丸山 凛太郎
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丸山凛太郎は、誰も居ない店内で、一人、声を殺して泣いていた。
一週間前。
6年付き合っていた女に、突然別れを告げられたのだ。
彼女とは、店を立ち上げる前に出会った。
大手食品会社に勤めている彼女との接点は、丸山が当時働いていたイタリアンレストラン。
週3回はそのレストランで一人ランチを楽しむ彼女は、丸山だけでなく多くの男性客の目を引いた。
化粧っ気はあまり無いが、整った目鼻立ちが長い髪からのぞき…控えめな美しい所作で、丁寧に食事をする姿はいつしか店の「華」となっていたのである。
たまらず声をかけたのは、無論丸山だった。
ある日、閉店間際一人でディナーに訪れた彼女。
丸山は勇気を振り絞って…特製デザートをサービスした。
振り向いて貰えるかどうかは二の次で、とにかく彼女に近づきたかった丸山。
そんな様子に絆されたらしい女も、次第に丸山へ好意を持つようになったのだ。
それから―少しずつ距離を縮めて、…なんとかデートに誘って…、死ぬ想いで丸山から告白した。
彼女はふんわりと笑って受け入れてくれて―……
「うっ………っ……っ…」
想い出がぐるぐると駆け巡って丸山はぐじぐじと更に泣きじゃくった。
別れの理由は―彼女の「浮気」。
上司に無理やり迫られた事がキッカケらしく、彼女との結婚を考えていた丸山にとってはまさか別れの理由になるだなんて思ってもみなかった。
乗り越えられる問題だと思った。
それでも彼女は頑なに別れを譲らなかったのである。
丸山を裏切った自分が許せない、と。
それだけ言い残し、何度連絡しても…二度と会ってはくれなかった。
だから…定休日の今日。思わず職場の近くまで行って彼女を待ち伏せしてしまった。
流石に部屋の前で待っていたら気味が悪いだろうと思い、会社の近くのストーバックスに入ったのだが…
そこで決して見たく等なかった光景が飛び込んできてしまう。
彼女と…その上司らしい人物が二人で入ってきたのだ。
時計を見れば、まだ18時過ぎ。
いつもなら、大抵20時頃まで仕事をしているはずの彼女なのに―
丸山は声をかけることも出来ず…ただ、思わず二人の会話に聞き耳を立ててしまう。
男は、彼女に謝罪を始めた。
強要したかった訳じゃない、あなたが好きだから、と恥ずかしげもなく言う。
彼女は黙っていた。
たまりかねて、思わず二人を盗み見ると―
男は彼女の手を握っていた。
彼女は………………抵抗はせず………少し頬を赤らめ始め………
丸山は我慢できなくなり、勢いよく席を立った。
後ろを振り向きもせず、ただ駆け足でその場を離れていき。
無意識に…自分の店に来ていた。
誰も居ない店内を、常備している鍵であければ…恐ろしい静けさが丸山を包み込み、我慢していた涙がせきをきったように溢れだしてしまったのだ。
「………っ……ぁ…う、…ぅ…っ」
6年間、ずっとずっと好きで、最初の頃よりどんどん好きになった。
涙がこぼれ落ちる程、彼女との想い出は消えていくようで…繋がりがなくなっていくようで。
それでも涙を止める事なんて出来そうになかった。
―翌日。
いつものように店を開けて、いつものように料理を作り、いつものように接客を行った。
けれどそれは、穏やかな日常を真似ているに過ぎない…空虚な時間だった。
そうだ、6年前からずっと…彼女の笑顔が料理を作る一番の動機になってしまっていたんだ。
寝る間を惜しんで新しいメニューを取り入れた情熱は、体の中のどこを探しても見当たらない。
余りある時間だけが拡がっている。
一人で作業をしたい、と嘘をつき他の店員を帰してから丸山は昨夜と同じように、誰もいない店内に座った。
今日はもう、涙も出て来ない。
体が重くて、頭が痛くて…。
呆けたように、しばらくそうしていると…店の外、フラフラとおぼつかないシルエットが目に入る。
「ん?」
入口の方に歩みよると、…何度か店に来た事のある男性客だった。
酷くやつれたような顔で店の入り口に立ち止まっていた。
金髪で碧眼、映画の中から飛び出してきたような「外国人」の容姿に似つかわしくない、流暢な日本語を喋る客だ。
常連客ではないが、一度見たら忘れられない人物だった。
「あの、今日はもう閉店しておりまして」
丸山は扉をカランと開けて、彼に声をかけた。
「あ……失礼しました。つい、…こちらに来ると、落ち着くもので」
「………顔色が悪いですが、…もしかして体調が悪いとか………」
「いえ、…顔色は―…一昨日から…食事をしていないものですから」
「一昨日から………?!」
今日はもう、23時をまわっている。
(……おとといだって……?)
