小野寺 龍
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小野寺龍が高校卒業と同時に実家を飛び出して、1年以上が経っていた。
小野寺の実家―高級料亭である「海陽亭」では一人息子が家を出たとあって未だに騒然としているのだが。
料理長である父親だけは彼を探そうともせず、ただ淡々と、彼自身からの便りを待っていた。
しかし小野寺は、もう高級料亭―という有り方に飽き飽きしていたのである。
幼い頃から続く「修行」の時間や、周囲の期待が重荷であったことは間違いないが、それ以上に一部の、金を持った連中しか相手にしない、というシステムに嫌気がさしてしまった。
同時に「金を持った連中」の品性の無さにも。
高校に入ってから付き合いが深くなった同級生は皆、裕福とは言えない家庭だった。
彼らとの時間は楽しかったが、貧しさにより彼らが満足のいく生活を送れていない事や、「金を持った者」達に差別される事すらあると、同時に自分の家は後者の立場にある事を知った。
高校二年生の時付き合った女は、小野寺が初めて心底惚れた女だった。
いつもにこにこと周囲をあたたかく見守る、可愛い女。
幼い頃から叩きこまれた料理の腕を生かし、彼女に手料理をふるえば、幸せそうな笑顔でたいらげてくれる。
此の上ない幸せだった。
この幸せが自分の料理人としての未来に繋がっている―そう思っていたのだ。
けれど、ある日母子家庭だった彼女の家から、その母親までも蒸発してしまい、彼女は程なくして夜の仕事を始めていた。
同時期に、小野寺は突然彼女から別れを告げられてしまったのだ。
別れに応じる気のなかった小野寺だったが、彼女は突然転校してしまい、連絡がつかなくなってしまう。
それから―1年程経った頃。別れた理由を差出人不明のメールから知る。
彼女が突然姿を消した前日―小野寺の母親が、別れるようにと彼女へ直談判に行っていたのだ。
海陽亭を守る為に、お願いします―、と、謝礼金まで渡して。
彼女が小野寺の将来を案じて身を引いた事は想像に難くない。
勿論、事実を知った小野寺はもう一度女に連絡をとりたかったが、もうどうする事も出来なかった。
差出人不明、のメールの人物は現在の彼女の夫であると名乗っていたからだ。
人のよさそうな文面の「夫」は今彼女と幸せに暮らしている、あなたの事が気がかりで連絡してしまった、と告げていた。
目の前が真っ暗になる。
正直に言えば、小野寺は料理人としての人生を放棄したかった訳じゃない。
寧ろ、自分の料理によって他人が嬉しそうに笑ったりすれば、それはとても幸福な時間だった。
けれど、もう―料亭という場所、あり方に何の価値も見出せない。
だから、全て置いて、逃げ出すことしか出来なかった。
「おい、龍。飯なンていーからよォ、早く飲もうぜ」
「あんた、たいして食ってねーで・・・飲んでばっかりじゃねーか」
「いいから、こっち来いって。お前も飲めよ」
同じ高校で2学年上だった安平宗彦が、赤ら顔で小野寺に絡む。
家を出た直後、街で再会し、それ以降、こうして小野寺が借りている安アパートにしょっちゅう泊りにくる。
ヘラヘラといい加減そうに笑う男であったが、寝食代としてきっちり金を置いていく律儀なところがあった。
小野寺もそれに応えるように、彼の食事を用意したり、体を気遣ったりする。
安平は、1年留年していたので、小野寺よりは3つ年上であり、今は暴力団の構成員・・・いわゆるヤクザな稼業に手を染めているらしい。
小野寺は安平のシマにあるバーテンとしてアルバイトを始めた。
金払いの悪くない店で、毎日はそれなりに楽しく、安平と遊びに出かける時間も増えた。
そんな安平に連れられて、小野寺は暴力団が絡む喧嘩にまで顔を出すようになっていく・・・
ギャンブルや喧嘩やら、女やら。適当な快感だけを追える毎日。
そうしていつしか1年以上の月日が経った頃―小野寺は近所のスーパーで少し懐かしい人物に再会した。
「龍にぃ!龍にぃだよね?」
「……?」
クリクリした瞳で自分を見つめる…学ランを着た中学生。
肌も髪の毛も、女子のようにツルツルしているその子供は―
「楓」
「やっぱ龍にぃ。久しぶり!龍にぃ、今一人暮らししてるんだよね」
