ、まるで魔法にでもかかったかのように全身の力が抜けた。
そして、久しく呼んでいなかった彼の名前をそっと口にした。
「景吾…くん…」
「フン…」
私のその一言に景吾くんは満足げに笑い、私にそっと唇を重ねた。
翌日、景吾くんは屋敷中の使用人たちを集めて私を改めて紹介した。
流石に2ヶ月近く正体を隠して働いてた分、周りはざわついた。
そして私はというと
「名無しさん様!ここは私たちにお任せください!」
景吾くんにお願いして、これまで通り使用人の仕事をさせてもらいつつ、空いた時間で景吾くんの元で勉強をする提案をした。
既にイギリスでセカンダリースクールを卒業した私は、氷帝に通ってる景吾くんとは異なり昼間は常に暇を持て余す。
それなら景吾くんが帰ってくるまで、屋敷で使用人の仕事をしていた方がずっと有意義に過ごせる。
でも私の正体を知ったあとの他の使用人の方々は、名無しさん財閥の一人娘にそんなことさせられまいと必死に私を追い掛けては仕事を代わろうとしていた。
「気にしないでください!今まで通り使用人としてお仕事をお願いしたのは私ですし、許可も得てますので…」
「しかし……」
尚も止めようとする使用人の方の隣で、ミカエルさんが苦笑して言った。
「仕事の覚えが早いとは思っていましたが、いつも間近で見ていらしたのなら当然のことでございましたな。…しかし…この屋敷に来られた時から随分明るくなられましたな。」
「それは……」
「俺様のお陰だろ?あぁん?」
急に後ろから景吾くんの声が聞こえて振り返る。
私がビックリしている横で一番ビックリしているのはミカエルさんだった。
「け、景吾お坊っちゃま!!まだお帰りのお時間では……」
いつも景吾くんの帰りの時間に合わせて迎えに行くのがミカエルさんの仕事。
なのにいきなり自分の主が屋敷にいるとなれば顔面は蒼白だ。
「部活あるんじゃなかったの?」
口をパクパクさせてしどろもどろになるミカエルさんの代わりに私がそう聞いた。
「予定より早く切り上げた。だからといって練習をサボるやつなんて、うちにはいねぇからな。」
よほど仲間を信頼しているのか、自信満々に言い放つ。
その様子を見て、私はクスッと笑った。
そしてポツリと
「私の想いは間違いじゃなかった。」
誰にも聞こえない程小さな声で呟いた。
END