「どんな事情があるか知りませんが…何か食べていって下さい!」
丸山は驚いた様子で、彼の腕を引き、店内に招きいれる。
彼の様子や口調から…まるで自殺志願者のように見えたからだ。
「ご好意有難うございます。ですが、今は気が向かないものですから」
「っっ……!駄目だって…!」
言葉と体で彼を制し、丸山は慌てて厨房に走った。
そうして、残っていた野菜、チキンを使ってトマトスープを作る。
「あと…、サラダと、リゾットも作るから…食べられるだけ食べて欲しい、です。」
「…………」
「お腹いっぱいになれば…色々解決することあると思うので…お願いします」
丸山の顔を見やり、それからゆっくりと彼はスープを口にした。
「……美味しいです」
「だろ!?このスープ…来月の新作で出す予定で…っ」
丸山はそこまで言って、彼女の事をつい思い出してしまう。
一番最初の味見係はいつも彼女だったから…
「あ、えーと……どんな、辛い事あったか、知らないんですけど。でも……食べるって…楽しいです、よね」
「ふふ」
「な、なんですか?」
「私はアルバートと申します。あなたのお名前は?」
アルバートと名乗る彼は…女性なら誰しもうっとりしてしまうような…優雅な笑みを浮かべ、丸山を見つめた。
「ま……丸山凛太郎、です」
「リンタロウ―…綺麗なお名前ですね」
「いっ、いえ…そんな……っ」
自己紹介を終え―アルバートはぽつぽつと自分の事を話し始めた。
自分は作家で、今盛大なスランプに陥っている事―
スランプに陥っている時はいつも断食をする事―
普段なら邪魔が入っても何も食べないが、今回ばかりは貴方に負けてしまった、と笑うアルバート。
丸山が自分の勘違いを恥じてうつむけば、切れ長の瞳が三日月のように細められる。
ドキン、と心臓が高鳴る程、それは美しい微笑みだった。
それから、アルバートは丸山の店に何度か顔を出すようになった。
営業時間中に訪れる事もあるが、出逢った日のように閉店後にやってくる事もある。
アルバートは相当な美食家で、舌が肥えていたこともあり、丸山は彼に腕を奮う事が楽しみになっていた。
丸山家は、月に1度家族全員そろって食事をしているのだが、妹達からも「彼女にフられた割には元気だね」と言われた。
(言われてみれば……確かに)
あの晩―彼女とあの男のツーショットを目撃してしまった夜は、もう死んでしまうのではないかと思ったぐらいだ。
(あいつのお陰…だよなぁ)
ギリシャ彫刻のようにホリの深い顔立ち、の癖に日本人よりも美しい日本語を使いこなす、変わった男。
彼はどんな料理を出しても、丁寧に、しっかりと味わって食べてくれる。
ボキャブラリーに富んだ感想、意見、そして笑顔。
それらが、枯れてしまったように思えた「情熱」をふつふつと呼び起こしてくれるのだ。
―しかし。
それから程なくして…アルバートは店に顔を出さなくなってしまった。
(またスランプ、ってやつなのか…?)
