十条 拓哉
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「拓哉!会社を立ち上げるって…、何あのメール!!」
帝都医科大学の学食で、ごく珍しい、松木候星の叫び声が響いた。
「何って、メールの通りだ」
十条拓哉は中華丼にハシを伸ばしながら、事も無げに答える。
その様子に松木はやれやれ、と穏やかな笑みを浮かべて、向かいの席に座った。
「前から言ってた…お姉さんの……為?」
「………まぁ、…キッカケはそうだな」
脊髄小脳変性症。
十条の、姉の子供が発症している難病だ。その中でも幼児期に発症する珍しい型であり―治癒に必要な新薬研究の為、十条は医師の道ではなく、バイオベンチャーの立ち上げに踏み切った。
―7歳離れた、姉のことが、幼い頃から十条は気がかりだった。
可愛らしい顔立ちをしているのに、いつも最低の男に騙されて捨てられる。
恋愛に限らず、十条にとって簡単に出来る事が姉はままならない―、勉強や仕事、人間関係すべてにおいて不器用だった。
そんな姉がやっと、信頼できる男を捕まえて、実家に連れて来た。十条が高校生の時の事だ。
将来義兄となるその男は―優しく、包容力のある人物で、十条は心底安心した。
それから二人は結婚し…8年前子供が生まれたのだが―常に原因不明の体調不良がみられ…色々な医師をあたったところ、脊髄小脳変性症と診断された…。
現在では治療方法がなく、新薬の開発が必要だが、まだ研究途中の段階である。
しかし研究を精力的に進めていた会社の意向が変わり、研究が頓挫している事を知った。
そこで、十条は自ら会社を立ち上げ、新薬の研究を行う事を決意したのだった。
「じゃあ……試験も受けないの?」
「ああ。卒業はするけどな」
両親の為に一応卒業はするつもりだが、医師国家試験も、研修も受けないと決めている。
無論…この道を決断した時、家族には強く反対され、悲しまれもした。けれど、自分でも不思議な程―自身の選択を絶対だ、と思えるところがあり、どうしても譲れなかった…。
「拓哉……お医者さん絶対、向いてるのに」
「そりゃお前だろ。お節介な奴が合ってる」
「そうかな?拓哉は私生活は滅茶苦茶だけど医療については誰よりも熱心じゃない。それがなかったら拓哉なんてただのロクデナシなんだから、医者にならないとダメだと思うけど」
「………それ……褒めてねえよな」
あはは、と松木は無邪気に笑う。
皮肉なのか純粋に言ってるのか相変わらず読めないが、彼の笑顔に癒される事は少なくなかった。
「社長さんになったら、拓哉益々ご飯食べなそう」
「いや、俺は社長じゃねーよ。柄じゃないからな」
「そうなんだ?」
「親戚のツテで…色んな奴紹介して貰ったんだ。社長は研究一筋のおっさん」
「おっさん……」
「俺は資金繰りとか、広報とか、財務とかこまごました事中心だな」
「…拓哉、楽しそう」
「確かに、楽しいかもな」
「皆で何か作るって、わくわくするもんね」
松木の言葉通り、十条は不安や疲弊より、高揚感の方が大きかった。
金銭面で大変な事も多いが、たった一人で患者の病気と立ち向かう医師よりも、こちらの方が自分には向いているかもしれない。
十条は医学部を卒業してから半年後、「株式会社ベリル」を立ち上げた。
出資先も決まり―幸いな事に、メンバーには恵まれ研究は少しずつ成果をあげていったのである。成果と十条のルックス・経歴からメディアに取り上げられる事も増えていった。
―しかし。それから数年後…どうしようも出来ないトラブルに見舞われた。
立ち上げ当初から出資を約束してくれていた会社が経営破綻の危機を迎え、出資が打ちきられたのである。
補助金は微々たるもので、とてもこのままでは立ちいかない。
そこで、別の出資会社を見つけてきたのだったが…
―契約まで交わしていたその企業が、突然約束を反古にしたのである。
すぐに十条は、担当窓口の人間の元へ訪問した―
仰々しい、奥の個室に案内される。
