忘却本丸
目を覚ました時、ぼんやりとした木目の天井が目に入った。
やわらかい光に包まれた空間はぼんやりした視界がはっきりとするまでの時間、おだやかに私を待っていた。
きゃあきゃあと子供のはしゃぐ声が、遠くに聞こえる。
二度寝してしまおうか。まるで自分の部屋に居るかのようにごく自然にそう思ったとき、違和感を感じた。
ここはどこだ?
瞬発的に寝かされていた布団から上半身だけ起き上がるとあたりを見渡した。
障子と壁に囲まれた和室だ。
障子は日光を透かして、おだやかに木漏れ日を畳へ運んでいた。
夢を見ていた。
暗くて痛くて恐ろしい夢。
今はあの痛みの影も形もない。
とんとんとん、と足音が聞こえた。
このおだやかな空間に馴染んだごく自然な音。
すうっと障子が開いて、黒髪の眼鏡の少年がひょっこりと頭を出した。
「おお、おはようさん」
すっかり声変わりした声で軽く言われ、私はぽかんと彼を見た。
少年は前述した眼鏡の他に白衣を着ていたが、医者にはとても見えないほど小柄だった。12~3歳ほどだろうか。
色々聞きたいことはあったが、とりあえず私の口から出たのは、
「あなたは、この家の方ですか」
「ん?寝ぼけてるのか?」
少年はまるで冗談を言われたかのように笑った。
九割がた、この家の人だろう。
この少年は、もしかしたら私の家族なのかもしれない。
いや、この返答と、ここが人家である事や気安い言葉遣いなど考えればほぼ間違いなく身内だろう。
さっさと今の状況をはいて何がしかの助けをこうたほうが賢明である。
私には記憶がないこと、ここがどこなのか、少年が誰なのかもわからない事を告げた。
すると少年はすこし私を見つめた後、厄介そうに唸った。
「刀剣の顕現する以前の記憶に後天的に異常をきたすのは稀というか、聞いたことないぞ。手入れは済んでんのに。意外と大将に相談すればなんとかなるのか?」
わけのわからない呟きだったが、刀剣という言葉にあの夢が脳裏をよぎる。私を痛め付けたのも、そして助けたのも、何がしかの刃物であった。
「刀?刀が記憶となにか関係があるのですか?」
ざわざわと心臓が嫌な感覚で満ちる。
あの夢が現実に侵食してくる。
なにか嫌なものが這い上がってくる。
「関係って?もしかして、いち兄」
いち兄。
あの夢で女の子が私に語りかけた言葉。
ひやりとした。
いいや、まて、そんな事はあるはずない。
あれは夢なのだから。
「それが、私の名前?」
「あ?ああ、そうだ、あんたの名前は一期一振。一期の兄貴、ってんでいち兄だ」
出てきた名前に驚いた。
一期一振。
名字と名前の二つに分けることはできるが、人の名前にするにはどうなのか。
「それが名前なのですか?まるでそれじゃあ、芸名ではないですか」
少年は私をじっと見た。
そして彼は、ふう、とため息をついた。
「いち兄、いち兄の記憶の根底はわかった。根底っていうか、可能かどうか知らんが誰かに上書きされたのかもしれん。そんな今のあんたはびっくりするかもしれんが」
少年が私の布団の傍らに膝をつく。
「ああ、俺は薬研藤四郎だ。あんたの弟にあたる。あんたは一期一振。正真正銘、本名だ。人間につけるには道理を無視した名前だがあんたは刀だ。今あんたが動かしているのは刀剣に宿った思いが人の形を成した姿で、本来のあんたは物なんだ」
沈黙が部屋をつつみこんだ。
いいや、正確には遠くの方でやはり子供の声がしていたのだが、私はそれを感知する能力を忘れ去ってしまった。
話を繋げるように、彼は言う。
「まあ、人の名を冠することもある。一期一振吉光だの一期一振藤四郎だのと。わりかし由緒あるもので、人に手を貸す前は尊い人のもとにあった」
「はは」
「いち兄」
少年、藤四郎はまじめな顔を崩さなかった。
冗談にすらしてはくれないようだった。
「まあ、否応にも自分が刀であることを思い知らされる時がくる」
返事をしかねて黙った。
藤四郎はふと、難しい表情を崩した。
「とりあえず、大将に会ってくれ、いち兄。記憶のないあんたにはちょっち荷が重いかもしれんが」
「大将?軍人ですか?」
「あー、軍人ではねえな、肩書きも違う。俺たちのリーダーってんで俺は大将って呼んでるだけだ。しかし地位は軍隊における大将ってとこか」
「ええと、どのような方で?それに話が見えません」
「早い話が、今ここにいる建物の責任者にあって、今後どうするか決めてほしいんだよ。此度の戦争で大将に仕え戦うか、もしくは別な道を選ぶか。おっと、戦争って呼んじゃいけねぇんだったか」
戦争。思わぬ単語に体の感覚が一瞬ふわりと浮いたようだった。いつ時計を見ても地球のどこかで行われているという争いは、遠いようでどこか生々しく、その響きだけで私の心に恐怖を覚えさせた。
私は何者なんだ?どうして戦争に参加させられそうになっているんだ?
