middle/英雄の仕立て屋
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「ただの風邪だろう」
クロコダイルさんの仕事が終わった頃かと様子を見に来たらしい祖父は、言葉少なに私の額に濡れタオルを乗せた。
「何が食いたい」
「……プリン」
珍しく、一瞬優しげな笑顔を浮かべた祖父は、買ってくると部屋を後にした。
祖父なりに心配してくれているのだろう。不器用な人だ。
それにしても熱が高いようで、寝ていても頭がぼーっとしている。祖父はきっとすぐ帰ってくるだろうけれど、起きたまま待てそうになかった。
これはきっと夢だ、と思った。
枕元に座る大きな黒い影。
祖父ではない。祖父は黒い服はほとんど着ない。それに祖父より随分と大きい。
影は動かずにじっとこちらを見ている。
不意にその影が白いモヤモヤしたものを吐き出して、なんだか見覚えがあるぞと思い当たった。
……クロコダイル様。
ああ、お金も受け取らず、顔も合わせずに帰って来てしまって、すぐ寝込んで。たぶん、3日くらい経ってしまった。
電伝虫は鳴っていないようだけれど、怒っているだろうか。うん、きっと怒っているだろう。
もうリピートしてももらえないだろう。
……ごめんなさい。
私は一体誰に、何を謝っているんだろう。
逃げるように帰った理由を作ったのは他ならぬクロコダイルさんの方じゃないか。
ぶり返して来た悔しさに涙がにじむ。
女がテーラーなんてと、今まで何度言われたことだろう。
祖父の付き添いと面通しで依頼主の立派なお屋敷へ行った時も。いらっしゃいませ、と言ったのにすぐに踵を返された時も。
ここまで悔しくなんてなかった。ただ悲しかった。
仕方ない、こんな茨の道を選んだのは私自身だ。
私の服をわかってくれる人は絶対にいる。辛抱強く待つしかない。
そう思っていた矢先に舞い込んで来たクロコダイルさんからの依頼。
これを成功させればきっと。
何もかも上手く行く。
それが淡い期待だったと、思い知った。
涙がこぼれ落ちた。
ああこれは、夢だけでなく現実でも泣いている。
嗚咽が漏れそうになって、けれどそれは黒い影に吸い込まれた。
唇に感じる温もり。
甘く、苦い。
触れるだけの、ひどく優しい口づけ。
……クロコダイル様。
私はテーラーとしてまだまだ経験不足ですが、貴方のスーツは胸を張っていいものができたと思っているのです。
そしてそれを認めてくれたと思っていた。
上出来だ、と言ってくれたあれは、嘘だったのでしょうか。
温もりが離れた瞬間、黒い影はかき消えてしまった。
涙は、止まっていた。
目が覚めてみると、窓の外は暗闇だった。
程なくして祖父がプリンと、白いアタッシュケースを持ってきた。
「おじいちゃん、そんなの持ってたっけ?」
「いや、作業場に置いてあったぞ。お前のじゃないのか」
はて、そんなもの買った覚えももらった覚えもない。
カチリと金具を外してフタを開けると、2人して絶句してしまった。
そこには、大量のベリー札が収まっていた。
「……これ、お前宛じゃないか」
内ポケットに入っていたのは白い封筒。
流れるような筆跡で『ネーベル店主様』と書かれていた。
手にとって裏を見ると、差出人は『S.C.』
そのイニシャルが指し示すのはきっと、サー・クロコダイル。
中にはシンプルなカードが1枚入っていた。
『これは君の仕事に対する正当な報酬だ。受け取りたまえ』
そして、隅の方に、付け加えられた一文。
『p.s.次の依頼をしたいので連絡されたし』
視界が歪んで、頬を雫が伝い落ちた。
認められていたんだ。
私は、一人前のテーラーとして。
いや、きっと、一流のテーラーとして。
「う、あ……っ」
祖父がそっと部屋から出て行くのが分かった。
泣きながら、握りしめていたカードを封筒に戻す。
なんて、なんて人だ。
私は一体どういう気持ちになってるんだ。
悔しさが消え去った後に残っていたこの感情に名前はあるのだろうか。
封筒ごと自分の体を掻き抱いて、今度こそ嗚咽を漏らした。