「………」
「料理作る人になったんだよね?何処のお店?」
「……………」
どうやら建前上、そういう事になってるらしい。
適当に話を合わせる。
「凄いなあー、龍にぃ」
「……………すごくねーよ」
「なぁ、また龍にぃのご飯食べたい」
「…あー……」
家が近所だった楓…日ノ原楓とは昔から親交が深かった。
小野寺の妹と日ノ原は同じ学年の為、3人一緒に過ごす事も少なくなかったのである。
特に日ノ原の弟が持病を悪化させてからは、よく小野寺が彼の面倒を見ていたのだ。
それは小野寺が家を出る直前まで続いていたので、会わなくなって1年程度しか経ってはいないのだが。
小野寺にとっては酷く懐かしい存在で、もはや違う世界の住人のように思える。
「俺、龍にぃのご飯、一番好き」
「………そうか」
中学生にしては随分あどけない日ノ原の笑顔。
騙しているような気分になり、胸の奥がちくりと痛む。
「また食いに来いよ」
「え!ほんと?」
思わず口をついてでた言葉。
罪悪感からか、懐かしさからか―小野寺自身何故そんな事を言ってしまったのか解らない。
「じゃあ今日は?」
「今日?」
「お母さん、今日遅くなるから俺、一人ご飯だもん」
「あー……晴太がまた調子わりぃのか?」
「うん」
日ノ原の弟の晴太は、生涯完治することのない難病を患っている。
その為両親はどうしても日ノ原より晴太に時間を使わざるを得ない事が多かった。
寂しそうに頷く日ノ原を見て、小野寺は断りきることが出来ず、結局、彼を部屋に招き入れる事にした。
「へー、こんなところに住んでるんだ」
アパートに日ノ原をあげれば、物珍しそうに部屋中を、あのキラキラした瞳で眺めている。
「……こっち、座っとけ」
「ありがとー」
こんな訳わかんねー奴の部屋なんか、簡単に上がり込むなよ。
小野寺は心中で自嘲気味に呟きながらも、てきぱきと手を動かし、烏賊と里芋の煮物、それから豆腐の味噌汁を作った。
どういう訳だか、幼い頃から日ノ原は大人が好むような味わいの和食を好むのだ。
「あ、俺の好きなやつじゃん」
どうやらそれは今も変わらないらしい。
嬉しそうに、煮物へ手をつける。
「美味しい!」
「ん」
「お母さんのも美味しいけど、やっぱり龍にぃはプロだから?違うのかな」
白米と一緒にそれらをパクパクと忙しなく口に運ぶ。
小さい口が膨らんで、その様はリスを連想させた。小野寺は思わず口元をほころばせる。
「?何?」
「いや……」
残酷なまでに穏やかな空気が流れていた。
それから、再び小野寺は日ノ原と時間を共にするようになっていく。
日ノ原が時折小野寺の部屋を訪ねてくるのである。
以前と変わらず、兄のように自分を慕い、接してくる日ノ原。
日ノ原は幼い頃と変わらず、今も野球に打ち込んでいるようで、将来はプロになるんだと目を輝かせている。
小野寺は、全身を圧迫するような息苦しさを感じながらも、同時に言い表す事の出来ない幸福を感じていた。
忘れていた、料理を作る事の喜びと、昔抱いていた甘美な夢を思い出させてくれるのだ。
日ノ原の親に小野寺の存在が伝われば、自分の両親に伝わって面倒な事になるだろうと懸念しながらも、その幸福を手放す事が出来なくなってしまっていた。
そんな折、安平から久しぶりに女でも引っかけよう、と誘われた。
いつものように、繁華街をぶらつき、二人組の女に声をかけて、酒をすすめ、ホテルになだれ込む。
ただ、そこから先が、いつもとは異なっていた。
安平が4人で同じ部屋に泊ろうと言いだしたのである。
えー?!と騒ぎたてている女達だったが、殊更嫌がっているようでもない。
また、小野寺は最初こそ気乗りしなかったが、これまで体験したことのない刺激を体が求め、最終的に安平の提案に乗る事にした。
普段垣間見る事等有り得ない他人の行為。
寝室で自分以外の、男の息使いが響いて、快感とも苦痛とも言えない不思議な感覚に襲われた。
しかしそれは小野寺にこれといって愉悦をもたらすものではなく、途中から、他人が居る事等どうでもよくなり、普段となんら変わらない行為に立ちかえっていった。
―その時。
「……っ…」
突然。隣で行為に耽っていた安平が、小野寺の唇を食んだ。