茶を出されるが手をつける気にもならず、早々に本題を切りだす十条だったが担当者はのらりくらりと決定的な言葉を避けていた。
「私に何か不備が…っ」
「―君の所為ではないよ、十条くん。すまないね」
食い下がる十条に根負けしたよう、担当は口を開く。
聞けば、大口の取引先が新薬の開発に力を入れ始めたらしく―、
弱小ながら名をあげているベリルを快く思っていないその企業から圧力がかかったようだ。
「可哀そうにねえ…十条くん。………君個人への私怨が根本的な理由だよ」
「は…………?」
「帝都医科大学を好成績で卒業したにも関わらず期待を裏切ってバイオベンチャーを立ち上げた…、けれどその研究はこれまでにない成果をあげて…マスコミにも激しくもてはやされる。―なんて恰好いいんだろうね。その上君はハンサムだから…さぞかし女性にもモテるんじゃないかな」
「……??意味が…よく………」
「取引先のね、……取締役の息子さんも帝都医大出身らしいんだけど」
ここだけの話、とその担当は眉をひそめて言った。
「君に女を盗られた―と思っているそうだよ」…と。
聞けば、以前十条が付き合っていた女へ息子とやらは勝手に想いを寄せていたらしく…十条に奪われたものと感じているそうだ。
しかも出来が悪いその男は、勤務先でも失敗を重ねているようで…それら全て十条拓哉の所為だと思いこむようになっているというから厄介だった。
「……君のことは…個人的にとても買っていたから…正直に話してしまったけど。この件は他言無用で頼むよ。口外したところで…一番損をするのは君だろうしね」
「ああ…この件で裁判を起こしてくれたって構わないんだよ。突然君達を切ったのは我々だからね。ただ―その場合私は優秀な弁護士を雇うし、君達がそんな事に時間を費やす余裕もあるようには見えないが…」
そう付け加え、担当者は部屋を出て行った。
(―……何だよそりゃ……っ…!)
有り得ない―馬鹿げた理由で…あっさりと…けれど決定的なピンチを…ベリルは迎える事になってしまった。
無論、ただ嘆いている訳にもいかないので十条は様々な企業に出資を持ちかけた。
けれど、例の取引先―が糸を引いているのか、すべて門前払い。話を聞いてくれる会社すら無かった。
それでも十条は連日、社に戻る事もなく様々な会社へ飛び込みの訪問を行ったが、徒労に終わった。
ぼろぼろの身体を抱えて、―22時過ぎ頃、繁華街から少し外れたところを一人歩く十条。
以前はよく通っていたバーにふらりと入店した。
「―………っ……くだら、ねぇ……」
久しぶりに煙草の煙を吸い込み―、ウィスキーをロックであおる。
十条が好んで飲むストラスアイラの12年物だったが、味は全く解らなかった。
また、飲めば飲む程体が冴えわたり、酔えそうにもない。けれど疲れから、体は鉛のように重たくて…。
―涙がこみあがってきているのに、何故か口元は笑いを浮かべていた。
(―……どうすんだよ…コレ)
(俺はいい、俺はいいんだよ………あいつら…どうすれば…)
立ち上げの際、十条の熱意に負けて、大手から十条の会社に転職した研究者達。
このままでは彼らの人生をめちゃくちゃにしてしまう―
親に頼る事も出来ない。きっと彼らは―ボロボロになった自分を見て酷く心配し―、これを期に事業はやめてくれ、今からでも医者の道を……と切実な説得にかかるに違いないからだ。
(くそ………ッ)
十条はこんな時、誰に連絡を取っていいか解らなった。
―これまで起きた問題は、誰に相談もせず、すべて自分で解決してきたからだ…。
ふと優しい眼差しの松木の顔がよみがえる…
けれど、会社の立ち上げや日々の業務で忙しかった為に松木からのメールに、ここ1年は殆ど返信が出来ていなかった。
そんな自分が今更…それも弱っているから慰めろと言わんばかりの連絡をする等、人間としての矜持が崩れていくように思われた―
「落ちましたよ」
「―…あ…?」
不意に、カウンターの隣の席の人物に話しかけられる。
顔を向ければ、酷く威圧感のある男がいつのまにか自分が落としたらしいライターを持って微笑んでいた。
