鈴木 世界
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―鈴木徳蔵と初めて会った時、世界はまだ11歳だった。
以前家に居た、母や自分を殴る粗野な男―実の父親と同じ人間とは思えない程、徳蔵は知的で優しく穏やかで…当時の世界には、救世主のような存在に思えたのである。
世界の母、洋子は帝東大学から程近い定食屋で、パートとして働いていた。
その店の常連として、鈴木徳蔵は現れたのだった。
兼ねてより「教授夫人」というものに憧れてパートを始めた洋子はすぐに徳蔵に接近した。
徳蔵はこの時既に49歳であったが、色事には疎く、経験豊富な洋子の会話術に陥れられた事には全く気が付かなかったのだ。
洋子と徳蔵は親子程も歳が離れていた為、徳蔵は洋子に自分がそういった対象で想われてる―等、想定する事が出来ず。
身寄りも無い中で母一人家庭を支えている洋子が、自分に父性を求めて頼っている―そんな風に感じていた。
徳蔵は勤勉で、これまでわき目もふらず教育学に全てを捧げて来た。
その為、婚期を逃し、ひとり身であった。
無論、女性と付き合った事もあれば、その地位から見合いをすすめられたり、女性からアプローチをかけられる事もあったが…そういった事を苦痛に思う自分があったのだ。
―女性と恋愛に発展する事がどうしても愉快な行為には思えない。
子供の居ない自分が教育学を人に伝える等、罪悪感がない訳ではなかったが、自分にはそれしかなく、一層研究に打ち込んだ。
その点洋子とは―1回り以上も離れている事から、娘のように思え、そういった苦手意識や警戒心から開放された上で親しくなる事が出来たのだ。
徳蔵が洋子を恋愛対象としては見ていない事に、洋子自身は早くから気が付いていた。
しかし、このような物件は自分の前に二度と現れないであろう事も知っていた為、色恋の雰囲気をかもしださぬよう、慎重に慎重を重ね徳蔵と距離を縮めていったのだ。
実際、徳蔵と洋子は、世界を交え三人で食事までするようになっていた。
徳蔵は相変わらず洋子を娘のように思い、世界の事は…孫のようなものだ、と思っていたのである。
―あの日までは。
三人で会うようになってから1年以上が経っていた―ある夏の日。
うだるような暑さで、エアコンが老朽化していた世界の自宅は多少、蒸すような熱が部屋に立ちこめていた。
「クーラーが古くて……ごめんねえ。外に食べに行くぅ?」
「私は、あまり気にならないよ。外食よりも、家で食べる方が好きなんだ。君が嫌でなければ」
「そお?じゃあ……私、お買い物してくる。此処で待ってて頂戴」
「ああ、有難う」
徳蔵と洋子がそんな会話をしている中、世界はタンクトップと短パンといった姿でリビングに転がって眠っていた。
夏休み中であったけれど、前日の友人たちと出かけたプール疲れが残っているらしい。
「世界……お客様がいるのにこんなところで寝ちゃってぇ。恥ずかしい」
「いいんだよ。私にこんなに心を開いてくれるなんて、何だか嬉しいな」
「…そうぉ?そんな風に想ってくれるの?」
「そうだね。私には…子供が居ないから。君達の存在に……凄く感謝しているんだよ」
「徳蔵さん」
洋子は内心、心が跳ねる程嬉しかった。
あともうひと押し……そんな風に想っていた。
結婚が難しければ、養子縁組でもいい。どうにか……徳蔵との関係をつないでいきたかった。
―何か……あと1つ、手があれば…この男との関係を永遠に出来る、…洋子は買い物用の自転車に跨ぎながら笑いを押さえる事もなくあれやこれやと考えていた。
そうして洋子が出かけて行った後―ソレは起きた。
「ん……ぅ…………」
徳蔵の隣で、世界が、吐息を漏らす。
そうして幸せそうに寝がえりを打って、あぐらをかく徳蔵の足元に転がって来た。
世界の…露わになった細い肩が、自らの身体に密着している…
「っ……………」