そんな非常識なことをふっかけてくるのは、一体、
「ああ、大将がどんなやつか、だったな。この戦争における政府の右腕である人物。各国に配置された歴史保全特別大臣の一人。山城国審神者だ」
やわらかい光に包まれた空間はぼんやりした視界がはっきりとするまでの時間、おだやかに私を待っていた。
きゃあきゃあと子供のはしゃぐ声が、遠くに聞こえる。
二度寝してしまおうか。まるで自分の部屋に居るかのようにごく自然にそう思ったとき、違和感を感じた。
ここはどこだ?
瞬発的に寝かされていた布団から上半身だけ起き上がるとあたりを見渡した。
障子と壁に囲まれた和室だ。
障子は日光を透かして、おだやかに木漏れ日を畳へ運んでいた。
夢を見ていた。
暗くて痛くて恐ろしい夢。
今はあの痛みの影も形もない。
とんとんとん、と足音が聞こえた。
このおだやかな空間に馴染んだごく自然な音。
すうっと障子が開いて、黒髪の眼鏡の少年がひょっこりと頭を出した。
「おお、おはようさん」
すっかり声変わりした声で軽く言われ、私はぽかんと彼を見た。
少年は前述した眼鏡の他に白衣を着ていたが、医者にはとても見えないほど小柄だった。12~3歳ほどだろうか。
色々聞きたいことはあったが、とりあえず私の口から出たのは、
「あなたは、この家の方ですか」
「ん?寝ぼけてるのか?」
少年はまるで冗談を言われたかのように笑った。
九割がた、この家の人だろう。
この少年は、もしかしたら私の家族なのかもしれない。
いや、この返答と、ここが人家である事や気安い言葉遣いなど考えればほぼ間違いなく身内だろう。
さっさと今の状況をはいて何がしかの助けをこうたほうが賢明である。
私には記憶がないこと、ここがどこなのか、少年が誰なのかもわからない事を告げた。
すると少年はすこし私を見つめた後、厄介そうに唸った。
「刀剣の顕現する以前の記憶に後天的に異常をきたすのは稀というか、聞いたことないぞ。手入れは済んでんのに。意外と大将に相談すればなんとかなるのか?」
わけのわからない呟きだったが、刀剣という言葉にあの夢が脳裏をよぎる。私を痛め付けたのも、そして助けたのも、何がしかの刃物であった。
「刀?刀が記憶となにか関係があるのですか?」
ざわざわと心臓が嫌な感覚で満ちる。
あの夢が現実に侵食してくる。
なにか嫌なものが這い上がってくる。
「関係って?もしかして、いち兄」
いち兄。
あの夢で女の子が私に語りかけた言葉。
ひやりとした。
いいや、まて、そんな事はあるはずない。
あれは夢なのだから。
「それが、私の名前?」
「あ?ああ、そうだ、あんたの名前は一期一振。一期の兄貴、ってんでいち兄だ」
出てきた名前に驚いた。
一期一振。
名字と名前の二つに分けることはできるが、人の名前にするにはどうなのか。
「それが名前なのですか?まるでそれじゃあ、芸名ではないですか」
少年は私をじっと見た。
そして彼は、ふう、とため息をついた。
「いち兄、いち兄の記憶の根底はわかった。根底っていうか、可能かどうか知らんが誰かに上書きされたのかもしれん。そんな今のあんたはびっくりするかもしれんが」
少年が私の布団の傍らに膝をつく。
「ああ、俺は薬研藤四郎だ。あんたの弟にあたる。あんたは一期一振。正真正銘、本名だ。人間につけるには道理を無視した名前だがあんたは刀だ。今あんたが動かしているのは刀剣に宿った思いが人の形を成した姿で、本来のあんたは物なんだ」
沈黙が部屋をつつみこんだ。
いいや、正確には遠くの方でやはり子供の声がしていたのだが、私はそれを感知する能力を忘れ去ってしまった。
話を繋げるように、彼は言う。
「まあ、人の名を冠することもある。一期一振吉光だの一期一振藤四郎だのと。わりかし由緒あるもので、人に手を貸す前は尊い人のもとにあった」
「はは」
「いち兄」
少年、藤四郎はまじめな顔を崩さなかった。
冗談にすらしてはくれないようだった。
「まあ、否応にも自分が刀であることを思い知らされる時がくる」
返事をしかねて黙った。
藤四郎はふと、難しい表情を崩した。
「とりあえず、大将に会ってくれ、いち兄。記憶のないあんたにはちょっち荷が重いかもしれんが」
「大将?軍人ですか?」
「あー、軍人ではねえな、肩書きも違う。俺たちのリーダーってんで俺は大将って呼んでるだけだ。しかし地位は軍隊における大将ってとこか」
「ええと、どのような方で?それに話が見えません」
「早い話が、今ここにいる建物の責任者にあって、今後どうするか決めてほしいんだよ。此度の戦争で大将に仕え戦うか、もしくは別な道を選ぶか。おっと、戦争って呼んじゃいけねぇんだったか」
戦争。思わぬ単語に体の感覚が一瞬ふわりと浮いたようだった。いつ時計を見ても地球のどこかで行われているという争いは、遠いようでどこか生々しく、その響きだけで私の心に恐怖を覚えさせた。
私は何者なんだ?どうして戦争に参加させられそうになっているんだ?
そんな非常識なことをふっかけてくるのは、一体、
「ああ、大将がどんなやつか、だったな。この戦争における政府の右腕である人物。各国に配置された歴史保全特別大臣の一人。山城国審神者だ」