フジの花言葉【周裕】
兄貴はいつだって勝手だ
『ゆうた!一緒に寝ようよ!』
『ゆうた、苛められたらボクに言うんだよ。必ずボクが守ってあげるからね!』
『裕太、また一緒の学校だね!裕太もテニス部入るでしょ?』
『裕太、転校するって本当?誰かに何か言われたりしたの?』
『裕太、今週末は帰ってくる?』
裕太……裕太……裕太……………
兄貴は屈託のない笑顔で俺を呼ぶ。
兄貴だからそれは当たり前だ。
…そうじゃなくて……………
「裕太!久々に帰ってきたんだから、一緒にお風呂でも入ろうか?背中、流してあげるよ。」
「は、入るわけねぇだろ…!」
またある時は…
「裕太、今日寒いから一緒に寝ようよ。」
「電気毛布引っ張り出せよ!」
これが兄弟の距離感と言えるだろうか…?
まぁ、昔から兄貴はこんなだから今更感はあるけど…
何で嫌がってんのに兄貴は俺に構うんだよ!
いや…俺がわざと嫌がって避けてるだけだ。
所謂、好き避けーー
俺がこの気持ちに気付いたのは、もう随分前のこと。
抱いちゃいけない感情だってわかってるし、言う気も更々ない。
俺は、いつまでも不二周助の“弟”でいい。
そうじゃなきゃダメなんだ。
あれだけ不二弟と呼ばれるのが嫌だったのに、そう願っているなんて皮肉な話だ。
誰にも言うこともなく、自分の胸に仕舞い込んだまま、いつしか俺は大学1年になっていた。
春休みになり、もうすぐ2年になるという時期に俺は気まぐれで実家に帰省した。
既に家を出ている姉貴と兄貴がいないこの家は、お袋と親父だけじゃ少し寂しい。
まぁ、俺も家を出てるから普段はこの二人だけで余計に寂しいんだろうけど。
「ごちそうさま。」
俺が実家に帰るとお袋が必ず作ってくれるかぼちゃ入りカレーを全て平らげると、お袋は嬉しそうに、お粗末様。と笑う。
その笑った顔が兄貴と重なる。
兄貴はお袋似だから当然っちゃ当然なんだけど…
「兄貴、最近帰ったりするのか?」
気が付いたらそう口にしていた。
「周助はあまり帰らないけど、由美子なら時々帰ってくるわよ。」
「ふ~ん。ま、姉貴も同棲してるみたいだし、鬱憤とか溜まるんだろうな。」
食器をシンクに浸けて苦笑する。
「父親としては困り者だがな。いい加減落ち着いてくれれば良いんだが…。」
確かに…。
親父の溜め息混じりの言葉に、俺はまた苦笑せずにはいられなかった。
「さ、そろそろ明日の準備でもするかな。」
そう言って親父が立ち上がり、自室に入って行った。
「お袋も、ここは俺がやっとくから、明日の準備しろよ。忘れ物があったら大変だろ?」
「そう?…じゃあ、お願いするわね。このままいてもいいし、帰ってもいいし、裕太の好きになさいね。」
自室へと向かうお袋に短く返事をして、洗い物に没頭した。
明日は親父とお袋が一泊二日で旅行に行く事になっているらしい。
今までは俺たちがいてそんなこと出来なかったけど、みんな親元を離れてそれぞれ暮らすようになって、ようやく二人の時間が取れた。
そんなタイミングで俺が帰って来たからどうするか迷ったみたいだけど、俺が勝手に帰って来ただけだし、行ってこいよ。と背中を押したことで、行く事に決めたらしい。
キャンセル料もバカにならないしな。
明日はこの家で久々に一人だ。
何しようかな?