徳蔵は自分の心臓がこれまでにない程震え、歓喜している事に驚いた。
そうだ―これまでも何度かあった事だが、二人きりではなかった。いつも洋子が居た。
しかし…狭いこの部屋の中には今、自分と世界しかいない―
「せ……世界………」
徳蔵は恐る恐る―世界の唇に指先で触れた。
しっとりと湿ったそこは…熱を持っていて…呼吸に合わせて控えめに動く。
「……………!」
ほとんど無意識に―口づけていた。
額に、頬に………そうして、唇に舌を這わせる………
「ただいまぁ」
―その時……洋子が不意に帰宅したのである。
「急いで帰ってきちゃ…」
「…………っ……!」
「え…………?」
狭いアパートの部屋は、―ドアを開けたその瞬間に全てを一望出来てしまうのである。
「徳蔵さん………」
「ち……違う!洋子………これは」
血の気が引いていく徳蔵。
―一方洋子は………
「最後のもうひと押し」を見つけた事で―偽のアリバイを手にした殺人犯のような、黒い悦びに胸を支配されていた。
「すぐ、ご飯にするねえ、お腹すいたでしょ?」
「………洋子…………」
「どうしたの、徳蔵さん。そんな顔をして―」
「あ、ああ……いや、何でも……何でもないんだよ」
徳蔵は洋子が気が付いていないものと思って安心した。
そして―先ほどまでの、狂ったような行為は気の迷いと信じ、自らの心にしまい込もうと決めたのだった…
後戻りできない暗やみへと歩き出しているとも知らず―。
数日後の夜。
「ねえ世界ぃ。徳蔵さんが…あなたの事、本当の子供みたいに可愛いんですってぇ」
「………」
「だからね、世界……徳蔵さんはあなたに沢山甘えて貰いたいの」
「甘える?」
「お膝の上に乗ったり、お風呂に一緒に入ったり…」
「やだ、恥ずかしー。皆、そんな事しねーじゃん」
「そうなの?……そう………、徳蔵さん……悲しむわ、きっと」
「………………」
「出来る限りでいいの。明日また徳蔵さん来るから…ね。私と徳蔵さんの為だと思って」
「………何だよそれ…」
意味が解らない、と世界は頭を掻く。
しかし涙目の…うるうるとした視線を送られると―どうも断りきれない。
叶えてあげられない自分が悪いのではないか、とすら思う。
それに…鈴木徳蔵に好かれている、と聞かされて…甘く、くすぐったいような…ふわふわした嬉しさがあった事も確かだ。
見知っているどの大人よりも賢くて、まともで、優しい。
穏やかな口調で自分を褒めてくれ、時にはたしなめ…危ない時には守って、助けてくれる。
そういう大人が、世界の周りにはこれまで居なかった。
(照れくさいし、こーいう感じ、クラスの奴らにばれたら、…なんか恥ずかしい)
そう思ってもみるけれど、何だか胸がぽかぽかとあったかくて、頬は緩んでいた。
翌日の夕方。果たして徳蔵は世界の家にやってきた。
「やあ。今日も暑いねえ」
「ごめんなさい…徳蔵さん…、エアコンね、凄く……高くて。新しいのは来年かしら…」
「ああ、…ごめん。そういう意味じゃないんだ。夏が暑いのは当たり前だし…私は季節を感じられる方が好きだ」
徳蔵は―ゆっくり世界の方を向いて言う。
「世界、今日は……私が料理を作ってみようと思うんだ」
「ふーん…」
この間の罪滅ぼし…のつもりが、徳蔵にはあったかもしれない。
「君が前に、クリームシチューが好きだと言っていただろう。だから…これも好きなんじゃないかと思って。練習したんだよ」
「これ?」
スーパーで買ったらしい食材の入ったビニール袋をさして徳蔵が言う。
「カルボナーラ・スパゲッティ、だよ。…私も食べた事なかったけれど。若い子たちに人気なんだってね?」
「…俺、食べた事ない」
「そうか。―じゃあ気に入って貰えるといいな」
ゆったり微笑む徳蔵。
世界は、母の言葉を思い出す―
(俺のこと気に入ってるって…本当なんだ、この人)
本当に、本当にこんな、立派な…テレビにまで出てるような大人が自分を?