「……有難うございます」
何となく視線を合わせると―
(?この男……どこかで………)
うまく働かない頭が、記憶をたぐりよせ始めた。
彫刻のように整った顔立ち、不遜な出で立ち…吸い込まれるような視線…明らかに見覚えのある人物なのだ。
(…!まさか………)
―三宮万里―
三宮玲二の一人息子で―玲二の失踪後すぐに傘下企業での社長就任が決まり、酷く話題になった男だ。
それも、単に就任しただけでなく、程なくして売上増を成し遂げている―やり手…だと、新聞には書かれていた…
(間違いない…っ)
改めて彼を見つめれば―そのスーツも、靴も全て一級品だった。
はじかれるように、十条は声をかける。
「あ…の……、…っ」
「何でしょう」
「突然…申し訳ありません、私ベリルの十条と申しまして……」
TPO等考える余裕もなく。十条は一筋の光に必死でしがみいた。
三宮グループからの出資、という一縷の望み―
そうしてすべての経緯を話すと、三宮万里は人のいい笑顔を見せ、翌日会社に来るように、と言う。
十条は、ゆったりと細められた瞳に吸い込まれるような気分で夜に溶けていった―。
翌日、十条は三宮万里の言いつけ通りの時間、彼のオフィスに訪問していた。
社長室を開けると、昨夜遅くまで飲んでいたとは思えない、颯爽とした様子の万里に出迎えられる。
「こんにちは。十条さん。お体の調子はいかがですか?」
「あ―………はい……大丈夫、です………」
昨夜は、経緯を説明する中で―自分でも堪え切れない悲しみが襲ってきて、つい深酒をしてしまったのだった。
十条は少しバツが悪そうに万里に対面する形で、上質な素材で作られているであろう椅子に腰かけた。
こうして改めて万里と対峙していると…そこだけ空気の密度が濃く、否応なしに鼓動が高められるようだ。
メディア等で伝えられている年齢が正しければあれば自分よりも年下らしいけれど…。
確かにあどけなさも残しているような気がしたが、それすらも圧倒的な魅力の一部であるように思われた。
「十条さん…私、貴方のこと少し調べましたよ」
「…………」
「―あんな事で出資が打ち切られるだなんて…災難でしたね」
「…………いえ……自分の行いが良くなかったんでしょう」
殊勝な面持ちで十条は答えた。
「それで―出資の件ですが。もう少し貴方という人となりを知りたくて」
「人となり…」
「そう―例えば……」
「……?」
突然椅子から降りて…十条の方に歩み寄ってくる万里…
「っ…ん………?!」
怪訝に思っていたら―突然、胸倉を掴まれて…キス、をされて…る…?!
「……に、………っふ………」
舌が入ってきて、十条は頭を酷く混乱させたが、立場上万里を突き放す事も出来ず、その時間を耐えた。
しかし耐えているうちに―的確に口内のポイントを刺激してくる熱を…体が快感と捉え始めてしまっていた。
「ふ……、はは。男にキスされて喜ぶ人となり…ってか」
「…っ…急に、何を…っ…」
「あんたが虐めて欲しいってツラしてるからだろ」
「っして、ません……!」
「嘘吐け。口ん中掻き回しただけでこんなに期待して…」
「―ち……が………っ………!」
万里に中心の昂ぶりを指摘され…十条は頬をカアっと熱くさせる。
「違う?―その回答で…出資主が喜ぶとでも思うか?」
「…………!」
「俺が、十条拓哉という人間には価値がある…と判断すればあんたは金を手に出来る。単純だろ」
「…………!!!」
あまりにも理不尽な言い草。…けれど、十条に選択権はなかった。
「……っ…………………っ…と……」
「聞えねーよ」
「……もっと、……欲しい、です……………」
「へえ。」
「…………っ……」
つまらなそうに相槌を打つ万里。
これ以上何を言えばいいのか解らない―けれど黙っているだけではこの男にとって「価値のある人間」にはなれないのだ。
十条はうつむきながら、うわ言のように、必死で続けた。
「…なん……でも…、します、から………お、ねが……っい、です……お願い、します……っ」
馬鹿げている。馬鹿げている。馬鹿げている!
