承知の上
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寝て、起きて、任務。寝て、起きて、任務……
繁忙期に入ってから何度これを繰り返しただろう。
人手不足は承知している。次から次に任務は舞い込み、この半月、同級生たちと顔を合わせていない。
今日も3件の任務を終え、夕陽で照らされた寮へと続くいつもの道を鞄を背負って歩く。すると後ろから声がしたような気がして振り向くと自分と同じ様に鞄を背負っている朔耶の姿を捉え、足を止めた。
「お疲れ様」
「お疲れ。会うの久しぶりだね」
朔耶が追い付くのを待ち、半月ぶりに言葉を交わす。
「元気?」
「元気だよ。朔耶は?」
「今すぐシャワーして寝たい」
疲労を感じさせない表情で言う朔耶でも、なかなかにお疲れらしい。かくいう私も早くベッドに横になりたい。
「無理しちゃダメだよ」
「目の下にクマが出来てる人に言われたくないけど」
「…」
確かに此処のところ睡眠時間が少ないことは自覚していた。目元に出来たそれはまだ薄っすらと言えるほどだと思っていたけれど、久々に会った朔耶の指摘にはとても驚かされる。
「無理しちゃダメだよ」
眼尻を下げて笑った彼女は、またね、と言って女子寮の玄関の方へと真っ直ぐ歩いて行く。
「なんで分かるんだ」
自室の洗面台の鏡に顔を近付け、自分の目元をじっくりと見つめる。決してクマは濃くない。鞄を床に起き、制服の上着だけ脱いでベッドへと横になる。先程のたった数分間のやり取りを思い出し浅く息を吐き出す。
久しぶりに会ったのに、あの子の前ではいつも格好がつかない。心配して言った言葉はそのまま自分に返された。
あの時だってそう。
護衛任務が失敗に終わった日、車椅子の上で見た朔耶は項垂れていてとても力無かった。いつも凛としている彼女の弱々しい姿を初めて目にし、気になって翌日見舞いへ足を運んだ。それがどうだ。逆に慰められた。朔耶がくれた言葉に安堵して、彼女がいる空間が急に居心地良く感じて、気が付けば長居してしまった。
「みっともない…」
こんなはずじゃなかったのに…。
*
梅雨明けして夏本番の暑さが続く中、本日の任務を終えて筵山の最寄り駅まで戻って来た。制服の上着を押し込んだ鞄を背負い、携帯を弄りながら歩いていると後ろから唐突に声を掛けられる。振り向くと同じ年頃であろう女の子3人がいた。その中で真ん中にいる茶髪の子だけもじもじしていて、何となく察しがついてしまう。
「何か?」
と、聞きながらもどう切り抜けようかと考える。ふと、視線を交差点へと向ける。青に変わった歩行者側の信号の先にある『リニューアルオープン』と書かれた赤い旗がはためくパン屋の店内によく知る顔が見えた。女の子から何処の高校か聞かれたが「待ち合わせをしている」と伝え、早足で信号を渡る。パン屋の自動ドアの先は食欲をそそる良い香りが充満していた。その香りの中を進み、イートインスペースの方へと行けば窓際の二人掛けの席に私服姿の朔耶が居て、テーブルの上にはクロワッサンの乗ったトレーとアイスティーと冊子が置かれてある。
「やぁ、朔耶」
冊子へ視線を落とす彼女は私を見るなり小さく笑ってからチラッと外を見た。
「お疲れ様。傑、モテモテだね」
「そんなことないさ。あの、座ってもいいかい?待ち合わせをしてることにしてるんだ」
「どうぞ。あの子たちが帰ってくれないと動けないもんね」
くすりと笑った朔耶は器に乗ったクロワッサンを一口サイズに千切って口へと運んだ。
「なにを見ているんだい?」
「街の情報誌。こんな奥にお蕎麦屋さんあるの知ってた?」
店舗の写真と地図が載った頁を朔耶は指差す。店名と写真を見て私は嫌な記憶を思い出した。
「この店、春先に悟を誘って行ったことある」
「美味しかった?」
「行くことは行ったんだけど…」
県内外から客が集まる隠れた名店だと知らずに行ったこの蕎麦屋。長い道程を歩いて行ったのに『営業終了』の看板を見た時は固まった。高齢の店主が打つ蕎麦は1日に作る量が決まっていて、蕎麦がなくなり次第終了となることを店先で知り…悟と大喧嘩となった。
「それから行ってないの?」
「行ってない」
「ふーん。じゃあ、今度行ってみようよ」
