問題児
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呪術師の家系に生まれるんじゃなかった。
と、常々思う。
幼い頃、父が病死した途端に母と引き離された私は強制的に本家に住まわされた。理由も分からないまま始まった様々な稽古に逃げ出してしまいたくても、そこに居た大人達はそれを許してはくれなかった。様々なことに制限をかけ、私の将来にまで口を出すようになった老害たちに年々嫌気が増していくばかりだ。
動き辛い上等な着物に袖を通すのも、無理矢理作った笑顔で愛想を振り撒くのも、もうウンザリ。窮屈な生活から抜け出したい一心で、私は当主である祖父に頭を下げた。
2005年の春から私は呪術高専東京校に通い始めた。
入学してからそれはもう色々とあったが、五体満足で任務を熟しながら過ごしている。
本日も予定通りの任務を終えて、補助監督さんが運転する車の後部座席で私は携帯を弄っていた。もう10分程で高専に到着するかという時、一通のメールが受信された。入学してすぐに仲良くなった硝子からだ。
「任務終わった?」
もう少しで高専に着く、と返信をすればまたすぐにメールが受信される。
「ついさっき五条たちがアイス買いに行ったけど、朔耶もいる?」
「いる。直接連絡してみる」
糖分を欲している脳内は高専から近いコンビニのアイスコーナーを想像した。電話帳を開いて上にあった方の名前を選択して通話ボタンを押す。呼出音が一回、二回と鳴るがなかなか出てはくれない。もう片方に電話をしてみようかと取消ボタンを押そうとしたら通話中の画面に切り替わった。
「もしもしー?」
あれ?
かける相手を間違えたかと画面を見直すも通話相手は夏油傑になっている。
「もしもし、悟?傑は?」
「傑は今、手が離せなくてさー」
「アイス買いに行くんじゃないの?」
「あ?硝子に聞いた?てか、朔耶いま何処?っぅお!?傑!気を付けろよ!!」
「上りなんだから察してくれ」
「はあ?」
電話の向こう側で男二人が揉め始めている。一体何をしているのかと思えば、上り坂を越えていく車のフロントガラスのずっと先に見知った顔が二つ見えた。白シャツを靡かせながら下ってくる自転車の前に傑、後ろに悟が跨っている。ぐんぐん加速していくに連れて悟が燥いだ声を上げ、傑の笑い声も聞こえてくる。
「二人共、ニケツ楽しそうね」
「え?何で知ってんだよ?」
「たった今、二人と擦れ違った車に乗ってるから」
マジか、と悟が声を漏らした。
後部座席から後ろを確認すると小さくなっていく二人が楽しそうに此方に手を振っているのが見える。入学した初日から取っ組み合いの喧嘩をしていたとは思えないくらい今では悟と傑は仲良しだ。
「お前、アイス何がいい?」
「クリーム系なら何でも。後でお金渡すよ」
「傑の驕りだから気にすんな」
「え?悟の驕りだろう」
ああ、これはまた揉め始める気配。
「二人共気を付けなよ」
「大丈夫大丈夫!もうすぐ着くし」
私がどういう意味で気を付けろと言っているのか悟は分かっているのだろうか。
「悟」
「なに?」
「自転車の二人乗りは違反になる、て知ってる?」
「・・・違反?」
暫しの沈黙から出た言葉に苦笑いしてしまう。社会のルールを分かっていらっしゃらない様子の五条家の若様にはまだまだお勉強が必要らしい。
「傑にちゃんと教えて貰いなよ。じゃあ、また後で」
傑、乗る前に悟に教えてあげなよ。いや、説明しようとした彼を遮って「早く行こうぜ!!」と我先にチャリに跨ったか。
補助監督さんに礼を伝え、車を降りた私は教室へと向かった。教室棟の近くに差し掛かった時、風に乗って嗅ぎ慣れた匂いがして来たのでそちらへと足を運ぶ。
「硝子、発見」
建物の裏、植え込みの影に隠れるように煙草を吸っている硝子を見つけた。壁に凭れていた座っていた硝子は私を見るなり笑顔でひらひらと手を振ってくれる。
「おかえり、朔耶」
「ただいま」
硝子の隣に腰を下ろし、鞄からミネラルウォーターを引っ張り出して一口流し込む。日陰で風が通るこの場所は初夏のこの時期には良い所だ。
「朔耶、吸わないの?」
「買うの忘れた。まぁ、これを期に禁煙しようかな」
「へぇー。続くの?」
「どうかな?」
