[本編] 春川 樹生 編
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【???】
「あんた誰?」
【クロノ】
(……ナギじゃない。わかってる)
【クロノ】
(あいつはもう……死んだんだ。他人の空似だ)
幻は消えた。
目の前にいるのは、ナギによく似た少年だ。
ナギがそこにいると思った時、俺の足は無意識のうちに引き寄せられた。
駈け出したあの瞬間、俺にとっては、ここは墓地ではなく病室だった。
草葉の匂いではなく、金木犀の匂いを嗅いでいた。
絶望した。
頭の中で整理はついていた筈だったのに、全くそうじゃなかった。
俺はあいつとのことを、過去の思い出だと思い込もうとしただけだった。
……下ろしている手が震えている。
怖い。
心の奥に閉じ込めていた筈のものが、こうも容易く顔を出すことが。
それはきっと、枯れ地に水が染み込むように、
感情を注げば過去が蘇るという証明に他ならない。
【???】
「……なんかよくわかんないけど」
【クロノ】
「ああ、ごめん。人違いだった」
見ず知らずの人物との間に流れる沈黙に、気まずさを感じたのだろう。
少年は申し訳なさそうに俺の顔を見やった。
俺は彼が言おうとした言葉を代弁して、広がろうとする心の綻びを縫い止める。
その傷口からは、捨てた筈の思い出が溢れてくるから。
へらりと笑顔を浮かべて、気にしないでと言外に告げながら、会話を繋ぐ言葉を探す。
樹生が待ってる。戻らなきゃ。
ナギは死んだ。
もうカタがついてる話だ。
【クロノ】
「知り合いに似てたから声をかけたんだけど、違ったみたいだ」
【クロノ】
「ごめん、突然呼び止めて」
【???】
「……別に気にしてないけど」
【???】
「…それじゃ」
少年は小さく会釈をして俺の横を通り過ぎようとする。
風に揺れる髪はナギとよく似た色だった。
途端、息が止まるほどに胸の奥が焼け付く。
――――行かせていいのか? このまま。
きっと二度と会えない。
悔いはないか? もう二度と会えなくても。
【クロノ】
(……そのまま行かせろ)
内なる声に静かに答え、俺は目を閉じようとした。
だけど指先から血の気が引き、汽笛のような心臓の音が俺を急かす。迫ってくる。
体が心を試している。問いかけている。本当にそれでいいのかと。
60年前の傷口がみるみる膿んで裂けていく。
突き破って出てきた腕が、俺の背中を押した。
【クロノ】
「あんたの苗字、柳下?」
絞り出したような声は自分のものじゃないみたいだった。
彼は足を止めたようだったが俺は振り返れなかった。
【???】
「それは、母方の旧姓だけど」
【???】
「お兄さん……ウチの親戚の知り合いかなにか?」
……あの事件があったのは、おそらく60年前くらい。
血縁者か。
俺は頭を抱えて目を閉じる。聞かなきゃ良かった。
【クロノ】
「俺は、おまえの母方のじいさんか、兄弟かその辺りの知り合いだ」
【???】
「……なんだよそれ、分かりにくいな」
【???】
「って、あれ? じゃああんた何歳だよ」
【クロノ】
「急に話しかけて悪かった。じゃあ」
顔を見ないように早足で離れ、
何を話してたのか訊きたそうな樹生の腕を取り、その場から立ち去った。
一緒に暮らすようになってから、樹生は毎日食事を用意してくれて。
仕事のない日や休日はできる限り2人で食事をとっている。
その習慣が始まったのは、樹生が死神にも味覚はあると知ってからだ。
今日も家についてからすぐに、夕飯の支度をすると言って樹生はキッチンに篭った。
そのせいで俺は、さっきの青年についての説明の機会を逃していた。
……なんて、多分それは言い訳に過ぎない。
病室で出会った少年とのことは樹生も知ってるけど。
彼に似た人がいたから思わず話しかけたなんて、やっぱり言い辛い。
それは、未だに彼のことを忘れられないでいるんだと白状するようなものだから。
