middle/英雄の仕立て屋
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
泣いたのがよかったのか祖父の作ってくれたリゾットと薬のおかげか、翌朝起きると熱は下がり営業可能なくらいには回復していた。
『店主体調不良の為臨時休業』
ドアに貼ってあった、祖父が書いてくれた紙を剥がす。
隣のドライフラワー屋の奥さんが、治ったんだね!といつもの陽気な声で笑いかけてくれた。こちらもそれに笑顔で答えて、開店準備をする。
3日ぶりに店内外を掃除して、スーツに着替える。
クロコダイルさんの依頼を優先していたために滞っていた資料と在庫の整理や、他の依頼を進めなければ。
それに、連絡、しなければ。
お金も、あれでは完全にもらいすぎだ。確認したところ、普段もらうであろう金額の倍以上あった。いくらなんでも多すぎだ。
けれど。
どうにも気が進まない。
自分の中に残ったクロコダイルさんへの気持ちを、完全に持て余していた。
テーラーとして認められていたことは素直に嬉しい。けれど本当にそうなのだろうか。
あの時感じた欲に濡れた瞳がちらちらと脳裏をよぎる。
触れることも触れられることも、嫌なわけではない。
けど。でも。だって。
「はぁ……」
一向にまとまらない思考を中断して、昼食休憩をとる事にした。
気分を落ち着かせようと食後にハーブティーを淹れていたら、来客のドアベルが鳴って作業部屋から出て慌てて出迎えた。
飛び入りのお客様は多くはないが、ない訳ではない。
やってきたのはスキンヘッドの男で、クロコダイルさんほどではないけれどかなり大柄だ。服装からすると、武道家の類いだろうか。目つきが悪く、少しばかり怯む。
「いらっしゃいませ。スーツのご用命でよろしいでしょうか?」
「ああ」
表情に乏しいその人は、コクリと頷いてから私の顔をまじまじと見てきた。
「……あ、あの、何か?」
「いや、生地でも見せてくれ」
「あっはい、今お持ちします」
ワン、とだけ名乗ったその男とは、スーツについて様々なことを決めたり採寸したりとあっという間に3時間ほどを共有していた。
第一印象ほど粗野ではなく、話していてむしろ丁寧な印象を受けた。
また来ると短く言って退店して行った後ろ姿を見送って、作業部屋へ戻る。
「あ……」
扉を開けて、台の上のティーカップが目に止まって小さくため息が漏れた。すっかりアイスティーになってしまったそれを、一気に喉に流し込む。
「はぁ……」
電伝虫を前に、今度は盛大にため息をついた。
連絡、しなければ。
何度か受話器に触れることを躊躇って、えいっと触ろうとしたその瞬間。
『ぷるぷる……がちゃ』
「うゎ、わ」
ワンコール未満で受話器を取ってしまった。
「ぉお、お電話ありがとうございます。テーラー・ネーベルです。ご用件はなんでしょうか?」
動揺が声に出ていませんようにと願いながらも、いつもの言葉を口にする。
けれど、返事がない。
「もしもし?聞こえていますか?」
返事の代わりに、小さく舌打ちが聞こえた。
「クロコダイル様……?」
それはただの勘というより確信に近かった。このタイミングで電話が来て、返事もせずに舌打ちする相手なんて、彼以外心当たりはない。
「あァ」
短く、低い、肯定の声。
「あの、ご連絡が遅くなってごめんなさい。昨日まで風邪で寝込んでいまして……」
ただの言い訳だけれど、何か言わなければと口をついて出たそれに我ながら呆れる。そんなことより言わねばならないことがあるだろうに。
「男が1人来ただろう」
しかし私のそんな心をよそに、クロコダイルさんはその男にこのテーラー・ネーベルを紹介したのは自分だと言った。
勿論それに礼を言わないわけにはいかず、丁寧に礼をする。
そして、互いに沈黙してしまう。
「……あの」
1分ほどの沈黙を破ったのは、私。
「なんだ」
「前回、顔も見ずにお暇してしまって申し訳ありませんでした」
「……あァ」
「その、あの、あ、ああいったことは初めてでして……じゃなくて、えっと……」
違う違う、言いたいことはこれでもない。目の前にいないにも関わらず、あの濃厚な口づけの記憶がぶわりと蘇って顔が熱い。
「テーラーとお客様としてでしたら、今後ともぜひ、お取り引きをさせていただきたいと思っております」
そう、あくまで、テーラーとお客様として。
新聞や画面の向こう側の人だと思っていたからこそ、憧れや柔らかな感情があった。ただ、それは英雄として、七武海として報道される彼に対してでしかない。
直に接した彼は、当たり前だけれどきちんとそこに存在していて、話したり考えたりしていた。海賊だったし、男、だった。
あんな事をされても憧れの気持ちは無くなりはしなかったけれど、冷静にはなれた。
クロコダイルさんが私をどう思っているのかは正直もうよく分からない。分かっているのは、今の私は、彼に男女の関係など望んでいないということだ。
「あの、クロコダイル様……?」
受話器からなかなか言葉か返って来ず、流石に怒らせてしまっただろうかと不安になる。
「アスター君」
「は、はい」
「明日は定休日だったな?」
「え?ええ」
「朝迎えをやる。仕事の話をしよう」
「っはい……」
どうやら、怒ったわけではなさそうだ。
そして言葉だけ聞けば、私の言った事を理解してくれたようだった。
『海賊を簡単に信用しすぎだ』と言われた事もあるので、完全には信じない、妙な期待はしないでおこうと、思いはしたけれど。
どこか少しほっとして、二、三言交わして受話器を置いた。