自分で言って笑ってしまうあたり続かないのは目に見えていて、硝子はニヤニヤしながら紫煙を吐き出して吸い殻を携帯灰皿へと押し込んだ。彼女が立ち上がったのでそれに続くように立ち上がって制服のズボンに付着した石ころや砂を払う。アイスまだかなぁ、何て考えていると突然、遠くで怒鳴り声が聞こえてきた。低くて野太いその声は我らが担任の夜蛾先生だ。
「あの二人、また何かやらかしてるわ」
「さっきニケツしてたからね」
「そういうことか」
硝子と共に説教を受けている悟と傑のもとに向かうと、先生から指導という名の拳骨を落とされたようで二人して頭を手で押さえていた。コンビニのロゴが入ったナイロン袋を提げた傑の横で悟は唇を尖らせて不機嫌丸出しの表情をしている。そんな悟を宥めるかのように話し掛けていた傑の切れ長の目が私と硝子を捉え、此方に手を振った。
「おかえり、朔耶」
「傑も、おかえり。あと、アイスありがとう」
「悟の驕りだよ」
コンビニ前で行われたジャンケンにて勝利を治めた傑から、任務お疲れ様、と労いの言葉を添えられ期間限定と蓋に記された某高級アイスとスプーンが手渡された。蓋に記載された内容を見るに私好みだ。3種のチョコレート?美味しいに決まってるじゃん。
石段に腰掛け、蓋と内側のラベルを取り去ればカップの外側が溶け始めており、スプーンで掬えば滑らかなチョコレートアイスがそれに乗った。
「朔耶のメッチャ美味そうじゃん!」
私のアイスに興味津津な悟は距離を詰め、笑顔で此方の様子を伺って来る。私は眼を反らし素知らぬ顔でアイスを口に運んだ。あ、予想通りカカオが濃厚で凄く美味しい。
「悟。朔耶のアイスを狙ってないで自分のを早く食べな。溶けるよ」
レモンシャーベットを食べながら傑は悟にバニラアイスを差し出した。そのアイスを渋々と受け取った悟は何故か私に視線を向けながらそれを食べ始める。サングラスを態と下に下げているので宝石を思わせる青い瞳が私の気を散らして敵わない。
「あのさ、そんなに見つめられると凄く食べ辛い」
「え?俺に見つめられてドキドキする?」
「いや、鬱陶しい」
瞬間、悟は目を丸くし、傑と硝子が両サイドで噴き出すように笑い出した。
世間一般の女の子であれば悟の整った容姿に見つめられば顔を赤らめたり、ときめいたりするのであろうが私は既に彼の内面を知ってる故、全くドキドキすらしない。
「お、お腹が苦しい!」
「あー、可笑しくて、アイスが食べれない!」
「お前ら笑い過ぎだろ!」
ケラケラと笑い続ける傑と硝子に悟の気が向いている間に私はアイスを食べ進めた。すると隣からべチンッと音がした。そちらを見ると傑の額に悟の手が当てられていて、嫌な沈黙が流れ始める。
「・・・悟、この手は何かな?」
「笑い止めないと傑、アイス食えねえじゃん?だから、この辺にスイッチがあるのかと思って。あー、悪ぃ!前髪の方がスイッチか!」
平静を保とうとしている傑を煽りに煽る悟に溜息を吐きたくなる。傑は額に当てられた悟の手を退けようと彼の手首を掴むもその手は一向に退かない。両者一歩も引かない睨み合いが始まった。
男二人に呆れながらアイスの最後の一口を食べ終えると硝子が私の肩を叩いた。彼女は既に逃げる準備万端だ。
「硝子の抹茶アイス美味しかった?」
「うん、甘過ぎなくて美味しかった。夏油が気遣い出来る奴で良かったよ」
と、話していると先程までいた場所から大きな音と共に土煙が立ち昇った。予測通りの結果に私と硝子は「またか」とただただ呆れる。1分も経たぬ内に教室棟の方から夜蛾先生が厳つい顔を更に険しくさせ、もの凄い勢いで私たちの横を走り抜けて行った。
「悟!傑!また、お前達か!!」
怒鳴り声が響き渡る中、私と硝子は顔を見合わせて笑った。
如月の家に居た頃は、こんなに腹の底から笑うことがあっただろうか。小言を言う親戚たちを前に、作った笑顔を貼り付けてばかりいたあの日々が遠い日に感じられる。このイカれた呪術界に身を置く以上、平穏だとか幸せだとかそんなもの程遠いのだと諦めていた。
けれど、硝子と悟と傑と共に過ごす時間だけは世界が違って見える。笑って騒いで巫山戯て喧嘩して、あの場所では味わえないことばかり。あの日の選択に間違いはなかったんだ、と心からそう思った。
(2023.10.5)