middle/英雄の仕立て屋
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
破裂しそうな心臓を持て余していた。
聞こえてくる衣擦れの音を、私の耳は異様なほど感じ取っていた。
採寸の準備をしながら、深呼吸をして手の震えをどうにか落ち着ける。
前回からちょうど1週間後、時間は同じ。
今日は3人の採寸を行う。しかも、最初にクロコダイルさんの採寸なのだ。長身なので、私のために踏み台も用意されている。
執務室の一角、パーテーションで区切られたその中にクロコダイルさんがいる。
「なァ、お嬢さん」
「ひゃ、はい!」
「下はどこまで脱げばいいんだ?」
「は、ぱ、ぱんつは脱がなくていいです」
そんな会話の後すぐに、ベルトのバックルを外す金属音が聞こえた。
「始めてくれたまえ」
「っはい」
あの英雄の素肌に触れるなんて、罰でも当たるんじゃないかとすら思う。
パーテーションの中に足を踏み入れた瞬間、先ほどまで痛いほどうるさかった心臓がすっと静かになる。
さあ、仕事だ。
その姿は美しい、と思った。
均整のとれた身体。まもなく40歳だなんて、信じられない。
メジャーで各所を計測し、バインダーに書き込んで行く。その間、退屈させない会話もテーラーの仕事の1つだ。勿論服に反映できそうな趣味嗜好を探る意味もある。
「送り迎えしてくださっていますけど、あのF-ワニはこちらで世話されてるんですか?」
「あァ、ミス・オールサンデーに一任してある。なかなか快適だろう?」
「そうですね、ラクダよりはるかに早いですし。あ、腕を失礼します」
この国の成人男性平均よりもかなり大きいので、計測箇所は40を超えそうだと思いながらペンを走らせた。
「カジノ、だいぶ内装もできてきましたね。準備は順調ですか?」
「問題ない。強いて言えば、従業員になりたいと人が殺到していてなァ。それを断るのが面倒なくらいだ」
「ふふ、あら、面倒なんですか?うれしい悲鳴、というやつですね」
「うれしい悲鳴というなら、開店後にしてほしいものだ」
上から下へ、各所を測り終えて。
「あ、ごめんなさい、首回りをもう一度よろしいですか」
ととっと勢いよく踏み台に上がったのがいけなかった。
「あ、うあ」
ぐらりと傾いた足元を見たのも、事態を悪化させた。
「おっと」
目の前に、クロコダイルさんがいたのが、救いではあったけれど。
「ッ……!!」
それは声にならない悲鳴だった。
とっさに身体を支えようとした腕は空をかくのではなく、そこにいたクロコダイルさんを捉えて。気づけば彼の首筋に、腕を回していた。
ふわりと、高級そうな香水の香りが鼻腔をくすぐる。
踏み台は倒れてしまったようで、足は宙に浮いてしまっていた。
「ご、ごめ、なさ、」
切れ切れにそう言った次の瞬間には、すとんとあっけなく絨毯に足がつく。
「ククッ……仕事はしっかりしているのに存外そそっかしいなァ」
クロコダイルさんは落としたバインダーとペンまで拾ってくれて、まだ呆気にとられている私へ差し出す。
「ホラ、大事な商売道具だろう」
半分意図的に、仕事モードを強いていたのに、アクシデントのせいでそれがどこかへ行ってしまっていた。
「あり、がとう、ございます。しつれいいたしました……」
顔から火が出そうなほど熱い。クロコダイルさんの裸体は、私には刺激が強すぎた。
受け取った道具たちを見つめて、ショートした思考回路をどうにか修復しようと試みる。
「アスター君?次は首回り、だったか」
「は、」
私の様子を分かっていて、きっとわざと、気にすることなく先へ進めようとしている。
呼吸と思考を整えながら、今度はゆっくりと踏み台に登り、震える手でメジャーを彼の首へ回した。
数値を書き込んで、顔を上げると。
まっすぐに私を見る琥珀のような双眸がそこにあった。逸らされることなく注がれていた視線が、私と目があった途端ほんの少しだけ、揺れた。
「おれァ、あんたが気に入ってんだ。せいぜいこの期待に応えてくれたまえ」
私が返事をする前に、クロコダイルさんは服を着始めてしまった。
その背中がなぜか寂しそうに見えて、目を瞬いた。
英雄様は孤独なのだろうかと、数瞬その背を見ていたけれど。転がり落ちたペンを拾って、自分の仕事に戻った。
そのあとのオールサンデーさんの採寸の方が、よほど手が震えた。同性ながら、美しすぎて直視したら死ぬんじゃないかとすら思った。
そしてさらにそのあと、カジノの副支配人の男性を私は知っていた。
忘れるはずもない、看板を継いで一番最初のお客様だった。祖父の頃から何度か来ていた、信頼の置けるひとだった。
つまり、彼がいなければ私はこの仕事にはありつけなかっただろうということだ。それはもう盛大にお礼を言って、なおさらこの仕事は成功を収めなければと、気合が入った。