思い切り舌をいれられたので、驚いて押し戻す。
「龍……」
「……っ…な………に…」
「お前、ヤってっ時すげー辛そうにすんだもん」
「だからって何で」
「可哀そうだから、チュウ」
「…っきもちわりー…」
「そーいうなって」
二人のやりとりをみて組み敷かれていた女達はキャハハハとけたたましく笑い始めた。
「なに?ホモー?うけんですけど」
「そうかも、俺、ホモかも。コイツみて興奮してきた」
「あはははは!交代しようか?」
悪ノリ、冗談の延長のように3人は笑っていた。
小野寺はすっかり萎えてしまい、気が付いた女が主導権を握り始める。
作業のようにその行為は終わりに走り出し、小野寺はぼんやりとそれを迎え入れた。
明け方、安平と小野寺は女達を残してホテルを後にした。
「あんま、いーもんじゃねーな」
始発を待つホームで。
小野寺は苦虫を潰したような顔で呟き、安平は無言で小野寺の腰を抱いた。
「……なぁ、龍」
「あ?」
「もう、俺おまえんち行かねえからよ」
「…………?」
「お前、家戻れよ。あのでっけー家にさ」
「…んだよ、急に。年上ぶって説教か?」
「いや。俺さぁ、お前のこと好きだなって思って」
「はあ?」
「だから、戻れよ。お前だって、そろそろ家が恋しいんだろ?」
「……な訳……」
「っつーかよ、お前は元々コッチ側の奴じゃねーんだよ」
「今更……じゃあ何で」
「高校んときからさぁ、お前ほんっと恰好良かったよなぁ……」
「……」
「ちょっとだけでも、お前と遊べて、すげぇ嬉しかった」
そう言うと、安平は小野寺からパっと離れ、真面目腐った顔で手を振った。
そうして、駆け足で改札を抜け、駅から出ていってしまう。
小野寺は、眠気の残る頭で他人事のように、映画のワンシーンのようにそれをただ眺めていた。
少ししてから、ようやっと安平に電話をする必要がある、と思い立ち、かけてみるが、…出ない。
代わりに、少ししてからメールが届いた。
そこには、バイト先であるバーにはもう顔を出すなといった内容が書かれていた。
意味が解らず、何故と問いだせば、もうお前はクビだから、と返ってくる。
その後は、どれだけメールしても電話しても、反応は一切ない。
だんだん、さっきまでの安平の言葉が現実味を帯び、小野寺は茫然とした。
そのままアルバイト先に顔を出したが、安平のメール通り、クビになっているらしく問答無用で帰されてしまった―…
安平との、別れの朝から3日経った今日。日ノ原と約束がある日だった。
いつものように丸テーブルの上に食事を用意し、日ノ原を招き入れる。
うっすらと安平の事を考えながら、日ノ原の食べる様をぼんやりと眺める小野寺。
相変わらず幸せそうに。自分の料理にパクつく日ノ原。
…昔、彼女がそうしてくれた姿と重なる。
「龍にぃ、あのさ」
「ん?」
「俺、次の試合レギュラーになったんだよ」
「へえ」
「1年は、俺だけ。凄くない?」
「……そうか………」
「絶対勝って、次の試合もレギュラーになるんだ」
プロの野球選手になりたい。
夢に満ちた瞳が小野寺の目の前で初々しく揺れていた。
そうしていると、安平の言葉がゆっくりと反芻され始め、小野寺は―
「……龍にぃ、どーしたの?」
「あ?」
「涙……泣いてるの?」
「………」
涙がほろほろと頬を伝っていた。
「なんか、あった?」
「いや……………」
小野寺は自分の体の異常に驚きながらも、涙をぬぐい、それから苦笑した。
「俺、ほんとはよ…料理作る奴、ってのはまだなれてねぇんだよ」
「へ………」
「これから、なれるよーに…、色々やんねーといけねぇな…」
小野寺は、この3日間でチラチラと固まりきらなかった決意を初めて口にした。
あの家に帰る。
そうして、昔みた夢とまた…向き合わなければならない。
今度は、家族だとか出身だとか関係なく、…自分なりに。幸せに繋がる未来を作っていくのだ。
ぬかるみのような安平の優しさとその終わりが、ずっと抱えてきた懊悩に染み込んで。
もう、逃げていてはいけない、と語りかけてくるようだった。
日ノ原はそんな小野寺をしばらく見つめ…
「じゃあ、俺と同じだね」
そう言って笑う。
「……っ……………」
小野寺はまた涙が溢れそうになり、あわてて奥歯を噛みしめて、日ノ原の頭を撫でた。
