橘 脩二
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橘脩二と三宮万里が出逢ってから、20年以上が経っていた。
三宮玲二の部下であった橘弘文…脩二の父親は、妻である彩音、息子の脩二を連れて度々三宮家に訪れていた為に二人は出逢ったのである。
初めて会った頃、互いに幼い子供であったが、惹かれあうものがあったようだ。
特に脩二は万里を、まるで弟のように可愛がった。
万里の純粋で理不尽な我儘も、嬉しそうに応えるのだ。
三宮家と橘家は互いの家を行き来するだけでなく、外食や旅行にもよく出かけた。
玲二と弘文は部下と上司以上の信頼関係で結ばれていた。
玲二は真面目だが率直にモノを言う弘文を見ていると、癒されるような和むような心地があった。
菜穂子にも万里にも覚えない感情だった。
その為、菜穂子と万里と橘家で集まる時間を、玲二はこの上なく幸せに感じていたのである。
玲二の妻であった菜穂子と、弘文の妻、彩音も仲が良かった。
活発で外交的な彩音と、無口で聞き上手の菜穂子。
自身の持っていない性質に惹かれあったのかもしれない。
そんな経緯で、三宮家と橘家は、二つで一つの家族のようになっていった。
―そうして、彼らは周囲には理解されがたい捩れた関係性をも生んでいた。
彩音は、弘文に玲二を紹介されて、すぐに恋心を抱いた。
脩二が生まれる前の話である。
ただ、具体的な欲望ではなく、女学生が上級生へ密かに想いを寄せるような、ささやかなものだった。
しかし、玲二の方は違う。
彼もまた、彩音を気に入っていた。そして、彼は気に入ったモノを手に入れない、という選択肢等知らないのだ。
あっと言う間に二人は濃密な夜を過ごすようになっていったのだ。
けれど、菜穂子も弘文も、彼らを咎めるような事など一度もない。
菜穂子の心は少しも痛まなかった。
何故なら、玲二は気味が悪い程に菜穂子を愛していたし、菜穂子もそれを知っていたからだ。
寧ろ、玲二の関心が菜穂子以外にも向く事を、菜穂子は喜んでいた。
弘文は決して玲二と彩音の関係性に傷ついていない訳ではなかった。
自分の女が、自分の預かり知らぬところで、別の男の手によって悦びを覚えている…、そう考える程、尋常ではない悲しみと怒りに襲われる。
それでも、玲二を咎めない理由は一つ。
三宮玲二という人間に、心底惚れていたからだ。
彼の利益を、彼が喜ぶ事を…ひいては、彼の生みだす成功を、何よりも大切に思っていた。
玲二は、欲しいものを欲しいだけ貪り、それを力に変えていける男だった。
彼の成功や悦びは、沢山の、他人の犠牲の上で成り立つところがある。
けれど、犠牲となる人間は、自ら進んでその道を選んでいるのだ。
弘文は、代わりに昔より一層彩音を恋しく愛しく想った。
彩音も、最初こそ玲二に恋心を抱いていたが、次第にそれは憎しみに近い感情になっていった。
弘文の実直な愛情を見れば、玲二の好意は愛情とは程遠いものだとすぐに解る。
玩具を弄ぶような、気まぐれな行為を繰り返され、自分がボロボロになっていく。
―それでも彩音は玲二から離れる事が出来なくなっていた。
強い依存や執着心を愛と呼ぶならば、彩音は愛の渦中に閉じ込められていたと言える。
弘文は、そうならざるを得ない彩音を理解し、不思議と夫婦の絆は深まったのだ。
脩二は、そんな父や母の苦悩を、知りながら育った。
知っていたけれど、そんな自身の人生に溺れる、彼らの恍惚も垣間見ていたのだ。
だから、息子である自分も、…誰も、救う事は出来ないのだと、解っていた。
脩二は、両親が覚えるような絶望にも、悲しみにも、夢のような苦痛にも、あまり興味はなかった。
ただ、彼らが幸せであれば、それが大切なことだと思っていたし、実際彼らが不幸だったとはとても思えない。
周囲から見た評価は知らないけれど、少なくとも三宮家に関わって二人が何か失ったものなど、一つもないのだ。
同時期、脩二の万里への関心はより強いものに変わっていった。