にわかには信じられなかったけれど。
「……………ありがと」
世界は小さく呟く。
その言葉で、徳蔵が大きく動揺した事に…洋子は気が付いていた。
「あ!」
突然洋子が声をあげた。
視線は携帯の画面である。
「…どうしよぉ。お店の子、一人欠勤、みたい………私…行った方がいいかもしれない」
洋子は昼間のパートと、夜は週に何度かスナックのような所で働いていた。
その店のバーテンと恋人関係だった為である。
「そうか…大変だね、洋子。君がそうしたいなら行っておいで。私は帰った方がいいかな」
「……もし…徳蔵さんが良かったら……世界とここでご飯していってくれない?…世界も、今日は楽しみにしてたの。」
「っ…そう……かい…?……世界もそれでいいなら―」
「好きにすればいいじゃん」
「ね……?世界もこう言ってる事だし…お願い」
「勿論私は―構わないよ。世界と食事をしたかったから―」
「ああ!良かったぁ……じゃあ、ごめんね、……私、準備して行ってくるぅ」
そそくさと化粧を始めて身支度を整えた洋子は家を飛び出していく。
勿論、欠勤の話は嘘である。そのようなメールは届いていない。洋子は真っ直ぐ男のところへ向かった。
徳蔵は洋子を見送って…約束通りカルボナーラ・スパゲッティを作る。
世界の前に、皿とフォークを置く。
「……………」
「どうかな、世界」
「…美味い、かも」
「かも…?」
「……うん」
洋子は普段あまり料理をしなかった。
徳蔵が来る時だけは少し手の込んだ料理を作ったり、スーパーの総菜を自分が作ったかのようにして出すが世界に対して手料理を作る事は稀であった。
大抵は冷凍食品か、ワクドナルドなどのファーストフードを食べさせていたのである。
その為、世界は何か美味しくて何が不味いのかがよく解らない子供だった。
「だから………また、……今度も、作って」
「っ……本当かい………?」
「…………うん」
「良かった。いくらでも、作ってあげるよ」
徳蔵は心底嬉しそうに笑った。
無邪気なその笑顔に―世界もほんの少しだけ、笑みをこぼしていた。
それから―食事を終えて二人でだらだらとテレビを見る。
徳蔵は折り目正しい雰囲気でそこに座って微笑んでいた。
―世界はまた、母の言葉を思い出す。
(お膝の上に座るとか)
そんな事で喜ばれるのだろうか…?
解らない。けれど…何かこの人に返せないものかと思考は巡り―そして…
「せ、世界…………?」
「………」
世界は無言で徳蔵の膝の上に座った。
けれど男が男の膝の上に座る―やはり、世界には異様に思えて。
やはり無言で―すぐに離れようとする、が
「っ……?」
「………もう少し……このまま………」
徳蔵に後ろから抱きすくめられ、阻まれる。
その腕が温かく―また、徳蔵に喜ばれているのかという実感が沸いて…世界は黙って従っていた―。
それから徳蔵は雪崩るように壊れていった。
仕事中も世界の事が頭を離れなくなり―
いけないいけないと思いながらも世界の唇…肌…足…秘部を懸想してしまう。
しかも何故か、世界からのボディタッチは増えていく一方だった。
無邪気に…か、何か意図があるのか読めないまま…けれど膝の上に乗ってくる世界。
彼も自分と同じ事を望んでいるのだろうか?