そう思いながら洗い物を済ませ、風呂に入った。
次の日の朝、親父とお袋は旅行に出掛け、俺は家に一人。
まだ朝が早かった分二度寝しようとも考えたが、折角早く起きたんだ。
「久々に打ちに行くか。」
自室に仕舞ってあるラケットを取り出し、ストリートテニスコートに行った。
そこには数人の中学生らしき人たちが楽しそうに打ち合いをしていた。
俺は邪魔にならないよう、端っこで壁打ちをした。
「ふぅ…。」
久々にこんなに汗をかいた気がする。
最近は講義やバイトが忙しかった分、殆ど運動をしていなかった。
でも、ガキの頃からやっていたテニスの感覚は体に染み付いていた。
「そろそろ帰るか。」
そう呟いてラケットを仕舞い、帰路に着いた。
適当に昼を済ませ、持ってきていた課題に取り組む為にパソコンを立ち上げてレポートをまとめていく。
キーボードの音と時計の針の音だけが部屋に響いて、妙に静かすぎて落ち着かない。
とはいえやらなければ後々辛いのは自分だ。
そう叱咤させて黙々と課題に取り組んだ。
気が付くと時計の針は午後7時を回っていた。
「やべ、晩飯考えてないや。」
丁度一区切りついた所で一旦手を止めてキッチンに向かった。
今から買い物に行くのもダルい。
そう思って冷蔵庫を漁る。
卵と…玉ねぎと…鶏肉もある…
冷凍ご飯もあるし……
「オムライスだな。」
そう思い立つと、早速作業に取りかかった。
一人暮らしを始めて自炊はするようになった。
自分で言うのも何だがまぁまぁ上手いと思う。
ささっと作って食べるが、普段ワンルームの部屋で食べるのと実家で食べるのとは少し違う。
家の空間が広くて、妙に心細くなった。
俺はあまり考えないようにしてさっさとご飯を食べてしまい、その流れで風呂に入ろうと決めた。
シャワーも済ませ、寝間着に着替えてリビングで寛ぐ。
テレビをつけてチャンネルを適当に変えてみてもどれもつまらない。
俺はテレビを切って、課題の続きをやろうと立ち上がった。
そのまま寝るつもりで歯磨きも済ませ、戸締まりやガス、電気を切って自室に籠ろうとした。
すると…
ガチャ………ガチャガチャ…
「…?」
玄関の方からドアノブの音がした。
少しの間の後、鍵を開ける音と共にドアが開く音がした。
姉貴でも帰って来たか?
だとしたら電気つけた方がいいだろうか?
いや、それで愚痴とかに付き合わされたら面倒だ。
俺はそのままリビングを出て自室に行こうとした。
……が…………
「え…?」
頭の理解が追い付かない間に、何故か俺は誰かに抱き付かれていた。
姉貴…?いや、にしては身長が高い気がする。
じゃあ誰だ…?
……っていうか…
「酒臭っ!」
アルコール独特の匂いに顔をしかめて、相手を自分から引き離す。
こいつ…
「あ、兄貴…?!」
目の前の人物に驚愕するのと同時に、何がどうなってこうなっているのか理解が出来ないでいた。
「お、おい、離せって!」
自分より身長が低いはずの兄貴の力は何故か俺より強くて、引き離してもすぐに抱き締められてしまう。
ガキの頃、兄貴がふざけて俺に抱き付いたり肩を抱くことはあった。
その度に俺の気持ちが兄貴に伝わるんじゃないかと気が気じゃなくて、少し強めに怒ったりするのが日常茶飯事だった。
でも…今のこれはその時のそれとは違う。
「兄貴!!……っ?!」
あろうことか、俺は抱き締められるどころか何故か兄貴にキスをされていた。
何…してんだ……こいつ…
口の中でアルコールの味がほんのりする。
気持ち悪いのに……気持ちいい…
兄貴にキスされてるかと思うと、心臓が跳ね上がり、同時に体も高揚するのがわかる。
このまま流されてもいいとさえ思うほど力が抜けていく。
あにき……アニキ…兄貴………っ!
ボーッとする頭の中で、俺は目の前の人物が“兄貴”だと必死に警笛を鳴らす。
俺は…弟でいなきゃダメなんだ…!
「おい…!何しやがる!この…酔っぱらい!」
兄貴の体の中で必死に身を捩り離れようとする。
「誰と勘違いしてんだよ!」
…そう。多分兄貴は酒に酔って俺を違う誰かと勘違いしてるんだ。
そうじゃなきゃ困る……
だが、その期待は兄貴の一言で打ち消された。
「裕太……」
「っ!」
身を捩る体が止まり、俺の心臓がよりドクン…と音を立てた。
耳元で、兄貴が切な気に俺の名前を口にする。
何で…俺の名前呼ぶんだよ……
「っ…!人の気も知らねぇで…いい加減にしろよ!!」
気付いたら俺は兄貴を突き飛ばしていた。
やりすぎたか…とも思ったがそんなの構っていられない。
足元に転がる兄貴を一瞥してそのまま自室に戻った。