十条は正気を保つため心の中で叫んだ。
その様子を万里は黙って観察し―それから、
「解りました。ベリルに出資しましょう」
と落ち着き払った声で言い放つ。
「…………っ……」
「出資の交渉の際…見栄やプライドを捨てきれない方も多いのですよ。自社製品の良さを謳うばかり…貴方のように自分を捨てでも出資を望む方とだけお約束させて頂いています」
事も無げに…先ほどまでの事は交渉の一貫に過ぎない、何をそんなに慌てている?…という様子で三宮万里は言った。
けれどその瞳の奥は、冷笑、嗜虐、侮蔑で妖しく光っている―…
(コイツは―……他人を物みたいに弄んで……楽しそうに……っ)
十条は煮えたぎるような憎悪と自己嫌悪で息苦しくなりながらも、―念願の…出資における手続きを進めるしかなかった。
それから―程なくして、約束通り、三宮からベリルへの出資は始まったのだった。
度々三宮から十条は呼びだされ、仕事帰り、酒だったり食事だったりに付き合わされるようになっていく。
万里は仕事に対しては常に真摯で、会う程にその姿勢へ好感を持っていった。また、自分が持ちえない…統率力、判断力に見惚れる事すらあったのだ。
が、同時に―堪らない恐怖感に包まれる事がある。
いつまた行為を強要されるかもしれない―といった意味でのものと―
その時、再び体が悦びを訴えてしまうのではないか―といった意味でのものだった。
(俺は―違う……あんな事は……)
口ん中掻き回しただけでこんなに期待して…。
万里の言葉がリフレインする度、十条は強い酒をあおり、眠りにつく。
時には、昔馴染みの女を呼びだす事もあったが…何処か甘えるようにぬくもりを求める自分が居て、居心地が悪かった。
また、仕事が落ち着き、再び松木候星と会うようになったが、彼に対しても…これまでの自分には無かった、女のように弱い部分を吐きだしてしまいそうで、眩暈がする。
あの一件以来、自分は酷く弱い生き物に成り下がってしまったんだろうか。
胸を抉る衝撃。
十条の心の奥に深く刺さって、いつまでも抜ける事はなかった。
fin
帝都医科大学の学食で、ごく珍しい、松木候星の叫び声が響いた。
「何って、メールの通りだ」
十条拓哉は中華丼にハシを伸ばしながら、事も無げに答える。
その様子に松木はやれやれ、と穏やかな笑みを浮かべて、向かいの席に座った。
「前から言ってた…お姉さんの……為?」
「………まぁ、…キッカケはそうだな」
脊髄小脳変性症。
十条の、姉の子供が発症している難病だ。その中でも幼児期に発症する珍しい型であり―治癒に必要な新薬研究の為、十条は医師の道ではなく、バイオベンチャーの立ち上げに踏み切った。
―7歳離れた、姉のことが、幼い頃から十条は気がかりだった。
可愛らしい顔立ちをしているのに、いつも最低の男に騙されて捨てられる。
恋愛に限らず、十条にとって簡単に出来る事が姉はままならない―、勉強や仕事、人間関係すべてにおいて不器用だった。
そんな姉がやっと、信頼できる男を捕まえて、実家に連れて来た。十条が高校生の時の事だ。
将来義兄となるその男は―優しく、包容力のある人物で、十条は心底安心した。
それから二人は結婚し…8年前子供が生まれたのだが―常に原因不明の体調不良がみられ…色々な医師をあたったところ、脊髄小脳変性症と診断された…。
現在では治療方法がなく、新薬の開発が必要だが、まだ研究途中の段階である。
しかし研究を精力的に進めていた会社の意向が変わり、研究が頓挫している事を知った。
そこで、十条は自ら会社を立ち上げ、新薬の研究を行う事を決意したのだった。
「じゃあ……試験も受けないの?」
「ああ。卒業はするけどな」
両親の為に一応卒業はするつもりだが、医師国家試験も、研修も受けないと決めている。
無論…この道を決断した時、家族には強く反対され、悲しまれもした。けれど、自分でも不思議な程―自身の選択を絶対だ、と思えるところがあり、どうしても譲れなかった…。