そんな風にさえ想ってしまう。
そうして――その年の冬。
いつかと同じように世界の部屋で二人きりの夜だった…
「……っ……な…に……っ?!」
「世界―……世界………」
徳蔵は世界の細い手首を押さえつけて思うままに世界の全てにしゃぶりついた。
想像の中よりずっとしなやかで可愛らしいカラダ……
徳蔵は夢中だった。
「……ッ……………」
いつもの優しい表情は消え、能面のように貼りついた表情の徳蔵が、何も語らず迫りくる。
世界は心臓が止まりそうな程の恐怖を感じ、全身で抗った。
「やめろ……!やめ………嫌…っ、やだ、ぁああ……ッ」
世界の言葉にはもう耳を向けられない。
それらは最早―歓喜の悲鳴ように徳蔵には感じられていた。
洋子が徳蔵に結婚をほのめかしたのは、翌朝だった。
自分はいよいよ第二の人生を歩む年頃になった。
けれど貴方を好きになってしまった、と―。
だから結婚して欲しい。
もししてくれないのなら…二度と会いたくない……。
徳蔵は全身の血の気が引くのを感じた。
露見すれば責められると脅えていたのだ…断れば世界が全てを話すのではないかと。
また、世界を一生失ってしまう可能性がある…という事に言い知れない絶望を覚えていた…。
徳蔵の返事は、洋子の望むものだった。
―世界が供物としての役割を担っている事に、徳蔵もまだ気が付いていなかった。
世界は何が起きたのか解らず、布団の中でくるまって震える。
どうしたらいいのかを考えるけれど―思考はまとまらない。
…この時は、全ての疑問に対して…自分の望む答えがあるのではないかと期待していたのだ。
―母の意図も、…赤ん坊のように残酷なエゴイズムも知らず……徳蔵の欲望も何かの間違いである、と……信じていた。
彼の目が諦めに浸るのはまだ―もう少し先。
―母の自殺未遂や、徳蔵の老いからくる恐怖的愛情によって、自由も孤独も感情も奪われるまでは―
鈴木世界という人生は、この瞬間始まったばかりであった。
「お父さん……、ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ。大丈夫。少し意識を失うだけだ。ほら、私の手に集中しなさい―」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お父さん、苦しい……苦しい、殺さないで、お願い……お父さん」
「可愛い世界を殺したりしないよ。大丈夫。私の手の中で私だけを想ってご覧……世界。」
「っう……ぐ………や、ら……ッ……おと……さ………」
…現在の彼が映し出す果てしない空洞には、散れ散れになった愛情への憧れがこびりついている。
……そんなもの……全部、溶けて消えてしまばいいのに、と願っている……
fin
以前家に居た、母や自分を殴る粗野な男―実の父親と同じ人間とは思えない程、徳蔵は知的で優しく穏やかで…当時の世界には、救世主のような存在に思えたのである。
世界の母、洋子は帝東大学から程近い定食屋で、パートとして働いていた。
その店の常連として、鈴木徳蔵は現れたのだった。
兼ねてより「教授夫人」というものに憧れてパートを始めた洋子はすぐに徳蔵に接近した。
徳蔵はこの時既に49歳であったが、色事には疎く、経験豊富な洋子の会話術に陥れられた事には全く気が付かなかったのだ。
洋子と徳蔵は親子程も歳が離れていた為、徳蔵は洋子に自分がそういった対象で想われてる―等、想定する事が出来ず。
身寄りも無い中で母一人家庭を支えている洋子が、自分に父性を求めて頼っている―そんな風に感じていた。
徳蔵は勤勉で、これまでわき目もふらず教育学に全てを捧げて来た。
その為、婚期を逃し、ひとり身であった。
無論、女性と付き合った事もあれば、その地位から見合いをすすめられたり、女性からアプローチをかけられる事もあったが…そういった事を苦痛に思う自分があったのだ。
―女性と恋愛に発展する事がどうしても愉快な行為には思えない。
子供の居ない自分が教育学を人に伝える等、罪悪感がない訳ではなかったが、自分にはそれしかなく、一層研究に打ち込んだ。
その点洋子とは―1回り以上も離れている事から、娘のように思え、そういった苦手意識や警戒心から開放された上で親しくなる事が出来たのだ。