それから兄貴がどうしたかは知らない。
俺はベッドに潜り込んだけどすぐに眠れるはずもなく、何度か寝返りを打ってはさっきのことが頭を支配した。
そして気が付いたら朝になっていた。
「ん……」
ゆっくり目を開けて辺りを見回す。
夢……じゃねぇよな…
兄貴に抱き締められた体、キスされた唇が鮮明に感触を覚えている。
「兄貴いるのかな…」
だとしたら気まずい。
どんな顔して会えばいいのかすらわからない。
出来ることならこのまま布団の中にいたい。
でも催してくる尿意には勝てず、少しの葛藤の後仕方なく布団から出た。
そっと自室のドアを開けて下に降りる。
リビングからは物音が聞こえる。
親父たちの帰りは夜のはずだから、やっぱり兄貴はいるんだな。
トイレだけ行って自室に戻るとしても、兄貴も物音で俺が起きてきたことぐらい気付くはず。
兄貴の今日の行動がわからない以上、顔を合わせることを避けて一日部屋に閉じ籠っているのも不自然だ。
いずれ顔を合わせることになるのなら…
と、トイレを済ませて意を決してリビングのドアを開けた。
「裕太、おはよう。」
そこには、いつもと変わらず俺に微笑みかける兄貴の姿があった。
その姿に少しムッとしたけど、会話がないよりかはいいのか…と思い冷蔵庫から麦茶を取り出しながら兄貴に言った。
「昨日は随分と酔ってたみたいだな。」
自分が思ってた以上に低い声が出たと思う。
これぐらいが丁度いい。
コップに注いだ麦茶をイッキ飲みしてシンクに置いた。
「そんなに飲んではないんだけどね?」
尚も目の前の男は悪びれる様子もなく言い放つ。
覚えてねぇんだろうな。
まぁその方が都合がいい。
「酔っぱらいはみんなそう言うんだよ。記憶無くす程酔うって…。20歳になったばっかのやつが何してんだよ…。」
春休みで大学のやつらと飲みにでも行ったか、それとも昔馴染みのやつらと行ったのか。
向こうが覚えてないなら俺も昨日のことで怒るのはアホらしい。
このまま忘れていてくれれば全て丸く収まる。
そう願っていたのに……
「だから、そんなに飲んでないし記憶も無くしてないよ?ちゃんと自我を持ってここに帰ってきたんだから。」
「え……」
じゃあ…昨日のアレは……?
その続きが言えないでいると、兄貴は持っていたマグカップを置いて椅子から立ち上がり、俺に近付いた。
「もちろん、昨日のこともちゃんと覚えてるよ。」
そう言って兄貴の指が俺の唇に触れる。
兄貴の顔がまともに見れない。
覚えてるって……え…?
「じ、じゃあ…何のつもりであんなこと…!」
驚きと怒りの混ざった声で兄貴に聞いた。
「裕太、僕のこと…好きでしょ?」
視界が真っ白になる。
いや、頭の中も真っ白だ。
え…今、兄貴は何て…?
というより、兄貴にこの気持ちを気付かれたことの方がヤバい…。
知られてしまった……
とここでふと疑問が生まれた。
兄貴はいつから気付いてたんだ?
昨日?中学の頃?高校の頃?それとももっと前…?
そんな思考が俺の中をグルグル支配する。
すると俺を見透かしたように兄貴はクスッと笑った。
「ごめんね。中学生の頃から裕太の気持ちには気付いてた。」
は…?そんな前から?
「気付いててあんなことしてたのかよ…」
一緒に風呂に入ろうと言ったり、たまに寮から帰ると抱き付いてきたり、更には昨日キスしてきたりーーー
「何で……」
ギュッと握りしめていた拳の指先が白くなるのも構わず、更に強く握りしめる。
「裕太は、僕たちが兄弟だから…血が繋がってるから気持ちを隠そうとしてたんだよね?」
静かに、だけど確実に俺を逃がさない雰囲気を醸し出しす。
「僕だって同じだよ。裕太の気持ちに気付いて、必死に隠そうとしてる裕太が可愛くて…愛おしくて…」
ゆっくりと語られるその一言一言が、まるで魔法のように俺の耳や脳内を犯していく。
「でも、僕は裕太のお兄ちゃんだから。裕太が僕の弟でいようとしているのがわかったから、僕もそうしなきゃ。って思ってた。」
男同士、しかも兄弟でなんて許されるわけがない。
そんな葛藤を、兄貴も…?
「兄貴…」
「でもね、僕気付いたんだ。」
俺の言葉を遮ってポツリと言う。
「“兄弟”の何がいけないの?」
「は…?」
兄貴の言葉に一瞬理解が出来ないで目を泳がせると、兄貴は俺の顔を自分の手で包み込んだ。
「濃すぎる遺伝子が生まれちゃいけないだけで…男同士の僕らが恋人同士になっても何も悪いことはない。」
まるで開き直ってるかのような兄貴の言い分。
でも確かに一理あるけど…いや…!