俺がナギに抱いてる感情は決して恋愛感情なんかじゃない。
誓って言える。俺は樹生だけを愛してる。
ナギに注ぐ気持ちと樹生に向ける気持ちは全くの別物だ。
だけど、樹生以外の誰かを気にかけていることには違いない。
もし俺が、昼間の青年に話しかけた理由を包み隠さず話したとする。
『ナギが生き返ったかと思って驚いて、でも嬉しくて、思わず話しかけようとした』と。
優しい樹生は、俺が話したナギとの間に起こったことを思い返して、
『仕方ないよ、あんなことがあったんだから』と優しく諭すように言うだろう。
その時樹生は心の底から『仕方ない』と思っているだろう。
心底俺を心配して、一点の曇りもなく『仕方ない』と言ってくれるだろう。
だから言えない。
仕方なかったら傷ついてないのか? そんなわけがない。
【春川 樹生】
「昼間のことなんだけどさ」
リビングで料理を半分ほど平らげた時、その時は訪れた。
俺は……
言わないと決めたならせめて隠し通そうと、まっすぐに樹生の瞳を見詰めた。
箸を置いて姿勢を正すべきか迷って、何でもない風に振る舞うべきと判断した。
樹生に『仕方ない』なんて言わせない。
だけど決して、嘘だけはつかないから。
ナギとのことは俺にとっては終わったことでなければならないし、事実、過去のことなのだ。
俺とナギとの間には、わだかまりは残ってるけど。
死神の職権を乱用した魂との会話はタブーだし、ナギの魂は転生の準備を始めている筈だ。
生まれ変わろうとする彼を引き止めてはならない。
俺とナギの間にはもう何もない。もうどうしようもないんだ。
諦めもついてるからこそ、俺は本当のことだけを言えるんだ。
【クロノ】
(……あ)
樹生が口を開いて言葉を発しようとした瞬間、俺は気付いてしまった。
もう嘘をついていた。
樹生が『昼間のことなんだけど』と言った時。
本当は慌てふためいて箸を取り落とし、その話はやめてくれって逃げ出したかった。
なのに今、サンマに大根を乗せている。
樹生を傷付けないように真実を話す。それがプランだったのに。
【クロノ】
(いや、些細なことだ。こんなの嘘のうちに入らな……)
だけど、嘘は嘘。
1つの自覚を皮切りに、積み上げていたビジョンが崩れて頭の中に言葉が散らばる。
もう駄目だ。間に合わない。
俺の手は勝手に、味噌汁の中を掻き回し始めた。
【春川 樹生】
「クロノ?」
【クロノ】
「うん、ごめん。昼間のことだったっけ」
ほうれん草のお浸しに醤油を回しかけながら、薬味を取る。
【クロノ】
「昔の知り合いに、ちょっと似てたんだ」
【春川 樹生】
「そうだったんだ。凄い勢いで行っちゃったから、少しびっくりした」
【クロノ】
「ごめんね。まさかあんな所で会えると思ってなくて」
【クロノ】
「俺も驚いて慌てて走り出しちゃって」
醤油を張った小皿の中で、ワサビを掻き混ぜて溶かす。
【春川 樹生】
「ははは、そうだな。まさかお墓の前で会うなんて」
【春川 樹生】
「笑うのも失礼だけど、オレもやっぱりびっくりすると思う」
【クロノ】
「でしょ? 俺、人間界に知り合いなんて少ない方だけど」
やばいと思って、刺し身のツマを大葉ごと摘み、喉の奥まで突っ込んだ。
【クロノ】
「だから余計に驚いてさ。大事な……少ない知り合いだから」
【春川 樹生】
「これから、幾らでもできるよ。人間の友達」
【クロノ】
「うん。……うん。そうだよね」
樹生は食後にと熱燗を出してきて、猪口に注いでくれる。
透明な液体が瀬戸物の器に満ちていく。
俺は空っぽな気持ちでそれを見下ろしていた。
外界で樹生と暮らす内にわかったことがある。
人間と死神の、決定的に違う部分を見つけた。
俺は『誠実』ではなかった。
嘘偽りがなく、真面目で、まごころが感じられるような人柄じゃなかった。
『不誠実』だった。
嘘つきだし、不真面目だし、誰に対しても親身になってなかった。
