兄貴の記憶【リョガリョ】
『規定により、越前リョーマくんの合宿退去を命じます。』
黒部のアナウンスで辺りがざわついた。
「あっそ。」
そう一言言うと、平等院に背を向けて合宿所を去っていった。
「コシマエ!?…コシマエぇぇぇ!!!」
リョーマの背中から金太郎の声が聞こえたが、立ち止まることも振り返ることもなく、リョーマは出口へ向かって歩き出した。
出口へ向かって森を歩いていると、後ろからリョーガがリョーマに声をかけた。
「お前、小さい頃から何も変わっちゃいねぇな…」
溜め息混じりに呟くと、リョーマが反応した。
「何…?」
「アメリカにいたとき、お前本当に負けず嫌いだったよな?」
リョーガにそう言われ、リョーマは小さい頃、リョーガと共に過ごした時のことを思い出す。
まだ小さくて、体もテニスもリョーガには勝てなかった頃…
『おれもオレンジ食べる!』
木に生っているオレンジ目掛けてラケットでボールを打ってオレンジを取るリョーガ。
リョーマもリョーガと同じように取るが力の差は歴然として、ボールは全くオレンジに当たらなかった。
「いっつも俺の後ろ引っ付いて…」
「…忘れた……。」
帽子を深く被って言うリョーマ。
口ではそう言うが、リョーマの記憶の片隅にはリョーガがいるのは事実。
更にリョーガは続ける。
「俺は忘れちゃいないぜ?…お前の涙…」
「…っ!」
リョーガの一言にリョーマはピタッと立ち止まる。
小さいリョーガが車で遠くへ行くとき、その後ろを一生懸命追い掛けて走るリョーマ。
『待ってー!リョーガぁ…待ってー!うぅ……ひっく…ひっく……待ってぇ…』
いくら走っても追い付くことが出来ず、リョーマは目に涙を溜めて走り去っていく車を見つめ続けた。
その記憶はリョーマにとって思い出したくない記憶だった。
「忘れた…。…ねぇ、アンタ暇なの?早く合宿所戻りなよ。」
振り返ってリョーガを見ると、リョーガはまた溜め息混じりに言った。
「相変わらずだな、チビスケ…。それが兄貴に向かって言う台詞かよ…」
フッと笑って戻ろうとするリョーガにリョーマがポツリと呟いた。
「…アンタのこと兄貴だなんて…一度も思ったことないよ…」
「あ…?」
戻りかけていた足を止め、踵を返してリョーマの方を向く。
「っ!」
自分を真っ直ぐ見つめるその目は、リョーガにも見覚えがあった。
『チビスケ、もうついて来んなよ…』
『イヤだ!リョーガと一緒にいる!』
リョーガがいくらリョーマを鬱陶しく思って邪険にしても、リョーマはずっとリョーガにくっついていた。
『おれ、リョーガのこと大好きだもん!』
何の濁りもない、真っ直ぐな瞳。
「お前……」
「アンタ言ったよね?…俺は小さい頃から何も変わらないって。」
尚も真っ直ぐ見つめ続けるリョーマ。
その瞳に吸い込まれるかのように、リョーガは目を逸らせなかった。
「俺はアンタのこと好きなのは小さい頃から変わらないよ。…兄貴としてじゃなく……一人の人間として…」
突然のことにリョーガは珍しく驚く。
「なのに…アンタはいつも勝手にどっか行く…。」
リョーマの瞳がだんだん変わっていく。
「俺が忘れた頃にフラッと現れんな……っ!」
バッ…!
気が付けばリョーマはリョーガの腕の中にいた。
何が起こったのかもわからず、リョーマはただ戸惑いの色を見せる。
「悪かった…。だからもう泣くな。俺はここにいる。」
優しく抱き締めるリョーガの言葉で、初めて泣いていることに気付いた。
「っ…泣いて…ない……」
「強がんなよ…。ガキの頃、俺を追い掛けて泣いてくれただろ?」
また蘇るあの記憶…
「リョーマ。俺もあん時、お前と離れるのが辛くて泣きそうだったんだぜ?」
「え…?」
抱き締める腕を解いて至近距離でリョーマを見つめる。
「けどお前の元を離れるって決めたのは俺だし、何よりあのままだとダメだと思ったんだ。」
「…どういうこと…?」
「俺もお前のことが好きだったんだよ…。…弟としてじゃなく……一人の人間として…」
さっきのリョーマと同じ瞳でリョーガがリョーマを見つめる。
「え…!」
驚いたようにリョーマが大きな瞳でリョーガを見つめると、リョーガがまた続けた。
「このままお前の傍にいれば、お前を好きな気持ちが強くなっちまう。その前に俺からお前の元を離れたんだ。」
「何で…?本当の兄弟じゃないならいいじゃん…。」
「バーカ、そう言う問題じゃねぇよ…。好きな気持ちが先行して、無理矢理お前をどうかしちまうのが怖かったんだよ…」
真剣な声にリョーマは恥ずかしさが増し、リョーガから目を逸らそうとした。
「こーら!ちゃんと俺を見ろ。リョーマ。今度はお前のそのでっけぇ瞳に、兄貴としての俺じゃなく、恋人としての俺を写せ。」
真っ直ぐ見つめられ、目を逸らそうにも逸らせない。
リョーマの心にリョーガの言葉がストレートに伝わってきた。
「リョーガ…。」
どっちからかとか関係なく、二人は吸い込まれるようにお互いの唇に自分の唇を重ねた。
名残り惜しげに唇を離すと、リョーガがリョーマの頭を撫でた。
「もう行け、リョーマ。あんまりここにいると誰かに見つかっちまうぜ。」
「…うん……」
不安げな顔でリョーガから離れると、リョーマは出口の方へ歩き出した。
「リョーマ!俺への気持ち、忘れんなよ!」
去っていくリョーマに叫ぶ。
「そっちこそ!」
リョーマは振り返らずそう返した。
森の中を進んでいくリョーマの後ろ姿を、リョーガはずっと見つめていた。
END