「そんな理屈……っ!」
言い終わる前に、俺は昨日みたいに兄貴に唇で遮られた。
だけどすぐに離して兄貴が言った。
「それに気付いたから、僕はもう遠慮も我慢もしない。…僕は裕太が大好き。」
真っ直ぐに俺を見つめて言う兄貴。
目を逸らそうにも逸らせない。
やけに心臓の音がうるさくて、兄貴に聞こえるんじゃないかと錯覚する。
叶うはずのない、叶わなくていいとすら願っていたこの気持ち。
両想いだって知って喜ぶべきなのに、嬉しいはずなのに……
俺から出て来る言葉は全く逆で…
「ふざけんなよ…。昔から兄貴は俺のことは無視して自分勝手に振る舞いやがって…!」
違う…
「兄貴の言うとおり、俺は兄貴が昔から好きで、でもそんなの絶対ダメだって自分に蓋をして必死に弟になろうとしてたのに!」
こんなこと言いたいんじゃない…
「なのに、俺の気持ちに気付いてただ?人の気持ち弄ぶのも大概にしろよ!」
やめろ……!
自分の中に天使と悪魔がいるような感覚に陥った。
嬉しい。ありがとう。って素直に言えたらと胸の中がざわざわして、気が付いたら泣きそうになっていた。
でも、目の前の男はもっと泣きそうで、凄く傷付いた顔をしていた。
自分の行動のせいで大好きな人を傷付けてしまったと後悔しているような、そんな表情だった。
くそっ!何で兄貴がそんな顔するんだよ!
「ごめん。傷付けるつもりじゃなかった。昨日のことも、お酒は飲んでたけど、決してお酒の力であんなことしたんじゃない。ただ…裕太に会いたくなって…」
じっと俺を見ていた兄貴の目は、既に床を写していた。
俺と目を合わせられないとでもいうように。
さっきの逃がさねぇオーラはなんだったのか…。
普段の飄々とした兄貴とは別人で、女のように弱々しい目の前の兄貴を見てたら、少しずつ怒りも収まっていった。
そういうところは、俺も甘いと思う。
「まず、何であんなことしようと思ったのか、順を追って説明しろ。」
俺がそう促すと、兄貴はゆっくり話し始めた。
「昨日は…大学の友達と飲みに行ってたんだ。20歳になったんだから行こうって誘われてさ。そこで、恋愛の話になったんだ。今付き合ってる人がいてとか…好きな人がいてとか…」
ポツリとポツリと話し始める兄貴。
少しずつ落ち着いてきたか…?
俺は静かに兄貴の話を聞いた。
「友達の話を聞いてたら、無性に裕太に会いたくなって。お昼に母さんから、裕太が帰ってきてるって聞いてたから、もしかしたらいるかもしれないって思って。」
それで帰ってきてすぐに俺だとわかって抱き付いてきたのか…。
話の合点がいって一人で納得する。
「電気が点いてなかったし鍵もかかってたから、帰っちゃったかな?とも思ったんだけど…玄関に靴があったからつい嬉しくなっちゃって…」
「声ぐらいかけろよ…。いきなり抱き付くとかさー…。マジでビビったぜ…。」
「ホントにごめん。でも、本当に嬉しかったんだよ?」
「嬉しくて弟にいきなりキスすんなよ…」
呆れて兄貴のおでこを指で軽くつつく。
「うん。僕はお兄ちゃん失格だ。だから…恋人にして?」
「な…!///////」
そ、そういうことを言うか普通?!
俺の方が若干身長が高いのは以前から変わらないけど、こんな風に上目遣いで来られたら…
「はぁ~…。兄貴には敵わねぇよ。」
決して良い関係とは思っちゃいない。
だけどーーー
チュ……
「これが俺の答えだ。」
短いけど、確かに兄貴にキスをした。
珍しくビックリする兄貴が面白くて堪らない。
「いきなりキスされる気持ちわかったか?」
ニヤリと笑って言うと、兄貴が少し黙って…
「凄く嬉しいね!」
ニコッと笑ってそう言いやがった。
「そういうことじゃねぇよ。…まぁいっか。」
短く溜め息をついて俺も笑った。
夜、親父とお袋と、何故か姉貴も一緒に帰って来た。
「裕太が帰って来てることは知ってたけど、周助も帰って来てたの?」
姉貴が手を振って俺たちに笑いかける。
「うん。姉さんはまた喧嘩?」
「もぉ聞いてよー!!」
兄貴に聞かれて姉貴は止まることなく愚痴を言い始めた。
するとお袋が、やれやれといった様子で俺に言った。
「さっき駅で出会って一緒に帰ってきたんだけど、ずっとあの調子なの。裕太も後で話を聞いてあげて。」
そう言ってお袋は親父と一緒に荷物の片付けを始めてしまった。
姉貴の止まらない愚痴を、兄貴はうんうん。と聞いてやる。
こうして見ると何も変わらない、普通の家族。
だけど、確実に俺たち兄弟の間で変化があった日だ。
いつだって勝手な兄貴だけどーー
「もう離れねぇよ。」
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