だから俺が樹生と暮らし始めた時に立てた誓いは、『誠実であること』だった。
「あんた誰?」
【クロノ】
(……ナギじゃない。わかってる)
【クロノ】
(あいつはもう……死んだんだ。他人の空似だ)
幻は消えた。
目の前にいるのは、ナギによく似た少年だ。
ナギがそこにいると思った時、俺の足は無意識のうちに引き寄せられた。
駈け出したあの瞬間、俺にとっては、ここは墓地ではなく病室だった。
草葉の匂いではなく、金木犀の匂いを嗅いでいた。
絶望した。
頭の中で整理はついていた筈だったのに、全くそうじゃなかった。
俺はあいつとのことを、過去の思い出だと思い込もうとしただけだった。
……下ろしている手が震えている。
怖い。
心の奥に閉じ込めていた筈のものが、こうも容易く顔を出すことが。
それはきっと、枯れ地に水が染み込むように、
感情を注げば過去が蘇るという証明に他ならない。
【???】
「……なんかよくわかんないけど」
【クロノ】
「ああ、ごめん。人違いだった」
見ず知らずの人物との間に流れる沈黙に、気まずさを感じたのだろう。
少年は申し訳なさそうに俺の顔を見やった。
俺は彼が言おうとした言葉を代弁して、広がろうとする心の綻びを縫い止める。
その傷口からは、捨てた筈の思い出が溢れてくるから。
へらりと笑顔を浮かべて、気にしないでと言外に告げながら、会話を繋ぐ言葉を探す。
樹生が待ってる。戻らなきゃ。
ナギは死んだ。
もうカタがついてる話だ。
【クロノ】
「知り合いに似てたから声をかけたんだけど、違ったみたいだ」
【クロノ】
「ごめん、突然呼び止めて」
【???】
「……別に気にしてないけど」
【???】
「…それじゃ」
少年は小さく会釈をして俺の横を通り過ぎようとする。
風に揺れる髪はナギとよく似た色だった。
途端、息が止まるほどに胸の奥が焼け付く。
――――行かせていいのか? このまま。
きっと二度と会えない。
悔いはないか? もう二度と会えなくても。
【クロノ】
(……そのまま行かせろ)
内なる声に静かに答え、俺は目を閉じようとした。
だけど指先から血の気が引き、汽笛のような心臓の音が俺を急かす。迫ってくる。
体が心を試している。問いかけている。本当にそれでいいのかと。
60年前の傷口がみるみる膿んで裂けていく。
突き破って出てきた腕が、俺の背中を押した。
【クロノ】
「あんたの苗字、柳下?」
絞り出したような声は自分のものじゃないみたいだった。
彼は足を止めたようだったが俺は振り返れなかった。
【???】
「それは、母方の旧姓だけど」
【???】
「お兄さん……ウチの親戚の知り合いかなにか?」
……あの事件があったのは、おそらく60年前くらい。
血縁者か。
俺は頭を抱えて目を閉じる。聞かなきゃ良かった。
【クロノ】
「俺は、おまえの母方のじいさんか、兄弟かその辺りの知り合いだ」
【???】
「……なんだよそれ、分かりにくいな」
【???】
「って、あれ? じゃああんた何歳だよ」
【クロノ】
「急に話しかけて悪かった。じゃあ」
顔を見ないように早足で離れ、
何を話してたのか訊きたそうな樹生の腕を取り、その場から立ち去った。
一緒に暮らすようになってから、樹生は毎日食事を用意してくれて。
仕事のない日や休日はできる限り2人で食事をとっている。
その習慣が始まったのは、樹生が死神にも味覚はあると知ってからだ。
今日も家についてからすぐに、夕飯の支度をすると言って樹生はキッチンに篭った。
そのせいで俺は、さっきの青年についての説明の機会を逃していた。
……なんて、多分それは言い訳に過ぎない。
病室で出会った少年とのことは樹生も知ってるけど。
彼に似た人がいたから思わず話しかけたなんて、やっぱり言い辛い。
それは、未だに彼のことを忘れられないでいるんだと白状するようなものだから。
俺がナギに抱いてる感情は決して恋愛感情なんかじゃない。