fin
小野寺の実家―高級料亭である「海陽亭」では一人息子が家を出たとあって未だに騒然としているのだが。
料理長である父親だけは彼を探そうともせず、ただ淡々と、彼自身からの便りを待っていた。
しかし小野寺は、もう高級料亭―という有り方に飽き飽きしていたのである。
幼い頃から続く「修行」の時間や、周囲の期待が重荷であったことは間違いないが、それ以上に一部の、金を持った連中しか相手にしない、というシステムに嫌気がさしてしまった。
同時に「金を持った連中」の品性の無さにも。
高校に入ってから付き合いが深くなった同級生は皆、裕福とは言えない家庭だった。
彼らとの時間は楽しかったが、貧しさにより彼らが満足のいく生活を送れていない事や、「金を持った者」達に差別される事すらあると、同時に自分の家は後者の立場にある事を知った。
高校二年生の時付き合った女は、小野寺が初めて心底惚れた女だった。
いつもにこにこと周囲をあたたかく見守る、可愛い女。
幼い頃から叩きこまれた料理の腕を生かし、彼女に手料理をふるえば、幸せそうな笑顔でたいらげてくれる。
此の上ない幸せだった。
この幸せが自分の料理人としての未来に繋がっている―そう思っていたのだ。
けれど、ある日母子家庭だった彼女の家から、その母親までも蒸発してしまい、彼女は程なくして夜の仕事を始めていた。
同時期に、小野寺は突然彼女から別れを告げられてしまったのだ。
別れに応じる気のなかった小野寺だったが、彼女は突然転校してしまい、連絡がつかなくなってしまう。
それから―1年程経った頃。別れた理由を差出人不明のメールから知る。
彼女が突然姿を消した前日―小野寺の母親が、別れるようにと彼女へ直談判に行っていたのだ。
海陽亭を守る為に、お願いします―、と、謝礼金まで渡して。
彼女が小野寺の将来を案じて身を引いた事は想像に難くない。
勿論、事実を知った小野寺はもう一度女に連絡をとりたかったが、もうどうする事も出来なかった。
差出人不明、のメールの人物は現在の彼女の夫であると名乗っていたからだ。
人のよさそうな文面の「夫」は今彼女と幸せに暮らしている、あなたの事が気がかりで連絡してしまった、と告げていた。
目の前が真っ暗になる。
正直に言えば、小野寺は料理人としての人生を放棄したかった訳じゃない。
寧ろ、自分の料理によって他人が嬉しそうに笑ったりすれば、それはとても幸福な時間だった。
けれど、もう―料亭という場所、あり方に何の価値も見出せない。
だから、全て置いて、逃げ出すことしか出来なかった。
「おい、龍。飯なンていーからよォ、早く飲もうぜ」
「あんた、たいして食ってねーで・・・飲んでばっかりじゃねーか」
「いいから、こっち来いって。お前も飲めよ」
同じ高校で2学年上だった安平宗彦が、赤ら顔で小野寺に絡む。
家を出た直後、街で再会し、それ以降、こうして小野寺が借りている安アパートにしょっちゅう泊りにくる。
ヘラヘラといい加減そうに笑う男であったが、寝食代としてきっちり金を置いていく律儀なところがあった。
小野寺もそれに応えるように、彼の食事を用意したり、体を気遣ったりする。
安平は、1年留年していたので、小野寺よりは3つ年上であり、今は暴力団の構成員・・・いわゆるヤクザな稼業に手を染めているらしい。
小野寺は安平のシマにあるバーテンとしてアルバイトを始めた。
金払いの悪くない店で、毎日はそれなりに楽しく、安平と遊びに出かける時間も増えた。
そんな安平に連れられて、小野寺は暴力団が絡む喧嘩にまで顔を出すようになっていく・・・
ギャンブルや喧嘩やら、女やら。適当な快感だけを追える毎日。
そうしていつしか1年以上の月日が経った頃―小野寺は近所のスーパーで少し懐かしい人物に再会した。
「龍にぃ!龍にぃだよね?」
「……?」
クリクリした瞳で自分を見つめる…学ランを着た中学生。
肌も髪の毛も、女子のようにツルツルしているその子供は―
「楓」
「やっぱ龍にぃ。久しぶり!龍にぃ、今一人暮らししてるんだよね」
「………」
「料理作る人になったんだよね?何処のお店?」
「……………」
どうやら建前上、そういう事になってるらしい。