以前その真っ最中だった時でも、自分の作ったものを食べてくれたのに…。
丸山は、アルバートによって忘れかけていた、大きな寂寥感がじわじわ体中を寝食していくような気がした。
寂しさを抱えながら、いつも通り、店のクローズ作業を行っていると…向かいの通りを歩くアルバートが目に映った。
「アルバー…」
思わず声をかけようと声を出すが…
(ん…?)
アルバートが見知らぬ女性と連れだって、腕を組んでいる事に気が付く。
その時ふと立ち止まった二人は―
(あー……)
濃厚なキスを。道の往来にも関わらず始めてしまった。
人通りが少なくなった時間帯とはいえ……丸山には絶対に出来ない行為だった。
(もしかして…俺んとこ来なくなったのって……彼女が出来たから?)
彼女に手料理を作って貰っているから…自分は用済み。
そういう事だろうか。
丸山はふらりと、誰もいない店内の中心、の椅子に座った。
(あ、やべぇ……………)
ふと気が付くと…あの日の晩と同じように、涙が溢れていた。
(何だよ、これ……)
彼女の笑顔が浮かんで、消える。何度も。
それが悲しくて、辛くてまた嗚咽をあげて泣いてしまう。
次第にそのループが終わり、今度はアルバートの顔がちらつく。
「う~~~…………っ…………」
落ち込んでいる時期だったとはいえ、知りあったばかりのただの他人に、ここまで依存していた自分に呆れてしまう。
「リン」
「………へっ………」
カラン、という扉が開く音と一緒に…アルバートの声が耳に届いた。
丸山は慌てて声のする方に向き直る。
「どうされたんですか?子供みたいに」
「あ、……アルバート……………っ……!!…お前、彼女は…?」
「彼女………?ああ、先ほどまで一緒に居た女性……ご覧になられたのですか?」
「あ、……ごめん、……その、……丁度店ン中から見えて……」
「責めている訳ではありませんよ」
「っ……っ?!」
アルバートはふわり、と丸山の後ろに立って、そのままキスを降らした。
「あっっ……アルバート…………?!!!」
「ふふ。あんまり可愛らしい涙でしたので。味見させて頂きました」
「……っ………」
「涙の理由を教えて頂けませんか…?」
「………………」
丸山は観念したように口をぎゅっと結び、消え入りそうな声で経緯を説明し始めた。
「そうですか…失恋されたばかりだったのですね」
「………はい」
「けれど―、タイムラグがありますね。どうしてまた今日に限って」
「そ、れは…………」
「はい」
「お、お前が来なくなったから…………」
「………………」
「しかも……、その…女の子と一緒に居たから、……もう俺、は……要らないのか、って思ったら…なんか……色々溜まってたモンがわーーって…
「なるほど?」
アルバートは大きくうなずいてから、丸山の頬に触れ―…
「ん……む……っ…ぅ………?!!」
唇の中に舌を差し入れて、激しく口内を蹂躙し始めた。
「あ、……ん……な、に……、う……っ………!」
息も出来ない程の…これまで体験したこともない濃厚な、キス。
自分でも知らなかった、口内の気持ちいい部分を熱が撫でつけていく。
受け止めきれなくなり、丸山はその場にがくがくとへたりこみそうになってしまうが、アルバートがその腰をがっちり掴んで、より深く舌を差し入れてきた。
「や……アルバート……っ……はな………っ」