「拓哉……お医者さん絶対、向いてるのに」
「そりゃお前だろ。お節介な奴が合ってる」
「そうかな?拓哉は私生活は滅茶苦茶だけど医療については誰よりも熱心じゃない。それがなかったら拓哉なんてただのロクデナシなんだから、医者にならないとダメだと思うけど」
「………それ……褒めてねえよな」
あはは、と松木は無邪気に笑う。
皮肉なのか純粋に言ってるのか相変わらず読めないが、彼の笑顔に癒される事は少なくなかった。
「社長さんになったら、拓哉益々ご飯食べなそう」
「いや、俺は社長じゃねーよ。柄じゃないからな」
「そうなんだ?」
「親戚のツテで…色んな奴紹介して貰ったんだ。社長は研究一筋のおっさん」
「おっさん……」
「俺は資金繰りとか、広報とか、財務とかこまごました事中心だな」
「…拓哉、楽しそう」
「確かに、楽しいかもな」
「皆で何か作るって、わくわくするもんね」
松木の言葉通り、十条は不安や疲弊より、高揚感の方が大きかった。
金銭面で大変な事も多いが、たった一人で患者の病気と立ち向かう医師よりも、こちらの方が自分には向いているかもしれない。
十条は医学部を卒業してから半年後、「株式会社ベリル」を立ち上げた。
出資先も決まり―幸いな事に、メンバーには恵まれ研究は少しずつ成果をあげていったのである。成果と十条のルックス・経歴からメディアに取り上げられる事も増えていった。
―しかし。それから数年後…どうしようも出来ないトラブルに見舞われた。
立ち上げ当初から出資を約束してくれていた会社が経営破綻の危機を迎え、出資が打ちきられたのである。
補助金は微々たるもので、とてもこのままでは立ちいかない。
そこで、別の出資会社を見つけてきたのだったが…
―契約まで交わしていたその企業が、突然約束を反古にしたのである。
すぐに十条は、担当窓口の人間の元へ訪問した―
仰々しい、奥の個室に案内される。
茶を出されるが手をつける気にもならず、早々に本題を切りだす十条だったが担当者はのらりくらりと決定的な言葉を避けていた。
「私に何か不備が…っ」
「―君の所為ではないよ、十条くん。すまないね」
食い下がる十条に根負けしたよう、担当は口を開く。
聞けば、大口の取引先が新薬の開発に力を入れ始めたらしく―、
弱小ながら名をあげているベリルを快く思っていないその企業から圧力がかかったようだ。
「可哀そうにねえ…十条くん。………君個人への私怨が根本的な理由だよ」
「は…………?」
「帝都医科大学を好成績で卒業したにも関わらず期待を裏切ってバイオベンチャーを立ち上げた…、けれどその研究はこれまでにない成果をあげて…マスコミにも激しくもてはやされる。―なんて恰好いいんだろうね。その上君はハンサムだから…さぞかし女性にもモテるんじゃないかな」
「……??意味が…よく………」
「取引先のね、……取締役の息子さんも帝都医大出身らしいんだけど」
ここだけの話、とその担当は眉をひそめて言った。
「君に女を盗られた―と思っているそうだよ」…と。
聞けば、以前十条が付き合っていた女へ息子とやらは勝手に想いを寄せていたらしく…十条に奪われたものと感じているそうだ。
しかも出来が悪いその男は、勤務先でも失敗を重ねているようで…それら全て十条拓哉の所為だと思いこむようになっているというから厄介だった。
「……君のことは…個人的にとても買っていたから…正直に話してしまったけど。この件は他言無用で頼むよ。口外したところで…一番損をするのは君だろうしね」
「ああ…この件で裁判を起こしてくれたって構わないんだよ。突然君達を切ったのは我々だからね。ただ―その場合私は優秀な弁護士を雇うし、君達がそんな事に時間を費やす余裕もあるようには見えないが…」
そう付け加え、担当者は部屋を出て行った。
(―……何だよそりゃ……っ…!)