適当に話を合わせる。
「凄いなあー、龍にぃ」
「……………すごくねーよ」
「なぁ、また龍にぃのご飯食べたい」
「…あー……」
家が近所だった楓…日ノ原楓とは昔から親交が深かった。
小野寺の妹と日ノ原は同じ学年の為、3人一緒に過ごす事も少なくなかったのである。
特に日ノ原の弟が持病を悪化させてからは、よく小野寺が彼の面倒を見ていたのだ。
それは小野寺が家を出る直前まで続いていたので、会わなくなって1年程度しか経ってはいないのだが。
小野寺にとっては酷く懐かしい存在で、もはや違う世界の住人のように思える。
「俺、龍にぃのご飯、一番好き」
「………そうか」
中学生にしては随分あどけない日ノ原の笑顔。
騙しているような気分になり、胸の奥がちくりと痛む。
「また食いに来いよ」
「え!ほんと?」
思わず口をついてでた言葉。
罪悪感からか、懐かしさからか―小野寺自身何故そんな事を言ってしまったのか解らない。
「じゃあ今日は?」
「今日?」
「お母さん、今日遅くなるから俺、一人ご飯だもん」
「あー……晴太がまた調子わりぃのか?」
「うん」
日ノ原の弟の晴太は、生涯完治することのない難病を患っている。
その為両親はどうしても日ノ原より晴太に時間を使わざるを得ない事が多かった。
寂しそうに頷く日ノ原を見て、小野寺は断りきることが出来ず、結局、彼を部屋に招き入れる事にした。
「へー、こんなところに住んでるんだ」
アパートに日ノ原をあげれば、物珍しそうに部屋中を、あのキラキラした瞳で眺めている。
「……こっち、座っとけ」
「ありがとー」
こんな訳わかんねー奴の部屋なんか、簡単に上がり込むなよ。
小野寺は心中で自嘲気味に呟きながらも、てきぱきと手を動かし、烏賊と里芋の煮物、それから豆腐の味噌汁を作った。
どういう訳だか、幼い頃から日ノ原は大人が好むような味わいの和食を好むのだ。
「あ、俺の好きなやつじゃん」
どうやらそれは今も変わらないらしい。
嬉しそうに、煮物へ手をつける。
「美味しい!」
「ん」
「お母さんのも美味しいけど、やっぱり龍にぃはプロだから?違うのかな」
白米と一緒にそれらをパクパクと忙しなく口に運ぶ。
小さい口が膨らんで、その様はリスを連想させた。小野寺は思わず口元をほころばせる。
「?何?」
「いや……」
残酷なまでに穏やかな空気が流れていた。
それから、再び小野寺は日ノ原と時間を共にするようになっていく。
日ノ原が時折小野寺の部屋を訪ねてくるのである。
以前と変わらず、兄のように自分を慕い、接してくる日ノ原。
日ノ原は幼い頃と変わらず、今も野球に打ち込んでいるようで、将来はプロになるんだと目を輝かせている。
小野寺は、全身を圧迫するような息苦しさを感じながらも、同時に言い表す事の出来ない幸福を感じていた。
忘れていた、料理を作る事の喜びと、昔抱いていた甘美な夢を思い出させてくれるのだ。
日ノ原の親に小野寺の存在が伝われば、自分の両親に伝わって面倒な事になるだろうと懸念しながらも、その幸福を手放す事が出来なくなってしまっていた。
そんな折、安平から久しぶりに女でも引っかけよう、と誘われた。
いつものように、繁華街をぶらつき、二人組の女に声をかけて、酒をすすめ、ホテルになだれ込む。
ただ、そこから先が、いつもとは異なっていた。
安平が4人で同じ部屋に泊ろうと言いだしたのである。
えー?!と騒ぎたてている女達だったが、殊更嫌がっているようでもない。
また、小野寺は最初こそ気乗りしなかったが、これまで体験したことのない刺激を体が求め、最終的に安平の提案に乗る事にした。
普段垣間見る事等有り得ない他人の行為。
寝室で自分以外の、男の息使いが響いて、快感とも苦痛とも言えない不思議な感覚に襲われた。
しかしそれは小野寺にこれといって愉悦をもたらすものではなく、途中から、他人が居る事等どうでもよくなり、普段となんら変わらない行為に立ちかえっていった。
―その時。
「……っ…」
突然。隣で行為に耽っていた安平が、小野寺の唇を食んだ。
思い切り舌をいれられたので、驚いて押し戻す。
「龍……」
「……っ…な………に…」
「お前、ヤってっ時すげー辛そうにすんだもん」
「だからって何で」
