冷たいけれど温かい
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「傑の“大丈夫”は信用出来ない」
と、朔耶に言われたのは何分前だっただろうか。
今、私は一人で人里離れたバス停のベンチに腰掛けている。決してバスに乗るためではない。任務で訪れた私と朔耶は、つい先程まで自殺の名所としてネットに挙げられていた渓谷に跨る大きな橋で呪霊を祓っていた。次から次に湧いて出てくる低級呪霊は面倒ではあったが、朔耶の式神と私の呪霊操術であっという間に片付けて任務は終了。その後、残しておいた使えそうな呪霊を取り込んだのだが、この“取り込む”瞬間はいつも苦痛だった。口からでしか取り込む事が出来ないため私には非常に隘路となっている。
目の前を1台の軽自動車が左へと通り過ぎて行き、それを目で追っていると突如自分の右側に気配を感じた。
「気分はどう?」
「、そうだね。楽になったよ」
おかえり、と言うつもりが先に朔耶に声を掛けられたために出かけた声を喉の奥に仕舞い込むのに変な間が生じてしまう。それに対して朔耶は特に気にした様子は無く、私の方へ一本のペットボトルを差し出してくる。彼女が動くだけで耳を飾る沢山のピアスが光を反射させてその存在を主張させているように見えた。
「飲めそう?」
「もう、大丈夫だよ」
「本当に大丈夫?傑には前科あるから」
そんな、犯罪者扱いしないで、と言いたくなるもその言葉を胸の内に留めておく。彼女が厭味っぽく“前科”と言うのも、冒頭の冷ややかに思える言葉も怒気をはらんでいない。どちらも朔耶なりに私を気に掛けてくれているからで、今此処に座らされているのもその為だ。
彼女が言う“前科”が起きたのは高専に慣れ始めた頃、朔耶と二人で地方にある廃校に派遣された時だった。その頃の私と朔耶は任務で組むことが少なく、教室に居ても打ち解けた話しをすることもなくて、朔耶のことをよく知らないままだった。
だから、呪霊を取り込んだ後の喉の奥の不快感や気分の悪さを言い出すことが出来なかった。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫。その内良くなるから」
平静を装っていたのに何故か彼女に勘付かれた。けれども、私は平気なフリをして帳の外で待機している補助監督の所へ戻ろうと促した。
迷惑を掛けてはダメだ、と自分に言い聞かせて前を行く朔耶の後をついて歩くも、今日に限って身体がついて行かなくて徐々に彼女との間隔が開いてしまう。そんな時、朔耶が急に立ち止まって振り返り感情の読めない表情で「休憩」と言われた。
「さっきより顔色悪い」
「そんな事ないさ。私は大丈夫だから、早く戻ろう」
「本当はしんどいんじゃないの?」
図星をつかれて言い淀んでいると彼女の溜息が聞こえてきて気不味くなった。普段から感情をあまり表に出さない朔耶の表情がほんの少し、不機嫌そうに見える。
「このあと高専に戻るのに1時間以上車に乗るけど、それでも平気なの?」
「・・・」
淡々と痛いところを突かれた私はお手上げだった。
石段に腰掛けて休憩を取り始めると朔耶から水を手渡された。
「あげる。まだ未開封だから」
「ありがとう。あの、補助監督には、」
「下級呪霊が沢山潜んでいたので片付けます、て連絡しといた。本当のこと言って欲しくないでしょ」
「ごめん。何から何まで、申し訳ない」
彼女の気配りには、頭が上がらなくなる。
「申し訳ないと思うのなら、今度からは言って。私には言いにくいかもしれないけど、我慢しないで欲しい。前歩きながら急に倒れたらどうしよう、てずっとヒヤヒヤしてた」
物静かな彼女の口から沢山の言葉が出て来て正直、吃驚した。
けれど、朔耶の言葉を要約すると、凄く心配してくれていたんだと思う。クールに見えて優しい子なんだと分かると僅かに感じていた彼女への苦手意識が何処かへと消え失せていた。
「さぁ、戻ろうか」
ベンチから腰を上げ、補助監督が待機している場所まで二人並んで歩く。道中、他愛のない会話が絶えなかった。それに、以前に比べて朔耶の表情が豊かに見えて、彼女と打ち解けられたかのような気がして嬉しくなる。
補助監督と合流してから長い道程の途中、SAに立ち寄って間もなく、ふらりと朔耶が消えた。貰った水のお返しに何か奢ってあげようかと思ったのだが、屋内も外の自販機や露店にも居らず、車にも戻っていない。電話してみようと喧騒から離れ、整備された植込みに沿って歩いていると自分と同じ黒い制服が見え隠れしているのを発見する。植込みと大きな案内板の隙間、随分と狭い所で朔耶は屈んで茶トラ猫の背を撫でていた。それも凄く優しい目をして。猫が好きなんだろうか。その様子に目を奪われていると猫と目が合い、急に警戒心に満ちた顔付きになって去ってしまった。
「ネコくん、何処行くの?」
と、立ち去る猫に声を掛ける彼女の表情はとても名残惜しそうだ。
ネコくん、て。随分と、可愛い呼び方だな。
なんて思っていたら今度は朔耶と目が合って、彼女の表情が一転した。さっきの優しい眼差しは何処に?て、くらいに険しい。隙間から出て来た彼女は真っ直ぐに私の前までやって来て目を細めた。
「見てた?」
「そう、だね」
「傑、手持ちの呪霊に記憶を弄れるヤツとかいる?」
遠回しに、今の記憶を消せ、てことかな。
そういう呪霊を取り込んだ覚えがないことを伝えると朔耶は目元を手で覆った。耳が赤くなっている。恥ずかしいんだ。
「誰にも言わないよ」
口は堅い方だと思うし、この貴重な記憶を悟に話すのは惜しい。朔耶と悟は時間をかけることなく、あっという間に仲良くなったから私は置いてけぼりをくらった気がしていた。だから、言わないでおきたい。
「本当に言わない?」
「うん。でも、その代わりに」
「なに?」
「『スナック如月』に行きたいんだけど」
以前、あっさりと断わられて以来、言い出し辛かった。けれど、今は硝子も居ないから好機だと思った。
少し警戒した様子だった朔耶はきょとんとしている。
「そんなことでいいの?」
「え、いいの?」
「うん。あ、でもやっぱりダメかな」
「何でだい??」
「だって、硝子が『夏油は女誑しだから部屋に入れちゃダメ』て」
・・・。
どうやら、私は硝子と話をする必要があるらしい。
(2023.11.11)