「ああ……苦しいのですね。可哀そうに……一度楽にして差し上げましょう」
「っ……!な……っァ……っへ、変なトコ、さわる、なよ………!!」
「どうして?窮屈でしょう」
「っ………!!!」
体の変化を指摘され、丸山は全身が沸騰するほどの羞恥心を感じた。
「じゃ、なくて……!何で…っいきなり、キス……!!」
「何故?リンのおねだりにお応えさせて頂いているのに…随分ですね」
「なっ……おねだり、とか……して、な……っ……」
「私が女性と居たから、妬いたんでしょう?何処にも行かないで欲しい、と…貴方の瞳が訴えていましたよ」
「っ…それ、は……っ」
確かに、そう思った事は否定できない。
けれどそれは、勿論コウイウ意味ではなく……
「とに、かく離してくれ……!ごっ誤解、だから………!!」
丸山は必死でアルバートの手を跳ねのけ、事情を説明した―。
「俺は男同士、とか…全然興味ない、から……さっきのはそう言う意味じゃないっつーか」
「けれど…貴方のココは、ソウイウ意味で私を欲しているようですが」
「ち、が……!これは!!生理現象!仕方ない、だろ……っ」
彼女と別れてから、ほとんどコチラ方面の事を疎かにしていたので、コントロールが効かないらしく…未だ丸山の中心は存在を主張していた。
恥ずかしさから、話題を変える事にする。
「だ、大体なあ!お前彼女が居る癖に…男相手だからって簡単にキスとか…してんなよ!!」
「彼女ではありませんよ」
「え?」
「あの女性には、イラストのモデルとして…お手伝い頂いていたんですよ」
「……そ、……そうなん…だ…」
「ええ」
「で、でもキス……っしてた……だろ………」
「挨拶ですよ」
またあの―ほっそりとした、瞳を向けられ、丸山はそれ以上何も言えなくなってしまった。
挨拶であんなキスはしないだろ…とか
お前は男とか女とか関係なくイっちゃう奴なのか…とか。
色々な言葉が浮遊するけれど。
でも、
「仕事がひと段落つきましたので―、明日からまたリンの料理…食べさせて下さいね」
と言われれば、ふにゃり、と幸せな気持ちが芽生え、それらの疑問はどうだっていい、瑣末なものになってしまうのだった。
fin
一週間前。
6年付き合っていた女に、突然別れを告げられたのだ。
彼女とは、店を立ち上げる前に出会った。
大手食品会社に勤めている彼女との接点は、丸山が当時働いていたイタリアンレストラン。
週3回はそのレストランで一人ランチを楽しむ彼女は、丸山だけでなく多くの男性客の目を引いた。
化粧っ気はあまり無いが、整った目鼻立ちが長い髪からのぞき…控えめな美しい所作で、丁寧に食事をする姿はいつしか店の「華」となっていたのである。
たまらず声をかけたのは、無論丸山だった。
ある日、閉店間際一人でディナーに訪れた彼女。
丸山は勇気を振り絞って…特製デザートをサービスした。
振り向いて貰えるかどうかは二の次で、とにかく彼女に近づきたかった丸山。
そんな様子に絆されたらしい女も、次第に丸山へ好意を持つようになったのだ。
それから―少しずつ距離を縮めて、…なんとかデートに誘って…、死ぬ想いで丸山から告白した。
彼女はふんわりと笑って受け入れてくれて―……
「うっ………っ……っ…」
想い出がぐるぐると駆け巡って丸山はぐじぐじと更に泣きじゃくった。
別れの理由は―彼女の「浮気」。