徳蔵が洋子を恋愛対象としては見ていない事に、洋子自身は早くから気が付いていた。
しかし、このような物件は自分の前に二度と現れないであろう事も知っていた為、色恋の雰囲気をかもしださぬよう、慎重に慎重を重ね徳蔵と距離を縮めていったのだ。
実際、徳蔵と洋子は、世界を交え三人で食事までするようになっていた。
徳蔵は相変わらず洋子を娘のように思い、世界の事は…孫のようなものだ、と思っていたのである。
―あの日までは。
三人で会うようになってから1年以上が経っていた―ある夏の日。
うだるような暑さで、エアコンが老朽化していた世界の自宅は多少、蒸すような熱が部屋に立ちこめていた。
「クーラーが古くて……ごめんねえ。外に食べに行くぅ?」
「私は、あまり気にならないよ。外食よりも、家で食べる方が好きなんだ。君が嫌でなければ」
「そお?じゃあ……私、お買い物してくる。此処で待ってて頂戴」
「ああ、有難う」
徳蔵と洋子がそんな会話をしている中、世界はタンクトップと短パンといった姿でリビングに転がって眠っていた。
夏休み中であったけれど、前日の友人たちと出かけたプール疲れが残っているらしい。
「世界……お客様がいるのにこんなところで寝ちゃってぇ。恥ずかしい」
「いいんだよ。私にこんなに心を開いてくれるなんて、何だか嬉しいな」
「…そうぉ?そんな風に想ってくれるの?」
「そうだね。私には…子供が居ないから。君達の存在に……凄く感謝しているんだよ」
「徳蔵さん」
洋子は内心、心が跳ねる程嬉しかった。
あともうひと押し……そんな風に想っていた。
結婚が難しければ、養子縁組でもいい。どうにか……徳蔵との関係をつないでいきたかった。
―何か……あと1つ、手があれば…この男との関係を永遠に出来る、…洋子は買い物用の自転車に跨ぎながら笑いを押さえる事もなくあれやこれやと考えていた。
そうして洋子が出かけて行った後―ソレは起きた。
「ん……ぅ…………」
徳蔵の隣で、世界が、吐息を漏らす。
そうして幸せそうに寝がえりを打って、あぐらをかく徳蔵の足元に転がって来た。
世界の…露わになった細い肩が、自らの身体に密着している…
「っ……………」
徳蔵は自分の心臓がこれまでにない程震え、歓喜している事に驚いた。
そうだ―これまでも何度かあった事だが、二人きりではなかった。いつも洋子が居た。
しかし…狭いこの部屋の中には今、自分と世界しかいない―
「せ……世界………」
徳蔵は恐る恐る―世界の唇に指先で触れた。
しっとりと湿ったそこは…熱を持っていて…呼吸に合わせて控えめに動く。
「……………!」
ほとんど無意識に―口づけていた。
額に、頬に………そうして、唇に舌を這わせる………
「ただいまぁ」
―その時……洋子が不意に帰宅したのである。
「急いで帰ってきちゃ…」
「…………っ……!」
「え…………?」
狭いアパートの部屋は、―ドアを開けたその瞬間に全てを一望出来てしまうのである。
「徳蔵さん………」
「ち……違う!洋子………これは」
血の気が引いていく徳蔵。
―一方洋子は………
「最後のもうひと押し」を見つけた事で―偽のアリバイを手にした殺人犯のような、黒い悦びに胸を支配されていた。
「すぐ、ご飯にするねえ、お腹すいたでしょ?」
「………洋子…………」
「どうしたの、徳蔵さん。そんな顔をして―」
「あ、ああ……いや、何でも……何でもないんだよ」
徳蔵は洋子が気が付いていないものと思って安心した。
そして―先ほどまでの、狂ったような行為は気の迷いと信じ、自らの心にしまい込もうと決めたのだった…
後戻りできない暗やみへと歩き出しているとも知らず―。
数日後の夜。
「ねえ世界ぃ。徳蔵さんが…あなたの事、本当の子供みたいに可愛いんですってぇ」
「………」
「だからね、世界……徳蔵さんはあなたに沢山甘えて貰いたいの」
「甘える?」
「お膝の上に乗ったり、お風呂に一緒に入ったり…」
「やだ、恥ずかしー。皆、そんな事しねーじゃん」
「そうなの?……そう………、徳蔵さん……悲しむわ、きっと」
「………………」
「出来る限りでいいの。明日また徳蔵さん来るから…ね。私と徳蔵さんの為だと思って」
「………何だよそれ…」