有り得ない―馬鹿げた理由で…あっさりと…けれど決定的なピンチを…ベリルは迎える事になってしまった。
無論、ただ嘆いている訳にもいかないので十条は様々な企業に出資を持ちかけた。
けれど、例の取引先―が糸を引いているのか、すべて門前払い。話を聞いてくれる会社すら無かった。
それでも十条は連日、社に戻る事もなく様々な会社へ飛び込みの訪問を行ったが、徒労に終わった。
ぼろぼろの身体を抱えて、―22時過ぎ頃、繁華街から少し外れたところを一人歩く十条。
以前はよく通っていたバーにふらりと入店した。
「―………っ……くだら、ねぇ……」
久しぶりに煙草の煙を吸い込み―、ウィスキーをロックであおる。
十条が好んで飲むストラスアイラの12年物だったが、味は全く解らなかった。
また、飲めば飲む程体が冴えわたり、酔えそうにもない。けれど疲れから、体は鉛のように重たくて…。
―涙がこみあがってきているのに、何故か口元は笑いを浮かべていた。
(―……どうすんだよ…コレ)
(俺はいい、俺はいいんだよ………あいつら…どうすれば…)
立ち上げの際、十条の熱意に負けて、大手から十条の会社に転職した研究者達。
このままでは彼らの人生をめちゃくちゃにしてしまう―
親に頼る事も出来ない。きっと彼らは―ボロボロになった自分を見て酷く心配し―、これを期に事業はやめてくれ、今からでも医者の道を……と切実な説得にかかるに違いないからだ。
(くそ………ッ)
十条はこんな時、誰に連絡を取っていいか解らなった。
―これまで起きた問題は、誰に相談もせず、すべて自分で解決してきたからだ…。
ふと優しい眼差しの松木の顔がよみがえる…
けれど、会社の立ち上げや日々の業務で忙しかった為に松木からのメールに、ここ1年は殆ど返信が出来ていなかった。
そんな自分が今更…それも弱っているから慰めろと言わんばかりの連絡をする等、人間としての矜持が崩れていくように思われた―
「落ちましたよ」
「―…あ…?」
不意に、カウンターの隣の席の人物に話しかけられる。
顔を向ければ、酷く威圧感のある男がいつのまにか自分が落としたらしいライターを持って微笑んでいた。
「……有難うございます」
何となく視線を合わせると―
(?この男……どこかで………)
うまく働かない頭が、記憶をたぐりよせ始めた。
彫刻のように整った顔立ち、不遜な出で立ち…吸い込まれるような視線…明らかに見覚えのある人物なのだ。
(…!まさか………)
―三宮万里―
三宮玲二の一人息子で―玲二の失踪後すぐに傘下企業での社長就任が決まり、酷く話題になった男だ。
それも、単に就任しただけでなく、程なくして売上増を成し遂げている―やり手…だと、新聞には書かれていた…
(間違いない…っ)
改めて彼を見つめれば―そのスーツも、靴も全て一級品だった。
はじかれるように、十条は声をかける。
「あ…の……、…っ」
「何でしょう」
「突然…申し訳ありません、私ベリルの十条と申しまして……」
TPO等考える余裕もなく。十条は一筋の光に必死でしがみいた。
三宮グループからの出資、という一縷の望み―
そうしてすべての経緯を話すと、三宮万里は人のいい笑顔を見せ、翌日会社に来るように、と言う。
十条は、ゆったりと細められた瞳に吸い込まれるような気分で夜に溶けていった―。
翌日、十条は三宮万里の言いつけ通りの時間、彼のオフィスに訪問していた。
社長室を開けると、昨夜遅くまで飲んでいたとは思えない、颯爽とした様子の万里に出迎えられる。
「こんにちは。十条さん。お体の調子はいかがですか?」
「あ―………はい……大丈夫、です………」
昨夜は、経緯を説明する中で―自分でも堪え切れない悲しみが襲ってきて、つい深酒をしてしまったのだった。
十条は少しバツが悪そうに万里に対面する形で、上質な素材で作られているであろう椅子に腰かけた。
こうして改めて万里と対峙していると…そこだけ空気の密度が濃く、否応なしに鼓動が高められるようだ。
メディア等で伝えられている年齢が正しければあれば自分よりも年下らしいけれど…。
確かにあどけなさも残しているような気がしたが、それすらも圧倒的な魅力の一部であるように思われた。
「十条さん…私、貴方のこと少し調べましたよ」
「…………」
「―あんな事で出資が打ち切られるだなんて…災難でしたね」
「…………いえ……自分の行いが良くなかったんでしょう」
殊勝な面持ちで十条は答えた。
「それで―出資の件ですが。もう少し貴方という人となりを知りたくて」
「人となり…」
「そう―例えば……」
「……?」
突然椅子から降りて…十条の方に歩み寄ってくる万里…
「っ…ん………?!」
怪訝に思っていたら―突然、胸倉を掴まれて…キス、をされて…る…?!