上司に無理やり迫られた事がキッカケらしく、彼女との結婚を考えていた丸山にとってはまさか別れの理由になるだなんて思ってもみなかった。
乗り越えられる問題だと思った。
それでも彼女は頑なに別れを譲らなかったのである。
丸山を裏切った自分が許せない、と。
それだけ言い残し、何度連絡しても…二度と会ってはくれなかった。
だから…定休日の今日。思わず職場の近くまで行って彼女を待ち伏せしてしまった。
流石に部屋の前で待っていたら気味が悪いだろうと思い、会社の近くのストーバックスに入ったのだが…
そこで決して見たく等なかった光景が飛び込んできてしまう。
彼女と…その上司らしい人物が二人で入ってきたのだ。
時計を見れば、まだ18時過ぎ。
いつもなら、大抵20時頃まで仕事をしているはずの彼女なのに―
丸山は声をかけることも出来ず…ただ、思わず二人の会話に聞き耳を立ててしまう。
男は、彼女に謝罪を始めた。
強要したかった訳じゃない、あなたが好きだから、と恥ずかしげもなく言う。
彼女は黙っていた。
たまりかねて、思わず二人を盗み見ると―
男は彼女の手を握っていた。
彼女は………………抵抗はせず………少し頬を赤らめ始め………
丸山は我慢できなくなり、勢いよく席を立った。
後ろを振り向きもせず、ただ駆け足でその場を離れていき。
無意識に…自分の店に来ていた。
誰も居ない店内を、常備している鍵であければ…恐ろしい静けさが丸山を包み込み、我慢していた涙がせきをきったように溢れだしてしまったのだ。
「………っ……ぁ…う、…ぅ…っ」
6年間、ずっとずっと好きで、最初の頃よりどんどん好きになった。
涙がこぼれ落ちる程、彼女との想い出は消えていくようで…繋がりがなくなっていくようで。
それでも涙を止める事なんて出来そうになかった。
―翌日。
いつものように店を開けて、いつものように料理を作り、いつものように接客を行った。
けれどそれは、穏やかな日常を真似ているに過ぎない…空虚な時間だった。
そうだ、6年前からずっと…彼女の笑顔が料理を作る一番の動機になってしまっていたんだ。
寝る間を惜しんで新しいメニューを取り入れた情熱は、体の中のどこを探しても見当たらない。
余りある時間だけが拡がっている。
一人で作業をしたい、と嘘をつき他の店員を帰してから丸山は昨夜と同じように、誰もいない店内に座った。
今日はもう、涙も出て来ない。
体が重くて、頭が痛くて…。
呆けたように、しばらくそうしていると…店の外、フラフラとおぼつかないシルエットが目に入る。
「ん?」
入口の方に歩みよると、…何度か店に来た事のある男性客だった。
酷くやつれたような顔で店の入り口に立ち止まっていた。
金髪で碧眼、映画の中から飛び出してきたような「外国人」の容姿に似つかわしくない、流暢な日本語を喋る客だ。
常連客ではないが、一度見たら忘れられない人物だった。
「あの、今日はもう閉店しておりまして」
丸山は扉をカランと開けて、彼に声をかけた。
「あ……失礼しました。つい、…こちらに来ると、落ち着くもので」
「………顔色が悪いですが、…もしかして体調が悪いとか………」
「いえ、…顔色は―…一昨日から…食事をしていないものですから」
「一昨日から………?!」
今日はもう、23時をまわっている。
(……おとといだって……?)