意味が解らない、と世界は頭を掻く。
しかし涙目の…うるうるとした視線を送られると―どうも断りきれない。
叶えてあげられない自分が悪いのではないか、とすら思う。
それに…鈴木徳蔵に好かれている、と聞かされて…甘く、くすぐったいような…ふわふわした嬉しさがあった事も確かだ。
見知っているどの大人よりも賢くて、まともで、優しい。
穏やかな口調で自分を褒めてくれ、時にはたしなめ…危ない時には守って、助けてくれる。
そういう大人が、世界の周りにはこれまで居なかった。
(照れくさいし、こーいう感じ、クラスの奴らにばれたら、…なんか恥ずかしい)
そう思ってもみるけれど、何だか胸がぽかぽかとあったかくて、頬は緩んでいた。
翌日の夕方。果たして徳蔵は世界の家にやってきた。
「やあ。今日も暑いねえ」
「ごめんなさい…徳蔵さん…、エアコンね、凄く……高くて。新しいのは来年かしら…」
「ああ、…ごめん。そういう意味じゃないんだ。夏が暑いのは当たり前だし…私は季節を感じられる方が好きだ」
徳蔵は―ゆっくり世界の方を向いて言う。
「世界、今日は……私が料理を作ってみようと思うんだ」
「ふーん…」
この間の罪滅ぼし…のつもりが、徳蔵にはあったかもしれない。
「君が前に、クリームシチューが好きだと言っていただろう。だから…これも好きなんじゃないかと思って。練習したんだよ」
「これ?」
スーパーで買ったらしい食材の入ったビニール袋をさして徳蔵が言う。
「カルボナーラ・スパゲッティ、だよ。…私も食べた事なかったけれど。若い子たちに人気なんだってね?」
「…俺、食べた事ない」
「そうか。―じゃあ気に入って貰えるといいな」
ゆったり微笑む徳蔵。
世界は、母の言葉を思い出す―
(俺のこと気に入ってるって…本当なんだ、この人)
本当に、本当にこんな、立派な…テレビにまで出てるような大人が自分を?
にわかには信じられなかったけれど。
「……………ありがと」
世界は小さく呟く。
その言葉で、徳蔵が大きく動揺した事に…洋子は気が付いていた。
「あ!」
突然洋子が声をあげた。
視線は携帯の画面である。
「…どうしよぉ。お店の子、一人欠勤、みたい………私…行った方がいいかもしれない」
洋子は昼間のパートと、夜は週に何度かスナックのような所で働いていた。
その店のバーテンと恋人関係だった為である。
「そうか…大変だね、洋子。君がそうしたいなら行っておいで。私は帰った方がいいかな」
「……もし…徳蔵さんが良かったら……世界とここでご飯していってくれない?…世界も、今日は楽しみにしてたの。」
「っ…そう……かい…?……世界もそれでいいなら―」
「好きにすればいいじゃん」
「ね……?世界もこう言ってる事だし…お願い」
「勿論私は―構わないよ。世界と食事をしたかったから―」
「ああ!良かったぁ……じゃあ、ごめんね、……私、準備して行ってくるぅ」
そそくさと化粧を始めて身支度を整えた洋子は家を飛び出していく。
勿論、欠勤の話は嘘である。そのようなメールは届いていない。洋子は真っ直ぐ男のところへ向かった。
徳蔵は洋子を見送って…約束通りカルボナーラ・スパゲッティを作る。
世界の前に、皿とフォークを置く。
「……………」
「どうかな、世界」
「…美味い、かも」
「かも…?」
「……うん」
洋子は普段あまり料理をしなかった。
徳蔵が来る時だけは少し手の込んだ料理を作ったり、スーパーの総菜を自分が作ったかのようにして出すが世界に対して手料理を作る事は稀であった。
大抵は冷凍食品か、ワクドナルドなどのファーストフードを食べさせていたのである。
その為、世界は何か美味しくて何が不味いのかがよく解らない子供だった。
「だから………また、……今度も、作って」
「っ……本当かい………?」
「…………うん」
「良かった。いくらでも、作ってあげるよ」
徳蔵は心底嬉しそうに笑った。
無邪気なその笑顔に―世界もほんの少しだけ、笑みをこぼしていた。
それから―食事を終えて二人でだらだらとテレビを見る。
徳蔵は折り目正しい雰囲気でそこに座って微笑んでいた。
―世界はまた、母の言葉を思い出す。
(お膝の上に座るとか)
そんな事で喜ばれるのだろうか…?