万里は、小学校低学年の頃には、子供とは思えない発想や考え方をするようになっていたのだ。
脩二は自身の見聞を、出来る限り万里に伝えるようになった。
彼は、スポンジが水を吸い込むようにそれらを理解し、更に自身の考え方を確立する為、教えている方の脩二が驚かされる。
持って生まれた才能、という言葉だけでは言い表せない。
日々、彼と接する度に、この世の中をいずれ掌握するのは彼なのだろう、という考えが確立していく。
中学にあがった万里は既に、大人と対等に話が出来る少年に育っていた。
美しく、利発で、鮮やかな生命力に溢れる三宮万里は、どんな場に居ても目立ったし、男女問わず惹かれてしまう。
また、無骨な、男性らしい顔立ちの玲二と違い、菜穂子似の万里は中性的な魅力があり、アイドルのように扱われる事まであった。
好奇心旺盛だった万里は、同世代だけでなく、様々な職業、年齢の人間と交流を持ちたがった。人懐っこい少年だったと言えるだろう。
かつ、その誰にも嫌われない、不思議な魅力があったのだ。
橘はこの頃には、万里の行く先々を共にしていたが、こんなにも他人を魅了する人間には二度と出会えないだろう、と感じ、益々彼を誇らしく思った。
「脩二」
同時に、多くの人間に称賛されても、どんなに遠くにいても、自分の名前を呼ぶその瞬間が、好きで好きでたまらなかった。
「今度、脩二のガッコ遊び行っていい?」
「脩二の食ってるやつ、俺にも買って」
「脩二ってもう女とヤッた?」
「なあ、脩二は…」
段々と、少年から大人に成長し、世界が急速に広がっていく過程の中でも、
何故か万里の中心に、いつも存在する事が出来た。
何故、そんな奇跡に恵まれたのか、脩二は今でも解らない。
もしかしたら、そうでありたいという自分の強い願いが、天に届いたのかもしれない…そう思う程に、信じられない幸福だった。
そう、この頃は、幸せ…、だったのだ。
苦しみ、傷み、それらは幸福の欠片でしかなかった。
脩二が、高校生の時分―
弘文と菜穂子が、二人揃って事故死した。
万里を拉致した、という電話が、万里の携帯から、自家用車を運転中の、菜穂子の携帯電話にかかってきたのである。
電話の主は、万里の同級生だった。
万里を拉致して、嬲るのだと…火を付けてじっくりと苦しめて…そして殺してやるのだ、まだ14歳に満たない俺達ならば殺したとして罪にはならない。
もう、今にも死んでしまいそうだから、死ぬ瞬間ぐらいは実況してやろうと思って電話をかけた―
そんな言葉を吐く少年達の後ろから、万里の、息絶えそうな、苦痛を訴える叫び声が聞こえる。
菜穂子はそこで、狂人のような叫び声をあげ…ハンドルを切り損ね……、
ガードレールに激突した。
菜穂子は即死だった。
そして…弘文はその助手席に座っていたのだ。
彼は、しばらく息があった形跡があり……、けれど数分後には息絶えた。
後になって解った事だが、万里は特別、生命を危険になどさらされていなかった。
あの叫び声は、別の、似た人間のもので、実際その場に万里は居たが単に、手足を拘束されていたに過ぎない。
子供同士の、下らない恨みつらみに巻き込まれ…馬鹿馬鹿しい、とため息を吐いていた。
だから、まさか…菜穂子があんなにも動転するなんて、夢にも思わなかったのだ。
菜穂子は自分より玲二を好きなのだと子供心に思っていた万里だったが、
皮肉なことにこの事件によって、菜穂子の強い愛情を感じたようだった。
「脩二…………」
凛とした喪服姿で葬儀を終えた後、気だるそうに自分の名前を呼び立ちつくす万里。
脩二は黙ってその声に応えて、彼を抱き寄せた。
震えが止まるまで抱きしめていたけれど、朝まで彼が涙を見せる事はなかった。
疲れ果て、眠りに落ちていった時に、初めて、嗚咽のような声をあげるのだった。
強い罪悪感によって、人前で泣く事等赦されないと思っているのかもしれない―
玲二には―何故、二人が揃って車に乗っていたのか解らなかった。
あんな時間に、二人きりで車に乗るような関係だったのだろうか…
それとも何かの偶然が重なって…?