「どんな事情があるか知りませんが…何か食べていって下さい!」
丸山は驚いた様子で、彼の腕を引き、店内に招きいれる。
彼の様子や口調から…まるで自殺志願者のように見えたからだ。
「ご好意有難うございます。ですが、今は気が向かないものですから」
「っっ……!駄目だって…!」
言葉と体で彼を制し、丸山は慌てて厨房に走った。
そうして、残っていた野菜、チキンを使ってトマトスープを作る。
「あと…、サラダと、リゾットも作るから…食べられるだけ食べて欲しい、です。」
「…………」
「お腹いっぱいになれば…色々解決することあると思うので…お願いします」
丸山の顔を見やり、それからゆっくりと彼はスープを口にした。
「……美味しいです」
「だろ!?このスープ…来月の新作で出す予定で…っ」
丸山はそこまで言って、彼女の事をつい思い出してしまう。
一番最初の味見係はいつも彼女だったから…
「あ、えーと……どんな、辛い事あったか、知らないんですけど。でも……食べるって…楽しいです、よね」
「ふふ」
「な、なんですか?」
「私はアルバートと申します。あなたのお名前は?」
アルバートと名乗る彼は…女性なら誰しもうっとりしてしまうような…優雅な笑みを浮かべ、丸山を見つめた。
「ま……丸山凛太郎、です」
「リンタロウ―…綺麗なお名前ですね」
「いっ、いえ…そんな……っ」
自己紹介を終え―アルバートはぽつぽつと自分の事を話し始めた。
自分は作家で、今盛大なスランプに陥っている事―
スランプに陥っている時はいつも断食をする事―
普段なら邪魔が入っても何も食べないが、今回ばかりは貴方に負けてしまった、と笑うアルバート。
丸山が自分の勘違いを恥じてうつむけば、切れ長の瞳が三日月のように細められる。
ドキン、と心臓が高鳴る程、それは美しい微笑みだった。
それから、アルバートは丸山の店に何度か顔を出すようになった。
営業時間中に訪れる事もあるが、出逢った日のように閉店後にやってくる事もある。
アルバートは相当な美食家で、舌が肥えていたこともあり、丸山は彼に腕を奮う事が楽しみになっていた。
丸山家は、月に1度家族全員そろって食事をしているのだが、妹達からも「彼女にフられた割には元気だね」と言われた。
(言われてみれば……確かに)
あの晩―彼女とあの男のツーショットを目撃してしまった夜は、もう死んでしまうのではないかと思ったぐらいだ。
(あいつのお陰…だよなぁ)
ギリシャ彫刻のようにホリの深い顔立ち、の癖に日本人よりも美しい日本語を使いこなす、変わった男。
彼はどんな料理を出しても、丁寧に、しっかりと味わって食べてくれる。
ボキャブラリーに富んだ感想、意見、そして笑顔。
それらが、枯れてしまったように思えた「情熱」をふつふつと呼び起こしてくれるのだ。
―しかし。
それから程なくして…アルバートは店に顔を出さなくなってしまった。
(またスランプ、ってやつなのか…?)
以前その真っ最中だった時でも、自分の作ったものを食べてくれたのに…。
丸山は、アルバートによって忘れかけていた、大きな寂寥感がじわじわ体中を寝食していくような気がした。
寂しさを抱えながら、いつも通り、店のクローズ作業を行っていると…向かいの通りを歩くアルバートが目に映った。
「アルバー…」
思わず声をかけようと声を出すが…
(ん…?)
アルバートが見知らぬ女性と連れだって、腕を組んでいる事に気が付く。
その時ふと立ち止まった二人は―
(あー……)
濃厚なキスを。道の往来にも関わらず始めてしまった。
人通りが少なくなった時間帯とはいえ……丸山には絶対に出来ない行為だった。
(もしかして…俺んとこ来なくなったのって……彼女が出来たから?)