誓って言える。俺は樹生だけを愛してる。
ナギに注ぐ気持ちと樹生に向ける気持ちは全くの別物だ。
だけど、樹生以外の誰かを気にかけていることには違いない。
もし俺が、昼間の青年に話しかけた理由を包み隠さず話したとする。
『ナギが生き返ったかと思って驚いて、でも嬉しくて、思わず話しかけようとした』と。
優しい樹生は、俺が話したナギとの間に起こったことを思い返して、
『仕方ないよ、あんなことがあったんだから』と優しく諭すように言うだろう。
その時樹生は心の底から『仕方ない』と思っているだろう。
心底俺を心配して、一点の曇りもなく『仕方ない』と言ってくれるだろう。
だから言えない。
仕方なかったら傷ついてないのか? そんなわけがない。
【春川 樹生】
「昼間のことなんだけどさ」
リビングで料理を半分ほど平らげた時、その時は訪れた。
俺は……
言わないと決めたならせめて隠し通そうと、まっすぐに樹生の瞳を見詰めた。
箸を置いて姿勢を正すべきか迷って、何でもない風に振る舞うべきと判断した。
樹生に『仕方ない』なんて言わせない。
だけど決して、嘘だけはつかないから。
ナギとのことは俺にとっては終わったことでなければならないし、事実、過去のことなのだ。
俺とナギとの間には、わだかまりは残ってるけど。
死神の職権を乱用した魂との会話はタブーだし、ナギの魂は転生の準備を始めている筈だ。
生まれ変わろうとする彼を引き止めてはならない。
俺とナギの間にはもう何もない。もうどうしようもないんだ。
諦めもついてるからこそ、俺は本当のことだけを言えるんだ。
【クロノ】
(……あ)
樹生が口を開いて言葉を発しようとした瞬間、俺は気付いてしまった。
もう嘘をついていた。
樹生が『昼間のことなんだけど』と言った時。
本当は慌てふためいて箸を取り落とし、その話はやめてくれって逃げ出したかった。
なのに今、サンマに大根を乗せている。
樹生を傷付けないように真実を話す。それがプランだったのに。
【クロノ】
(いや、些細なことだ。こんなの嘘のうちに入らな……)
だけど、嘘は嘘。
1つの自覚を皮切りに、積み上げていたビジョンが崩れて頭の中に言葉が散らばる。
もう駄目だ。間に合わない。
俺の手は勝手に、味噌汁の中を掻き回し始めた。
【春川 樹生】
「クロノ?」
【クロノ】
「うん、ごめん。昼間のことだったっけ」
ほうれん草のお浸しに醤油を回しかけながら、薬味を取る。
【クロノ】
「昔の知り合いに、ちょっと似てたんだ」
【春川 樹生】
「そうだったんだ。凄い勢いで行っちゃったから、少しびっくりした」
【クロノ】
「ごめんね。まさかあんな所で会えると思ってなくて」
【クロノ】
「俺も驚いて慌てて走り出しちゃって」
醤油を張った小皿の中で、ワサビを掻き混ぜて溶かす。
【春川 樹生】
「ははは、そうだな。まさかお墓の前で会うなんて」
【春川 樹生】
「笑うのも失礼だけど、オレもやっぱりびっくりすると思う」
【クロノ】
「でしょ? 俺、人間界に知り合いなんて少ない方だけど」
やばいと思って、刺し身のツマを大葉ごと摘み、喉の奥まで突っ込んだ。
【クロノ】
「だから余計に驚いてさ。大事な……少ない知り合いだから」
【春川 樹生】
「これから、幾らでもできるよ。人間の友達」
【クロノ】
「うん。……うん。そうだよね」
樹生は食後にと熱燗を出してきて、猪口に注いでくれる。
透明な液体が瀬戸物の器に満ちていく。
俺は空っぽな気持ちでそれを見下ろしていた。
外界で樹生と暮らす内にわかったことがある。
人間と死神の、決定的に違う部分を見つけた。
俺は『誠実』ではなかった。
嘘偽りがなく、真面目で、まごころが感じられるような人柄じゃなかった。
『不誠実』だった。
嘘つきだし、不真面目だし、誰に対しても親身になってなかった。
だから俺が樹生と暮らし始めた時に立てた誓いは、『誠実であること』だった。