「……に、………っふ………」
舌が入ってきて、十条は頭を酷く混乱させたが、立場上万里を突き放す事も出来ず、その時間を耐えた。
しかし耐えているうちに―的確に口内のポイントを刺激してくる熱を…体が快感と捉え始めてしまっていた。
「ふ……、はは。男にキスされて喜ぶ人となり…ってか」
「…っ…急に、何を…っ…」
「あんたが虐めて欲しいってツラしてるからだろ」
「っして、ません……!」
「嘘吐け。口ん中掻き回しただけでこんなに期待して…」
「―ち……が………っ………!」
万里に中心の昂ぶりを指摘され…十条は頬をカアっと熱くさせる。
「違う?―その回答で…出資主が喜ぶとでも思うか?」
「…………!」
「俺が、十条拓哉という人間には価値がある…と判断すればあんたは金を手に出来る。単純だろ」
「…………!!!」
あまりにも理不尽な言い草。…けれど、十条に選択権はなかった。
「……っ…………………っ…と……」
「聞えねーよ」
「……もっと、……欲しい、です……………」
「へえ。」
「…………っ……」
つまらなそうに相槌を打つ万里。
これ以上何を言えばいいのか解らない―けれど黙っているだけではこの男にとって「価値のある人間」にはなれないのだ。
十条はうつむきながら、うわ言のように、必死で続けた。
「…なん……でも…、します、から………お、ねが……っい、です……お願い、します……っ」
馬鹿げている。馬鹿げている。馬鹿げている!
十条は正気を保つため心の中で叫んだ。
その様子を万里は黙って観察し―それから、
「解りました。ベリルに出資しましょう」
と落ち着き払った声で言い放つ。
「…………っ……」
「出資の交渉の際…見栄やプライドを捨てきれない方も多いのですよ。自社製品の良さを謳うばかり…貴方のように自分を捨てでも出資を望む方とだけお約束させて頂いています」
事も無げに…先ほどまでの事は交渉の一貫に過ぎない、何をそんなに慌てている?…という様子で三宮万里は言った。
けれどその瞳の奥は、冷笑、嗜虐、侮蔑で妖しく光っている―…
(コイツは―……他人を物みたいに弄んで……楽しそうに……っ)
十条は煮えたぎるような憎悪と自己嫌悪で息苦しくなりながらも、―念願の…出資における手続きを進めるしかなかった。
それから―程なくして、約束通り、三宮からベリルへの出資は始まったのだった。
度々三宮から十条は呼びだされ、仕事帰り、酒だったり食事だったりに付き合わされるようになっていく。
万里は仕事に対しては常に真摯で、会う程にその姿勢へ好感を持っていった。また、自分が持ちえない…統率力、判断力に見惚れる事すらあったのだ。
が、同時に―堪らない恐怖感に包まれる事がある。
いつまた行為を強要されるかもしれない―といった意味でのものと―
その時、再び体が悦びを訴えてしまうのではないか―といった意味でのものだった。
(俺は―違う……あんな事は……)
口ん中掻き回しただけでこんなに期待して…。
万里の言葉がリフレインする度、十条は強い酒をあおり、眠りにつく。
時には、昔馴染みの女を呼びだす事もあったが…何処か甘えるようにぬくもりを求める自分が居て、居心地が悪かった。
また、仕事が落ち着き、再び松木候星と会うようになったが、彼に対しても…これまでの自分には無かった、女のように弱い部分を吐きだしてしまいそうで、眩暈がする。
あの一件以来、自分は酷く弱い生き物に成り下がってしまったんだろうか。
胸を抉る衝撃。
十条の心の奥に深く刺さって、いつまでも抜ける事はなかった。
fin
1/2ページ