彼女に手料理を作って貰っているから…自分は用済み。
そういう事だろうか。
丸山はふらりと、誰もいない店内の中心、の椅子に座った。
(あ、やべぇ……………)
ふと気が付くと…あの日の晩と同じように、涙が溢れていた。
(何だよ、これ……)
彼女の笑顔が浮かんで、消える。何度も。
それが悲しくて、辛くてまた嗚咽をあげて泣いてしまう。
次第にそのループが終わり、今度はアルバートの顔がちらつく。
「う~~~…………っ…………」
落ち込んでいる時期だったとはいえ、知りあったばかりのただの他人に、ここまで依存していた自分に呆れてしまう。
「リン」
「………へっ………」
カラン、という扉が開く音と一緒に…アルバートの声が耳に届いた。
丸山は慌てて声のする方に向き直る。
「どうされたんですか?子供みたいに」
「あ、……アルバート……………っ……!!…お前、彼女は…?」
「彼女………?ああ、先ほどまで一緒に居た女性……ご覧になられたのですか?」
「あ、……ごめん、……その、……丁度店ン中から見えて……」
「責めている訳ではありませんよ」
「っ……っ?!」
アルバートはふわり、と丸山の後ろに立って、そのままキスを降らした。
「あっっ……アルバート…………?!!!」
「ふふ。あんまり可愛らしい涙でしたので。味見させて頂きました」
「……っ………」
「涙の理由を教えて頂けませんか…?」
「………………」
丸山は観念したように口をぎゅっと結び、消え入りそうな声で経緯を説明し始めた。
「そうですか…失恋されたばかりだったのですね」
「………はい」
「けれど―、タイムラグがありますね。どうしてまた今日に限って」
「そ、れは…………」
「はい」
「お、お前が来なくなったから…………」
「………………」
「しかも……、その…女の子と一緒に居たから、……もう俺、は……要らないのか、って思ったら…なんか……色々溜まってたモンがわーーって…
「なるほど?」
アルバートは大きくうなずいてから、丸山の頬に触れ―…
「ん……む……っ…ぅ………?!!」
唇の中に舌を差し入れて、激しく口内を蹂躙し始めた。
「あ、……ん……な、に……、う……っ………!」
息も出来ない程の…これまで体験したこともない濃厚な、キス。
自分でも知らなかった、口内の気持ちいい部分を熱が撫でつけていく。
受け止めきれなくなり、丸山はその場にがくがくとへたりこみそうになってしまうが、アルバートがその腰をがっちり掴んで、より深く舌を差し入れてきた。
「や……アルバート……っ……はな………っ」
「ああ……苦しいのですね。可哀そうに……一度楽にして差し上げましょう」
「っ……!な……っァ……っへ、変なトコ、さわる、なよ………!!」
「どうして?窮屈でしょう」
「っ………!!!」
体の変化を指摘され、丸山は全身が沸騰するほどの羞恥心を感じた。
「じゃ、なくて……!何で…っいきなり、キス……!!」
「何故?リンのおねだりにお応えさせて頂いているのに…随分ですね」
「なっ……おねだり、とか……して、な……っ……」
「私が女性と居たから、妬いたんでしょう?何処にも行かないで欲しい、と…貴方の瞳が訴えていましたよ」
「っ…それ、は……っ」
確かに、そう思った事は否定できない。
けれどそれは、勿論コウイウ意味ではなく……
「とに、かく離してくれ……!ごっ誤解、だから………!!」
丸山は必死でアルバートの手を跳ねのけ、事情を説明した―。
「俺は男同士、とか…全然興味ない、から……さっきのはそう言う意味じゃないっつーか」
「けれど…貴方のココは、ソウイウ意味で私を欲しているようですが」
「ち、が……!これは!!生理現象!仕方ない、だろ……っ」
彼女と別れてから、ほとんどコチラ方面の事を疎かにしていたので、コントロールが効かないらしく…未だ丸山の中心は存在を主張していた。
恥ずかしさから、話題を変える事にする。
「だ、大体なあ!お前彼女が居る癖に…男相手だからって簡単にキスとか…してんなよ!!」
「彼女ではありませんよ」
「え?」
「あの女性には、イラストのモデルとして…お手伝い頂いていたんですよ」
「……そ、……そうなん…だ…」
「ええ」
「で、でもキス……っしてた……だろ………」
「挨拶ですよ」
またあの―ほっそりとした、瞳を向けられ、丸山はそれ以上何も言えなくなってしまった。
挨拶であんなキスはしないだろ…とか
お前は男とか女とか関係なくイっちゃう奴なのか…とか。
色々な言葉が浮遊するけれど。
でも、
「仕事がひと段落つきましたので―、明日からまたリンの料理…食べさせて下さいね」
と言われれば、ふにゃり、と幸せな気持ちが芽生え、それらの疑問はどうだっていい、瑣末なものになってしまうのだった。
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