解らない。けれど…何かこの人に返せないものかと思考は巡り―そして…
「せ、世界…………?」
「………」
世界は無言で徳蔵の膝の上に座った。
けれど男が男の膝の上に座る―やはり、世界には異様に思えて。
やはり無言で―すぐに離れようとする、が
「っ……?」
「………もう少し……このまま………」
徳蔵に後ろから抱きすくめられ、阻まれる。
その腕が温かく―また、徳蔵に喜ばれているのかという実感が沸いて…世界は黙って従っていた―。
それから徳蔵は雪崩るように壊れていった。
仕事中も世界の事が頭を離れなくなり―
いけないいけないと思いながらも世界の唇…肌…足…秘部を懸想してしまう。
しかも何故か、世界からのボディタッチは増えていく一方だった。
無邪気に…か、何か意図があるのか読めないまま…けれど膝の上に乗ってくる世界。
彼も自分と同じ事を望んでいるのだろうか?
そんな風にさえ想ってしまう。
そうして――その年の冬。
いつかと同じように世界の部屋で二人きりの夜だった…
「……っ……な…に……っ?!」
「世界―……世界………」
徳蔵は世界の細い手首を押さえつけて思うままに世界の全てにしゃぶりついた。
想像の中よりずっとしなやかで可愛らしいカラダ……
徳蔵は夢中だった。
「……ッ……………」
いつもの優しい表情は消え、能面のように貼りついた表情の徳蔵が、何も語らず迫りくる。
世界は心臓が止まりそうな程の恐怖を感じ、全身で抗った。
「やめろ……!やめ………嫌…っ、やだ、ぁああ……ッ」
世界の言葉にはもう耳を向けられない。
それらは最早―歓喜の悲鳴ように徳蔵には感じられていた。
洋子が徳蔵に結婚をほのめかしたのは、翌朝だった。
自分はいよいよ第二の人生を歩む年頃になった。
けれど貴方を好きになってしまった、と―。
だから結婚して欲しい。
もししてくれないのなら…二度と会いたくない……。
徳蔵は全身の血の気が引くのを感じた。
露見すれば責められると脅えていたのだ…断れば世界が全てを話すのではないかと。
また、世界を一生失ってしまう可能性がある…という事に言い知れない絶望を覚えていた…。
徳蔵の返事は、洋子の望むものだった。
―世界が供物としての役割を担っている事に、徳蔵もまだ気が付いていなかった。
世界は何が起きたのか解らず、布団の中でくるまって震える。
どうしたらいいのかを考えるけれど―思考はまとまらない。
…この時は、全ての疑問に対して…自分の望む答えがあるのではないかと期待していたのだ。
―母の意図も、…赤ん坊のように残酷なエゴイズムも知らず……徳蔵の欲望も何かの間違いである、と……信じていた。
彼の目が諦めに浸るのはまだ―もう少し先。
―母の自殺未遂や、徳蔵の老いからくる恐怖的愛情によって、自由も孤独も感情も奪われるまでは―
鈴木世界という人生は、この瞬間始まったばかりであった。
「お父さん……、ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ。大丈夫。少し意識を失うだけだ。ほら、私の手に集中しなさい―」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お父さん、苦しい……苦しい、殺さないで、お願い……お父さん」
「可愛い世界を殺したりしないよ。大丈夫。私の手の中で私だけを想ってご覧……世界。」
「っう……ぐ………や、ら……ッ……おと……さ………」
…現在の彼が映し出す果てしない空洞には、散れ散れになった愛情への憧れがこびりついている。
……そんなもの……全部、溶けて消えてしまばいいのに、と願っている……
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