……けれど、最早そんな事はどうでもよかった。
人生の全てとも思えた二人を、同時に失ったのである。
玲二は知らなかった。
自分が、弘文によって、菜穂子によって、生かされていたのだということを。
彼らの事故死以降、玲二は死人の目をするようになった。
弘文の妻ではない彩音への興味は急速に失われ、仕事に没頭するようになり、家にも帰らなくなった。
一方、弘文を永遠に失っただけではなく、玲二からの寵愛も取り上げられた彩音は、次第に壊れていった。
脩二は彼女に同情し、彼女にとって良い息子であろうと思わない事もなかった。
けれど、彩音は事故の元凶になった万里を強く憎むようになり、脩二の彼女への愛情はそれに反比例するように薄まっていった。
彩音や玲二が壊れゆく中、万里の放つ光は衰えず、すくすくと一層そのいろどりを鮮やかにしていったので、脩二は深く安心した。
アンナコトがあった後でも…家に寄りつかない父のことを恨む事もなく、歳の離れた妹の面倒を見る。
友人に囲まれ、時には夜遊びを楽しむ。
少し勝気で我儘だけれど、健全に成長しているのだ。
悲しみも苦しみも、おくびにも出さずに。
そうする事が唯一の償いと思っているのか、あんな恐ろしい事件等なかったかのように。
彼が大学に進んでも、自分の関係が切れる事はなく、脩二は彼の成長を間近で感じる、というポジションを守る事が出来たのだった。
脩二は万里より早く大学を卒業し、社会に出た。
その頃には、異常な彩音の干渉を受ける事になっていたが、気にはならなかった。
ただ、万里に会うな、という命令だけは聞く事が出来なかった為に、秘密が増えていった。
万里が健やかに育ち、そして玲二と共に会社を盛り立ててゆくのだろう
そんな未来に、脩二も万里も想いを寄せていたに違いない。
……けれど、現実は違っていた。
玲二は、菜穂子の死の原因になったお前を殺したい程憎んでいる、そう、万里に言い残して失踪してしまったのだ。
近くに居れば、いずれお前を殺してしまう、そんな告白を添えて。
――今度は、万里が壊れる番だった。
自分の為に母を失い、そしてもはや父だった人間は他人として自分の元を遠く離れていった。
他の人間には解らない、微妙な変化を少しずつ重ねて、自分を失っていく万里。
そうして脩二は初めて―、自分は万里の才能に惹かれているのではない、と理解した。
健やかな彼も…崩れゆく彼も、どんな時も、彼自身が、彼の魂がただただ愛しくてならないのだと。
だからこそ…誰を犠牲にしても、彩音がそれによって崩落しても
万里の傍で生きていこう、と決意したのだった。
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三宮玲二の部下であった橘弘文…脩二の父親は、妻である彩音、息子の脩二を連れて度々三宮家に訪れていた為に二人は出逢ったのである。
初めて会った頃、互いに幼い子供であったが、惹かれあうものがあったようだ。
特に脩二は万里を、まるで弟のように可愛がった。
万里の純粋で理不尽な我儘も、嬉しそうに応えるのだ。
三宮家と橘家は互いの家を行き来するだけでなく、外食や旅行にもよく出かけた。
玲二と弘文は部下と上司以上の信頼関係で結ばれていた。
玲二は真面目だが率直にモノを言う弘文を見ていると、癒されるような和むような心地があった。
菜穂子にも万里にも覚えない感情だった。
その為、菜穂子と万里と橘家で集まる時間を、玲二はこの上なく幸せに感じていたのである。
玲二の妻であった菜穂子と、弘文の妻、彩音も仲が良かった。
活発で外交的な彩音と、無口で聞き上手の菜穂子。
自身の持っていない性質に惹かれあったのかもしれない。
そんな経緯で、三宮家と橘家は、二つで一つの家族のようになっていった。
―そうして、彼らは周囲には理解されがたい捩れた関係性をも生んでいた。
彩音は、弘文に玲二を紹介されて、すぐに恋心を抱いた。
脩二が生まれる前の話である。
ただ、具体的な欲望ではなく、女学生が上級生へ密かに想いを寄せるような、ささやかなものだった。
しかし、玲二の方は違う。
彼もまた、彩音を気に入っていた。そして、彼は気に入ったモノを手に入れない、という選択肢等知らないのだ。
あっと言う間に二人は濃密な夜を過ごすようになっていったのだ。
けれど、菜穂子も弘文も、彼らを咎めるような事など一度もない。
菜穂子の心は少しも痛まなかった。