「可哀そうだから、チュウ」
「…っきもちわりー…」
「そーいうなって」
二人のやりとりをみて組み敷かれていた女達はキャハハハとけたたましく笑い始めた。
「なに?ホモー?うけんですけど」
「そうかも、俺、ホモかも。コイツみて興奮してきた」
「あはははは!交代しようか?」
悪ノリ、冗談の延長のように3人は笑っていた。
小野寺はすっかり萎えてしまい、気が付いた女が主導権を握り始める。
作業のようにその行為は終わりに走り出し、小野寺はぼんやりとそれを迎え入れた。
明け方、安平と小野寺は女達を残してホテルを後にした。
「あんま、いーもんじゃねーな」
始発を待つホームで。
小野寺は苦虫を潰したような顔で呟き、安平は無言で小野寺の腰を抱いた。
「……なぁ、龍」
「あ?」
「もう、俺おまえんち行かねえからよ」
「…………?」
「お前、家戻れよ。あのでっけー家にさ」
「…んだよ、急に。年上ぶって説教か?」
「いや。俺さぁ、お前のこと好きだなって思って」
「はあ?」
「だから、戻れよ。お前だって、そろそろ家が恋しいんだろ?」
「……な訳……」
「っつーかよ、お前は元々コッチ側の奴じゃねーんだよ」
「今更……じゃあ何で」
「高校んときからさぁ、お前ほんっと恰好良かったよなぁ……」
「……」
「ちょっとだけでも、お前と遊べて、すげぇ嬉しかった」
そう言うと、安平は小野寺からパっと離れ、真面目腐った顔で手を振った。
そうして、駆け足で改札を抜け、駅から出ていってしまう。
小野寺は、眠気の残る頭で他人事のように、映画のワンシーンのようにそれをただ眺めていた。
少ししてから、ようやっと安平に電話をする必要がある、と思い立ち、かけてみるが、…出ない。
代わりに、少ししてからメールが届いた。
そこには、バイト先であるバーにはもう顔を出すなといった内容が書かれていた。
意味が解らず、何故と問いだせば、もうお前はクビだから、と返ってくる。
その後は、どれだけメールしても電話しても、反応は一切ない。
だんだん、さっきまでの安平の言葉が現実味を帯び、小野寺は茫然とした。
そのままアルバイト先に顔を出したが、安平のメール通り、クビになっているらしく問答無用で帰されてしまった―…
安平との、別れの朝から3日経った今日。日ノ原と約束がある日だった。
いつものように丸テーブルの上に食事を用意し、日ノ原を招き入れる。
うっすらと安平の事を考えながら、日ノ原の食べる様をぼんやりと眺める小野寺。
相変わらず幸せそうに。自分の料理にパクつく日ノ原。
…昔、彼女がそうしてくれた姿と重なる。
「龍にぃ、あのさ」
「ん?」
「俺、次の試合レギュラーになったんだよ」
「へえ」
「1年は、俺だけ。凄くない?」
「……そうか………」
「絶対勝って、次の試合もレギュラーになるんだ」
プロの野球選手になりたい。
夢に満ちた瞳が小野寺の目の前で初々しく揺れていた。
そうしていると、安平の言葉がゆっくりと反芻され始め、小野寺は―
「……龍にぃ、どーしたの?」
「あ?」
「涙……泣いてるの?」
「………」
涙がほろほろと頬を伝っていた。
「なんか、あった?」
「いや……………」
小野寺は自分の体の異常に驚きながらも、涙をぬぐい、それから苦笑した。
「俺、ほんとはよ…料理作る奴、ってのはまだなれてねぇんだよ」
「へ………」
「これから、なれるよーに…、色々やんねーといけねぇな…」
小野寺は、この3日間でチラチラと固まりきらなかった決意を初めて口にした。
あの家に帰る。
そうして、昔みた夢とまた…向き合わなければならない。
今度は、家族だとか出身だとか関係なく、…自分なりに。幸せに繋がる未来を作っていくのだ。
ぬかるみのような安平の優しさとその終わりが、ずっと抱えてきた懊悩に染み込んで。
もう、逃げていてはいけない、と語りかけてくるようだった。
日ノ原はそんな小野寺をしばらく見つめ…
「じゃあ、俺と同じだね」
そう言って笑う。
「……っ……………」
小野寺はまた涙が溢れそうになり、あわてて奥歯を噛みしめて、日ノ原の頭を撫でた。
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