朔耶のお誘いに一瞬だけ気持ちが高揚したが、直後「4人で」と付け加えられ、すーっと気持ちが下がった。
「名店って言うくらいだからきっと凄く美味しいんだろうね。楽しみ」
「そうだね」
微笑む朔耶につられて笑うが、胸の内は複雑だった。「4人」と言ったのは彼女らしいと思う。でも私としては「2人」が良かった。
正直なところ、朔耶への好感度は高い。容姿は整っているし、感情が読み取りにくい時がよくあるけどクールで優しい。すごく良い子だ。だけど、この子はたぶん私のことを異性として全く意識していない。女の子が喜びそうなワードを口にしても響くことはなく空振ってしまう。
異性から良く思われたいという思考がいけないのだろうか。
気が付けば、外に居た女の子たちは居なくなっていた。寮に帰るという朔耶の隣を私は制服のズボンへと手を突っ込んで歩く。
「朔耶がいてくれて助かったよ」
「もし私がいなかったらどうしてたの?」
「そうだなぁ。彼女または好きな子がいる、て言ってその場を離れるかな」
「ふーん。慣れてるね」
言葉に棘を感じていると、前方から学校帰りの男子学生たちの集団が自転車で現れた。会話が盛り上がっているのかケラケラと笑い声が聞こえて来る。賑やかだな、と思っていると腕に何かが触れた。手元に視線を向けると朔耶の手が回されていることに気付き「え?」と間抜けな声が口から漏れ出る。
「ごめん。少しだけこのまま歩いて」
眉尻を下げて申し訳なさそうな表情をする朔耶に私は理由も分からず頷いた。朔耶が近い。体の左半身がバカみたいに緊張している。数台の自転車が通り過ぎて行く中、後ろを走る男子2人にじろりと見られた気がした。
「それで、何があったんだい?」
「先週、硝子とスーパー行った帰りに声を掛けられたの」
「あぁ、それでか。その時は大丈夫だった?」
「うん。今日は傑がいてくれて良かった。ありがとう」
自転車が遠くへ行ったことを確認した朔耶は手をそっと放した。正直、名残惜しい。でも、あの男子学生たちに朔耶の彼氏だと思われるのは悪くないし頼られたことが率直に嬉しい。
「急に触ったりしてごめん」
「大丈夫、気にしてないから」
それから寮に着くまで任務先で見た景色が良かったことや、変わった方言を耳にしたことなど他愛のない話が続いた。それじゃあ、と言って女子寮へ帰って行く朔耶の手にはパン屋で見ていた情報誌がある。
「2人で行こう」と誘えば良かった。
それから何日か経った日の夕方。任務後、報告書を提出しに先生の所を訪ねたその帰り突然降り出した土砂降りの雨に足を止める。濡れる窓ガラス越しに外を見てげんなりしてしまう。傘がない。
「あれ?夏油じゃん」
「やぁ、硝子。お疲れ」
「おつかれー」
「傘持ってるかい?」
「女子寮に帰ればある。これ夕立でしょ。すぐ止むんじゃない?」
校舎内だというのに煙草を咥えた硝子は私とは別の窓から外を見た。
「あっ。朔耶と五条だ」
私の位置からは2人が見えない。だから、外を見ながら少しだけ硝子がいる方へと進んで足を止めた。悟と朔耶は土砂降りの中、傘を差さずに校舎に向かって歩いていた。手を繋いで。
「こういう急な雨の時って五条の術式、超便利」
「ああ。傘いらないからね」
無下限の術式を使用している悟は雨に濡れない。そして悟に触れている朔耶もその効果が適用される。硝子の言う通りこういう時は凄く便利だ。本当に。
「なぁに?また五条と喧嘩した?」
「いや、してないけど。どうして?」
「だって、不機嫌そうな顔してるじゃん」
硝子の指摘に面食らった私は窓ガラスに映った自分に目を凝らす。だけど、気になるのはガラスの向こうにいる2人で、自身の表情なんてどうでも良かった。そんな私を硝子は怪訝な顔で見ている。
「硝子。あの2人、私の知らない間に付き合ってたりするかい?」
「はぁ?あるわけ無いじゃん」
咥えていた煙草を外して即答した後、硝子は悟への不満をアレコレと連ね始める。その間、私はあの2人が付き合っていないことに安心していた。本当は硝子に問うつもりはなかったのに、並んで歩く悟と朔耶を見ていたら胸がつきりと痛んでそうせずにはいられなくなっていた。
脈がないのは承知の上だ。
けれど、彼女が他の男と一緒にいるのは見たくない。
例えそれが親友であっても。
(2024.4.8)