何故なら、玲二は気味が悪い程に菜穂子を愛していたし、菜穂子もそれを知っていたからだ。
寧ろ、玲二の関心が菜穂子以外にも向く事を、菜穂子は喜んでいた。
弘文は決して玲二と彩音の関係性に傷ついていない訳ではなかった。
自分の女が、自分の預かり知らぬところで、別の男の手によって悦びを覚えている…、そう考える程、尋常ではない悲しみと怒りに襲われる。
それでも、玲二を咎めない理由は一つ。
三宮玲二という人間に、心底惚れていたからだ。
彼の利益を、彼が喜ぶ事を…ひいては、彼の生みだす成功を、何よりも大切に思っていた。
玲二は、欲しいものを欲しいだけ貪り、それを力に変えていける男だった。
彼の成功や悦びは、沢山の、他人の犠牲の上で成り立つところがある。
けれど、犠牲となる人間は、自ら進んでその道を選んでいるのだ。
弘文は、代わりに昔より一層彩音を恋しく愛しく想った。
彩音も、最初こそ玲二に恋心を抱いていたが、次第にそれは憎しみに近い感情になっていった。
弘文の実直な愛情を見れば、玲二の好意は愛情とは程遠いものだとすぐに解る。
玩具を弄ぶような、気まぐれな行為を繰り返され、自分がボロボロになっていく。
―それでも彩音は玲二から離れる事が出来なくなっていた。
強い依存や執着心を愛と呼ぶならば、彩音は愛の渦中に閉じ込められていたと言える。
弘文は、そうならざるを得ない彩音を理解し、不思議と夫婦の絆は深まったのだ。
脩二は、そんな父や母の苦悩を、知りながら育った。
知っていたけれど、そんな自身の人生に溺れる、彼らの恍惚も垣間見ていたのだ。
だから、息子である自分も、…誰も、救う事は出来ないのだと、解っていた。
脩二は、両親が覚えるような絶望にも、悲しみにも、夢のような苦痛にも、あまり興味はなかった。
ただ、彼らが幸せであれば、それが大切なことだと思っていたし、実際彼らが不幸だったとはとても思えない。
周囲から見た評価は知らないけれど、少なくとも三宮家に関わって二人が何か失ったものなど、一つもないのだ。
同時期、脩二の万里への関心はより強いものに変わっていった。
万里は、小学校低学年の頃には、子供とは思えない発想や考え方をするようになっていたのだ。
脩二は自身の見聞を、出来る限り万里に伝えるようになった。
彼は、スポンジが水を吸い込むようにそれらを理解し、更に自身の考え方を確立する為、教えている方の脩二が驚かされる。
持って生まれた才能、という言葉だけでは言い表せない。
日々、彼と接する度に、この世の中をいずれ掌握するのは彼なのだろう、という考えが確立していく。
中学にあがった万里は既に、大人と対等に話が出来る少年に育っていた。
美しく、利発で、鮮やかな生命力に溢れる三宮万里は、どんな場に居ても目立ったし、男女問わず惹かれてしまう。
また、無骨な、男性らしい顔立ちの玲二と違い、菜穂子似の万里は中性的な魅力があり、アイドルのように扱われる事まであった。
好奇心旺盛だった万里は、同世代だけでなく、様々な職業、年齢の人間と交流を持ちたがった。人懐っこい少年だったと言えるだろう。
かつ、その誰にも嫌われない、不思議な魅力があったのだ。
橘はこの頃には、万里の行く先々を共にしていたが、こんなにも他人を魅了する人間には二度と出会えないだろう、と感じ、益々彼を誇らしく思った。
「脩二」
同時に、多くの人間に称賛されても、どんなに遠くにいても、自分の名前を呼ぶその瞬間が、好きで好きでたまらなかった。
「今度、脩二のガッコ遊び行っていい?」
「脩二の食ってるやつ、俺にも買って」
「脩二ってもう女とヤッた?」
「なあ、脩二は…」
段々と、少年から大人に成長し、世界が急速に広がっていく過程の中でも、
何故か万里の中心に、いつも存在する事が出来た。
何故、そんな奇跡に恵まれたのか、脩二は今でも解らない。
もしかしたら、そうでありたいという自分の強い願いが、天に届いたのかもしれない…そう思う程に、信じられない幸福だった。
そう、この頃は、幸せ…、だったのだ。
苦しみ、傷み、それらは幸福の欠片でしかなかった。
脩二が、高校生の時分―
弘文と菜穂子が、二人揃って事故死した。
万里を拉致した、という電話が、万里の携帯から、自家用車を運転中の、菜穂子の携帯電話にかかってきたのである。
電話の主は、万里の同級生だった。
万里を拉致して、嬲るのだと…火を付けてじっくりと苦しめて…そして殺してやるのだ、まだ14歳に満たない俺達ならば殺したとして罪にはならない。
もう、今にも死んでしまいそうだから、死ぬ瞬間ぐらいは実況してやろうと思って電話をかけた―
そんな言葉を吐く少年達の後ろから、万里の、息絶えそうな、苦痛を訴える叫び声が聞こえる。
菜穂子はそこで、狂人のような叫び声をあげ…ハンドルを切り損ね……、
ガードレールに激突した。
菜穂子は即死だった。
そして…弘文はその助手席に座っていたのだ。
彼は、しばらく息があった形跡があり……、けれど数分後には息絶えた。
後になって解った事だが、万里は特別、生命を危険になどさらされていなかった。
あの叫び声は、別の、似た人間のもので、実際その場に万里は居たが単に、手足を拘束されていたに過ぎない。
子供同士の、下らない恨みつらみに巻き込まれ…馬鹿馬鹿しい、とため息を吐いていた。
だから、まさか…菜穂子があんなにも動転するなんて、夢にも思わなかったのだ。
菜穂子は自分より玲二を好きなのだと子供心に思っていた万里だったが、
皮肉なことにこの事件によって、菜穂子の強い愛情を感じたようだった。
「脩二…………」
凛とした喪服姿で葬儀を終えた後、気だるそうに自分の名前を呼び立ちつくす万里。
脩二は黙ってその声に応えて、彼を抱き寄せた。
震えが止まるまで抱きしめていたけれど、朝まで彼が涙を見せる事はなかった。
疲れ果て、眠りに落ちていった時に、初めて、嗚咽のような声をあげるのだった。
強い罪悪感によって、人前で泣く事等赦されないと思っているのかもしれない―
玲二には―何故、二人が揃って車に乗っていたのか解らなかった。
あんな時間に、二人きりで車に乗るような関係だったのだろうか…
それとも何かの偶然が重なって…?
……けれど、最早そんな事はどうでもよかった。
人生の全てとも思えた二人を、同時に失ったのである。
玲二は知らなかった。
自分が、弘文によって、菜穂子によって、生かされていたのだということを。
彼らの事故死以降、玲二は死人の目をするようになった。
弘文の妻ではない彩音への興味は急速に失われ、仕事に没頭するようになり、家にも帰らなくなった。
一方、弘文を永遠に失っただけではなく、玲二からの寵愛も取り上げられた彩音は、次第に壊れていった。
脩二は彼女に同情し、彼女にとって良い息子であろうと思わない事もなかった。
けれど、彩音は事故の元凶になった万里を強く憎むようになり、脩二の彼女への愛情はそれに反比例するように薄まっていった。
彩音や玲二が壊れゆく中、万里の放つ光は衰えず、すくすくと一層そのいろどりを鮮やかにしていったので、脩二は深く安心した。
アンナコトがあった後でも…家に寄りつかない父のことを恨む事もなく、歳の離れた妹の面倒を見る。
友人に囲まれ、時には夜遊びを楽しむ。
少し勝気で我儘だけれど、健全に成長しているのだ。
悲しみも苦しみも、おくびにも出さずに。
そうする事が唯一の償いと思っているのか、あんな恐ろしい事件等なかったかのように。
彼が大学に進んでも、自分の関係が切れる事はなく、脩二は彼の成長を間近で感じる、というポジションを守る事が出来たのだった。
脩二は万里より早く大学を卒業し、社会に出た。
その頃には、異常な彩音の干渉を受ける事になっていたが、気にはならなかった。
ただ、万里に会うな、という命令だけは聞く事が出来なかった為に、秘密が増えていった。
万里が健やかに育ち、そして玲二と共に会社を盛り立ててゆくのだろう
そんな未来に、脩二も万里も想いを寄せていたに違いない。
……けれど、現実は違っていた。
玲二は、菜穂子の死の原因になったお前を殺したい程憎んでいる、そう、万里に言い残して失踪してしまったのだ。
近くに居れば、いずれお前を殺してしまう、そんな告白を添えて。
――今度は、万里が壊れる番だった。
自分の為に母を失い、そしてもはや父だった人間は他人として自分の元を遠く離れていった。
他の人間には解らない、微妙な変化を少しずつ重ねて、自分を失っていく万里。
そうして脩二は初めて―、自分は万里の才能に惹かれているのではない、と理解した。
健やかな彼も…崩れゆく彼も、どんな時も、彼自身が、彼の魂がただただ愛しくてならないのだと。
だからこそ…誰を犠牲にしても、彩音がそれによって崩落しても
万里の傍で生きていこう、と決意したのだった。
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